大越友美応援ページ

日立製作所陸上部に入部した大越友美さんの応援ページです。


高校時代 全国高校駅伝’97

第9回高校女子駅伝が12月21日京都で行われた。優勝は埼玉栄。1時間7分で史上初の3連覇。2年連続2度目の出場の聖徳短大付属高校は1時間10分38秒で13位に入った。これは昨年の18位を上回る好成績。来年がまた期待される。中でも2年生の大越友美さん(文間小出身)は区間6位の好記録をマークした。

1区 高仲未来恵(2年)6km 20'35 (区間20位)

2区 赤塚恵美(3年)4.0975km 13'34 (13)

3区 大越友美(2年)3km 9'58 (6) ⇒

4区 逆井雅代(3年)3km 9'51 (17)

5区 酒井亜希子(2年)5km 16'40 (17)

杉森春男監督は「平均してみんなそれぞれ力を出してくれた。」と笑顔。「1,2区でもう少し前に行きたかった」と不満を口にしながらも,「今までは2人におんぶにだっこだったが,3区以降の選手がよく取り返してくれた」とコメントした。来年は1時間9分台を目標にするという。がんばれ聖徳!


夢(97.12.21)

彼女に初めて出会ったのは,彼女が10歳の時だった。クラスで一番小さな子だった彼女はいつも笑顔の明るい子だった。「マモー」「ミモー」が流行っている頃で,彼女は出会いの日,大きな声で「ミモー!!」と叫んでいた。私は言葉もなかった。その彼女が今,都大路を走ろうとしている。あの千葉ちゃんも走った都大路だ。「おはよう。調子はどうだ。」「まあまあ。」そのぐらいしか言葉を交わせないほど彼女は緊張していた。付き添いのお友だちと2人,彼女は丹念にウォーミングアップを続けていた。集中したその顔は戦士の顔だった。彼女の高校駅伝を出場を知ったのは,昨日の夕方。京都から,「先生,3区で走れることになりました。」と電話があった。声がはずんでいた。補欠だった彼女だが,最近調子をあげ,ついに選手になった。集中している彼女のじゃまにならないよう,3区の中間地点まで走っていった。すると彼女のお母さんに会った。「先生,ありがとうございます。そのままの順番で走ってくれればいんだけど。」母の不安・心配が手に取るようにわかった。私は第3中継所の前,500メートル付近に立った。そしてひたすら彼女を待った。12人目,13人目。ピンクだ。聖徳だ。友美さんだ。私はカメラのシャッターをおすと,カメラ片手に走った。「友美,もう少しだ。」「友美,がんばれ!」彼女は速かった。でも必死に彼女を追いかけ,叫んだ。彼女は限界と闘っていた。苦しそうな表情を浮かべながらも,彼女はきれいなフォームで走っていた。小学校時代のフォームそのままだった。「友美,力をふりしぼれ!!」その言葉を最後に彼女は私を置き去りにしていった。ラストスパートだった。たすきを渡し終わった彼女を見つけた。彼女は柔和な顔をしていた。私を見つけると今度は駆け寄って来てくれた。「よくがんばったな。ご苦労さん。」と握手した。「先生が一緒に走ってくれたから・・・。」彼女が声をつまらせた。昔の友美ちゃんだった。ミニバスでクラスで一緒に過ごした友美ちゃんがそこにいた。彼女の涙を見た時,「来て良かった」と心から思った。いい走りができてほっとしたんだろう。彼女はだらだら坂をのぼりながら走り,3kmを10分切った。今までの3kmのベストは10分4秒だったから,満足のいく走りだったんだと思う。後で知ったことだけど,彼女は2人抜いたらしい。声援が届いて良かった。京都に行ってホントに良かった。来年も一緒に走れたらなと思っている。彼女の小学校時代の夢は,オリンピックでマラソンに出て金メダルをとることだった。彼女は夢に向かって一歩一歩あゆんでいる。夢は見るものじゃなくて追いかけるものだということを教えてくれている。おめでとう。そして感動をありがとう。


ボルダーからの手紙(99.7.15)

ボルダーから1枚の絵葉書が届いた。ボルダー,陸上の好きな人なら,すぐピンとくるこの名前。アメリカコロラドにあるこの地は,高地トレーニングに最適な場所として有名な所だ。少し雪を頂いた山並み。小さな山小屋。澄んだ青空。おいしい空気まで凝縮された絵葉書。文面に目をやると,懐かしい文字が並んでいた。ボルダーで合宿を張り,約1ヶ月の高地トレを行っているという。以前,このつれづれ日記でも紹介した大越友美さんは,日立製作所の陸上部に入り,今でも走り続けている。きっと新しい風に触れ,ひとまわりもふたまわりも大きくなって彼女は帰ってくるだろう。異国の地から,爽やかな風が吹き抜けた。もうすぐ梅雨も明けるかもしれない。


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