手賀沼ハーフマラソン完走!


 手賀沼ハーフマラソン。こんなに近くで行う大会なのになぜか縁がなかった。始まったのは私がジョギングにめざめた年。申し込もう申し込もうと思っている間に,期限が過ぎてしまって,電話でお願いしたけどだめだった。その次の年は走ることから遠ざかっていた。3回目は娘たちの行事が入ってしまい,見送った。いつのまにか第4回目を数えることになった手賀沼ハーフマラソン。今年初めて出場した。

 でも心配なことがあった。10月に入ってからはコンスタントに毎日5kmぐらいは走っているけど,練習の絶対量が不足している。でも,この手賀沼ハーフマラソンをきっかけにすればいいじゃないかと思い直し,精神を安定させた。昨日は早く寝ようと思ったが,運悪く?ラグビーW杯のアジア予選がある。それも9時からだ。9時からまこぱぱさんのページに頻繁につなぎ,経過を見た。やばい・・・リードされている。え?村田選手故障だって?どうなるんだ。平尾監督のいらだちがまこぱぱさんにも伝わる。それが,CS独占放送で中継を見ることのできない私にも伝わる。うぅぅ,見たい。見て応援したい。私はNHKや民放を恨んだ。サッカーとの扱いのあまりの違いに怒りさえおぼえた。私が見たからって,結果は同じだけど。でも,前半終了間際の増保選手のトライあたりから,怒りが鎮まっていった。ほぼ勝利が確実になったところで,ネットとお別れして,床についた。ネット仲間から寄せられたメッセージを反すうしながら。

 3時頃から何度か目覚めたが,何とか5時まで眠った。昨日あった頭痛もない。練習していないから足だって軽いはずだ。緊張感のないまま,読書歳時記の更新などをして朝のひとときを過ごす。さあ,8時の電車に乗って出発。湖北駅からもランナーらしき人が乗り込んでくる。知らないおばさんから,「今日,走られるんですか。私は応援なんです。」と声をかけられる。日曜日なら半袖ハーフパンツも目立たない。我孫子で乗り換えるともうランナーの群れだった。みんなウインドブレーカーを着込んでいる。ペニー・ハーダウェイのTシャツでふらふらしている人なんか一人しかいない。北柏駅に着くと,「手賀沼ハーフマラソン記念のイオ・カードを販売しています。」というアナウンスが耳に飛び込んでくる。私のためにありがとうという感じですぐに購入する。

 会場のふるさと公園に向かって歩いていると,コスモスが揺れていた。コスモスというと思い出すのが,「一つの花」という今西さんの戦争をテーマにした童話だ。戦時中子どもに我慢させるから,いつしかその子の口癖が「ひとつだけちょうだい。ひとつだけ。」になってしまった。その子のお父さんも戦場に行くことになり,別れの朝,プラットホームでその子がぐずりはじめる。お父さんはぷいとホームのはしっぽに走っていって,一輪のコスモスを見つけ,娘にプレゼントする。でも,お父さんはそれっきり帰ってこなかった。最後の場面は,10年後,たくさんのコスモスに囲まれて仲良く暮らす親子ふたりの笑い声が響き終わる。そんな話だった。

 ゼッケンをもらいジョギングを始める。2kmぐらい走ったろうか。思ったよりも体は重い。日差しも強い。でも,こんな青空の下で走れることがうれしかった。スピーカーからは歌が流れる。「自分にできることを 流されないでやろう!」なんていうフレーズが耳に残った。テンションがあがっているから,こんな何気ないフレーズにも感動する。それにしても,手賀沼ハーフはおもしろい。申告した予想タイム順にゼッケンがつけられている。私は2時間と書いたので,5420番になってしまった。でも,驚いたことに,前の方には若い番号の人が並ぶシステムだった。おもしろいどころではない。これにはまいった。スタートの合図の後,5分も6分もしてから,スタート門をくぐりたくない。私は1000番台の中にもぐりこんだ。腕組みして番号を隠しながら。5分間前あたりから,緊張が走る。松田ちえさんという招待選手の紹介が流れる。松田選手。知り合いの先生が言ってた。「松田さんて,毎朝,取手の小学校の校庭を何周も何周もしてたんだよ。」って。たぶんその人だろう。「今日は柏市の市長さんも完走めざして走ります。」それを聞いて,何かとってもうれしくなってしまった。こんなほのぼのした気持ちでスタートを迎えるなんて幸せだなと思った。

 スタートした。沿道を走っていたら,知り合いの方がいた。「あっ,**さん。」こちらから声をかける余裕があった。ちょっと先を折り返して,もう一度そのご家族に会った。「郡司さん,がんばって!」プアーンとサッカーの応援につかうようなミニトランペットも鳴らしてくれた。声援がこんなうれしいものとは。弾む心で軽やかに走っていった。ペースはキロ5分30秒を切って,快調だった。しかし,8km過ぎあたりから。早くも足に乳酸がたまっている気配がしてきた。重みを感じるのだ。ペースを少し落として走る。汗が目に入って痛む。10km。53分30秒。これならひょっとすると目標の2時間を切れるかもしれない。中間地点を通り越した時,さあここからだと思った。11kmから12kmの時,ネット仲間を思い出した。その人たちが背中を押してくれる感じがしてありがたかった。ひとりで走っているけどひとりじゃない。そう感じた。あれがランニング・ハイだったのかもしれない。

 手賀沼ハーフは1kmごとに表示板があるのでとても助かった。給水ポイントではしっかり給水した。この暑さで水分をとらないと,バテると思って,エネルゲンを飲み干した。残念ながら,バナナやキャンディはなかった。食べ放題だったフルマラソンが懐かしかった。だんだん,両足の太ももの外側が痛みだした。そんな時に坂にさしかかった。これはこたえた。坂の時は前傾姿勢で腕を振って・・・と実践したけど,また坂があった。せっかくのぼったのに・・・。アップダウンを繰り返し,二松学舎大学付属高校にたどり着いた時にまた給水があった。立ち止まってしまっている人もいる。歩いている人も多い。

 坂を下りると後は,ゴールに向かってまっしぐらだった。しかし,スピードはかなりダウンしている。後悔したくない。あの時がんばっていれば,2時間切れたのに。そう思いたくなかったから,止まりそうな足を必死に動かした。「自分はフルマラソン2度も完走したんだ。」こんな所でへこたれるわけがない。そう言い聞かせて走った。途中で,アイザイヤ・トーマス(NBA元ピストンズ)のシャツを来た青年を見つけた。おおぉ,仲間だ。いろんなランニング・クラブのラン・シャツがあった。自分もランニング・クラブでも作ろうかななんて考えながら,走っていると,「青い空は 青いままで こどもらに伝えたい」というフレーズが鳴り始めた。ずっと心の中で歌った。そうすれば,すぐに時間が経つような気がして。”そうだな,ブルースカイ・ランニング・クラブがいいかな。会員は永遠にひとりかも・・・。”なんて思いながら。またネット仲間や,毎朝一緒に走っている相棒のこと,今日一緒に参加しているはずの友人のことを思った。最後の3kmがきつかった。でも2kmの表示が出たら,エネルギーが充填してきた。最後の1kmの表示が出た時,家族を思った。以前,巨人軍の川相選手がヒーローインタビューで,「パパやったよ。」と叫んだことを思い出した。「待ってろよ。あすか,はるな。」そう思って力をふりしぼった。ゴール前で「あすかちゃんのパパがんばって。」と声がかかった。もう笑顔にはなれなかった。ゴールする瞬間,右側から聞き慣れた声が聞こえてきた。「パパー」「パパーはるね・・・。」ゴールした。時計を見たら,1時間57分24秒で止まっていた。やった!目標を達成した!!

 今の自分の力ではこれが精一杯だった。”楽しんできて!”というメッセージに応えようとがんばった。楽しむこと=自分の持てる力を精一杯出すこと。そういうメッセージだと受け取めて,ベストを尽くした。筋肉痛のおまけがついたけど。

 夕方,娘達とゆっくり1km走った。自分に対して,”ご苦労さん”という気持ちを込めて。”明日からまたがんばろう”という気持ちを込めて。”これからの人生,精一杯生きような”という娘達へのメッセージも込めて。ふたりは笑顔でゴールした。「パパあとで足もんであげるね。」


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