ずっと嵯峨野を歩きたいと思っていた。朝から小雨。でも,それもまた風情のひとつかなと思い直して,新幹線に乗った。三河安城駅までは,親戚の子が送ってくれた。10年前,訪ねた時は高校生だったのに,今はもう養護学校でりっぱに働いている。月日の流れは本当に速い。2人の娘は2度目の新幹線にうれしそう。子どもたちは,おばあちゃんと一緒に座ってはしゃいでいる。私はひとり分の席が空いていたので,オールアウトという本を読んで過ごした。中竹組の早稲田ラグビーの真実を知るにつれ,結果だけで評価をしていた自分の浅薄さに気づく。監督やキャプテンひとり選ぶにもこんなドラマがあったのか・・・。あっという間に京都に着いた。
嵯峨野線にゆられて,嵐山に着いた。あすかとふたり1つの傘に入り,のんびり歩いた。行きたかった場所は3つ。化野念仏寺(あだしのねんぶつでら),祗王寺(ぎおうじ),そして落柿舎(らくししゃ)。でも,子どもたちの興味はおだんごと,道の途中で見かけた駄菓子屋さん。あすかもはるなも「帰り絶対寄ろうね。」それを何度も何度も繰り返した。目的の3つまわったら,もうお昼だった。嵐山付近は人がごった返していた。人力車が走り,だんごやうどん屋さん,そして湯豆腐をはじめとするお店屋さんにまじって,コロッケやクレープ屋さんも建ち並んでいた。京都に来たら,やっぱり湯豆腐と1300円も払って食べてみた。おいしかった。でもどう考えても湯豆腐定食で1300円は高すぎる。だって,学生時代,友だちと「今夜はすきやきだ。」と張り切って,荻窪のパチンコ屋さんに行って,約1時間後うなだれて帰ることになった時は,決まって湯豆腐だったから。うぅ,なつかしい!嵯峨野の小道を歩いていたら,さだまさしの「春告鳥」が頭の中を鳴り続けていた。しばらく歩くと,念仏寺に着いた。「あだし野の露消えることなく・・・世は定めのなきこといみじけれ」と吉田兼好法師が『徒然草』にも書いた化野周辺は、かつての風葬地。念仏寺境内には小さな石仏は約8000体たち並ぶ。無縁仏だったのを,明治時代に集めたという。入ったら,修学旅行の高校生の団体さんに会う。人混みは落ち着かないので,すぐに祇王寺に向かう。ここは良かった。静かだった。今日の小雨が,ちょうど祇王の涙雨に思えてくる。祇王寺は,平清盛に寵愛を受けていた祇王が,仏御前と呼ばれる加賀の国の白拍子の出現で,邸を追い出され,母と妹とともに余生を送ったところだ。でも,後に,その仏御前も,祗王の不幸を思うにつれ,無常を感じ,尼の姿で3人の前に現れ,4人は念仏三昧の一生を静かに終えたという。 そんな物語とは全く無縁なうちの娘達は,「咲いた咲いたチューリップの花が♪」とノーテンキに歌っていた。
2人のリクエストの駄菓子屋さんで”すこんぶ”などをちょっと買い物した後,今度は落柿舎に向かった。桃の花,菜の花畑ののんびりした風景の中に落柿舎がある。拝観料が安いだけあって,狭い狭い。芭蕉の弟子,向井去来(むかいきょらい)が暮らしたこの庵は,江戸時代,去来が商人に柿の実を売る契約をしたが,その夜に嵐が吹き荒れ,柿の実が全て落ちてしまったところからこの名がついた。庭に去来の「柿主や 木ずゑは近き あらし山」という句碑が立っている。 おばあちゃんは,句を詠んで投稿していた。その日は欧米人らしき人も縁側で,のんびりしていた。もしかしたら,日本人よりも日本の文化を理解しているかも・・・なんて思いながら,彼を見ていた。子どもたちのお気に入りはししおどし。いきなり「カタッ」と竹が音をたてたものだから,「うわっ。」とはるなはびっくりしていた。
あ,忘れていた。鬱蒼と茂った竹林を抜けると,縁結びや学問の神様で有名な神社「野宮神社」があった。でも,その神社よりも竹林の中を歩いている時の気分が最高だった。またしても,さだまさしの「春告鳥」が頭の中を鳴り続けていた。