本日は新潟支社上沼垂運転区、165系直流急行型電車の最終営業運転に因み、 臨時急行「さよならこころ」にご乗車頂き有難うございました。 私はJR東日本新潟支社営業部の曽我と申します。 ここで最終営業運転にあたり、新潟の165系直流急行型電車についての ご説明をさせていただきます。 165系急行型電車は山岳区間での運転を考慮し、高出力の主電動機MT54を採用、 勾配抑速発電ブレーキを備えると共に耐寒・耐雪構造とするなど、雪国や勾配区間でも 使用が出来る様、開発された電車でした。 1962年に製造が開始され、このうち川崎車輌で製造されたクモハ165−1、 モハ164−1、クハ165−1からなる第一号編成が1963年2月27日に 新潟客貨車区に配属となりました。 新潟に配属となった編成は、その年の3月31日より順次使用開始されるようになり、 6月には新潟と上野を結ぶ電車急行全てが165系となりました。 この当時は新潟と上野を結ぶ急行の名称は列車ごとに異なり、出発順に「弥彦」 「佐渡」「越路」「ゆきぐに」「越後」となっていましたが、1965年に列車名の 統一がなされ、昼間の列車は「佐渡」に、そして夜行列車は「越路」となり、 1968年には「佐渡」に統一されました。 上越線以外の線区では1970年10月、新潟から長野間の急行「よねやま」のちに 「とがくし」と改称になる列車に165系が使用されるようになり、1972年10月には 直江津から上野間に165系による急行「よねやま」の運転を開始しました。 また1982年11月には新潟から名古屋間の急行「赤倉」も165系で運転される ようになり、新潟運転所上沼垂支区所属の165系はその運転エリアが最大となりました。 しかしながら上越新幹線上野開業のダイヤ改正により、1985年3月に急行「佐渡」 「よねやま」「赤倉」の全てが廃止となり、その後は新潟から松本間に運転された 急行「南越後」、新潟から上田間に運転された急行「とがくし」、これらは後に「赤倉」 として統合されますが、これらの列車に165系急行型電車は使用されました。 急行運用が大幅に減少した新潟運転所上沼垂支区の165系は、1984年ごろから 本格的にローカル列車として使用されるようになり、白新線、上越線、信越本線、 羽越本線などの普通列車として使用されました。 また1987年9月からは、一部車輌の車内アコモデーションを改良し、新潟と新宿を結ぶ 夜行臨時快速「ムーンライト」にも使用されるようになりました。この「ムーンライト」は 1988年から定期列車化されると共に、運転区間が村上から新宿間となりました。 1996年に「ムーンライト」は「ムーンライトえちご」となり、新潟と首都圏を結ぶ 快速列車として多くのお客様にご利用頂いて参りました。 近年165系急行型電車の老朽化が次第に進んだ事などもあって、徐々に廃車となり 1997年には165系使用の急行列車としては最後まで残った「赤倉」も廃止され、 新潟における165系定期列車は「ムーンライトえちご」のみとなりました。 国鉄の分割民営化により165系は、JR東海、西日本、そして当社に引き継がれましたが 東海、西日本の165系も全て営業運転を終了し、「ムーンライトえちご」が全国で最後に残った 165系での定期列車となりました。 この「ムーンライトえちご」も本年3月31日の新宿発の列車を最後に、485系特急電車 に置換えとなり、ここに165系は定期列車から全て引退いたしました。 新潟支社では、40年間に渡る165系の活躍の記念の意味もこめて、この4月から 5月にかけて新潟から長野間に臨時快速列車「とがくし」を運転すると共に、 4月から本日まで越後湯沢から長岡間に臨時快速列車「こころ」を運転してまいりました。 6月には湘南色に塗色変更した編成を使用して、新潟から上野間に臨時急行列車 「懐かしの急行佐渡」も運転いたしました。また団体臨時専用列車では有りますが、 9月21、23日には最後の北越急行線での営業運転も行いました。 本日をもちまして快速「こころ」の運転が終了、同時に新潟支社での臨時列車を含めた 165系電車の営業運転が終了する事から、今回臨時急行「さよならこころ」として 団体臨時列車使用の商品を企画いたしました。 この列車は新潟における最後の165系使用の列車であり、この列車の新潟到着をもって、 40年間に渡る新潟での165系の営業運転が終了する事となります。 165系は今までご説明してきた列車の他にも、首都圏と上越のスキー場を結ぶスキー列車や、 年末年始、お盆時期の臨時急行、あるいは秋の行楽列車などにも使用されてきました。 いずれも皆様に気軽にご利用頂ける足として運転された列車であり、多くの方に馴染みの深い 車輌でありました。本日までご利用頂き、本当に有難うございました。 165系急行電車のあゆみを振り返ってみると、有数の勾配線区である上越線、信越本線を抱え、 有数の豪雪地帯でもある新潟、越後の為に生まれたと言っても過言では有りません。 新潟に生まれた電車である165系は、その最後の営業運転を40年間に渡るホームグラウンド であった新潟の上越線、信越本線で迎える事となりました。 165系での旅の想い出はこれで165系がJR線上から消えたとしても、皆様の「こころ」 の中に永く残る事と思います。 越後に生まれ、越後に消える165系直流急行型電車。この最後の旅が皆様とって想い出深い旅 として頂ければ、当社としては幸いに存じます。 最後にここまで40年間、越後の地においてこの165系直流急行型電車に関わった関係者を 代表し、これまで皆様にご利用頂いた事に深く御礼申し上げます。長い間ご利用頂き本当に、 有難うございました。