新潟交通電車線の「その後」


 

 去る1999年4月4日限りで廃止された「新潟交通電車線」の現状を、今回帰省がてら見てきました。 取材は

99年12月29日と、新年明けて2000年1月2日に行いました。 

 また佐渡ヶ島両津港にて、観光船の待合室になっているクハ45型の現状も見てきましたので、合わせてご覧

下さい・・・。

 

 

殆どそのまま残っている白根駅舎            白根駅構内。誰かが歩いた跡が雪に残る・・・。

 

 12月29日昼頃、新幹線で新潟に到着した私は、早速越後線に乗り換え関屋駅へ向かった。 関屋から旧東関

屋駅までは徒歩で約10分弱かかった。 旧東関屋駅は軌道区間廃止の際に、バス乗り換えの円滑化を図る事を

目的として、バスターミナルを併設した新しい駅舎になっているのだが、今ではその駅舎も閉鎖されている。

 訪問時は、辛うじて併設されているコンビニだけが営業を続けていた。 他にも新潟交通の旅行センターが併設

されているのだが、訪れたときは休業日だった。

 

 旧東関屋より代行バスに乗って、まずは白根駅に行ってみた。 代行バスは同じ新潟交通が運行し、運行担当は

潟東営業所が行っていた。 車両は新潟では珍しい低床バスであった。

 バスの車内からは時折、線路跡や旧駅舎が見えるが、その殆どが現存していた様であった。 ただ踏切付近は

綺麗に舗装され、もう既に道路の一部になっていた。 残っていた線路跡の大部分は架線柱を含め残っており、

雪さえ積もっていなければ廃線であるとは思えない風景が展開しているのであろう・・・。

 

 
残されたレールの上には雪が積もっていた。       新潟方面行き代行バス。(運行:新潟交通)

 

 私は途中白根で下車し、旧白根駅の周りを探索してみた。 白根駅は新潟交通線の拠点駅で、廃線前は白根

折り返しの電車も運転されていた。 確かに、駅構内の作りも他の駅に比べて立派で、駅舎内も広い待合室を有し

ていた駅であった。 廃線後は駅名板や、内部の備品はだいぶ撤去されたみたいだが、その風格のある駅施設は

殆ど手付かずで残っていた。

 ちなみに、白根駅は白根市内にある駅ではなく、味方村白根に存在している。

(白根市はすぐ横を流れる中ノ口川の対岸に存在します。) 

 

 

旧月潟駅全景              雪囲いが終わった月潟の保存車両

 

 その後私は再度バスに乗り月潟を目指した。 やがて月潟に到着した、もともとの駅の場所よりも少し離れた

「郷土会館」(だと思う?)前に到着した。 ここから2〜3分歩くと月潟駅に到着である。

月潟駅では保存車両に会うことになる。

 

 保存車両は、電動客車「モハ11型」と、電動貨車「モワ51型」、そして旧国鉄から譲渡された除雪車「キ116型」

の3両である。 ここでは詳しい説明は省くが、どちらも貴重な価値になる車両ではないかと思っています。

 こちらは、新潟交通より月潟村に無償譲渡され、地元住民と鉄道ファンで構成する。 「保存会」によって保存活

動が行われている。 ちなみに写真にある冬囲いのシートも、保存会の活動で張ったとの事です。

 一時、メーカーズプレートが盗難に会うなどトラブルが有ったものの、この活動によって3両とも綺麗な状態を維持

し続けています。 (毎日毎日、車両の点検簿が付けられていました。非常に感心しました。)

 

 ここでは、たまたま保存会の方とお話する事が出来た。

以前に新潟交通に勤めていた方で、工場でこれらの車両の整備

修繕を行っていた方でした。

 「まるで子供の様で何でも分かる。」というだけあって、かなり細

かい部分の説明まで熱心にしていただきました。

 本当に、ありがとうございました・・・・。

 月潟には除雪に活躍したキ116も保存されている。

 

 この様にお話を聞いている内に、私の方の時間がだんだん少なくなってきた。 後ろ髪を引かれる思いだが、簡

単にお礼を済ませると、また代行バスの車中の人となった。

 

 新年明けて2000年1月2日、いよいよ私にも新潟を離れる時が来た。

2日の午前中は別記する「蒲原鉄道」に行ったのだが、まだ東関屋構内を十分

見ていない事に気付き、急遽東関屋を目指す事にした。

 東関屋駅舎は前記の通りの状態で、非常に寂しかった。 構内にはもと小田

急のモハ2220型と、モハ25型が残置されていた。 こちらも状態がひどく見て

いられない状況でした。 まだ残っている線路はすっかり錆び、至る所で夏場生

い茂ったと思われる雑草が枯れていた。

 

洗車台に横付けされたまま朽果てるモハ25。

 

 

 ただ、旧工場内には3両程電車が入庫している様で、今後はこの車両たちの処遇が気になるところだ・・・。

「どこかで保存されれば。」という事を願わずにはいられません。

 

 

工場があった東関屋構内                    無残な姿のモハ2220

 

 こんな状況を見てしまうと、大変空しく惨めな気持になっていました。 先日月潟の保存車両を見ていただけに、

なおさら落差を感じてしまいます。 明らかに後でいたずらした様な跡もあり、心が痛くなりました。

 

 踏切は既に道路に変わっていた。(東関屋)

 

 「新潟交通電車線」 通称「電鉄」。 もう廃止から約1年が経とうとしています。 今後更に時が経ち、「電鉄」の

存在はどんどん過去になっていきます。 しかし私達はこんな「愛すべき鉄道」があった事を忘れることなく、後世に

伝えていく必要があると考えます。

 

− 終 −

 


(付録) 佐渡に渡ったクハ45型

 

 新潟県の佐渡島の表玄関「両津港」。 この両津港の片隅に、平成5年まで活躍した「クハ45型」が存在していま

す。 現在この両津湾と、加茂湖で遊覧船事業を行っている「アイランドクルーズ」という会社が所有し、同社の待合

所として「第2の人生」を送っています。 とはいっても、この車両の生い立ちが複雑なので「第3の人生」といった方

が適切な気がしますが・・・。

 

 

佐渡に渡ったクハ45型、廃線まで活躍したクハ46と同型式である

現在は遊覧船の待合室になっている。(正月なので、しめ飾りが飾られていた。)

 

 場所が場所だけに、海からの潮風による塩害が少々見られるものの、現状ではまあまあな保存状態であると言

えます。 中は待合室の他に、事務所も兼ねている様な様子でした・・・。

 

 こんな手の込んだ案内板が作られていた。 (^_^)

 

 場所は、両津港佐渡汽船ターミナル(新潟発フェリーの船着場)から北へ、100〜200メートル歩いた所にあり

ます。 丁度「両津大橋」という橋のたもとにあります。 鉄道のない島にとっては存在のみだけで、十分過ぎるイン

パクトがありますね。 

 

 遊覧船の方はというと・・・。 実は乗った事がありませんが、大変楽しい時を過ごせると思います。

佐渡にいらっしゃった時は、是非見ていかれると良いのでは? と思います。 

 


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