蒲原鉄道の「その後」


 

 新潟交通電車線に続いて、99年10月3日限りで廃止になった「蒲原鉄道」を訪ねてみました。 こちらは新年

明けた1月2日に訪問しました。 (結果的にこれが2000年撮り始めになりましたが。)

 

 

五泉〜村松間の電車線代行バス               蒲原鉄道本社がある村松駅

 

 今回も帰省先からの「Uターン」のついでという事なので、朝一番のフェリーで新潟入りし、新潟駅に向かった。

新潟からは8:23発の「快速あがの2号」に乗り換え五泉に向かう。 ここまでは最後の蒲鉄訪問(99年8月)と

同じ旅程だった。 ひとつ違うことといえば、五泉駅4番乗り場で接続を待つ「電車」がいないことだった。

「そうか、廃止されたのだ。」と、ここで急に現実に戻されてしまう。

 

 とりあえず気を取り直し、五泉駅前より代行バスに乗りこむ。 バスは少々小型で「マイクロバス」であった。

このバスに揺られることしばし、やがて今泉を過ぎた辺りから、蒲鉄の線路と平行する区間に入ってきた。

 車窓から眺める線路敷は、すべてレール・架線柱とも外され、ただバラストの帯だけが延々と広がっていた。

 

 

上屋の屋根が撤去された村松駅ホーム         村松構内にはモハ12型が留置されていた

 

 やがてバスは村松駅に到着した。 バスを降り待合室に入って見るが、基本的には鉄道線健在時代と変わりは

無いのだが、切符の券売機が撤去され売店も閉鎖されていた。

余談だが蒲原鉄道では鉄道事業撤退後も、社名を「鉄道」として名乗り、村松駅もそのまま「駅」を名乗っている。 

 

 待合室から出て周辺を探索してみる。 ホームは上屋が半分ほど撤去されており、空しい感じだ。 また駅に併設

された「村松車庫」を見てみると、一部線路が剥がされているものの、車両たちがいまだに留置されていた。

 なお蒲原鉄道の車両のうち、木造貨車は和歌山の有田鉄道に譲渡されるとの話で、輸送までの一時留置であろ

う。 また他の車両についても、何らかの形で静態保存されるという。

 

 

蒲鉄唯一の電機、ED−1型と木造貨車

 

 次は、既に移動されているクハ10型と、モハ71型を見に行くことにしよう。 この2両は、村松から約750m程

今泉側に戻った田んぼの真中の空き地にあった。

 早速行ってみると、この2両が連結し2両編成になっていた。 まるで朝方1往復していた2連列車を彷彿させる

姿だった。 この2両の隣には撤去された架線柱や、信号機器BOXが置かれていた。

 私には、機器BOXが横一列に並ぶ姿が、「墓標」の様にも見えてしまい、少し悲しかったです。

 

  

左:使用停止になった踏切警報機、英文の表記が見える。(この写真ではよく見えませんが。)

中:レールはきれいに撤去されていた。(村松方から五泉方面を眺める。)

右:保存されているクハ10型の正面

 

 

田んぼの真中に保存されているモハ71型とクハ10型、
傍らには機器BOXや架線柱が無造作に置かれていた。

 

 その後また村松駅に戻ってみた。 ここでは蒲原鉄道制作の、「蒲原鉄道ラストラン」というタイトルのビデオが

発売されており、早速購入してみた。 購入後はまた代行バスに揺られていた。

 今度は沿線唯一の中間駅だった「今泉」駅を見てみる事にする。 今泉駅は石積のホームと待合所(バス共用)

が残っており、村松側の増設ホーム(木製)は既に撤去されていた。 また、待合所には「廃止反対」の落書きが残

っており、生々しかった。

 

 自動車学校横の踏切(今泉〜五泉間)

 

 一通り今泉駅を観察したら、今度は線路に沿って五泉まで歩いてみることにした。 この先は村松から並走した

県道とも分かれ、住宅街の中を走っていく。 線路は完全に雪に埋もれているので一見した処、鉄道が有った事が

想像出来なかった。 やがて五泉駅前のカーブを抜けると、五泉駅構内が見えてきた。

 五泉駅4番乗り場は、殆ど現役時代と変わらなかったが、駅名板・時刻表などが外され寂しくなっていた。

 

 最後に跨線橋を渡りJR五泉駅側に出てみたが、JR駅舎の横にあった「蒲原鉄道五泉駅」は既に撤去され、

空き地になっていた。

 

 

今泉駅(左)と五泉駅ホーム(右)

 

 急ぎ足に蒲原鉄道を見てきましたが、廃止後わずか2ヶ月程で、驚くほど早く撤去が行われていた様です。

これは距離が約4キロと短く、また降雪時期に入る前に出来るだけ撤去を済ませよう、という意図もあったからで

しょうか? 今後は村松構内を整備して、そこに車両を展示する計画もあるという。 こちらも今後また訪れたいと

思います。

− 終 −


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