さようなら165系展望電車「パノラマエクスプレスアルプス」


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阿佐ヶ谷を行くパノラマエクスプレスアルプス

阿佐ヶ谷を行くパノラマエクスプレスアルプス
(2001, 4, 8 中央本線 荻窪〜阿佐ヶ谷間)

9月1・2日の団臨運用を最後に、JR
線上から引退し、富士急へ譲渡された
「パノラマエクスプレスアルプス」
その最後の活躍を追ってみました・・・。

富士急に売却され、第3の人生を送る
であろう同車の動向は、改めて紹介
したいと思います。

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ください。写真が拡大されます。
解説はこちらをクリックしてください。

 


解 説
 

 ここでは、昭和62年3月に165系急行型電車の改造で誕生し、以来展望電車として活躍

を続け、平成13年9月2日の団臨運用をもってJR線上から引退し、富士急行に売却された

「パノラマエクスプレスアルプス」の写真を公開しています。

客車方式のジョイフルトレインが主力だった国鉄末期、颯爽と電車方式で現れた展望列車。

そんな同車の最後の姿を、ご覧になって頂ければ幸いと思います。

 

 昭和50年代末頃、旧来から有った「お座敷列車」の他に、全国各地でジョイフルトレイン

(単にイベント列車とも言う)が多数誕生していた。 これらは12・14系客車の改造が殆どで

あり、一部に気動車方式の「お座敷列車」が存在するだけであった。

 こんな状況の中、自局の殆どが直流電化区間であり、当時余剰となっていた165系を波動

用に保有していた国鉄千葉鉄道管理局が「お座敷電車」を作る事となり、初のお座敷電車と

なった「なのはな」(初代)が昭和61年に誕生した。

 

 今回紹介する「パノラマエクスプレスアルプス」は、千葉局と同じく局内の殆どが直流電化

区間で占められ、波動用の165系を配置していた東京西鉄道管理局(現在のJR東日本

八王子支社が管轄するエリアと同等のエリアを管轄)が誕生させたジョイフルトレインである。

実際は両局とも、ジョイフルトレインへの改造に充当できる余剰客車の配置が無かった点が、

電車方式のジョイフルトレイン登場のキッカケとなった事は明確であるが、結果的に電車の

機動性の良さが重要視され、現在では数多くの電車方式ジョイフルトレインの登場を見ている

点からして、先見性があったものと考える事も出来る。

 

 まず同車の特徴を考えると、最初に出てくるのが名鉄パノラマカー・小田急ロマンスカー等と

似たような形状の展望室を備えた先頭車であろう。 当時は14系「サロンエクスプレス東京」

(現:ゆとり)等が誕生し、それらが「展望室」を備えていたが、それに倣って同時期に登場した

「お座敷客車」の一部にも、洋風展望室を備えた物が多く登場していた。

 

 このような状況下、自然と「展望室」を付ける事が必要となり、結果的に電車方式で展望室

を持った先輩格である名鉄パノラマカーや、小田急ロマンスカーを踏襲した前面形状となった

のでは?と推測出来る。 また後に登場した、上沼垂運転所所属の485系「シルフィード」にも

同様のデザインが採用されている。 (こちらは「シルフィード」としての運転を終了し、お座敷

電車として、近々再デビューする予定である。)

 

パノアル編成図

 

 配置は三鷹電車区配置となり、主に中央線方面を中心とした関東一円の直流電化区間で

の団体臨時列車運用を受持っていた他、多客期の臨時急行として、中央線を良く走っていた

事が運用上の特徴である。 特に93年に運転された「しんせんやまなし」では、3・4号車の

間に田町電車区の167系電車(グリーン車シートに交換された旧メルヘン編成)を増結し、

総勢10両編成で運転されたのが注目される。 余談だがパノアルとの連結に際して、田町

電車区のメルヘン編成(H17・18編成)は、パノアルと合わせたカラーリングに塗り替えられ、

現在もそのままの塗装で活躍を続けている。

 

 そんな「パノラマエクスプレスアルプス」であるが、先輩格の「なのはな」が引退し、JR東海の

「ゆうゆう東海」が続いて引退、上沼垂に配属されていた「アルファ」が長野へと回送され、実質

廃車状態となった今、唯一の165系列のジョイフルトレインとして君臨していた。

 しかし、改造時に更新改造車とならずに、「特別保全対象車」として整備された為か、もう車

両自体の寿命も近づきつつある点もあり、やがて引退と言う話が現実味を帯びてきた。

 

 さて、残された活躍の期間が短くなり、いよいよカウントダウンが迫った同車であったが、

一方では、富士急行が引き取るのではないか?と言う噂が、ファンの間で広がっていた・・・。

結果的に、最終運転直後の9月4日に第3の人生を求めて、「パノラマエクスプレスアルプス」

は富士急行線へと回送されており、その噂は現実となっていた。

 現状は、富士吉田・河口湖に3両づつ分離され留置されているが、いずれ何らかの形で

我々の前に姿を見せるのでは?と思われる。

 

 今回の富士急行への譲渡により、新しい展開が見えてきた同車であるが、今後の活躍に

期待しつつも、国鉄〜JRと長年に渡った活躍の労を、ねぎらいたいと思う・・・。

 

注:文中における団体臨時列車名(団体名)は、鉄道ダイヤ情報誌掲載の物に準拠した。
  また、多客臨時列車の列車名については、市販時刻表掲載の通りである。

 

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