試 乗 記 録 (特別編)


鉄チャン的夏休み’99

取材期間 1999年8月21日(),8月25日(水)〜27日(金)


Page 1  プロローグ

 

 ところで今年(1999年)の夏もあっという間に過ぎてしまった。ハルマゲドンだのノストラダムスだのと世間は

騒いでいたけれど、結局のところ今日この日まで何事も起きずに平和な毎日が続いている・・・。

何はともあれこの平和な日常に私は感謝したい。

 余り関係の無い前振りでしたが、今年もお蔭様で夏休みが取れたので、早速帰省がてら少々旅に出てみました。

このページでは「試乗記録特別編」と題しリポートしていきます。

 


8月21日() 1日目

 

 今日からいよいよ休みだという事で朝早く起きてみたものの、まったく旅行準備が出来ていない・・・・。

確かに最近色々忙しかったし、昨日だって新しいシステムの説明会に出させられていたし・・・・。

 そんな事を考えながらも準備が淡々と進み、いよいよ出発となった。鶴見駅から京浜東北線に揺られ一路東京駅

へ向かう。いつもの車窓風景もこれからの旅立ちを考えると、不思議と生き生きと見えてくる。

 

 いよいよ東京駅に到着したが、まずここで今日の予定を整理しておく。 まずは東北新幹線で郡山に向かい、郡

山で磐越西線に乗りかえる。 そして磐梯町で下車して撮影を行うことにしている。 今日はC57−180号機牽引

の「SL磐梯・会津号」が運転される日なので、勿論これがメインである。 

 その後は磐越西線で新潟方面に抜けて、新潟からは「佐渡汽船」のフェリーに乗って、実家のある佐渡に戻ろうと

いう、少々駆け足の予定である。

 

 ところで私は東京駅を10:08分に発車する「やまびこ37号」に乗車

する事にしたが、私が東北新幹線ホームに上がった時点では、まだ

9:56発の「やまびこ9号+こまち9号」が停車していた。 こちらの

やまびこ編成側は、現在1編成しかない200系リニューアル車が充

当されていた。勿論こちらに乗りたいところだが、郡山通過列車なの

でこれでは致し方ない。

  200系リニューアル編成(東京駅)

 

 やがて「やまびこ9号+こまち9号」が発車すると、いよいよ10:08分発車の「やまびこ37号」が入線してきた。

こちらも200系だが、2階建て車両を含む16両編成(H編成)であった。 私はさっそく東京寄1号車に乗車してみ

たのだが、落ち着く間もないままに発車してしまった。 

 ひっきりなしに各方面へ新幹線が発着する東京駅では、折り返し時間も短時間になってしまうのは、仕方ないとこ

ろである。

 

 発車するとすぐ地下の上野駅に停車した。若干の乗車があったが、まだ席に余裕がある様である。 また次の大

宮では、若干の立席客が発生したが、それ程の混雑ではない様だ。

 この大宮を過ぎると上越新幹線と分岐し、いよいよ高速運転区間に入ってくるが、ただ関東平野を突き抜けていく

だけなので、車窓に変化が乏しい。 ただものすごい勢いで、線路沿いの民家が後方に消えていくので、辛うじて

200Km/h強の世界にいる事を実感できる。

 小山通過の後、10:59分宇都宮に到着した。ここでは下車客が多いので立席客はいなくなってしまった。 

宇都宮を発車すると、車内の様子が非常に穏やかになっていった。 また車窓も緑が多くなり、那須高原に入って

きた事を実感してしまった。 そしていくつかのトンネルを抜け走ることしばし、とうとう福島県内に入っていた。

やがて、郡山に近づいた事を告げる車内放送が流れてきた。郡山には11:32分に到着した。

  私はここより磐越西線に乗りかえる事になるが、たまたま接続列車が特急「ビバあいづ」だったので、次の快速

「ばんだい9号」を待つ事にした。 しばし郡山の駅前をうろつく ・ ・ ・ 。

 

 「ばんだい9号」は12:34分に郡山を発車した。使用車両は455系6両編成で、会津若松より先頭車は半室

グリーン車になっている。発車するとすぐ東北線と離れ、緩やかなカーブで進路を変える。

 たまたま同じボックスに乗車したおじいさん2人は、戦友会に出るために翁島まで行くそうである。しきりに「兄ちゃ

んどこから来たの・・・?」などいろいろ質問してきた。 黄色く色づき始めた稲穂がゆれる田園地帯を、列車は走り

抜けていく。 途中安子ヶ島で行き違いの為、3分ほど運転停車の後、最初の停車駅である磐梯熱海に到着した。

 ここからは中山峠を越える事となる。455系のモーター音は益々高鳴り、Tc車であるクハ451に乗る私たちの耳

元にも良く響いてくる。 旧中山宿駅付近のスイッチバック跡地を通過した時に、先程のおじいさんが「昔、この辺で

汽車がバックしていたなぁ」と昔を語っていた。

 

 この中山峠を越え最初に停車する駅は猪苗代湖畔であるが、この駅は夏季のみの臨時駅である。「湖畔」と言う

割には、湖畔まで少し距離がありそうに感じる緑に囲まれた駅である。 この後は会津盆地を走っていくのだが、ま

たもや川桁で運転停車をしてしまった。ここもすれ違いの為の停車である。

 この先猪苗代から、会津若松までは各駅に停車していく事になる。 次の翁島でおじいさん2人が下車していった

ので、私の座っているボックスも空いてしまった。

 「さて次で下車か。」と思っていたが、またもや次の更科信号所で足止めを食らう事になる。 じつは更科信号所

付近が今回の撮影ポイントに最寄なのだが、なにせ信号所なので降りれる訳がないのである。 少し悔しい感じが

するが、磐梯町から歩くことにしよう。

 更科信号所を出ると大きなS字カーブを描きながら勾配を下っていく、やがて電車の速度が弱まり磐梯町駅のホ

ームに滑り込んだ。交直流急行型電車の特徴であるステップ付きのドアを出ると、真夏の太陽が輝いていた。

 

485系特急「ビバあいづ」(磐梯町〜更科信号所間)

 

 早速撮影地を目指すことにしたのだが、地図によると撮影地まで約2〜3Kmあるみたいだ。 しかし、気温が高く

かなり熱い。ほんの少し歩いたぐらいで、汗が滝のように流れていく。 とりあえず歩くが、なかなか前に進まない。

それもそうだ、第一、重たい装備品に加えこの暑さ、そして緩やかに続く上り坂・・・・。 これは地獄であった。

 情報誌によると約40分で到着するとの事だったが、結局50分以上もかかってしまった。やっとの思いで現場に

着くと、既に3人の方がカメラを構えていた。勿論車で乗り付けており、私の様に歩いてきた人はいなかった。

 ちなみにこの撮影地では「磐梯山」を入れて撮影できるのだが、あいにく山頂付近に雲が掛かりあまり良い状態

でないようだ。確かに「山なんかどうでも良い」と言っている人もいたが、やはりここまで来たからには、きれいな「磐

梯山」を入れて撮影したいと思うのが人情だろう。 

 そして時間は過ぎていく。ここまで485系特急「ビパあいづ」と、455系快速「ばんだい」を撮影したものの、天候

は回復せず、ますます雲が厚くなって来た。

 

C57‐180牽引の「SL磐梯・会津号」(磐梯町〜更科信号所間)

(画質が悪くてすいません・・・。)

 

 いよいよ16:00になった。「SL磐梯・会津号」が磐梯町を出発する時間である。遠くから微かに汽笛の音が聞こ

えてきたので、いよいよ出発した様である。やがてドラフト音と汽笛がだんだん大きく聞こえる様になって来た。

 やがてC57−180号機が森の隙間から顔を出し、築堤をゆっくりと登ってきた。 私を含め、訪れたファン達が一

斉に緊張し、そしてシャッターを切っていた。  ただ、ここでは光線具合が良くなく、あまりいい写真が撮れなかった

が、それでも生のSLの走りを見ただけでも十分な収穫があったと思う。

 

 撮影が終わると、あっという間にファンの姿がなくなっていた。私も歩いて磐梯町駅に再び戻る事にした。ちなみ

に帰りは基本的に下り坂なので、楽に歩く事が出来た。 磐梯町からは快速「ばんだい17号」に乗り、会津若松へ

向かった。ここで新潟行の快速「あがの3号」に乗り換えるのである。乗換え時間は短く3分の待ち合わせで、17:

57分に発車した。福島県内は用務客や高校生が多く乗車していたが、やがてだんだん降りていった。

 使用車両がキハ110系なので以外と足は速い。車内はのんびりしているが、かなり快調に阿賀野側沿いの線路

を走り抜けていく。 ふと気付いたら日も落ち、すっかり辺りが暗くなっていた。

 そしていつの間にか新潟県内に入ってきた。途中の五泉駅では行き違いの為5分ほど停車したが、その間に後

日訪れる予定の「蒲原鉄道」のホームに行き、停車中のモハ31型電車を観察してみた。

 五泉の次は新津に停車し、ここから信越本線に入り、20:19分新潟駅に到着となった。

 

 

磐梯町駅の455系快速「ばんだい」     新津駅でのキハ110系快速「あがの」

 

 次は最終目的地である「佐渡」へ渡る事になる。ちなみに、新潟駅から佐渡汽船ターミナルまでは相当の距離が

あるので、タクシーを利用して移動する事にした。 しかし到着したものの、フェリーの出港までは少々時間があった

ので、待合室で時間をつぶしていた。 待っているうちに、やがて時が経ち乗船時間となった。

 なお出港時間は21:40で、2時間20分の船旅である。 佐渡両津港には24:00ちょうどに到着する事になる。

いつもの事ながら航海中は寝て過ごしているので、両津港に到着する事を告げる放送があるまで眠っていた。

 いつのまにか懐かしい港町の夜景が近づくと、両津港に入港である。佐渡へ帰った私を、母が迎えてくれた。

 

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