幹線食堂車の想い出(1992)


 

ここでは、今回の試乗記録の付録として、私が初めて食堂車へ行った時の思い出を、

回想してみようと思います。しばしお付き合いください・・・。 (個人的な想い出ですいません。)

(注)当時、写真を撮らなかったので、このページは文章だけです。お許しください・・・。

 


(回想)

 1992年の10月の事だった。 当時高校生であった私は、広島・京都・奈良を巡る修学旅行に出かけていた。

1日目は新潟からはるばる上越〜東海道・山陽新幹線と、立て続けに乗り継いで広島に向かった。 東京から乗っ

た「ひかり」は、当時まだまだ主力だった0系「ひかり」だった。 0系の青いWシートに腰掛けて、5時間以上にも及

ぶ旅を続けていた。 この列車も当然食堂営業を行っていたものの、結局行かず仕舞になってしまった。

今にして思えば、0系食堂車に行ける生涯唯一のチャンスだったので、なぜ行かなかったのか?不思議である。

 

 2日目は宮島と原爆ドーム・資料館を見学し、この街の悲しい歴史を学んだ。 また移動中のバスからは、時折通

り過ぎる「広電」の姿を楽しんでいた。 しかしそれもつかの間、夕食時間には京都入りするというハードスケジュー

ルの為、既に15時頃には、広島駅新幹線ホームに一同並んでいた。 この時乗車した「ひかり」は、2階建食堂車

付きの100系X編成が充当されていた。 事前にその事を知っていた私は、友人を誘い2階建食堂車に行ってみ

る事にした。

 

 広島を出るとすぐ2人で食堂車に行ってみた。 食堂車という「未知の世界」、階段を上がる私の足は、少し緊張

気味だった。 そして上がった食堂車は、側面のガラス窓が大きく、流れる車窓が大きく映っていた。 そんな中、

白いレースが掛かったテーブルと椅子が、整然と並んでいた。 さすがに食事時間帯から外れているので、利用客

はまばらで、数人がコーヒーを飲んでいるだけだった。 テーブルに腰掛けると、早速「カレーライス」と「コーラ」を注

文していた。 この時は、2人とも同じメニューだった。 一人当たり軽く、¥1,000−を越える程度の値段という事

で、これは、当時高校生だった私達にとっては、少々高い出費だった。 しかし、2階建食堂車からの抜群の眺めを

考えると、急に安く思えてきた。

 

 私達は料理が出てくるまでの間、しばらく車窓を眺め談笑した。 別に鉄道に興味の無かった友人も、この眺め

は随分お気に召した様だ。 やがて料理が運ばれてきたので、早速食事を始めることにした。 また談笑しながら

の食事でしたが、今となっては何を話していたのか、全く思い出せない・・・。

 眼下には時折すれ違って行く、0系新幹線の屋根が見え、駅に到着すると、ホームに並ぶ人達を見下ろしてい

た。 本当になんという優越感なんだろうか? この経験は本当に贅沢な時間であり、やがて、かけがえない想い

出の一つとなっていた。

 

 その後新大阪到着間際まで、2人で流れる車窓を楽しみ、それぞれの席に戻った。 戻ると「どこにいっていた

の?」と問うクラスメイトに、得意げな顔で「食堂車に行っていたよ」と、私は答えていた。 

 この旅行ではその後、京都での自由行動中に京阪京津線に乗ったり、梅小路蒸気機関車館の見学をしたりと、

かなり充実したものになっていた。 そして最後に新潟までの帰途は、特急「雷鳥」に揺られての旅で締めくくった。

 

 基本的には、決められたコースで回る修学旅行の中で、ひときわ輝く想い出の一つが「食堂車」体験であった。 

あれからもう何年も経った、今ではあれほど営業していた0系食堂車も消え、100系X編成も、いつの間にか食堂

営業が無くなり、ついには定期列車から撤退してしまった。 そんな中、唯一営業が続いていた「グランドひかり」こ

と100系V編成からも、とうとう食堂営業が消えようとしている。 この事実を、高校生時代の私には、想像する事

が出来たのだろうか・・・?

− 終 −

 

最後までお付き合い戴き、ありがとうございました・・・。


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