試 乗 記 録


No.004 東海旅客鉄道 0系新幹線「こだま414」号(414A) 新大阪 ⇒ 東京

試乗日 1999年9月15日(

 

多摩川を渡り、東京までのラストスパートをかける0系新幹線電車(撮影 '1999, 9, 5)

 

 21世紀もいよいよ目前に迫った1999年。またひとつ日本の鉄道史にピリオドが打たれようとしている。

それは1964年(昭和39年)の新幹線開業時より走り続けた0系新幹線電車の引退である。正確には山陽

新幹線を走る0系はまだまだ活躍を続けるので完全な引退では無いのだが、確実に一つの時代が終わろうと

していることは事実である。

 今回は、35年間を走り抜けた東海道新幹線区間で最後の力走を続ける0系新幹線電車に乗車し、誰もが

憧れた「夢の超特急」の旅を満喫していこうと思う。

 

 

新大阪駅24番線に入線してきた0系の勇姿

 

 9月15日(水)午前11時40分、新大阪駅新幹線ホーム。 今日は敬老の日と言う事で祝日なのだが、あいにく

台風16号の接近により、西日本地区は朝から大荒れの空模様である。

 先程までいた1階の在来線ホームでは強風により関西空港線が不通になった為、関空特急「はるか」が日根野

止まりで運行する事を告げていた。空港まではバスにより代替輸送を行う様である。

 

 この様な悪天候の中でも新幹線24番ホームには、カメラを構えた鉄道ファンや家族連れが見受けられ、0系

新幹線の入線を心待ちにしていた。また隣の25番線ホームにも同様にカメラを構えた人が待っていた。

しかし、今日は祝日なので多くのファンが掛けつけ、さぞかし賑やかなんだろうと思っていたのだが、思ったほど

ファンの数も少なく肩透かしを食らった。また一般客もそれ程多くなく、ゆったりとした様子である。もっともこの

天候下、外出を手控えた人がいるのでそれが影響しているのであろう。

 

 11:50分、京都方より0系Yk8編成による「こだま414号」が2つのヘッドライトと、特別装飾を施された「団子

っ鼻」こと、「光前頭装置」を輝かせて入線してきた。

 到着するや否や、ホーム上のファンが一斉にカメラを向けた。そうするとホームのあちこちでシャッター音と、フラ

ッシュの閃光がひっきりなしに発生した。

 いや、ここ数日に限っては500系も700系もお呼びでなく、偉大なる先輩の0系が主役と言った感じである。

 

 

グリーン車16型車両               こだま号の方向幕

 

 かく言う私も一通りの撮影を終えると、早速車内に乗りこんでみた。今回は特別な意味合いを込めて、普段は

滅多に利用しない「グリーン車」を選んでみた。グリーン車は16両編成のちょうど中間の8号車に位置している

ので、長い16両編成の車内で取材を行うにはもってこいの場所とも言える。

 唯一、0系のグリーン車だけが採用した金縁取りのドアから車内に入ってみると、早速独特のふいん気が漂っ

てきた。デッキからグリーン車と書かれた自動ドアを通り室内へと入ってみると、ゆったりとした配置のシートと、

ダーク系の内装で統一されたシックな車内が目に入る。さすがにグリーン車利用に通行税が課税され、高値の

花だった国鉄時代のグリーン車だけあって、今時の新型車のグリーン車と、明らかに毛色が違う車内だと思う。

 さて出発までの僅かな時間を、グリーン車の座席に腰掛け過ごしてみる。場所は車内中央部海側の9番A席で

ある。腰を落すと適度なクッションが効いてすこぶる良さそうである。走行中も快適な座りごごちを提供してくれる

事を期待しつつ出発を待つ事にした。

 

 とうとう時計の針が正午を指した。いよいよ出発時刻の12:00である。0系新幹線「こだま414」号は、ゆっくり

と優雅に新大阪駅24番線ホームから滑り出した。東京到着は16:10分、4時間10分の旅が始まった。

 

 

雨の大阪より正午ちょうどに発車

 

 出発するとすぐ車内放送が行われ、各種案内が放送される。放送の最後に「さよなら0系記念オレンジカード」

の発売についての案内があった。2枚組みで2000円、0系車内と各新幹線停車駅での限定販売との事である。

ちなみに私は、車内改札時に購入してみたが、その際売れ行きの方を車掌に尋ねてみたところ大変好評な様で、

特に駅売りの分は売り切れ続出との事であった。

 一連の放送が終わった頃には、すでに列車は高速走行に入っていた。強風と横殴りの雨の中、豪快に走行

を続ける0系。しかしその走行音は以外にも静かである。この床下では確かに時速200Km/h強の世界へ導

く、強力なモーターが唸りを上げている筈なのだが、微かにこもったモーター音が聞こえるだけである。どちらか

と言うと、時折車体や窓ガラスに強くあたる雨粒の音の方が気になる様だ。

 

 こんな悪天候の下走行を続ける事しばし、東寺の五重の塔が車窓に見えるようになってきたら、いよいよ京都

である。京都は12:16分に到着した。

 

 

 

 京都の一大ランドマークと化した、巨大な京都駅駅ビルを横に見ながら京都を後にした。この付近では大阪付

近より雨足が強く、雨粒が砲弾の様に車体に当たってくる。山科のトンネルを抜けて滋賀県内に入っても相変わ

らずの空模様で、どんよりとした琵琶湖沿岸の平野地を走り抜けていく。

 

 ここで、車内を観察してみる事にする。編成は大阪方1号車から7号車までと東京方13号車から16号車までが

自由席車で、利用を反映してか自由席車比率が高くなっている。普通指定席車は9号車から12号車で、Yk編成

のみ連結されている2&2シート車である。こちらは「ひかり号」と比べ利用が芳しくない「こだま号」の指定席利用

を促進するために、JR移行後に2列シートに改造された車両である。グリーン車のシートに比べグレードが落ちる

が、それでも幅広の豪華なシートが奢られている。このシートに通常期はプラス510円で乗れるので、非常に乗り

得な車両である。ちなみに私が乗車しているグリーン車は中程8号車である。ビュッフェ車は5号車にあるが営業

はしておらず、車内販売の基地になっている。なお本日から最終運転日の18日まで、ここで0系オリジナルTシャツ

やトランプを販売するとの事である。

 

 京都出発時の乗車率は非常に少なく、だいたい16%といった所である。16両で1390名程乗車できるYk編成

にも関わらず約220名程しか乗車していない事になる。特に12号車の指定席には僅か1名しか乗車していなかっ

たのである。

 ところで本日使用されている編成はYk8編成であるが、1000番台車の13、14号車を除き最終型の2000番台

車で組成されている。これはほぼ同時期に製造された、東北・上越新幹線用の200系に準じたインテリアで作られ

ており、車内のふいん気は良く似ている。

 

  

  

車内風景   (左上)グリーン車室内   (中央上)グリーン車入口  (右上)指定席車室内
  (左下)自由席車室内  (中央下)ビュッフェ車室内   (右下)ビュッフェ車内の速度計

     

       

 

 強い雨足の中、疾走を続けるうちに米原が近くなってきた。米原駅の手前では新幹線高速試験電車のSTAR21

(JR東日本)、WIN350(JR西日本)が役目を終え展示されていた。余談だが彼らの試験による貴重なデータは、

E2系や500系といった新時代の営業用車両の開発に生かされている。彼らは最後の仕事をこなす0系を見て、

何を思っているのであろうか? ふとそんな事を考えているうちに米原に到着していた。

 

 なお米原停車中に後続の「ひかり232号」に追い抜かれている。米原発車は12:43分であるが、手許の時計で

約1分弱遅れて発車した。実際誤差範囲ぐらいであるが、大雨の影響で若干遅延気味のダイヤになっている様で

ある。確かに後から停車した他の停車駅でも同様の状態であった。

 さて米原を後にすると、いよいよ関が原越えである。ここにきて雨足はより強くなり、バリバリ窓ガラスを叩いて

いく。そんな中でも0系新幹線電車は速度を緩めず突き進んでいく。それには力強さを感じ、とても40年近く前

に設計された、引退間近の車両と思えない走りを披露してくれた。

 

 しかしこの関が原は、0系にとって痛恨の場所である事は変わらない事実である。特に冬場の雪害によるダイ

ヤの乱れ、機器の故障には毎年の様に悩まされ続けていた。元々設計時より、雪に対する対策が全く考えられ

ていない車両であったので仕方ないところだと思う。しかしこの関が原での冬の経験が後年、豪雪地帯を走る

東北・上越新幹線の雪害対策に反映され、成功を収めたのは事実である。もし東海道新幹線が関が原を通過

せず、雪の影響が少ない鈴鹿峠を通るルートになっていたら、多分、十分な雪害対策を講じず東北・上越新幹

線を走らせる事になったかも知れないのである。0系には申し訳ないが、「雪でも強い新幹線」誕生の裏には

この様な苦労があったのである。

 

   

悪天候下を疾走(左:関が原付近 右:増水した長良川)

 

 やがて「こだま414」号は関が原を越え、岐阜県内に入ってきた。岐阜羽島は13時ちょうどの到着で、1分停

車の後発車した。この付近では揖斐川、長良川、木曽川と大きな川を立て続けに渡るが、どの川も増水し、河川

敷内は水浸しになっている。

 後からニュースで知り得た話だが、岐阜県内は台風16号の影響で大きな被害が出た様で、死亡者も出たとの

事だった。しかし名古屋が近づいてくると雨足がだんだん弱くなり、名古屋に到着した時点では曇り空になって

いた。

 

次ページに続く→


ページ先頭へ戻る

 

試乗記録メインへ戻る