試 乗 記 録


No.003 西日本旅客鉄道 快速「新宮行」(2921M) 新大阪 ⇒ 新宮

試乗日 1999年7月30日(金)〜7月31日(

 

夜の白浜駅に停車中の2921M快速「新宮」行

 

毎日深夜、新大阪を出発して一路「南紀」新宮を目指す夜行快速列車がある。

この列車は息が長く、国鉄時代は寝台車も連結した客車編成で運転され、一時期「南紀」(後に「はたやま」に改

称)という愛称がつく列車でもあった。また、現在では数少なくなった急行形電車165系(原型車)を使用する列車

として、ファンには良く知られた列車である。

今回はこの急行形電車のボックスシートに身を委ねつつ、夏真っ盛りの「南紀」を訪ねたいと思う。

 

新大阪駅午後10時、新幹線高架下に位置する在来線11、12番線ホームでは、各地からの昼行特急の到着が

続いていた。その隣の13、14番線ホームでは、新快速・快速電車がひっきりなしに到着しては発車していく・・・。

今日は金曜日。ホームではまだまだ大勢の人々が電車を待っていた。

一方その反対側の貨物線では、頻繁に貨物列車が行き交いこちらも賑やかだ。

こんな夜の11、12番ホームも東京行き寝台急行「銀河」が出発していく頃には、快速「新宮」行きを待つ乗客が目

に付くようになってきた。

 

22:42分、一旦貨物線経由で京都方に引き上げていた夜行快速「新宮」行きが11番線に入線してきた。165系6

両編成である。しかし快速とは言え、夜行列車の出発3分前の入線は慌しいと思いつつも、ドアが開くとそそくさと

車内に乗り込んだ。車内は思ったより混んでなく、まだまだ空いているボックス席も見られる。よく臨時夜行快速「大

垣」行きを利用している筆者にとって「これは少なすぎる」と感じる乗客数である。

 

新大阪出発直前の2921M 快速「新宮」行          2921Mの車内風景(クモハ165−125)

 

22:45分、列車は定刻通り新大阪駅11番線を離れた。これより列車は大阪の「キタ」を迂回する「梅田貨物線」

を進んでいく。この貨物線も野田付近から大阪環状線と並走し、次の西九条で合流する。これは関空特急「はる

か」と同じ走行ルートである。西九条停車後は大阪環状線内を走り、弁天町、新今宮と停車しこまめに乗客を乗せ

ていく。車窓では「通天閣」を初めとした大阪の夜景が次々と流れていくが、これを眺めているうちに阪和線への分

岐駅である天王寺へ到着となる。

 

天王寺駅では多数の乗客が乗車し、通路・デッキにまで乗客が溢れ乗車率200%以上の通勤電車となってしまっ

た。(新大阪では想像できなかった・・・。)この列車も阪和線内は「阪和線快速」の一員となっているので、これは

仕方のない事だろう。

この天王寺を23:05分に発車するとすぐ、高架線上の阪和線へ登るスロープを駆け上っていく。このスロープ

は大阪環状線から関空方面への直通電車(特急「はるか」・関空快速など)のために新設された物である。

阪和線内に列車が進んだところで、始発以来の案内放送が行われ主要駅の到着時間がアナウンスされた。これを

聴くにつけ、いよいよ紀伊半島に向け南下を始めた事を実感せざるを得なかった。なおも満員の165系電車は、

床下のモーター音も高らかに夜の阪和線を駆け抜けて行くのであった。

 

この満員の乗客も、鳳(おおとり)で大量の下車をみたのち、その後の各停車駅でも下車が続いた。やがて関空へ

の分岐駅である日根野へ到着する頃には、天王寺発車時点の半分位の乗客数になってしまった。列車はこの先

雄ノ山峠を越え和歌山県へと足を進めるが、私はこの辺で眠気を覚えしばし眠ってしまった・・・。

気が付くと和歌山に到着していた。客室もかなり空いた模様で、私の隣に座っていた釣り客の方も隣のボックスに

移っていた。和歌山発車は日付が変わった0:03分。この先は紀勢本線へと足を進める事となる。

 

停車駅ではこまめに乗客が降りていく              深夜の通過駅を通過していく

 

ここで一息ついた車内を一巡してみる。車両は日根野区所属の165系3連x2の6両編成である。当日の編成は

新宮方1号車より、クハ165−111、モハ164−842、クモハ165−125、クハ165−79、モハ165−848、

クモハ165−112、となっていた。なお、新宮方1〜3号車は新宮まで全区間直通するが、新大阪方4〜6号車は

途中、紀伊田辺で切り離しとなる。ちなみに私は3号車クモハ165‐125に乗車している。

 

またこの列車は、ATS−Pが導入されている大阪中心部に乗り入れるため、ATS−P装置設置車が限定運用

されている。ATS−P装置はJR東日本などの165系と違い客室内に設置されているのが特徴であり、その部分

の窓が塞がれているので外観からも容易に識別できる。(ちなみにJR東日本車は運転助手席後方のデッキ上に

設置されている。西日本車両の場合、その場所には大型のごみ箱が置かれていた。)

 

客室内の方であるが、クロスシートのモケットはワインレッド系の色の物に交換されており、その他全体的に登場

時の165系に比べ、暖色系の内装となっている印象だ。また先程触れたATS−P装置機器箱上のスペースが、

物置として活用されているので、荷物の多い旅客には重宝がられる事だろう。

トイレについては、1、4号車のみ(クハ165形のみ)使用可能で、他の車両のトイレは閉鎖されていた。

乗車率にも触れておこう、和歌山発車時点で前方の新宮行き編成は大体全てのボックスが埋まっており、70〜

80%位の乗車率であろう。一方後方の紀伊田辺止まりの編成は1両につき10人程しかいなく、せいぜい10〜

15%位であろう。平均すると60〜70%位の乗車率なので、まあまあの乗車率という所であろう。

 

和歌山を過ぎると事実上最終列車になるので、停車駅毎に若干の乗客が降りていった。特に湯浅・御坊で大量の

下車があり、前方3両でもかなり空席が目立つようになってきた。これでは紀伊田辺で3両切り離しも納得できよう。

和歌山から各停同然であったが、湯浅を過ぎると停車駅間隔がぐっと広がり事実上の「快速運転」区間となる。時

折夜の海や山を見つつ、無人の通過駅を幾つも過ぎていく。ここに来てやっと夜行列車らしい列車になってきた。

相変わらず床下ではMT54モーターが唸りを上げ、規則正しいジョイント音がそれに続いていく。そんな夜行列

車らしい感じを楽しんでいる内にまた眠くなってきた。

 

やがて列車は紀伊田辺へ近づいてきた。到着直前、一人のおじさんが慌てて後部編成から移ってきた。その後を

車内点検の車掌が「お客さん眼鏡の忘れ物ですよ」と叫びながら追っかけてきた。おじさんはふと我に帰って眼鏡

を受け取っていた。そんなこんなのやり取りを見ている内に2921Mは紀伊田辺駅構内へ滑り込んだ。この紀伊

田辺では後部3両が切り離しとなり、3両のみの身軽な編成となる。

 

紀伊田辺で後部3両を切り離す            次の白浜でも20分の停車があった

 

到着するとすぐ3号車と4号車の間には作業員が現れ、手早い手つきで貫通ホロとジャンパー線を片付け密着連

結器を切り離した。切り離された直後、1m位動いたところで後部編成は停止し室内灯が消えた。どうやらこのまま

朝まで留置されるのであろう。方向幕は既に「紀伊田辺〜新宮」になっていた。

一方その合間、ホームには数人がタバコを燻らしたり、缶コーヒーを飲むなどしばしの休息を楽しんでいた。こうい

った長時間停車は、付帯設備が整備されないローカル夜行にとってオアシスの様な物である。

 

1:55分、3両になった2921Mは再び走り出したのだが、次の停車駅である白浜でも20分の停車がある。こ

ういった短距離の夜行列車には良くある調整のための長時間停車である。(距離が無いので本気で走ると、とてつ

もない早朝(深夜?)に目的地に着いてしまうので時間調整をしているのである。)

ツワモノはこの間を利用して駅近くのコンビニへ買い物に行くのだが、私は今回の停車時間を利用して、編成の

写真撮影を行なう事が出来た。また車掌さんとお話がてら検札をしてもらう事が出来た。(今回は青春18きっぷを

利用しているので・・・。)

 

話の中で、この車両(165系)もそう長くはないと言う話が出てきた。

実際、紀勢本線南部(紀伊田辺〜新宮間)は全普通列車が165系で運行されていた区間であったが、近年和歌

山区の105系が進出しだしている。この状況のもと、最近紀勢線の165系が置き換えられると言う噂が流れてい

る。しかし現業の方からもその話が出るとなると、この噂もまんざら嘘ではない様である。

車掌氏は、105系についてトイレがない事と、詰め込み主義的なオールロングシート車である事を挙げて、サービ

スダウンになる事を心配している様であった。確かにこの区間が全てトイレ無しのロングシート車になってしまっ

たら?と考えてみると、利用者側としても恐ろしいものである。

同じ置き換えならば、同じく165系を置き換えたJR東海の313系の様な最新鋭近郊型電車とまでは言わないとし

ても、もう少し考えて欲しいものである。

 

こんな事を考えているうちに発車の時刻となった。2:30分、また列車は静かに動き出した。

ところでこの列車の長い歴史を語る上で重要なキーワードとして「太公望列車」と言うものが有る。これは古くから釣

り客の足として利用されて来たからである。確かに私のイメージの中でも「新宮行夜行=釣り列車」という図式が

成り立っていた様だ。しかし今では少し事情が違う様である。

事実 先程車内を回った処、明らかに釣り客と思える乗客は4〜5名しかいなかったのである。(土曜日の夜ならも

っと乗車しているかも知れないが・・・。

丁度、隣のボックスにいた釣り客の方と話が出来たが、かつては沢山の釣り客で混雑していたと言う。

やはり今では車での利用が主流とか。やはりここも時代の流れかと感じてしまった。

 

車内が落ち着いたところで私もうとうとしてきた、ボックスシートを独り占めにしてしばし休む事としよう。

気が付いたときは辺りも薄明るくなり、丁度紀伊勝浦に到着した頃であった。ここからはいよいよラストスパートで

ある。この辺りではもう既に各駅に停車しており、始発列車と言った感じなのだが誰も乗り降りがない。

夏場とはいえ、もっとも5時前なので仕方ない所であろう。

 

夜明けの太平洋を眺めて走る                 5時10分、終点新宮に到着

 

夜明けの海岸線沿いをひた走る事しばし、新宮の市街地に入ると間もなく新宮駅2番線に静かに滑り込んだ。定

刻通り5:10分の到着で新大阪より6時間25分、276.8Kmの旅であった。

 

広い構内の新宮駅には283系、381系などの特急電車に混じって、キハ85系やキハ58系などディーゼルカー

も留置されており、大変賑やかな構内であった。ご当地では「南紀熊野体験博」が開催中とあってか至る所に

「のぼり」が立ち並び、風に揺れていた。

隣の1番線ホームに目を移すと、始発の「スーパーくろしお2号」が発車を待つ乗客がいるためか、5時過ぎだと

言うのに比較的人の数も多く、駅そば屋も営業している賑やかな駅であった。

 

2921Mの乗車を終えてみてだが、ごくありふれた夜行普通(快速)と言うのは現在では貴重な存在である事が

実感出来た。確かに普通乗車券だけで乗れるという気軽さが残っている夜行列車は、現在これしか無いであろう。

他にも日本各地に夜行普通(快速)は走っているが、その殆どが指定席制だったり繁忙期のみの臨時列車で

あったりする。この中唯一2921Mは自由席のみの純然たる夜行普通(快速)である。

こんな貴重列車が毎日黙々大阪の町を出て行く・・・。 しかも全車自由席なので、他ではある「ムーンライト○○」

なんて言う愛称も無い。時刻表を見ても列車番号のみの掲出で、他の列車の中に完全に埋もれている。

(確かに新大阪駅の掃除のおじさんも知らなかった!)

少々寂しいようであるが、ところがどっこい生きている。しかも知っている人には良く知られている「名物列車」。

そして旅情を掻きたてる急行型165系車両を使用した貴重な列車。こんな所がこの列車の魅力であると思う。

使用車両も含め今後近いうちに動きが見られると思われる2921Mであるが、今後とも元気に走り続けてもらいた

い物である。

 

−終−


 

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