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"児ポ法"が守りたいものは何なのか?
〜"児ポ法"改定案について考える〜
 文責:結城明音 2001.9.28.

 この"児ポ法"、一時期同人関係でも話題になったことから、耳にしたことのある方もいらっしゃると思います。
間もなく施行から二年が経とうとしており、あまり話題にあがらなくなっていましたが、
話題にあがらない時期が一番危険ということを思い知らされた感があります。

 "児ポ法"の正式名称は、
「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」といいます。
1999年5月26日に公布、11月1日から施行されたこの法律は、
平たく言えば「子どもを性的被害から守るため」に作られました。
これは「海外における日本人の児童買春」を罰する実効性のある法律であり、
(他にもいろいろありますが、私はこれが一番意義があると思います。)
この法律が作られたことは、喜ばしいことだと思います。
 さて、この法律は、現行では処罰対象に「絵」は含まれていません。
(案にはあがっていたのですが、最終的には含まれなくなりました。)
ところが、法律を見直すにあたって、再び「絵を含める」案があがってきているのです。

 私は、絵を含めることに反対です。

 絵というものは創作物です。絵が直接子どもに被害を与える、ということはないのです。
この時点ですでに、法律の対象にするのはおかしいと思うのですが、
「創作する、表現する」「子どもを守る」の2点から、私なりに考えてみました。

 「創作する、表現する」ということ…
 性表現の有無に関わらず、これらを規制すべきではありません。
「創作する、表現する」ことは、自分の中の想いを具現化し昇華する、一つの方法です。
そうして作られた作品に触れることは、具現化しきれない想いを消化する、一つの方法です。
すべての創作物は、最終的にここに行き着くと思います。
もしこれらの方法が無くなってしまったら、果たしてどうなるでしょうか。
 もちろん中には、「自分が好ましくないと思う作品」もあるでしょう。
しかしそれはあくまでも、その人個人の感性なのです。
自分の感性を信じつつ、他人の感性を尊重することが、大切だと思います。

 「子どもを守る」ということ…
 性表現に的を絞って考えます。
子どもから性表現を遠ざけることは、果たして子どもを守ることになるのでしょうか。
自分の子ども時代を振り返って思うのですが、
性表現を扱った作品がないほうがよかった、とは、とても思えません。
むしろ、適度にあって良かった、とさえ思っています。
自分の性に関する、思考と嗜好を考える一因となったのですから。
 また、「子どもが不必要に接してしまう危惧」ですが、
そもそも作者は、作品の対象者を想定しているはずです。
子どもを対象としていない作品を、子どもが接しないように管理するのは、親の義務です。
 それでも子どもは、いつか自ら接することでしょうが、それは当然です。
子どもは遅かれ早かれ、性に興味を持つことでしょうから。
そのとき、性表現を扱った作品は、子どもにとって必要なものになります。
 この問題において、真に「子どもを守ること」とは、
安易な「性表現の規制」ではなく、「真摯な性教育」にあるのではないでしょうか。
(以上のことは、先ほど書きましたが、自分の子ども時代を振り返って思ったことであり、
 また、今思うと私の親はこう対応していていた、ということです。
 そして、自分が親となったときに心がけていきたいことでもあります。)

 私は、一人の「創作・表現を大切に思う者」として、
また、一人の「子どもを大切に思う者」として、この文章を書きました。
この問題について、一考していただければ幸いに思います。

 この文章を書くきっかけとなったのは、
SECRET AFTERSさん(当サイトのリンクページからもいけます)のコンテンツの一つ、
改正(改悪)されようとしている"児ポ法" を読んだことによります。こちらもぜひご覧ください。

参考図書(この文章を書くために図書館で借りてきた本)

 解説 児童買春・児童ポルノ処罰法  著者:園田 寿
 発行:(株)日本評論社 発行日:1999.12.10.
 (現行の法律の全容を知るには一番わかりやすい本だと思います)

 誌外戦  編集:コミック表現の自由を守る会
 発行:(有)創出版 発行日:1993.9.7.
 (10年程前の"有害コミック"問題に事を発した表現規制運動に関しての、
  作家側からの意見を中心に集めた本です)

参考サイト

 なしりんく Yahoo!で「児童ポルノ法」で検索をかけたら出てきたリンク集サイト。



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 …などと簡潔に?まとめてみようとしたけれど、
細かいところでいろいろと、言いたいことが残っているので、
うまくまとめられないのですが、書き綴ってみようと思います。
毒含み暴言ご容赦を。ついでに文体の変化も。

 「性表現を扱った作品」と言っても、
表立って槍玉にあがっているのはいわゆる「エロ漫画・エロゲー」なわけで。
参考図書に挙げた「誌外戦」の説明と、問題になっている内容は変わらないわけで。
何でこんなに平行線なんだか…。
規制反対派は、物事の本質を見極めた上でフィクションをどう扱うか、を重要視しているのに対して、
規制賛成派は、現実と向き合おうとせずに表面を取り繕おうとしている…ようにしか見えない。
この問題、高校生のとき(つまり10年程前)から気にしているけれど(その頃同人誌なんて知らなかったよ…)
「エロ」ねえ…エロのどこがいかんのだ?規制賛成派の意見にはそこが無いんだよね…。
性への関心は誰でもある(だからこそ作家がテーマにする)ものだろうし、
性欲も誰でも持っているものだろうし。
程度に個人差があるのはわかるが、頭ごなしに否定するのは違わないか?
規制賛成派の人々は、本気で「エロ本が犯罪を誘発する」と思っているのだろうか…
ばかばかしい。
それだったら今ごろ日本は犯罪者だらけじゃ!
「因果関係は明らかになっていない」なんて、
エロ本のあふれてる昨今、エロ本に起因したと思われる犯罪がごく少数なのが答えなのでは?
でもその犯罪って、結局のところ原因は「エロ本」でも「エロ」でも「本」でもなく、
本人の内面自体にある場合がほとんどだと思うけど。やる「奴」が悪いんだって。
 そう、エロ本を楽しんでいるほとんどの人々は、
現実は現実で、フィクションはフィクションで、割り切って楽しんでいる(はず)。
というか、それが当然で、改めて考えたことなんてない人がほとんどでは?
この問題のせいで、さも悪いことのように扱われているが、騙されるな!
…てか、騙されないよねえ?こんなんで。

 規制賛成派は「子どものために」という言葉を多用するのが、私は気になる。
子どものために、と言っておけば安易に反対できないだろう、…みたいな感じで。
私がこの問題での子どもたちへの影響で恐れていることの一つは、
「子どもたちが性に関して恐怖感と罪悪感ばかりを持ってしまわないか」ということ。
子どものためを思うなら、性というデリケートな問題こそ、
法任せにせずにケースバイケースで考えてほしいと思うけど。

 それとは違うところで。この"児ポ法"問題、
どうも「性表現の有無」でしか問題視されていない気もして、ある意味怖いかも。
表現に関する事の法制化っていうこと自体も怖いけど(憲法が最後の砦なのか?)、
拡大解釈されることを考えたら無関心じゃいられないような気が。
つまり「エロじゃないから問題ない」なんて言っていられないってこと。

 この問題について一人でも多くの方に考えてほしい、声をあげてほしいから、つたないながらも問題提起。

 …書いてみたらこっちの文の方が長いし。




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 どうでもいいけど同音異義語って面白いな。(本当にどうでもいいよ…)