ミィ−チャンとの【出会い】

                        【別れ】
           
                     【そして今、思う事】
を書いています。            99・3・22

                       【出会い】

    
アルバム館・1にも書いてありますが、出会ったのがミィ−チャン8ヶ月の時でした。
     
      室内は、涼しくて小さいワンちゃん、そしてどのワンちゃんにしょうかと決めかねる家族ずれ

      がいました。勿論私達も子犬 を飼うつもり(室内犬で特に犬種は決めてませんでした)

      でしたので、室内を見ましたが何となくピンとくるものがなくて、別の日に来ようと思って外へでました。

      外は真夏そのもので、少し大きくなったワンちゃん達が二段重ねのオリの中にいました。

      飼うつもりはなかったので、軽い気持ちで覗いてました。

      その中に、ミィ−チャンはいました。活発て゛愛敬万点?(親馬鹿ですね!!)

      でも、成犬にも見えるミィ−チャンでしたので、主人と決めかねているところに、ゲロ受難犬となった

      ミィ−チャンですが、気にもせずに私達に尻尾フリフリの状態で右に左に活発に動く

    その愛敬あるミィ−チャンの姿に引かれました・・・・・・・

      今、思うとワンちゃんを飼う場合、普通は子犬を欲しがりますよね。私もそうでした

      でも、あの時ミィ−チャンとの出会いがなければ・・・・ミィ−チャンの生涯、そして私達の人生

      それぞれ、どうなっていたんでしょうね。ミィ−チャンに対しては、複雑な心境です。

                          


                   【別れ】

     糖尿病、インシュリンの注射、二度の手術と 本当に辛い思いをさせました。

     深夜、病院から電話がありました。ケイレン発作と言う事でした。

     「最後は家で」と、主人と言ってましたので、本当に悔いが残ります。

     家で二晩、ミィ−チャンと添い寝をしました。
     
     最後に、病院に預けてドアを閉める時私の方を見ていたミィ−チャンの顔を思い出します。


                   【そして、今思う事】

     もうすぐミィ−チャンが、天国へ行って1年が経とうとしてます。早いものですネ!!

     楽曲制作、CD、HP作りと毎日ミィ−チャンに関わって来たので、そんな感じがしません。

     亡くなった直後は、ミィ−チャンは私達と出会って、本当に幸せだったんだろうか?

     私はミィ−チャンの最後の死を、本当はさけてたんじゃないだろうか?

     色々な場面での後悔か゛、何度も心の中をよぎりました。

     1匹の犬を通しての、出会い、別れは私にとって初めての経験でした。

     犬ではありますが、“生命の尊さ”は人間と同じですよね。

     動物を飼う動機は、人それぞれです。私達はワンちゃん大好き、可愛いし、楽しいし、

     勿論、最後まで面倒もみると言う気持ちでした。私達と同じ様な気持ちで動物を飼う方は

     多いのではないでしょうか?でも、ミィ−チャン亡き今思う事は、私自身、良い飼い主では

     なかったと思う事と、容易い気持ちでは飼えない事、「動物と一緒に暮らす」事の本当の意味が、

     ミィ−チャンを通して教えられた様な気がします。

     私の場合糖尿病でしたので、朝、夕のインシュリンの注射、朝は毎日テ−プで尿糖チェック

     をして注射をします。注射の量の判断に迷う時は、朝から先生に相談したり

     又、仕事しながらでしたので夜帰宅が遅くなると、インシュリンの持続時間を考えて

     夕の量を減らしたりと、低血糖も3回程経験しましたので本当に神経を使いました。

     勿論主人も協力してくれました。

     コントロ−ルがうまくいけば、通院の回数も減りますが、ミィ−チャンの場合

     コントロ−ルがうまくいったと安心した頃、腹水がたまりました。それに合わせて治療食の変更、勿論

     インシュリンの量も変えなくてはなりません。

          それが落ち着いたと思えばその治療食も思う様に食べてくれず又食事の変更と振り出し戻るたびに、

           インシュリンの量、低血糖等の心配をしなければなりません。

     病院も理由あって少し離れた所にいってましたので、タクシ−で休みの日は殆ど病院通い

     時には勤務が終わってからでないと連れて行けない時もありましたのでそんな時は帰宅が

     夜の9時、10時にもなります。週に2〜3回点滴が必要な時は、家で点滴したりもしました。 

     亡くなる前には、朝、夕の抗菌薬の点滴が必要になりました。、これは時間をかけて微量でしますので

     家では無理なのと、時間的に朝病院に預けての勤務も無理なので結局入院しました。

     重症のワンちゃんに装着してある心電図のモニタ−の音、違った環境等とても不安だらけだったと

     思います。勤務が終わってミィ−チャンに逢いにいくと嬉しそうに尻尾をふってくれます。

     でも、たべれず吐く日が続くと体力も消耗して、尻尾にも元気がありません。見てて辛くなります。

     休みの日にはミィ−チャンが一番安心する家に連れて帰りました。

     寝顔を見て「ミィ−チャン良かったね」と思う気持ちでした。でも、吐いているミィ−チャンでしたので

     私達は、夜も気がやすまりませんでした。その様な状態が続き帰宅も遅く

     私自身も精神的にも身肉体的にもクタクタの状態でした。他にも色々な事がありました。

     でも、一番辛く、悲しい思いをしたのはもの言えぬミィ−チャンだったはずです。

     「動物と一緒に暮らす」事、それは動物の気持ち、健康管理、病気、老いに関し、理解して

     “命の火が消える”まで責任をもつ事ではないかと、ミィ−チャンを通して私は思いました。

     私自身どれ一つ出来ていなかったと思います。

     「動物と一緒に暮らす」事の大変さも実感しましたが 勿論、「動物と一緒に暮らす」事の素晴らしさ

           楽しさも知っています。でも、決して「動物と一緒に暮らす」事は、容易い事ではありません。

               一つの“命の火が消える”までの責任があるのですから。
     
     今でも、時々後悔が心の中をよぎる時がありますが、色々なワンちゃんの事を考えるとそれでも

     ミィ−チャンは、幸せだったと信じています。(信じようとしているのかも知れませんね)   

           「動物と一緒に暮らす」事に関して、ミィ−チャンを通して私が感じた事を書きましたが

                  少しでも何かのきっかけになればと思います。