■慰霊の日(2004)■ |
内地ではあまり実感はないかもしれないが、6月23日(今年で59年)は第二次太平洋戦争・沖縄戦(地上戦)終結の日を記念とした「慰霊の日」となっている。 個人的には、戦争の悲惨さ、そして虚しさを何とか伝え続けないといけないと思うが、正確なものを伝えるには限界を感じている。出来れば体験者の口から伝えてもらいたいと思う。というのが正直な気持ちだが、高年齢化ややはりつらい思い出を語らないといけないいうのがあるので、気軽には聞けない。しかし、つらくても語っている人にはなるべく、耳を傾けたいと思し、そういう機会があれば皆さんも聞いてほしい。 あと、個人的に戦争の地であったことだと感じることが時々ある。自分の両親は戦争体験者ではあるが、当時、小学生低学年のおとぅ(父)ともの心つく前のおかぁ(母)と幼かった。でも、たまに当時の話を聞くこともある。さらに小さい頃は山道から通ることが多く、畑沿いの道は、手榴弾や銃弾が捨てられているのを多く見た。こういうことは日常すぎて、あまり重大には思っていなかったが、最近では異様なことだったと特に思う・・・・・・。 「慰霊の日」について語るは難しく話にまとまりがないものなってしまったが、ただ一つ言いたかったことは「命どぅ宝。武器のない平和な世の中に」ということだけである・・・・・・。 (2004.6.23掲載) |
■本土復帰して32年経つが・・・■ |
1972年5月15日に、沖縄が日本本土に返還されて32年。いろいろと状況は変わったが、長年ついて回る基地問題。以前は反米感情も大きかったが、今は少なくなっているだろう。だが、基地問題は解決への道に進んでいるワケではない。在沖米兵の犯罪や基地の騒音や事故など、きりがない問題ばかり。そのこともあって普天間基地移(?返還??)がたらい回しになるかもしれない。辺野古への予定が下地島へ移設の可能性もあるらしい。ただでさえ勝手に民間飛行場を利用している米軍が、今度は島の発展のため作った民間飛行場を、基地へと変えるかもしれない・・・。 個人的に基地問題は、去年、夜中も飛行機の轟音が響き、一日に何十機も飛んでたこともあり、基地が無くなってほしいが、多くの沖縄県民が基地で働いているので、正直、強く声を張り上げることは出来ない。だが、米兵による無法地帯ならないよう、県民の声を国が聞いてもらえるようこの場(サイト)を借りて言っていきたいと思う。 ・・・でも、本土復帰してよかったと思えるのはいつの日だろうか・・・・。 (2004.5.15掲載) |
■イラク人質事件・・・■ |
正直言って、「なぜこんなに弱いものイジメをするだろうと思った」。確かに人質になった方の家族が、政府対していろんな要求や文句を言ったかもしれないが、上に立ちまとめる人間(多くの国民も含む)が、多くの人が見ると思われるメディアで、酷く叱るのはどうかと思う。それに”自己責任”を出し責めたてるタイミングも違うような気がする。少なくとも本人達は、リスクを負う覚悟で、ボランティアや真実を突き止めようとしたと思う。(そういう発言が事前あったとテレビで見た)仮に人質が死傷して、その家族達が賠償請求を政府にするのはおかしいと思うが、責任重視で「命」は2の次のように見えたのがよりおかしいと思うし、悲しかった。イラクでの責任は誰も取れていないから、とりあえず”責任”についてこれ以上、”被害者”を責めないでほしい。それにしても今回は、結果的に誰も救われなかったように思える。人質になってしまった方や家族、イラクの子供ら、そして日本政府や国民、みな悲しく思いや虚しい思いをしただけでは・・・? 最後に、ただ思うことは、人(命)を救おうとする「ちむぐくる(真心)」を大切にしてほしい・・・。ただそれだけを思う。 (2004.4.22掲載) |
■イラク戦争、1年経って・・・/前編■ |
イラク戦争が開戦され1年経ちました。結果論ではなく開戦前から反対している自分としては、戦争自体で解決出来るものは無いと思う。ただ問題だけが生まれる情けない行為だと思ってしまう。実際に現状は、イラク国民に精神的・肉体的な苦痛をあたえてしまっている。そう考えると、アメリカの大ざっぱな”自由”とはいったい何だったのだろう?やはり力のみで得るのはむなしく感じてしまう・・・。 (2004.3.21掲載) |