新職務発明制度における手続事例集(案)等に対する意見等

                                             2004年8月25日

                                             帖佐 隆(弁理士・会社員)

 

☆はじめに☆

 今回、上記の「手続事例集」を出される予定ということですが、以下意見等を申し上げます。

 

1、当該「手続事例集」に法的拘束力なし。

 今回、表記「手続事例集」に法的拘束力はありませんし、何の法律的効果も生じません。また立法趣旨でもありません。

 この点、確認しておきたいと思います。

 この点は単なる私の主張ではなく、客観的な見地からそうならざるを得ません。

法律が国会を通過した後に、後付けで「これはこういう意味ですよ」などと言われて、それが法的拘束力を持つ、ということになると、それは明らかにおかしい。

もしもそれが許されるとするならば、どのような解釈にも読める条文案を国会に提出し、これを通過させておいて、後から行政庁が適当に解釈を作ればよいことになってしまいます。これでは、実質的に行政庁が法律を成立させることに帰する。そうなると、「国会は、唯一の立法機関である」とする憲法41条に反することになってしまいます。

ですので、この「手続事例集」はなんら法的拘束力がありません。また何の法律的効果も生じません。また立法趣旨でもありません

 

2、法的拘束力なき文書を発行する疑問。

 上記の「手続事例集」の2ページでは、発行者サイドも法的拘束力がないことを認めています。まさしくそのとおりです。

 このように、法的拘束力のない文書ということになれば、当該「手続事例集」は、百歩譲っても、街の一解釈論にすぎないということになると思います。

 そうなると私には、法的拘束力のない文書をわざわざ公金である税金を使ってまで発行するということに大いに疑問を感じます。しかも全国の改正説明会で配布までするとなるとなにかと問題も生ずるのでないかとも思っています。以下に述べたいと思います。

 

(1)「手続事例集」と「審査基準」等との相違〜行政庁が作成するガイドライン。

 同じように特許庁が作成する文書として「審査基準」等がありますが、これも法的拘束力は必ずしもありません。裁判所へ行けばひっくり返される可能性もあります。

 しかし、それでも「審査基準」は意味があります。それは「審査基準」が審査等にあたっての庁内の手続きや解釈の統一を目指すものだからです。従って、出願人サイドは「審査基準」に従っておけば、そこには特許庁の取り扱いが書いてあるわけですから、例えば、早期な査定の確定を急ぐために、狭い権利で我慢するか、あくまで主張を押し通して、裁判所で判断を仰ぐか、出願人サイドで選択の余地があります。このように審査基準には一応意味があるのです。

 それに対して、この「手続事例集」には何の意味があるのでしょうか。別に職務発明かどうかを特許庁で審査するわけではないでしょう。この「手続事例集」の通りに手続を行えば安心をいう保証はどこにもありません。

 そのように考えると行政庁が「手続事例集」を発行するだけで、すでに過剰な介入を行っていることになるのではないでしょうか。

 

(2)国家公務員が特定の解釈に肩入れする疑問。

 憲法15条2項には、次のような条文があります。

 「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」

 このように公務員は全体の奉仕者でなければならないのです。

その公務員が、一部のローカルな法律解釈(法的拘束力がないことは自ら認めている以上、そうでしょう。)を広めるために、公金を使い、かつ、全国の説明会で配布するなどというサービスを展開するということは、公務員が一部の奉仕者になってしまうことになり、特定の解釈をとる人たちのためだけの奉仕者になってしまうことになるのであります。

私にはそのように感じ、今回の上記「手続事例集」の発行と全国の改正説明会での使用、配布に対しては非常に疑問を感じております。そのようなことが実行されるのならば、特許庁さんは、特定の(解釈をとる)集団のためだけの奉仕者になってしまうということになってしまい、日本国憲法にも反する疑いも出てくると思うのですが、いかがでしょうか。

 

(3)事例集に反する裁判例が登場した場合はどうするのでしょうか。

 また、事例集に反する裁判例が登場した場合はどうするのでしょうか。

裁判所に対して「「手続事例集」に反する判決を出すとは何事か」とでも言うのでしょうか?。(これは実に本末転倒な話です。)

 単純な疑問として、法的拘束力がないということは、必ずしも「正解」ではないということでしょう。必ずしも「正解」ではないものを教材として、どうして事例が説明できるのでしょうか?。この点、整合性がないのではないでしょうか。

 また、「行政庁の衣(威光?)を借りて、特定の解釈を広めよう」とする意図も感じます。このようなやり方は前時代的なやり方であり、妥当ではありません。

 

3、当該文書「手続事例集」の「まえがき」に関連して、これまでの立法の経緯に対する意見とともに一言申し上げます。

 

当該文書の冒頭には『また、本手続事例集は、法案立案者である特許庁が新職務発明制度の立法趣旨を明確にする』とありますが、

後出しで「立法趣旨」だと言われてもそれは何の意味も持ちません。

また、それは立法趣旨とは言いません。

冒頭にも似たことを申しましたが、他の解釈に読める条文案を国会に提出し、これを通過させておいて、後から行政庁が「これが立法趣旨です」などと適当に解釈(「立法趣旨」)を作ることが許されるのならば、行政庁が実質的に法律を作ることになってしまいます。これは憲法41条に反し、まったくもって有効ではありません!。

 法的拘束力がないなどと言いながら、一方で立法趣旨だなどと主張するのは大いなる矛盾です。

 

4、その他感じたこと。

本改正は、従業者の納得感を高めるためのものだという説もありました。にもかかわらず、本「手続事例集」は、多くの技術者や従業者の届かないところで、限られた人々だけで密室で決めている不合理さを感じます。そして、相変わらず、議事録には誰が何を発言したか掲載されません。このような姿勢を見ると、従業者に納得感を与えることのできない談合のようにも見えます。(もっとも、法的拘束力がないがゆえに従業者の同意を得る必要がないのかもしれませんが。)

このように従業者を実質的議論から排除するかのような手続等を見ていると、やはり、依然として、対価請求権を存置し続けることが必要であり、かつ、35条の解釈に関しては、従来法と同様の解釈をとり続けていくことが必要である、ということを改めて確信した次第です。

 

5、あと、ここからは、今回の立法の経緯等に関しても一言申し上げます。

すなわち、ここからは、産業構造審議会知的財産政策部会が取りまとめた報告書「職務発明制度の在り方について」(「報告書」)と、成立した新法(新35条)との関係を中心に述べさせていただきます。

これは今回の「手続事例集」や上記1〜4までの私の記述にも関係するので、あえて申し上げます。

 

(1)産業構造審議会知的財産政策部会が取りまとめた報告書「職務発明制度の在り方について」(以下、「報告書」という。)はもはや、新法(新35条)の立法趣旨ではありません。

そして、これは、何らの法的効果も発生しないし、法的拘束力もありません。これは当該審議会における議事内容についても同様です。

 

 立法趣旨とは、

立案者が作成したものがそのまま国会で承認されてはじめて立法趣旨になる

のであります。

 確かに、立案者が作成した条文そのものは、そのまま国会で承認、成立されました。

しかし、これに対して、当該「条文」と上記「報告書」とのあいだには大きな乖離があります。そして、このことは誰の目にも明らかです。

 

すなわち、今回の法律成立の過程において、

報告書」≠「提出法案」=「成立条文」

の関係にあります。

 

(2)そう考えると、もはや、上記「報告書」の内容は国会で承認されたとは言えませんし、そうなれば、新法の立法趣旨ではありません。

完全に、新法の条文と上記「報告書」は乖離してしまっているのです。

 

いま、上記「報告書」と新法の条文を見比べて読んでみてください。

上記「報告書」の内容が新法の条文と一義的に対応していますか?。

もはや対応していない。

そして、別の解釈の余地が大いに生じており、

新法の条文から、「報告書」の内容を、

解釈として導き出すほうが難しいくらいです。

 

このことは、対価請求権廃止論者玉井克哉さんでさえ認めていて、

http://www.ip.rcast.u-tokyo.ac.jp/member/tamai/pub/040602/chizaikanri0406.pdf

(知財管理 Vol.54 No.6 2004「職務発明改正法案の検証」)から引用すると、『改正案は、小委員会での立案過程で出たさまざまな意見に照らせばもちろん、報告書の記述から見ても、かなり後退しており、現状維持色の濃厚なものである。条文を書き起こし閣議決定するまでの約2ヶ月の間に何か起こったのか、部外者に知るすべはない』とあり、新法の条文と「報告書」の乖離を認めています。

さらに引用すると、当該文書では、『齟齬』とまで彼は言っています。

 

(3)なぜそのような乖離した条文が国会に提出されたのか?。

それは簡単です。

「報告書」から一義的に導き出される条文では、国会を通過しないおそれがあったからです。

 

そのように考えると

「報告書どおりの条文が国会に提出できなかったこと」こそが立法趣旨

なのであります。

 

となると、新法の解釈は、

新法の条文の文言を法目的等に鑑みて解釈するしかないのです。

そして判例の蓄積によるしかないのです。

 

ですから、

当該「報告書」の内容は、もはや新法の立法趣旨などとよべるものではありません。

百歩譲って、街の解釈論の一つにすぎないのではないでしょうか。

 

(4)「改正の趣旨」だとか「新法の趣旨」といった言葉が、改正賛成論者から登場しますが、

「改正の趣旨」とは何なのでしょうか。

「新法の趣旨」とは何なのでしょうか。

冷静に観察していると、こういった言葉は特定の解釈を推進しようとしている人たちが、必ずしも法的拘束力のない解釈に、使っている場合が多いのです。

 

国会を通過したのは「条文」なのであって、「報告書」ではないのであります。

そして国会議員は「条文」と「条文から導かれる解釈」に対して賛成票を投じたのです。

いま、条文には「報告書」に反する解釈も生じている。

それも含めて国会議員は賛成したのです。

 

もしも条文と乖離した「報告書」が立法趣旨であり法的拘束力を持つとすると、

「国会は、国の唯一の立法機関である」とする憲法41条に反するのではないでしょうか。

つまり、特許庁及び審議会が実質的に法を作ることになっていまいます。

法治国家である日本において、そんなバカなはずはない。

 

(5)いま、条文が「報告書」から乖離しているのは、みんなわかっているのです。

だからこそ、知的財産協会さんも一生懸命フォーラムを実施したりしているし、

だからこそ、特許庁さんも今回の「手続事例集」を作ろうとしたりしているのではないでしょうか。(無論いずれも法的拘束力はありませんが。)

 

上記の動きは、条文から「報告書」の内容が読めないからこそ、後付けで一生懸命解釈論をつけようとしているのです。(無論、法的拘束力はありませんが。)

「手続事例集」なんて、まさに後追いの解釈づけでしょう。今回の「手続事例集」はそういった位置づけであるとしか考えられません。(無論、法的拘束力はありませんが。)

 

(6)「報告書」の内容を新法(新35条)にしたかったのなら、簡単だったはずです。

がちがちに「報告書」の内容を条文化して、他の解釈を生じないようにして、

それを国会に提出して通過させればよかった。

しかし、それはできなかったのです。

それをすると否決されるおそれがあった。

そうなると「できなかったこと」から解釈が生じるのです。

 

(7)以上のことから勘案すると、新法の条文や「報告書」等に関しては、

以下の結論が導かれます。

 

結論=@新法の条文と「報告書」はもはや乖離している。

   A「報告書」はもはや新法の立法趣旨ではない。

Bまた、産業構造審議会知的財産政策部会における議事録(議論すべて)

についても新法の立法趣旨ではない。

   C国会を通過したのは「条文」であり「報告書」ではない。

   Dそして「報告書」は法的拘束力を持たない。

E「報告書どおりの条文が国会に提出できなかったこと」こそが新法の立法趣旨である。

 

 これらの点について以上確認しておきたいと思います。

 

以上、もろもろ発言させていただきました。ここまでお読みいただきありがとうございました。ではでは。

                                            本文以上。