審議会の報告書は新法の立法趣旨ではない。
2004年8月25日
帖佐 隆(弁理士・会社員)
パテント誌8月号で職務発明について一件論文が書かれていますが、これについて
少し書きたいと思います。
これを書かれた飯田さんは、
産業構造審議会の報告書(答申)である
「職務発明制度の在り方について」(以下「報告書」という。)をひいて、
これを新法の立法趣旨として新法の説明をなされていますが、
はっきり言って、これは間違いだと思います。
もはや、上記「報告書」は新法の立法趣旨ではありません。
つまり、新法の条文と上記「報告書」は乖離してしまっているのです。
今、上記「報告書」と新法の条文を見比べて読んでみてください。
上記「報告書」の内容が新法の条文と一義的に対応していますか?。
もはや対応していない。
別の解釈の余地が大いに生じており、
新法の条文から、「報告書」の内容を、
解釈として導き出すほうが難しいくらいです。
このことは、対価請求権廃止論者の玉井克哉さんでさえ認めていて、
http://www.ip.rcast.u-tokyo.ac.jp/member/tamai/pub/040602/chizaikanri0406.pdf
(知財管理 Vol.54 No.6 2004「職務発明改正法案の検証」)から
引用すると、
『改正案は、小委員会での立案過程で出たさまざまな意見に照らせばもちろん、
報告書の記述から見ても、かなり後退しており、現状維持色の濃厚なものである。
条文を書き起こし閣議決定するまでの約2ヶ月の間に何か起こったのか、
部外者に知るすべはない』とあり、
新法の条文と「報告書」の乖離を認めています。
さらに引用すると、当該文書では、『齟齬』とまで彼は言っています。
なぜそのような乖離した条文が提出されたのか?。それは簡単です。
「報告書」から一義的に導き出される条文では、
国会を通らないおそれがあったからです。
そのように考えると
「報告書どおりの条文が国会に提出できなかったこと」
こそが立法趣旨でありましょう。
となると、新法の解釈は、
新法の条文の文言を法目的等に鑑みて解釈するしかないのです。
ですから、当該「報告書」の内容は、もはや新法の立法趣旨などと
よべるものではありません。
百歩譲って、街の解釈論の一つにすぎないのではないでしょうか。
やたら「改正の趣旨」だとか「新法の趣旨」といった言葉があちこちで登場しますが、
「改正の趣旨」とは何なのでしょうか。
「新法の趣旨」とは何なのでしょうか。
こういった言葉をよく使う人々が勝手に思いこんでいる内容に対して、
そのような言葉を使う人が多いのです。
国会を通過したのは「条文」なのであって、「報告書」ではないのであります。
そして国会議員は「条文」と「条文から導かれる解釈」に対して
賛成票を投じたのです。
いま、条文には「報告書」に反する解釈も生じている。
それも含めて国会議員は賛成したのです。
もしも条文と乖離した「報告書」が立法趣旨であり法的拘束力を持つとすると、
「国会は、国の唯一の立法機関である」とする
憲法41条に反するのではないでしょうか。
つまり、審議会が実質的に法を作ることになっていまいます。
法治国家である日本において、そんなバカなことはない。
いま、条文が「報告書」から乖離しているのは、みんなわかっているのです。
だからこそ、知的財産協会さんも一生懸命「フォーラム」を行ったり、
特許庁の「事例集」が登場しようとしているのではないでしょうか。
(無論いずれも法的拘束力はありませんが。)
上記の動きは、条文から「報告書」の内容が読めないからこそ、
後付けで一生懸命解釈論をつけようとしているのです
(無論いずれも法的拘束力はありませんが)。
「報告書」の内容を新法にしたかったのなら、簡単だったはずです。
がちがちに「報告書」の内容を条文化して、
他の解釈を生じないようにして、
それを国会に提出して通過させればよかった。
しかし、それはできなかったのです。
それをすると否決されるおそれがあった。
そうなると「できなかったこと」から解釈が生じるのです。
以上のことから勘案すると以下の結論が導かれます。
結論=@新法の条文と「報告書」はもはや乖離している。
A「報告書」はもはや新法の立法趣旨ではない。
B国会を通過したのは「条文」であり「報告書」ではない。
そして「報告書」は法的拘束力を持たない。
以上の点、言っておきたいと思います。念のため。ではでは。