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 - 一般誌掲載記事

【連載】
竹中平蔵 eベンチャーと語る - インターキュー社長 熊谷正寿

週刊ダイヤモンド2000年6月3日号に弊社代表熊谷の対談記事が掲載されました。

 


雑誌名: 週刊ダイアモンド
掲載日: 2000年6月3日号
ページ: P40〜42


【連載】竹中平蔵 eベンチャーと語る - インターキュー社長熊谷正寿

竹中
熊谷さんがインターネットビジネスに行き着くまでの経緯をうかがいたい。

熊谷
コンピューターとの出会いは一六年前、二○歳のときです。私は学生、社会人、夫、父親の四役をしてました。父親の会社に勤めていたのですが、丁稚奉公同然で生活は苦しかった。こづかい稼ぎのために株式投資をやり、株価分析のためにパソコンをはじめました。そのときパソコンのすごさに気づき、IT関連の事業をやりたいと思った。いまも新宿でパチンコ業、映画館、不動産業を営む父のキーワードは、「成長産業で人より先にやれ」。私は、この言葉を実践するつもりでパソコン関連会社に入り、すごい人たちにいっぱい出会った。ちょうどそのころインターネットを知り、ものすごいことが起きる予感がしました。昔からなにかで一番になりたいという夢をもっていたので、インターネットのプロは日本にはいない、これなら一番になれるのではと思った。

竹中
インターネットの接続会社(プロバイダー)を一九九五年に設立していますが、当時すでにインターネット・ビジネスはあったのではないですか。

熊谷
インターネット・ビジネスという概念はまだなかった。インターネットはなにかものすごいという認識は広がりつつありました。九五年、私がインターネットでなにをするか研究している段階でプロバイダーが三○社ぐらい。準備期間中にあっという間に増えて、私がスタートしたとき二○○社になっていました。

竹中
インターネットが現実に企業の生産性を高めたとか、経済成長を押し上げたというマクロ的検証が行なわれるようになったのは、米国でも九七年です。興味深いのは、米国の株価は九六年の終わりは六○○○ドル台。九七年に七○○○ドルをつけ、その後二年間で一気に一万二○○○ドルを目ざしていきました。まだ先行き不透明な九五年時点で、インターネット・ビジネスで成功できると考えられたのは、なにか戦略を秘めておられたのですか。

人のやらない所に活路あり

熊谷
株式投資の為に、新聞や雑誌を大量に読んでいたのですが、そのとき、「人の行く裏に道あり花の山」という株の格言を知り、人と同じことをやらないというのが、私のキーワードになっていました。インターネットは、電気、ガス、水道と同じくらい一般に広がるという予感がありました。しかし、当時、プロバイダーの利用料は高く、しかもメンバーになることを強要していました。だがインターネットの最大の特色はオープンさにある。メンバーにならなくても、だれでも、いつでも、どこでも使えるという非会員制の接続サービスをやったら受けるのではないかと思った。これは世界ではじめての発想で、第一の差別化になりました。もう一つ、米国でもインターネットは一部の限られたコンピューターマニアのためのインフラだったこともあって、それ自体ビジネス化しようという発想はあまりなかった。しかし、私は必ずもっと商業化されて一般的なものになっていくだろうと思った。既存の商売の手法を組み合わせれば勝てるのではと考え、フランチャイズ・システムを導入しました。これも世界で初めてでした。プロバイダー事業に二つの世界初の発想を取り入れて、最初の立ち上げ競争で一歩先んじることができた。

竹中
数あるインターネット関連事業のなかで、プロバイダー事業をはじめたのはどういう理由からですか。

熊谷
事業開始前にインターネット産業必勝法四ヵ条を考えたんです。一つめは、インターネットをつくりあげて提案する会社をやる。競争は起きるが儲かる。インターネットを利用するサービス会社は儲からない。別の言い方をすると、インターネット産業は三層に分かれると思っていました。インフラ系、各種サービスや広告を情報提供するコンテンツ系、ウェブショップという意味でのeコマース。私はその下の部分、インフラ系からやっていこうと思いました。これが二つめ。三つめは、課金のシステムは、三種類あって、直接課金と手数料課金と広告課金ですが、直接課金か手数料に特化したいと考えました。四つめは、メンバー型のビジネスと非メンバー型のビジネスに分けられますが、最初は非メンバー、最終的にはメンバー型のビジネスで収益を積み上げようと思った。この四つのべースに流れているのは、インターネットの場の提供に特化したいという考えです。プロバイダー事業は、競争が激しくても知恵をもってすれば勝ち残れると考えました。

当面はサ‐ビス・広告のインフラに特化

竹中
インフラ型のサービスを狙ったわけですか。それは川上から開始して、いずれ川下まで下るという考えなのですか。それとも大きな川上産業になろうという考えなのですか。

熊谷
川上のみに特化して、川下の方たちが広がるお手伝いをしようという考えです。インターネットは、四つの波があると考えています。一番めはインフラの波、二番めがサービス・広告の波。三番が、B to C(企業対個人)で、最終的にはB to B(企業対企業)です。私はB to CとB to Bには参入しないつもりです。二つの波、インフラの波とサービス・広告の波。この二つの波でお手伝いするというのが私の考えです。

竹中
一見すると未成熟で、ポテンシヤルの高いマーケットは、川下に行けば行くほど広がっていく。たとえば、いま日本の広告費は六兆円使われていますが、インターネット広告は、まだ一%弱しか使われていない。知恵の出し方によってすごいマーケットになる可能性があります。そのさらに川下にあるB to CやB to Bはもっと大きなマーケットとなる気がしますが、あえて参入しないのはどうしてですか。

熊谷
B to CやB to Bは、勝った人はたいへんな利益がでますが、勝つ確率が通常より低いと思う。たとえばB to Cやの代表例はアマゾン・ドット・コムだと思いますが、アマゾンとバーンズ&ノーブルのどちらで買っても本は本。その結果、際限ない価格競争に陥ります。二〜三年前、経営学者がインターネットは中問流通を排除してたいへん利益が上がるといいましたが、現実には、集客コストとかマーケティングーコストが通常のビジネスよりかさみ、コストが低下したわけではない。だから際限ない価格競争をしていると利が簿くなる。最近米国では、B to Cの株が暴落しています。

竹中
そうでしょうか。アマゾンの場合は、一種の規模の利益が出た。規模の利益が出せるので、本を安く仕入れて、安く売れる。安く売ることによって実体的な需要が拡大するという効果がありました。日本の場合は、再販価格があるので安く売れない。視制緩和されると変わります。逆にそうなっていかなければいけない。そうなれば川下のマーケットが変わるのではないかという期待があります。しかし、熊谷さんは、当面はインフラ的なことに特化するという考えですか。

熊谷
そのとおりです。BtoCの世界では、従来型の販売網を持つ業者とeビジネスをやつている人は一長一短である。たとえば商品の仕入れは、単純に量を仕入れれば安いかというと、人間関係などもあり、単純には割り切れない。古くから取引している信用などが生きてくるケースもあり、新参のeビジネス業者が強くないケースもある。BtoCは複雑な商習慣が絡みあって勝つのはむずかしい。10年、20年のスパンではeビジネスに特化した会社のほうが勝つ可能性は高いと思いますが、まだ混沌とした時期にベンチャ−が勝ち残るのはむずかしい。だからまだ参入しないという考えです。一方インフラとかサービス・広告の提供部分は、そうした複雑な競合要因がありません。NTTにしてもわれわれと同じ設備を置いて線を結んでいますし、プロバイダー事業に参入するのも初めてです。聞う土俵条件はベンチャーと同じですから、われわれでも勝てます。

資全調達のむずかしさが企業を育てる

竹中
次の段階として、ビジネスをどう展開していくのか。事業内容、資金調達、将来の夢などを教えてください。

熊谷
インターネットの場の提供でシェア・ナンバーワン、もしくはオンリーワンのサービスを提供できる会社になるという夢はずっと追い続けていきます。そこにこそ宝の山があると信じています。経済、株式市場の状況、インターネット・ベンチヤーの状況などを見ていると、いまは人の逆をやったほうがいい。当分新しいことをやらずに足下を固めることが大事だと思います。現在の事業、サービスのあり方、組織体制に改善の余地は無数にあるはずです。いまここで広げすぎると、リスクを伴う。利益を出すために、きちんといまの事業を見直していこうと考えています。

竹中
企業を立ち上げてから今日に至るまで、日本社会の仕組みが障害になったことはありましたか。

熊谷
いまの日本のシステムを前提条件にいかに勝つかを考えているので、あまり不満はない。与えられた範囲で精一杯やる。一つだけ法人税が高すぎるとは感じます。

竹中
日本の法人税の実効税率は、米国と同じくらい下がりました。実効税率が国と地方を合わせると41%でだいたい米国と同じ。英国が31%。フランス33.3%ぐらいですから、ヨーロッパに比べるとま だ高いけど国税としての法人税は、先進国のなかでは最低レベルまできた。ところが事業税など地方税が高い。これをヨーロッパなみに下げることが重要です。 日本の間接金融偏重ではリスクマネーが供給できない。公開登録までの時間がかかりすぎることについてはどう恩われま すか。

能谷
資金調達はたいへんむずかしかった。インターネットそのものが埋解されず、金融機関で借入れがで きない時期もあった。いまは、プロバイダー事業と広告メディア事業の二つですが、当時はプロバイダー事業だけでした。メディアで「プロバイダーは儲からない事業だ」と報道されると、金融機関はその報道を見て貸さなくなり、事業の展開に影響したこともあった。審査にかかる時間も膨大です。厚い資料を持って何度も銀行に日参しなければならない。資料づくりも社内に何人か死人がでそうなくらいたいへんな作業でした。未公開のときは間接金融で苦しみ、公開峙には審査で苦しみ、公開後は資金調達が容易かというと、先日もセカンド・ファイナンスを海外公募で70億円集めようとして、株価が下落して途中で中止にしてしまった。

竹中
こういうシステムは改められるべきなのか。それとも必要なコストだと思われますか。

熊谷
私は必要だと思います。簡単でなければ資金を集められない人は、事業を成功させることはできないのではないか。この難関を越えられる知恵と努力、不眠不休の持久力、持続力があってはじめて事業もなしえると思います。昨今の米国のナスダックやシリコンバレーの状況を見て、日本が間違っているという議論は違うと思います。