男は娘には自分という人間を委ねられっこないと高をくくっていたのでしょう。それは経験からくる臆病さからかもしれません。だって妻ですら愛していても（←これは私なりに妻の死の意味を考えた末の結論ですが）一緒に暮らせなくて出て行ってしまったのですから。だから匿名プレイは男にとっては予防線でもあったと思うのです。でもあの瞬間男は「もしかしたら」と一縷の期待を抱きます。私には愛と理解を渇望する人間の理性が堰を切ったようにも見えました。あんな大きな大人だって誰かにすがりたい時がある。でも遅かった。匿名性のガードが外れかけた時点で女にはにわかに現実味を帯びた男の本気はただ圧し掛かる気狂いじみた恐怖でしかない。これは冷静に男を見始めた女の中で「センセーショナルな部分」がプラスからマイナスに転じた結果です。タンゴを踊っている様子を思い浮べてみて下さい。ターン（反転）の繰り返し、情熱の交わりとすれ違い。

男は「古めかしい。」と女の家を見回して言います。居場所を見つけられない男の現世での絶望の深さを見た気がします。私、最期に執着を演じたこの中年男の存在があんまりにも寂しくて観終わった後しばらくぽつねんと座ったままでした。ベランダの手すりにくっつけたガムの衝撃はそれほどすごかった。