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サクリファイス

これは遺作ではない

実は『サクリファイス』(1986)の草案は前作『ノスタルジア』(1983)の前、タルコフスキーがまだソ連にいた時期に書かれています。それは「犠牲」と「魔女」という二つのものでしたが、実際のシナリオにはその二つの原案に「白痴」(ドストエフスキー原作の小説で長年タルコフスキーが映画化したかった)が加味されているように思われます。そのためか、正直『サクリファイス』にはある種の散漫さが窺われます。核戦争に魔女がでてきてムイシュキンが日本の木を植えていたりするわけですから。

しかし、そのような普通ならバラバラになるテーマを、タルコフスキーは映画としては見事なまでに統一させました。映画の中の出来事は全て一つの場所で起こり、それはたった一日のことなのです。見る???によって様々な解釈があると思いますが、核戦争勃発も主人公の幻想かもしれませんし、魔女との関係も夢の中のことかもしれません。時間の流れ方は奇妙に歪み、どこに現実があるのかを見定めることは困難です。それがまた異常なまでに美しい北欧の景色のもとで展開されるので、人は眩暈にも似た不可解な観念の渦に巻き込まれていきます。

ただ『サクリファイス』には『ノスタルジア』や『鏡』のような「詩」が存在しません。タルコフスキーは「詩」すらも犠牲として「神」に捧げてしまったかのようです。もちろん『サクリファイス』の信仰表現は単純なものではありませんが(キリスト教でもかなり異端的でしょう)、次回作に「聖アントニウスの誘惑」を挙げていることからも、タルコフスキーはどうも芸術創造!という行為自体に疑念を抱き始めていたようです。
晩年のインタビューでは、『ノスタルジア』と『サクリファイス』のどちらがより気に入っていますかと質問されて、タルコフスキーはこう答えています。

「現代人への洞察という点では『サクリファイス』は今までの私の作品の中で最高だと思いますが、詩作品、純粋なポエジーとしては『ノスタルジア』の方が『サクリファイス』より優れていると思います」。



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