#1 ドイツ歩兵中隊の編制
中隊本部
第1小隊
小隊本部
第1分隊
第2分隊
第3分隊
第4分隊
軽迫撃砲班
第2小隊
第3小隊
対戦車銃分隊
補給段列
糧食段列I
糧食段列II
大行李段列
ドイツ歩兵中隊の編制について、もっともよくまとまった本は、Buchner[1991]であろう。Buchnerは、1940年4月15日現在の第9歩兵師団の編制を例にとって、微に入り細に入り歩兵部隊の内容を明らかにしている。
U.S.War Dept.[1990]は1944年当時のアメリカ軍の情報将校のためのハンドブックで、最近大日本絵画から翻訳が出版された「日本陸軍便覧」のドイツ軍版である。非常に包括的で精細な内容を持つが、主に1944年頃の状況について述べているし、数字のまとめ方が独特で、編制図を作成するために基礎的な情報が欠けている場合がある。
Gajkowski[1995]は主にドイツ軍の歩兵分隊レベルの戦術と訓練について述べた私家本だが、主に1943年以降について、いくつかの代表的な歩兵中隊のバリエーションの構造を付録として載せている。この付録だけで、本1冊分の値打ちは優にある。
段列の内容については、Frank[1994]が得難い資料である。ドイツ軍の補給関係で、この本以外では見られない情報は数多い。
この文章ではこれらの資料に加えて、Dr. Leo Nieholsterのサイトから得られた情報を比較しながら、歩兵中隊の編制について述べて行く。(参考文献の書誌情報はこのページの末尾にある)
中隊本部(班)
中隊長(大尉または中尉、やむを得ない時は少尉)
本部班長(技術軍曹)*注1
伝令兵 4名
自転車に乗った伝令兵 2名
従卒(自転車) 1名
医官(下士官、自転車) 1名
衛生兵 1名
この医官は医師ではない。手当てを要する負傷者が出ると、大隊本部にいる医師のもとへ負傷者を運ばねばならない。それに必要な限りでの応急処置は施すけれども、怪我人を治すのでなく運ぶのが主な仕事であった。(Buchner)
このころの歩兵中隊には無線や電話を扱う部隊はいないので、もし必要があれば大隊本部などから融通してもらわねばならない。少なくとも1944年にはこれは改められ、無線機を背負った3名の通信兵が随行するようになった。(Gajkowski)
Buchnerによると、後に伝令兵のうち1人には狙撃銃が支給されるようになった。大戦も末期を迎えた1944年11月以降、国民擲弾兵師団の擲弾兵中隊などでは、この中隊本部直属の狙撃兵が4名ないし6名に増強された。(Gajkowski)
第1小隊
小隊本部(班)
小隊長(少尉、第2・第3小隊は一等軍曹か技術軍曹)
小隊本部班長(三等軍曹)
伝令兵3名
衛生兵1名
御者1〜2名、馬車1〜2両、馬車あたり馬2頭
この馬車は武器・弾薬の他、修理や陣地構築のための工具を載せるために使われる。戦闘が近いときは後退して、中隊の補給段列と行動を共にした(Buchner)。携帯食糧1食分も積み荷に含まれていた可能性がある。
第1分隊
分隊長(下士官、やむを得ない時は上級伍長または伍長)
軽機関銃チーム 3名(2名はピストル、1名は小銃を持つ)
小銃手 6名(副分隊長を含む)
分隊長は開戦時にはまだ小銃を装備しており、1941年以降短機関銃を持つようになった(Buchner)。Gajkowski[1995]所収の1944年の歩兵分隊の編成表では、分隊あたりの短機関銃が2丁に増えているので、おそらく副分隊長も短機関銃を持つようになったと思われる。
いつからかは不明だが、少なくとも1944年には、3人目の機関銃手(弾薬箱を持つ役)は廃止されて、分隊の人数は9名になった。大戦末期には、さらに人数は8名になっている(Gajkowski)。逆に、開戦時には分隊長も含めて13名であった。
小銃と短機関銃の比率は、山岳兵、戦車擲弾兵、猟兵などの細かい種別によってそれぞれの変遷があるようである。これについてはいずれまた、それぞれの項目を立てて取り上げたい。
第2分隊
第3分隊
第4分隊
開戦当時、歩兵小隊には3個分隊しかなかった。1940年春に4個分隊に変更され、1943年10月に大規模な改変が行われてまた3個に戻った(U.S.War Dept.)。上記のように、それに伴って分隊の人数は増えたり減ったりしている。また、改編はその機会を得た部隊から順に行われたし、何種類もの編成表が同時に有効とされることもごく普通であった(例えば開戦時の国防軍歩兵師団だけで4種類あった)ので、標準的な歩兵部隊をイメージすることは戦車部隊以上に困難である。
軽迫撃砲班
50ミリ迫撃砲班員 3名
この兵器は大戦初期の代表的な支援兵器で、開戦時に最も装備の良かった師団(第1波)は小隊に3門持っていたが、最も装備の悪い歩兵師団(第4波)はまったく持っていなかった(Dr.Leo.Nieholsterのサイトに掲げられた開戦時編成表による)。結局大戦後半になると、この兵器は威力不足ということで装備から外されて行く。
第2小隊
第3小隊
対戦車銃分隊
対戦車銃分隊長(下士官、自転車)
対戦車銃班 2人×3チーム(対戦車銃計3丁)
対戦車銃の生産が1942年に激減していることから判断すると、対戦車銃分隊はおそらく1941年末か1942年初めに廃止されたと思われる。1943年から1944年にかけて、いろいろなタイプの歩兵において相次いで、パンツァーシュレックを持った対戦車分隊が中隊に配属された(Gajkowski)。こうした対戦車分隊や対戦車班は、他の歩兵より余計にパンツァーファウストを持っていたであろうが、パンツァーファウストを扱う専門の部隊と言うのはなかったようである。
その中間の時期(ただし1943年以降)に、小銃擲弾の専用発射機であるGranatbuckse39が対戦車銃の後継として配備されたと思われる。この兵器は小銃以上に重いので、この兵器を持つと小銃が持てず、専従班でないと扱えないと思われるからである。この点については、1943年前半の編制が不明なので確認できない。
同じ小銃擲弾を打ち出すための、小銃の先端につけるアタッチメントは、各分隊に1個の割で支給されていた(Buchner)。専用発射機を使わない場合、反動を吸収しきれず射程が短くなったり、狙いがずれたりする欠点があった。
補給段列
中隊先任曹長(自転車)
段列指揮官
武器・装備担当下士官
1頭立て馬車または2頭立て馬車3台、御者各1名
4頭立て馬車1台、御者2名
4頭立て烹炊馬車1台、御者2名、炊事兵2名、炊事兵助手2名
行軍中は、この段列は大隊レベルでまとまって行動する
この段列が運ぶものは、比較的戦闘に直結した物資である。武器・弾薬・工具といったものが主な中身だが、予備部品や医療器材と言った、中隊本部レベルで使う器材・部品もここにあったであろう(Buchner) 。U.S.War Dept.(p300)によると、烹炊馬車と共に携帯食糧1食分、食事材料1食分が運ばれていたとあるから、これらの食糧・食材もこれらの馬車で運ばれていたと思われる。同書によると、補給段列にもう1食の携帯食糧があったというから、もし小隊の馬車が携帯食糧をまったく運んでいなかったとすれば、さらに1食分がこの馬車に積まれていたことになる。しかしCondellら[2001](書誌情報は「悲しいマラソンランナー」参照)は、兵士たちが携帯するHalf Iron Portion(肉の缶詰などが省略されている)と烹炊馬車が持つIron Portionが各1食、合わせて2食と記述しており(p.250)、こちらが正しいのではないかと思われる。上に書いたように食事材料と合わせると、烹炊馬車はやはり食料2食分を持っていることになる。
個人用の荷物は、質の良い機材で比較的容易な行軍路を取っているような、輸送力に余裕のあるときはいくらか持ってもらえるが、基本的にこのレベルではあまり預かってもらえない(Frank)。
中隊先任曹長は、中隊長が戦闘指揮に専念できるよう、後方におけるあらゆる問題を可能な限り処理する。小隊長が欠けたときは、臨時に小隊の指揮を執ることもある(Buchner)。
烹炊馬車は田宮模型がキットを発売してすっかり有名になったが、150リットルの大釜を装備していて、戦場では将校も兵も一つ釜の食事を取る。
糧食段列I
下士官(自転車)1名
兵1名
2頭立て馬車1台、御者1名
行軍中は、この段列は大隊レベルでまとまって行動する。食材1食分を積んでいる。
糧食段列II
下士官1名
兵1名(オートバイ)
3トントラック1台、運転手1名、助手1名
行軍中は、この段列は連隊レベルでまとまって行動する。食材1食分を積んでいる。
Condellら[2001](書誌情報は「悲しいマラソンランナー」参照)によると、師団の補給所まで糧食を取りに行くのは糧食段列IIの役目であり、糧食段列Iは馬匹編成、糧食段列IIは車両編成とするのが原則である。機械化部隊の場合はすべて車両編成となるので、糧食段列はIとIIに分かれない。(pp.245-246)もっとも独立突撃砲中隊の編成定数表に糧食段列IとIIが別々に書かれているのは見たことがある。
大行李段列
主計下士官(段列指揮官)1名
助手1名
理容師1名
靴修繕師1名
馬具師1名
兵(サイドカー)1名
3トントラック2台、運転手2名
書類・予備衣類・工具担当助手1名
兵士個人用品(衣類と雑嚢)担当助手1名
行軍中は、この段列は連隊レベルでまとまって行動する。
Frank(p.20)によると、行軍中の兵士の個人用品のうち75%はこの段列が運んでいた(残りは自分で背負うことになる)。この中には毛布やコートが含まれていたから、天候や周囲の状況によっては、兵士たちはひどく困ったことになった。
注1 ドイツ軍はアメリカ軍と同様に、軍曹を4つのランクに細分化している。上から2番目のランクは、アメリカ軍ではTechnical Sergeantと呼ばれるので、模型の解説書などではこれに当たるドイツの階級、Feldwebelを技術軍曹と訳している場合がある。この文章ではこの訳語に従うことにする。従って、ドイツ陸軍の下士官は階級の高い方から順に、曹長、一等軍曹、技術軍曹、二等軍曹、三等軍曹となる。その下の階級である伍長は、日本陸軍では下士官だが、ドイツ軍では兵として扱われる。
参考文献
Buchner A.[1991]'The German Infantry Handbook',Schiffer,ISBN 0-88740-284-4
Frank R.[1994]'Trucks of the Wehrmacht',Schiffer,ISBN 0-88740-686-6
Gajkowski M.[1995]'German Squad Tactics in WWII',no ISBN (Desktop Publishing from G.F.Nafziger)
U.S.War Department[1990]'Handbook on German Military Forces',Louisiana State Univ. Press(Paperback 1995),ISBN 0-8071-2011-1