第1篇 ドイツ陸戦兵器の生産

 この記事の内容は基本的に書評であるが、特定の本ではなくトピックスを軸として編集し、一度に複数の書籍を紹介する方針である。とはいえ、第1回の題材としては、類例を見ないご自慢の「この一冊」から始めるべきであろう。
 この本は池袋の西山洋書でたまたま見つけたのだが、なにしろドイツ語なので意味は良く分からないものの、数表をいくつかたどるうち私は精神的に髪の毛を逆立てた。この本を読んでいるかどうかで、戦時経済上の考証は1レベル違ってくるではないか。もう税抜9750円だろうとなんだろうとレジに持っていくしかない。あとで辞書を片手に読んでみると、果たせるかな凄い情報の塊であった。

'Waffen und Geheimwaffen des Deutschen Heeres 1933-1945'
Fritz Hahn
Bernard & Graefe Verlag(Bonn)
ISBN 3-7637-5915-8
[1998年に再版がかかった!手に入れるなら今だ!]
注:上記ISBNは、2巻本として一旦刊行されたあと発行された合本版のもの。書店で2巻本の片割れが売られているのを見たことがある。

 この本は、ドイツ陸軍のほとんどすべての兵器とその弾薬について、年次別生産量と簡単な諸元を示したものである。

 上の2行の凄みがお分かり頂けようか。「ほとんどすべての兵器」には、例えば次のものが含まれる。
 小銃、機関銃、手榴弾(棒型、卵型、煙幕弾)、各形式の榴弾砲、対戦車砲、地雷、列車砲、牽引車(1t、3t・・・18t)、RSO、ケッテンクラッド・・・
 尋常の細かさではない。戦車と自走砲については、「ジャーマンタンクス」(ピーター・チェンバレン&ヒラリー・L・ドイル、大日本絵画)が同種の情報を提供してくれるものの、ほとんどの兵器についてこうした数字を知ることは望むべくもなく、ましてや弾薬の生産量など分かるはずがなかった。ドイツ語ではあるが、ここぞという箇所を解読するとどんどん新情報がわいて出る。
 本文をよく見ると、主要な兵器には軍への納入価格が書いてある。これは兵器の相対的な価値を知る上で重要極まりない情報である。
 内容をご紹介したいのだが、何から書いたらいいのか迷ってしまう。私が従来読んできた本にまったく書かれていなかったことや、認識を改めた点を気がつくままに列挙することにしよう。

 MG42が登場して、MG34は生産中止になったようになんとなく思っていたが、そうではない。1942年以降、ドイツは多少MG34の生産を減らしたものの、終戦に至るまでそれを完全に止めることはしなかった。例えば1944年にMG42は21万丁余り、MG34は6万丁余り作られている。

 ドイツは野砲や重砲の生産を大戦中ほとんど伸ばしていない。1943年以降、105ミリ、150ミリの榴弾砲を集中的に伸ばしている。1942年にそれぞれ1249門、636門であった生産数は、1944年にはそれぞれ9033門、3019門に伸びている。これはおそらく、榴弾砲の単価が比較的低い(生産性が高い)ため、重点的に増産された結果と思われる。各種の砲の納入価格を比べると以下の通り。(単位ライヒスマルク)
 75ミリ対戦車砲     12000
 88ミリ対空砲      33600
 105ミリ榴弾砲      16400
 150ミリ榴弾砲      40000
 150ミリ歩兵砲      20450
 170ミリ重砲      124000
 (参考)IV号戦車F2型  115962
 砲身の短い榴弾砲、それよりさらに短い歩兵砲は、口径の割にきわだって安いことが分かる。

 対戦車ライフルの生産は1941年がピークである。1944年になると、パンツァーファウストの配備が本格化する。ではその中間の1942年から1943年にかけて、ドイツ歩兵たちは対戦車兵器として何をあてがわれていたのか?
 ドイツ軍の小火器特集などでちょっと紹介されることがある、と言う程度の兵器で、Granatbuckse39(擲弾発射機39)というのがある。
 小銃の先にアダプターを付けて流線形の弾を差し込み、空砲を撃って人間では投げられない遠くに飛ばす、という発想の兵器は、世界各国で使われている。ドイツは成形炸薬弾を最初にこのタイプの兵器として実用化したことは、ご存知の方も多いであろう。
 ところがこの対戦車弾は少々大きいので、あまり遠くへ飛んでくれない。遠くへ飛ばそうとすると、小銃を支える人間への反動が強すぎて狙いが定まらない。そこで開発されたのが、反動を支えるため軽機関銃のような二脚架を備えた専用の発射機、Granatbuckse39である。弾丸を差し込む部分をコップのような構造にして空砲のエネルギーが漏れにくいようにしたので、射程は伸びた。
 この兵器は1942年に登場し、1943年には26607丁が生産されている。1941年に生産された対戦車ライフルは29587丁だから、対戦車ライフル並みにかなり普及したと思われる。この対戦車弾はカタログ上は70ミリの装甲を貫通する(もちろん垂直に当たったとしてであろう)ことになっていたが、実際の威力は不安定で、頼りにならない兵器であったと思われる。この弾丸(もちろん従来型のアダプターで発射された分もある)の生産量は、対戦車弾だけでもピークの1944年には1000万発を超えた。
 1942年がやはり空白だが、模型ファンに良く知られている37ミリ対戦車砲用の巨大な成形炸薬弾は、ほとんどが1942年に生産されている。似たような砲弾は50ミリ対戦車砲にも用意されていた。

 ドイツはタングステン鉱石の供給が細ったため、タングステン鋼芯弾(Pzgr 40)の生産を抑制したことは良く知られている。ただそれは1942年以降の話で、1941年にはけっこう多くのPzgr 40が生産されている。特に威力不足が表面化した37ミリ対戦車砲の場合、1941年には通常の徹甲弾と榴弾が合わせて105万発、これに対しPzgr 40は88万発生産されている。
 有名な28/20ミリ・ゲルリヒ口径漸減砲の対戦車砲弾も大半が1941年に生産されている。どういうわけか砲本体の生産は(どっちにしても累計3000門に達しないのだが)1942年から1943年がピークである。この砲も威力不足で1942年にはあまり頼れない兵器になっていたはずだが、歩兵支援用にまだ使われたのだろうか。意外なことに、この砲のための榴弾というのもあって、50万発余りという結構な生産数に上り、大半が1942年以降に作られている。

 こんな具合である。数字というものの説得力を思い知らされる一冊である。


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