狐の住む岸辺
                  マイソフ

 第1部 大君主

 第1章 ユタ・ビーチ

「ノルマンディの話を聞きたいのだったら、まずノルマンディについて知っている
ことを話してごらん。」教授は、女子学生を促した。
「それで私の話はずいぶん短くなるし、きみも本当に聞きたいことを質問する時間
が取れる。」
 学生は一生懸命予習してきたことを、すこしずつ思い出しながら話した。
「はい。連合軍は5つの上陸地点に分かれて、フランス北部のドイツ軍に攻め掛か
りました。西から順に、ユタ、オマハ、ゴールド、ジュノー、ソードです。」
「5つの地点の幅はどのくらいだね」口ごもる学生。教授は知らなくてさも当然、
と自分で質問を流してしまう。「70キロほどだね。では空挺降下について話してご
らん」
「両端のユタ・ビーチとソード・ビーチの内陸部に、あわせて3個師団が降下しま
した。5つの上陸地点には初日に合わせて6個師団が上陸しています」答えられる
質問で学生はほっとしている。「空挺師団の役目は、上陸部隊が十分な広さの地域
を占領するまで、ドイツ軍の反撃を遅らせることです」

「では、連合軍はなぜそれだけ広い幅に散らばったのかな」「えーと、それは、ド
イツ軍に一気に打撃を与えるためで・・・」教授は、座り直した。「君は、ノルマ
ンディの地図を見たことがないね」「えーと、あのー、はい」「70キロのどこにで
も砂浜があるわけではないんだよ。人にとっては岸壁をよじ登ることは不可能では
ないが、補給トラックも戦車も通れないのでは上陸は無意味だ」「はい」「車の上
がれる砂浜を5個師団分切れ切れに探したら、70キロに広がってしまったと言うわ
けだ。その幅の中で、上陸できる砂浜はほとんど全部使われているのだよ。ユタ・
ビーチについて、どんなことを知っているかな」

「はい。ユタ・ビーチはコタンタン半島の付け根の東側です。ここを担当したのは
アメリカ第4歩兵師団、そして内陸に降下したのはアメリカ第82と第101空挺師団で
す。ドイツ軍は海岸に第709歩兵師団、半島の真ん中に第91歩兵師団、半島の付け根
に第12SS戦車師団がいました」「直前になって、ドイツの防衛が強化されたはずだ
ね」「第12SS戦車師団は、上陸の前の月に半島の付根のカランタン市に移ってきま
した」「よろしい。私の話は短く済みそうだ。ここに上陸した連合軍の狙いは何だっ
た」「コタンタン半島の先にあるシェルブールの港湾施設です」学生の返答は今ま
でで一番速い。


 6月6日 アンフレヴィル村(ユタ・ビーチ内陸) 午前1時

 コンラッド中尉は、この日降下したアメリカ第82空挺師団の兵士の中では、かな
りの幸運に恵まれた。彼の降下した場所は湿地でもなければ、ドイツ軍部隊の頭上
でもなかったのである。しかし降下予定地点に仲間と共に降ろしてくれるほど、幸
運は大きくなかった。

 次第に目が慣れてくると、すぐ近くに湿地帯が迫っているのが分かった。腕時計
と月の方向から方角を確かめたコンラッドは、心の中で肩をすくめた。メルデレ川
の東側に降下するはずが、西側に降りてしまったらしい。この近くにも降下予定地
点はあったはずだ。耳をすますと、味方の合図に取り決めたクリック音がかすかに
響いてくる。ひとり、またひとり、味方が増え始めた。困ったことに、みんな東岸
に降りるべき連中であった。

 「中尉どの!」押し殺した声が注意を引く。川の両側に広がる沼地の中に、見慣
れたシルエットが浮かび上がっていた。空挺部隊用の軽量砲である。砲身だけを上
向きに突き出して、防盾のほとんどと脚の全部を泥の中に隠している。目が慣れて
くると、川に沈みかかったグライダーの輪郭が見えるようになってきた。

 これが平均的な状況だとすると、今日はとても長い日になりそうであった。


 6月6日 ロシュ・ド・ギヨン(ドイツB軍集団司令部) 午前1時30分

 B軍集団司令官・ロンメル元帥は、ほとんど表情を変えずに北フランスの作戦地
図を眺めていた。参謀長・シュパイデル中将も平静で、内心のいらだちはあったと
しても外見からは伺い知れない。空挺降下の情報を示すありあわせのピンが針山の
ように北フランス全域に広がっている。

 ロンメルのB軍集団は、北フランスとベルギーを担当区域として、フランス・ベ
ネルクス全域を統べる西方軍の指揮下にある。西方軍は陸軍総司令部(OKH)を
素通りして、国防軍総司令部(OKW)の直接指揮下にある。OKWの司令官はヒ
トラーであるから、ロンメルとヒトラーの間に挟まっているのは、西方軍司令官の
ルントシュテット元帥ひとりに過ぎない。組織図の上ではそうであった。

「警報を出そう」ロンメルは短く結論を出した。「上陸と空挺降下に対し注意を促
せ」シュパイデルは短く聞き返す。「移動命令は出しますか」「いや」まだ上陸と
決まったわけではない、というのがロンメルの判断であった。「我々に出来ること
は、警報程度だな」

 シュパイデルはそそくさと警報の手続きに入る。シュパイデルはロンメルが自ら
スカウトした人物で、哲学博士という軍人には珍しい称号を持っていた。ロンメル
とは対照的に、いろいろな司令部の参謀としての勤務が長く、非常に整理された頭
脳の持ち主である。ロンメルも歩兵戦術の著書があるほどでデスクワークで無能な
わけではないが、要点を見抜く能力のある人物は、往々にして抑揚のないルーチン
ワークでの消耗が激しい。逆にロンメルは、参謀長に臨機応変の才をあまり要求し
なかった。それこそがロンメルが有り余るほど持っている資質だからである。

 あとは現場の判断に任せるしかない。野戦将軍の感覚が抜けないロンメルには、
それが悲しかった。


 6月6日 カランタン市 午前1時50分

「B軍集団から警報が出た。北フランス各地に空挺降下があった」SS第12戦車師
団長・ヴィット准将は、戦車連隊長マイヤー准将に短く告げた。すでに師団司令部
には、海岸近く、サン・マリー・デュ・モン村の丘に進出していた偵察大隊から生
の警報が届いていて、15分ほど前から主だった将校は司令部に集まっていた。「命
令は?」「まだない」「上陸はないのか」「シュパイデルは何も言わなかった」上
陸は夜明け前後に行われるのであろう。上陸側が日中をフルに使って広い地域を確
保しようとするのは常識的な行動であった。

 マイヤーは短く言った。「海岸への道路は、直ちに確保する必要がある。空挺部
隊が再集結する前に」「そうだな。全師団、出動準備」ヴィットも短く応じた。周
囲が急に慌ただしくなった。カランタンの町全体が戦車とハーフトラックのエンジ
ン音で満たされようとしていた。


 6月6日 サン・メール・エグリーズ 午前2時

 断続的に機銃音が轟く。明かりを背にして立っている者は、敵からも味方からも
狙われた。月明かりに浮かび上がるパラシュートはどれも、降下するまでに無数の
裂け目をつくった。第82空挺師団の一部が、ドイツ第91歩兵師団のある連隊の駐屯
する村の真上に降下してしまったのである。シャツのままモーゼル銃を構える兵士
がそこかしこに見られた。

 アメリカ第82空挺師団はこの日、徹底的な不運に見舞われていた。降下地点がず
れた上に兵士の散開も予想を越え、しかも最悪なことにせっかくグライダーで運ん
だ軽砲はほとんどメルデレ川周辺の湿地帯に吸い込まれてしまった。

 コンラッド中尉はしこたまサブマシンガンの弾薬を抱えて降下したのだが、あら
かた弾薬を使ってしまって、戦死者から分捕ったライフルで戦っていた。正面から
の射ち合いになると、軽装備でばらばらに降下した側は分が悪い。

 この街は小さいが再重要目標の一つであった。カランタンからシェルブールへ
伸びるN13道路はこの小さな街を通っているし、コタンタン半島を横断する2本の
主要な道路のうち1本がここから分岐している。

 8発入りのクリップがまたライフルから飛び出してきた。弾を詰め直すコンラッ
ド。ドイツの機関銃は鋸を引くような、やたら甲高い音を立てる。ドイツの戦力は
正確には分からないが、間に合わせの小集団を組んで戦っている連合軍の不利は明
らかであった。このまま全部隊がこの街に吸い込まれて全滅するのではないか。海
岸へ向けて血路を開くべき頃合を、すべての将校は心の内で測っていた。


 6月6日 サン・マリー・デュ・モン 午前2時30分

 シュトライト軍曹は、狭苦しい重装甲車のバイザーから、連合軍の降下兵を探し
て目を凝らしていた。ひっきりなしに車載機関銃が発射音を立てる。砲塔には天井
はなく、金網を張った簡単な金属枠が手榴弾から乗員を守っている。

 ユタ・ビーチの内陸部分は、メルデレ川の河原へとつながる湿地帯である。ドイ
ツ軍が連合軍に備えてわざと水をあふれさせていたこともあって、ほとんど沼地の
様相を呈していた。野宿に慣れた兵士たちも、沼地では横になることもままならな
い。こうした地形では、わずかな高台や村を先に占拠することが、重大な時間稼ぎ
となって響いてくる。

 第82空挺師団より南方に降下した第101空挺師団は、ユタ・ビーチからまっすぐ
カランタンに続く道路を確保しようと奮闘していたが、サン・マリー・デュ・モン
の小高い丘に陣取っていた第12SS戦車師団の偵察大隊のせいで、上陸部隊のため
に道を作れずにいた。

 偵察部隊と言うと忍者部隊のように聞こえるが、ここでいう偵察とは威力偵察、
つまり「試しに射たれてみる」任務のことであった。ちょっとした、しかし相手と
しては無視できない戦力でぶつかって出方を見るのである。したがって、偵察大隊
は、基本的には自動車の多い歩兵部隊であった。その応援のために、小さな大砲や
機関銃を備えた車輪式の装甲車がすこし配属されている。シュトライトの車両もそ
う言った装甲車だった。

 装甲車を盾にして、偵察大隊の歩兵が暗闇へ向けて盛んに発砲している。シュト
ライトはゆっくりと砲塔を回すと、20ミリ機関砲を射ち始めた。重い振動が薄い装
甲ごと車両を揺らす。3発。2発。射っては止める点射である。弾薬は夜明けまで保
たせなければならない。

 小さい方の機関銃の真っ赤に焼けた銃身を交換し終わった操縦士が、近距離用の
超短波通信機の鳴っているのに気がついた。急を襲われたので、本来4人乗りの装甲
車を車長と操縦士の2人で守る羽目に陥っている。「パンツァー・マイヤーが来るそ
うです」操縦士の声が明るい。大隊本部が師団司令部に連絡をつけたのだろう。

 マイヤー准将はかつて偵察大隊長として大胆な前進をたびたび行って、いだてん
マイヤー、戦車(パンツァー)マイヤーとふたつ名前を歌われたドイツ軍のスター
であった。そのマイヤーが、いまは歩兵連隊長として同じ師団にいる。シュトライ
トは魔法のように孤立感をぬぐわれた。パンツァー・マイヤーがすぐそこにいる。
彼は、指揮する部隊の先頭に立つことでも知られていた。


 6月6日 ユタ・ビーチ 午前3時

 マイソフ上等兵の目をさまさせたのは、低い轟音であった。「何がおっぱじまる
んだ?」マイソフの呟きはロシア語であった。

 当時、人的資源の枯渇に悩むドイツ軍は、東部戦線で捕らえた捕虜などから兵士
を徴募するに至っていた。各師団の補助的な任務に配置されていた者も、歩兵とし
て「東部大隊」にまとめられてドイツ人将校の指揮を受ける者もあったが、彼らの
多くは片言のドイツ語しか話せなかった。

 やがて、地響きを伴う轟音が、内陸方向から聞こえてきた。近い。どうやら砲兵
陣地あたりが爆撃を食らったものらしかった。「起きろ! 集合だ!」ドイツ人下
士官がテントを回っては兵士を起こしに掛かっているようである。マイソフはぼん
やり考えていた。カナダってどんなところなんだろう。ウクライナより寒いんだろ
うか。小麦は取れるんだろうか。働き口はあるんだろうか。

 カナダとはこの当時のドイツ人に取って、捕虜収容所の代名詞であった。


 6月6日 ル・マン市(第7軍司令部) 午前5時45分

 第7軍司令官・ドルマン大将の軍歴は長い。しかし惜しむらくは、ほとんどトッ
プとしての指揮の経験がなかった。加えて健康状態も思わしくなく、西部戦線の閑
職を得て養生している。この人物に、いまやドイツの運命の重要な部分が掛かって
きたのであった。

 前線から次々に混乱した情報が入ってくる。夕焼け空が様々な色に変わりつつや
がて暗闇にとけ込むように、流れ込む情報は空挺降下の情報から爆撃の報告に変わ
り、いま艦砲射撃の報告に変わりつつあった。規模は分からないが、第7軍管区が
上陸の目標になっていることはほぼ確実であった。

 「閣下、第12SS戦車師団に、出動命令を出しますか」促す参謀長に、ドルマン
の返事は煮えきらない。一般に師団は軍団に属し、軍団は軍に属する。第12SS戦
車師団は”ゼップ”ディートリッヒ大将の第1SS戦車軍団に属する建て前になって
いるのだが、この軍団には第12のほか第1SS戦車師団も所属していて、この第1SS
戦車師団はなんとベルギーのブリュッセルにいる。つまり第7軍がこの軍団に命令
権があるのかないのか、はなはだ曖昧なのである。

 その隣に陣取る第91歩兵師団長のファライ少将もどうしても所在が知れない。
これについてはドルマンに責任があった。この天候では上陸はないと判断して、
ル・マン市の第7軍司令部で机上演習を行うため、各師団長を召集していたのである。
司令部のあるル・マン市は軍管区の中ではパリ方向に偏った位置にあったから、遠
方の師団長はもう出発してしまっていた。

 意を決して、ドルマンはディートリッヒに軍用電話を入れた。「第12SS戦車師
団の件だが・・・」「やっこさんたちなら、とうに出動しておるよ」ディートリッ
ヒはNSDAP(いわゆるナチス党)突撃隊以来のヒトラーのシンパで、やや軍の規律に
なじまない言葉遣いをするが、正直で常識ある人物であった。「バイエルラインの
戦車教導師団はまだ準備中だがな。閣下はご存知かどうか知らんが、艦砲射撃があっ
てな。」

 「もう出動しているのか」事後通告を受けて憮然とするドルマンに、怒るでもな
く笑うでもなく、ディートリッヒは告げた。「大将閣下にこのようなことを言うの
は失礼と存じているがな。弾を食らう前に移動せにゃならんのだ。東部戦線ではみ
んなそうやっとる」

 SSだけがそうやっとるのだろう、とドルマンは心の中でうめいたが、年長者ら
しく感情を抑えた。先は長いのだ。とても。


 6月6日 ユタ・ビーチ 午前7時

 アメリカ軍の第7軍団司令官・コリンズ中将は、ガダルカナルで師団長として戦
闘を経験し、その能力を示している。初期に上陸する連合軍の陸軍部隊を指揮する
モントゴメリー大将の作戦計画によれば、最もドイツに遠く位置するこの軍団が最
も急な進撃を行うことになっていたから、アイゼンハワーはこの戦域にエースを投
入したのである。

 コリンズは、彼の戦域に降下する2個空挺師団のほかに4つの師団を指揮下に置い
ていたが、上陸当日に彼が使えるのはバートン少将の第4歩兵師団だけであった。

 海岸は連合軍の艦砲射撃で徹底的に掃討され、アメリカ軍は順調に展開しつつあ
る。残念ながらサン・マリー・デュ・モンの村はまだドイツ軍が確保していて、カ
ランタン市へ、さらにオマハ・ビーチへの道は閉ざされていた。しかし艦砲射撃を
シフトさせれば、その道もすぐに開くように思われた。どのみち、空挺部隊に損害
が多いことは、予想されていたことなのだ。

 コリンズは、この戦域での支援を指揮する海軍のムーン少将と同じ艦に乗ってい
たが、ムーンはさっきから海軍の幕僚だけを連れて司令室に篭もっていた。艦橋に
上がってきたら砲火のシフトを要請しようと、コリンズはさっきからちらちらと階
段の方を気にしていた。

 やがて上がってきたムーンは、コリンズに口を開く機会を与えなかった。「戦艦
群をオマハ・ビーチへ向けるように命令がありました」ムーンはやや過労気味で神
経質になっていたのはコリンズも気がついていたが、幕僚も皆陰気な表情をしてい
るのはただ事ではなさそうである。

 コリンズは、オマハ・ビーチの戦況を陸軍の上層部に問い合わせることにした。



「ロンメル元帥は、この日に本当はドイツに帰る予定だったんですよね」女子学生
の表情を見ると、どうやら取って置きの質問であったらしい。「もしそうなってい
たら、どうなったでしょうか」

「おそらく、警報は遅れただろうね」教授は淡々と話す。「この参謀長は慎重に計
画するのは得意だが、臨機応変というタイプではない。しかし警報以上のことは、
誰に取っても不可能だろう」教授は壁に掛かっているヨーロッパの地図で、およそ
パリとノルマンディーの中間あたりを指さす。「ロンメル元帥の司令部はノルマン
ディーからたっぷり100キロは離れていたから、ここにいてもひどく混乱した伝聞
しか得ることはできなかったのだよ」

「そこなんです」女子学生は身を乗り出す。「第15軍から、前の夜にBBC放送が流
したヴェルレーヌの詩の一節が、上陸作戦の前触れだと警告されていたんじゃな
かったんですか」第15軍は、カレーなどイギリスにいちばん近い地域を担当する、
B軍集団の半身である。

「情報は、知っただけでは利用できないのだ。それを信じることによってはじめて
活用されるんだよ」教授は講義のときのような、噛んで含める口調になる。「情報
の真偽をフィルターにかけて、根拠を認められた情報をあらためて知っておくべき
全員に流す。こういうシステムが、ドイツ軍に根本的に欠けていたんだ」

「でも、それって、合理的じゃないじゃないですか」女子学生は不満げである。
「そんな非合理な戦争指導をしていたら、戦争に負けてしまう。私もそう思う」
「なぜその情報をB軍集団は信じなかったんですか」

「ヒトラーは、情報を独り占めにしようとしたのだ」教授は言葉を探す。「OKW
の情報部と、軍や軍集団のスタッフが直接連絡することは、公式には禁止されてい
たから、個人的なコンタクトのみが頼りだった。ところでロンメルの参謀長が着任
したのは4月16日だった」教授は含み笑った。「50日前に知り合ったばかりの情報
参謀が、ある筋の情報に寄れば明日ドイツは国難に遭う、と言ってよこしたのだ。
参謀長はどうするべきかな」「それは・・・」学生は口ごもる。

「もうひとつ、忘れてはならないことがある。もし虚報に踊らされて全部隊に警報
を発した場合、参謀長は左遷される可能性がある。この人物は」教授は女子学生を
じっと見た。「もうしばらく、ロンメルとB軍集団が、必要だったのだよ」

 学生は、言葉を失った。


第2章 オマハ・ビーチ

 教授も、やりとりに息詰まるものを感じたようであった。話題はオマハ・ビーチ
へと転じられた。「オマハ・ビーチとはどういう所だったかな」

「ヴィール川を隔ててユタ・ビーチの東です。ジェロウ中将のアメリカ第5軍団が受
け持ちで、初日には第1歩兵師団と第29歩兵師団が上陸しました」学生の答は淀みな
い。「連合軍はここで困難にぶつかったのだね。ではそうなった原因を挙げられる
かな」教授は静かに難問を提示した。「ええと、まずここを守っているドイツ第352
師団は、連合軍の推定位置が間違っていて、海岸にはいないと思われていました。
この海岸の砲台を爆撃するのに空軍が位置をまちがえて、無傷の大砲が多く残って
しまいました。あと、海が荒れていて、水陸両用戦車がたくさん海に沈んでしまい
ました」

 教授は微笑んだ。「よく調べている。あえて言えば・・・」教授は学生が持参し
た地図の上に骨ばった指を伸ばした。地形図ではなく、歴史の教材に使うような地
図で、道路、都市、上陸地点と部隊配置が示されている。「ここと、ここは、なぜ
抜けているのかな」ユタ・ビーチとの間、そしてゴールド・ビーチとの間には、そ
れぞれ10km以上の間隙がある。

 学生は教授が考えていたより利発で、与えられた情報をすぐに整理していた。
「さっき先生が仰ったように、抜けているところは砂浜じゃなかったんですね」
教授は満足げに頷いた。「そうだ。そして他の上陸地点に比べると、この砂浜は奥
行きがない。沖に出るとすぐ深くなる。水陸両用戦車が沈みやすかったのはひとつ
にはそのせいだろう」学生は懸命にメモを取る。「守る側としては、ここはヤマを
張りやすいところだな。両側にはわずかな戦力を置いただけで、主力はこの海岸で
待っていればいい」

「そんなところへ、なぜ連合軍は上陸したんでしょう」「いい質問だ。たぶん上陸
したくなかったろうな」教授の指が再び地図に伸びる。「しかしそうすると、ユタ・
ビーチとゴールド・ビーチが分断されて、ひとつずつつぶされてしまう」教授は何
気なく話題を変える。「ドイツ軍には、直前になって増強された部隊があったね?」

「高射砲連隊がひとつと、戦車教導師団の一部です」学生はそういうことはよく調
べているようであった。


 6月6日 午前6時 フォルミニ村(オマハ・ビーチ内陸部)

 雨に打たれた潅木群はあれだけの爆撃にも長く火勢を保たず、あちらこちらから
立ち上る煙だけが破壊の後をとどめている。レント中佐は、忙しく被害報告をメモ
にまとめていた。

 レント中佐は、バイエルライン中将の戦車教導師団から第352歩兵師団の支援のた
めに分遣された戦闘団を預かっている。この戦闘団は偵察大隊と対戦車大隊、そし
て無線操縦戦車中隊から成っていて、30両ほどの突撃砲と、6両の重戦車を含んでい
た。無線操縦戦車は、無線操縦でじりじりと敵陣地に近づき、爆薬を落として後退
する特殊な小型無人戦車である。

 突撃砲というのは、ドイツの発明品である。戦車に砲塔をつけないで、上下には
動くが左右にはほとんど動かないように、大砲を支える軸を車体に固定してしまう。
こうすると砲塔を回転させるための複雑な機構が要らないし、車内が広く使えるか
ら小さな車体に大きな大砲が積める。ドイツは戦争後半になると、旧式戦車の生産
ラインを半分流用して、この種の突撃砲をさかんに生産した。

 30両の突撃砲のうち、10両が爆撃で失われてしまった。どうやら連合軍は海岸の
陣地を爆撃しようとして、投弾のタイミングを遅らせてしまったものらしい。レン
トは首を振った。昨夜の師団司令部の警報−いったいどのレベルから降りてきたも
のか、レントには見当もつかない−と考え合わせると、休暇は終わったと考えるし
かないようだった。

 とにかく海岸へ出なければならないらしい。レントは偵察大隊長に伝令を走らせ
た。兵員輸送車は被害がまちまちだから、この場でカムフラージュを施して無理に
海岸へ出さないこと。なにしろ海岸までは5キロほどしかないのである。5キロも歩
かなくても敵に遭えるのではないか。海岸からは不吉な砲声が韻々と轟き続けてい
る。


 6月6日 午前8時 サン・マリー・デュ・モン村

 夜が明けて、シュトライトたちはようやくクルーの全員を装甲車に乗り込ませる
ことが出来た。支援用の装甲車が、砲身の短い旧式砲を周囲の沼地に撃ち込んで、
一帯を制圧することが出来たのである。ミルクと冷たいパンが各車両に配られてい
る。中隊長クラスは丘の上の大隊長のテントで現状を検討している。車体に登ると、
早朝の夏風がさわやかである。

 近距離通信機が鳴るのと、キャタピラ音が海岸から響いてくるのがほとんど同時
であった。シュトライトは車内に潜り込んで、おそるおそるオープントップの砲塔
から顔を出す。アメリカ軍の戦車だ。装甲車の積んでいる旧式砲や機関砲では分が
悪すぎるし、装甲の厚さもちゃんとした戦車とは比べものにならない。歩兵が”つ
くし”のような先太の棒を持って前線に出てくる。最近流行の歩兵用対戦車兵器で
ある。あれで1台戦車をしとめるだけで銀の記章がもらえるそうだが、シュトライ
トはそれを欲しいと思ったことはなかった。

 歩兵たちの手元から銀の光条が迸るが、戦車の手前でおじぎをしてしまう。距離
が遠すぎるのだ。新米が! シュトライトは舌打ちする。村が注目されてしまった。
砲弾が村を襲う。やむなく射程の短い旧式砲で支援用装甲車が応射するが、反撃さ
れて1両、また1両と炎上する。沼地に囲まれて、互いに隠れる場所がないのである。

 別の方向から聞き慣れたキャタピラ音が迫ってくる。援軍だ! 先頭には戦車が
いて、村に近づいたので便乗していた歩兵が振り落とされるように下車する。ドイ
ツの標準的な戦車は、アメリカ軍のそれとだいたい同じ口径の大砲を持っているが、
ドイツの方が砲身が長いので射程も長いし、同距離なら貫徹力が強い。撃ち合いに
なった。シュトライトの装甲車には機関砲しかない。じっと見ているしかなかった。

 アメリカ軍の戦車が次々に破壊されるが、先頭の1両がドイツの縦列めがけて無
謀な猛進をかけてきた。先頭のドイツ軍戦車がうろたえて致命的な一発を浴びる。
アメリカ戦車の砲塔が次の獲物に回るところへ、沼地からの閃光がアメリカ戦車の
垂直な側面装甲を襲った。轟音と共に、内部での爆発がずんぐりした砲塔を持ち上
げ、吹き飛ばす。

 残ったアメリカ戦車は後退して行った。対戦車兵器を放った男は、泥だらけのま
ま道へ上がると、村へすたすたと歩いてくる。泥沼をゆっくり前進して、至近の射
点を得た手際は、沈着そのものである。シュトライトは砲塔から飛び出すと、勇敢
な兵士を迎えて、右手を差し出した。

 驚いたことに、兵士はシュトライトの右手を無視して言った。「指揮官はどこだ」
むっとしたシュトライトが何か言いかけるのを、男の眼光が止めた。シュトライト
がはっとする。肩章が軍服と同じ色の布で隠してあるので、将官の房飾りが見えな
かったのである。

「大隊長はどこにいる」顔に浴びた対戦車兵器の硝煙をぬぐおうともせず、マイヤー
准将はシュトライトに尋ねた。対戦車兵器の射ち殻が足元に投げられ、くぐもった
反響音を立てた。


 6月6日 午前10時 オマハ・ビーチ沖

 アメリカ軍第5軍団司令官・ジェロウ中将は、太平洋の英雄コリンズ中将に比べれ
ばほとんど実戦経験がなかったが、アイゼンハワーの信頼が厚かった。ここはイギ
リス軍戦区と接するところで、勇猛なウイングではなく堅実で粘り強いミッド・フィ
ルダーが必要だったのである。

 悪いニュースが重なっていた。上陸に先立って出動した空軍は、まだ晴れきらな
い雲の中でドイツ軍の砲台より3マイルほど内陸を黒こげにしていたし、キャンパス
布の即席ボートに乗った水陸両用戦車は高波に耐えられず、半数がそのまま水没し
ていた。加えてドイツ軍は知らぬ間に新手の歩兵を海岸に配置していたようで、ひ
どく頑強な抵抗が続いていた。

 この日上陸した連合軍陸上部隊はすべてイギリス軍のモントゴメリー大将率いる
第21軍集団に属していたが、その下でアメリカ軍の担当するふたつの海岸を統括す
るのはアメリカ第1軍司令官・ブラッドレー中将である。ジェロウはブラッドレー
に艦砲の増援を、連合国空軍を統括するリー=マロリー大将に爆撃の追加を要請し
た。アメリカ軍のブラッドレーは自らも洋上にいて、すぐ要請に応じたが、イギリ
ス軍のリー=マロリーは要請を黙殺した。上陸当日、連合軍の空中偵察はイギリス・
カナダの担当する海岸に偏っていた。

 ようよう上陸に成功した戦車も、内陸へ出ようとしたところをドイツ軍の有名な
88ミリ高射砲に狙われ、内陸への浸透が妨げられていた。連合軍はこの海岸に初日
の上陸部隊として12個大隊を用意しており、対するドイツ軍は6個大隊を配置してい
た。2対1というオッズは、敵前上陸のための比率としては、上陸側に取ってまっ
たくリスキーなものであった。

 ジェロウの司令部から海岸状況視察のために派遣されたマチェット大佐は、無言
で海岸の状況を眺め渡した。アメリカ軍はゆっくり、ひとつずつ壕を占領していた
が、その代償はひどく高かった。艦砲射撃は、兵の隠れられそうなくぼみを片端か
ら、実際にそこに誰が居ようとお構いなしに粉砕していた。目標たるべき戦車と航
空機を見失ったドイツの高射砲は、貴重な上陸用舟艇にその目標を移していた。

 これで戦車が20両ばかり突っ込んで来たら、この海岸は終わりだ。マチェットは
上陸以来、まだ一言も発することが出来ずにいた。


6月6日 午前10時

 海岸の状況を観察していたレントは、攻撃に転じる頃合だと思った。偵察大隊の
歩兵たちが、戦車に群がろうとするアメリカ歩兵を追い払ってくれれば、戦車を欠
いたアメリカ軍は突撃砲に対抗手段がない。用心深いレントは、主砲の脇に取り付
けられた同軸機関銃の給弾を点検するよう全車に命じた。この状況では大砲より、
機関銃が重要なようである。あまりにも貴重な重戦車は待機させることにした。

「装甲車は待機。突撃砲とハーフトラックは海岸線から横に進め」第352師団の歩
兵たちは海の方向へ火線を向けている。海岸を横殴りに前進すれば、アメリカ軍兵
士はどちらかに対して横腹をさらさなければならない。違う方向から射撃を浴びせ
るのが歩兵戦術の基本である。

「かかれ」潅木を飛び出す車両群。この時代の兵員輸送車はハーフトラックといっ
て、後輪だけがキャタピラになっている。小銃を跳ね返す程度の装甲はあるので、
この状況では歩兵に取って悪魔のような脅威になる。高い機銃音が響く。レントの
突撃砲も砂を散らして前進する。その突撃砲の背中に数人の歩兵が乗り、突撃砲を
盾にして盛んに射撃している。

 突然、レントの視界が揺れ、したたかに頭を天井にぶつけた。艦砲射撃である。
アメリカ兵とドイツ兵をほとんど同じ割合で殺している。隣を走っていた突撃砲が
まるごと持ち上げられて横転する。ハーフトラックがまっぷたつになって炎上する。
レントはたまらず後退を命じた。海に背を向けて走り去る車両群に砲弾が追いすが
る。まばらに射撃しつつ後を追う歩兵たち。

「やめさせよう」アメリカ軍のマチェット大佐はつぶやくと、ジェロウ中将に復命
のため海へと走った。幸い、旗艦のボートはまだ待っていてくれている。

「あれで突撃砲は全部か」「おそらく」第352歩兵師団長・クライス少将はオマハ・
ビーチに出てきて、戦況をつぶさに見ていた。「まだいると思ってくれないものか
な」クライスの自由になる戦力はあと3個大隊いるが、それぞれ海岸に張り付いて
いるので引き抜くことがためらわれていた。予備を置かず全戦力を海岸に張り付け
るというロンメル元帥の作戦は、前線指揮官に取っては定跡はずれの高度な応用問
題であって、判断に迷うことも多々あった。

「戦車教導師団からはもう増援はないのか」「まだ連絡がとれていません」クライ
スは無言で東の空を眺めた。やはり煙が立ち登っている。あちらはあちらで、戦闘
中と思われた。


 6月6日 午前11時 サン・ソーブール村(コタンタン半島内陸)

 ドイツ第84軍団司令官・マルクス中将は、第91歩兵師団長・ファライ少将との連
絡がつかないので、業を煮やして師団司令部へ乗り込んでいた。ファライは第7軍
司令部での図上演習に参加するため前夜に司令部を出ており、どうやら上陸のニュー
スを知らぬままに自動車を走らせ続けているのであった。

 第91歩兵師団は、コタンタン半島の中央にいて、予備のような格好になっていた。
第709歩兵師団の戦線が崩壊しつつある今、一刻も早く第2線を確立してアメリカ軍
の進出を食い止めなければならないのだが、アメリカ軍の空挺部隊のために各連隊
が駐屯地で足止めを食っているのである。それぞれの駐屯地はアメリカ軍の半島横
断を阻止する要地なのが慰めだが、軍団共同の反撃が出来る体制ではなかった。第
12SS戦車師団は特別扱いで、マルクスの指揮下には今のところないのである。

 第91師団の現況が分かってみると、マルクスの心配は軍団の東の端、カーン市に
駐屯する第21戦車師団のことであった。マルクスはルマンに電話をかけ、第7軍の
ペムゼル参謀長を呼び出した。「第21戦車師団のことなら、心配には及ばない」
「心配には及ばない、ですと」マルクスは憤然とした。マルクスは軍の下の軍団レ
ベルとしては異例とも言うべき10万人近い兵員を指揮下に置いていて、その責任と
名誉を深く自負していたのである。対するペムゼルの返答は、感情を押し殺したも
のであったが、その感情はマルクスへ向けられたものではないようだった。

「第21戦車師団司令部には、いまロンメル元帥が、向かっておられる」



「マルクス将軍という方は、どのような方だったのでしょう」学生の質問は続く。
「そう・・・優秀な人物だ」教授は滅多に使わない知識を引き出しの奥からごそご
そ探しているようであった。「シュライヒャー将軍を知っているかね」「いえ」
教授は首を振った。「社会民主党に近かった将軍で、ヒトラーの初期の政敵だっ
た。突撃隊のレームという人物が暗殺されるときに、どさくさにシュライヒャーも
ヒトラーは暗殺してしまった」「はい」本当に初耳らしいので教授は深く首を振っ
た。

「そのシュライヒャーと、マルクス将軍は仲が良かったのだな。それで優秀な若手
参謀であったのが、出世コースからはずれてしまった」「でも、そういう政治的に
難があっても、仕事の出来る指揮官だったら、いいんじゃないですか」教授はしば
らく言葉を探して、続けた。「優秀な参謀だけに、ちと教科書通りに指揮し過ぎる
ところがあった。ロンメル元帥はあれだけ海岸に全部隊を置けと言ったのに、第91
歩兵師団は予備として内陸に置かれてしまった。上陸初日の混乱した情報への対応
も、神経質すぎるところがあったな」

 学生は思いついた。「もしロンメル元帥の代わりに、マルクス中将が第21戦車師
団の司令部に乗り込んでいたら、どうなったでしょうか」教授は天を仰いだ。「海
岸近くに迫っていた部隊を呼び戻して、オルヌ川の反対側を前進させて、結局1日
つぶしてしまうくらいのことは、やったかも知れないな」


第3章 ゴールド/ジュノー・ビーチ


「ゴールド・ビーチとジュノー・ビーチを隔てるものは、なんだったかな」と教授。
学生は作戦地図に目を落として、戸惑った。「つながって・・・いるんですか」教
授はにやにやと頷いた。「幅2キロばかりの岩場が区切りと言えば区切りだが、砂浜
はつながっていると言っていいのだよ。ゴールド・ビーチはイギリス軍、ジュノー・
ビーチはカナダ軍の受け持ちだから、独立した名前が必要なのだ」学生はまたメモ
を取る。「実質的にはひとつだから、ドイツ軍の師団はひとつだね」「第716歩兵師
団が、ゴールド、ジュノー、そしてソード・ビーチのすべてを担当しています」学
生は地図の注を読み上げる。

 「この海岸のすぐ内陸部に、バイユーの街がある。このあたりではカーンに次い
で大きな街だな」「5月になって、戦車教導師団が移ってきた街ですね」「それだけ
ではない。ここにも高射砲連隊がひとつと、ネーベルベルファー旅団がひとつ移って
きている。ネーベルベルファーは知っているね」ネーベルベルファーはドイツ語で
煙幕発射機と聞こえる。「えーと、連合軍を煙に隠して・・・」教授が笑いだした
ので、学生は黙った。「それじゃ連合軍に有利だな。これはロケット砲部隊だ」
「V1号のことですか?」

 教授はげっそりした顔をした。「V1号はベルギーからロンドンまで届いたけれ
ども、ネーベルベルファーが届くのははせいぜい4キロといったところだな」


 6月6日 午前8時 バイユー市

 装甲教導師団長・バイエルライン中将は、落ちついているふりをするのに疲れ始
めていた。海岸の障害物制作を支援していた工兵大隊からは午前6時半に伝令が来
たきり音沙汰がない。早々に戦車連隊と歩兵連隊をゴールド・ビーチ支援にやった
ものの、こちらからもほとんど連絡が入ってこない。第716歩兵師団からの連絡に
至っては言わずもがなであった。

 オマハ・ビーチ後方の偵察大隊もトラブルに巻き込まれた様子である。ロンメル
が事前にしつこく指示していた通り、上陸の報を受けてすぐに戦車部隊は海岸を指
して出撃したが、ユタ・ビーチと違ってこの戦区には空挺降下がなかったので、夜
明け以降の出撃となってしまった。圧倒的な密度の航空攻撃の中で、戦車部隊が無
事に前進しているか、はなはだ心許なかった。

 前線に行きたい衝動を、バイエルラインは懸命に抑えた。アフリカ軍団の参謀長
として北アフリカにいた頃、ロンメルがちょくちょく最前線で行方不明になってど
んなに困ったことか。ロンメルが病気でアフリカを離れた後、後任のトーマ中将は
ロンメルのまねをした訳でもなかろうが、前線でイギリス軍の捕虜になってしまい、
バイエルラインがその代理として数週間の退却を指揮する羽目になったのであった。


 6月6日 午前8時 ラ・ロシュ・ギヨン村(ドイツB軍集団司令部)

「行ってくる」「困ります」ノルマンディーへ督戦に出ようとするロンメルとシュ
パイデルは押し問答を続けていた。「OKW予備を解放して頂くのが先です」第12
SS戦車師団と戦車教導師団は公式にはOKW(ドイツ国防軍総司令部)の直轄部隊
のままB軍集団管区に駐屯しているから、戦闘になっても指揮権がない。OKW作
戦部長・ヨードル大将がヒトラーの命令なしに指揮権を移動させることを渋ってい
るのである。西方軍のルントシュテット元帥はこの非常時におけるあまりの杓子定
規に、ヨードルへの嘆願を参謀長のブルーメントリット中将に任せきってふてくさ
れてしまった。任されたブルーメントリットも困ってしまって、シュパイデルを通
じてロンメル元帥を動かそうとしているのであった。

 ヨードルは決して凡庸な男ではないが、事務屋だ、とロンメルは思っていた。軽
重判断はヒトラーがする。ヨードルはほとんどの場合、自分の裁量を極小にして、
各戦線にはヒトラーが認めるぎりぎりの戦力しか送らなかった。来週もヒトラーは
何かを思いつくだろうし、そのとき「重視」された戦線に送るべき兵力を残して置
くのがヨードルの才覚であった。

 ヒトラーは普段は直言を嫌ったが、ときどき率直な意見を聞きたがる精神状態が
訪れる。そのときに思い切った判断を述べると信頼が厚くなるのだが、そのときの
ヒトラーの言質を後から言い立ててはいけない。このあたりの機微をヒトラーの側
近は心得ているが、その筆頭と言えるのがヨードルであった。ヨードルは責任を取
らない。責任を取らない故に戦功もない。ヒトラーの信任がヨードルのすべてであっ
た。

 ヨードルはヒトラーの信任が頼りであるため、ヒトラーの覚えのめでたいロンメ
ルには冷たい。ヒトラーは言いたいことを言うロンメルに辟易することはあっても、
総統護衛の責任者として旧知のロンメルの言い分をかなり認めて、それなりの言質
を与えていた。大先輩元帥の統括する西方軍との交渉でロンメルはそれをしばしば
活用した。ヨードルに取って、良い兆候ではなかった。ロンメルもそれを感じてい
たから、自分が言っても無駄なものは無駄だと思うのである。

 ディートリッヒ大将からの電話が押し問答に割り込んだ。第12SS戦車師団の主力
はすでに偵察大隊援護のため出動している、と言うのであった。「師団の一部と言
えども、すでに戦闘に巻き込まれておるのだ。総統に話してみよう」ディートリッ
ヒは政権奪取以前からヒトラーの長年の盟友であって、この人物の目からみればヨー
ドルなどは今出来のお小姓であった。「助かる」ロンメルは心底助かっている。こ
れで前線へ行ける。「最初の1日が決定的だ。連合軍を海岸へ押させてもらいたい」


 6月6日 午前9時 ゴールド・ビーチ

 ミューン、ミューンというネーベルベルファー独特の飛来音は、連合国空軍の反
復される空爆によってほとんど沈黙させられていたが、最初の30分ほどでこのおそ
るべきロケット弾は仕事の大半を済ませていた。ネーベルベルファーを弾丸の直径
で分類すれば15センチ型、28センチ型、32センチ型があって、旅団編成で集中運用
されているのは15センチ型である。鉄パイプを6本束ねた形のランチャーで飛んで
行く方向を決める。

 こうした当時のロケット砲の照準は一般に大まかで、「だいたいあのへん」を狙
うのが関の山である。しかし28センチと言えばちょっとした戦艦の主砲並み、15セ
ンチでも陸上では最大級の大きな弾丸であって、構造が簡単な割には1発当たりの
威力はすさまじい。だからロケット砲が真価を発揮するのは、一定の地域を目標と
して集中使用されたときであった。兵士が海岸に密集している上陸直後には、こう
した兵器は恐ろしい災厄をもたらす。弾道が放物線を描くので、弱い上部装甲に当
たれば戦車とてひとたまりもない。

 上陸部隊が海岸でもたついている間に、バイユー市から夜明けと共に進撃してきた
戦車教導師団の戦車が到着し、盛んな射撃戦が起こっていた。

 教導戦車連隊長・ゲルハルト大佐は、海岸と並行して走る道路を確保したまま、
海岸への進出をためらっていた。海岸との間は細長い沼地に遮られており、車両に
取って海岸への出口は海岸の端のわずかなすき間に限られている。当然、彼我の砲
火はその狭い部分に集中する。なお悪いことに、旧式戦艦を始めとする連合国海軍
の砲火もその辺りの制圧を狙っているようであった。

 海岸では数十両のイギリス戦車が燃え上がっている。いっぽう、小型のロケット
弾を翼に下げた連合軍の戦闘機がさっきから猛威を振るっており、せっかく新規に
増援された高射砲連隊は早くも制圧されかかっている。このままでは、戦車連隊も
いずれ航空攻撃か艦砲の手痛い一撃を食らうのは必定であった。

「我々の居場所は地獄か海岸しかないようだ」ゲルハルトは決断した。「海岸に行
くべきだな」無造作に突入すべき中隊が指定される。命令一下、海岸の西端アロマ
ンシュ村目がけて3個中隊、50両余りの戦車が押し合いへし合い殺到する。これは
ゲルハルトの兵力のざっと1/3であった。生き残っているイギリス戦車が盛んに砲
撃を加える。駆逐艦から、巡洋艦から、戦艦から次々に砲弾が送り込まれる。ドイ
ツ歩兵は抜け目なく沼地の南側に展開して、イギリス歩兵の浸透を食い止める。戦
車教導師団は戦車科学校の教官と機材を中心として編成されたもので、中堅以下に
も熟達の指揮官が多かった。

 戦車はキャタピラ音とともに疾走する。ひっきりなしに連合軍戦闘機が往来して
は機銃掃射を加える。ハーフトラックの荷台に据えられた4連装機関砲が何台か沼
地の向こう側から援護の弾幕を張ってくれるが、かえって自分が目標となって炎に
包まれる。イギリス兵士は次々に倒れるものの、スプリング式の対戦車兵器で果敢
に反撃して、ドイツ戦車をしとめてしまう者もいる。いっぽう、もはやイギリス海
軍は敵であろうと味方であろうと、動く者はみな破砕するよう命じられている風で
あった。

 数分のうちに、ゲルハルトは戦車15台を失って後退した。連合軍の空と海からの
弾幕が濃すぎる。海岸への進出は自殺行為と言わざるを得ない。イギリス歩兵はじ
わじわと各所の陣地にこもる第716歩兵師団の歩兵を排除しており、連合軍はかろ
うじて陣地を張れそうであった。


 6月6日 午前11時 ドイツ本国某所

 世界最初のジェット機実験隊の隊舎は、連合軍のフランス上陸のニュースで持ち
きりであった。「我々が近々派遣されるんじゃないだろうな」「エンジンを止めて
見るパリは美しいだろう」きつい冗談が飛び交う。

「ノルマンディーには戦友がいる。我々は今日のテスト日程をこなすことだ」実験
隊への訓示は、美しく、空しい。現在、ドイツのジェット戦闘機は増加試作段階、
つまり数十の試験機が生産されて量産のための不具合を調整している段階であった。

 代わりに、というわけではないが、多数の航空機がドイツ本国からフランスへ移
駐することになっていた。というよりこれらは、本来フランスに配置して置くべき
ところ、本土防空のために引き抜かれていたのである。整備員の移動、燃料と飛行
場の割り当てなどを含む一連の移駐命令はあらかじめ慎重に計画されていたが、西
方軍と空軍の連絡が悪いためにまだ発動されずにいた。


 6月6日 午後0時 リール

 ベルギーのリールは、ブリュッセルの少し西にあって、カレーの海岸から100km
ほどの中規模の都市である。ほんの数キロ北のツールコアン市には、カレー方面を
にらむザルムート大将の第15軍司令部がある。

 ”ピップス”ブリーラー中佐とヴォダーチェック軍曹は、ドイツ空軍全体を代表
して、あまりにも有名な2機だけの反撃に飛び立とうとしている。彼の部下は混乱
した命令によって別の基地に移され、他の部隊の多くは連合軍の飛行場攻撃を避け
て、丸ごとノルマンディーへの航続距離外に退避させられていた。もし上陸当日に
まったく出動できなかったとあっては空軍の面目にかかわる。たった2機だけの出
撃だが、空軍司令官・ゲーリング国家元帥が直接督励の電話をかけてきたような具
合であった。ブリーラーが内心、国家元帥の励ましよりあと2、3機の増援がありが
たいと思ったことは、言うまでもない。

 連合軍の空軍はすっかり油断していた。2機は妨害を受けることなくセーヌ湾を
横断してソード・ビーチに達しようとしていた。



 <学生のレポート> 1944年6月当時のドイツ軍ジェット機開発状況

 ドイツ最初のジェット機の飛行実験が成功したのは1939年のことである。この時
期から1944年まで、ドイツの航空機開発は優先順位の管理がおろそかであったし、
ジェット機にはそのポテンシャルにふさわしい順位が与えられていなかった。これ
らの多くは人的要因、つまり優先順位を管理すべき高官の情実人事・牽制人事と高
官の新知識の欠如、そして戦訓をフィードバックする姿勢の不足によるものであっ
た。しかしジェット機固有の技術やシステムが数多く未知の問題を含んでいたこと
も、また事実であった。

 まず、エンジンの耐用時間の問題があった。ジェットエンジンはそれまでのエン
ジンでは考えられない高温・高圧に耐えなければならないため、使用する材料から
細かい気流の制御に至るまで未知の部分が多く、それらはエンジンの極端に早い摩
耗に現れていた。試験機がごく短時間滞空することと、戦闘機が連日数時間の出撃
に堪えることの間には、ライト兄弟とリンドバークほどの差がある。その差を国際
協力なしに数年間で駆け抜けようと言うのであるから、これがすでに並大抵ではな
い。

 加えて、戦闘機の性格も位置づけが困難であった。当時テストされていたのはメッ
サーシュミット社の戦闘機とアラド社の爆撃機であったが、戦闘機のほうは機首に
30ミリ機関砲を4門装備している。一見きわめて強力、と映る。しかし、こんな大
きな機関砲は弾丸も大きいから携行弾数が制限される。その少ない弾数を4門で分
け合えば、機関砲自体が分捕るスペースで減る弾数もあるので、すぐ弾切れになっ
てしまうのではなかろうか。その疑問への答えは、この戦闘機は重爆撃機の迎撃用
なのだ、と言うことである。上昇力と高速を利して襲いかかり、一瞬のチャンスに
4門の機関砲をフルに使って多数の30ミリ弾を頑丈な重爆撃機に撃ち込んで、さっ
さと離脱する。こうした装備はそうした戦術と不可分に結びついていて、決して万
能の無敵機と言うわけではなかった。

 テストの結果を通じて、このジェット戦闘機は、戦闘機との戦闘では多くの困難
が予想されていた。エンジンが不安定で、急加速・急減速をするとエンジンが止まっ
てしまうことがある。ゆっくりスロットルを操作しなければならないために、離着
陸のときには長い直線コースを辿らざるを得ない。この間に攻撃を受ければひとた
まりもない。いったん飛び上がれば高速なので確かに目標としては当てにくい目標
だが、自分の弾も当たらない。転換訓練には長時間を要すると見られていた。また、
戦闘中に無理な機動によってエンジントラブルが誘発されることも十分考えられた。

 ヒトラーは5月末に、このジェット戦闘機にかねて命じておいた爆弾架が装着さ
れていないことを知って激怒した。ジェット戦闘機が本格的に投入されたのはそれ
からほとんど半年経ってからであった。このふたつの事実をつないで、ヒトラーが
ジェット戦闘機の登場を半年遅らせた、と書いている書物が多い。しかし実際には、
爆弾架は相対的に大きな問題ではなかった。ドイツ空軍ではもっと大きな改造を、
現地改造キットを配ることで解決している例がいくらもある。例えば大戦初期に、
航続距離を伸ばすために当時の主力戦闘機の機関銃が2門から1門に減らされた。こ
れを戦闘力の低下だと嫌うパイロットのために、翼下に追加の機銃を釣り下げるキッ
トが配布された。

 もちろん増設された爆弾架が役に立ったとはあまり考えられない。上記の機銃増
設パックも実際使ってみると運動性がひどく低下するので、ほとんど利用されなかっ
た。しかしヒトラーが仮に「余は純粋な戦闘機を欲する」と叫んだとしても、それ
はエンジンの耐用時間を伸ばすために夏中続けられた努力を後押しする役にはあま
り立たなかったであろう。また、このジェット戦闘機は機銃掃射をごく短時間しか
続けることが出来なかったし、連合軍戦闘機との戦闘になれば大きな損害を出した
であろう。そして、いかにもありそうなことだが、ヒトラーが新兵器の捕獲を嫌っ
て低空への進入を禁じたら、高空用の精密照準器を装備していない戦闘機ではほと
んど爆撃の効果は望めなかったであろう。

 しかし、ジェット戦闘機に関する過大評価と、それに基づく可能性の追求は、歴
史的観点からは興味あるものであり続けるであろう。なぜなら、その過大評価は、
ヒトラーその人が持っていた幻想であったからである。この幻想は連合軍の諜報網
を通じて、アイゼンハワーをはじめ幾人かの連合軍将帥を悩ませたと言われており、
現実への影響もまったくなかったわけではない。


第4章 はるかな土地で


「連合軍は、ドイツの空軍力をどう評価していたんですか」教授は困った顔をする。
空軍のことはよく知らないらしい。「そうだね・・・アメリカとイギリスでは、微
妙に違っていたろうね」

 教授は懸命に記憶の糸を手繰り寄せる。「アメリカは、日本より先にドイツを叩
こうと考えていた。余計なところには手を出さないで、ドイツをなるべく早く降伏
させたい。だからアメリカは一貫してフランスとドイツ本土を最短時間で落として
しまおうと狙っている。わかるかな」学生は頷く。

「上陸のためにはドイツ空軍を完全に叩き伏せて置かなければいけないのだが、ア
メリカがとりあえず使えるのは戦略空軍しかなかった。当時アメリカでも戦略空軍
という奴は、使いものになるのかどうか分からなかったのだよ。スパーツ中将とい
う男が司令官だったが、どこの世界でも新しい分野を切り開こうなどという奴は、
鼻っ柱が強いし功名心がある」教授の頭にどの同僚の顔が浮かんでいるのか、学生
は想像しようとしたが、恐くなってやめにした。

「アメリカの戦略空軍は、優秀な爆撃照準器と頑丈な重爆撃機を用意して、軍需工
場を狙って爆撃することにした。真っ先に狙ったのが航空機と部品の工場、その次
が燃料関連の施設だ。つまりスパーツは、爆撃でドイツ空軍を無力化しろと命令さ
れていたし、出来ると本気で思っていたのだな。ところで、だ。連合軍の最高司令
官はどの国の誰だったかな」「アメリカの、アイゼンハワーです」学生の答は淀み
ない。

「最高司令官をアメリカから出したので、その下の空軍司令官はイギリスから出す
ことになった。推薦されたのがリー=マロリー中将という男だ。この人物は理屈っ
ぽいせいか、じつに敵が多かった。この人物が例によって理詰めで考え抜いた挙げ
句に、上陸作戦を成功させるには鉄道網を徹底的に叩くべきだ、などと言い出した。
そのためにスパーツの戦略空軍も、イギリス自身の重爆撃機も指揮下に置きたいと
言うのだな」教授は息を継ぐ。

「スパーツを怒らせたことに、リー=マロリーはずっと戦闘機部隊の指揮を取って
いて、爆撃機については実績がまったくなかったのだ。スパーツは自分の任務を守
ろうとした。自分たちがそんな任務につかされたら、誰がドイツ空軍を抑えるのか、
と言った。戦闘機部隊出身のリー=マロリーとしては、どう答える」教授は逆に質
問をしたが、学生はふっと眠気に襲われていたところで、狼狽した。

「当然、当日の空戦でドイツ空軍を叩きつぶすのだ、と答えるしかないだろう。
しかもリー=マロリーは、兵力を過剰なくらい集中させるのが好きだった。理詰め
で考えれば、兵力は集中させるに越したことはないからな。これで質問に答えたこ
とになるかな」学生は目を見張って当惑した。

「イギリス軍は、ドイツ空軍に対して過剰な準備をする理由があったし、実際そう
したのだ。アメリカ軍は、ドイツ空軍を叩きつぶすための具体的な計画を実行して
いたから、それは過剰評価だと思っただろう」「でも結果的には、鉄道網を攻撃し
たのは正解だったんでしょう」やっと学生は口をはさめた。

「そうだね。しかしリー=マロリーに配慮が足りなかったことも事実だ。命を的に
して危険な任務を毎日行っている爆撃隊の戦果を、まるごと疑うようなことを言っ
たんだから。君も社会に出たら、リー=マロリーの真似をしてはいけないよ」思わ
ぬところで説教されて、学生は渋い顔をした。


 6月6日 午前10時 ポーツマス(SHAEF前進司令部)

 連合国欧州遠征軍最高司令官・アイゼンハワー大将は、イギリス爆撃機軍団司令
官・ハリス大将、そしてアメリカ戦略空軍司令官・スパーツ中将からの抗議を続け
ざまに聞かされてうんざりしているところであった。抗議の内容は同じで、連合国
欧州遠征軍空軍司令官・リー=マロリー中将が、彼らの重爆撃機を上陸地点至近の
目標に再び振り向けたことに対するものであった。

 スパーツとハリスはそれぞれの国での同じ分野の開拓者であったから、反目はし
ても最後には相通ずるものがあった。ところがリー=マロリーとなるといけないの
であった。ハリスは”ブッチャー(肉屋)”の異称を甘んじて受け、多数の部下を
失いながら、ドイツの都市と民間人への夜間爆撃を断固として推進していた。スパー
ツもまた、部下を死傷率の高い任務に送り出し続けていた。今まで大きな犠牲を払っ
て推進してきた目標から彼らの部下を引き離して、鉄道網などと言うつまらない目
標を狙わせただけでも迷惑至極なのに、今朝はそれさえ取り消して、上陸地点の戦
術目標の確保を手伝えと言うのである。「そのうち我らが空軍司令官閣下は、重爆
撃機に機銃掃射をやらせようとなさいますぞ」ハリスはアイゼンハワーに激昂して
みせた。

「ここはこらえてくれんか・・・海岸の状況は深刻だ」エリート街道をはずれたこ
とのないアイゼンハワーは、常に周囲の期待に応える男であった。彼は嫌われるこ
とに耐えられなかった。「孫子」は「潔きは辱められ」と廉潔すぎることを将帥の
5つの危険のひとつに数えているが、アイゼンハワーはまさにこうした弱点を持っ
ていた。

 結局アイゼンハワーは、ハリスをなだめて愚痴を聞いてやることしかできなかっ
た。海岸の状況は深刻である。少なくとも第21軍集団司令官・モントゴメリー大将
の報告ではそうである。モントゴメリーの率いる軍集団には上陸する陸上部隊のす
べてが含まれていたから、上陸に関しては彼が事実上の陸軍司令官であった。もっ
ともアイゼンハワーもモントゴメリーとは北アフリカ以来のつき合いで、彼がドケ
チであることにはとうに気づいていて、戦況を話半分に受け取ってはいたのだが。

 ハリスがどうやら機嫌を直して帰ったすぐ後、アイゼンハワーの参謀長・スミス
少将が、さっき論難されていたリー=マロリー中将の来訪を継げた。「お会いにな
りますか」「もちろん」アイゼンハワーは疲労を顔に出すまいと努めていたが、ス
ミスは上官の弱点を正確に理解していた。アイゼンハワーが暖かく全軍を包む一方
で、スミスは顔色一つ変えずに補給半減の通告を発し、将官の首を斬り、喧嘩で仲
間を殺害した兵士の処罰についての決済書類をまとめる。そういう分担であった。

 アイゼンハワーは有名なにやにや笑いでリー=マロリーを迎えた。アイゼンハワー
の顔の上半分には髪の毛も含めて何もない。眉は目尻にかけてつり上がり、口は幅
広い。異相と言って良い。しかしこの顔は、彼が魔法を一つ唱えると、愛敬のある
歓迎の笑顔に変わるのである。

 挨拶もそこそこに、リー=マロリーは用件を切り出した。「じつはモントゴメリー
大将閣下の支援要請があまりに過大なので、困っているところなのです・・・どう
されました」アイゼンハワーは明らかに忍耐力の限界を試されていて、激怒が顔を
出たり入ったりしていた。スミスが口を挟む。「最高司令官はお疲れです。手短に
お願いいたします」

 結局リー=マロリーは、事実上話を聞いてもらえずに退散した。


 6月6日 午後0時 ケンジントン、ロンドン(第21軍集団司令部)

 モントゴメリーは牧師の息子で、酒も煙草もいっさいやらない。厳格なだけでな
くケチで、寄付を求められてもそれを個人で出さず、軍や部隊の基金を流用して払
うことすらあった。功名を他人と共有することについてもケチぶりを発揮したので、
同僚と上司のほとんどからは好感を持たれていなかった。

 しかしモントゴメリーは、部下の人命についてもドケチであった。彼は作戦計画
において勝利というものを厳格に定義し、犠牲の少ないことを重要な要件とした。
十分な兵力と補給品を獲得することが第一であったが、それが十分でないと見れば
空軍に戦術爆撃を要請して砲兵代わりに使った。それも十分でないときは、アメリ
カ軍を激戦地帯に割り当てた。それによって、部下の士官からは尊敬を、兵士から
は崇敬を勝ち得ていた。もっとも戦果を語る段階になると、彼はいつも勝利の拡大
解釈を押し進めるのであったが。

「なんでもいい。ゴールド・ビーチにつぎ込めるだけつぎ込んでくれ」モントゴメ
リーは先刻から盛んに空軍に支援要請を繰り返している。海岸の状況は悪い−ひど
く悪い。これでは明日か明後日に司令部ごと上陸することもかなわないかもしれな
い。序盤のロケット攻撃ですっかり指揮が阻喪してしまっているうえ、強力な戦車
部隊が迅速に海岸に現れて、モントゴメリーの大事な手兵を食い荒らしている。

 受話器を置いたとたん、今度はアメリカ第1軍のブラッドレー中将から電話が掛
かってきた。オマハ・ビーチ撤退の報告である。現場でジェロウ中将が決断したこ
とを、そのまま伝えてきたのであった。モントゴメリーにとって、これは敗北の押
しつけと映った。「報告だな。具申ではないのだな」言外に、なぜ事前に相談しな
いのだ、という非難を込めて、モントゴメリーは冷ややかに確認する。

 ブラッドレーは質朴で温厚な人物だったが、アイゼンハワーに比べれば遠慮がな
い。「ジェロウの幕僚たちが、ゴールド・ビーチとイングランド上空は戦闘機のパ
レードのようだと報告してきています。ジェロウから空軍への支援要請はどう処理
されていたのか、調査して頂けますか」ブラッドレーは正しいボタンを押した。モ
ントゴメリーはぶつぶつと撤退を了承するほかなかったのである。彼はその後の不
愉快な各方面への通報と撤収手順の企画を参謀長に委ねて、校庭へ散歩に出た。彼
の司令部は、モントゴメリーの母校、セント・ポール校に置かれている。

 不機嫌なモントゴメリーを、さらに不機嫌にする情報が、ソード・ビーチからも
たらされようとしていた。


 6月6日 午後1時 ポーツマス(SHAEF前進司令部)

「苦戦しているようですね」ヒューズ少将はアイゼンハワーに開口一番、きつすぎ
る冗談を言った。ヒューズは表向き、パットン中将の率いる第2次上陸部隊の参謀
長ということになっていたが、実際にはこの部隊はドイツ軍を欺くおとりで、ヒュー
ズにはこれと言って仕事はなかった。この人物は社交的で酒好きで、アイゼンハワー
の個人的友人でもあった。ヒューズはアイゼンハワーの指示で視察に出かけ、噂話
に聞き耳を立てて、防諜上であれ風紀上であれ国際協調上であれ、危険な兆候を捉
えてはアイゼンハワーに報告するのが役目であった。むろん秘密である。外からみ
ればアイゼンハワー陣営の遊び人そのものである。

「ジョージが退屈しています」ジョージ・パットンはヒューズの同期で、仲がよい。
彼は北アフリカとイタリアで輝かしい武勲を立てた後、ふたつばかりスキャンダラ
スな失言事件を起こして、上陸の先鋒からはずされていた。彼が実際に指揮してい
る第3軍は、かなりあとになって上陸することになっている。

「いま、モントゴメリー将軍と、ちょっと微妙な問題を抱えている」「補給?それ
とも空軍?」「空軍だ」モントゴメリーの要求がいつも過大なのは関係者には周知
の事実である。そしてモントゴメリーは、イタリア戦線の序盤、シシリー島上陸作
戦で、パットンと犬猿の仲になっている。いまパットンを起用すればモントゴメリー
ともめ事を起こすに決まっている、とアイゼンハワーは婉曲に言ったのである。


 6月6日 午後2時 ベルリン

 ヒトラーはこのころ、東プロイセンのラステンブルクに大本営(ウォルフシャン
ツェ)を置いていたが、1944年2月からはオーストリアのオーバーザルツブルグにあ
る山荘(ベルヒデスガーテン)にOKW(ドイツ国防軍総司令部)のスタッフとと
もに移っている。ラステンブルクの大本営を空襲に備えて強化する工事が行われて
いたのである。

 ヒトラーがどこにいようと、ドイツの首都はベルリンであって、官庁や軍政関係
の機関はここに残っている。ノルマンディー上陸の報に接して、どの機関もあわて
ふためいて対応を模索している。重要な地位にある人間が曖昧な理由で本来の居場
所にいなくても、誰もとがめられる状況ではなかった。それをいいことに、ひそか
に路上の車中で会合しているのは、陸軍総務局のオルブリヒト長官と予備軍参謀長
のシュタウフェンベルク大佐である。

「ドイツの交渉の機会は失われたのではないかね」「ドイツ国境までは、まだまだ
距離があります。取引の機会はあるはずです」オルブリヒトが尋ね、シュタウフェ
ンベルクが答える。年齢や地位と、役回りが逆転していた。シュタウフェンベルク
が、このヒトラー暗殺計画の中心人物なのである。「他の将軍はまだついてくるだ
ろうか」「大丈夫です」あなたがついてくればね、という皮肉をシュタウフェンベ
ルクは飲み込んだ。

 シュタウフェンベルクらのクーデター計画には、ごく少数の中心人物と、曖昧な
位置づけの多数のシンパがいた。シンパたちは、計画の作り出す状況を曖昧に提示
されていて、その場合に大同団結することを意思表示していた。その状況の提示の
されかたは千差万別であったが、煎じ詰めるとこういうことである。もしヒトラー
が死んだら。

 ヒトラーを逮捕ないし暗殺する試みは、1938年のミュンヘン会談時に遡る。チェ
コスロバキアへの領土要求を巡ってドイツとイギリス・フランスが対立したため、
ドイツ陸軍の一部がヒトラーを逮捕して危機を救おうとしたのである。このときの
計画はイギリスの意外な譲歩のために実行されなかったが、以来、多くの顔ぶれが
入れ替わっても反ヒトラー派の連携は緩やかに保たれていて、幾人かは暗殺実行一
歩手前まで行った。シュタウフェンベルクは、現在の運動の中心人物であって、単
なる殺戮と化した東部戦線に深い絶望を抱いて運動に参加した男であった。

 シュタウフェンベルクの上司である予備軍司令官のフロムは、少なくともシンパ
ではあったが、中心人物に数えて良いかは難しいところであった。この陰謀は証拠
を残さないことを重視して進められていて、荷担したと言う証拠を握られているわ
けではないので、高官になるほど態度が曖昧になる傾向があったのである。シュタ
ウフェンベルクはフロムの参謀長として、偽戒厳令を敷くのに十分な権限を持って
はいた。しかし・・・

「工事の進捗から言って、ヒトラーはもうしばらくラステンブルクには戻らないで
しょう。とするとベルヒデスガーテンで実行することになります」シュタウフェン
ベルクはメルセデス・ベンツのエンジンをかけながら言った。「君はベルリンに飛
んで帰って、必要な命令が下されるよう監督することになるのだね。そこが問題だ
な」オルブリヒトは心配そうである。

 あなたが信用できたら、ずっと楽になるんですけどね。シュタウフェンベルクが
視線に込めたメッセージは、オルブリヒトには届かなかったようだった。

 メルセデス・ベンツは走り始めた。はるかフランスを、海岸目指して走るロンメ
ルのメルセデス・ベンツのことを、このふたりは知る由もなかった。ふたりの運命
に、フランスでのロンメルの挙動は大きく関わっていたのだが。


 学生は質問を書き貯めたノートをさかんに繰っている。「西方軍司令部がロンメ
ルの足を引っ張ったような書き方をしている本が多いですよね。あれはどう思われ
ます」

 教授は苦笑いをした。「西方軍司令部とB軍集団司令部の意見が食い違うときは、
西方軍司令部はたいていOKWの言うことをおうむ返しに代弁していたようだ」
学生は聞き入っている。

「西方軍のルントシュテット元帥は、現職についている元帥としてはドイツ軍最長
老ということになる。ところがその後でヒトラーは、彼の下に最年少元帥のロンメ
ル元帥を付けて、大幅な裁量権を与えた。ルントシュテット元帥としてはどう思う」
「軽視された、と思うでしょう。あるいは侮辱された、とも」「ルントシュテット
元帥がロンメル元帥を指して言ったとされる芳しからざる発言は、私が直接聞いた
わけではないが、おそらくおおむね本物だね」学生はくすくすと笑う。

「しかしルントシュテット元帥は、積極的にロンメルを追い落とそうとか妨害しよ
うとか思っていたわけではない。年が離れすぎているからね。かといって味方する
義理もない。おそらく消極的なサボタージュに近い心理を持っていただろう」「ロ
ンメルが、あ、ロンメル元帥が戦車部隊を海岸に置こうとするのを、邪魔したと言
う話ですよね」「あれはシュベッペンブルクという困った奴のせいだ」教授の口調
が心持ち冷たくなる。

「シュベッペンブルク大将は、西部戦車集団の司令官をしている。これはどの軍集
団にも属さないで、西方軍に直属しているのだが、戦車部隊は自分の軍集団と西部
戦車集団の両方から指揮を受ける」「どうしてそんなことをしたんですか」「当然
の疑問だな」教授はあっさりと言う。

「戦車集団司令部は戦車部隊の訓練などを束ねることになっていた。西方軍と言う
のはドイツ軍に取って長いこと予備兵力のプールだったから、こんな二重構造が残っ
てしまっている。この人物はロンメルの変則的な用兵が気に入らないので、定跡通
り戦車を後方にまとめて集中使用するように献策し続けている。ルントシュテット
としてもヨードルとしても、顔を立てざるを得ないわけだ。シュベッペンブルクは
ロンメルの指揮下にはないのだからね」

「お役人みたいですね」学生が呟いた。


第5章 日没、あるいはソード・ビーチ


「さて、最後に残ったのはソード・ビーチだね」学生はすっかり要領を飲み込んで
いる。「ここは海からイギリスの第3歩兵師団、空からイギリスの第6空挺師団が攻
撃しました。えーと、オルヌ川の河口の砂浜に上陸したんですね。オルヌ川の河口
から10キロほど遡ると、カーン市があります」学生の持っている地図にも、川と町
は書き込まれている。

「ドイツ軍に取って、この上陸地点は非常に守りにくい点がある。何だか分かるか
な」「えーと・・・あ!」作戦地図から学生が顔を上げる。「オルヌ川の西は第7軍
で、東は第15軍なんですね」「わかってきたね。こういう担当地域の境界部分はど
うしても弱くなる。連合軍はここから、侵攻初日にカーンを占領することになって
いた。」


 6月6日 午前2時 カーン市(ドイツ第21戦車師団司令部) 

 第21戦車師団は、北アフリカで全滅した同じ名前の師団とは、ほとんど構成員が
重ならない。新しい師団は小さな部隊を寄せ集めてひとつの戦車師団に仕立てたも
ので、フランス製の旧式戦車を中心とする旧式装備も多数残っていた。フランスの
車両はフランスを離れてしまうと予備部品も手に入らないので、訓練中の戦車師団
まで次々に東部戦線に吸い込まれていく中で、この師団だけはずっとフランスにと
どまっていた。そうせざるを得なかったのである。

 こうした部隊を率いるフォイヒティンガー少将は、優秀な官僚であったが、軍人
としてはリスクを負う進取の気性に欠けていた。彼の関心はもっぱら部下たちのた
めに燃料や演習弾や、もし可能なら少しでも新しい戦車を工面することであった。

「はい・・・はい。ですが参謀長、リヒター少将からオルヌ川東岸の敵空挺部隊を
掃討するよう命じられております」B軍集団のシュパイデル参謀長は、ロンメル元
帥直々の指示で、第7軍と第84軍団を中抜きして、直接第21戦車師団に警報を伝え
ようと電話をかけていた。受ける側では師団長が対応している。傍らの電話ではフォ
イヒティンガーの幕僚がふたりの会話を親子電話で聞き取り、懸命にメモを取って
いる。

 他の戦車師団と違って、第21戦車師団はあらかじめB軍集団に戦術的指揮権が与
えられているから、大きな移動をしない限り、ロンメルはOKWに相談せず命令出
来る。そこであらかじめ、カーン市付近の海岸を守る第716歩兵師団長のリヒター少
将に、危急の際に備えてフォイヒティンガーへの命令権が与えてあった。リヒター
からつい先ほど攻撃命令が出たのだが、小心なフォイヒティンガーは上級司令部の
オーソライズがないので出撃をためらっていたのである。

 電話の声が変わった。「私が分かるか。ロンメルだ」「はい」「リヒターの指示
を実行せよ。上陸があるかもしれん。兆候が見えたら、海岸へ急行せよ」「あの、
敵空挺部隊はその場合、対応しないでよろしいのですか」「臨機に行動せよ。戦闘
は始まっているのだ、フォイヒティンガー」「はい」フォイヒティンガーが細部に
渡って不安げに指示を求めるので、ロンメルは立腹している。

「自分だけで戦争をしようとするな。必要な指示を部下に与えれば良い。必ず期待
に応えてくれるはずだ。君が私の期待に応えてくれるようにな」ロンメルはフラン
スに来て、人を煽てるのがうまくなった。「はい」「やれるな」「はい」「ではと
りかかってくれ。吉報を待っている」

 フォイヒティンガーは電話を終えると、オッペルン・ブロニコウスキーという長
い名前の大佐を呼んだ。師団の戦車連隊長をしていて、ベルリン・オリンピックで
は馬術で金メダルを取った男である。髪はオール・バックに撫で付けている。美男
子の上ちょっといける口で、二日酔いのところへロンメルの抜き打ち査察を受けて
狼狽したこともあった。「オッペルン、オルヌ川東岸を制圧しながら、海岸へ進出
せよ」「上陸があったのですか」

 フォイヒティンガーは、さっき教わった台詞を試すことにした。「まだないが、
臨機に行動せよ」オッペルン・ブロニコウスキーはフォイヒティンガーが見たこと
のない会心の笑みを漏らすと、「承知!」ときびすを返して退出した。フォイヒティ
ンガーは急に不安に襲われた。我輩は負ったこともないような重い責任を負ってし
まったようだ。


 6月6日 ツールコアン市(ドイツ第15軍司令部)

 第15軍司令官・ザルムート大将は、1940年の夏、ボック元帥のもとでB軍集団参
謀長としてフランスにいた。そのころ隣のA軍集団には、新編成の第7戦車師団を
率いた新米少将がいたはずだが、ザルムートには個人的な印象は薄かった。その歩
兵上がりのロンメル少将は元帥となって、いまザルムートの直属の上司となってい
た。

 ロンメルのB軍集団はザルムートの第15軍とドルマン大将の第7軍から成っており、
両者はオルヌ川を隔てて東西に軍管区を分かっていた。カレー、ディエップ、ルアー
ブルといった上陸の適地を抱える第15軍は第7軍よりずっと強力であった。

 ザルムートは昨夜のBBC放送での上陸作戦開始の合図を信じた口で、B軍集団の
指示を待たずに隷下の第15軍には警報を発してしまっていたから、ロンメルの警報
を聞いてもそれほどの驚きはなかった。かといって、無線傍受の報告を無視された
怒りも涌かなかった。「カサブランカのスパイによれば本日連合軍は上陸作戦を開
始」というような不確実な情報は毎日のように情報主任参謀の机の上に届くし、そ
れを信じるかどうかは司令官の個人的責任なのだ。他の国は知らぬが、ドイツ軍で
は。

「第346歩兵師団を第7軍管区に出動させてもよいと考えるが、どうだろうか」彼は
シュパイデルに聞き返す。第346師団はカーン市の東の内陸部に控えている。第15軍
は第7軍に比べて重視されているので、海岸に1列に並べた師団の他に、すこし2列目
がいる。2列目の中でいちばん第7軍に近いのがこの師団であった。

「第346歩兵師団の件だが、まだ侵攻の全容が分からない。行く先を定めず、移動
の準備を命じてくれないか。たぶんオルヌ川の東岸を引き受けてもらうことになる」
また電話の声がロンメルに変わる。ザルムートは平静にぽつりと言う。「上陸があ
ると思いますか」「空挺部隊だけでは無意味だ。それは彼らにも分かっている」わ
ずかな語数で会話が弾む。

 ザルムートは有能な軍人だったが、政治に対しては職業軍人としての態度に終始
して、NSDAP(いわゆるナチス党)への忠誠を示すことに余り熱心ではなく、人事
でずいぶん損をしていた。西部戦線の将軍職はドイツに取って閑職で、いろいろな
理由で主流をはずれた将軍達が非常に多かったが、その理由が政治的なものである
場合、彼らはロンメルにとって有力な味方となった。軍事的な才能が損なわれてい
ないと言う意味でも、もうひとつの意味でも。


 6月6日 ランヴィル村(ソード・ビーチ内陸) 午前3時

 オルヌ川の河口にあるウィストラムの町からカーン市までざっと10キロ。その間
に道路橋は1本しかない。ウィストラムとカーンのちょうど中間にあるこの橋は、
東岸にランヴィル、西岸にベヌーヴィルというふたつの村を結んでいる。この橋を
確保しなければ、連合軍はカーン市の東側を遮断するすべを失うので、攻略が困難
になる。カーン市はこのあたりでは群を抜く中核都市で、それだけ交通も集中して
いるのである。

 イギリス第6空挺師団の先遣隊はこの橋の両端を難なく奪取したが、さっきから
不気味な多数のキャタピラ音に脅かされている。事前の情報によると、この近くに
はドイツの戦車師団がいるはずであった。早すぎる。グライダー部隊の主力はまだ
到着していないのだ。付近が主力部隊のグライダー降下地点に指定されている、ラ
ンヴィルの村から断続的な機関銃音が聞こえる。イギリス兵士たちは唇を噛む。

 兵士たちは天を仰いだ。空軍と上陸部隊を運んで来てくれる太陽は、まだ見えな
い。指揮官たちは、言葉少なに軽機関銃と対戦車兵器の配置を指示し始めた。


 6月6日 ランヴィル村 午前4時

 オッペルン=ブロニコウスキーは、戦車連隊と歩兵2個大隊を連れて、いまラン
ヴィル村に立てこもる200人足らずのイギリス兵と激しく戦っていた。少数とはいえ、
建物に先着した歩兵を外から掃討するのは容易ではない。さっきから戦車が2両
失われている。1台はキャタピラの下に結び合わせた手榴弾を放り込まれ、もう1台
は携帯用の対戦車兵器を至近から転輪の間に食らったのである。先ほどから、一部
の戦車が貴重な榴弾を敵兵−制服から、もうイギリスだと分かっていた−の立てこ
もる人家に浴びせて、爆発と火災を起こしている。

 まだ暗い空に轟音が響いてくる。オッペルン=ブロニコウスキーは戦車の上部か
ら身を乗り出して目を凝らした。50機を越えるグライダーが、こちらへ一直線にやっ
てくる。彼は戦車に潜り込むと、通信機に食らいついた。戦車連隊や歩兵大隊につ
いてきた機関砲が、うっすらとしたグライダーの影に曳光弾を吹き上げる。そのう
ち一部は、上空の兵士たちには気の毒だが、イギリス軍が1940年にフランスに置き
去りにして行った牽引車の車体に乗せられている。

 何機かが火を噴いたが、何機かは至近に着陸してきた。布陣を組み替えなければ
ならない。なんて一日だ。オッペルン=ブロニコウスキーは増援を要請するため再
び無線機を取った。


 6月6日 午前5時 ドゥーブル村

 ドゥーブルを中心とする3つの村は、ジュノー・ビーチとソード・ビーチを隔て
る岩場の内側にあって、どちらの上陸地点にもざっと5キロというところである。
ここにドイツ軍の第30歩兵旅団が陣取っていた。

 軍隊の単位として、中隊、大隊、連隊までは普通ひとつの兵種で編成される。例
えば戦車連隊は戦車だけで歩兵はほとんどいない。これを適当な割合で組み合わせ
て、ひとつの区域を独力で担当できるようにしたのが師団である。旅団と言うのは
中途半端な存在で、普通ひとつの兵種だけで構成され、軍団や軍の予備として使わ
れることが多かった。困難が起きた師団の戦区へ応援に行かされるのである。規模
はまちまちで、大隊に毛が生えたようなものも、6個大隊を擁する堂々たるものも
ある。第30歩兵旅団は歩兵3個大隊から成る。

 第30歩兵旅団は第84軍団の予備であったが、戦車教導師団が移ってきたのでバイ
ユー市を明け渡し、ドゥーブル周辺に駐屯していた。ここには空軍基地があったし、
民家も多いので乳製品や野菜を買うのに便利で、兵士たちは満足していた。

 この旅団は、B軍集団から回り回った警報を半信半疑で受け取っていたが、艦砲
射撃が始まると他人ごとではなくなった。ところがマルクス軍団長からはなんの指
示もない。マルクスは第91師団と第709師団の師団長がいずれも不在だと言うので、
ユタ・ビーチの現状把握にかかりきっていたのである。旅団長はやむなく、第716
師団のリヒター師団長に指示を求めた。

「現在地を維持せよ」リヒターは、この日ドイツ軍で最も重要な決定のひとつを、
無造作に発した。ユタ・ビーチの第709師団と同様に、この師団も寄せ集めの海岸
師団である。現状は混乱を極め、信頼できる報告は少なかった。ソード・ビーチと
ジュノー・ビーチのどちらが危険か、カーンに司令部を置くリヒターには判断でき
なかったのである。リヒターはその日の午後に至るまで命令を変更する余裕がなかっ
たが、そのころには明らかになっていた。ジュノー・ビーチとソード・ビーチを遮
断する、ドゥーブルの堅守そのものが最も有効な選択だと。


 6月6日 午前8時 ウィストラム町

 第716師団のわずかな残余は、ウィストラム町の建物に篭もって抵抗を続けている。
ドイツ軍は使い捨ての対戦車ロケットを大量に歩兵に配布していて、イギリス軍の
戦車がたびたび苦杯をなめていた。さらに厄介なのは海岸をにらむ位置に据えられ
た数門の重対空砲である。これらは大戦初期からドイツ軍の最も恐るべき対戦車兵
器として知られていて、最近ロンメル元帥が空軍を拝み倒して配備させたものであっ
た。薙ぎ払うようなその水平射撃は、歩兵の足もすくませていた。

「戦車だ!」イギリス兵が叫ぶ。オルヌ川の西岸をゆっくりと近づいてくるのは、
第21戦車師団の戦車群である。ドイツ軍は橋を確保したのだ。連合軍の戦闘機が機
銃で挑み掛かる。そこかしこで煙が上がる。海岸へ行き着けるか。競争になった。
重対空砲が今度は弾丸を打ち上げる。十分に遮蔽されていない重対空砲は戦闘機の
返り討ちに合う。いまはもう生産されていないドイツの旧式軽装甲車が、不敵にも
ウィストラムに走り込んで機関砲と同軸機銃を乱射する。ずんぐりしたアメリカ製
のイギリス戦車が、モーターで素早く砲塔を回す。軽装甲車はひるまず全速で戦車
をすり抜け、ついに命中弾を受けずに生還して友軍の喝采を浴びる。

 撃ち合いになった。ウィストラム町を完全に制圧できていないのが連合軍に取っ
ては重大な痛手である。歩兵は遮蔽物のないまま、旧式戦車からも小口径の砲弾を浴
びて倒れて行く。

 海岸に新たな砲弾が、内陸から飛来するようになった。第21戦車師団の砲兵連隊
が支援射撃を始めたらしい。カーン市から海岸まではわずか10キロ、砲兵連隊だけ
が持っている大型の榴弾砲を使えば、ほとんど移動しなくても海岸を射程に収めら
れる。


 6月6日 午前7時半 ロシュ・ド・ギヨン(ドイツB軍集団司令部)

「明日のことは考えなくて良い。今日、今、海岸に弾丸を送るのだ。榴弾砲の位置
を暴露してもかまわん。なんのために高射砲大隊がいるのだ」結局フォイヒティン
ガーに細かい指示を次々に与えているロンメルである。ロンメルは自分の性格に気
づいていない。

 この時点で、B軍集団は第21戦車師団と密接な連絡を取っていて、その周囲の状
況はかなり分かっている。イギリス第6空挺師団は最後の降下部隊が戦車連隊と鉢
合わせして大損害を被り、残余があちこちに孤立していたが、いくつかの重要な任
務を完遂していた。最もドイツに取って痛いのは、オルヌ川の東に並行して流れる
ディーヴ川にかかる橋をことごとく爆破されたことである。これによって、第15軍
管区から第7軍への増援は著しく妨げられることになった。

 オルヌ川東岸を担当する第711歩兵師団も、師団司令部にまでパラシュート兵が
迷い込んでくる有り様で、混乱のうちに戦闘に巻き込まれていた。くだんの第346
歩兵師団にはすでにオルヌ東岸への移動命令が出ていたが、自動車や馬車といった
輸送手段が不足している状況では、移動に明日まではかかると思われた。

 それ以外の戦区の状況はまったく混沌としている。あちこちから空挺降下の情報
が入ってくるし、戦車教導師団は戦闘に巻き込まれているようだし、第12SS戦車師
団からは連絡がないので、さきほどエニグマ暗号電文で報告を求める指示を出した
ところだった。ある意味で、これはロンメルの予想通り、指示通りの状況である。
歩兵は混乱の中でそれぞれの持ち場を守り、戦車師団は数時間のうちに最寄りの海
岸を応援する。上陸初日に情報が混乱するのは分かっていたが、それでも上陸初日
で大勢は決するのだ。

 シュパイデルは不安げにロンメルの顔色を見ている。ロンメルは視察に出たがっ
ているとき、こんな顔つきをするのだ。


 6月6日 午前8時 ポーツマス(SHAEF前進司令部)

「第12SS戦車師団に、B軍集団がカランタン市付近の戦況を問い合わせました」
「とすると、オマハ・ビーチに現れたのも、奴らか」アイゼンハワーは幕僚たちの
検討をむっつりと聞いている。ドイツ軍のエニグマ通信はとうの昔に解読されてい
て、連合軍は暗号を解読している事実をひた隠しにしていた。もっとも、この輝か
しい利点を少し減殺するのは、ドイツ軍は電話を好むということであるが。

 SHAEFの幕僚たちは、この電文で、ヴィット准将の第12SS戦車師団がカラン
タン市にいることを知った。一方、オマハ・ビーチに突撃砲が現れたことも、ユタ・
ビーチ周辺に戦車が現れていることも知っている。そこで、この師団はオマハ・
ビーチとユタ・ビーチの両方に分散配備されているのではないか、と考えられた。
連合軍は、オマハ・ビーチのドイツの戦車戦力を、過大評価してしまった。

「ブラッドレーに警告しましょう。ユタ・ビーチおよびオマハ・ビーチに第12SS戦
車師団が配備されている可能性あり、と」スミス参謀長の提案にアイゼンハワーは
頷く。

 不確実な情報に踊らされているのはドイツ軍ばかりではない。連合軍の上級指揮
官たちの間にもときおり悲観論が蔓延して、上陸中止の上申が出る。その決断は主
に軍団長レベルの責任であった。オマハ・ビーチを担当するジェロウ中将は楽観的
な男として知られていたが、その楽観論を脅かす材料が次々に積み重なってきてい
た。


 6月6日 午後0時 サン・ソーブール村(ドイツ第91歩兵師団司令部)

 マルクス中将はようやく事態の収拾に成功した。第7軍司令部に向かっていたファ
ライ師団長はようやく連絡がつき、いま大あわてで師団司令部へ駆け戻ってくると
ころである。第709歩兵師団のシュリーベン師団長も、150キロ南のレンヌでの休暇
を切り上げて師団の指揮を取っている。マルクスの直接の指示で活性化した第91師
団はカランタン市からシェルブール市に続く道路上の要所の町を確保して、海岸に
向かって防衛線を張りつつある。ぼろぼろになった第709師団の残余は半島先端の
シェルブール市を指して撤退しており、ヴァローニュ町に駐屯していた第6空挺連隊
がこれを迎えて、防衛線の構築に努めている。

 第12SS戦車師団はすでに戦闘に巻き込まれていたが、マルクスには指揮権がない。
OKW予備から解放されても、おそらく第1SS戦車軍団が指揮を引き継ぐと思われた。
ひとつの戦域にふたつの軍団。ばかげている、とマルクスは思った。

 マルクスがここで出来ることは、すべて終わったようであった。ユタ・ビーチ周
辺の海岸はあまりに広く、防備は分散してしまった。空挺部隊は大打撃を受けなが
ら、海岸へのドイツ軍の増援を食い止めた。安定した防衛線を敷けたことをもって
よしとすべきであった。他の海岸の状況が良ければ、明日には反撃することも出来
よう。

 他の海岸?

 マルクスは、他の海岸のことをすっかり忘却していたことを、自分に認めた。


 6月6日 午後0時30分 カーン市(第21戦車師団司令部)

「空軍がここまで無力だとはな」司令部を出るとき、ロンメル元帥は空を見上げた。
フォイヒティンガーの処置はロンメルを一応満足させたが、連合軍の空襲が激しく
海岸での攻撃が滞っていると聞くと、ロンメルは前線を視察すると言い出したので
あった。3レベル上の司令官に戦地をうろうろ歩かれては師団長の立場はない。し
かしそれを言い出せずにいるフォイヒティンガーである。

 2機の連合軍戦闘機が、カーン市北方の路上で、コートの人物を乗せた軍用の大
型乗用車に目を止めた。「連中、まだ昼間に移動する習慣があるようですよ」「で
は教育してやろう」ふてぶてしい会話の後、戦闘機は乗用車に襲いかかった。


 6月6日 午後1時 オマハ・ビーチ

 撤収のための舟艇が次々に海岸に横付けされる。陣頭で指揮を取ってきたコータ
准将は、名残惜しげに砲火の中で立ち尽くす。せっかく高いリスクを冒して上陸し
た戦車は、置いて行くしかない。撤収作業援護のため、ユタ・ビーチからまでかき
集められた艦艇が激しく砲火を浴びせる。空軍がもう少しいい仕事をしてくれれば、
とコータは空を見やる。

 さっきから、数両のドイツ戦車が丘の上に現れて、恐ろしく長い射程を示してい
る。事前に見た資料にはあんなタイプのドイツ戦車はない。誰かがあれの写真を取っ
ていてくれればよいのだが。ひどく大きい奴だ。

 じつはコータが見ているのは、生産が始まったばかりの新型重戦車である。ノル
マンディー全体で6両しかない。もっとも夜明け前の爆撃で1両が失われたからあと
5両である。

 ひときわ大きな爆発音が上がった。アメリカの戦艦が新顔の戦車を主砲で狙った
のである。巨大な戦車が横倒しになり、撤収中のアメリカ兵が快哉を叫ぶ。この瞬
間、ノルマンディーの新型重戦車は4両になった。残りものそのそと撤退して行く。

 幕僚がコータの腕を引っ張って舟艇に乗せようとする。歩きかけながらコータは
振り向いた。「また来る」コータはマッカーサー大将がフィリピンで同じ台詞を使っ
たことを知らなかった。


 6月6日 午後2時 ゴールド・ビーチ

 ゲルハルトの損害はすでに35両に達していた。海岸に燃えているイギリス戦車は
その倍ほどはあったろう。イギリス軍は艦砲と、なかんずく圧倒的な空軍の支援で、
どうにか海岸を制圧しつつあった。「彼らは必要なものを必要なだけ投入していま
す」ゲルハルトの報告にバイエルライン師団長は無言である。結局バイユーにじっ
としておれず、陣頭に出てきたのである。彼は指揮法をロンメルから学んでいたか
ら、兵士の後ろで指揮することは好みではなかった。

 この海岸で連合軍は大損害を被ったが、ドイツ軍も補充不可能な重装備を多数失っ
た。ネーベルベルファー部隊は位置を派手に暴露する弱点が現れて、真っ先に地上
攻撃機の餌食となっていたし、この戦域では事前爆撃が比較的有効に働いて、エニ
グマ暗号で位置の分かっていた重砲陣地は片端から爆撃を受けていた。加えて、い
かんせん第716歩兵師団は広い範囲を引き受けすぎていて、最初の抵抗が弱すぎた。

「壕を掘って、戦車を隠せ」バイエルラインは命じた。「夜まで攻撃は不可能だ」


 6月6日 午後2時 ソード・ビーチ

 派手にボンネットをへこませた大型乗用車が、ドイツ軍の戦線後方によたよたと
到着した。「空襲を食らってな」夏用のコートにまだ青草をつけたロンメルは、あ
わてて飛び出してきたオッペルン=ブロニコウスキーの敬礼を受けた。

「夜襲は予期されているだろう。フォイヒティンガーが師団砲兵を使ってしまった
から、いずれ反撃される。いま攻撃すべきだと思う」オッペルン=ブロニコウスキー
はためらっている。ロンメルは自分の示唆でフォイヒティンガーが海岸砲撃を命じ
たことを都合よく忘れている。ロンメルは部下を処罰したり左遷したりすることは
決してしなかったが、かといって責任をかぶってやることもなかったし、口頭では
ずけずけと叱りつけた。ちなみに、ロンメルの父親は高校の校長先生であった。

 そのとき、2機のドイツ戦闘機がソード・ビーチ上空に飛び込んできた。ブリー
ラーとヴォダーチェックである。連合軍はあっけに取られて対応か遅れる。短時間
にひとわたり海岸を掃射すると、ジュノー・ビーチへ飛び去って行く。

 ロンメルはしばらく無言で見送っていたが、やがて決然と振り向いた。「このよ
うな状況で、空が通れるものなら、陸上が通れないはずがあるまい」オッペルン=
ブロニコウスキーはついに降参して、突撃準備と、師団砲兵をはじめありったけの
火砲による準備射撃のお膳立てにとりかかった。

 ロンメルは、自分がさっき陸上を通り損ねたことを、都合よく忘れていた。


 6月6日 午後2時半 ケンジントン、ロンドン(連合軍第21軍集団司令部)

 モントゴメリーは深く考え込んだままだった。ゴールド・ビーチとソード・ビー
チの両方が極めて危険な状態にある。比較的損害の少ないジュノー・ビーチから上
陸したカナダ軍はソード・ビーチへの道を開こうと努力したが、かなりまとまった
ドイツ軍が中間のドゥーブル村に陣を張っていて合同できない。空軍が傘をかぶせ
ている昼間はよいが、夜間になると・・・

 イギリス軍は、アメリカ軍の持っていない問題を抱えている。人的資源の枯渇で
ある。もともと人口がアメリカに比べればずっと少ないところへ、1939年以来の軍
民の損失は激しく、連合軍の占領地域が広がるに連れて兵員の補充もままならなく
なってきていた。アメリカ軍とて少し遅れて同じコースを辿っていたし、大西洋を
越えての人員集結はそれだけでも難事であったが、この時点ではイギリス軍のほう
が深刻である。

 これ以上上陸地で流血に甘んじることは、その後の攻勢に必要な兵力を奪ってし
まうことであった。上陸地点にドイツ戦車部隊が迅速に進出してきたため、イギリ
ス軍は損害比のあまり有利ではない戦いを繰り返すことになっている。いずれアメ
リカ軍がトリックに気づいて、空軍を取り返しに−少なくとも折半に−やってくる
ことも明らかだった。

 2ヶ所で海岸にとどまるより、1ヶ所で突破したほうがよい。モントゴメリーはそ
の恐ろしい考えを、まだ誰にも話せずにいる。


 6月6日 午後3時 ソード・ビーチ

 ロンメルが見たこともない車両が次々と現れて、あるものは出撃地点近くに伏せ
られ、あるものは出撃準備に掛かり、あるものは弾薬切れで後退させられた。旧式
のフランス戦車を捕獲して、ドイツの大砲を乗せて使っているのである。ロンメル
は北アフリカを思い出した。ロンメルがアフリカ軍団にいた頃は、ドイツ戦車より
捕獲したイギリス戦車のほうが多い時期もあったものだ。オッペルン=ブロニコウ
スキーはスポーツマンらしく、やるとなったら思い切りがよく、きびきびと準備の
指揮を取っている。

「対戦車大隊が到着しました」「閲兵の時にはこんな車両はいなかったと記憶して
いるが」ロンメルは微笑む。「あまり・・・その、師団長閣下にとってはお好みの
光景ではありませんので」官僚感覚のフォイヒティンガーにとって、雑多な車両群
は改善箇所の群れに見えるのである。

「私も同行してよろしいかな、大佐」「お言葉ですが、閣下、閣下には他に責任が
おありでしょう」ロンメルは素直に引き下がった。オッペルン=ブロニコウスキー
は、これを賛辞と感じた。

 準備砲撃が終わった。元帥が側にいることで、ドイツ兵は栄光のアフリカ軍団に
いるような気になっている。あとは高い平均年齢からくる早い疲労が、悪影響を残
さなければよいが、とロンメルは心密かに懸念していた。このあたりのドイツ兵は、
外国人でないとすれば、やや高齢なのである。

「前進!」

 ひどくブラッディな戦いになった。イギリス軍は逃げ場がないし、ドイツ軍は絶
えず空から攻撃される。天井の覆いがないので、支援用に残してきたはずの車両が
勝手に飛び出してきて本隊の後を追った。ほんの1、2キロのことなのだ。ほんの1、
2キロのことなのに、連合軍の戦闘機はそれを見逃さない。通信隊や補給隊の兵士が
ライフルを手にいれては、潅木のしげみからてんでに飛び出す。

 効いている。地上からの反撃が弱くなってきた。傍らで双眼鏡を遠く海に向けて
いたロンメルの副官が、注意を促す。「舟艇! 多数です」ロンメルの双眼鏡にも、
多数の上陸用舟艇が移る。副官が歯がみする。「まだ増援を持っているのか・・・」
「いや」ロンメルの声は平静で、むしろ明るい。「海岸を見ろ、ラング」副官のラ
ングは、イギリス軍が海岸に向けてじりじり後退しているのに気づいた。「増援な
ら海岸を空けて待たねばならない。イギリス軍は撤収するのだ。勝ったぞ」通信隊
など、残ったわずかな人数が歓声を上げる。

 オッペルン=ブロニコウスキーは大勢を見て、自分たちも後退を始めた。ドイツ
は補充がない。明日を大事にしなければならない。ロンメルは満面に笑みをたたえ
て部隊を迎えた。高緯度のヨーロッパの6月である。まだ太陽は沈んでいないが、
ロンメルは司令部に帰る潮時だと感じた。主だった士官が別れの挨拶に集合する。

「オッペルン=ブロニコウスキー大佐!」ロンメルは朗々と指揮官を呼ぶ。大佐は
直立した。「私はB軍集団司令部にあるすべての勲章を持ってこなかったことを残
念に思っている。諸君らはそれに値する」舞台効果たっぷりにロンメルは一同を見
回す。こうしたひとときを、軍人たちは唯一の真の報奨として、後輩に語り継ぐの
だ。

「部隊を代表して、当座の報奨を受けてもらいたい」ロンメルは何も持っていない。
一同が興味深く見守る中、ロンメルはコートを脱ぎ始めた。何の変哲もない将官用
のコートである。それがオッペルン=ブロニコウスキーに着せかけられたとき、た
め息とささやきが周囲の兵士から洩れた。ワンテンポ遅れて、熱狂的な喝采が続い
た。比較的冷静な者は、大佐に少将昇進の推薦を行うことを象徴したのだ、と解説
したが、大部分の者にはどうでも良かった。ロンメル元帥が、俺たちを好きになっ
てくれたのだ。

 ロンメルは、将校たちと握手して、車上の人となった。運転席に座るラングに、
すまし顔でこう言う。「急いでくれたまえ、ラング。6月と言っても、夜は寒い」
ラ・ロシュ・グヨンまで、車で3時間ばかり。


 6月6日 午後7時 ゴールド・ビーチ

 昼間にあらかじめ前進させて置いた砲兵連隊の一部が、準備砲撃を開始した。連
合軍はまだ狭い範囲しか確保していないから、密集地帯への砲撃は痛手であった。
早速、艦砲が応射する。射程の短いドイツの歩兵砲も海岸付近へ展開して、さかん
に火を噴く。「進め」戦車が再び海岸を目指す。揚陸した対戦車砲が、昼間撃破さ
れたイギリス戦車の影に隠れていて、ドイツ戦車が数台不覚を取る。とにかく連合
軍はやたら弾薬を持っている。

 海の方向から新しいキャタピラ音が聞こえてくる。連合軍は戦車輸送船を座礁さ
せて、片道切符で戦車を送り出したのである。形勢は逆転した−かもしれない。夜
間のことである。当分増援の見込みのないドイツ軍としては、大事を取るしかなかっ
た。装甲車に便乗したバイエルラインは怒鳴る。「さがれ、さがれ!」このイギリ
ス海軍の臨機の処置で、ゴールド・ビーチはどうにか1日持ちこたえることになった。


 最も重要な一日は、終わった。連合軍は5つの上陸地点のうち2つで撤退を余儀な
くされたが、ドイツ軍は激しく消耗した。消耗しきるまでにすべての拠点を追い落
とすことが出来るか、先に崩れて大崩壊を起こすのか。多くのものが、まだ翌日以
降にかかっていた。

                            第1部 完

おことわり

 多くの登場人物には実在のモデルが居ますが、この小説はフィクションであり、
架空の状況における架空の行動を記述したものです。

 市、町、村といった地名への接尾語は、筆者がイメージをつかみやすくするため
加えたもので、実際のフランスの行政区分とは一致しません。

 実在の人物の階級はいろいろな書物でまちまちに伝えられており、1944年6月当
時として比較的妥当に思えるものを選んでいます。

 ドイツ国防軍には准将の階級はありませんが、SS(武装親衛隊)にだけはあり
ます。

<ヒストリカル・ノート>

 この作品は、1994年にNifty-SERVEのSFフォーラムで行われた企画をもとに、マイ
ソフが独自に執筆したものです。この企画は1944年6月のDデイを題材とした架空戦
記をみんなで作ろうというもので、当時すでに仮想戦記作家であった人がふたり、
後に架空戦記作家になった人が少なくともふたり参加していました。
 しかし、まとまりませんでした。
 マイソフが他の参加者と違っていたのは、史実を厳密に踏まえようとした点と、
「ドイツらしさ」を強調した点でした。他の参加者は、例えばエニグマ暗号が解読
されていることをドイツが気づいたことにしようとか、国防軍情報部の二重スパイ
が露見したことにしようとか、ドイツ軍に柔軟な対応を求める提案をしました。私
は、状況の変化を認識して柔軟に対応することは、そもそもドイツらしくない、と
主張しました。
 一方、特定の兵器が量産されることで戦局が変わったことにしよう、という意見
にも、マイソフは強硬に反対しました。当時私がデータ登録時に自分でつけた紹介
文の一節は、当時の私の考えを端的に示しています。
「史実を正しく理解していると言うだけでは、エンターテイメントとして既存の架
空戦記に対案を提示したことにはならないでしょう。この作品では、現在歴史小説
の確保している市場に食い込むことをもくろみ、兵器の固有名詞に頼らず、人と組
織を描くことを主眼に置いています」
 作品全体に、やや説明調の部分が見られますが、これは電子会議室での議論を蒸
し返しているためです。

 この作品で史実と異なっている点は、第12SS戦車師団と戦車教導師団がより海岸
に近い位置に布陣していることです。これに伴って、いくつかの小規模な部隊(例
えば第6空挺連隊)も少しずつ位置を変えています。また、ロンメルがベルリンに
帰っていません。
 この作品はピーター・ツォラウスの「Dデイの惨劇」(大日本絵画)の邦訳が出
版される半年前に執筆を開始したものです。「Dデイの惨劇」ではまったく同じと
言って良い配置を採用していますが、これはロンメルのアドバイザーであったルー
ゲ海軍中将(当時)の「ノルマンディのロンメル」(朝日ソノラマ文庫)に紹介さ
れているロンメル自身の献策です。
 執筆に当たっては、フランス国土地理院が発行した現代の地図を参照しました。

 シュパイデルは博士であったことは確かですが、どうも専門は経済と歴史であっ
たようです。本文では「ノルマンディのロンメル」に従って「哲学博士」としてい
ますが、おそらくこれはPh.D.の直訳でしょう。

 あとで知ったことですが、降下中のパラシュートは高速で落下してくるので、銃
弾はほとんど当たりません。

 この作品では、あまり戦史に詳しくない読者を想定して、降下猟兵(ドイツ軍の
空挺兵)、装甲擲弾兵(ドイツで、自動車やハーフトラックを与えられ、戦車と共
に行動する歩兵)といった定訳を用いませんでした。単に空挺兵、歩兵などと記し
ています。

 シュパイデルの回想録は「戦力なき戦い」という邦題で、昭和20年代に出版され
ています。これにはドルマン大将の健康が思わしくなかったと記されています。
 ところがずっと後になって、アーヴィングという(悪名高い)作家がドルマンの
参謀長をしていたペムゼル少将の証言を引き出し、心臓発作とされていたドルマン
の死が、実は戦況悪化の責任を問われたことを苦にしての自殺であったことを明ら
かにしました(「狐の足跡」早川書房)。シュパイデルは真相を知っていたのか、
報告をうのみにしていたのか、今となっては分かりません。ですから、ドルマンが
健康上の問題を本当に抱えていたのかも、今では判断が難しくなっています。

 ノルマンディーにケーニッヒティーゲル重戦車はいたのか? 本によってその答え
は違っています。この作品では、いてもいなくても戦況は変わらなかったでしょう
から、いたことにしています。

 シュライヒャーが社会民主党に近かったというのは、私の記憶違いです。シュラ
イヒャーはヒトラーの前の前の首相で、その後任のパーペンと共に、共産党と右翼
政党の勢力が伸び過ぎた国会で安定多数が確保できず、ヒンデンブルグ大統領の大
統領令を使って政治を行いました。1934年に親衛隊に暗殺されています。

 第2章の最後で学生が思い付いた質問の答えは、史実そのものです。上陸初日の
第21戦車師団は、ほとんど何も出来ませんでした。

 第21戦車師団の戦車連隊からは、実際には(上陸作戦の直前にどうにか)フラン
ス製戦車がドイツ製戦車で置き換えられていたようです。フランス製車体の自走砲
はかなり残っていたようですが。

 第30歩兵旅団は、史実ではたびたび移動命令を受けて混乱した挙げ句、もともと
位置していた地点の近くで敵と出会い、簡単に撃破されました。

 第91師団のファライ師団長は、史実では自動車で移動中にアメリカ空挺兵と鉢合
わせして戦死しました。

 最近のイギリス軍情報部関係者の回想録によると、ドイツ陸軍の(モールス信号
による)エニグマ通信は、一時期の北アフリカ以外ではほとんど解読されていませ
んでした。ローカルに色々な解読用ディスクが使われるので、解読作業の効率が悪
いからです。代わりに、高級司令部間で使われる、テレタイプによるエニグマ通信
が集中的に解読されました。従って、高級司令部の報告書に反映されたとき、部隊
の移動ははじめて認識されることになります。


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