なにわの総統一代記

 この小説はフィクションです。この小説の登場人物の多くには実在のモデル
がいますが、それら人物の言動は架空の状況における架空のものです。


第1話「フューラーでっせ」

 今日の大阪は、どの道も混みに混んでいた。金正日・金泳三直接会談の場所
として、こともあろうに鶴橋の某焼肉店が選ばれたため、全国からかき集めら
れた20万人の警察官によって大阪は戒厳都市と化し、検問と臨時通行止めで極
端に道路事情が悪化していたのである。
「まったく、人騒がせなこっちゃで」言わでものことをぼやいたのは、淡雪製
作所社長の淡雪秀雄である。日本のどこにでもいて、大阪だけでも数百人はい
ると思われる、中小企業の社長のおっちゃんである。
 おっちゃんがしっかりと抱えている書類かばんの中には、引き終えたばかり
の自動車部品の詳細図面が入っている。これから名古屋に行って図面を納めて
来なければいけないのだが、いつになったら新大阪駅に着くのか見当もつかな
い。
「ほんまになあ」やんわりと調子を合わせるのは、幼なじみの専務、近藤政夫
である。今日は1台しかない社用のカローラで社長を送り、そのまま別の納品
先へ顔を出す予定であった。淡雪製作所は、その程度の規模の零細メーカーで
ある。主に財務、というか資金繰りを担当している政夫も、差し迫った用事の
ないときは営業の手伝いをごく当然のように引き受けていた。
「今晩はあんまり遅うならんよってに、一番どないや」おっちゃんは言った。
「せやな。ロシアンフロントで試してみたい初期配置があるんやけどな」「わ
し赤軍持ちか」「たまにはええやろな」専務は苦笑した。おっちゃんはウォー
ゲームになると、とにかくドイツ軍側を持ちたがるタイプであった。ふたりの
小さいころはいっしょに戦車や飛行機の模型作りに励んだものだが、学生のこ
ろにウォーゲームにかぶれて、いまだにちょくちょく対戦しているのである。
 いっこうに渋滞は解消しない。「済まん、寝かしてもらうわな」おっちゃん
は一言断ると、車内で目を閉じた。


 目が覚めたとき、おっちゃんの目にまず入ってきたのは、高い天井に吊るさ
れた、シャンデリア風の照明であった。なんやこれ。わしは今どこにおるんや。
そこで始めて秀雄は、自分が今横になっていることに気づいた。布団までかぶ
っている。
 むっくりと起き上がると、見たこともない寝間着の柄が目に飛び込んできた。
周囲はちょっとした筆記机が置かれている程度で、こじんまりとしたひとり用
の寝室である。
 交通事故に遭うて、病院に担ぎ込まれたんと違うか。おっちゃんの頭が必死
に状況を解釈した。えらいこっちゃ。なんで個室なんか取りよったんや。差額
なんぼ取られると思てんねん。おっちゃんは跳ね起きると、これまた見覚えの
ないスリッパを履いて、部屋の外に飛び出した。
「あ・・・・・・・・」
 廊下は狭く短い。ドアの数も少ない。絶対にここは病院ではありえない。
 ドアの開く音を聞きつけたらしく、初老の男が階段を上がってきた。白衣も
着ていなければビジネススーツ姿でもない。小奇麗なベストを着たその姿は、
強いて言えば、学校の教師を連想させなくもない。男はおっちゃんを認めると、
いんぎんに声をかけた。
「総統、お目覚めでございますか」

 総統、と呼ばれておっちゃんは完全に目が覚めた。わしはどないなったんや。
取りあえず、取りあえず何か言わんといかんな。「朝食の時間かね」「朝食で
ございますか」おっちゃんは相手の驚きに、危ういところで状況を察した。
「いま何時だね」「11時15分でございます」「新聞は」「下でございます。お
持ちしましょうか」「ああ、いや、すぐ降りる」
 おっちゃんはよろよろと寝室に戻ると、クローゼットを引っ掻き回し、やっ
とそれらしい身支度を整えた。そういえばどことなくヨーロッパ風の衣類であ
る。
 階下に降りると、さりげなく新聞のある部屋を探した。机の上にいくつかの
新聞を広げてあるラウンジはすぐに見つかったが、おっちゃんの目に、廊下の
奥の小部屋が映った。あれはきっと・・・
 やはりそうだった。便所には手を洗う水道がなく、手水鉢が置かれていた。
おそらく贅沢な設備なのだろうが、壁に鏡がかかっていた。
 おっちゃんはその鏡を覗き込んで、息が詰まった。
 鏡の中の顔は、いろいろな本でおなじみの、アドルフ・ヒトラーのものだっ
たのである。

「えらいこっちゃ」おっちゃんはつぶやいた。つぶやいたところで気がついた。
わしはいったい何語をしゃべっとるのや。
 ドイツ語をしゃべっているという感覚はなかった。もともとおっちゃんはド
イツ語、それも会話なんぞまったくできない。おっちゃんは万代百貨店のCMソ
ングに始まって、河内音頭、六甲おろし、最後に吉本ギャグを数発かまして、
自分が関西弁をしゃべっていることを確認した。
「どうされました」外から声がした。おっちゃんはあわてて便所から出た。さっ
きの召し使いが心配そうにしている。「ああ、大丈夫だ。次の演説のことを考
えていたのだ」「昼食は早くなさいますか」さっきおっちゃんが朝食のことな
ど尋ねたので気を回してくれたのであろう。「いや、いつも通りでいい。あり
がとうカンネンベルク」

 カンネンベルク? おっちゃんは召し使いの名など知っているわけがない。
なのにその名前がすらすらと出た。それに・・・おっちゃんは気がついた。おっ
ちゃんは白人というとどれも同じように見えてしまうタイプの日本人である。
バース大明神は例外としても、たぶんラインバックとグリーンウェルとクリン
トンの区別はつかないと思われる。ところが、この召し使いの顔は日本人のよ
うに、細かい特徴まで理解できるのである。
 おっちゃんは戸惑いを心中に隠したまま、ラウンジのソファに腰を下ろして、
広げてあるいくつかの新聞から、無造作に一番上のものを取りあげた。フェル
キッシャー・ベオバハターというその新聞は、フランス北部に派遣が決まった
イタリア空軍爆撃隊のパイロットへのインタビューを一面記事にしていた。
 この新聞がドイツ語であることは間違いない。ところがおっちゃんにはそれ
がすらすらと読める。そればかりか、ドイツ人が相手のときは、自分はドイツ
語をしゃべっているらしい。
「さて、どうしたもんかいな…」
 おっちゃんの頭には、現状からきっぱり抜け出すという考えのほかに、いま
総統として自分はどうしたらいいんだろうか、という考えが頭をもたげ始めて
いた。我ながらばかばかしいと思うのだが、おっちゃんを焦らせるものが、紙
面にあった。
 1940年9月30日。
 ヒトラーが5年後に自殺せずに済ませようと思ったら、もうあまり時間はなかっ
た。


 新聞をひとしきり読んでいると、ボルマン官房長が現れた。
 ボルマン官房長との短い会談は、上首尾に終わった。ボルマンはNSDAP(最
初は何のことやらわからなかったが、どうやらナチス党のことらしいとわかっ
た)の地方組織の細かい人事問題や、外国首脳との会談日程(おっちゃんは、
自由スロバキアという名前の国があるのを初めて知った)について、総統の同
意を求めにやってきたのである。おっちゃんは、肯いているだけでよかった。
 おっちゃんには、この男がボルマンという名前であることが、なんとなく天
啓のようにわかったが、それ以上の細かいことはまるでわからなかった。どう
もおっちゃんをこの状況に陥れた何者かは、会話を続けるための最低限度の援
助しかしてくれないらしい。
 ただ、ボルマンには好感は持てなかった。おっちゃんも創業者の父親から会
社を受け継いで、何度も経営危機を乗り切り、対人関係では大抵の我慢は経験
したつもりだったが、ボルマンのヒトラーに対する卑屈さはおっちゃんの経験
したことのないものであった。
 ボルマンは毎日こうしてヒトラーの御機嫌伺いに来るのだろうか? ボルマ
ンの口振りからは、どうもそうらしい。やれやれ。

 昼食の時間になって、食堂に案内されたおっちゃんは肝をつぶした。細長い
食堂に、見知らぬ男女がぞろぞろと入ってきたのである。この大勢と、名前だ
けしか分からない状態で談笑しなければならないのだろうか?
 おっちゃんは、ヒトラーが基本的には政治家、それも非常に成功した政治家
であることを思い出した。政治家には、政治家との親交を求め、親交を商売や
名声の種にする取り巻きが大勢居るものなのである。
 おっちゃんはすでに、この建物の周囲の景色が山ばかりなのに気がついてい
た。どうやらここはベルリンではなく、ベルヒデスガーデン近くのベルグホー
フ山荘であるらしい。おっちゃんにはもちろん山荘の名前までは分からなかっ
たが、ヒトラーが別荘を持っていて、ノルマンディー上陸作戦のときだれもヒ
トラーを起こさなくて意思決定が遅れた、などという話は模型雑誌で読んだこ
とがあった。
 ヒトラーが中央の席に座ると、みな雑然と着席した。テーブルが細長いので、
端の方ではヒトラーの話は聞こえそうにもなかった。これが会社の忘年会であ
れば、社長は当然ビール瓶かお銚子を持って座を巡らなければならないところ
である。昼食会のフロアデザインとしては、最悪のようにおっちゃんには思え
た。
 来客は明らかに、ヒトラーが誰も自分の隣の席に誘おうとしないので戸惑っ
ていた。ご婦人がふたり、ヒトラーに声をかけてもらいたがってもじもじして
いるようだったので、思い切って隣の席を勧めた。例によってそのご婦人の名
前はすらすらと出てきたが、それが誰なのかは皆目見当がつかなかった。ただ
ヒトラーの左側に座った方の女性を、ボルマンがうやうやしく案内しているの
が、おっちゃんの目を引いた。


 昼食はまずく、会話は物寂しかった。ヒトラーが菜食主義者であったことは
何かの記事で読んだ覚えがあったが、おっちゃんはそれを身をもって体験する
はめになった。隣のご婦人方とも何を話して良いかわからない。ヒトラーの私
生活など模型雑誌にもウォーゲーム雑誌にも載っていないではないか。その当
惑を、ふたりの女性は「総統は機嫌が悪い」と取った様子で、ほとんど会話ら
しい会話が成立しなかった。
 拷問のような昼食が終わると、おっちゃんは何気なく席を立って、もといた
ラウンジに戻ろうとした。カンネンベルクが静かに歩み寄ってきて、言った。
「総統、ティーハウスへはおいでにならないのですか」
 おっちゃんの忍耐はもう限界に近づいていた。緊張を解くことが絶対に必要
だった。「ちょっと気分がすぐれないのだ」カンネンベルクは心配顔になった。
「モレル博士をお呼びしましょうか」
 おっちゃんは奇襲を受けて息が詰まった。モレル! 聞いたことがあった。
ヒトラーにとんでもない薬を処方して、健康を損ねてしまった男である。ただ
どういう薬をどういう機会に処方したのかまでは、おっちゃんは覚えていない。
「いや、その必要はない。私はただ、少し考え事をする時間が欲しいのだ」おっ
ちゃんは、ヒトラーがときどき取り巻きを追い払う必要を感じていたことに賭
け、そして勝った。「済まないが、客たちを帰してくれないか」カンネンベル
クは、指示を理解できた接客担当者の顔になった。ほとんどそれは笑顔に近い。
「夕食もご一緒できないと申し上げておきましょうか」「そうしてくれ、カン
ネンベルク」カンネンベルクは一礼して立ち去った。


 9月30日。戦局はどこまで進んでいるのだろう。たしかイギリス本土上陸作
戦が中止されたのが9月である。おっちゃんはラウンジの新聞を片端から読ん
だ。ひととおり読むと、9月の新聞を全部持ってくるように命じた。カンネン
ベルクは少しも騒がずに、若い女性秘書をひとり連れてきた。秘書はいくつか
の新聞のバックナンバーをすぐに持ってきた。おっちゃんは欲を出して、OKW
(ドイツ軍総司令部)の日次報告はないかと言ったら、すぐに出てきた。誰も
理由を尋ねなかった。
 あとでおっちゃんが知ったことだが、本物のヒトラーは細かい数字や知識を
暗記して、専門家をやりこめることを無上の楽しみとしていた。だからおっちゃ
んの要求は、周囲にしてみればごく日常的なものだったのである。おっちゃん
としてはありがたい話であった。
 やはりイギリス本土への昼間爆撃は峠を越している。幸いなことに、イタリ
アはまだギリシャに侵入していない。急げば止められるかもしれない…いや止
めない方がいいのだろうか?
 どうやら陸軍はスペインを通過して、地中海の入り口を扼する英領ジブラル
タルを攻撃する計画を立てているようで、政治的圧力がスペインにかかってい
た。ソビエトについては、もうなにか決めてしまっているのだろうか? 用意
が進んでいるとすれば機密度が高いのに違いなく、OKWの日次報告には一切記さ
れていなかった。

 ドイツの−たぶんドイツなんだと思うが−日はすっかり傾いてきた。次の仕
事は、とおっちゃんは考えた。とにかく、誰かを信用せんと何も始まらへん。
おっちゃんはこのころの軍事面の状況はある程度わかっているが、政治的なこ
とや暮らし向きのことは一向にわからない。誰かドイツ人の解説がなければ、
早晩ぼろが出るに決まっていた。
 誰が良いか? おっちゃんは記憶をたどった。残念ながら、将軍たちはやめ
ておいたほうが無難だろう。彼らはおっちゃん同様に、政治のことは何一つ知
らないだろう。かといって、ナチス・ドイツ草創期からの指導者たちが、おっ
ちゃんに協力してくれるとも思えなかった。
 シュペーア! おっちゃんの頭の中に人名が浮かんだ。大戦後半に、ドイツ
の軍需生産を飛躍的に伸ばした大臣である。少なくとも出世前の人物であれば、
本物のヒトラーへの盲目的な忠誠心は持っていないかもしれない。
 だが、シュペーアはいまどこで何をしている人物なのだろう。大蔵官僚?
漫才師? スポーツ選手? ヒトラーがひいきにした人物なのだから、ヒトラー
と趣味で関連のあった人物かもしれない。バーテンダー? シェフ? 作曲家?
 おっちゃんはため息をついて、馬鹿な想像を止めた。さっきの女性秘書を呼
んで、単刀直入に聞いてみることにしよう。
 秘書はすぐにやってきた。ヒトラーが調べ物を続けているので、声の聞こえ
る近い部屋に控えていたのである。もっともベルグホーフ山荘は事実上の総統
公邸だから、ふだん秘書たちのいるオフィスも同じ棟の中にあるのだが。
「シュペーアはどこにいる?」秘書の返答は、最寄りの公衆電話のありかを聞
かれたときのように、すぐに帰ってきた。「ご自宅にいらっしゃると思います。
お呼びしましょうか」おっちゃんは意表を突かれた。どうもとんでもなく近く
にいるらしい。内心恐る恐る、おっちゃんは続けた。「そうだな…夕食には来
られるかな」「ご自宅にいらっしゃれば、もちろん」「ではカンネンベルクと
相談して、招待してくれないか」「いつもおいでになりますけど」もうどんな
顔をしてよいのかわからない。「ああ・・・今日は他の客抜きで話がしたい。
そういう意味だよ」「かしこまりました」秘書が行ってしまうと、おっちゃん
はため息をついて、額の汗をぬぐった。
 じつはシュペーアはベルグホーフ山荘の敷地内に自宅兼仕事場を与えられて
いて、あまりにも近いので夕食の陪席を断るに断れない立場なのである。

 「総統?」ラウンジを出ると、おっちゃんを呼び止める声がした。さっきの
昼食でボルマンにエスコートされていた、ヒトラーの左隣の席の女性である。
「お加減はいかがですの」「ああ、大丈夫だよ、エヴァ」口に出して言った途
端、ヒトラーは頭を殴られたような様子で壁にもたれかかった。「大丈夫です
の? 調べ物などなさるのが無理だったのですわ」女性はヒトラーを抱きかか
える。「大丈夫だ。寝室でちょっと横になることにする」「ほんとうにお気を
おつけになってくださいね」
 おっちゃんは心中でうめいていた。せや…わしには愛人がおるのや。どんど
んややこしゅうなって来おる。どうせいちゅうねん。はじめまして、言うの
んか。
 ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンは、ヒトラーの山荘にさりげなく住み込ん
でいるのであった。


 シュペーアは思ったよりも若い男−30才台前半−であった。確かにこれで有
力閣僚となれば注目されるだろう。とはいえ職業不明、趣味不明の男と差し向
かいに近い形で、夕食の席が盛り上がるはずがなかった。
 差し向かいに近い形、というのは、エヴァ・ブラウンがやはり同席したから
である。カンネンベルクからの病気通知が効いて、ボルマンがあえて出てこな
かったのは助かった。
 なにしろ3人であるから、ヒトラーは昼食時のものよりもっと小さいテーブ
ルを出させた。ふたりとも目を丸くしていたが、どうやら喜んでいるらしかっ
た。
「私は政治家だから、会食の陪食者が多くなることは宿命なのだよ」昼食を1
回見ているから、ヒトラーの口は軽い。「しかしもっと実質を求めた方が良い
な」ヒトラーは、食堂が細長くて歓談に適さないことを指摘した。「設計に問
題があるようだ」シュペーアがうつむいて激しく肩を震わせて笑った。エヴァ
はそれを見て楽しそうに微笑みながら、穏やかに指摘した。「総統が設計なさっ
たのよ」ヒトラーはきわどいところで表情を変えずに済んだ。「そうだったか
な」座は静まったが、その後は打って変わって、和やかな雰囲気になった。シュ
ペーアは、自分が見聞した設計ミスの事例を次々に話して聞かせ、ヒトラーと
エヴァは1分ごとに笑った。美男子の給仕たち−じつは親衛隊のボディーガー
ドでもある−はことの成り行きを無言で、しかし興味深げに観察していた。

 夕食後、シュペーアはラウンジに招じ入れられた。ヒトラーは慎重にドアを
閉じると、「非常に重大な相談がある」と切り出した。
「私にも、ひとつ重大な質問があります」シュペーアは若く鋭い俊才らしい口
調で切り返した。「あなたは総統とは別人のように思えるのですが」

 ヒトラーの体から緊張が抜けた。長年逃亡を続けた犯人が逮捕されたとき、
こういう心境になるのかもしれなかった。
 おっちゃんはやはりヒトラーの重要な習慣をいくつか破っていたのだ。夕食
後レコード鑑賞に深夜までゲストたちを付き合わせるのが習慣なのに、いきな
りラウンジに入ってしまった。食卓では一方的に自分の見解を述べるのが通例
なのに、シュペーアに主に話させた。だいたい雰囲気を慮ってテーブルを入れ
替えるなど、およそヒトラーらしくない心配りである。
 ヒトラーは語った。自分が1955年生まれの日本人であること。どういうわけ
かヒトラーと入れ替わってしまったこと。史実ではドイツはこてんぱんに戦争
に負けること。
「私の時代には、あなたは優秀な軍需大臣として知られている」ヒトラーは言っ
た。「そして私は1945年に自殺に追い込まれる。私はこの体にいる間、ドイツ
の勝利のために全力を尽くすつもりだ」
「すると、私は後世には、軍需大臣としてしか知られていないのですね」シュ
ペーアの落胆の表情から、おっちゃんはシュペーアが芸術家であることを感じ
取った。「実際、私はあなたが今どういう職業に就いているのか、まったく想
像もつかないのだ。先ほどの会話から判断すると、建築に関連していると思わ
れるが」
 シュペーアは憤然と言った。「私は建築家であり、あなたからもらっている
辞令は帝国首都建設総監としてのものです。ベルリンにあるあなたの官邸は、
私が建てたものです」そこまで言ってシュペーアは、議論の本筋に思いを戻し
た。
「私には、あなたが総統でないことが確信できます。ただ、そのことのもうひ
とつの説明も思い当たるのです」シュペーアの目つきが厳しくなった。「イギ
リスには総統そっくりの役者がいるかもしれません。ドイツを破滅させるため
に、あなたが派遣された可能性もあります」シュペーアはゆったりと座り直し
た。いまや対等にヒトラーを試す立場であった。「あなたが後世から来ている
とすれば、イギリスの知らないドイツの秘密をいくつか知っているはずです。
何か思い当たりませんか」
 ヒトラーは考え込んだ。「それは難しい質問だ。私は軍事面での成り行きは
よく知っているが、あなたはそういう方面の機密を知っているわけではない。
ユダヤ人問題については、どの程度知っている?」「ほとんど何も」気まずい
沈黙が流れた。
 ヒトラーはふと思い付いた。「エヴァ・ブラウンについては?」「確かに彼
女のことは限られた人間しか知りませんが、この屋敷で1日暮らせば気がつく
ことです。彼女はあなたの歴史ではどうなるのです」「ヒトラーと一緒に自殺
する。その数日前、彼女はヒトラーと結婚したはずだ」「遅れてもないよりは
ましですね。彼女を総統が扱うやり方は、あまり好きではありませんでした」
「彼女をどう扱ったらいいのか、私も困っている」ヒトラーが深刻な表情を浮
かべた。ヒトラーが気分を悪くしたと思ったときの、彼女の親身な心配りが頭
に浮かんだ。
 気分を悪くする?
「そうだ」ヒトラーは大きな声を上げた。「モレルだ。彼は私の世界では、い
んちきな医者で、不適切な内容の薬を調合したとされている。こちらでの評判
はどうだね」
 シュペーアはにんまりと笑った。「私もモレル博士の診断を受けたことがあ
りましてね。あとで信用できる大学の先生にもう一度見てもらいましたが、見
たてが全然違っていましたよ」シュペーアは右手を差し出した。「あなたの一
味に加えてください。あなたの話を全部信じることは、すぐには無理ですが」
シュペーアはヒトラーの手をしっかりと握った。「あなたは本物のヒトラーよ
りよほど好きになれそうだ」

<ヒストリカル・ノート>

 JR鶴橋駅周辺は、韓国風の焼肉店が集中しているので知られています。
 ベルグホーフ山荘の間取りとヒトラーの日常習慣は、
  シュペール(シュペーア)「ナチス狂気の内幕」読売新聞社
  マーザー「アドルフ・ヒトラー伝」(上下)サイマル出版会
 でかなり知ることができます。大筋でこれを踏まえて記述していますが、脚
色や推定ももちろん加わっています。ベルグホーフ山荘はもともとあった山荘
にヒトラーの設計による増築部分が加わっており、もともとあった部分はその
まま残されたので、例えば便所の水周りなどはおそらく改修されなかったと思
われます。また新聞は実際には寝室の外の椅子に置かれ、ヒトラーが取りに出
てきてベッドで読む習慣であったようです。
 ラインバックとグリーンウェルはかつて阪神タイガースに在籍した選手です。
 フェルキッシャー・ベオバハターはもともと独立した新聞でしたが親ナチス
的な記事が党の初期から多く、このころにはナチス党機関紙となっています。
 あまり知られていませんが、イタリア空軍は1940年のイギリス本土防空戦の
決着がつきかかった時期になって爆撃機を派遣してきて、大損害を出していま
す。
 NSDAPは国家社会主義ドイツ労働者党の略称であり、その読みの最初の2音節
だけを取ったのがナチです。「ナチ」には侮蔑的なニュアンスがあるらしいの
で、この作品ではドイツ人は「ナチ」の呼称を使わず、連合国の人々は
「NSDAP」ではなく侮蔑的な「ナチ」「クラウツ」などの呼称を使うことにし
ようと思います。
 自由スロバキアは、現在のスロバキアのあたりにあった国家です。ヒトラー
はチェコスロバキアの中のスロバキア独立運動を煽りたて、その保護を口実に
チェコスロバキアに進駐しました。チェコはドイツの保護領となり、スロバキ
アはドイツのかいらい国家「自由スロバキア」となりました。
 ヒトラーの侍医モレル博士は、カフェイン、極端な資料ではストリキニーネ
といった(量によっては)危険な成分を持つ薬を投与したとして批判されてい
ます。これには異論もあり、実際の処方をチェックするとほとんどが間違いと
はいえず、問題があるとすれば生噛りの知識で飲む量を勝手に決めたヒトラー
が悪い、とも言われます。ただシュペーアは回想録の中でモレルへの疑いをつ
づっており、少なくとも彼はモレル迷医説であることが明らかです。


第2話「鷲とスリング」

 ライチェスクのユダヤ人地区のメインストリート、マルクジンスキ通りは、
今日も混雑している。主な理由は、実質的にユダヤ人を封じ込める目的で、ド
イツのポーランド総督府がユダヤ人地区外縁部の道路の通行を禁止したことに
ある。このために地区内部の特定の道路にすべての交通が集中してしまい、混
雑を招いているのである。
 しかし、ユダヤ人の活力が圧迫にもかかわらず衰えていないせいだ、という
のも一定の説得力を持った説明であった。通りの両側には露店が並び、いかが
わしい品物から正真正銘の高級品に至るまであらゆるものが売られている。ユ
ダヤ人地区の外ではユダヤ人は特定のバッジを身につける義務があり、交通機
関の利用を制限されたり、べらぼうな運賃を吹っかけられたりしていたが、近
隣農村への移動の自由が全く奪われているわけではなかった。だから闇市の成
立する余地があった。
 この状況下でも、いやこの状況下だからこそかもしれないが、信頼関係に基
づく人と人のつながりは維持されていた。そのネットワークは、闇物資の他に、
多くの噂を運んだ。ムッソリーニがヒトラーに宣戦を布告した、といった根も
葉もないものから、兵力移動を根拠に大作戦の開始を言い当てるものまで、噂
は玉石混交であった。しかし最近になって流れてきた噂は、今までに聞いたこ
ともない、極めつけの奇怪な噂であった。

「また外出していたのか」ライチェスク・ユダヤ人評議会のドアをくぐったフ
リドマンは、古手の評議員の冷ややかな挨拶にかまわず、帽子をかけると席に
ついた。「噂を集めにね」

 ユダヤ人評議会は、各地のユダヤ人地区に作られた(なければドイツ当局が
作らせた)行政組織で、自治組織であると同時に、ドイツ側からの要求の受け
皿でもあった。評議会は民主的であることもあり、そうでないこともあった。
 ライチェスクの評議会議長、鉛管工上がりのヒルシュは、学はないが太っ腹
な男であった。彼は青年層のリーダーと目されていたフリドマンを、平然と評
議員として取り込んでしまった。もし青年たちが抵抗運動など企てようものな
ら評議会全体が連座することになるのだが、ヒルシュは意に介さなかった。そ
してフリドマンもまた、この厚遇を平然と受け入れ、遠慮する風もなかった。

 評議員は外をみだりに歩くべきでない、というのが最近不文律になりつつあっ
た。ユダヤ人地区の住民は皆何かしら不自由を抱えており、陳情のための理由
−まったく正当な理由−を持っている。道で知り合いから陳情を受け、評議員
であることがわかってしまったら、たちまち取り囲まれてしまう危険があった。
「今日は飛び切りの噂が手に入りました」フリドマンは周囲を見回した。正式
な会議の時間ではないが、メンバーの多くが集まっている。「皆さんに関係の
ある噂です」
 ヒトラーが、ポーランドに点在するユダヤ人地区を視察し、ユダヤ人評議会
の指導者と会談するというのである!


 親衛隊長官ヒムラーは、ヒトラーの質問に対して戸惑いを隠さなかった。ヒ
トラーはユダヤ人の人数と所在、そして待遇について、事細かな質問を浴びせ、
しかも秘書を使わず自分でノートを取ったのである。この広いベルリンの総統
官邸の閣議室が、あたかも査問会場になったようであった。
 ヒムラーの注意を引いたことはもうひとつあった。その後のヒトラーの指示
が異例なまでに具体的だったことである。視察先のユダヤ人地区は特定され、
実際の視察日時を回答する期限と、回答を受け取る秘書が定められた。
 だいたいヒトラーは質問は細かくても、指示は大雑把でどうにでもとれるの
が通例であった。部下の助けなしに細かい計画を立てるなどおよそヒトラーら
しくない。それほどヒトラーの不信が深いとみるべきか、とヒムラーは恐れた。

 部下たちを退席させた後、ヒムラーはひとりでヒトラーと会談した。今度は
ヒムラーがヒトラーを問い詰める番であった。ヒトラーはヒムラーに問われる
ままに、ユダヤ人問題をもっぱら親衛隊の所管とする方針に変わりのないこと、
これまでの措置に不満のないことを説明した。
「我々は新たな局面を迎えている。イギリスとの包括的な和平の形を考えねば
ならん」ヒトラーは慎重に言葉を選んだ。とにかくこの問題を先鋭化させない
ようにしなければ、おっちゃんの命はない。1945年までにアメリカと和解しな
ければ、ベルリンに原爆が落ちるだろう。
「民族の優越を戦争の主題からはずさなければ、和解の可能性は減るだろう」
ヒトラーは言った。「ドイツからユダヤ人を追い出すことはできても、ヨーロッ
パからユダヤ人を一掃することは」ヒトラーは言いよどんで言葉を探した。
「コストが大きすぎる」


 おっちゃんが秘書たちとシュペーアの助けを借りてにわか勉強したところで
は、戦前のドイツのユダヤ人政策は、簡単に言うとユダヤ人追い出し政策であっ
た。ただしあらゆる手段で財産を取り上げ、着の身着のままで追い出すのであ
る。
 ヒトラー政権が誕生したころ、ドイツにいたユダヤ人は約60万人で、のちに
オーストリアを無血併合して20万人足らずが加わった。近隣諸国はもとより、
アメリカや中南米も1929年の世界大恐慌の後始末に苦しんでいて、ドイツの棄
民政策は受け皿のないままなかなか進まなかった。ようよう半数を追い出した
1939年になって、ドイツはヨーロッパでもユダヤ人の多い国であるポーランド
に侵攻し、200万人以上のユダヤ人を新たに抱え込んで、棄民政策は完全に頓挫
した。
 次に来たのは、1940年の秋になってもまだ続いている封じ込め政策である。
これは、大都市に設定されたユダヤ人地区(いわゆるゲットー)にユダヤ人を
とりあえず封じ込め、あわよくば劣悪な環境とわずかな食糧配給で人口を減ら
してしまおうというものである。
 おっちゃんが探りを入れた限りでは、まだ絶滅収容所は稼動していない。収
容所一覧の中にアウシュヴィッツという名前を見つけたときは心臓が止まるか
と思ったが、まだそれは建設されたばかりの強制労働収容所でしかなく、政治
犯や要注意人物、シンティ、ロマ(人種政策上やはり迫害されていた)といっ
た雑多な人間によって占められていた。もちろん死亡率は極めて高く、労働力
は使い捨てにされていた。

「我々は困難な命令であっても、実行をいとわない所存であります」ヒムラー
は言った。
 実際ポーランド戦のときは、親衛隊の「実行部隊」が進撃する国防軍のあと
をついてゆき、多少なりとも抵抗の軸になりそうな知識人や聖職者を1万人以
上射殺している。おっちゃんはこのあたりの細かい事情を知ることはできなかっ
たが、ヒムラーの言わんとするところは良く分かった。ユダヤ人迫害という憎
まれ役を、ゲルマン民族至上主義の大義のために買って出よう、というのであ
る。親衛隊がこういう自己陶酔的な気分を持っているというのは、面と向かっ
て話をして初めて知ったことであった。
「事情が変わってきたように思えるのだ。イギリスを屈服させるために、彼ら
の労働力は最大限に活用する必要がある」
 当面、ユダヤ人に対する冷たい態度を演じておいた方が、正体を隠しやすい
とおっちゃんは考えている。少しずつ心変わりしたように見せかけるのだ。ま
ず役に立つ労働者としての栄養と衛生を確保し…その先はまだおっちゃんにも
見通しが立たなかった。
「我々はその目的のためにもお役に立ちます、総統」
 ヒムラーの口調がわずかに変わって、どこか浮ついたものになった。「我々
は軍需品も含めて、あらゆる工場を労働強制収容所に建設する用意があります」
「その件に関して、経済関係の担当者も交えて会議を開こうと考えている」
 ヒトラーはヒムラーの申し出をはぐらかした。

「国家元帥が、労働力確保の件について具体的な措置を講じたという話は、聞
いたことがありませんな」ひとりごとのようにヒムラーは言った。
 国家元帥というのは、ゲーリング空軍総司令官のためだけに創設された、元
帥の上の階級である。ゲーリングは空軍総司令官・航空大臣のほか、経済大臣
と4ヶ年計画担当大臣も兼ねていて、戦時経済を運営する最高責任者であったが、
近年さっぱり具体的な仕事をしていないのである。
 おっちゃんは、このヒムラーに限らず、会う閣僚の多くがこうした暗示的な
同僚批判を残していくことに気づいていた。本物のヒトラーはこういう批判に
よく動かされる人物であったらしい。おっちゃんは古代中国の皇帝にでもなっ
た気分であった。
 おっちゃんは、ゲーリングについて考えていることを気取られないよう、最
低限の受け答えで会談を打ち切った。


 ライチェスクのユダヤ人地区でヒトラーを迎えたのは、ひどい臭気であった。
腐敗したごみの臭い、排泄物と吐瀉物の臭い、そして血の臭い。
「人が住んでいないようだが」バスに鉄板を張った警察用装甲車の中で、ヒト
ラーは尋ねた。「警備上の理由から、今日はこちら側の地区を立ち入り禁止に
しております」案内役の親衛隊士官が答えた。それでは視察にならないではな
いか、とヒトラーは言いかけて黙った。「では中に入っても安全は確保されて
いるのだな」「申し訳ありませんが装甲車をお出にならないようお願いいたし
ます」
 装甲車はゆっくりとゲットー内の道路に入っていった。完全武装の親衛隊員
が、ごみ収集車の後先を走る職員のように、装甲車から付かず離れず護衛する。
ときおり上を見ているのは、建物の中を点検した隊員からの合図を受けている
のであろう。
 説明を聞いているのでなければ、もう人が住んでいない街だと思ったかもし
れなかった。少しでも利用価値のある物はすべて持ち去られていた。もともと
少なかったところへ、ユダヤ人たちが盗まれるのを恐れて根こそぎ持って移動
したようであった。
 何か聞こえてきた。「歌?」「ユダヤ人どもです」士官がひとり通信機にか
じりついた。外と連絡して、歌を止めさせるのであろう。今日は数百人の戦闘
親衛隊員と保安警察官がユダヤ人地区の周辺を固めていた。
 おそらくユダヤ教の賛美歌で、誰でも知っている歌なのであろう。相当の人
数が合唱していた。そこに人が生きていることを、ヒトラーに知らせようとい
うのであろう。ユダヤ人地区の奥から聞こえてくるその歌が伝えるものは、喜
びでも悲しみでもなく、強いて言えば威厳であった。生きていることの誇りで
あった。通信機の前の士官はかみつくように迅速な処置を督促していた。彼の
耳には、この歌は重要なイベントをぶち壊す雑音としか聞こえないのであろう。
 装甲車はすでに逆進しながら出口へ向かっていた。


 ヒトラーに向き合った、ライチェスク・ユダヤ人評議会の5人の代表は、色々
な表情をしていた。あるものはそわそわと視線をさまよわせており、別のある
ものは緊張して力み返っており、別のあるものは−ヒルシュとフリドマンだっ
たが−平然としていた。
「最初に言っておくが、この会談は予備的なもので、交渉ではない」ヒトラー
は切り出した。
 このことはヒムラーとの間で確認した事項であった。普通ならヒトラーの出
てくるトップ会談の前に、より低い肩書きの人間同士で交渉が行われる。ヒト
ラーはユダヤ人問題に関する生の判断材料を欲しがったため、直接会談に固執
した。ヒムラーは、その場でヒトラーが親衛隊の「顔をつぶす」ような約束を
することを懸念したので、このような確認ができたのである。
 ヒトラーは、イギリスとの早期和平の可能性が遠のいたこと、ドイツの戦時
経済が労働力を欲していることを率直に語った。「従って、もしユダヤ人がド
イツに協力の意志と能力を示せるのであれば、我々は新たな歴史的関係を模索
する用意がある」ヒトラーは思わせぶりに言葉を切った。

 ユダヤ人評議員がたまらず質問した。「それはドイツがユダヤ人を敵視する
ことを止めるということですか」同席していた親衛隊士官が冷たく宣告した。
「君たちの質問は認められない」士官の言葉で、通訳は今の質問をドイツ語に
直さなかった。ところがおっちゃんには、このときに限って、ポーランド語を
聞き取る能力が生まれていた。
「我々はドイツからユダヤ人を追い出した」おっちゃんはこのことを口にした
くなかったので、ヒトラーの口調は自然と速くなった。「しかし他国や保護領
においては、この政策を機械的に押し通すことは弊害が大きい」
 ヒトラーは言葉を切って、ユダヤ人たちを見回した。「君たちは我々と新た
な協力関係に入る意志があるか」親衛隊士官が何か言いかけて黙った。明らか
に、ヒトラーは実質的に交渉をする気でいる。通訳が板挟みになって動転しな
がら、ともかくヒトラーの言葉をポーランド語にした。
 さすがのヒルシュも、慎重に言葉を選んだ。「我々はすでに労働者を拠出さ
せられています。この割り当て人数を増やす可能性のことをおっしゃっている
のでしょうか」
「変化は量的なものというより、質的なものだ」これはヒトラーが予期してい
た質問のひとつであった。「君たちはもっと重要な職場で、重要な権限を与え
られることになる。工場の管理全体を君たちのコミュニティに任せようと考え
ている。工場が君たちの隣に移転する場合も、君たちが工場の隣に住む場合も
ある」

「我々の移動の自由は奪われる」フリドマンは断定調で言い切ったので、質問
は、と言いかけた士官は気勢をそがれた。
「民族が分断されることの苦しみは、理解できる」おっちゃんはなんといって
も大阪人であるから、韓国人の知り合いが多い。「我々が欲しているのは自発
的に働く労働者である。労働条件は総合的に一定のレベルに達していなければ
ならない。労働者の家族が不幸であるとき、労働者も幸福ではありえない」
年かさのユダヤ人評議員たちが、じりじりと身を乗り出してきた。
「我々の多くは商人か事務員、あるいは専門職です」フリドマンがいささかも
歓迎の意を示さずに冷静に話し続けるので、他の評議員たちは怒りの色を浮か
べた。「我々の能力を生かせるような職を提供していただけるのでしょうか。
また我々はポーランドにおいて現在就いている職業から次々に締め出されてい
ますが、これは我々の労働力を生かすという総統の御決心とは整合的でないよ
うに思われます」「やめねえか」フリドマンを遮ったのはヒルシュであった。
いくらヒトラーが今日は妙に寛容だとはいえ、ポーランド総督がヒトラーの意
を体していない、などという発言はまずい。
 ヒルシュはヒトラーに向き直った。「私らは、皆さんがやってくるまで、善
良な市民でやした。市民としての務めを果たせねえはずがございやせん」

 ヒトラーは、ヒルシュの発言の続きを待っていたが、ヒルシュは用心深く、
それ以上何も言わなかった。
 ヒトラーはさりげなく切り出した。「今日の会談は有益であったが、我々が
会ったこの機会に、ひとつゲームをしよう」ユダヤ人たちは緊張を解いた。よ
いサインはいくつかあったが、サインだけであったようにも思えた。みんな今
日の会見は終わりだと思った。
「3つの願いだ。願いを3つ言って見たまえ。私は何も約束しない。ただ聞くだ
けだ」ユダヤ人たちが一斉に椅子から飛び上がったように見えた。「総統閣
下、お時間が遅くなりますので」たまりかねた親衛隊士官は割って入った。
 親衛隊が「ヒトラーの政策」を盲目的に実行してきたこと、いまさらそれを
否定されては立場のないことは、おっちゃんにも理解できていた。しかしそれ
に配慮することは愉快ではなかったし、特定個人の保身と結びつくとさらに不
愉快であった。おっちゃんはこういう場合にふさわしい河内風の罵り言葉をひ
とつふたつ投げてやろうとした。その言葉は、不可思議なフィルターを通って、
ヒトラーの口から次のようなドイツ語として現れた。
「ドイツの指導者は誰であるか!」
 一座は静まり返った。誰の表情も凍り付いたように無感動であったが、ひと
りフリドマンは笑いを押し殺して肩を震わせていた。

「まず、法による保護をお願えしやす」ヒルシュは切り出した。ユダヤ人に対
する犯罪−略奪、暴力、強要など−に対する取り締まりや捜査は事実上行われ
なかったから、ポーランド人やドイツ人による犯罪が非常に多く発生した。ユ
ダヤ人地区に暴徒が押し入ってくることすらあった。いくら物的な条件が改善
されても、それを片端から奪われるのでは意味がない。
 ひととおりの説明が終わると、それまで黙りこくっていた評議員が勇気を振
り絞って声を上げた。「我々に収入を与えていただきたいのです」
 この状況になってもユダヤ人地区の貨幣経済は崩壊していない。ユダヤ人地
区に追い込まれる際に持ち出せた財産の額は、闇市で食料を手に入れられる期
間の長さを決定し、それがその一家の寿命に大きな影響を与えた。ユダヤ人評
議会を通じて配給される食料や、ユダヤ人たちの拠出による自助協会の提供す
る無料のスープは、必要量にはるかに及ばなかった。そして、ユダヤ人が地区
の外で新たな収入を得る道は、次々に閉ざされていた。
「では、3番目は」ヒトラーの言葉を、フリドマンが短くさえぎった。「自由」
 フリドマンはそれ以上説明しようとしなかったので、ヒトラーが続けた。
「他の地区では、食料か衣服か医薬品が必ず願いに入っていた。ここは非常に
ユニークだ」評議員たちは狼狽した顔でヒルシュとフリドマンとヒトラーを
交互に見たが、ヒルシュは動じなかった。ヒトラーの口からそれが漏れた以上、
ヒトラーはすでにそれを気にかけているのだ。
「去年の冬は寒かった。今年の冬は近い」フリドマンはつぶやくように言った。
「しかし人間としての誇りがなければ、我々は何事に耐えることもできないだ
ろう」
 すでにドイツのポーランド占領以来、数万人のユダヤ人がユダヤ人地区に押
し込められたまま、人為的に繰り上げられた死を迎えていた。飢え。寒さ。暴
力。そして疫病。

 ヒトラーはまたしても親衛隊の反対を押し切って、装甲車でユダヤ人地区ま
で評議員たちを送った。今日のように荒れた会見では、親衛隊が彼らを生きて
帰したくないと考えてもおかしくはない、と思い当たったのである。
 装甲車を降りて歩きながら、ヒルシュはフリドマンを呼んだ。
「おめえは、この場限り、評議員は首だ」ヒルシュは愉快そうに言った。「こ
の場から逃げるのがいい。保安警察の手は長えぞ」ヒルシュはシャツの中をご
そごそやると、くしゃくしゃになった10ズロチ札を5枚取り出して、フリドマ
ンに握らせた。

 かっきり3時間後、フリドマンを逮捕に来た保安警察は、任務を果たせなかっ
た。フリドマンへの正式な逮捕請求手続きは取られず、手配もされなかったので、
フリドマンに関する公式な記録はこの日を境に行方不明、で終わっている。ユ
ダヤ人地区を脱出し、森で生きてゆくことは困難ではあったが、不可能ではな
かった。その困難さに比べれば、別人名義の身分証明書を手に入れることは、
たいした難関ではない。

 ユダヤ人たちは数日後、食料の増配や毛布の無料配給の知らせに驚かされた。
どのユダヤ人地区でも、もちろん親衛隊内でも、急に融和主義者の勢力が増し、
ドイツに対するユダヤ人の抵抗運動は弱まった。それがどのような影響を及ぼし
ていくかは、まだまったく予想がつかなかった。

<ヒストリカル・ノート>

 ライチェスクとその住人たちはすべて架空のものです。いわゆるゲットーの
運営のしかたは千差万別で、ライチェスクはそれらを合成した存在です。
 ゲットーを壁などで完全に封鎖する作業は順次進んであり、1940年10月頃に
は両者は混在していました。
 親衛隊は保安警察(ゲシュタポ)と刑事警察を一手に握っており、ユダヤ人
地区の運営実務にも関わっていました。強制収容所を管理するいわゆるどくろ
部隊ではなく、おそらく保安警察がユダヤ人地区を主に担当していたと思われ
ます。戦闘親衛隊も親衛隊の所属です。
 ユダヤ人評議会のメンバー専任には色々な方法がありました。形式的にはド
イツ占領当局が指名するのですが、ソビエトの占領地などで様子がわからない
ときはくじ引きによることもあり、ユダヤ人コミュニティが発達している町で
はユダヤ人の選挙で選ばれた例もあります。ここでは、議長として指名を受け
たヒルシュがフリドマンを含む他のメンバーを推薦し、ドイツがそのまま認め
たと想定しています。
 ユダヤ人評議会は住民の日々の安全に責任を持つ立場上、何らかの意味での
抵抗運動を抑制しようとすることがありました。
 ポーランドの場合、戦前のユダヤ人指導者層の多くが敗戦時に亡命し、また
相当数が侵攻直後に親衛隊の「実行部隊」に殺されたため、コミュニティによっ
ては適当な指導者がみつかりにくいケースがありました。このような状況でな
ければ、ヒルシュのような指導者は生まれないでしょう。


第3話「ツッコミはアルプスを越えて」

 ヒトラーは最近、以前に比べれば早寝早起きになり、人並みに朝食を摂るよ
うになった。新聞を読む時間も朝食前になった。
 今日はいくつかの新聞に、特別分厚い別刷りが挟み込まれている。先ごろ辞
職したトート軍需大臣とトート機関をたたえる内容の特集であった。内容が似
通っているのは致し方ない−すべてヒトラーの内命で、宣伝省新聞局の提供し
た原稿だからである。
 トートは成り上がりの多いヒトラー政権にあって、決して政治能力が低い方
ではなかったが、根は技術屋であって、果てしない政治交渉を嫌っていた。一
方シュペーアは、トートを押しのけてドイツ戦時経済の実権を握ることに、や
はり躊躇を覚えていた。トートは年上だし、仲も悪くなかったからである。
 両者の言い分を聞いてみると、トートが100万人近い人員を抱える建設者集団
「トート機関」の経営に専念し、若く野心いっぱいのシュペーアが政争を担当
するというのが、やはり適材適所のように思えた。そこでヒトラーは、トート
に様々な名誉と恩典を与えて更迭の印象を消すことを前提に、史実より1年半早
く(しかもトートは生きたままで)シュペーアを軍需大臣に任じたのであった。
 トートはその肩書きにもかかわらず、その領域において絶対者というわけで
はなかった。4ヶ年計画担当大臣としてのゲーリング、OKWの軍需局、さらには
運輸省といった様々な勢力と、限られた資源を処分する主導権を争っているの
が実態であった。
 それを改めるための最も重要な措置は、すでにヒトラーの心中に形を取り始
めていたが、とりあえず今日のヒトラーには色々とすることがあった。重要な
会議が、しかもふたつ。


 OKW(ドイツ軍総司令部)作戦部国防課長、ヴァーリモント大佐は、総統官
邸での会議を終えて、官邸を出ようとしていた。彼のオフィスは、ここから車
で1時間ほどのところにある。
「ヴァーリモント大佐?」ヒトラーの女性秘書が呼び止めた。「お渡ししたい
ものがあるのですが」
 言われるままについてゆくと、秘書はどんどん官邸の奥まで−ヴァーリモン
トが入ったことがない区域まで−入っていく。見ると、廊下に何気なくもたれ
かかっていた屈強な護衛が、こちらを見て歩み寄ってくるではないか。秘書が
うなずくと、護衛は脇の小部屋のドアを開け、入れ、と身振りでヴァーリモン
トを促した。
 ごくりと唾を飲み込んで、ヴァーリモントはドアをくぐった。幽閉される理
由は思い当たらなかったが、ゲシュタポはそういったものをいつも必要として
いるわけではない。
「やあ」中にいたヒトラーは、ヴァーリモントに椅子を勧めた。


 ヴァーリモントは、このとき秘書が出した紅茶の味がどうしても思い出せな
かった。数年考えた挙げ句、緊張していて紅茶に手をつけなかったことを思い
出したのだが、それは後日のことである。
 ヒトラーは世間話のように国防課の様子を尋ねた後、本題に入った。
「ヨードル大将とは、緊密に連絡を取っているかね」
「毎日、報告を提出しております」
「彼は、君たちの意見を聞くかね」
 ヴァーリモントは口こもった。
 かっきり2秒後、ヒトラーはうなずいて立ち上がった。「ありがとう」ヒト
ラーの爆発を予期していたヴァーリモントは、立ち上がりながらも頭の中が空
白になる感覚を味わった。
 帰ろうとするヴァーリモントに、ヒトラーは何気なく尋ねた。「今日の新し
い総統指令をどう思う」
「倣岸な発言と聞こえなければよろしいのですが、総統」ヴァーリモントは愉
快そうに言った。「私どもでも秘密裏に同様の方針を検討しておりました」
「よい草案を期待できそうだ」
 OKWの発する総統指令は、陸海空3軍の司令部以下の行動を定める一般的な指
示である。ヒトラーは最初、今回の指令をカイテル幕僚総監とヨードル作戦部
長に諮った。カイテルは何の意見も挟まず、ヨードルはいろいろ意見を述べた
が議論がひどく大雑把で、すべてヨードル自身の考えであるようだった。どう
も下のスタッフとうまくいっていないな、と感じて、作戦課長を交えた会議を
設定してみたのだが、やはり推測は当たっていたらしい。ヒトラーはこの件を
頭の中の、後日手をつける改善点の長い長いリストに書き加えた。


 翌日、ヒムラーがヒトラーに面会を求めてきた。招じ入れられたヒムラーは
交通犯罪の記録綴りをヒトラーに示した。OKW作戦部長・ヨードル大将のまた
いとこが、先週スピード違反を見つかったというのである。
「法に従って処理すればよかろう」
 ヒムラーはヒトラーの耳元に口を寄せた。
「25キロオーバーですぞ」
「それがどうした」ヒトラーは思わず苛立ちを口調ににじませた。ヒムラーは
恐縮して帰っていった。
 最近ヒムラーは党の−つまりヒムラーの−陸軍である戦闘親衛隊を拡張しよ
うと一連の動きを見せていて、ヨードルらOKW首脳と陸軍総司令部首脳の一致
した反対に遭っていた。昨日ヒトラーが密かにヨードルの部下と会ったことを
親衛隊のボディーガードから聞き知り、ヨードルが寵を失いつつある印と見て、
追い落としを図ったのであろう。

 ヨードルはその封筒の表と裏を何度も不思議そうに見直したが、それでその
不可解な手紙の謎が解けるわけでもなかった。差出人はヨードルの面識のない
またいとこ−と名乗る人物−で、交通違反をして運転免許を取り上げられそう
になって困っているので、ヨードルが「適切な政治力を行使」してくれること
を期待していた。手紙をもらったことすらないから筆跡の真偽も分からない。
 ヨードルは封筒と中身をごみ箱に捨てると、大事な客人をヒトラーとともに
迎えるために、執務室を後にした。


 ヒトラーは来客を待つ間、テンペルホーフ飛行場の貴賓室で、ヨードルから
イタリア軍に関する最新の現状報告を受けた。9月にエジプトに侵入したイタ
リア軍は、国境から100キロ入ったシディ・バラーニで補給物資を待つため停
止している。アルバニア(当時はイタリア保護領)のイタリア軍は平穏であり、
エチオピアのイタリア軍は英領ソマリランドなど抵抗の少ない小さな領土を切
り取った後、それ以上積極的な行動に出ていない。
 おっちゃんはアフリカ戦線の流れならよく覚えていた。イタリア軍は数の上
では優勢だったが、もうすぐイギリス軍の反撃を受けてリビアの東半分を失う。
そしてアフリカ軍団とロンメル将軍の登場となるのである。それは、よい。
 問題はギリシアであった。史実では、間もなくアルバニアのイタリア軍が、
ドイツに無断でギリシアに侵攻する。苦戦するイタリア軍を援助する形で、こ
こでもドイツ軍が戦列に加わり、クレタ島占領までの一連の作戦を展開する。
ギリシアに重要資源がないわけではないし、イギリス軍の介入を誘ってこれを
痛打したことの意義は軽からぬ物があるが、やはりドイツ軍にとってヤブヘビ
ではなかったか、とおっちゃんは考えている。
 イギリス軍との直接対決は北アフリカでもできるわけだし、ギリシアの隣国
ユーゴスラビアを刺激して戦争になれば、泥沼の対パルチザン戦が待っている
ことを、おっちゃんは知っている。
 とはいえ、バルカン戦線はゲームにも模型にも縁遠いから、おっちゃんの知
識はひどく限られている。ヨードルら職業軍人に意見を徴しても、ギリシア侵
攻は有害無益という見方までは一致するものの、あとは政治家であるヒトラー
が自分で決断するしかないようであった。
 おっちゃんは思い切って、ムッソリーニをベルリンへ招いてみることにした。
ムッソリーニの秘密計画を見抜いている振りをして、直接の説得でギリシア侵
攻を止めるのである。
 ムッソリーニが侵攻を心に定めているとすれば、口実を設けて会談を断るこ
ともありえた。ところがムッソリーニはあっさりと招待を受けて、今日ベルリ
ンへ着くのであった。


「貴重なお時間を割いていただいて感謝しておりますぞ」専用機でテンペルホー
フ飛行場に降り立ったムッソリーニは、いかにもエネルギッシュな男であった。
おっちゃんを何より驚かせたのは、ムッソリーニが通訳なしで、少々発音の怪
しいドイツ語を話すことである。手を握りながら、ヒトラーも笑顔で応じる。
「実り多き会談となることを確信しております」最近はだんだんと、おっちゃ
んも政治家らしい如才ない表現が身についてきていた。

 今回の会談は、いわばお忍びであったから、派手な行事は何もない。ムッソ
リーニとチアノ外務大臣らわずかな随行員が、ヨードルはじめ数人の要人と簡
単に挨拶し、車を連ねて飛行場から総統官邸に移ると、早速第1回の首脳会談
であった。
 お忍びの会談は異例とは言えないが、議題について事前の合意がほとんどな
いのは異例であった。しかも奇妙なことに、それでいて両首脳は明らかに会談
を熱望しているのである。おっちゃんもおかしいとは思っていたが、会って聞
いてみるしかないことだ、と腹を括ってしまっていた。
 ホストとして、ヒトラーはまず下手に出ることにした。「急なご招待でした
が、会談に応じていただき感謝しております。我々の共通の利害にとって、重
大かつ緊急と思われる問題がありましたので、かくも遠方へ御足労を頂きまし
た」旧オーストリアまで出向けばよかった、と今ごろになって気づいているヒ
トラーである。今のドイツはオーストリアを併合しているから、イタリアと国
境を接している。
「それは私どもにとってきわめて幸運でありました」ムッソリーニが応じる。
「我々もまた、重要な協議事項が生じたところであったからであります。それ
はリビア及びギリシア情勢についてであります」ムッソリーニは思わず言葉を
切った。ドイツ側の参加者が、一斉に目を光らせたように感じたのである。


 構図はこうであった。イタリアはフランスの敗戦直前になって参戦してみた
ものの、1930年代からエチオピア侵略、続いてスペイン内戦への介入と、だら
だらと戦費を垂れ流しに使って、国力は消耗し尽くしている。ドイツから武器
弾薬の提供を受けないと、満足な作戦活動もできない状況である。そのくせ、
目にみえる戦勝がないと政治的な国内基盤がもはや危ない。そのジレンマを解
消してくれるなら、ドイツに迷惑をかけることは思いとどまる。婉曲な表現を
取り去って煎じ詰めると、これがムッソリーニの言い分であった。
 ドイツ側の出席者は重苦しく黙り込んだ。イタリアの言い分は、分かる。よ
くぞそこまで正直に言った、とも言える。イタリアはいろいろ問題を持ち込ん
でくるにせよ、ドイツ最大最強の盟邦であり、その参戦に対価を払う値打ちは
あった。問題は、ヒトラーが激怒しないか、という一点にかかっていた。
 ヒトラーは、怒らなかった。
「我々はもはや運命を共にしております。ドイツの勝利はイタリアの勝利であ
り、イタリアの勝利はドイツの勝利であります。すべての決定は、この基本的
認識を基礎として為されなければなりません」ヒトラーは言い切った。
 最近の総統はどうされたのだ? ヨードル作戦部長とハルダー陸軍参謀総長
は、軍人らしく驚きを表情から消した。ただシュペーア軍需大臣だけが、かす
かににやにやと笑っていた。彼はもちろん、ヒトラーの言葉の中の「勝利」を
「敗北」に入れ替えて解釈している。

 基本合意がばたばたとでき上がっていった。ひとつ。イタリアはギリシアに
介入しない。ひとつ。ドイツはアフリカ戦線に武器と部隊の両面から援助を与
える。すなわち、ドイツ軍を投入するだけでなく、イタリア軍の一部にもドイ
ツの兵器を提供し、手柄を立てる機会を拡大する。ひとつ。地中海の制海権確
保のため、ドイツ空軍が協力する。ひとつ。ドイツとイタリアは共同して、ス
ペインとヴィシー・フランスが思い切った反英的活動−とくにジブラルタル攻
撃への協力−に踏み切るよう政治的圧力を掛け続ける。しかし………
「スペインとフランスには、いずれもあまり期待が持てないように思われます」
ムッソリーニは言い切った。「しかしながら、我々の真の意図を隠す陽動とし
てはきわめて有効でありましょう」
 参加した将星たち、閣僚たちは、すっかり寛いだ雰囲気の中にいた。もめる
と思っていた会議がもめずに済んだ安堵が、総統官邸の会議室に漂っている。
そんな多幸症的なまでに親しげな空気の中で、ムッソリーニがこんな提案をし
たとき、誰も違和感を覚えなかった。
「親愛なる将軍方と閣僚方は、我々の合意を文書化するために打ち合わせの時
間を取られるべきではありませんか? その間、私はよろしければ総統とふた
りだけで友好を深めたいと思います」


「まず、非礼の数々をお詫びせねばなりません」ムッソリーニは、出兵の取り
やめだけを交渉材料として、ヒトラーから多くの譲歩を引き出したことを詫び
た。「もし我々が真に共同の利益を図るのであれば、北アフリカ戦線も縮少す
べきところですが、我が国の国内事情がそれを許さないのであります」
 ヒトラーは応じた。「北アフリカ戦線は、きわめて重要かつ微妙な戦線であ
ります。投入する兵力の規模と時期を誤れば、かの地において我々は決定的な
戦略的敗北を被りましょう」
「もし閣下がソビエト侵攻を考えておられるなら」ムッソリーニはヒトラーの
表情を盗み見るように言った。「バルカン戦線において空費することを免れた
時間を有効にお使いになり、5月のうちに戦端を開かれるべきかと存じます。
その場合北アフリカへ割いていただく戦力も、最低限のものとするのが適当か
と」
 ヒトラーの頭に閃くものがあった。どうもこのムッソリーニは、自らを知り
すぎている。試してみる必要がある。「来年の日米関係について、統領はどう
いう見通しをお持ちですか」
「緊張が高まることは避けられないでしょう。日本海軍による大規模な奇襲も
起こり得ます」ムッソリーニの口調が急にゆるやかになった。慎重に言葉を選
んでいるようだ。
「それは、12月8日に起こるとは思いませんか」
 ムッソリーニは、ヒトラーの奇襲に口をぱくぱくさせた。「あなたは誰です」
「おそらく、あなたと同様の経歴を持つものです」ヒトラーは言った。
 ムッソリーニが日本人であるらしいことは、真珠湾攻撃の日付を12月8日と
したことから分かる。ハワイは日付変更線の向こうだから、現地時間では真珠
湾攻撃は12月7日であり、欧米ではこの日付を採っている。もしや・・・

「政やんと違うか」「ほな・・・社長かいな」ムッソリーニも関西弁で応じた。

 おっちゃんがこの世界に飛ばされてきたとき、同じ車に乗っていたのが、政
やんこと近藤政夫である。「奇遇やなあ」「奇遇やなあ、やあらへんがな」ヒ
トラーはわめいた。「わしらが飛ばされたとき、何があったんや。まさか事故っ
たんとちゃうやろな」「直前まで普通に運転しとったんやけどな。突然ドカン、
いうて大きな音がして。気がついたら、こっちや」「ほな落雷か」「阪神高速
のど真ん中で、乗用車に雷なんか落ちるかいな」ふたりは黙り込んだ。
「まあとにかく、やな」ヒトラーは気を取り直した。「放っといたらわしは自
殺であんたは銃殺や。よろしゅう頼むで」「まかしとき。イタリアは、何もせ
えへんさかい」「さっき自分で言うとったやないか。何もせんかったら政権倒
れる、いうて」「せやったせやった。あんじょう物資回してや」
「それはええけど、そこで揉み手をすなや」ヒトラーはぼやいた。

<ヒストリカル・ノート>

 イタリアには第2次世界大戦に関して、中長期的な作戦計画はなかったよう
です。参戦時の当面の方針では、エチオピア方面のわずかな英領を除き、攻撃
に出る計画はありませんでした。
 ところがドイツがフランスに圧勝し、イギリス本土上陸の構えを見せたため、
ムッソリーニは対英交渉で領土や賠償を得るため、英領に対する攻撃の実績を
作る必要が生じました。北アフリカ戦線は、こうして開かれたものです。
 さらに下って1940年10月、ドイツ軍はルーマニア政府の要請の下に、ルーマ
ニアに進駐しました。この一件はひどく複雑なもので、次話以降で正面から取
り上げる予定です。ともあれ、史実ではムッソリーニはこれを、ドイツがルー
マニアを完全に勢力化に置いたもの、と解釈して激怒し、「ドイツと同様に」
勢力圏拡大の既成事実を作るため、突然ギリシア攻撃を命じました。アルバニ
アのイタリア軍が準備のため与えられた期間は2週間にも満たず、増援を受け
ることもできませんでした。戦線は当然停滞し、翌年のドイツ軍のユーゴスラ
ビア・ブルガリア経由の支援を待つことになったのです。
 また、ユーゴスラビアでは、ギリシア攻撃のためのドイツ軍の領内通過を要
求されて、このまま大戦に巻き込まれてしまうのではないか、という不安が広
がり、せっかくの親独政権が倒れてしまいました。新政権も反独政権とまでは
言えなかったのですが、ヒトラーはこの政権を武力で打倒することを決意し、
ギリシア侵攻に先立って実行に移したのでした。従って、ギリシア攻撃がなけ
ればユーゴスラビア攻撃もなかったのではないか、と思われます。


第4話「総統の革命」

 ドイツ空軍司令官、ヘルマン・ゲーリング国家元帥は、ヒトラーの招請を受
けて重い腰を上げ、贅を尽くした大邸宅からベルリンへやってきた。
 ゲーリングは軍人として特別な存在であり、ヒトラー政権と空軍に対する彼
の貢献は絶大であった。最近、彼の空軍はイギリス上空の制空権を奪うことに
失敗したが、なお彼の威勢も人気も十分に大きな物であった。
 最近ゲーリングは会議に代理を送ることが増えていた。位人臣を極めた気の
ゆるみもあったし、イギリスでの失敗でヒトラーと顔を合わせづらくなってい
ることもあった。
 今回は代理出席まかりならぬ、来ないのであればこちらから出向くぞ、とい
うヒトラーのたっての要請で、どうしても彼がベルリンへ来なければいけなく
なった。ゲーリングは政治家としての長年の勘から、何かいやな予感がしてし
かたがないのだが、ベルリンにいる空軍の連絡将校たちはヒトラーの本音を引
き出せずにいた。
 すでにOKWから、ドイツ軍の重点を大きく移すような指示がいくつか飛んでい
た。最新鋭の爆撃機であるユンカースJu88爆撃機のほとんどを大西洋岸へ回す
こと、爆撃機部隊の新設を禁止し、戦闘機部隊の拡充を急ぐことなどで、その
背景にある大方針の転換−ソビエト攻撃の中止−については連絡将校たちが伝
えてきていた。
 その大方針の転換を正式に協議するためだけに、自分は呼ばれてきたのだろ
うか? どうもヒトラーのいつものやり方ではない。ヒトラーはおよそ誰の同
意も取り付けようとはしない。命令するか、何もしないか、どちらかである。
ヒトラーがいったん腹を決めたとしたら、まず指示が来るのがいつもの手順で
ある。逆にヒトラーが人を呼び付けるとしたら、ヒトラーはまだ最終的な判断
を保留しているはずであった。とすれば具体的で体系的な総統指令が出始めて
いる現状はおかしい。
 ゲーリングは考えるのが面倒になったので、何か飲み物を持ってこさせるこ
とにした。ゲーリング専用列車には、ゲーリングを不愉快にさせないため考え
られる限りのものが乗っている。とはいえ、だんだん出不精になるゲーリング
がこの列車を使うことも、あまりなくなってきていた。

 ゲーリングは第1次大戦のとき、伝説的な撃墜王”レッド・バロン”リヒト
ホーフェン男爵のもとで、パイロットとして戦っていた。大戦末期に英仏軍が
優勢となり、戦闘機に迷彩を施す命令が出されたとき、これに反発したリヒト
ホーフェンが乗機を真紅に塗ったことが彼の渾名の由来だが、このときゲーリ
ングも乗機を純白に塗らせている。彼のパイロットとしての実績はなかなかの
もので、リヒトホーフェンが終戦直前に戦死するとその後任指揮官となったほ
どである。終戦後NSDAPに入党し、空の英雄としての声価と、組織者・政治家
としての才能を党とヒトラーに提供した。
 第1次大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約は、ドイツに空軍を持つこと
を禁じていたから、ドイツにおける空軍の器材や人員の確保は、あらゆる隠れ
みのを使わねばならなかった。ルフトハンザ航空には「連絡機」や「輸送機」
が異常に数多く在籍し、青少年に基本的な航空機操縦を教えるためにグライダー
競技が奨励された。やがてドイツ空軍の存在が公表されるや、それは迅速に組
織を整え、列強にドイツとの軍事衝突をためらわせるほどの戦力となった。こ
れらのプロセスにおいて、ゲーリングは自ら辣腕を振るっただけでなく、その
勝ち取ったポストを旧友たちに分け与えて、新生ドイツ空軍の高官としたので
ある。高官たちが、自分たちを人がましくしてくれたゲーリングに頭が上がら
ないのは当然のことである。
 ドイツ空軍はイギリスを屈服させるためには十分な戦力ではなかったが、ポー
ランドとフランスでは戦術空軍としていわゆる電撃戦の担い手となり、成功し
た。大規模な交戦の機会もないままに、いろいろなコンセプトが生まれては消
えた戦間期にあって、ドイツ空軍の育成は十分に成功したと評価できる。国力
を省みず、効果の現れるのが遅い戦略爆撃に傾斜などしていたら、ドイツ軍は
1941年になってもフランス国境からほとんど進めずにいたかもしれない。
 しかし、イギリスや大西洋でドイツ空軍に必要とされる能力は、従来有効で
あった能力とはまったく異なっている。過去はともかく、ドイツ空軍は変わら
ねばならなかった。


 ヒトラーはゲーリングが到着すると、すぐに彼を閣議室に招じ入れた。総統
官邸はもともと首相官邸であるから閣議を開くための会議室があるが、完成以
来この目的に使われたことは一度もない。
 ヒトラーが勉強家であることを、ゲーリングはよく知っていた。しかしさす
がのヒトラーも航空関係については技術的な知識が追いつかず、陸軍に対する
ような細かい口出しは従来ほとんどなかった。
 それが、である。
 ヒトラーの提示する構想は詳細で、ゲーリングには付け入る隙がほとんどな
かった。逆にゲーリングが、大型機や飛行艇に関する知識の不足を痛感する体
たらくであった。
 しかしゲーリングは言わねばならない。この構想は空軍の既得権益を大きく
侵している。空軍の分割に等しいではないか。
「それだけではないぞ、国家元帥」ヒトラーはゲーリングの遠慮がちの反論に
びくともしなかった。「高射砲部隊も大幅に縮小する。理由はひとつにはイタ
リアへの援助のため、もうひとつには陸軍の対戦車能力強化のためだ。都市防
空部隊と野戦高射砲部隊の両方を削る必要がある。そう、88ミリ砲が1000門ほ
ど必要だ」
 高射砲が爆撃機を撃墜することはあまりない。しかし良い位置での照準を妨
げることはできるし、市民に「国が何かやってくれている」ことを実感させる
ことの政治的意義は大きい。イタリアにも決して重高射砲がないわけではない
のだが量産が進んでおらず、イギリス空軍の都市爆撃が少なからざる政治的失
点を生み出していた。
 それにしても1000門とは! この時点で空軍が保有している88ミリ砲は3800
門、ほかに105ミリ砲が400門足らずあるが、その1/4を召し上げようというの
である。ゲーリングは言葉を失い、ヒトラーをにらみつけた。
「私はこのような屈辱的な決定を、司令官としての国家元帥に押し付けること
に忍びない」ヒトラーの口調は静かだが、考え抜かれたものらしく、すらすら
と言葉が出てきた。

「辞職せよ、と言うことでありますか」ゲーリングの顔はもはや人間のそれで
はない。敵を前にしたブルドッグのそれであった。
「戦争は厳しい局面を迎えている。もしイギリスを屈服させることに失敗すれ
ば、アメリカが参戦し、我々は破滅する。私は君の個人的な名誉に大いに関心
を寄せているつもりだが」ヒトラーの口調もわずかに甲高くなっている。ゲー
リングの興奮に刺激を受けているのであろう。「同時にもっと大きな物に対し
ても責任を負っているのだ」
「ミルヒだな!」不意にゲーリングは気がつき、吠えた。これだけの詳細な計
画を立案でき、しかもその事実をゲーリングに報告しない人物といえば、空軍
省次官のミルヒ元帥しかいない。彼はユンカース社出身で航空機生産と開発に
詳しく、ゲーリングの後継者と目されていたため、当のゲーリングからは強く
警戒されていた。「総統、奴に騙されてはいけません。奴は空軍の指揮のこと
などまったく分かってはいないのです」ゲーリングはまくしたてた。
「私は君の王国を取り上げるつもりだ、国家元帥」ヒトラーの言葉は冷たく、
ゲーリングをかえって冷静にさせるほどであった。「王国は分割される。ミル
ヒはその一部分を受け取ることになっている。それは事実だ。しかし私が君の
利害よりも彼の利害を重く見ているわけではない。状況はドイツに、すべての
潜在能力を発揮することを要求している。すべてはそのための処置だ」
 王国? そうか。総統はゲーリングの空軍総司令官としての職だけでなく、
経済関係の閣僚の地位も奪うつもりなのだ。「その危機を乗り切るために、総
統は私を必要とされないのですか」ゲーリングは涙声になっている。状況は悪
かった。ゲーリングの予想をはるかに越えて悪かった。ヒトラーはすべての用
意を整えており、ゲーリングは不意打ちを受けた。ゲーリングは懸命に出口を
探していた。
「君には仕事がある。差し迫った仕事だ」ヒトラーの口調は丁寧だったが、和
らいだとはいえなかった。「勝利者は、薬物に頼ったりはしないのだ」
 ゲーリングは口を大きく開けたまま放心した。どこかの麻薬撲滅キャンペー
ンで使っていたこの殺し文句は、ヒトラーの狙いすました一撃であった。ヒト
ラーにも後はない。総統らしい断固たる表現のボキャブラリーがここまで涸れ
なかったのが不思議なほどである。
 ゲーリングがモルヒネを常用していたことは現代ではよく知られている。と
いってもおっちゃんがそこまで知っていたわけではない。空物のプラ模型が好
きで、空軍関係の本を読むことの多かったムッソリーニがかろうじて、ゲーリ
ングが何かの薬物中毒であったことを覚えていたにすぎない。ヒトラーの秘密
の質問を受けて、真相を漏らしたのは、やはりゲーリングのにらんだ通りのミ
ルヒ元帥であった。
 会議室を沈黙が支配した。何人かの佐官級の高級副官がふたりのそれぞれに
相伴していたが、RPGのボス戦に巻き込まれた下級モンスターのように凍り
付いたままであった。ヒトラーもゲーリングも、血中のアドレナリンを取り片
付けることに忙しかった。
「君の名誉と収入については、私が責任を持つ」やがてヒトラーが口を開いた。
 ゲーリングは経済関係の実権を握っていることを基礎として、産業界からか
なりの個人献金を受けていた。それが今までのようには行かなくなることを含
めて、ヒトラーはゲーリングには十分な金銭的補償をする決意であった。
 もはやゲーリングは、力なく肯くしかなかった。


 今日の総統会議は、一方的な総統会見に近いものであることを、出席者は事
前に知らされていた。議題は秘密であり、陸海空の総司令部ないし参謀本部に
は何の準備も指示されなかった。どうやら、7月に内命のあったソビエト攻撃
計画が全面撤回されるらしいことは、薄々伝わっていた。しかしそれだけなの
か?
 昨日ベルリンに着いたはずのゲーリング国家元帥は公式の場に姿を現さない。
陸空軍のスタッフから見ると、空軍の高官たちは大慌てで、しかしどこかこそ
こそと協議を続けていた。彼らはいつ見ても誰かと話しているか、でなければ
電話を握っていた。
 総統官邸に続く通りで、陸軍少将が知り合いの海軍大佐を見かけて呼び止め
た。「君のところも忙しいのかい」
「俺は砲術科だからな。潜水艦関係の連中は、急に忙しくなったみたいだぞ。
みんな言い合わせたようにイタリア語の辞書を机の上に置いてやがる」海軍大
佐は言った。「Uボートを全部地中海に送るとでもいうんじゃないだろうな」
「逆かも知れんぞ」陸軍少将は応じた。イタリアの潜水艦が大西洋の戦いに参
加するためジブラルタル海峡をひそかに抜けて、じつに27隻がフランス西海岸
の基地に進出していることは、よく宣伝の種にされていた。この数は、ドイツ
が当時保有していた外洋作戦可能なUボートの、約半分に相当する。
「あまりありがたくないが、上が現実を直視してくれるのは助かる」海軍大佐
は言った。ドイツ海軍は、1944年まで対イギリス戦争はないという前提で増強
計画を進めていたため、1940年の時点では問題にならないほど戦力が不足して
いる。Uボートは生産に2年もかかる代物だから、開戦時から急速に着工数が
増えてはいるものの、いま作戦可能なUボートは驚くほどわずかな数にすぎな
い。開戦以降新規着工のほとんど止まった水上艦艇に至っては言わずもがなで
あった。
「今日、分かるさ」陸軍少将は言った。ふたりとも自分が総統会議に出席でき
る身分ではなく、別室で待機するサポート要員であったが、今日の会議で何か
重要なことがアナウンスされるという確信は持っていた。


 会議冒頭、ゲーリングの退任を告げるヒトラーの演説は短いものであった。
すでに空軍関係者はこのことを知らされており、どよめいたのは陸海軍関係者
であった。
 問題はその後任と職掌分担であった。この件に関して空軍総司令部は一切相
談に与れなかった。すべては総統とOKWが一方的に押し付けてくることになっ
ており、その内容もまだ漏れてきていなかった。きわめて異常な事態である。
「ミルヒ元帥!」ヒトラーは呼んだ。ミルヒは勢いよく立ち上がる。
 ミルヒは有能で友人が少なく、成り上がりの多いヒトラー政権にあっても、
権力を権力として愛することの強い男であった。父親がユダヤ人なのではない
かという嫌疑をかけられたとき、母親に別のドイツ人との不倫を告白する書類
を書かせて危機を乗り切ったといわれる。
「君を空軍大臣に任じる。空軍の技術局は空軍省に移し、君の指揮下に置く」
ミルヒは雷に打たれたような顔をした。ヒトラーは続ける。「君の空軍査閲総
監の職を解き、ゲーリング国家元帥をその職につける」
 空軍の高官たちが何人か、忍び笑いを漏らした。ミルヒは航空機の生産と開
発に関するすべての権限を与えられたが、逆に作戦指揮からは完全に切り離さ
れてしまったのである。査閲総監は企業で言うと監査役のようなもので、空軍
全般に対して口が出せる便利な職である。これを取り上げられると、ミルヒは
空軍総司令官に対して何の口出しもできなくなる。「微力を尽くす所存です」
ミルヒの挨拶も自然と短くなる。
「シュペール元帥」次に呼ばれたのは、第3航空艦隊長官、フーゴー・シュペー
ル元帥であった。「君を空軍総司令官に補す」
 シュペール元帥は、陸海空軍を通じて、ゲーリングより腹回りの太い唯一
の元帥である。その巨体の上に深刻な表情の顔が乗っかっている様は、どこか
ミスマッチであった。「総統、大変光栄なのでありますが、私がその職にふさ
わしいかどうか自信がありません」
 シュペールはドイツ空軍の古株で、1930年代にスペイン内乱に介入したドイ
ツ空軍部隊の隊長をしていた人物である。フランスが降伏してから、第3航空
艦隊はケッセルリンク元帥の第2航空艦隊と競うようにイギリス爆撃に出動し
たが、その間自分はパリのリュクサンブール宮殿を司令部にして、贅沢と賭博
にうつつをぬかしていた。弱い人間ではあったが、自分の弱さを自覚するだけ
の聡明さはあった。
「シュペール元帥、これからドイツ航空部隊に課される使命は、これまでのも
のとは大きく異なっている」ヒトラーが空軍でなく航空部隊と呼んだことに、
どんな意味があるのか、出席者のほとんどはまだ理解できなかった。「それを
解決するには多くの若い才能が必要だ。それらすべての人材を代表して、君は
総司令官となると理解してほしい」
「若い人材であれば」例えばケッセルリンク元帥ではどうか、と言いかけたシュ
ペールは、ヒトラーの意図を理解した。癖のある若い将軍たちのだれかひとり
を総司令官に据えれば、それ以外の将軍たちの処遇が難しくなる。ゲーリング
解任という激震を吸収する意味からも、ここは最年長のシュペールを中心に据
えて、それぞれのセクションで若手を守り立てた方がうまく行くのである。
それにしてもこれほど困難で損な役回りがあるだろうか。
「君は任務を果たせると期待している」ヒトラーはシュペールの数秒の沈黙を
黙認と取り、次の発表に移った。「経済大臣はシュペーア軍需大臣が兼務する。
4ヶ年計画担当大臣は廃止し、その権限は軍需大臣に帰するものとする」シュ
ペーアはにこりともせずに、新たな権限を受け取った。実際、シュペーアは新
たな仕事を得たというより、別の人間に邪魔されることがなくなった、と言う
べきであった。
「さて諸君、聞いてもらいたいことは、まだ始まってもいないのだ」ヒトラー
は語り掛けた。


「イギリスはドイツに長期にわたり抗戦する構えを見せている。これは私が想
定していなかった事態である。ドイツのいかなる戦時計画も、このイギリスの
態度によって引き起こされる長期戦に備えていない」ヒトラーはあっさりと自
らの責任を認めた。「誤りは正さねばならない。それも早急にだ。それのみが
イギリスの態度を改めさせ、戦争を早期に終結する道だからである」
 ヒトラーの演説は威勢のみ良くて、何を言っているのかわからないことが常
だったが、今日の演説はいつになく直接的である。
「イギリスを屈服させるためには、大西洋上及びイギリス上空において、イギ
リスに耐え難い消耗を強いることがまず必要である。さらに、イギリス本土上
陸に耐えられるだけの船腹を用意する必要がある。単に上陸を成功させるだけ
ではなく、ドイツ陸軍がスコットランドまで展開できるだけの補給能力を持つ
のだ」ここまでは1940年に試みられ、そして失敗したストーリーである。
「イギリスを封鎖するために最も有効な兵器は潜水艦であるが、これを短期的
に増産することは困難である。ゆえにその利用効率を高める補助的手段が必要
となる」空軍高官の顔色が変わった。ようやくヒトラーの意図が読めてきたの
である。何ということだ!
「私は、空軍から有力な航空部隊を海軍に移管することを命じる。水上航空機
および飛行艇のほか、哨戒に適する大型爆撃機、ビスケー湾(フランス西海岸)
において哨戒機とUボートを保護するための双発戦闘機、および艦船攻撃に適
する爆撃機がこれに含まれるべきである。ドイツおよびルーマニアの東部国境
の防備は、これらの措置のため犠牲にされる」
 海軍の高官たちは、突然の幸運が信じられないという顔をしていた。潜水艦
隊司令官デーニッツ少将は、案に相違して険しい表情であった。その責任の重
さを思うたのである。
 これまではゲーリングの絶大な政治力に支えられて、空軍は航空兵力を独占
してきた。その独占があっさり崩され、海軍航空隊が創設されることになった
のである。
「シュペーア軍需大臣は私の内意を受けて、Uボートと小舟艇の生産効率と稼
働率を引き上げるための措置を検討している。そのために主に東部戦線におい
て、ドイツ陸軍は30個師団を削減する」
 やっとソビエト攻撃中止の話が出たが、これだけ重大発表が続くと、色あせ
て見えた。攻撃計画では東部戦線に120個師団を配置することになっていたから、
その1/4を削減したことになる。東部戦線での攻勢のための補充要員も相当数
が召集を解かれることになるはずで、少なくとも60万人の青壮年が生産現場に
戻ってくる算段であった。
「現在創設作業が続いている戦車師団については、器材の充足が遅れることを
甘受しつつ、作業を続行するものとする」
 1940年の8月から11月にかけて、ドイツは戦車師団の数を10個から20個に倍
増させた。戦車連隊の戦車定数を20%削るなどの措置が取られてはいたが、戦
車や車両の定数充足にはまだまだ時間がかかるはずであった。ヒトラーは、大
西洋の状況を好転させるためなら、充足が遅れてもよい、と言い切ったのであ
る。小舟艇を大量に用意するとなれば、戦車生産は鋼板などいくつかの資源を
舟艇生産と食い合うことが予想された。
「質問は」やっと会議らしくなって、苦笑のさざなみが議場を渡った。ひとり
の陸軍参謀−それでも少将である−が勇を振るって手を上げた。「アフリカ戦
線および地中海戦線についてお伺いしたい」
「アフリカ戦線の意義は主に政治的なものとなる」ヒトラーは議場の最上段に
広げられた、ヨーロッパの地図の下に自ら進み出た。「現在イギリスとドイツ
の陸上部隊が直接衝突する可能性のある、唯一の戦場である。イギリスは現在、
戦術的な勝利のニュースを何よりも欲している。それは当分の間、我が軍も同
様となろう」確かにイギリスに海空から圧力を掛け続ける間、印象的な戦果を
あげることは難しいであろう。
「従って基本的に、地中海戦線における戦略目標は、最小の犠牲によってイギ
リスの攻勢をことごとく失敗させることである。しかしながら、将来の可能性
を考えると」
 ヒトラーは地図上の一点を指した。「ここが攻防の焦点となるであろう」

<ヒストリカル・ノート>

 ヒトラーがヨードルら一部の側近にソビエト攻撃の準備を命じたのは、1940
年7月、つまりイギリス上陸成るか成らざるかも定かではない段階であったと
いわれます。この時期、イタリアとの連携がなかったことももちろんですが、
ドイツ自身もスペイン経由のジブラルタル攻略など、複数の作戦の準備を同時
進行させていました。
 ヒトラーはイギリスとの戦争を短期戦か、あるいはまったく避けられる戦争
とみなしており、これがドイツ国民に対する一種の公約となっていたようです。
総力戦への国内の準備が整っていなかったのも、整えるのに時間がかかったの
も、この政治的要因が影響していました。
 1940年末頃の外洋型Uボート稼動数を直接示した資料は手元にありませんが、
完成したUボートの引渡数と喪失記録から、60隻前後ではなかったかと思われ
ます。また大西洋のイタリア潜水艦については、29隻と記した資料もあります。


第5話「3人のただひとり」

「いやあ、まことに結構です。結構ですなあ」グラスを両手に持って、豪華な
ソファに腰を落ち着けたのは、ウーデット空軍大将である。窓の外には青々と
した伸びかけの春小麦がどこまでも広がっている。遠くの教会の屋根が少しず
つ動くことだけが、これが列車の窓であることを思い起こさせた。
 ヒトラーは新聞からちらと目を上げると、すぐに元に戻した。ミルヒ元帥は
自分のコンバートメントで何か書類を決裁しているので、ここにはいない。
 総統専用列車は冬の北ドイツをひた走る。総統、新しい空軍大臣ミルヒ元帥、
前空軍技術局長ウーデット大将が主な乗客であった。

 事の起こりはシュペーアの提案であった。熱心なシュペーアはすでに大小様々
な改革に手をつけていたが、今回彼の槍玉に揚がったのは、要人の専用列車で
ある。ヒトラー自身が専用列車を愛用しているものだから、自分を要人だと思っ
ている有象無象が我も我もと専用列車を欲しがって、貴重な車両がひどく無駄
に占有されている。
「総統が示しをつけて、専用列車を返上していただきませんと、歯止めが利き
ません。ご賢察願わしく存じます」シュペーアに迫られては、おっちゃんとし
ても立場が弱い。実のところ、おっちゃんは総統として享受できる贅沢な設備
が結構楽しくて、これで温泉でもあったら言うことあらへんな、とか思ってい
たところだったから、大いに迷惑であった。
 結局ヒトラーはシュペーアの要求を呑んだ。しかしである。
「専用列車で最後の旅をしたい。軍需産業の視察旅行というのはどうだろう」
「それは結構なお心がけです。行ってらっしゃい」
 そんなわけで総統は、航空機メーカーの連続視察に入っているところであった。

 ウーデット大将は、ゲーリングと同様に第1次大戦のパイロット上がりであ
る。およそ官僚としてきっちり仕事のできるタイプではなく、彼が技術局長の
椅子に座っていることに、ゲーリングのミルヒへの牽制以外の理由はなかった。
 ゲーリングの辞任−公式には「党の職務に専念するため」とされた−に伴う
大異動で、ウーデットもまた職を解かれた。というより、ウーデットが真っ先
に槍玉に上がったのである。ムッソリーニは、ウーデットを新機種開発の遅れ
の元凶だとした本を何冊か読んだことがあった。
 ふと解任前に本人に会っておこうと考えたのは、おっちゃんの幸運であった
かもしれない。
 最近、おっちゃんはは何やかや理屈をつけて、ヒトラーの禁酒主義を放棄す
ることに成功していたから、おっちゃんは宴会のゲストとしてウーデットを招
いてみることにした。ヒトラーは元々、夕食に軍人を呼ぶのを嫌っていたのだ
が、おっちゃんは逆に、何とかロンメル将軍を呼んでサインをもらいたいもの
だと思っていた。
 ウーデットは酒が好きで女が好きで、権力そのものにはあまり関心がないよ
うであった。総統の知己を得たことを大袈裟に喜んでいたが、仕事の話をさせ
られるのを嫌がった。あとでラウンジへ呼んで解任の内意を告げると、ウーデッ
トは一瞬だけ悲しい顔になり、すぐにせいせいした顔になった。ウーデットも
自分が今の職務に向かないことをよくわかっていたのである。
 おっちゃんはその場で思い付いたことがあった。OKW作戦部付顧問といった
形式的な役目を設けて、空軍に関するヒトラーの個人的な話し相手とするので
ある。ウーデットには知り合いが多く、人物評価は鋭いとはいえないまでも、
世間のその人物に対する印象をよく捉えていた。それこそがおっちゃんに最も
欠けている情報だったのである。
 ウーデットはその申し出を喜んで受けた。現役でいられれば収入が保証され
るからである。ウーデットにとって出世とはそういうことであった。


 ウーデットが総統と接する機会を急に増やしたことに気づいて、大いに慌て
たのは、ミルヒ元帥であった。ウーデットとミルヒは元々仲は悪くないのだが、
ゲーリングがミルヒと噛み合わせるようにウーデットを起用したために、どち
らかというとミルヒの方がウーデットを嫌い、ときにいじめる関係になってい
た。
 今回の視察は最初は総統とウーデットだけで行くはずだったのが、ミルヒが
案内役の名目で割り込んできたのであった。ウーデットの紹介を得てヒトラー
と航空機メーカーが直接つながってしまったら、空軍大臣の権威はどこにあろ
う? 道中ウーデットとヒトラーだけでミルヒの噂話をすることになったら、
ウーデットは総統に何を吹き込むだろう?
 そんなわけで、3人は最初の訪問地、ドイツ北西部のブレーメンにあるフォッ
ケ=ウルフ社の主力工場に向かっているところであった。


「フォッケ=ウルフ社というのは、やはりフォッケとウルフが作ったのかね」
「そうですとも」ウーデットは右手に持った方の高級フランスワインをうまそ
うに飲み干した。「もっともウルフは死んじまいましたし、フォッケはオート
ジャイロに夢中でしてね。オートジャイロはご存知? ブルン、ブルン、ブル
ンってやつです」ウーデットは空のワイングラスを頭上で回して見せた。
 オートジャイロはヘリコプターの原形というべきタイプの航空機で、フォッ
ケは別会社(フォッケ=アハゲリス社)を設立して技術の確立に努めていた。
Uボートに積み込める偵察用の折りたたみオートジャイロは、実用化に後一歩
のところまで来ている。
「いまフォッケ=ウルフを技術面で取り仕切っているのは、クルト・タンクと
いう男でね」赤い顔のウーデットはすっかり上機嫌で、ヒトラーを目の前にし
ても「総統」という呼びかけをほとんど挟まない。「ああいう奴がドイツの飛
行機を作っていると思うと、愉快でなりませんや」いやもちろん愉快なのはウー
デットだけなのだが。

 工場に併設された飛行場は、1機の飛行機の爆音に包まれていた。いや、たっ
た1機というべきであろう。普段の喧騒に比べれば、まだましであった。
 その双発戦闘機はヒトラーたちの目の前で、ゆっくりとした速度で着陸コー
スに進入した。この速度でも失速しないということは、機体の安定性が高く操
縦しやすいということである。もっともヒトラーは知らなかったし、ウーデッ
トは思い至らなかったし、ミルヒは気がついたが黙っていた。
 進入速度が低ければ着陸距離も短い。ほどなく停止した戦闘機の風防が開き、
無帽にベスト、普通のズボンに航空長靴という男が身を起こした。男は若々し
い所作で地上に降り立つと、自ら歩み寄ってきた総統に型通りの敬礼をした。
「ハイル・ヒトラー。フォッケ=ウルフ社にようこそ」
 タンク技術担当重役は、自らのデモンストレーション飛行で、総統を迎えた
のであった。

「先ほどの機体はいかがでしたか」工場を歩きながら、タンクは率直に切り出
した。さっきの機体はFw187というのだが、タンクとしては自信作であるにも
かかわらず、空軍の関心をどうしても引くことができずにいた。政商メッサー
シュミット社の双発戦闘機Me110、さらにその発展型のMe210と競合するために
審査の機会も与えられないのだ、と考えていたタンクは、この機をとらえてヒ
トラーへ直訴に及んだのである。
「良い機体だ。だが君の会社はドイツの運命を握っていることを忘れないでほ
しい」自分に見向きもせずヒトラーが口を開いたので、ミルヒはまたも疎外感
を味わった。「Fw189、Fw190、そしてFw200。どれひとつ失敗しても、ドイツ
は戦争遂行に支障を来たすのだ」

 Fw189は、陸軍部隊と連絡を取って最前線の様子を偵察する小型機である。
Fw190は次期主力戦闘機として期待が高く、エンジン周りの初期不良対策が懸
命に進められている。Fw200はあまり馬力の高くないエンジンを4基使った大型
機で、戦前に長距離旅客機として開発されていたのを、急ごしらえの洋上哨戒
機としたものであった。哨戒機といっても爆装していて、大西洋では商船攻撃
でかなりの戦果を挙げている。いずれもその分野で、いまドイツが持っている
最高の機体であった。
「Fw189とFw200は順次他社に生産を移行しているところです。Fw187も量産を
他社に委ねることもできるかと存じますが」「それは困る」ミルヒはやっと割
り込むことに成功した。「Ju88の量産拡大と資源が競合してしまうし、いずれ
Me210の量産も始まるのだからな」

 双発機は戦闘機にも爆撃機にも使われる。1930年代には、ほとんどの先進国
が、「双発戦闘機の重武装を生かして単発戦闘機に勝つ方法」を研究した。結
局これらはすべてうまくいかなかったが、これら双発戦闘機は大戦が始まって
から、軽爆撃機や夜間戦闘機に流用されて成功したものが多い。双発戦闘機は
燃料や武器を多く積めるから、重防御の爆撃機が主な相手で、安全に着陸でき
る夜明けまで飛んでいたい夜間戦闘機には好都合なのである。
 逆に、速度の優れた双発爆撃機は、夜間戦闘機としても優秀である。現にド
イツでは、Ju88双発爆撃機の戦闘機タイプが、イギリスの飛行場襲撃や沿岸部
の防空に活躍していた。ミルヒはそれを言ったのである。
 ミルヒは、双発機をMe210とJu88にまとめてしまいたいと思っていた。その
ほうが量産効果が上がるはずである。この種の過度の機種絞り込みにはいろい
ろ弊害もあったが、別に双発戦闘機の新型がなくてもドイツはあまり困らない、
というのは一面の真実であった。

 効薄いとみたタンクは陳情項目その2に移った。「Fw190のエンジントラブ
ルはなかなか解消しません、総統。ユンカース社の液冷エンジンを割り当てて
頂くわけには行きませんか・・・元帥」タンクの視野の端に、すごい形相のミ
ルヒが入ったので、タンクはとっさに呼びかけ相手を変更した。そうである。
空軍大臣はミルヒなのである。

 当時のドイツは、当時の日本がそうであったほどには軍需最優先ではなかっ
た。戦争は短期で終結する、という暗黙の公約を担保する意味で、民生品の生
産水準はかなり維持されていた。しかし軍需物資である航空機用エンジンとも
なると事情は違う。メーカー数は厳しく制限され、ドイツでは実績のある液冷
エンジンの生産は、事実上ユンカース社とダイムラー=ベンツ社のみに限られ
ていた。現在の主力単発戦闘機であるメッサーシュミット社のMe109はダイム
ラー=ベンツ社のエンジンを最優先で与えられていたから、タンクはユンカー
ス社のエンジンを所望したのである。

「そうだな・・・手洗いはどこかな」ヒトラーは人目につかない空間を確保す
ると、ふところから紙片を取り出した。先日の会談(第3話参照)でムッソリー
ニが走り書きしたものである。おっちゃんは航空関係には弱いので、政やんに
意見を聞いたのであった。
 メモにはいくつかの型番があった。Fw190という数字の下には二重線が引かれ、
Fw190A(空冷)、Fw190D(液冷)と分岐線が伸びていた。Fw190Dの後ろには
Ta152というわけのわからない型番へ矢印が伸びており、この型番がぐるぐると
丸で囲んであった。どういう意味だろう? おおかた政やんのムッソリーニの
ことだから、模型として姿がいいとか、そういう機体なのであろう。ともあれ、
将来は液冷エンジンの提供を受けるのが歴史らしい。ちなみにMe210の行には、
「すぐ発注を取り消せ!!欠陥品」と書かれていた。部品メーカーの経理とし
て、一度でいいから言ってみたかった台詞なのであろう。字が躍っている。
 ヒトラーはすっきりした顔で戻ってくると、「将来は考慮してもよいだろう、
元帥」とミルヒを立てた。「しかし君の当面の仕事は空冷型だぞ。ドイツ航空
業界には芸術家は大勢居るが、技術者は君だけだ。兵たちの頼れる飛行機を作っ
てほしい」


 ハインケル社の創業オーナーであるエルンスト・ハインケルは、白い割烹着
を着て町角のパン屋の帳場から顔を出しても、何の違和感もない風貌である。
ドイツの同時代人でも有数の頑固者にはまったく見えない。頭髪はだいぶ減っ
て、もともと丸い頭をますます丸く見せている。細縁の真ん丸い眼鏡の奥の目
は、柔和ですらある。
 ハインケル社のロストク工場の入り口には、カギ十字のナチス旗が何気なく
翻っていた。ヒトラー一行を迎えたハインケルは、にんまりと笑ってその旗を
手ぶりで示したのだが、ヒトラーは何のことか分からずきょとんとした。
 じつは以前、社員の中の熱烈なナチス党員が勝手に工場の門にナチス国旗を
立てたのを、ハインケルが後で命じて片づけさせたことがあった。以来ドイツ
政府はハインケル社に冷淡になったと社長は感じており、これはかなり事実に
近かった。ハインケルは自分を笑う心の余裕とユーモア精神がある人物だった
から、今日は来客のためにナチス党旗を立てたのである。

 工場に併設された飛行場では、甲高いエンジン音が響き渡っていた。明らか
に、普通のものとは違う。工場関係者はもう慣れていて、ああ久しぶりにあれ
が飛ぶのか、と思っていた。
 セイバー(戦後のアメリカのジェット機で、航空自衛隊の最初の主力戦闘機)
に似ているな、というのがおっちゃんの第一印象であった。しかしどこかが大
きく違う。しばらく見ているうちに、翼が水平翼だからだ、と気がついた。戦
後のジェット機のように、斜め後ろに翼が伸びる後退翼ではない。
 He178ジェット実験機は、ゆっくりと滑走を始めるとたちまち速度を増し、
軽々と大空に飛び立った。おっちゃんはほっとした。もうドイツにはジェット
機があるのだ。
 おや? もう戻って来た。トラブルか? いやそんな様子はなかった。2分
もしないうちにHe178はあわただしく着陸体勢に入り、ハインケルの満面の笑
みに迎えられて着陸した。ミルヒとウーデットはほとんど無感動といってよかっ
た。前に見ているせいもあるのだが、どうもジェット機をゲテモノ扱いしてい
るらしい。この時代には、ジェットとロケットは同レベルの空想世界の乗り物
なのである。
「戦闘機の実験機があると聞いたが」「あそこに」ハインケルは扉を閉じた格
納庫を指した。「新しいエンジンが言うことをききませんでな」
 この時期のジェット機開発の主要な問題は、「エンジンが高熱に耐えられず、
すぐおしゃかになる」ことであった。ジェットエンジンに未知の部分が多いこ
とに加えて、ドイツはいくつかの鉱物が入手困難であったために、耐熱合金を
なるべく使わずにエンジンを製造する必要があった。エンジンをせめて数十時
間保つようにして、はじめて実用的な兵器となるのである。
 格納庫に入った途端、ヒトラーはうめき声を上げた。ハインケルのジェット
戦闘機He280は、おっちゃんの素人目には、後に登場するはずのメッサーシュ
ミットMe262にそっくりであった。孤軍奮闘するハインケルをちらちらと盗み
見ながら、メッサーシュミット社はジェット戦闘機を完成させていったのであ
る。
「ミルヒ元帥」ヒトラーは質問した。「この機体の発注機数は何機だ」「いえ、
それは、未定であります」実際には、開発契約を結んだだけで、発注はまだゼ
ロであった。「とりあえず100機の注文を約束してよいかな」ハインケルの丸
い顔がニコニコマークになった。「お望みのままに」ミルヒはすっかりあきら
めていた。総統は、重要機種の選定のイニシアチブを自分に任せる気はないの
だ。ウーデットはハインケルにウインクした。

 会議室へ移って視察は終わりかと思ったら、ハインケルは1枚の図面を持ち
出して来た。図面というよりラフスケッチに近い。胴体の極端に細い複座双発
機で、He219という番号が振ってある。
 この機体はきわめて高速の多目的機で、とハインケルが言いかけると、ミル
ヒは乱暴にそれをさえぎった。「双発多目的航空機としては、すでにMe210の
開発が進行している。これ以上ドイツの戦争計画を撹乱するのであれば、私は
空軍大臣として断固たる処置を取る」
「ハインケル博士。この飛行機のエンジン出力はどれほどかね」ヒトラーは激
昂するミルヒをまったく無視して、つぶやくように尋ねた。ハインケルは若い
スタッフを呼んで、短いが専門家以外には理解不能なやりとりをしたあと、
離昇出力1900馬力と答えた。
「ミルヒ元帥。B爆撃機計画で予定されているエンジンの出力は、2500馬力だっ
たな」その通りであった。B爆撃機計画は、次期主力双発爆撃機を開発するた
めの競作で、国営企業ユンカース社の新型機Ju288の予定性能にちょうど合わ
せた要求仕様だといわれていて、ハインケル社は参加を見合わせていた。
「いいかね。Me110は1100馬力、Ju88は1400馬力だ。この機体はB爆撃機計画
の予備計画として適しているとは思わないかね」ミルヒの眉がひくひくと動い
た。その顔には、このシロウトめ、と書いてあった。
 シロウトの言うことであったが、B爆撃機に積むはずのエンジンがまだ完成
していないことを考えると、合理的で冷静な提案であった。ミルヒは検討を確
約し、ヒトラーはハインケルに祝いを述べた。これでミルヒが計画を握り潰せ
ば、ヒトラーの意向を反古にしたと言われても仕方がないだろう。
「私から、通告することがある。この件については総統とも確認済みだ」ミル
ヒは腹立ち紛れに、今日最大の話題を持ち出した。「He177の発注を全面的に
取り消す」ハインケルの眼鏡が落ちた。

 He177爆撃機は、ハインケル社最大のプロジェクトである。エンジン4基を2
基ずつ縦に並べて双発機のようにした爆撃機で、2基分の空気抵抗を受けずに
済ませて、出力増大の代わりにしようという構想である。ただ2基を隣り合わ
せにしたエンジンが2基分の熱を出すのをうまく処理できず、開発が進んでい
なかった。
「開発契約は継続する。十分に技術が成熟してから、量産にかかりたまえ」
ヒトラーが引き取った。ハインケルはまだ凍り付いている。He177は大量配備
が予定されていたから、発注取り消しが社運に及ぼす影響は計り知れなかった。
「こんなことを言って慰めになるかどうかはわからないが、ハインケル博士」
ヒトラーは続けた。「ミルヒ元帥は君への指示をまだ半分しか口にしていない。
そうだな、元帥」水を向けられたミルヒは、しぶしぶハインケルにクリスマス
プレゼントを渡した。
「君の会社に対して、He111及びHe115の画期的な増産を要請する。完成した
機体は、数量に関わらずドイツ政府が買い取る」
「数量に関わらず、とおっしゃいましたか」ハインケルは疑わしげである。
「イタリアと契約を結んだのだ」ヒトラーは説明した。「イタリアから潜水
艦を買って、君の飛行機を売る」
 ヒトラーとムッソリーニは相談して、フランス西海岸のボルドーに進出した
27隻の潜水艦を、ドイツが買うことにしたのである。艦船は兵器としては高い
ものだから、代わりに引き渡されるドイツの兵器のリストは長いものになり、
その中にHe111とHe115も入っているのであった。もっとも、ドイツからイタリ
アへルーマニア産の原油を融通することにしたので、当初考えられていたより
兵器の提供は少なくてすみそうであった。He111もHe115も、海軍航空隊−高海
航空艦隊と命名されていた−でも切望されている。
「必要な工員、治具、工場用地について、シュペーア軍需大臣のオフィスから
協議のための連絡が来るはずだ」ヒトラーに言われて、ハインケルは指示の真
剣さを実感した。

「ドイツには航空機の図面の引ける人間は何人いるか知らないが、パイオニア
は君ひとりだ」ヒトラーは分かれ際にハインケルに言った。「期待しているぞ」
やりとりを見ていたウーデットは何も言わなかった。


 南ドイツのバイエルン地方の中心都市はミュンヘンである。そのミュンヘン
から北に100キロほど行ったところに、レーゲンスブルクと言う町がある。バ
イエルンを創業の地とするメッサーシュミット社は、ここに工場群を持ってい
た。
 ウィリー・メッサーシュミット教授率いるメッサーシュミット社は、いずれ
も元社員であるミルヒとウーデットを政治的な後ろ盾にしており、ヒトラーの
視察にも余裕たっぷりであった。Me210の発注取り消し、そして旧機種Me110と
Me109の増産という指示内容は、あらかじめミルヒとウーデットが耳打ちして
いたから、冷静に受け止められた。ヒトラーも事前のリークがあったことに気
づいたに違いないが、何も言わなかった。
「今日は、まことに当社に取りまして実り多い日でございます」メッサーシュ
ミットは如才なかった。
「実は、総統にお目にかけたい図面がいくつかございまして」メッサーシュミッ
トは若手設計技術者を次々にヒトラーに引き合わせては、大小様々な機体の説
明をさせた。ヒトラーはそれを礼儀正しく聞いていたが、聞いた内容は片端か
ら頭の中のごみ箱へ捨てていた。史実ではこれ以降、メッサーシュミット社が
開発する重要な機体はMe262ジェット戦闘機だけだが、おっちゃんはこの役目を
ハインケル社の機体に割り振るつもりであった。
 どちらにしても、ジェット戦闘機はこの大戦では主力とはなり得ない。エン
ジンが数十時間で使い物にならなくなる機体に、敵地深くへの侵攻任務は与え
られない。ドイツがジェット迎撃戦闘機を保有していることが、英米の戦意を
多少なりともくじくことが出来れば、それで十分であった。
 去り際にヒトラーはメッサーシュミットに言った。「ドイツ航空機業界には
芸術家は何人も居るが、大量生産の概念を理解する企業家は君ひとりだ。期待
しているぞ」
 ウーデットは、とうとう笑い出してしまった。

<ヒストリカル・ノート>

 専用列車を巡るシュペーアの要請は実際に行われましたが、ヒトラーは拒否
しました。
 ウーデットは開発政策の混乱と怠慢が表面化する1941年秋まで技術局長の地
位にとどまり、進退窮まって自殺しました。ミルヒはその後技術局長を併任し
て辣腕を振るいましたが、やがてゲーリングに失脚させられました。
 Fw190に積むエンジンは、いまは自動車メーカーとして知られるBMW社が作っ
たものですが、タンクが操縦を容易にするための装置を付け加えたこともあっ
て、深刻な初期不良が発生しました。開発の全面中止が検討されたこともあっ
たようです。1939年に初飛行してから、1942年に本格配備が始まるまでのタイ
ムラグは主に技術的なもので、政治的なものではないと思われます。
 ハインケル社の「正当な」扱いとはどのようなものかについて、著者と違う
意見の読者もおありでしょう。このレベルの議論に興味のない読者も多いと想
定していますので、その件についてヒストリカル・ノートではあまり詳しく論
じません。
 He178とHe280の1940年末の開発状況は、史実でも本文の通りです。
 B爆撃機計画は、結局Ju288も含めてすべての競作機が、主にエンジン開発
の失敗から実戦配備に至りませんでした。日本で大戦末期の主力機のほとんど
に搭載が予定されながら、最後まで性能が安定しなかった「誉」エンジンが
2000馬力ですから、2500馬力エンジンの完成にすべてを賭けたB爆撃機計画は
やや異常であったといえます。
 He177やMe210は硬直的なメーカー棲み分け政策によって実戦配備と量産が強
行され、時間と資源を空費しました。


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