第6話「双発機戦争」

 今日のボルドー・メリニャック基地(フランス西海岸)はよく晴れて、満天
に星々が鈍くきらめいている。よい写真が取れるだろう。イェンセンは明るい
気持ちで、まだ暗い空を見上げた。
 高海航空艦隊の創設後、このボルドー・メリニャック基地はもともと洋上哨
戒機が多く配備されていた関係で、ほとんどの施設が海軍に移管されている。
洋上哨戒機の活動の様子をドイツのメディアに載せるために、空軍宣伝隊から
イェンセン記者が派遣されて、哨戒飛行に同乗することになったのである。
 イェンセンは誰何を受けた後、あまり堅牢とは言えない兵舎に入った。燈火
が漏れるのを防ぐための窓の黒カーテンを除いては、装飾の類は一切ない。イェ
ンセンはほっとした。これまでの取材先の中には、占領地の美術品をごってり
と飾り付けているところもあって、イェンセンはそういう司令官にはなじめな
かった。
 基地司令官、爆撃航空団司令との短く儀礼的な挨拶が済むと、イェンセンは
空軍大尉の肩章をつけた20才台半ばの人物を紹介された。今日同乗させてもら
う哨戒機の機長、ブルフミュラー大尉である。みんな階級の割にひどく若いこ
とと、年齢の割に大人びた雰囲気を持っていることがイェンセンの印象に残っ
た。
「君がイェンセンか。便所には行ってきたか」それは初対面の握手をしながら
の挨拶としては妙な言葉であった。「出発までそう時間がない。出発直前は便
所が込むからな」
 数秒かかって、やっとイェンセンの頭の中で、話の空白が埋め合わされた。
これから同行する哨戒飛行は、フランスからイギリスとアイルランドをぐるり
と迂回してノルウェーに降りるもので、滞空時間は14時間に及ぶと聞かされて
いる。そして機内には便所はないのだった。

 特別の好意で、高官専用のトイレを使わせてもらったイェンセンは、ブルフ
ミュラー機長と肩を並べて、一般乗組員の集会所のある兵舎に向かった。
「あれは何だか知っているか」ブルフミュラーは飛行場の端、というより飛行
場の隣にそびえ立っている囲いを指差した。夜明け前のこととて、直線で構成
された巨大な壁は黒々として、刑務所のような不気味な威容を見せている。
「Uボート基地のブンカーに似ているようですが」「そうだ。哨戒機用のブン
カーを今作っているところだ」
 ブンカーは防空壕や堅固な陣地を指す一般的なドイツ語である。停泊中のU
ボートを空襲から守るために、フランスの西端に近い港町ロリアンには巨大な
ブンカーが建設されつつあった。ヒトラーは大西洋での戦いに関係する工事や
器材の優先順位を引き上げたので、哨戒機のブンカーまで作ってもらえること
になったのである。ただし工事中でまだ屋根がない。
「哨戒機は何機あるんです」イェンセンは何気なく尋ねた。「軍籍簿の上では
30機以上あることになっているが、実際には20機というところだな」ブルフミュ
ラーはあっけらかんとした口調である。巨大な矛盾にあえて目をつぶるとき、
人間は時々こういう態度を取る。
 ヒトラーの−今のヒトラーではない−悪い癖は、軍需物資の生産量にこだわ
りすぎることであった。補修部品として部品を前線に送れば、それを組み立て
て完成品として前線に届けた場合よりも、生産数は減る。当たり前のことであ
る。この当たり前のことをヒトラーは無視した。生産数を伸ばすようにヒトラー
がしつこく督励するために、ついつい航空機や戦車の補修部品の供給は削られ
ることになった。前線では仕方なく、修理すればまだ使える機材から部品を取っ
て修理部品の足しにした。こうして、戦列復帰の当てのない「長期修理中」の
機材が増えていったのである。もっとも整備班も最近は賢くなって、ある程度
損傷した機体を「修理不能」と報告して廃材扱いにしてから部品を取ることも
あった。そうすれば真新しい補充の部品、いや機体がもらえるかもしれない。
 それにしても30機は少ない。「ここの爆撃航空団は、Fw200を装備している
唯一の部隊でしたよね」「そうだ。大型機の生産機数がどれだけ少ないか、記
事に書いてもらいたいくらいだ」ブルフミュラーは本音を吐いた。「もっとも、
あまりあっても全部を飛ばすことはできないが」「なぜです」
 ふたりはもう集会所の近くまで来ていて、出撃準備の整ったFw200が何機か
滑走路の脇に見えていた。4基のエンジンを持つFw200はさすがに巨大である。
Fw200はもともと長距離旅客機としてルフトハンザ航空が発注したもので、旅
客機としての愛称「コンドル」が今でも通り名になっている。窓のほとんどは
つぶされているが、凹凸の少ないドジョウのような胴体に、どこか民間機の雰
囲気が残っていた。

「あれは何だと思う。翼の下にある、細長いものだ」ブルフミュラーは、翼の
両端近くに釣り下げられている流線形のものを指した。
「爆弾ですか」「君はまだましなほうだ。この前やってきた党のガウライター
(大管区指導者。党と政府は一体化しているので、その役割は県知事に近い)
なんかは、予備のエンジンではないかとぬかしおった」ブルフミュラーは辛辣
に言った。「あれは予備燃料タンクだ。それぞれ1000リットル入るから、あれ
だけで2000リットルだ」
 ブルフミュラーはイェンセンの顔をしげしげと眺めたが、イェンセンが期待
通りに驚かないので、続けた。「メッサーシュミット戦闘機(Me109)の燃料タ
ンクの容量は、400リットルだ。あれだけで5機分だな」「ほう」イェンセンは
やっと驚いた。「胴体の中のタンクを入れると、容量で10400リットルあまり、
重さで7トン以上になる。それが毎日、4機飛んでる」ブルフミュラーは肩をす
くめた。この4機が消費する燃料(それもノルウェーからの復路を含まない)
はドイツの航空燃料生産量のおよそ1%にあたっていた。
「この他に飛行艇と水上機がいろんな基地から飛んでいる。それを狙いにイギ
リスの双発機が飛んでくるから、それを追い払うためにドイツも双発機を飛ば
すことになる。人類の歴史の中で、これほど少数の人間が、これほど大量にガ
ソリンを使ったことはないだろうな」ブルフミュラーは案外饒舌な男だ、とイェ
ンセンは認識を改めていた。
 エンジンひとつの普通の戦闘機ではこの種の任務には航続距離が足らず、さ
りとてFw200のような4発機はドイツもイギリスもそうそう数をそろえるだけの
生産力がない。大西洋上の空の戦いは、双発機戦争とも呼ばれ始めていた。


 Fw200はもともと旅客機だと聞いていたが、ドアをくぐったイェンセンは通
路の狭さと中の暗さに驚いた。その原因は、中央の通路をはさんで両脇にそび
える左右3つずつの直方体である。「燃料タンクだ」後ろからついてきたブル
フミュラーが怒鳴った。「床下と、翼の内側にも少し燃料が入っている」
 機首のブリッジ(操縦室)へ出ると、窓から早朝の空のほの明るさが漏れて
きて、救われたような気持ちになる。とはいえ所狭しと計器だらけなのは仕方
がない。長い航程に備えて操縦装置は二重化されていて、操縦士と副操縦士、
そしてふたりの無線士のための席がある。
「すまんが、君の席はない」ブルフミュラーは無線士席に腰掛けて、にべもな
く宣告した。イェンセンが顔を歪めたのは不満だったからではない。すぐ近く
なのにブルフミュラーが大声で話すからである。「ああ、すまん」ブルフミュ
ラーは気がついた。「ついここだと大声で話してしまうんだ。普段はエンジン
音の中で話してるもんでね。通路に腰掛けて、どこかをつかんでいてくれ」
ブルフミュラーは乗客への安全講習をそれで打ち切ると、無線の点検に没入し
た。
 イェンセンを押しのけるように、操縦士のハイナーとリヒターがブリッジに
入ってきた。そのあとからやってきた副無線士のドルフマンは、イェンセンの
肩をぽんと叩いた。「もし敵機が来たら、俺は通路を走るからな」Fw200は6人
乗りで、機体の最後尾のキャビンにはあとふたり、火器主任と整備士が乗って
いる。もし敵機が追いすがってきたときは、後部の上下左右に1丁ずつとりつ
けられた機銃を操作するために、パイロットと機長以外は後ろへ走る。
「うまく避けないと、踏んづけて行っちまうぞ」
 避ける? イェンセンは周囲を見回した。ようようひとりがすり抜けられる
通路のどこにも、身を隠すところはない。ドルフマンはにっこりして、安心さ
せるように何度も肯いた。「わかった。痛くないように踏んでやるからな」
 エンジンがかかり、その瞬間からイェンセンにはその音しか聞こえなくなっ
た。


「耳は大丈夫か」
「えっ」
「耳は大丈夫か」
 イェンセンはリヒターに力なく肯いた。高度は5000メートル近い。与圧され
ていない機内は、一般人がまず経験しない気圧の低さである。もちろんイェン
センは事前に予告を受け、まず十分と思われる防寒装備をつけていたが、それ
でも体の奥まで寒気が染み渡ってゆく感覚をどうすることもできなかった。
 すっかり夜は明けた。鏡のような海面が眼下に広がっている、はずなのだ。
ところが全然下が見えない。下を見るには前方銃座を兼ねたガラス張りの偵察
席に腹ばいで潜り込まなければいけないのだが、そこにはさっきからドルフマ
ンが陣取っていて、一心に輸送船を探している。どいてくれとも言い難い状況
であった。ひととおりキャビンの様子を撮影し終わり、イェンセンはカメラを
もてあましてしまっている。
「5時の方向、イギリス機」怒鳴り声が後方から聞こえてきた。キャビンの空
気が一変する。リヒターはもちろん、ドルフマンも驚くべき速さで前方銃座か
ら這い出してきた。その必死の形相にイェンセンはひるんだ。しかも、ふたり
は自分をめがけて突進してくるのである。
 どたどたどたどた。
 イェンセンは思わず一緒に走ってしまった。逃げ場のない通路ではそうする
しかない。燃料タンクの林立する廊下を抜けると、ふたりの男が見えてきた。
ひとりは踏み台の上に伸び上がって、ガラス張りの後部上方銃座にとりついて
いる。もうひとりは、機関銃を窓から突き出しただけの側面銃座から外をのぞ
き込んでいる。
 もう一方の側面銃座には人がいないので空間がある。イェンセンはとっさに
そこをくぐり抜け、キャビンの最後尾の壁に張り付いた。リヒターはその側面
銃座について、窓の外に目をこらす。ドルフマンは床下の後部下方銃座に降り
て機銃を構える。
 数秒の静寂が訪れた。「ハドソンだ」後部上方銃座にいた火器主任ベーンケ
が言った。「遠ざかっている」「こっちには何もいない」危険の去ったことを
確認するやりとりが緩慢に進み、次第にクルーは緊張をほぐして、銃座から離
れてキャビンにたむろした。
「旦那、もう大丈夫だ」イェンセンも壁から離れた。
 イギリス軍のハドソン双発哨戒機が、フランス西海岸近くで浮上しているド
イツ潜水艦を狙うために飛んでいく途中であったらしい。向こうはこちらに気
づいたろうか? それはわからない。大型機同士の空中戦はありえないことで
はないが、爆装して鈍重になっているハドソンが、本来の任務を優先して空戦
を避けたとしても、責められる状況ではなかった。
 急にイェンセンは、いやに激しく息をしている自分に気づいた。整備士のノ
ルドハウスがイェンセンの肩を叩いた。「もっと鍛えた方がいいな、旦那」
 イェンセンはおよそ10メートルを全力で走ったのである。高度5000メートル
で。


 その船団を最初に発見したのは、やはりドルフマンであった。大小16隻の輸
送船を3列に並べ、5隻の護衛艦がその周囲をまばらに固めている。そのうち1隻
はどうやら大型漁船を改造したものであった。それほどの大型輸送船はいない
ようだが、かなりの獲物である。
「これから、どうするんですか」イェンセンは興奮気味に尋ねた。「何もしな
い」機長の答えには緊張感はなかった。「しばらくこのへんを回る」
 Fw200は爆装していない。開戦当初はそうではなく、イギリス商船隊にUボー
トと同じかそれ以上の大きな損害を与えたものだが、海軍所属になってからU
ボート部隊指揮官のデーニッツ少将が強硬に主張して、Fw200の半分は爆装せ
ずに出撃して、哨戒に専念することとしたのである。爆弾を積まなければそれ
だけ長いこと飛んでいられるから、船団の追尾時間が少しでも長くなる。今日
のブルフミュラー機は爆弾を積まない順番の日だったのである。
 当時のUボートは潜航すると、その速度は一番遅い輸送船団にも劣った。だ
から効果的な待ち伏せのためには、船団の正確な位置、進行方向、速度をつか
むことが死活問題だったのである。いったん船団を捕捉すれば、1隻のUボート
が数隻の輸送船を沈めることは十分可能であったから、航空部隊はしぶしぶ爆
装を断念したのであった。

 最初にやってきたのは、ドルニエ洋上攻撃機(Do217S)であった。イギリス
の爆撃機を迎撃するために、Do217爆撃機の機首に20ミリ砲を4門集中装備した
夜間戦闘機タイプがもともと計画されていたのだが、これに燃料タンクを増設
して艦船攻撃機としたのがDo217Sである。ただ1機でやってきたそれは、並み
居る輸送船を無視して、護衛艦を掃射し始めた。
 護衛艦は爆雷を積むためにもともと小さな船体のスペースをかなり食われて
いるし、主砲は対空用にも使えるように配慮されているが、発射の間隔が長す
ぎて当てにならない。どうにか積み込んだ1、2門の対空機銃で懸命に応戦する
が、高速の−Fw200よりよほど高速の−ドルニエ機になかなか当てられない。
1隻の護衛艦が艦尾から艦首まできれいに一連射を食らってしまった。まるで
艦そのものが爆薬でできていたかのような激しい爆発が艦尾で起こり、護衛艦
は艦首を虚空に向けたかと思うと横転沈没した。一瞬のことに、イェンセンは
シャッターを切り損ねた。
「爆雷だ」ブルフミュラーはイェンセンに説明した。「護衛艦は可燃物でいっ
ぱいなんだ」
 しかし実際には、爆雷のようなきわめつけの可燃物に当てることは、よほど
の幸運が必要なようだった。残る4隻の護衛艦に対してもドルニエ攻撃機は執拗
に挑みかかったが、そのうち2隻に小さな火災を起こさせるのが精いっぱいであっ
た。イェンセンは盛んにシャッターを切ったが、さっきのようなシーンは撮れ
ない。そのうちにどうやら機銃弾を切らしたらしく、ドルニエ攻撃機は去って
いった。
「3隻いただいたか。いい商売だ」ブルフミュラーは言った。「1隻じゃないん
ですか」「デーニッツ・ルールで、護衛艦の炎上は撃沈と等価なんだ」
 護衛艦が火災を起こすと、誘爆を恐れて爆雷を投棄するのが通例である。そ
して航海終了まで、その艦は対潜戦闘力をまったく失ってしまうのである。こ
れを加味して、高海航空艦隊での勲章の査定上は、1000トン未満のことが多い
護衛艦を一律2000トンの商船撃沈と等価とみなし、かつ炎上した護衛艦には撃
沈と同じポイントを与えることとなっていた。これが通称デーニッツ・ルール
である。Do217Sはまさにこのための機体であった。


 奇妙な状況が続いていた。Fw200は大きく旋回を続け、それに対して船団側
でも何もできない。護衛の実があがらなくなっても、イギリス軍は船団を解く
ことにはまだ踏み切れないようであった。もしかしたら今ごろ、船団指揮官と
護衛指揮官の間で、そのことについて激しいやり取りをしているかもしれなかっ
た。
「やあ、ハンス、この税金泥棒め」ブルフミュラーは突然、マイクに向かって
しゃべり始めた。航空機用無線に着信があったのである。「状況は見ての通り
だ。3隻食って見せてくれ」
 ボルドー・メリニャック基地から相前後して飛び立ったFw200が、獲物発見
の報を得てやってきたのである。250キロ爆弾を2個積んでいる。機長のハンス=
ファルケンハウゼンとブルフミュラーはもちろん旧知である。
 ファルケンハウゼン機はゆっくりと高度を下げた。的が大きいとはいえ、も
ともと旅客機であるFw200には、ろくな爆撃照準装置がついていなかった。も
ちろん急降下爆撃などは論外である。命中率を上げるには、高度を下げるのが
早道である。
 爆弾は正確に、船団でいちばん大きい、7000トン前後の商船の船首近くに命
中した。火災は起こらなかったようだが船体の亀裂は水面下まで走っていて、
沈没は確実である。ブルフミュラー機でも歓声が上がった。
 そのとき、運命の女神は、無造作に重大な決定を下した。きわめて幸運にも、
護衛艦の撃ち上げる機銃が、ファルケンハウゼン機の主翼を折ったのである。
機体は大きく傾ぎ、大きな水柱が立つと、すぐに何も見えなくなった。
 油の池が血痕のように、水面に染み出してきた。


「リヒター、席を替われ。ハイナー、俺が操縦する」ブルフミュラーの声はあ
まりに静かだったので、誰もその意味するところを汲み取れなかった。
「ドルフマン、船団先頭の駆逐艦を銃撃する。配置につけ」機長が旧友の復讐
戦を意図していることを知って、機内の空気は凍り付いた。
 クルーは何も言わず、それに従った。そのことがブルフミュラーを少し冷静
にした。お客さんを危険な行為の巻き添えにすることについて、ひとこと詫び
を言っておいた方がよいように思えた。振り返ると、イェンセンはいなかった。
「イェンセンはどうした」ハイナーが答えた。「後部キャビンへ行ったようで
す」

 イェンセンは後部下方銃座に潜り込んでいた。ここなら、掃射を終えて敵艦
を離れるとき、いいショットが撮れるはずだ。不思議に、恐いという感覚はな
かった。まだ。

 Fw200の前方銃座には、短砲身の20ミリ砲が1門だけ据えられている。ドルフ
マンはできるだけ対空機銃を狙うことにした。機長の気持ちも分かるが、沈め
る沈めないより、まず生き残ることだ。

 機体は緩降下して、水面近くまで来た。ドルフマンの機銃弾は駆逐艦の薄い
側面を軽々と打ち抜く。艦上の機銃の1門が弾薬に引火して爆発する。その閃光
に目をやられたドルフマンは、もう1門を攻撃できなかった。

 イェンセンはシャッターを何度も切った。すばらしい写真の取れる予感が瞬
時すべてを忘れさせたが、現実は戻ってきた。生き残った艦上の機銃が、Fw200
を目掛けて撃ってきたのである。イェンセンは金縛りに遭ったように動けなかっ
た。至近弾が風を切る音が聞こえた。機銃弾が届かなくなるまでの数十秒間が、
イェンセンのそれまでの人生すべてを合わせた重さに感じられた。
 這い出してきたとき、ノルドハウスが陽気に声をかけた。「見直したぜ、旦
那。よく一番危ないところに居続けたな」イェンセンには答える気力がなかった。


 ブルフミュラー機はそのあと、飛行艇に追尾を引継ぎ、ボルドーへと引き返し
た。哨戒の残りを続けてノルウェーへ行くには燃料を使いすぎていた。
 ブルフミュラーはこの一件を戦果として報告しなかった。船団がその夜に入っ
て2隻のUボートに襲撃され、後日の脱落船喪失を含めて16隻中11隻を失ったこ
とはかろうじて公式の記録に残るけれども、この日はいかなる意味でも、大西
洋における特別な日ではなかった。
 少なくともその当時は、そう思われていた。


<ヒストリカル・ノート>
 Fw200は史実では毎日2機発進するのが通例でした。ヒトラーの政策により、
倍増したことになります。
 哨戒機用のブンカーは史実では作られていませんが、哨戒任務に就いていた
超大型飛行艇Bv222が停泊中を爆撃されて沈没したことがあります。
 戦前のドイツ空軍の訓練は非常に総合的で、かつ機長とパイロットという激
職を兼ねさせないという方針を取っていました。だからブルフミュラーは操縦
ができるのに無線士を務めていたわけです。大戦後期になるとこんなことは言っ
ていられなくなりましたが。
 Do217Sは本文にもある通り、実在の機体の架空のバリエーションです。


第7話「ラテン人たちとの会話」

 ベルリンでは、一種の壮行会が開かれていた。アフリカへ投入予定の、主な部隊
の指揮官たちに、ヒトラーが訓示を与えようというのである。ブラウヒッチュ元帥
(陸軍総司令官)とハルダー上級大将(陸軍参謀総長)も同席していた。
「私が諸君にこれから訓示するのは、今次大戦におけるアフリカ戦線の政治的意義
である。ただし私が諸君に与える指示は、すべて参謀本部によって具体化され、諸
君に伝えられる。あくまで参謀本部が君たちに与える命令の範囲内において、政治
的目標を尊重してもらいたい」

 モーデル中将(第3戦車師団長)は、おとなしく総統の話を聞いていた。総統はか
なり参謀本部に気を使っている。大戦前から続いてきた総統と国防軍の緊張関係が
緩む兆しだとすれば、喜ばしいことであった。ヒトラーは前の大戦に従軍したとき
は伍長止まりだったから、兵士の代表として将軍どもに物申す、といった下克上の
気負いがあって、軍の将校団とはあまりうまく行っていなかったのである。
 モーデルは若い頃から、参謀本部と前線を行ったり来たりするエリートコースに
乗っている。上司と喧嘩して前線勤務を志願し、数年間参謀本部に戻れないような
こともあったが、少将のころ参謀本部の部長職(海外兵備調査担当)も経験して、
前線での指揮も参謀勤務もこなせる良将との評価を確立していた。ただし少々自意
識の強いところがあって、一部の将軍からは嫌われている。

「イギリスの爆撃機は、ベルリンを含むドイツの多くの都市上空に侵入し、あまり
効果的とは言えない散発的な爆撃を行っている。なぜだと思うか」ヒトラーは芝居
がかって一同を見渡した。「イギリスは今、切実に戦術的勝利を欲しがっている。
国内の士気を維持し、アメリカの援助を引き出すため、いかなる規模であれ勝利と
戦果を欲しているのである」

 リュットヴィッツ少将の指揮する第15戦車師団は、まだ編成されたぱかりである。
もちろんリュットヴィッツは戦車師団の指揮など始めてで、期待と不安が胸中で交
錯していた。
 1939年秋のポーランド戦当時6個しかなかったドイツの戦車師団は、1940年5月の
フランス侵攻のときには10個となり、その活躍ぶりからさらに倍増することが決定
されて、1940年8月から11月にかけて相次いで第11から第20までの戦車師団が編成
されたところであった。もちろん戦車や各種兵器の生産がこんなハイペースに追い
つけるわけがなく、歩兵師団を改組した第15戦車師団などは特に貧乏であった。

「一方我がドイツは、海空の戦力をグレート・ブリテン島及びその周辺に集中させ、
あらゆる方法でイギリスに圧迫を加えている。従って当面、我が軍のリビアへの関
心は副次的なものである。しかしながら、砂漠戦の特殊な条件を考え合わせると、
私は諸君にひとつの政治的要請を伝えることが適当だと思う」ヒトラーは続けた。

 ロンメル中将は不満であった。
 彼は第1次大戦で超人的な移動と奇襲を成し遂げて当時の最高勲章を授与された
人物で、モーデルと違って陸軍大学校や参謀本部教程での参謀教育もきちんと受け
ていないし、参謀勤務の経歴もごく短いものだった。モーデルが本社の秘蔵っ子と
すれば、ロンメルは成績抜群の営業マン(ただし三流大学卒)である。
 ロンメルは大戦が始まったときはまだ大佐で、総統護衛の責任者であった。1940
年の春になって、少将としてそのポストを離れるとき、ヒトラーは次の配属先の希
望を尋ねた。「戦車師団長」というのがその答えであった。
 さすがの総統も答えに詰まったといわれている。師団長は古参の少将かなり立て
の中将が務める職で、当時10個しかない戦車師団長のポストをロンメルが望んだの
は明らかに無理な注文であった。しかもロンメルはそれまで、まったく戦車部隊の
指揮をしたことがない。
 ロンメルは賭けに勝った。彼は新設の第7戦車師団をあてがわれ、フランス戦で
(他の部隊とトラブルも起こしたが)印象的な快進撃を成功させた。ロンメルは一
気に中将に昇進し、彼の感覚では………そろそろ軍団長(普通は3個師団で1個軍団
を編成する)になるはずであった。ところが、彼の受けた辞令は、なんとイタリア
軍の戦車師団を指揮しろというものであった!
 ヒトラーとムッソリーニの合意により、イタリアは新しくアウグスタ戦車師団を
編成し、その装備は戦車からピストルに至るまですべてドイツが提供することになっ
た。そしてロンメルはそのアウグスタ師団を指揮することになったのである。

「イタリア領リビアには、3つの良港がある。トリポリ、ベンガジ、そしてトブル
クである」ヒトラーは西から順に地図上の都市を示した。「この地域にはほとんど
鉄道がない。道路の状態はエジプトとの国境に近づくほど悪くなる。従って、すで
に確保された港湾の近くで戦えば、彼我の補給条件には大きな差がつく。これを最
大限に活用して、敵の戦術的勝利を防ぎつつ、着実に戦果を重ねてもらいたい。戦
術的勝利を切望するイギリス軍の企図を理解し、これをくじくことが私の要請であ
る」

「質問があります」マンシュタイン大将が手を上げた。

 マンシュタイン大将は、実父が大将、養父(母方の義理の伯父)が中将という軍
人一家の出身であった。当然のように少年のときから軍籍に入り、第1次大戦では
いろいろな司令部を若手参謀として渡り歩いた。そうして声価を得たマンシュタイ
ンは、敗戦後に参謀本部に迎えられる。その才幹はだれしも認めるところであるが、
自説をはっきり主張するためしばしば前線でほとぼりをさます破目になり、それが
また手柄につながるという人物であった。フランス戦の劇的な勝利がマンシュタイ
ンの献策によることが知れ渡って、若手の将校の間では神のごとき存在となってい
る。
 アフリカでは、ドイツ・アフリカ軍団(DAK)とイタリア・リビア軍団(IT
ALYK)がそれぞれ2個戦車師団で編成されることが決まっていた。ITALYK
はアウグスタ、アリエテの両戦車師団で編成され、イタリア軍のマレッティ大将が
指揮を執る。DAKはドイツ第3、第15戦車師団から成り、マンシュタイン大将が
統括する。そしてイタリア軍のグラツィアーニ元帥が枢軸リビア軍総司令官として、
両者のほかいくつかのイタリア軍歩兵師団の総指揮に任じることになっていた。

「より大きな打撃を与えるため、戦術的退却は許可されるのですか」
「政治的な介入は可能な限り避けるつもりだが、もちろんこの点に関しては、イタ
リア政府は我々とは別の観点を持っている可能性がある。参謀本部が純粋に軍事的
な判断を君たちに示せるよう、私としては努力する」ヒトラーの返答は要するにこ
ういうことであった。イタリア政府の手前、あからさまに退却の許可を与えるわけ
にはいかないが、黙認する用意はある。ただし現場だけで判断せず、参謀本部と協
議せよ。マンシュタインはうなずいた。
 ヒトラーは、末席近くにいる少佐に声をかけた。「フォン=シュトラハヴィッツ
少佐、従って貴官の任務は、ドイツ軍の戦備が整うまで、イギリス軍の攻勢を失敗
させることである」シュトラハヴィッツが印象的な瞳をぎょろりとさせて、無言で
一礼した。この人物の指揮する独立大隊は、他の部隊に先駆けてリビアに入るよう
手配されている。
 現在、グラツィアーニ元帥指揮下のイタリア軍はエジプト国境を越え、100キロほ
ど進軍してシディ・バラーニという町を占領していた。グラツィアーニはここまで
の道路を整備し、水利の確保に努めるという、見ようによってはひどく気の長いこ
とをやっていた。補給を確保するための車両などの機材をいっこうに本国が送って
くれないので、遠いリビアの本拠地から物資を運ぶ算段を、現地で考えなければな
らなかったのである。

 彼らに危機が迫っていることを、ヒトラーとムッソリーニは知っている。


「おお、もちろん、私たちの同情と友情がドウーチェ(ムッソリーニ統領のこと)
とフューラー(ヒトラー総統のこと)に捧げられていることを、お疑いにならない
でください」フランコはどこまでもムッソリーニに丁寧であった。「しかし我が国
の経済的窮境が、栄光ある枢軸の戦列に加わることを許さないのであります」
 ムッソリーニは、スペインのフランコ総統の訪問を受けていた。スペインは1930
年代後半、ソビエトの支援を受けた人民戦線政府と、ドイツやイタリアに援助され
たフランコ将軍の率いる軍の一部の間で、深刻な内戦を経験した。結局(ソビエト
が途中で手を引いたこともあって)フランコが勝利し、独裁体制を敷いていた。だ
からスペインは枢軸寄りの国と見られていたし、実際参戦の要請はあったのである。
スペインは、この他人の戦争に巻き込まれることをどうにか避けようと、懸命の外
交交渉を続けていた。
 ドイツとイタリアがフランコを支援する方法には、お国柄が現れていた。ドイツ
はこの機会を新兵器・新戦術の実験場、ならびに兵員の訓練場と位置づけ、厳密な
ローテーションで常に一定数の兵員を送り込んだが、その部隊規模は多くの兵員が
実戦経験を踏むための必要最小限度にとどめられていた。一方イタリアは、ドイツ
軍よりも大規模な部隊を長期にわたってスペインに張り付け、武器の供与も盛んに
行った。ここでイタリアが消費した莫大な戦費と機材は、1940年以降のイタリア軍
の総合的な戦争能力に、少なからず影を落としていた。
 ともあれフランコとしては、ドイツには恩義はあっても、親近感より警戒感の方
が先に立つのが正直なところであった。まだイタリアの方が恩も大きいしかわいげ
がある。そういうわけで、イタリアとスペインの関係は西ヨーロッパ政治の焦点だっ
たのである。

 フランコは切々と説いた。スペインの大西洋沿岸は長い海岸線を持っており、防
衛にはひどく資源がかかる。イギリスに対し敵対行動をとった場合、ドイツとイタ
リアからどのような武器の援助が期待できるのか。
「ドイツは、フランスとポーランドから大量の重砲を接収したと聞いております。
それらはフランスの海岸と同様に、スペインの海岸を守るためにも提供されるでしょ
う」ムッソリーニは言った。「率直なところ、イギリスの空軍と海軍は健在であり
ます。しかしながら、陸軍はフランスでの壊滅的敗北から立ち上がるのに多くの年
月を要するでしょうから、大規模な上陸の可能性などはおよそ考えられません」
「フューラーは、イギリスへの上陸作戦を実行なさるのでしょうか」フランコはう
まく話題をそらしたつもりだったが、ムッソリーニに切り返された。「それは枢軸
の戦友だけが分かち持っている秘密です。私に言えるのは、もし将軍が枢軸への友
情を具体化させるおつもりがあるなら、急いだ方が良いということです。中間的な
解決のことを、お考えになったことはありますか」
「中間的な解決とは?」
「お国は本国の大西洋岸にもアフリカにも、多くの海軍基地をお持ちです。これら
のいくつかを、Uボート基地としてドイツに租借させるのですよ。そう、例えば5
年の間」
 フランコは叫び出したい衝動をこらえた。警告無しに民間船に魚雷を放つ無制限
潜水艦作戦は、れっきとした国際法違反である。それに手を貸したとなれば、アメ
リカはスペインの海外資産を凍結するだろう。カリブ海のスペイン領を保障占領す
ることすら考えられる。
「それは・・その、検討に値するご提案ですな。しかしながら、我が国の港湾が潜
水艦の整備と補給に適するかどうか、検討してみませんと」
 会談は結局、何の新たな合意も得られずに終わった。今まではイタリアとドイツ
の潜在的な不和につけこめば、両国を獲物の配分について争わせる間にスペインは
虎口を脱することができたのだが、最近どうも両国の連携が妙に良いのがフランコ
の悩みの種であった。


 ジリリリリリン。
「もしもし。ローマです」
「こちらベルリンでおます。もうかりまっか」
「あきまへんわ。フランコのおっさん、狸や」
 ヒトラーとムッソリーニの官邸を結ぶホットラインは、先ごろ完成したばかりで
あった。
「脅すだけは脅してくれたか」
「ぼちぼち効いてるんちゃうか」
「ほな、そろそろリッペントロップに押さすわ」
 ドイツのリッペントロップ外務大臣は、スペインから労働者10万人をドイツの農
業に迎え入れる計画を持って、マドリードに飛んだ。あわせて、「自動車用エンジ
ン」工場をスペインに設立し、完成品−軍用以外にはまず使われない、マイバッハ
社仕様の100馬力エンジン−の大半をドイツが引き取ることも提案する予定になって
いた。


 アウグスタ師団の装備のほとんどはまだイタリアに着いていなかったが、兵員の
選抜は終わり、歩兵部隊の訓練が始まっていた。
「続けろ」ロンメル師団長は、障害物の乗り越え訓練をしている一団の兵士の敬礼
を受けると、そのまま訓練を検分することにした。
 ロンメルはイタリア人の新しい副官を連れただけで、師団を構成する雑多な部隊
を訪問して回っている。ただ威張るだけでなく、兵士の中に入っていって士気を鼓
舞するようなことを言い残していくので、イタリア軍の兵士たちはこの指揮官に注
目し始めていた。イタリア軍には−少なくとも将官には−いないタイプである。
 何人か、ロープの下がった木の壁を越えられない兵士がいた。3メートルくらい
の高さがあるだろうか。師団長の見ている前なので、その場の最高位者である大尉
が焦りの色を見せて、大声で落ちこぼれ兵士たちを叱った。
 ひとりで興奮していた大尉は、兵士たちの視線に気がついて振り返った。ロンメ
ルがいたずらっぽく微笑みを浮かべて、コートを副官に渡している。まさか?
 ロンメルはやった。右、左、右、左。速くはないがリズミカルに、ロープをする
すると登っていく。いや、今年の誕生日で50才になる男としては、十分に速い。壁
に手をかけて這い上がる。やはりここでは、動作がどこか緩慢で、筋力の限界と戦っ
ているのがはっきりわかる。訓練場は静まり返り、動いているのはロンメルだけで
ある。
 まず右腕が壁の頂上を越える。つぎに左腕、そして胴体。ようよう乗り越えると、
イタリア兵の間からざわめきがもれ、やがて拍手と喝采に変わった。
 ロンメルは壁を回って戻ってくると、大尉にちらりと視線を送った。まるで、お
前もやってみろ、と言いかけて無駄だから止めたようなタイミングであった。こう
いうとき、ロンメルは下僚の面子を決して顧慮しない。しばし賞賛の喝采を楽しん
だ後、ロンメルは兵士たちを身振りで静かにさせると、口を開いた。
「君たちが向かう戦場は、砂漠と呼ばれているが、実際には岩山がかなり多い砂っ
ぽい荒れ地である。訓練によってまず守られるものは、君たちの生命である。真剣
に取り組んでほしい」
 短いが要を得た演説であった。ロンメルが(さすがに息が上がったのでさりげな
く呼吸を整えながら)去ろうと向けた背中に、兵士の声が浴びせられた。
 後に宣伝省が相当の人手を使って、このとき周囲にいた100人足らずのイタリア兵
にインタビューしたのだが、ついにこの声の主はわからなかった。それどころか、
ある兵士はオペラ歌手がアリアを歌うような朗々とした声だったと言い、別の兵士
は野太く下品な胴間声だったと証言した。ある兵士などは、うっとりと言ったもの
である。「あれは人の声ではありませんでした。神の声だったのです」

「ドン・エルヴィーノ!」

 数瞬の沈黙の後、イタリア兵たちはわいわいと唱和した。「ドン・エルヴィーノ、
ドン・エルヴィーノ!」
 エルヴィン・ロンメル中将は、新しい自分のあだ名に目をきょとんとさせていた
が、やがて何事もなかったかのように次の視察場所に向かった。


 ジリリリリリン。
「ローマでおます」
「角のヒトラーやけど、けつねうろん(=きつねうどん)3つ」
「何やねんいきなり」
「ひとつ大盛り」
「ええかげんにせんかい。どないやフランスの方は」
「さっぱりわややな」
 ドイツでは開戦以来の動員によって、およそ260万人の労働力が職場から離れて
いた。この穴を埋めるため、ドイツはポーランドから盛んに労働者を徴用する一方、
120万人の捕虜(大半がフランス兵、残りはイギリス兵)を釈放せずに労役につか
せていた。
 ペタン元帥を国家主席とするヴィシー・フランス政府にとって、捕虜の早期釈放
は最重要課題である。ドイツはこのカードをちらつかせつつ、フランスの戦争協力
を迫っていた。
 フランスの場合、もともと先進工業国であり、敗戦から休戦協定に至る時期に多
くの有力企業の株式がドイツの資本家の手に渡っている。だから有能な組織者がい
れば、フランスを兵器・軍需品供給拠点として整備することは可能であり、シュペー
ア軍需大臣はまさにそれを行っていた。ここでもドイツの要求の本命は、ヴィシー
政府がドイツの指定するフランスの工場に人手を確保することなのだが、交渉上は
大西洋岸の港湾都市カサブランカへの進駐権獲得をまず目指すよう、ヒトラーの指
示が出ていた。
 フランスのアフリカ植民地はデリケートな存在である。ドイツがこれらの地域に
一度も踏み込まないうちに休戦協定が結ばれたため、戦前からの秩序と軍備がその
まま温存されていて、無理難題を持ち掛ければ敗戦処理政権であるヴィシー・フラ
ンス政府に反旗を翻し、イギリスに接近する可能性は十分にあった。カサブランカ
へのドイツ軍の進駐は、イギリスへの積極的な敵対行為であるにとどまらず、地中
海側の港湾(例えばアルジェ)からの軍と補給物資の領内通過を必然的に伴うため
に、植民地の世論をヴィシー・フランスから引き離す引き金になりかねない。
 ヴィシー・フランスがドイツ側に立ってイギリスに宣戦してくれることが、もち
ろんいちばんドイツにとって望ましいのだが、おっちゃんはその可能性を考えさえ
しなかった。そのおっちゃんが値切りを見込んで吹っかけた要求が、カサブランカ
進駐なのである。こんなところにUボート基地ができれば、わずかな数のUボート
でイギリスとアジアを結ぶ航路をふさぐことができるし、哨戒機もイギリス本土か
ら飛来する戦闘機をまったく心配する必要がない。
「そうそう、例のオールスターチームなあ」ムッソリーニは切り出した。枢軸リビ
ア軍のことを、ヒトラーとムッソリーニは非公式にこう呼んでいる。
「マレッティ大将、使えんようになってしもた」
「なんでや」
「イギリスに捕まってしもた。シディ・バラーニで」
「あちゃあ」


 イギリス第7自動車化旅団は、届いたぱかりの50両のマチルダ戦車を中心に、シ
ディ・バラーニ近郊に展開していたイタリア軍の戦線を突破して、一方的に攻撃を
加えていた。イタリア軍は対戦車砲も戦車も旧式で、重装甲で知られたマチルダ戦
車に対して有効に反撃できない。重装備を捨て去っての壊走が続いている。戦果に
驚いたイギリス軍は、大慌てで有力な歩兵部隊が先鋒に追従してくるところであっ
た。
 イギリスの戦車部隊はエジプト全土を粗々に奪還し、国境の鉄条網を越えてリビ
ア側の拠点バルディアをうかがう態勢である。当然バルディアには戦前から一定の
防衛設備があるから、イギリス軍もうかつには手が出せない。
 バルディア周辺の地形は、日本で言うと神戸周辺(ただし南北が逆)に近い。バ
ルディアは海岸の町で、その海岸線と並行するように道路がいくつか通っている。
内陸部に向かってかなりの勾配があり、この高くなったあたりを占拠して砲兵のた
めの観測所を置き、陸からの砲撃に艦砲射撃を合わせれば、時日を要せず落ちると
思われた。
 イギリス第7自動車化旅団は、これを狙って急いでいた。すでに進撃コースは道
路を外れ、舞い上がる砂に先行車両の影すら見失いかける中、簡単な地図とコンパ
スを頼りに隊列は進む。
 突然、1台のマチルダ戦車が被弾して砲塔を傾け、ハッチが中から吹き飛ばされ
て飛び散った。最初の着弾を、多くの車長は榴弾砲の間接砲撃(観測班からの連絡
を頼りに、直接見えない位置から弓なりの弾道で射撃すること)だと思った。これ
だけの大口径砲で直接射撃をしてくるイタリア軍ではない。ああしかしドイツのあ
の兵器なら・・・いや、ドイツ軍がこのあたりに進出してきたとは聞いていない。
ならばこのまま直進するに限る。停止すれば思うつぼである。
 2台目の戦車が炎上して、ようやくイギリス軍は異変に気づいた。これは直接射
撃だ。自分たちは危険地帯へと進んでいる。停止命令、続いて転進命令が交錯する。
その停止した車両が、3台目、4台目の標的となる。炎上した車両に後続車が乗り
上げて誘爆する。運良く助かった戦車兵が車両を飛び出し、まだ無事な車両のフェ
ンダーにしがみつく。
 方向転換を終えると、車長たちは申し合わせたようにハッチから身を乗り出し、
この惨事を引き起こした砲弾の飛来方向を見た。3キロ近く向こうではないだろう
か。高台の尾根に細長い砲身が、砂塵の影響をあまり受けない位置にいた車長には
はっきりと見えた。
 イタリアは、ドイツから大量に供与された88ミリ高射砲を、わずかながらすでに
リビアに運んでいたのであった。


 ジリリリリリン。
「ローマでおます」
「あっ、間違えました。すんまへん」
「ホットラインに間違い電話があるかい」
「スペインが洞ヶ峠しとる。フランスもや」
「やっぱりリビアの方が効いたかいな」
 リビア情勢は刻々と悪化していた。イタリア軍は砲を受け取っても、それを頻繁
に配置替えできるだけの牽引車両が調達できない。ドイツ空軍はイギリス艦艇を海
岸に近づけなかったのだが、位置を暴露した88ミリ砲が優勢なイギリス軍の砲撃で
制圧されると、陸からの砲撃だけでバルディアはあっけなく陥落し、イギリス軍は
要港トブルクに迫っていた。これを見たスペインとフランスは、対独協力の約束を
先延ばししはじめたのである。
「スペインは、タイピストが病気やから議定書の送付が遅れる言うてきよった」
「そらまたえげつない。社長んとこの空軍はどうなっとるのや」
「送る算段はしとるんやけどな」
 ドイツは地中海方面に、とりあえず大小200機余りの航空機を派遣していた。そ
れを統括する第2航空艦隊長官には、ケッセルリンク元帥に代えてイェショネク大
将が補されている。前の空軍参謀総長で、仕事はできるが少々人望面で問題のある
若手(大将としてはだが)成長株である。
 すでにドイツのヴュルツブルク型・フレイヤ型対空レーダーが何基かシチリア島
に据え付けられ、遠くジブラルタルから時折飛来するイギリスの双発爆撃機や、イ
ギリス本土からマルタ島に夜間に飛んでくる増援の大型機を幾度となく発見してい
た。第2航空艦隊の任務も、地中海中部の補給路確保とマルタ島制圧が主で、陸軍
への戦術支援はお添え物である。それは主に増強されたイタリア空軍が行うことに
なっていたが、この増強がなかなか進んでいなかった。


 バルディアやトブルクからはるか内陸に入ったガブル・サレフ。間道の三叉路に
あたる重要拠点の集落であるが、現在の戦局の焦点からは遠く離れていた。それで
も配置されたイギリス軍の小規模な守備隊が、遠くから近づいてくる砂塵を見つけ
て警戒態勢を取ったのは、さすがというべきであろう。
 近づくにつれ、その隊列がきわめて奇妙であることに、イギリス側は気づいた。
先頭を進むのは10台ばかりのイギリス軍の兵員輸送車。それをドイツ軍の装甲車と
兵員輸送車が追っている。イギリス軍の兵員輸送車の方は時折煙幕手榴弾を車外に
放っている。ドイツの装甲車はすぐその煙幕を突き破って来るのだから、まったく
無駄なことをしているようでもあり、はかない抵抗をしているようでもあった。
 車両群はどんどん迫ってくる。守備隊指揮官は決断しなければならなかった。そ
のときである。口ひげをたくわえた中年の美男子が、先頭の車両から立ち上がり手
を振った。色のあせた軍服姿である。他のイギリス軍の車両からも男たちが身を起
こす。いきなり後方の装甲車が発砲を始めた。
 指揮官はついに決断した。あれはイギリス軍で、ドイツ軍に追われているのだ。
後方のドイツ軍車両に集中砲火を浴びせるよう、指揮官はありったけの機関銃座や
迫撃砲陣地に命じた。
 もうイギリス軍車両は陣地まで50メートルのところまで来ている。目ざとい兵士
が、イギリス軍車両に何の識別マークも付いていないことに気づいて警告を叫んだ。
それと同時であった。さっきまでの男たちが一斉に頭を引っ込め、軽機関銃や短機
関銃(ギャング映画でよく見かける、立ったままでもひとりで撃てる機関銃。反動
を少なくするため小銃でなくピストルの弾を使うが、射程は数十メートルしかない)
を構えたドイツ兵が顔を出した。
 勝負はあっけなく付いた。陣地をそのまま走り抜けたドイツ兵は、まったく白兵
戦の準備の出来ていないイギリス兵に襲い掛かった。かなり残っていた重火器は、
煙幕の中から現れた数両のドイツ戦車が片づけた。煙幕を張っていたのは、この戦
車を隠すためだったのである。
 守備隊指揮官に取って腹立たしかったのは、捕虜となって会見したドイツ軍の指
揮官が、さっきの口ひげの男だったことであった。
「フォン・シュトラハヴィッツ少佐だ。お会いできてうれしい」
「制服に階級章がないようだが」
「洗濯したら取れてしまってね」シュトラハヴィッツはしゃあしゃあといなした。
彼のやったことは、実質的な国際法違反(国籍の詐称)である。
 シュトラハヴィッツの独立大隊は、特例で戦車5両を追加されているが、基本的
には装甲車と兵員輸送車、そして歩兵から成る装甲偵察大隊である。ただ兵員輸送
車の配備が一向に進まないため、フランス戦でイギリス大陸派遣軍から捕獲した兵
員輸送車を半分あてがわれてしまった。そこからシュトラハヴィッツはこういうト
リックを思い付いたのである。
 シュトラハヴィッツ家は、ブランデンブルグ選帝侯の時代から旧プロイセン王家
に仕える典型的な、というより戯画的なまでに極端なユンカー(ドイツ東部の地主
貴族で、高級軍人に多い)の血統である。当代の当主の持つ口ひげと印象的な瞳は
「風と共に去りぬ」からレッド・バトラーが抜け出てきたような”地主の旦那様”
の風貌を構成している。決して裕福な家系とはいえないが、その勇猛さと風貌から、
パンツァー・グラーフ(戦車伯)の異名をかちえていた。

 シュトラハヴィッツ大隊は大急ぎで戦利品をかき集め、捕獲したトラックで捕虜
を後送する算段をつけると、東へ向かった。目指すは国境の要衝、ハルファヤ峠。


 ジリリリリリン。
「ローマでおます」
「ピー、ピーロピロピロピロピロ」
「なんやねんそれ」
「FAXやがな」
「口で擬音言うてどないする。なんとかトブルクの方は保ちそうやな。イタリア空
軍も動き出したで」
「頼りにしてるで」
「と言うても、なんせ主力が複葉機やさかいな」
 イタリアの当時の主力、CR42戦闘機は、複葉機であった。別に単葉機を作れなかっ
たのではない。総合的な工業力に劣るイタリアは、大出力エンジンを開発し量産す
ることに、遅れを取ってしまっていたのである。エンジンの出力が低いとなれば、
運動性の良い複葉機にも利点は多い。
 いまアルファ・ロメオ社がドイツのダイムラー・ベンツ社のエンジンをライセン
ス生産しようと努力していたが、それすらなかなか量産が円滑に進まずにいた。


 ハルファヤ峠のイギリス軍守備隊は、夜襲に十分に備えていた。小規模なシュト
ラハヴィッツの部隊ではどうしようもなかった。そうでないことをシュトラハヴィッ
ツはもちろん期待していたが、この状況も考慮のほかというわけではなかった。兵
士たちは、直接命令を受けない限り、午前3時になったら攻撃開始地点に戻るよう
命じられていた。
 シュトラハヴィッツは、車両を隠した地点まで戻ると、通信機に向かった。
 彼は暗号化されない平文で、「ドイツ・アフリカ戦車集団司令部」に報告を送っ
た。それによると、多大な犠牲を払ってハルファヤ峠は「第2戦車師団先遣隊」の
制圧するところとなった。シュトラハヴィッツは、戦果を拡大するため「師団残余
の急進と、第18戦車師団の速やかな増派」を要請し、「先遣隊」の損害は甚大だが
「死すとも降らない」覚悟で後続を待つ、と続けた。
 シュトラハヴィッツが傍らの通信兵を指差すと、通信兵は大声で「なぜ暗号を使
わない、馬鹿者」と叫びながら通信を切った。
「申し訳ありません、少佐どの」
「いや、いい演技だった」シュトラハヴィッツは兵員輸送車から伸び上がって戦況
を見た。銃火はまばらだが広範囲から聞こえている。うまくいけば、どこか峠の一
角が崩れたのかもしれない、とみんな思ってくれるだろう。「やれるだけのことは
やったな。さあ、我々も退き上げだ」

 シュトラハヴィッツの思惑通り、退路の遮断を恐れたイギリス軍は、トブルク正
面に迫りながら、ハルファヤ峠に引き返してきた。ほどなく真相が知れ−追っ手が
かかった。
 シュトラハヴィッツの部隊は疲れきっている上、夜襲で相当な損害を受けていた。
足回りの弱いトラックなどがまず脱落する。イギリスの装甲車部隊の発砲で、兵員
輸送車の薄い装甲は打ち抜かれ、天井のない兵員室から不吉な炎が吹き上がる。部
隊の全滅は不可避かと思われた。
「こんなことなら、エジプト側に飛び込むんだったな」シュトラハヴィッツは普段
ならそうしたであろうが、決定的な敗北をするな、というヒトラーの訓示が頭をよ
ぎったので、帰ることにしたのである。
 シュトラハヴィッツは何気なく、肩の階級章を確かめた。今の服にはちゃんと階
級章も国家章もついている。こんなときに気にすることがこんなことだとは、と自
嘲の微笑を浮かべたシュトラハヴィッツは、同乗している若い兵士が尊敬のまなざ
しで自分を見詰めていることに気づいた。この状況で微笑することを、その兵士は
豪胆さの表れと取っているのに違いなかった。
 そのとき、上空から救い主が現れた。イタリア軍よりもドイツ戦闘機部隊の指揮
官の方がシュトラハヴィッツ隊の運命を心配していたから、トブルクから撤退する
イギリス軍を追っていくらでも好機のあるところを、強行偵察の名目で滞空時間の
長い双発戦闘機を数機派遣してくれたのである。機首の20ミリ機銃は装甲車を撃破
するには十分な威力があり、数分でそのことは実証された。
「幸運でしたね」部下に言われたシュトラハヴィッツは、芝居がかって説教した。
「いいか…幸運というのは、それを当てにしている奴のところに来るんだ」開放的
な笑い声が兵員輸送車を満たした。
 こうして、シュトラハヴィッツはまたひとつ伝説的な冒険行をその履歴に加えた
のであった。


 ジリリリリリン。
「ローマでおます」
「ピー、ピーロピロピロピロピロ」
「同じネタを2度やったらあかんがな」
「今度はちゃうで」
「何がや」
「今度はFAXやのうて、パソコン通信や」
「…まあ、ええけどな」
「今朝急に、スペインのベルリン大使が駆け込んで来よってな。あとは順調に行
きそうや」
「そらよかったな。ほな切るで」
「今回の課金時間は…」
「もうええわ」

<ヒストリカル・ノート>

 陸軍の編成は原則として、軍集団(または方面軍)>軍>軍団>師団>旅団>連隊
>大隊>中隊>小隊>分隊>班です。この小説の扱うスケールの話では、師団とい
うものが理解できないと筋がつかみづらいので、少し行数を割いて説明することに
します。ここでの解説が当てはまらない特殊例(例えばドイツの砲兵師団)もある
ことを最初にお断りしておきます。
 旅団以下の単位を専門店あるいは売り場とすると、師団は総合的な品揃えを持つ
スーパーマーケットです。まずどんな師団にも歩兵と砲兵がいます。大砲は強力な
武器ですが、近距離で歩兵に襲われると無力なので、歩兵が作る戦線の後ろに守ら
れています。対戦車砲や対空砲の部隊が砲兵から分かれている国もありますし、ご
ちゃまぜの国もあります。
 ほとんどの師団は、これに加えて偵察部隊を持っています。これは基本的には歩
兵部隊ですが、事情の許す限りで兵員輸送車、トラック、オートバイ、馬車、自転
車などの移動手段を多めにあてがわれていました。
 戦車師団はこれに加え、戦車部隊を持っています。戦車師団と自動車化師団は、
この戦車部隊の規模によって区別されますが、厳密な境界線はありません。自動車
化師団はたいてい戦車師団と同じ軍団に配属され、戦車師団が急進撃するとき側面
を守ります。自動車化師団は戦車師団同様に、戦車の進撃速度に合わせて移動でき
るよう、所属する全部隊が(出来る限り)豊富な移動手段を与えられているからで
す。
 工兵は、橋を架けたり道路を補修したりするのが本来の仕事ですが、爆発物の専
門家として、市街戦での建物の爆破や火炎放射器の操作にも携わり、しばしば多く
の死傷者を出しました。
 以上のほか、通信、衛生(医療)、経理といった非戦闘部隊を加えて、ひとつの
師団が出来上がります。第2次大戦の頃の師団の編成定員は、9千人から1万5千人と
言ったところでした。

 当時の常識では、1個歩兵大隊の防御する標準的な戦線の長さは1キロでした。
大戦中に改編されたドイツの歩兵師団は6個歩兵大隊を持つのが普通でしたから、
理想的な状態で6キロ、無理をした状態ではその倍程度までを担当します。こうし
た師団の戦区が切れ目なくつながって戦線が出来ます。
 師団の上の軍団には、独立した大隊、連隊、旅団がいくつか「軍団予備」あるい
は「軍団直轄部隊」として与えられます。重要な目標に向かう師団や、消耗した師
団は、軍団司令部から軍団直轄部隊を一時的に指揮下に加えられます。典型的な軍
団直轄部隊は、軍団砲兵と総称される砲兵部隊で、しばしば師団の砲兵よりも大き
くて射程の長い大砲を持っています。

 さて、この回に紹介されたドイツのアフリカへの派遣部隊は、史実より大きいの
でしょうか、小さいのでしょうか。陸軍だけを取ると「わずかに大きい」というの
が答えです。
 史実での1941年当時の派遣兵力と、作中の派遣部隊を対照してみましょう。
    史実            作中
    第5軽機械化師団       第3戦車師団
    第15戦車師団        第15戦車師団
    第90アフリカ軽師団     アウグスタ戦車師団
    アリエテ戦車師団      アリエテ戦車師団
    トリエステ自動車化師団

 第5軽機械化師団は、じつは第3戦車師団から割愛させた部隊を中核として編成さ
れています。それが丸ごとやってくるわけで、ここで半個師団ほど差がつきます。
第90アフリカ軽師団は歩兵と砲兵しかない変則師団ですから、ざっと半個師団の戦
闘力しかありません。アウグスタ師団は完全編成のドイツ戦車師団と同兵力ですか
ら、トリエステ師団と第90師団を合わせた程度の戦闘力があるでしょう。ただし、
トブルクが陥落しなかったことで、イタリアのイギリスへの捕虜は史実より約10万
人少なかったはずですが、これらは「再編のため」イタリアに送り返されたものと
します。
 これに対し、イギリス側はギリシアに兵力を送らずにすんだので、エジプトに史
実より3個師団程度多い(1個戦車旅団を含む)戦力を持っています。ドイツ軍に決
定的な勝利を収める力はない、とヒトラーが力説するのはこのためです。

 自動車を国際分業する場合、実際にはエンジンは最も高度な技術を要し、最後ま
で技術移転されない部品のひとつです。この作品ではわかりやすさを優先してエン
ジンを取り上げました。


謝辞:ルーマニアに関するいくつかの史実につき、歴史フォーラム世界史館
(FREKIW)のヨーロッパ史関連会議室の皆様にご教示を頂きました。記して
感謝します。なお本文に残る誤りは作者にすべての責任があります。

第8話「土と血と雪と」

 空はどんよりと曇り、風はほとんどないのに、大気は刺すように冷たい。ここルー
マニアの首都ブカレストでは、ヒトラーを迎えて軍事パレードが行われていた。
 花輪と国旗で飾り立てられてパレードの先頭に立つのは、戦前に輸入された、フ
ランスのルノー軽戦車。続いて大小2種類のチェコスロバキア製戦車、チェコスロ
バキアの牽引車に引かれたドイツ製の旧式野砲と続く。
 ヒトラーは何も言わず、ルーマニア軍の最新鋭兵器の数々を眺めていた。国力に
見合わない過大な、そしてそれでも世界水準には達しない軍備であった。もし大戦
に巻き込まれれば、この程度の軽装備はたちまち蹂躪されてしまうだろう。
 プロペラ音が近づいてきた。国産戦闘機IAR80のデモ飛行である。動員された群
集がざわめく。ルーマニアは国営企業IARを国を挙げて育成し、ほぼ純国産の戦闘
機を開発するまでにこぎつけたが、搭載する機銃の輸入が大戦で滞り、生産に影響
が及び始めていた。ルーマニアは農業国で、いろいろなタイプの工業がバランスよ
く発達しているわけではないので、飛行機は自製できても機関銃はできなかったの
である。
 ヒトラーの傍らで、背が高く柔道家のような体躯のミハイ国王は、にらみすえる
ように自分の−形式上のことであったとしても−軍隊を見詰めていた。その向こう
側で、この国の事実上の支配者で「国民指導者」のアントネスク大将は、仏像のよ
うに静かに、そして微動だにせず、パレードを見送っていた。


 ルーマニアのあたりは、古代にはローマ帝国の版図の東端に位置し、ダキアと呼
ばれていた。モルダビアとワラキアというふたつの地方は、長らくトルコ、ときに
ロシアに属して、イスラム圏とキリスト教圏のいずれにとっても辺境を成してきた。
 フランス革命後、この地に民族運動が生まれた。その目指すところは、両地方を
併合し、ローマ帝国の遺民たるラテン系民族を糾合した、新たな国。そのまだ見ぬ
国を、志士たちはいつしかローマ帝国にちなんでルーマニアと呼び始めた。
 ロシアが南下政策を取り、トルコと対立を深めると、好機が訪れた。独立運動家
たちは西欧の世論に訴え、ときにはロシア側について参戦しながら、まず両地方に
統治者を立てて公国とし、その公に同一人物を推戴することでともかく統一国家の
体裁を作り、段階的にトルコの宗主権やロシアの保護権を弱めて、ついに1878年に
なって列強から独立国として承認されるに至った。この時点をルーマニア建国のと
きと見なすなら、ルーマニアは明治日本より若い国である。
 国が生まれ、志士は去り、政治家が現れた。
 第1次大戦が始まると、ルーマニアは目の前の大きな獲物に、思い切って手を伸
ばすことにした。オーストリア=ハンガリー帝国に属するトランシルバニア地方で
ある。ハンガリーの主流であるマジャール人も何個所かにコロニーを作って混住し
ているが、どちらかというとルーマニア人(もはやこう呼ばれるようになっていた)
が多い。オーストリア=ハンガリー帝国におけるルーマニア人の民族運動が、かな
りの盛り上がりを見せていたことも、ルーマニアを誘惑した。
 ルーマニアは宣戦し、侵攻し、負けた。いったん単独で休戦協定を結ぶところま
で追い込まれたが、ドイツ・オーストリアの敗勢が決定的になると、批准直前だっ
た休戦協定を破棄して再びハンガリーに侵入した。
 戦後、ルーマニアの領土は倍増した。分捕ったトランシルバニアに加え、ロシア
から数十年ぶりにベッサラビア地方を奪還したのである。ベッサラビアはもともと
モルダビアの一部であったが、かつてロシアがトルコとの戦争に勝って、頭越しの
交渉でトルコから割譲させた地方であった。
 言うまでもなく、講和をまとめた列強はハンガリーやソビエトに小さくなってほ
しかったのであり、ルーマニアに大きくなってほしかったわけではない。国力を超
えて領土を急拡大させ、国内に少数民族を抱え込み、周囲の国の恨みを買ったルー
マニアの課題は重かった。
 しかしこの重大な時期に、ルーマニアはあまり適切でない人物を国王に迎えてし
まった。国王カロル(2世)である。彼は君主独裁の復活を企て、相次いで成立す
る政党内閣の足を引っ張り続け、ついに国民の広範な支持を得られる政党がなくな
ると、自分のロボットとしての首相を置いて事実上の親政を始めた。


「先日の反乱分子の策動を制圧されたことについて、まずお祝いを申し述べます。
反乱者たちがドイツ製の武器を持っていたそうですが、きわめて遺憾であります」
パレードの後の国王謁見で、ヒトラーのアントネスクたちへの第一声は丁寧だった
が、謝罪は含まれていなかった。まあ本当に知らないのだから仕方がない。どうや
らヒトラーの内意を読み誤って、ヒムラーの親衛隊が武器を提供したようであった。
 ミハイ国王とアントネスク元帥は、表情をびくりとも動かさなかった。怒ること
も微笑むことも立場が許さない、ということのようであった。

 ルーマニアには鉄衛団と呼ばれるファシスト組織があり、首相や閣僚の暗殺を何
度も成功させていた。1940年9月6日に、長年の失政の挙げ句カロル国王が追われる
と、鉄衛団とアントネスク将軍の共同政権が成立した。外部から見たところ、鉄衛
団が政権の中心であり、アントネスクは軍部をなだめるお飾りに見えた。
 しかし蓋を開けてみると、アントネスクが優秀な軍人で組織掌握に長けていたの
に比べ、鉄衛団は既成秩序の破壊を唱えてテロを繰り返すばかりで、ドイツにとっ
て頼りになるパートナーではなかった。次第に自分たちの影が薄れていく状況に焦っ
た鉄衛団は、クーデターを敢行した。1941年1月21日のことである。
 困ったのはおっちゃんである。名前を知らなくても握手して談笑するくらいは出
来るが、クーデターとなるとどちらかを支持しなければならない。ルーマニアの国
情など知るわけもないのに、ナンヤラ将軍とカンヤラ団の争いをどうさばいたもの
か。
 ヒトラーはアントネスク将軍に会ったことがあった。11月にルーマニアが日独伊
三国同盟に後追い加盟する調印式が行われたとき、ドイツにやってきたのである。
ハンガリーと係争中の領土問題について、ヒトラーを前にして少しも臆せず、自国
の立場をとうとうと述べ立てて去っていった。戦争のさ中には、ああいう人物を仲
間にしたいと思わせる人物であった。
 ヒトラーは内心恐る恐る、ルーマニアに駐留するドイツ派遣軍に対し、アントネ
スクの要請があれば支援に回るよう訓令した。アントネスクは、ドイツ軍の支援を
受けて、数日で鉄衛団のクーデターを退けたのであった。


「反逆者どもを鎮定する間、総統閣下とその政府が私の政府に示してくださった友
情は、何者にも代え難い価値ある物でした。まことに感謝に堪えません。ところで
我が国は通商協定を誠実に遵守しておりますが」若いミハイ王は初めて訪れた外交
上の大一番に、どこか気負っている。「お国からの武器がもっと多く届いておれば、
先ほどのパレードももっと勇壮なものとなったでありましょう」アントネスクが咳
払いをした。ルーマニアとドイツは石油と兵器の相互安定供給を約していたが、ド
イツは国内軍備にかまけて武器輸出を滞らせがちであった。
「その問題について、いくつかの建設的な提案を携えて参ったことをお伝えするの
は、私の欣快とするところです」おっちゃんはこうした言い回しにすっかり慣れて
来ていた。「後程リッベントロップ外務大臣より、陛下の大臣に詳細をお伝えいた
しますが、その概略を今説明いたさせます」名指されたリッペントロップもさすが
に慌てた顔をせず、予定通りであるかのようにすらすらと提案の要旨を暗唱する。
 提案とは、例によってプラント輸出であった。ドイツでは二線級扱いのチェコス
ロバキア製重機関銃の製造設備をルーマニアに輸出する。アメリカからの部品が途
絶えてラインが止まったままのルーマニア唯一のトラック工場を改装し、ドイツか
らエンジンなどの部品を供給してドイツ仕様のトラックを生産させる、などなど。
自軍の装備にも困っているドイツの台所事情のツケを押し付けているともいえるが、
工業製品の国産化を熱望するルーマニアの意図に沿った部分もある。
 リッペントロップが概要を説明すると、国王は鷹揚に微笑した。「ルーマニアの
工業化はわが王家の悲願であり、今日はまことに良き日であります」王家の悲願?
そう。父王カロルが莫大な国費を投じて推進した工業化政策の過程で、どれほどの
金額がカロルと側近の懐に入ったか、計り知れない。アントネスクは何のコメント
もしなかった。


 時流に乗って領土を拡大したルーマニアには、地方自治の歴史がない。不在地主
も都市部に集中していたから、農村部を適切に代表する政治勢力は欠けたままであっ
た。国王はこの状況を改善できず、農民の生活改善は常に後回しにされ、内政でじ
わじわと失点は重なってきていた。
 しかしもし大戦下にあって、中立を保ちつつすべての領土を保全できれば、カロ
ル王が失脚を免れる見込みはあった。そして大戦初期には、それはかなり有望であっ
た。英仏は争うようにルーマニアの機嫌を取ってきたし、独伊もそれに対抗した。
1940年の中頃には、ルーマニア空軍は英仏独伊の機体をごちゃまぜに運用するよう
になっていた。いずれも、有利な条件でそれぞれの国から購入したものである。
 1940年5月のフランス崩壊は、ルーマニア外交に大きな打撃を与えた。ルーマニ
アはあたふたと国際連盟から脱退し、ドイツに急接近したが、真の危機は東からやっ
てきた。ソビエトは西でのドイツの大成功を見て、東で中立の代償を受け取る好機
と考えたのである。
 6月、ソビエトはルーマニアに対し、第1次大戦で獲得したベッサラビア地方に加
えて、スラブ系住民の多い北ブコビナ地方の割譲を要求する最後通牒を発した。じ
つはベッサラビア地方は、ポーランドに侵攻する直前に結んだ独ソ不可侵条約の秘
密条項で、ドイツがソビエトの勢力範囲として認めていたのである。ルーマニアは
ドイツの支持が受けられず、要求を呑むことにした。
 このルーマニアの態度を見て、同じく前大戦で苦杯をなめたハンガリーと、前大
戦のそのまた前のバルカン戦争でルーマニアに領土を取られたブルガリアが、領土
要求を突き付けてきた。ドイツにしてみれば、足元で潜在的同盟国の間に起こった
いさかいである。調停しなければならない。石油と小麦の大輸出国であるルーマニ
アは確かに大事だが、ハンガリーは旧支配層がしっかりしていて親ナチス政党がな
かなか支持を伸ばせず、おまけにスロバキアへの領土要求(スロバキアは前大戦ま
でハンガリー領だった)をくすぶらせ続けている。
 チェコスロバキアは、チェク人の住むオーストリア領ボヘミア・モラヴィアと、
スロバク人の住むハンガリー領スロバキアを合わせて、前大戦後に作られた国家で
ある。ドイツは今次大戦の始まる直前の1938年、スロバキアの独立運動を煽りたて、
その混乱に乗じてボヘミア・モラヴィアを無血占領し、併合してしまった。スロバ
キアは「独立」してドイツの保護国となっているから、ここへの領土要求が先鋭化
するとドイツはまことに不都合なのである。そうした事情で、ドイツの方に、ハン
ガリーとの絆を強化すべき理由があった。
 1940年8月30日、ドイツの示した調停案を見て、交渉に当たったルーマニアの外
務大臣は失神したと伝えられている。係争地トランシルバニアの北部をハンガリー
に返すというものであった。すでにブルガリアの要求をルーマニアは受け入れるこ
とを決めていたが、人口面でも資源面でも北トランシルバニア返還の影響ははるか
に大きい。
 結局ルーマニアは、一発の弾丸も撃つことなく、この調停案を受け入れた。ルー
マニアの朝野は騒然となった。長いルーマニアの国境線を維持するため国民は貧困
と負担に耐えてきたのに、その国境線を無抵抗で引き直させるとは何事か。難局を
打開するため、カロルが最後の切り札として登用した実力首相が、アントネスク大
将であった。参謀総長など要職を歴任しながら、親独派と目されていたため、投獄
までされていた人物である。
 アントネスクは思い切った行動を取った−というより、国内情勢がもうそこまで
来ていたと考えるべきであろう。アントネスクはその日のうちに、国王に退位を要
求したのである。カロルは長男ミハイに譲位すると、大慌てで亡命していった。
 アントネスクはドイツ軍のルーマニアへの進駐を進んで要請した。これには3つ
の意味があった。ひとつは、ルーマニアがドイツの傘下に入ったことを内外に示し、
ドイツを満足させること。もうひとつは、多くの人口を失い縮小されたルーマニア
軍を守り立て、ソビエトとの国境を装備の良いドイツ軍で強化すること。最後に、
ハンガリー国境で毎週のように頻発する武力紛争に、より多くのルーマニア軍を備
えさせることであった。


 国王との謁見が終わり、首脳会談のため別室への移動の途中、アントネスクがつ
いとヒトラーに肩を並べた。ヒトラーは相手の言いたいことが分かっていたので機
先を制した。
「国王は立派な統治者になられるであろう。我が国からの輸出については、私も気
にかけているのだが」
「それを聞いて、アントネスクも安堵致しました」アントネスクには妙な癖があっ
て、一人称を使わない。「客人方にご不快を与えていなければよいのですが」アン
トネスクはついと離れていった。
 アントネスクは、ドイツの力を利用することが、ハンガリーとソビエトから領土
を取り戻す唯一の方法だと考えていた。そして、軍人である彼にとって、領土の保
全は当然にすべてに優先した。軍人としての目標を追求することによって、彼は親
独派になった。というより、彼は親独派と呼ばれることを受け入れた、というべき
であろう。
 おっちゃんはドイツのどの領土にも、ましてやドイツ国外のいかなる国や地域に
ついても個人的に「領土欲」を持っていない。この戦争をそこそこの条件で和平に
持っていければ、ドイツ国境がベルサイユ条約の範囲、あるいはそれ以下になって
もかまわなかった。そして、他人の戦争としてこの戦争を見ているおっちゃんには、
自分に対するアントネスクの姿勢の裏にあるものがかえってよく見えた。旧領奪還
に人生を捧げているようなアントネスクに、おっちゃんはかけてやる言葉に困るの
であった。


 ヒトラーは、首脳会談を大過なくこなして、ベルリンに戻って来ていた。
「ジャガイモが不作なんですって?」エヴァ・ブラウンは、チョコレートの小鉢と
暖かい紅茶をヒトラーにすすめた。「結婚した女性たちはその話で持ちきりよ」
 お茶の時間に、おっちゃんの感覚からすればもっと似つかわしいクッキーやサン
ドイッチでなく、チョコレートやキャンディーやケーキが並ぶのは、本来のヒトラー
の嗜好であった。おっちゃんはそれを察していたが−ヒトラーの机のあちこちの引
き出しからキャンディーが出てきたので、ヒトラーがかなりの甘党であることはおっ
ちゃんにもわかっていた−何も言わずに、いや、何も言えずにいた。エヴァがこの
世で唯ひとりの愛する人を待っていたからといって、おっちゃんにそれが責められ
ようか?


 おっちゃんは、エヴァ・ブラウンにはその正体を明かしていた。エヴァにとって
もまったく理不尽で理解できない事態だったが、エヴァは誰よりも現在のヒトラー
と以前のヒトラーの差を感じる根拠を持っていたから、程なく現状を受け入れた。
 さすがにおっちゃんも、他人の女を抱く気にはなれない。いや、そんなことを言
い出すのが気恥ずかしくなるほど、エヴァ・ブラウンはコケティッシュなところの
ない普通の女性であった。
 こんなに普通の女性なら、なぜヒトラーはもっと早くエヴァと結婚しなかったの
だろう? ヒトラーは自分でも間抜けた質問だと思いながら、シュペーアにその疑
問をぶつけたことがあった。「たぶんイメージですよ」シュペーアは苦笑混じりに
言った。「総統は国政にすべてを捧げているから世俗的な楽しみを犠牲にしている、
というわけです。本人は違う理由を口にしてましたが、酒や煙草をやらなかったの
もそのせいかもしれませんよ」「迷惑なことだ」ヒトラーがぽつりと言ったのでシュ
ペーアは大笑いした。
 ともあれ、ヒトラーはエヴァ・ブラウンをそのまま、お抱え写真家の助手という
触れ込みで官邸に住まわせておいた。長らく親戚や友人と切り離された日陰者の生
活を続けているので、エヴァにも他に行くところはなかった。今のところ、ヒトラー
にとってのエヴァは、文字通りの茶飲み友達であった。


「もし私が、平和のためにドイツの領土を削る決定をしたとしたら、国民はどうい
う反応をすると思う」ヒトラーは湯気の立つティーカップを持ったまま、尋ねた。
「そう・・・わかりませんわ」エヴァは政治には首を突っ込もうとしなかった。
「難しいことを聞いているのではないんだよ。普通の国民から私は・・・ああ、
ヒトラーは、何を期待されているんだろう」
「そうねえ」エヴァはカップを置いた。「特に若い人たち以外は、あなたを選挙で
選んだことを覚えているわ」エヴァは使い慣れない外国語を話すときのように、単
語のひとつひとつを選んでいた。「絶対かなわないと分かっている願いって、ある
でしょう。ほら、ちょっと恥ずかしくて口にできないような」
 ヒトラーは、曖昧にもごもごと肯定した。
「あのひとがやったことは、みんなそれよ。ドイツ人が心のどこかに持っている夢。
もしそれが実現したら何が待っているかなんて、誰も真剣に考えないような夢。こ
んなに長く戦争が続くとわかっていたら、誰もそんなことは願わなかったでしょう
ね」
 ヒトラーは言った。「私の公約というのは、いったい何だったんだろう」
「ゲッベルス博士に聞いてごらんなさい」エヴァは言ってしまった後で肩をすくめ
た。ゲッベルス宣伝大臣は大不倫のあと結局離婚しなかったので、エヴァは何とな
くゲッベルスを女の敵として嫌っていた。「でもきっと誰も覚えていないと思うわ。
あのひとの演説って、とてもはっきりしていて、とてもわかりにくいんですもの」
矯激なセンテンスが多く含まれているが、全体として何を言っているのかわからな
いのである。「でもそんなことは問題じゃないわ。みんな、あのひとだったら何か
いいことをしてくれると思ったのよ」
「何かいいこと、か」言っても仕方のないことだが、おっちゃんとしては口に出す
ことがせめてもの気晴らしであった。
「あなたは自分のすることを自由に選んでいいと思うわ。平和は誰もが待ち望んで
いるし、あなたはあのひとではないのだから」
 言ってしまってエヴァは言葉を切ってうつむいた。ごめんなさい、と口には出さ
ないが、その気持ちは伝わった。
 おっちゃんは黙って、窓の外を眺めていた。
 ベルリンを、粉雪が舞っていた。

<ヒストリカル・ノート>

 この年、ジャガイモは天候不順のため不作でした。


第9話「グライダー海を渡る」

 ドイツ第11空挺軍団長兼空挺兵総監、シュトゥデント中将は、今日も朝の6時だ
というのに執務室に入っていた。ストレスで早く目覚めてしまうのである。仕事が
溜まっているのも確かであった。大戦が始まってから、空挺部隊は拡張に次ぐ拡張
で、空挺部隊のトップたるシュトゥデントが決済しなければならない書類はひどく
多い。そしてシュトゥデントは、それほど器用なほうではなかったから、処理にひ
どく時間がかかった。だがこういう時期こそ、邪魔の入らない早朝には別のことを
したいものである。
 不用心なことに、彼の執務室の机の上には、次の目標であるマルタ島の地図が広
げっぱなしになっていた。木と厚紙で作った、作戦参加部隊を示すマーカーもあっ
た。最近の彼は、起床直後の時間を、この地図とマーカーと共に過ごしていた。

 マルタ島はみかんのような横長の楕円形をしているけれども、これを無理に時計
の文字盤に例えてみよう。10時から4時までの右上(北東)の部分は、概ね遠浅で、
上陸作戦に適した砂浜が多い。この部分に所々出来ている湾部は天然の良港で、そ
のうちで最大のグランド・ハーバーはおよそ1時の方向にあった。この周囲を囲む
ようにして発達しているのが、首都バレッタである。そしてバレッタの南、つまり
島の中央やや東に、島で最大のルカ飛行場があった。
 当時のレシプロ(プロペラ)機に必要な滑走路の長さはジェット機の場合よりずっ
と短かったから、イギリス空軍は島に数ヶ所の仮設飛行場を作って航空機を分散さ
せ、全滅のリスクを避けていた。しかし小型の戦闘機はともかく、ドイツの輸送機
が降りられるところとなると、まずルカであった。
 4時から10時までの南西方向は比較的標高が高く、海岸は切り立っていて普通の
上陸作戦には適さない。マルタ島は石灰岩のかたまりのような地勢であまり肥沃と
はいえず、港湾周辺に人口が集中するため、重要地点はだいたい北東寄りにあった。

 ドイツ第6山岳師団と、イタリアのスペツィア歩兵師団を示すマーカーは、無造
作に北西方面に並べられた。これらの部隊は普通の上陸作戦を行う。イタリア軍が
かき集めた雑多な舟艇の他に、ドイツ軍の新機材も投入される予定であった。ただ
山岳師団のうち1個連隊は6時の方向にわずかにある砂浜から上陸し、まっすぐ北へ
ルカ飛行場を目指す。
 イタリアのフォルゴーレ空挺師団のマーカーは、島の中央やや西に、いくぶん縦
長に散らして置かれた。上陸部隊は島の西に来る。イギリス軍の主力はおそらく首
都と要港のある東に置かれているだろう。上陸部隊が島の西半分を制圧するまで、
交通の要所を押さえて増援を阻むのがこの部隊の役目である。サンマルコ海兵隊は
7時の方向、ディングリの断崖をよじ上り、砲兵がバレッタを攻撃する際の観測陣地
になる高台を確保する。
 シュトゥデントはドイツ軍人としてはイタリア軍をそれほど蔑視しない方だった
が、それでも作戦のハイライトは自分の子飼いの部下のために取っておいた。ドイ
ツ第7空挺師団のマーカーは、ルカ飛行場そのものを囲むように置かれた。ここから
新編成のヘルマン・ゲーリング空挺師団を空輸し、可能ならばイタリア軍の手を借
りるまでもなく独力で首都バレッタに襲いかかるのである。
 最後にマーカーがひとつ余っていた。この部隊は本当に働いてくれるのだろうか?
当の本人たちもそれを自問自答しているに違いないから、強いて尋ねるわけにも行
かないが。
 シュトゥデントは、「第102戦車旅団」のマーカーを、疑わしげに第6山岳師団の
マーカーと並べた。


 第18戦車師団のほとんどの部隊はワルシャワ周辺に駐屯していたが、第18戦車連
隊だけは特殊訓練のためウィーン近くの湖に分遣されていた。
 今日も戦車のエンジン音が水鳥を飛び立たせる。フロートに取り付けられた給排
気口までパイプを伸ばした、密閉された潜水戦車で湖を横断する訓練である。この
潜水戦車は、イギリス本土上陸のための秘密兵器として慎重に秘匿されてきていた。
 一群の戦車が湖から姿を現し、隊列を整えて木立の中の空き地へ次々に入って来
る。「状況終了、降車してよし」中隊長の無線指示で、一斉に戦車のハッチが開い
て、ぞろぞろとクルーが降りてくる。狭くて空気が悪い車内から開放されて、腰を
伸ばす姿や肩を回す姿があちこちで見られる。「休憩、各自食事準備」中隊長の指
示を待つまでもなく、視界の隅に烹炊車と炊事当番兵の姿を認めた兵たちは、すで
に飯盒を取り出して列に並ぶ準備をしていた。
 ドイツの戦車は5人乗りが原則である。操縦士、無線士、砲手に装填手。これだ
けがサポートしないと、戦車長が戦車長としての分析・判断・命令に専念できない
と考えてのことである。では戦車長の階級は?
 自分の戦車に乗る限りで最高の職は戦車連隊長で、ふつう大佐である。では最低
の、戦車1台をやっと任された戦車長の階級はというと、軍曹である。戦時下では20
才未満の軍曹は別に珍しくないから、兵士から兄貴分に見られる戦車長も多い。
 そんな軍曹の戦車長に、パンをほおばりながら若い装填手が聞いた。「軍曹どの、
質問してよろしいでしょうか」「ああ」「中隊長殿のご機嫌がよろしくないのは、
なぜでありますか」中隊長と大隊長がどうも最近いらいらしていることを、兵士た
ちは敏感に感じ取っていた。
 戦車長が目を丸くしたので、装填手は恐縮した。「そうだな。第1大隊はどこへ
行ったんだと思う」このころの戦車連隊は3個大隊編成であった。この戦車連隊は
上陸戦闘用の特殊部隊だったので、第1大隊が軽戦車ばかり、残りは中戦車ばかり
という編成になっていたが、その第1大隊が先頃ひっそりとどこかへ移動してしまっ
た。「軍曹どのもご存じないのでありますか」「知っていても言えないこともある」
装填手は連続失言に身を縮め、車座のクルーからくすくす笑いが漏れた。「だが今
回については、知らん」
 軍曹は首を伸ばして、他のクルーが近くで食事していないことを確かめた。ここ
だけの話という奴である。「きっとどこかで上陸作戦があるんだ。だがこの戦車は
イギリス上陸まで秘密だから、連れて行くわけに行かなかった。軽戦車だけで手柄
を一人占めにされて、中隊長どのは怒っておられるのだろう」軍曹は口調を厳かに
変えた。「フェルドシュタイン二等兵、貴官が機密漏洩を慫慂(しょうよう)した
件に対し、当軍事法廷は次の判決を申し渡す」装填手は像のように固まった。
 軍曹は顎をしゃくった。「コーヒーを5杯、もらってこい」


 マルタ島は年間を通じて霧が出るということのない、乾燥した島である。ところ
がこのところ、霧ならぬ塵が島民と駐屯兵の悩みの種であった。石灰質の土地が爆
撃で砕かれて塵となり、ちょっとした風で吹き飛ばされるのである。
 今日はその塵に、別種の煙が混じる日であった。週2回に制限されている煙草の
販売日である。潜水艦を使ってエジプトから最低限の弾薬などの軍需物資は届いて
いたが、とても食料などのかさばる物資は運べない。水をくみ上げる井戸も石油が
ないとポンプが動かなかったから、マルタ島の運命は風前の灯火であった。
 陸軍兵士が3人、家の作る日陰で休もうとしていた。マルタ島の空軍と海軍には、
イタリアとリビアの間の交通を脅かす困難な任務が山積みであったが、陸軍はひた
すら待つのが仕事になっている。そこを見込んで、陸軍部隊はしばしば飛行機の待
避壕を作る作業に駆り出されていた。この3人も近くの飛行場で作業している途中で、
樹木の少ないマルタ島で休憩時間を日陰で過ごそうとして、人家のある所まで出て
きたのである。
 日陰には先客がいた。深いしわを刻んだ老人である。座ろうとする3人に、老人
は声をかけた。「煙草はあるかね」3人は顔を見合わせた。「ここはわしの家で、
この日陰はわしの家の日陰だよ」ややプロークンな英語で老人は穏やかに指摘した。
一番年長の兵士が肩をすくめて、煙草の箱を差し出すと、老人は1本取った。
「大変な戦争に巻き込んでしまったね」話し掛けられた老人は、「イギリスとマル
タは一緒に栄え、一緒に滅びる。はっきりしてるよ」と応じた。
「なぜそう思うんだい」年長の兵士は、「一緒に滅びる」のほうが気にかかってい
た。
「イギリスの船、マルタで補給する。船を直す。酒を飲む。たくさんお金使う」
老人は言った。イギリスがジブラルタルとエジプトの中間にマルタ島を獲得したこ
とは、外国港で補給せずにインドまで往復できる巨大なメリットをもたらしたし、
イギリス船がマルタ島に落とす仕事は、面積の割に大きな人口を養えるだけのもの
であった。「マルタが他の国のものになったら」老人は「イフ」を大きな声で発音
した。「トリポリ、チュニス、みんないい港。水ある。食べ物ある。誰もマルタに
来ない。私英語話す。みなさんマルタの言葉知っているか」
 兵士たちは、首を横に振った。「俺、英語で自分の名前が書けないんだ」若い兵
士が陽気に告白して、年長の兵士に小突かれた。
「マルタの言葉、アラビアの言葉。イタリアの言葉と違う。フランスの言葉と違う」
マルタ語はセム語族に属し、アラビア語に近い。「マルタの若い人、イタリアの言
葉知らない。フランスの言葉知らない。競争できない。他の港が勝つ」
「そうだな。さあ、そろそろ戻ろう」年長の兵士が立ち上がった。
 彼は、マルタが中継港としての役割を減じはじめていることを知っていた。帆船
から石炭船、そして石油船への転換が進んできて、エジプトからジブラルタルまで
無補給で通過する船が増えていた。もしマルタが滅んでもイギリスは滅びないとす
ると・・・
 俺たちは、捨て石か。
 年長の兵士は、苦い思いを振り払って、仕事場へと戻って行った。


 空挺部隊は新設間もないので、正規将校は極端に不足している。シュトラッサー
はまだ軍曹だったが、本来中尉が務めるべき小隊長を拝命していた。50人ほどの部
下を預かる仕事を軍曹の給料でやらされているのだから、割に合わない話であった。
 シュトラッサーは開戦以来2度ほど実戦降下を経験しているが、今度の任務は桁
外れに大規模であった。ドイツにひとつしかない空挺師団−最近できたヘルマン・
ゲーリング空挺師団は落下傘降下をしない空輸師団だから、彼に言わせれば空挺師
団に入らない−を全部投入するだけでは足りなくて、イタリアの空挺師団も参加さ
せるのだ。
 シュトラッサーの実感では、降下は試みる度に危険になってきていた。いまや敵
は空挺降下の可能性をすっかり計算に入れていて、完全に奇襲に成功した場合でも、
ひどく早いタイミングで敵が現れるのだ。
「どうした、小隊長」食堂でぼんやりしているシュトラッサーを見て、中隊長のマ
イセ中尉が声をかけた。マイセはシュトラッサーをわざと小隊長と呼んで、自信を
植え付けようと気を使ってくれていた。
「注射みたいなもんだ。すぐ作戦は終わるさ」「はい、中尉どの」「君は、士官学
校に行く意思はあるかね」シュトラッサーは言葉に詰まった。別の小隊の小隊長を
務めるドルマン少尉が微笑を浮かべてやり取りを聞いている。ドルマンはこの戦闘
が終わったら陸軍の士官学校に行かせてもらうことになっていた。
 ドイツ陸軍のシステムでは、中尉になるにはふたつの方法があった。ひとつは、
部隊で少尉まで昇進して、上司の推薦を受けて士官学校へ行き卒業する方法。もう
ひとつは、士官候補生部隊や幼年学校で基礎訓練を受けるか、軍曹・曹長クラスま
で進むかして士官学校へ入り、その後少尉として1年間を良好な成績で過ごし、昇
進を認められる道である。
「あ、あの、はい、光栄であります」「2年経ったら中隊長どのだ。そのときのこ
とを考えて、目先のつまらぬ心配は忘れたまえ。空挺兵はひとりで降下することは
決してないのだ」「おめでとう。春からは同級生だね。よろしく頼むよ」ドルマン
が陽気に言い添えた。


 爆弾は、当たるときは当たるが、当たらないときは当たらないものである。グラ
ンド・ハーバーには大小多数の船舶があって、ドイツ軍の急降下爆撃機にしょっちゅ
う空襲を受けているというのに、潜水母艦HMSタルボットには今のところ深刻な損
害はなかった。いずこも同じ予算不足で、潜水艦のための保護されたドックの建造
は認められていなかったので、イギリスの潜水艦はこの潜水母艦が頼りであった。
「どうも怪しい雲行きだ」シンプソン大佐(マルタU級潜水艦戦隊司令)は、ブリッ
ジの窓から雲一つない空を見上げた。「空軍はまだ飛行機を回してくれる気になら
んのか」「サンダーランド飛行艇が沈没したのがショックだったのでしょう」長い
ことマルタ島の目となっていたサンダーランド飛行艇は、泊地にいるところをドイ
ツ戦闘機に見つかり、先頃撃沈されていた。
 マルタには元々、ほとんど飛行機は配備されていなかった。大戦が始まってから、
周囲を通りかかる航空母艦に戦闘機を運んでもらっているが、運ばれる尻から連日
の空戦で消耗し、現在ではようよう10機強の、それもやや旧式のハリケーン戦闘機
が島を守っているに過ぎなかった。大型機なら夜陰にまぎれて本土から直接送り込
むことも出来るのだが、唯一配備されていたウェリントン双発爆撃機の小部隊が、
ドイツ軍の爆撃により地上で大損害を受け、エジプトに撤退したばかりであった。
 当面の問題として、独伊の構えがわからないのがイギリス側としては苛立たしかっ
た。このところ爆撃は昼夜を分かたぬものになっている。夜間爆撃の度に市民も軍
人もたたき起こされるが、翌朝になってみるとさしたる損害はなく、対空砲弾薬の
浪費と人心の消耗を狙っているようにも見える。
「やはり自分で見に行くしかないか。次に帰還するのはアトモースト(当時マルタ
を基地にしていたU級潜水艦の1隻)だったな」「はい、大佐」「哨戒の往路にタ
ラント(イタリア南部の軍港)を偵察するよう予定を組んでくれ」「承知しました」
副官は敬礼すると退室した。
 もし侵攻があれば、タルボットはアレクサンドリアへの脱出を試みるべきだろう。
潜水母艦はかけがえがない。出動中の潜水艦は事態に気がついてくれるだろうか。
祈るしかなかった。各艦の乗組員にはその心の準備があるはずだ。マルタ島はイタ
リアの参戦以来、いつ戦場になってもおかしくない前線の島であり続けていた。
 シンプソンはつい2ヶ月前に着任したばかりだった。先月の終わり近くになって、
やっとイギリス政府は空しい面子を捨てる決定を下した。ドイツの無制限潜水艦作
戦を非難する立場から、地中海のイギリス潜水艦はイタリアとリビアの沿岸以外で
は無警告で攻撃をかけないよう命じられていたが、この制限が解けたのである。やっ
と攻撃が軌道に乗り始めたとき、この基地を失うとしたら、それはつらいことだっ
た。


 ドイツ第2航空艦隊参謀長・メルダース中佐は、もうすぐ28才の誕生日を迎える
ところであった。彼はこの当時ドイツ最高の−ということは世界最高の−個人撃墜
記録を持っており、穏やかで人付き合いの良い性格もあって、戦時下としても異例
のスピードで昇進していた。
 彼は航空艦隊司令部と共に、イタリア半島の長靴の先、レジョジカラブリア市に
進出していた。今回の空挺作戦では多くの輸送機が相次いで飛び立つ必要があるた
め、イタリア半島南部とシシリー島のめぼしい飛行場は輸送機と最低限の戦闘機で
満杯になってしまい、戦闘機と爆撃機の多くはリビアやサルジニア島に追いやられ
る始末であった。それらの雑多な部隊を統括し攻撃の秩序を維持することが、メル
ダースの任務である。いま彼は、航空艦隊司令との打ち合わせの最中であった。
「今朝の海軍からの報告書の写しはもう読んだかね」第2航空艦隊司令・イェショネ
ク大将は、メルダースに尋ねた。「また輸送船が潜水艦に襲われたようですね」
「この方面への航空偵察はどうなっている」「平常時には、ハインケル爆撃機によ
る哨戒が行われております」イタリア南部からマルタ島の東を通ってベンガジやト
リポリに向かうイタリア輸送船団のルートは、今回の作戦空域そのものといってい
いから、作戦に直接関係しない水上偵察はおろそかになっている。ご自慢の対空レー
ダーも潜水艦には無力である。「爆撃機を分派しても構わないから、警戒措置を取っ
て欲しい。上陸船団の安全を確保せねばならん」「承知しました」
 結局、この措置は不十分であった。練度の高い乗員は上陸作戦のため温存されて
いたから、経験の浅い乗組員が出動し、大きな見落としをしてしまったのである。


 夜明けにはまだ間がある。温暖な地中海といえども、この時節の早朝の北西風は
まだ肌寒い。ドイツ第6山岳師団に属する2000名の兵士を満載した、イタリアの貨客
船オチェアニア号は、マルタ島南岸に接近すべく、シチリア海峡を抜けて東地中海
に入るところであった。
 上陸作戦にはもっと小型の艦艇が望ましいのだが、2個師団に加えてサンマルコ
海兵隊を一度に運ぶとなると、上陸用舟艇の数が揃わない。イタリア軍はさっさと
自軍の部隊に揚陸艇を割り当ててしまったので、ドイツ軍に貧乏籤を引く部隊が出
たのであった。
 もっとも、ドイツ軍の力の及ぶ限り、実際の上陸用の小舟艇は用意されていた。
第1次大戦で、兵士が長時間無防備状態にさらされて大きな損害を出した上陸作戦
があったことから、海岸で迅速に兵士が降りられる舟艇は世界中で開発が進められ
ていた。基本構造はみな同じで、海岸に乗り上げると同時に船首の歩板が倒れて、
兵士が一斉に飛び出すのである。1個小隊(50〜60人)を運ぶ舟艇は戦車1台と重量
がほぼ同じであったから、ドイツは各種車両の工場を動員してこの種の舟艇(ドイ
ツはKLボートと呼んだ)を急造中であった。
 突然、前方で砲火が見えたかと思うと、イタリア海軍の護衛艦艇が激しく応射を
始めた。リビアへ向かう輸送船団を狙って奇襲をかけてきた4隻のイギリス駆逐艦
が、別の大きな獲物を幸運にも−枢軸軍には不運にも−見つけてしまったのである。
 護衛に加わっていたイタリア巡洋艦の1隻が、敢えて探照灯の使用に踏み切った。
夜陰に浮かび上がる敵の砲火の配置から、イギリス艦は駆逐艦で、巡洋艦がいれば
制圧できると踏んだのである。重要な船を護衛していることが、かえってイタリア
艦隊をいつになく積極的にしていた。
 イタリア巡洋艦からの斉射を浴びて、イギリス艦隊は慌てて反転避退に移った。
しかし横腹を見せるついでに、イギリス駆逐艦から伸びた数条の雷跡は、オチェア
ニア号に悪魔の指のように近づいて行った。


 このところ、かなりの数の島民が、家の外で寝るようになっていた。多くの民家
は石造かコンクリートで、寝ている間に直撃弾を受けたら助からないからである。
だからイタリア軍のフィアット複葉戦闘機が大挙してマルタ島に押し寄せてきたと
き、夜明けから1時間前後だったにもかかわらず、防空壕へ急ぐ島民の反応は素早
かった。
 見たこともない大群だった。それがまるで寝床を探す椋鳥の群れのようにいくつ
かの方向に分かれたかと思うと、そのひとつは首都バレッタに直進してきた。
 対空砲火はまばらだった。弾薬節約のため、価値の低い戦闘機への砲撃は抑制さ
れていたのである。特に、最も頼りになる市内随所のボフォース対空砲はまったく
反撃しなかった。
 トラックが連射を浴びて前輪を飛ばし擱座(かくざ)する。引き綱を結んでいた
杭が叩き折られ、荷車が石畳の坂道を転がる。対空銃座を囲んでいた、砂を詰めた
ドラム缶が被弾して鈍い音を立てる。フィアット戦闘機の機関銃は小銃弾と同じサ
イズだから、よほど当たり所が悪くない限り、何かが爆発するということはない。
 最後のフィアット戦闘機が銃弾を撃ち尽くして去っていくまで、長い長い時間が
かかった。ひとつ、またひとつ、島民の顔が安全な場所から現れて、外を見る。
 静かだ。いや−あの音はなんだ? 震えと共に伝わってくる、甲高い響き。それ
はほどなく大きくなって、肉眼でも音の主が見分けられるようになっていた。
 メッサーシュミット戦闘機だ! しかも翼の下に、不吉な影を連れている。最近
のメッサーシュミットは、去年の夏にイギリス本土を襲ったタイプと違って、爆弾
や追加燃料タンクをつけられる。
 島民たちは感じ取っていた。今日は特別な日だ。ついに、恐れられていた日が来
たのだ。
 全島のボフォース対空砲が、一斉に射撃を始めた。


 イタリアの誇る新鋭戦艦ヴィットリオ・ヴェネトは、僚艦チェーザレ、ドーリア、
リットリオと共に、夜明けと同時にマルタ島の上陸地点近くに猛射を浴びせた。
 イタリア艦隊は前年の11月、イタリア南部のタラント軍港に全戦艦を集めたとこ
ろをイギリス艦載機に襲われ、リットリオはようよう復帰したものの、なお2隻の
戦艦が修理中であった。今回も出撃を渋る海軍司令部に、「マルタ島西部からはシ
チリア島が視界下にある。この位置が危険だというなら、イタリア艦隊はどこにい
ようとその存在価値はない」とムッソリーニが啖呵を切って、しぶしぶの出撃命令
を引き出したものであった。
 続いて始まった上陸作戦には、ドイツの新兵器、GLボートが50隻投入されてい
た。それぞれ1個中隊(200名足らず)の兵員を載せ、直接海岸に乗り上げる大型の
上陸用舟艇である。艇体は3プロックに分けてドイツ勢力下の各地の工場で生産され、
造船所で組み立てられる。エンジンには、フランスから接収した航空機用エンジン
が使われていた。
 ドイツ第6山岳師団は、マルタ島北部の港ブギバを挟むように2ヶ所から上陸し、
包囲にかかっていた。爆撃機も戦艦も、海岸に向けられた砲座をつぶすようできる
だけの努力はしていたが、成果は完璧ではなかった。何隻かのGLボートは兵士を
揚陸させる前に直撃弾を浴びた。生き残った兵士を脱出させるために歩板が下ろさ
れると、周囲の海面は赤く染まった。
 GLボートと付かず離れず、集団遠泳中の生徒たちの頭のように、数十の砲塔が
海に揺られているのに、イギリス兵たちは気づいた。やがて、それらは海岸に姿を
現した。浮き輪のように浮航用のボートをかぶせられたドイツの軽戦車である。
同様の処置を施されたイタリアの軽戦車と共に第102戦車旅団を構成する、第18戦
車連隊第1大隊の車両群であった。
 本来なら時速40キロで走れるはずのこの戦車は、重い荷物を背負ってのろのろと
前進した。集中砲火でボートの前半を吹き飛ばされた戦車は、ボートの後半部の重
みで車体の前半が浮き上がってしまい、動けなくなった。別の戦車はボートの重み
でキャタピラの接地圧が上がったため、砂地に足を取られて行動不能になった。
 1台の浮航戦車がコンクリートのトーチカの銃眼を遮るように肉薄した。イギリ
ス兵士がトーチカの上を這い寄り、転がすように戦車のキャタピラに手榴弾を踏ま
せた。
 大音響と共にエンジン音が止まったので、兵士はそっと顔を上げた。兵士の視界
には、戦車から上がる黒煙に加えて、ケーブルを送り出しながら小走りに後退する
ドイツ工兵の姿が映った。兵士は喉から絞り出すような音を立てると、工兵を撃と
うと半身を起こし、2丁の軽機関銃から十字砲火を浴びた。彼がトーチカから滑り
落ちると同時に、工兵が仕掛けた爆薬に点火し、中にいるものすべてを道連れにトー
チカが半壊した。
 砲撃と爆撃によって分断され孤立した海岸のイギリス陣地は、ひとつ、またひと
つ、ドイツ歩兵の肉薄攻撃で沈黙して行った。数両の軽戦車はGLボートで安全に、
かつ本来の状態で上陸しており、これが最後の決め手となった。
 イタリアのスペツィア師団の上陸も成功しており、時計盤の9時から12時までたす
きをかけたような帯状の地域が、ひとまず枢軸軍の制圧下に入った。


 映画「史上最大の作戦」には、不運にもドイツ軍の駐屯するサン・メール・エグ
リーズ村に降下したアメリカ空挺部隊が、地上から撃たれて壊滅する印象的なシー
ンがある。この部隊がここで大損害を受けたのは史実だが、映像としてはこのシー
ンには嘘がある。降下中の兵士は落下傘があるとはいえ猛スピードがついているた
め、めったに弾には当たらないのである。
 むしろ危険なのは、無防備なうえ邪魔な落下傘をつけたままの降下直後である。
ドイツ軍では柔道の受け身のような発想で、着地直後に前転してショックを和らげ
るよう訓練していたが、石灰岩の塊のようなマルタ島では、空挺兵はかなりの確率
で固い岩の上に着地して体を打ち、しばしば骨折した。シュトラッサー軍曹が腰を
打って息が詰まる思いをしたのは、だからまだましと言わねばならない。
 ドイツ軍は世界に先駆けて空挺部隊を実用化したため、後の英米の空挺部隊では
克服されたような初期の問題点を抱えていた。パラシュートの構造上、両手を水平
に開かないと空中での姿勢が乱れるため、拳銃を超える武器を携帯できなかったの
である。小銃や機関銃は、緩衝装置とパラシュートのついた特製の箱に詰められて
来るのだが、この箱に走り寄って武器を手にするまで、ドイツの空挺兵はまったく
無防備といってよい。
 ひっきりなしにイギリスの機関銃が音を立てていた。幸いすぐ近くに箱が落ちて
いたが、うかつに頭は上げられない。シュトラッサーはそろそろと匍匐(ほふく)
して箱の中に手を入れた。しめた! 短機関銃が入っている。銃を取り出し、予備
弾倉ケースを求めてまさぐるシュトラッサーの指に、ひやりとしたものが触れた。
 どうやら箱の向こうに、戦友の死体があるらしい。同じ箱から武器を取り出そう
として撃たれたのだろう。弾倉を見つけたシュトラッサーは、周囲のドイツ兵の配
置を眺めた。50メートルほど向こうにちょっとした集落があり、ひっきりなしにド
イツ兵が駆け込んでいる。思い切って立ち上がったシュトラッサーは、集落へ駆け
出す途中ちらと戦死者を見た。
 マイセ中尉であった。
「早く! 早く!」集落から聞こえてきたドイツ語の怒声が、シュトラッサーを現
実に引き戻した。

 集落に走り込んだシュトラッサーは、「マイセ中尉が戦死された」とつぶやいた。
「シュトラッサー軍曹どの、こちらへ」近寄ってきた兵士が、半ば強引にシュトラッ
サーを民家のひとつに引きずり込んだ。「マイセ中尉が・・・」シュトラッサーは
まだ言っていた。命令者が欲しかった。他の小隊長−ゼンガー中尉か、ドルマン少
尉−の指示を受けたかった。
「知っている」
 弱々しい声が聞こえた。ドルマン少尉は寝かされていた。軍服の腹に血がにじん
でいた。ひざまずくシュトラッサーに、ドルマンは言った。「今のところ、君が最
高位者だ。中隊の指揮を執りたまえ」「ゼンガー中尉どのがおられます」「連絡が
取れない。急がねばならんのだ」後の調査で、ゼンガー中尉の乗ったグライダーは
行方不明になっていたことがわかった。曳航索が切れて地中海に沈んだものと推定
されている。「しかし」「訓練と同じだよ、小隊長。兵士が」ドルマンはせき込ん
だ。「兵士が動揺する。早く姿を見せてやれ」ドルマンは、将校だけが携帯してい
る地図ケースをまさぐり取ると、シュトラッサーに差し出した。「いいか・・・僕
のところへいちいち戻ってくるな。君のいるところが中隊本部なのだ」言い終えて、
ドルマンはひどく消耗したようであった。
 シュトラッサーは何も言えず、民家を飛び出していった。軍曹が何人か集まって
いた。彼らは彼らの知る範囲で、部隊の状況を報告した。
 今連絡のとれるのはどうやら半分ほどの兵士に過ぎなかった。ルカ飛行場方面の
イギリス軍は有力で、準備が出来ていた。上陸に先立つ砲爆撃が、全島のイギリス
軍に対する警報の役割を果たしたのである。シュトラッサーの中隊は最も空港寄り
に降下していたので、最も激しい抵抗を受ける立場にあった。
 しばしの沈黙があった。すでにドルマンは、連絡が取れ次第指揮をシュトラッサー
に譲る旨を周知させているのに違いなかった。みんな明らかに、シュトラッサーが
口を開くのを待っていた。
「ゲーリケ軍曹」「はい」シュトラッサーはかさかさの唇をなめた。ここが大切な
ところだ。「私を除いて、君が目下のところ最先任の下士官だ。中隊本部で私を補
佐して欲しい」ゲーリケは小隊長ではなかったが、軍曹としてはシュトラッサーよ
り先任であった。「はい、中隊長どの」ゲーリケの返事には無機的な響きがあった。
「ヘンドリック伍長」伍長は軍曹の下の階級で、ドイツでは下士官でなく最上級の
兵として扱う。ヘンドリックはシュトラッサーの小隊の機関銃班長で、陽気な若者
であった。後輩だしつきあいが長いから話しやすい。「はい、軍曹どの」「当面、
中隊はこの集落を確保する。中隊のすべての機関銃の所在を確認して、適切に集落
が防御できるよう再配置せよ」「はい、中隊長どの」
 今度は、別の分隊長が呼ばれた。比較的集まりの良い分隊である。「ハウゼ軍曹」
「はい」「君の分隊を率いて、道路沿いに北側へ進出し、次の十字路を確保せよ」
 そうだ。自信を持ってやれ。マイセ中尉がささやいてくれているような気がした。


 オチェアニア号は乗り込んだドイツ軍兵士の半数とともに沈没し、残りの半数は
護衛艦艇に救助されて助かったものの、装備の一切を失って上陸は不可能であった。
悲報を聞いたシュトゥデント中将は、地図を前にしてうなった。
 数分考え込んだが、結論は最初に思いついたひとつしか見つからなかった。シュ
トゥデント中将は軍団司令部の幕僚たちを集めた。
「第2次降下が必要だと思う。1個連隊の穴を埋めるのだ。突撃連隊の所在を確認し
てくれ。まだ飛行機には乗っておらんだろうな」
 ヘルマン・ゲーリング空挺師団は、グライダーや輸送機で着陸する、いわゆる空
輸部隊として編成された。ただしその第3連隊には、降下訓練を受けた空挺突撃連隊
がそのまま編入されていたから、段取りは大幅に狂うけれども、これにパラシュート
降下を命じることは可能であった。空挺突撃連隊の名称の由来を説明すると長くな
るので、この連隊はパラシュート降下訓練を受けた4つの連隊のひとつで、ただひ
とつどの師団にも属さない独立連隊であった、とだけ申し上げておこう。


 そのユンカース輸送機はたった数機でやってきたので、地上にいる兵士たちには、
まるで何かの手違いで迷い込んで来たように見えた。パラシュートで降下してきた
人物のひとりは、50がらみのやせぎすのおっさんである。それが驚いたことに、空
挺兵大佐の肩章をつけているのである。
「なんてこった、ラムケ親父だ!」シュトラッサーの傍らの若い兵士が声を上げた。
兵たちがわいわい騒ぐ中、数十人の空挺兵たちは、その親父を先頭に集落に入って
きた。「第1空挺連隊、第1大隊第3中隊の指揮を執っております、シュトラッサー
軍曹です」「空挺訓練大隊長、ラムケ大佐じゃ。中隊長は戦死されたのか」「遺体
をまだ収容できません」「それは気の毒に。だが後ろの方も大変でな。ズスマン師
団長が負傷されて、わしが代理で行くところじゃよ」実際には戦死していたのだが、
士気を慮ったラムケは師団長の死を伏せた。
「山岳連隊がまだ進出してきませんが、何かあったのですか」「ふむ」ラムケは眉
をぴくりと動かした。「手違いがあってな。奴等は来んよ。代わりに突撃連隊が今
日のうちに降下することになった」シュトラッサーがこの重大情報を反芻している
間に、ラムケは若い兵士たちに向けて声を張り上げた。「同情するぞ、若い衆。じゃ
が、おまえたちは十分に絞り上げられているからの。この程度の厄介ごとは、十分
にこなせる。そうじゃのう」教え子たちは歓声で老教官に応じた。
「では、行くとするか」ラムケは、わずかな増援部隊−早朝に輸送機のトラブルな
どで降下しそこねた兵員たち−を連れて、師団の主力を求めて南下していった。


 マルタ島総督・ドビー空軍中将は、官邸の地下壕で状況を検討していた。
 ジブラルタル、アレクサンドリアのいずれのイギリス艦隊も、独伊の完全な航空
優勢下にあるマルタ島に敢えて突入することはできないと通知してきていた。残る
は空軍だが、島で最大のルカ飛行場がドイツ軍に奪われないまでも、イギリス機の
着陸の安全を保証できない段階に入っている現在、航続距離の長い大型機による支
援すら受けられそうになかった。
「シンプソン大佐に、タルボットで出港するよう伝えよう」総督はつぶやいた。今
日なら間に合うかもしれない。タルボットで脱出させる人間のリストが一瞬総督の
頭に浮かび、すぐにすっかり消された。単独での脱出そのものが危険な試みなのだ
から、戦闘要員以外は乗せるべきでない。
 シンプソンが残ると言い出したらどうしよう。シンプソンの心は潜水艦乗りと共
にあるから、彼は少しでも長く彼らと共に戦えるチャンスを求めるだろう。
 彼がたとえグランド・ハーバーを出ないうちに撃沈されるとしても。ドビー総督
は思う。最後の最後まで戦うことを許される、彼がうらやましい。


 シンプソンは陸軍の現状把握をもれなく聞かせてもらえる立場になかったが、ド
ビー総督から脱出勧告が来るようでは、状況は絶望的と見るしかなかった。
 潜水母艦は潜水艦を整備するための工作機械を大量に積んでおり、これらはどこ
の軍でも常に欲しがっているものであった。ドイツ軍の手にこれらが渡らないよう、
シンプソンは最善を尽くさねばならなかった。
 自沈か、脱出か。自沈すれば逃亡者の汚名は着ずにすむ。いっぽうもし脱出に成
功すれば、タルボットはアレクサンドリア港の潜水艦群にとってまたとない贈り物
になるだろう。
 シンプソンは自分の置かれた立場を考えた。いまイギリスはマルタに注目してい
る。彼の行動は、どのようなものであれ、すべての潜水艦乗りと、すべてのイギリ
ス人へのメッセージとして受け取られるだろう。
「脱出する。出航準備だ」シンプソンは指示した。魔法が解けたように部下が動き
出し、出航準備の様々なステップを展開し指示する声が艦橋に満ちた。
 最後まで希望は持たねばならない。シンプソンはそうしたメッセージを送ること
にした。


 シュトラッサーは腕時計が見たくて仕方がなかったが、新月の空の下では文字盤
が読めなかった。彼の中隊は集落を出て、ルカ飛行場へわずかににじり寄っていた。
夕刻近くなって降下してきた突撃連隊のバックアップを受けて、今宵のうちに夜襲
をかけるのだ。
 だしぬけに、それはやってきた。何度聞いても慣れることのできない、あの風切
り音とともに、大気は赤く染まり、大地は震えた。イタリア戦艦群が、準備砲撃を
引き受けてくれているのだ。土砂の飛沫が、伏せたシュトラッサーたちの背中に降
りかかる。
 なるべく飛行場そのものには着弾しないようにしているはずだが、この様子では
すぐに輸送機が降りることは無理かもしれない。
 シュトラッサーの背中を揺すぶる者がいた。「ラムケ師団長代理より伝令です。
島の西側は友軍が完全に制圧しました。どこにいようと、空挺兵の心はひとつであ
る。勇敢であれ、とのことです」「了解した」ふたりは怒鳴りあった。
 伝令兵は帰ろうとしない。「どうした」「・・・」「聞こえんぞ」
「ドルマン少尉どのが、亡くなられました」
 砲声が、全くシュトラッサーの耳に入らなくなった。


 また1軒の民家が、38センチ砲の直撃で瓦解した。「運命の日だ! 運命の日が
来た!」両手を挙げてよろめき叫ぶ老人の声は、やがて折り重なる石壁の残骸の向
こうに消えて行った。風が熱い。爆炎の作り出す熱風が、聖ヨハネ騎士団時代以来
営々と築かれてきた石垣に封じ込められ、バレッタの町を駆け巡っている。
「船が出る! ネービーが逃げるぞ!」誰かが叫んだ。静かに、嘘のように静かに、
潜水母艦HMSタルボットは、ラザレット・クリークの停泊場所を滑り出し、港外へ
の脱出を試みた。
 脱出は成功するように見えた。イタリア戦艦はバレッタの海岸砲台との対決を嫌っ
て、島の北西部沿岸にとどまっていたし、巡洋艦と駆逐艦は襲い来るかもしれない
イギリス潜水艦を警戒して戦艦の側を離れようとしなかった。
 シンプソンの目に、燃え上がるバレッタの光景が沁みた。声が出なかった。人の
言葉で表現できる光景ではなかった。シンプソンは顔を背け、ブリッジに入ろうと
した。
「左舷に雷跡!」観測員の叫びが聞こえた。そうだ。当然予想すべきだった。港か
ら脱出して来る船を狙って、イタリア潜水艦が配置されていたのだ。
 艦が大きく揺れ、やがて傾いた。タルボットの艦長を兼ねるシンプソンは艦橋に
駆け込んだ。損害報告を受けるまでもなかった。「総員退避」シンプソンは叫んだ。
 シンプソンの視界の隅に舵輪が入り、消えた。古式ゆかしく艦と運命を共にする
くらいなら、自沈を選ぶべきだった。彼は無人となったブリッジで機関を停止させ、
兵士たちがスクリューに巻き込まれることを防いだ。
 生きてあれば、脱走のチャンスはあるだろう。シンプソンは航海日誌を防水袋に
入れて首からかけると、階段を降りていった。


 3人目のイギリス兵と格闘したところまでは覚えていた。始終何かが爆発してい
た。夜陰の中で戦線は消滅し、中隊本部は露出した。兵士は弾の切れた軽機関銃を
捨て、殴り合うためにスコップを握った。時折気まぐれに打ち上げられる照明弾
が、いくつもの生と死を分けた。シュトラッサーは部下とはぐれては出会い、何
度も繰り返される遭遇戦の中でまたひとりぼっちになり、最後に困ぱいして倒れた。
 冷たさを取り戻した風が、シュトラッサーを目覚めさせた。起き上がると、シュ
トラッサーは滑走路そのものの上にいた。敵と味方の、生きている体と死んだ体が
朝日を浴びていた。
 仲間は、すぐにシュトラッサーを見つけて歓声を上げた。皆が空港の管理棟を指
差した。通信アンテナとおぼしき鉄塔に、白旗が翻っていた。夜明け直前、ドビー
総督はドイツ軍に降伏を申し出たのであった。
「中隊長どの」振り返ると、ゲーリケ軍曹がそこにいた。ゲーリケは汗と泥にまみ
れた軍服で、シュトラッサーを抱いた。「よくやったぞ、小僧」
 周囲の空挺兵が駆け寄ってきた。皆大声で笑いながら、シュトラッサーの頭や背
中や尻をぺたぺたと叩いた。笑いながら、気がつくと、みんな泣いていた。


 シュトラッサーは少尉に昇進したが、士官学校へ行く話は沙汰止みになった。こ
のまま1年を過ごし、士官学校に入れば、卒業と同時に中尉になれるのだが、そんな
機会が訪れるかどうかは怪しいものだった。
 なぜなら、シュトラッサー少尉は、新しい中隊長に任命されてしまったのだから。


<ヒストリカル・ノート>
 ドイツの空挺兵はふつう原語を生かして「降下猟兵」と訳されます。この作品で
は米英の同種の部隊と同じ語を当てた方が、軍事マニア以外の読者に便利であろう
と考え、あえて定訳に逆らいました。
 ドイツ第7空挺師団の、中尉以下の階級の面々は架空の人物です。ところで第7空
挺師団はドイツ最初の空挺師団ですが、なぜ第7なのかは不明です。空挺部隊の規
模を大きく見せる意図があったのかもしれません。後に結局、第1空挺師団に名称
を変更しています。
 第18戦車連隊は実際に潜航戦車と浮航戦車を装備していましたが、大隊の編成は
筆者の創作です。イタリアのM13/40戦車は浮航戦車に使われたドイツの2号戦車と
ほぼ同寸法・同重量ですので、同種の処置は施せたと思われます。
 マルタにおけるイギリス空軍の窮状は、史実よりわずかに誇張してあります。
 ドイツ軍が歩板式の上陸用舟艇を持っていたのは事実ですが、KLボート、GL
ボートは架空の兵器です。KLボートは概ね旧日本陸軍の大発動艇、GLボートは
高速輸送艇(ただしエンジン出力を下げて低速にする)に相当します。
 ドイツ空軍は1936年に始まるスペイン内乱で、すでにMe109戦闘機に落下増漕を
取り付けるテストを済ませています。ただ上層部が落下増漕という資源浪費的な発
想を嫌ったのと、増漕の取付架の空気抵抗が大きかったこと(最高速度が50キロ落
ちたといわれます)により、1940年には実験部隊での運用にとどまりました。この
世界では、その実験型のMe109E-7が地上支援用に量産されたと想定しています。
 ラムケ大佐は史実では有名人なのでファンサービスで出しました。多少誇張して
ありますが、この時点でラムケが50才を超えていたのは事実です。



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