~ 道 一 心 流 兵 法
流 派 概 要
「神道一心流兵法」の開祖は、櫛淵彌兵衛宣根である。
櫛淵家に代々伝わる「天真正伝香取神道流」を学び、さらに沼田藩の秋尾善兵衛利恭に微塵流を学んで「神道一心流」を興した。
その後、江戸に出て「直心影流」、「無敵流」、「戸田流薙刀術」「宝蔵院流槍術」を学び、前述の「微塵流」を加え、それぞれの長所を取り入れた「刀法」を完成させた。
以後、当流に伝承される正式名称は「神道一心流兵法」である。
後に、櫛淵彌兵衛宣根は、一橋徳川家に召抱えられ、以後、三代にわたって徳川将軍直々の護衛役として仕えるかたわら、家中にその流儀を広めた。
櫛淵彌兵衛宣根は、文政二年四月廿三日に死去、小石川の祥雲寺に葬られたが、太平洋戦争の戦火により、現在は池袋に移葬されている。
墓碑の右側面を見ると、次のように記されている。
辞世
わかき洲よ 花ふる国へ行かばゆけ 一心流の道もまよわず
文政二年卯年四月廿三日 櫛淵彌兵衛平宣根
また、上野不忍池の弁天島境内の裏には、門人であった清水赤城による「虚沖軒先生碑」という全文漢字彫りの石碑が建てられている。
石碑には、櫛淵彌兵衛宣根の先祖に伝わる香取神道流から、神道一心流を興すに至るまで、簡略に記されているが、建立場所が徳川将軍家上野東照宮のお膝元であったことから考えると、いかに徳川将軍直々の護衛役としての信望が厚かったか、うかがい知ることができる。
