だいじょうぶかぁー沖縄 あなたは国にのぞかれる
個人情報保護法ぶっつぶせ大集会 宣言

沖縄集会関連

1.だいじょうぶかぁー沖縄 あなたは国にのぞかれる
個人情報保護法ぶっつぶせ大集会 宣言

今日、私たち(沖縄・東京)は出会った。

東京から来た私たちは、昨年来、個人情報保護法案反対の運動を展開してきた。

そして、沖縄で知った。

この法案が成立すれば、どのような社会が到来するのか? 想像の域を越えなかった未来が、すでに沖縄にはあったことを。

昨年9月11日の米中枢同時テロ発生後、在沖米軍基地をめぐる情報が一切封印されたという。作戦行動や通常訓練Bに出る米軍の動きは明らかにされず、沖縄の市民は不安を抱きつづけている。米軍基地についての政府・米要人の発言や水面下での電子情報のやりとりを暴く報道さえもが、国家の安全保障を盾に封殺されるおそれがあるという。

一方、沖縄に住む私たちは、東京との対論を通じて知った。個人情報保護法案が単なる言論・メディア規制にとどまらないことを。

法案によれば、1500名程度の個人データをパソコンに蓄積しているだけで、だれもが、国家の監視・規制対象になるという。つまり、沖縄の反戦平和運動に携わる人々のインターネット上の個人情報は、ことあらば、すべて国に盗み見られ、奪われるというのだ。75%の国内米軍基地を押しつけられた沖縄こそ、もっとも過酷に個人情報の電子統制がしかれるだろう。電子版<琉球処分>とは言えまいか。

そして、私たち(沖縄・東京)は確認しあった。

バブル崩壊後、経済大国の地位から転落した日本が、何にその活路を見出そうとしているのかを。

もはや地域・企業共同体の枠内では捕捉しきれない個人を、データの塊として捉える電子統制国家への道と、軍事大国化への道を歩むという国家の意思が、個人情報保護法案からは透けて見えるのだ。

個人情報保護法案は、2度の継続審議入りにもかかわらず、またしても国会で審議採決が目論まれている。

私たちはそれを決して許しはしない。

戦後、<非戦>の先頭で戦ってきた南の島・沖縄から反対の声を上げ、自由を愛するすべての人へ、その声をひろげてゆこうではないか。

いまこそ、長い間刻みつけられてきたウチナーとヤマトの対立・矛盾=その限界をのりこえ、高く高く跳ぼうではないか!

沖縄集会

沖縄マスコミ陣

日名子&久田

エイサー

2002年1月26日

「だいじょうぶかぁー沖縄
あなたは国にのぞかれる 個人情報保護法ぶっつぶせ大集会」実行委員会




2.監視・統制社会の到来/個人情報保護法のわな



集会直前の琉球新報の連載です。



政府による支配狙う/侵される自由と尊厳/斎藤貴男

データベース事業者など個人情報取り扱い事業者を規制することを目的とする個人情報保護法案が、今度の通常国会で審議される予定である。法案は個人情報の保護をうたいながらも、適用範囲にフリーライターや作家、出版社、報道機関も含んでおり、メディア規制につながるとして昨年四月、ノンフィクション作家、ジャーナリスト、編集者らが「個人情報保護法拒否!共同アピールの会」を結成し、全国で反対集会などを行っている。二十六日に那覇市で開催される集会の出席者に、法案の問題点などについて論じてもらう。

報復戦争の深化とともに明けた二〇〇二年。周辺事態法や盗聴法、国民総背番号制度に繋(つな)がる改正住民基本台帳法が成立した一九九九年、テロ対策特別法の昨年に続き、この国に住む人々を破滅に導きかねない通常国会が、二十一日から始まる。

◆思想管理の可能性も

政府が目指すのは、限りなくアメリカに近い社会システムの構築だ。有事法制の整備。弱肉強食の新自由主義経済体制を企業間の競争だけでなく雇用や社会福祉、教育などの分野にも適用する構造改革。年内にも政治日程に上るとみられる改憲への道行きは、いわゆるグローバリズムとの整合性とともに、自衛隊の海外派兵さえもが焦点になるだろう。

戦争を肯定する国。個人一人一人を国家や企業の論理にからめ捕る国への変質は、必然的に階層間格差の拡大をもたらし、上層に奉仕させられる層として位置づけられた人々の尊厳を傷つけ、一方で社会全体の不安定要因を増大させていく。

国民監視と言論統制とのコンビネーションが、そこで動きだす。警察による盗聴の合法化に加え、日本に居住するすべての人々は、この八月までに十一桁(けた)の住民票番号を割り当てられることになっている。前記の改正住民基本台帳法が施行されるためで、政府は併せてICチップ内臓のID(身分証明)カードを多くの国民に携帯させたい意向だ。

従来の磁気ストライプカードの数百倍、新聞数百ページ分の文字情報に対応できる記憶容量を誇るICカードは、いわば超小型コンピュータ。この特性を利用し各領域で試みられている計画の数々が実用化段階に移る今後数年のうちに、健康保険証や印鑑登録証、定期券、キャッシュカード、クレジットカード、社員証、学生証、病院の診察券など、行政や民間が提供するサービスのほとんどすべてに対応するID機能が一枚のICカードに盛り込まれていく。すなわち誰(だれ)がどんな学歴を経てどんな仕事に就き、何を患い、いつどこで誰に会い何を買い、どんな本を読み、何に乗ってどこへ行き…といった一挙手一投足がことごとく記録され、監視されながらでなければ生きていくことのできない世界。

街頭やコンビニエンスストアなどに張りめぐらされつつある監視カメラ網が、監視体制をさらに強化するだろう。ハイジャック対策に有効との触れ込みで浮上してきた顔認識技術(人間の顔から生涯不変の特徴を読み取り個人を識別するテクノロジー)が連動すれば、たとえばスポーツの大会や各種の式典で日の丸が掲揚され、君が代が演奏される時、起立して歌った人、立ったが歌わない人、立たない人、といった具合へと観衆が分類・特定され、それぞれの思想までを管理される可能性もなしとしない。

◆言論統制3点セット

言論統制のためには、いわゆる三点セットが用意された。(1)個人情報保護法案(2)青少年社会環境対策基本法案(3)人権委員会―がそれである。

いずれの名称も耳に心地よい。すぐにでも推進すべきだと一般には受け止められがちだ。

だが、政府の狙いは額面通りではない。真の目的は別にある。参院自民党が議員立法化を急いでいる(2)は、エロや暴力など、青少年にとって゛有害゛と見なされたメディアに対する行政の介入を許そうとするもの。(3)は法務省の人権擁護推進審議会が昨年五月にまとめた答申で設置が謳うたわれた。人権侵害の被害者を救済するための権限を与えられる独立機関とされるが、行政による支配は免れず、また被差別部落問題が中心テーマに据えられていた当初の議論が、途中から過剰な取材や報道が当事者に被害をもたらすことがある゛報道被害゛の問題にすり替わっていった過程に疑念を示す関係者が少なくない。事実、審議中に法務省の担当者が日本新聞協会を訪れ、行政命令による事前検閲や記事差し止めもあり得ると発言した経緯があった。

今国会で審議入りされる予定なのが、(1)の個人情報保護法案だ。閣議決定は昨年三月。この間の二度の国会で継続審議扱いとなっていたが、与党三党はここにきて一気に可決・成立させる構えを見せている。

◆報道への適用は国が判断

ネットワーク時代の現代社会において、みだりに個人情報が流通し悪用される事態は避けられなければならない。保護のための法整備にしては、この法案もまた、いざ施行されれば、悪徳商法などよりも日本国憲法の保障する言論や表現の自由の方をこそ脅かしかねない危険に満ちている。

たとえば新聞や雑誌の記者が政治家や官僚のスキャンダルを取材しようとした場合、内閣府などが記者側に取材の目的や取材源の開示を求めることができ、拒否すれば六カ月以下の懲役か三十万円以下の罰金刑に処せられることになるという。なお法案は報道機関による報道を学術研究や政治、宗教活動とともに法の適用除外としているが、法案を作成した内閣官房の担当者は、私の取材に対して、「個々の記事や番組が報道の定義に該当するかどうかは内閣府が決める」旨を語っている。

人間の自由と尊厳が、いま、この国で、どこまでも侵されようとしている。差別と偏見を克服することはなかったが、わずかな建前だけは残されていた戦後民主主義に慣れた思考でタカをくくっていると、私たちは再び、悲喜劇の渦中に放り出されることになる。

さいとう・たかお
 ジャーナリスト。1958年東京生まれ。日本工業新聞記者、「週刊文春」記者、「プレジデント」編集部を経てフリー。著書に『梶原一騎伝』(新潮社)『プライバシー・クライシス』(文藝春秋)『機会不平等』(同)など。

「権力」の新統治手法/ばらばらの個人を掌握/吉岡忍

法案は、個人情報を保護する、と言う。だが、個人とはどういうものか。情報とは何なのだ。保護とは何のことか。どの一語にも大きな意味がはらまれている。

いま国会に上程されている個人情報保護法案に反対する活動をしながら、私はこれらの意味を考えないわけにはいかなかった。法案の字面の奥にある、個人や情報や保護の考え方それ自体に、うさんくささを嗅(か)ぎ取ったのだと言ってもよい。

◆消えた企業と地域の文化

仕事柄でもあるのだが、私はしばしば各地を旅行する。この十年間にも四十七都道府県を三回くらいまわった。これは不況の十年間でもあったから、いたるところでつぶれた工場を見、埃(ほこり)だらけの事務所を目撃し、すたれた商店街を通り、崩れかかった廃屋を眺めてきた。その光景はすべての都道府県に、ひとつの例外もなく広がっていた。

その一方で、新しい町もたくさん見てきた。さびれた旧市街から二、三キロ離れた田んぼや里山を造成した一帯に、ショッピングセンターやディスカウントショップから各種医院や墓石屋までが並び、その周辺を赤や青や灰色の屋根の家々が埋めている。清潔で、そこそこ豊かで、クルマで移動するには便利な町である。

行く先々で、この社会が激しく変化していることが見て取れた。

この十年間の不況は、終身雇用や年功序列と引き替えに、きわめて人工的に育(はぐく)まれた企業への忠誠心や品質管理意識をきれいさっぱり消し去ってしまった。企業文化は蒸発したのである。

あちらこちらに広がった新しい町では、人々はお互い見ず知らず、好き勝手に暮らしているように見えるのだが、こういう町でこそ凄惨(せいさん)な事件が次々と起きていた。中学生が小学生の首を切り落としたり、先生を刺殺したり、浪人生が校庭に入り込み、小学生を刺し殺したり……。どこでも共通するのは、地域文化がないということだった。

◆揺らぐ「権力」の自信

ふり返ってみれば、戦後日本を成り立たせてきたのは、よくも悪くも企業文化と地域文化だったはずである。中央官庁は行政指導を通じて企業と業界を動かし、各自治体は地域に密着して住民を引っぱってきた。「日本の驚異」と言われ、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と騒がれた成功モデルとは、このふたつの文化の組み合わせのことだった。

ところがそのどちらもで、文化がすり切れ、消えている。世の中に求心力をつけ、ダイナミズムを生みだす見えない磁力を文化と呼ぶなら、この十年間、日本はそれらを失って、一人ひとりが流砂のようにばらばらに漂いはじめたのだと、私は思う。

ここから、だからこそ企業やカネの力に足もとを見透かされない、また地域の頑迷固陋(ころう)な因習にもとらわれない文化や暮らし方ができる条件ができたのだ、と私も言いたいところだが、ことはそんなに単純ではない。ものごとはいつも、もう少し入り組んでいる。

どういうわけか日本の大手マスコミは「権力」という言葉を使いたがらない。ある領域に属す人間たちすべてを、自分の意志の通りに動かそうとする力。社会科学のこの概念を欠いた報道は、たんなる現状追認か後先考えない大騒ぎに終始してしまう。この病弊が、メディアに深く依存する私たちをも、たぶん侵している。

企業と地域の両方から磁力が失われた現実をもっとも怖(おそ)れたのは、権力だったろう。何よりそれは、これまでの統治手法が使えなくなったということだった。企業と地域を押さえておけば、自分たちの意志の通りにこの社会を動かすことができる。その自負と自信が揺らいできた。

◆個人情報を国家管理に

では、どうするか、と内閣府の官僚たちは考えたはずだ。
役人たちの本能がそうささやいたはずである。答はむずかしくない。個人がばらばらになったのなら、その個人を掌握すればよい。それだけの話だ。

言うまでもなく個人は、情報のかたまりである。出生、転居の記録から学業、就業、貯蓄やローンの記録、買い物や移動や趣味にいたるまで、あらゆるデータがその人個人の性格や好みやライフスタイルを表している。データの集積がアイデンティティーであるような電脳空間を、私たちは生きはじめている。こうしたデータが洩(も)れ出すことが、実害をこうむるだけでなく、私が私である根拠を溶かしてしまうのではないか、という実存的不安を呼び起こすなかで暮らしている。

国家があなたの個人情報を守ってあげますよ、と法案は言う。一律に規則を定め、あやしげな事業者を取り締まりますからご安心ください、と言っている。そのかわりこれは、あなたの個人情報はすべて国家の管理にまかせなさい、ということである。よく見れば、法案には、個人情報がその人個人のものであり、その人個人に管理する権利がある、とはどこにも書いてない。

生き延びるのは、権力である。私たちがどうなるかは、口をぬぐっている。

よしおか・しのぶ
 作家。1948年長野県生まれ。小説『月のナイフ』(理論社)、ノンフィクション『M/世界の、憂鬱な先端』(文藝春秋)、エッセー集『路上のおとぎ話』(朝日新聞社)など著書多数。

真っ先に狙われる沖縄/電子版の「琉球処分」/吉田司

「なんでお前みたいな一匹狼(おおかみ)、ならず者がガラにもなく反対運動なんかやってんだよ」と、よく言われる。「面白いからさ」。説明するのが面倒だから、その一言ですますことにしている。でも実際、個人情報保護法って、いまが一体どんな時代なのかを見事に映し出す〈鏡〉になっていて面白いのだ。

◆ナチスよりすごい統制法

例えばわれらがポピュリズム首相小泉純一郎への国民的支持率はこのデフレ大不況の中でも相変わらず突出しているが、歴史をひもとけばそうした国民熱狂型「独裁」政治の最高形態があのナチスドイツの「アドルフ・ヒトラー」総統閣下である。そのヒトラーが政権の座についた翌日、まず最初にやったことは何か? 新聞その他の出版物の発行を停止させ、編集者たちに新聞の発行量と゛報道の範囲は政府が決める゛と厳令したのである。なら、それはいま私たちが反対している「個人情報保護法案」の中身とマッタク同じじゃねえか(笑)。藤井昭夫・個人情報保護担当室長は、マスメディアが書く記事が「報道目的のための個人情報かどうか(その範囲)を判断するのは政府である」と明確に述べている。さらに話を盛り上げようか。

一九三〇年代ナチスの選挙宣伝ビラにはこう書かれていた。「ヒトラーこそ最後の希望である。国民は今や絶望しており、ただヒトラーという名前にこそ、新しい生活と新しい創造への道を求めている」。第一次大戦の〈敗戦デフレ〉に打ちのめされていたドイツ中産階級・・・・は「国民保護」と「創造的破壊」を約束するヒトラーの姿に熱狂的支持を与えたのである。選挙ビラのヒトラーを、例えば小泉首相に置きかえて想像してみたら、どうだろう。それはいま日本総中流・・・の国民が日米バブル経済戦争の〈第二の敗戦〉=〈敗戦デフレ〉に打ちのめされて、「個人保護」と「創造的破壊」を約束する小泉首相に大衆的熱狂を与えている姿とダブル・イメージになってはこないだろうか?

もちろん現代日本がヒトラーの言論弾圧法の昔にそっくりそのまま回帰するわけがない。個人情報保護法ってのは、もっとスゴイのだ。なぜなら昔は単に゛社会の木鐸(ぼくたく)゛としてのマスメディアを規制・弾圧すれば、それで国民生活全体を情報コントロールできた。しかし現代の電子市民社会〈インターネット〉はパソコンと携帯で国民だれもが情報発信基地となる自由闊達かったつでアナーキー(無政府)な世界である。この個人情報保護法はその電子的自由=無政府性を規制・弾圧する「統制法」として登場してきたのだ。

◆自由愛する者すべての敵

くだんの藤井昭夫氏によれば、「コンピュータに一千名程度以上の名簿あるいは個人データを蓄積する者はすべて『個人情報取扱事業者』になる」という。とすればこれは、職業的表現者やマスコミ報道関係であるかどうかはまったく関係なく、「主婦もサラリーマンも生産者も消費者も流通業者も大学教員も学生も芸能人も、八百屋やそば屋やファストフードのパート従業員、ヤクザも政治家もホスト、ホステス、ストリッパーに至るまで、すべての市民あるいは在日外国人が『個人情報取扱事業者』扱いにされ、国家の監察下に置かれるのみならず、政府権力が容易にわれらの情報に干渉できる道を開くことを意味する。…この法案の正体は、世界最初の全面的『インターネット社会規制法』と言わねばなるまい」(9・2個人情報保護法案をぶっとばせ!2001人集会宣言文)

つまりこの法案は゛自由を愛する゛人々すべてにとっての敵なのである。だからこそ、私のようなならず者ライターも売れっ子作家の佐野眞一もペンクラブの猪瀬直樹も゛呉越同舟゛の手を結び「絶対反対!断固廃案!」の声をあげ続けているのだ。

ふり返れば、去年の四月から私たちは二度、この法案を゛継続審議入り゛に追い込んできた。九月二日には東京の日比谷野外音楽堂において「2001人集会」を開き、参加者は延べ二千人近くに達した。ミュージシャンの演奏をまじえながら、六時間にわたりトーク・セッションを繰り広げ、井上ひさしや澤地久枝、島田雅彦、田中康夫、大橋巨泉、福島瑞穂や佐高信、田原総一朗、宮台真司たちが、華やかな゛日本言論祭り゛の光景を作り出した。十月下旬には反対運動の全国化をはかり、北は札幌から、南は沖縄に至る全国十八カ所で「個人情報・同時多発ミーティング」を開催した。

今度の国会審議が三度目の決戦であり、いまその皮切りを私たちはこの「沖縄集会」に託そうと思っている。

◆なぜ沖縄か

なぜ沖縄でやるのかって聞くのかい? 沖縄こそいま私たちがどんな時代を生きているのかを最もビビッドに映し出す〈鏡〉じゃないか。日米ガイドライン↓名護の巨大ヘリポート↓反テロ・自衛隊の海外派兵から「有事法制」へとつき進むニッポンの「軍事大国化」への道ならしを最も集約的に強要されているのが〈沖縄〉だ。個人情報保護法が成立したら、まず真っ先に沖縄がねらわれる。沖縄の反戦平和運動グループのすべての電子名簿(メーリングリスト)はただちに政府の監視下に置かれ、基地反対の声を上げるすべての市民の個人データが官憲の手に差し押さえられてゆくだろう。75%の国内米軍基地を押しつけられた沖縄こそ、最も苛酷(かこく)にこの個人情報の電子統制・・・・が徹底化されるのだ。電子版〈琉球処分〉と言っても良い。

沖縄側からしばしば〈腐れヤマト〉と呼ばれる私たちヤマトンチューがいまなぜあなたたちと膝(ひざ)をまじわらせて語り合いたいかは、その電子処分を許してはならないと考えるからだ。戦後反戦平和運動に長い間刻みつけられてきたヤマトとウチナーの対立・矛盾=その限界を超えて、いまわれらは跳ぶべきである。インターネット時代には、インターネット時代の戦い方があるはずである。市民的自由を守り発展させる新しい知恵、新しい価値、新しい風を日本中に吹き渡らせるために、まず〈沖縄から〉立ち上がろう。

よしだ・つかさ
 ノンフィクション作家。1945年山形県生まれ。
著書に『ひめゆり忠臣蔵』(太田出版)『下下戦記』(文藝春秋)『宮沢賢治殺人事件』(同)など。


3.沖縄タイムス連載「21世紀の治安維持法」

タイムスHPのデータベース検索「シーサーくん」で読むことが出来ます。
もしアクセスできない場合はhttp://www.okinawatimes.co.jp/から入って、データベース検索で「個人情報保護法」のキーワードで検索後、現れた画面で、さらに年、月を「2002年」「1月」と指定、再度検索をかけていただければ、上記画面にたどりつきます。