在校生・OBOGからの声

早稲田実業学校高等部 1993年度卒業AAAさん

質問

回答

1. 学校の施設は? 施設: 私が在学中は早稲田大学のすぐそばに学校があった。校舎は汚く、校庭は狭かった(今は国分寺に移転してずいぶん広くてきれいな学校になったみたいだが)。王貞治(OB)の記念碑があった。
2. 名物先生いますか 体育会系の先生が多かった。全員男だった(当時は男子校だったので、生徒も全員男)。叱責のときはよく手が出る先生が多かったが、みんな人情味のある良い先生ばかりだった。
3. ユニークなサークル等 硬式野球部は言わずもがな、学生野球界の名門。応援団も早稲田大学スタイルで格好よかった。
4. 食堂はどう? 食堂はまずかった。購買部(実業堂)に水前寺清子によく似た元気なおばさん(数少ない、構内に存在する女性のひとり)がいた。
5. どういう授業? 当時は普通科と商業科があり、私は商業科。簿記や商業英語など、後々とてもためになる授業が多かった。
6. 制服はどう? オーソドックスな詰襟。ただしボタンは鮮やかな金色で、表面には校章にも採用されている稲穂が描かれており、目立った。当時は学帽もあった(着用は任意)。
7. 入試は難しい? 簡単。合格ラインはかなり高かったと思う(平均8割?)。倍率は私が受験したころは7〜8倍だった。
8. 合格の目安・難易度 高等学院や慶応義塾はちょっと・・・というレベルでした(当時は)。第一希望の人間は、明治や中大、法政の付属と併願している人が多かったと思う。
9. 後悔したこと ただひとつだけ。高校時代に彼女がほしかった。デートはおろか女の子との会話すらほとんどない3年間だった。
10. 理想の学校とは? 私がいたころの早稲田実業。なにかと「熱い」学校だった。先生も情熱的だったし生徒ものりが良かった。豪快な校風で、おかげでとても逞しくなれた。
★その他 投稿: 卒業して10年以上たつ。しかし今でも早実に対する熱い思いは変わらない。それは早稲田大学の系属校で、自分自身希望の進路を決められたから、というわけだけではない。省みて、現在の自分の基本的思想や行動パターンの根幹は、早実での3年間の経験に大きく影響されているところが多い。そしてそれはとても素晴らしい経験だったと思っている。
今は校舎が移転し、共学になって、さらに小学校まで併設と、私がいた当時とは学校の姿かたちはずいぶん様変わりしたし、表面的な雰囲気もずいぶん変わったのではないかと思うが、早稲田の地に根を下ろしていた当時の、良くも悪くも大らかで、大胆で、豪快な気風は形を変えて今なお存在していてくれたらと思う。
明るく健康的な共学校として、更なる発展を切に期待する。(早稲田への推薦進学者数は当時に比べてずいぶんと増えたのですね)

採点BOX

 

校舎・施設等

先生・教授陣

立地条件

校風

総合点

50 100 100 100 88