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里屋和彦の『エネルギー学講座』



(2001/08)

Vol.17 エネルギー産業の自由化(5)
エネルギーに関するネットワーク産業の代表は、電力である。

電力の自由化には、多義的な意味があるが、大きく二つの流れがある。

(引用はじめ)
【電力プール方式】
一つは、イギリスに見られるように産業構造を発電、送電、配電に分割し、発電した電気を一度電力取引市場に投げ込み(これをプール市場と呼ぶ)、電力の売買を成立させる形態である。

【第三者アクセス方式】
もう一つは、発・送・配電の分割は求めない(既存の地域電力会社の存在を認める)ものの、発電事業者が既存の電力会社の送配電網を自由に使うことを認め、発電事業者が直接最終需要家に売電できるようにする形態である。(「市場争奪 電力小売り自由化」石黒正康著 152,153頁 日刊工業新聞社 2001年1月)
(引用おわり)

イギリスを嚆矢とする発・送・配電の分離という方法は、原理的にもともと電力ビジネスが国営で営まれていた諸国で使われてきた方法である。いわば人工的設計である。

(引用はじめ)
イギリスでは、サッチャー政権の下で進められた国営企業の民営化の流れの中で、電力も民営化の一環として制度改革が行われている。民間の会社を分割する訳ではないので、その資産処理を含め政策的に誘導していくという意味での難しさは少ない。理想を目指して大胆な改革がしやすかったといえよう。(「電力自由化のリスクとチャンス」 山家公雄著 73頁 エネルギーフォーラム 2001年9月)
(引用おわり)

英国の大思想家エドモンド・バークを周知のサッチャーが行ったこの強制的な自由化。バークならどんなコメントをするであろうか?

余談であるが、欧州で電気事業が、国営企業となっていった経緯は興味深い。

(引用はじめ)
英国・欧州大陸では、電気事業自体の買い取り権を地方自治体や政府に与えたり、公営化を行ったりする法律が各国で作られ、最終的に国土全体を網羅する送電線網が形成されるに至った1920年代にはほとんどの国で垂直統合・独占タイプの公社が設立されることになった。この各国の国営独占事業体は、英国で電力制度改革が始まり、それが各国に波及した1990年代まで約70年間続くことになった。

欧州諸国でなぜ、「国家・独占事業体」というモデルへの収斂が起こったかということについては、当時の欧州の経済思想、社会情勢から推測するならば、この時期欧州はちょうど社会主義思想の影響が強まり、「民間資本」の活動に対する懐疑が広がり、社会政策の重要性を重視する動きが目立っていた。すなわち、現代社会にとって最も重要な基礎材であり、大きな発展可能性を持っている「電気」という商品を民間資本の手に委ねてはならないというイデオロギーの梃子が働いたのではないかと推測される。(「電力の改革の構図と戦略」西村陽 34,35頁 エネルギーフォーラム2000年11月)
(引用おわり)

一方、第三者アクセスは、発・送・配電の分離を前提とするものではないが、発電事業者が電力会社の送配電施設を使って電気を送ることを委託(託送)する場合、料金算定の公平性の担保、末端市場での新規事業者と電力会社との公正な競争の担保といった点で、電力会社内部で利害の対立が生じるために、結局は、電力会社内部の発・送・配電部門の明確な経理分離、分社化といった方向に引っ張られている。
(つづく)

2001/08/28(Tue) No.01

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