・奥美濃一人旅

・ご意見番結婚式

・沖縄旅行


奥美濃一人旅

久しぶりに、岐阜県は奥美濃を旅することにした。今回は、31日の明宝Jazzフェスティバルを見ること意外何も決めていない。ぶらり(だらり?)旅を決め込み、とりあえず出発だ。

7月29日 (1日目) 木曜日 晴れのち岐阜に入ってからどしゃ降り

朝9時頃出発。とりあえず豊川インターより岐阜方面に向かう。天気はよいがラジオで、「岐阜県方面大雨」なんていっている。不安!!
一宮ICより22号線で美並の道の駅に行く。雨は降っていないが、裏の長良川は、茶色の水が轟々と流れ、大雨が降っていたことを物語っていた。
あじさい街道を通り、板取村へ。1月前だったらきれいだったろうなーと思わせるあじさいが続く。 ちょっと残念!
ここで大雨となる。
板取温泉にはいる。お湯はぬるっとしているが、においはない。
「晴れていたら最高だろーなー」と思わせる露天風呂。板取川も見える。
寝床を探し走るが適当な河原はないし、キャンプ場は高い。
結局中学校の駐車場で寝る。次回、板取に来るときは、宿を取ってからこよう!

7月30日(2日目) 金曜日 雨のち曇り時々晴れ

6時30分、目が覚める。今日も雨がが降っている。
「また雨か!」
そう思いながらラジオのスイッチを入れる。今日は、午後から天気が回復しそうだ。
早速川を見に行く。さすが板取川!!もう青みを取り戻している。さすがに自然のダムを持った川は違う。
昨日の雨で、郡上に抜ける256号線が通行止めになっていたため、洞戸村→美濃へと戻り郡上八幡に向かわなければならなかった。また美並の道の駅による。長良川は、まだ茶色の水が、とうとうと流れていた。やはり上流まで工事が入っているので、泥が引くのが遅いのだろう。水は幾分減っている。
休憩所の畳の上に横になっていたら、1時間も寝てしまった。やはり、昨日車の運転席で寝たことに無理があったんだろう。
大滝苑で食事を済まし、郡上八幡へ。宗祇水や飛び込みコンテストの会場となる橋、長良川へと続く吉田川沿いにある遊歩道などをぶらぶらと回った。長良川の出会いの河原(今日のキャンプ地)を確認し、温泉に入りに大滝苑に戻る。
宝泉という名の温泉。入ったときは、客が一人だったので気が引けたが、長良川を眼下にする露天風呂は気持ちよかった。しかし、柵沿いに立つと川からも対岸の道からも丸見えだ。
お湯は板取のようなぬめりはなかった。
長良川と吉田川の出会いの河原に戻る。キャンプする場所を決め、車を置いて遊歩道を新川橋へ。橋のたもとの新川亭で川魚定食を食べる。
今は、郡上おどりの真っ最中。提灯などがきれいである。初めて郡上おどりを見に行ったが、道の真ん中にやぐらを立てて、その回りを縦長の踊りの輪が回るというスタイル。ちょっと拍子抜けだなーと思っていたら、目の前をきれいなオネーちゃんが通った。続いてカメラが。数秒間現実をはーくできない。次のしゅうんかん「藤崎ななこだ。」と心の中で叫んだ。今日撮影があるなんてしりっこない。しかし現実に目の前を通っていった。でも、なんだかんだいっても、テレビに出ているような人は、一般大衆とは違うモンだ。
昨日は車の運転席を倒しただけのスペースで寝苦しかったので、今日は、テントでのびのび寝るとしよう。でも暑いかなー。


7月31日(3日目) 晴れのち遅くなってから曇り

暑くて寝苦しいナーと思いつつ眠りについたら、夜中に寒くなり、シュラフを引っぱり出す。この温度変化はたまらない。やっと心地よい眠りを楽しんでいると、アユ師がごそごそと動き出し、目が覚める。まだ5時だ。
もう眠れない!でも、とてもすがすがしい青空だ。空気も気持ちいい。
朝飯を食べてテントをたたみ、「今日は何をしようかな」と、しばし考える。今日は、今回のメインイベントである"Jazz in MEIHO"が有るので、明宝で過ごすことにしよう。
明宝の道の駅で一休み。ここは異様にでかい道の駅だ。ここには、囲炉裏があり、イワナの塩焼きを打っている。とても趣がある。また、裏を流れる吉田川までおりていける。ご機嫌の道の駅だ。Jazzフェスの会場を下見した後で明宝温泉へ。今回の旅初の青空の下の露天風呂。
お湯は少しぬるっとしている。においはない。
ここは、レストランや畳敷きの休憩所があり、健康ランド気分。また、小一時間寝てしまった。
2時。会場一時間前だというのに、もう長蛇の列。みんな椅子だの、レジャーシートだの、バーベキューセットだの、クーらボックスだのを持って並んでいる。まるで花見の場所取りだ。
15時、開場。中に入ってびっくり。露店があったり(山下信二がラーメンを売っていた)、シートを広げてバーべキューの準備をする人ありで、花見そのもの。ただひとつ違うのは、舞台の方向にいすなどがほとんど向いていることだ。
日差しは暑いが、風が心地よい。高原のさわやかさだろうか?
焼きおにぎりを買って、椅子を置き開演を待つ。
4時、定刻通りに開演。ノリノリで時間が進む。
12時、終了。一時間半の延長。ミュージシャンも観客もおおいに盛り上がった結果だ。
8時間の公演。その長さを感じさせない盛り上がりと好演奏だった。
日が暮れるにつれ雲が出てきて、"満天の星空のもと"というわけには行かなかった。
しかし、このJazzフェスは、10回目(今回)初めて雨が一滴も降らなかったということで、運が良かったのかもしれない。
これからみんな渋滞の中を帰るんだろうなー。
僕は、「来年は、みんなとバーベキューをしながら盛り上がりたいナー。」などと思いつつ駐車場に張ったテントで就寝。


8月1日(4日目) 曇り

5時10分、目がさめる。外を見るとまだかなりの車が残っている。カップラーメンを食べ、テントをたたむ。
6時30分、出発。東海北陸道をはじめて使う。みょーにトンネルが多いが、なかなか快適である。工事中は、下から見上げ、「あんなモン無駄だ!!自然破壊だ!!」と思っていたのに、人間なんて勝手なもんだ。
のんびりとサービスエリアなどによりながら帰ってきたため、帰宅は11時。こうして僕に560キロに及ぶぶらり(だらり?)旅は終わった。



遊民ご意見番結婚式

9月27日(日) 雨

遊び日記に書くのは失礼かとも思うが、書いておく。

この日は、わたしにとってこの上なく緊張した日だった。と言うのも歌を歌ってくれといわれていたのだ。

ただ歌うだけなら緊張などしない。この歌の時間に壮大な計画を企てていてためだ。

この日招かれた遊民のメンバーは、わたしを入れて9人。かねてより「堅苦しくなく、みんなに楽しんでもらえるような披露宴にしたい」という彼の気持ちに答えるベく、みんなで何か出来ないかと考えた。

世間は、夏休み真っ最中。あるテレビ番組(ポンキッキーズではない)で石井竜也がやぐらに上がり花祭りを歌い、そのまわりを浴衣にはっぴの人たちが踊っていた。わたしは「これだ!!」と思った。

それからポンッキキーズをビデオに取る日々が始まった。ある程度溜まったところで盆ダンスのところを抜き出し、編集してメンバーに配った。

最大のネックはメンバー全員が集まれないこと。集まれる人間(4人)は、わたしの家に集まり練習したが、それも2回だけ。とっても不安である。

朝4時に目がさめてしまう(沖縄の時も4時におきたが、私は決していつも4時におきているわけへはない)。予想以上の緊張と不安のためだ。

9時20分に式場につき、メンバーがそろうのを待ち、小雨の中練習。泥縄もいいところだ。

10時半からの式は、人前式というやつだった。参列したみんなが立会人となるのだそうで、司会者が「意義のある人はいらっしゃいますか?」といっていたがこんなところで異議を唱える勇気の人がいるわけもなく、何事もなく終わった。

披露宴会場で新郎新婦の入場を待つうちに打ち合わせ。どこで踊るか、カラオケはあるかなどなど。カラオケはなかったために、持参したCDをかけてもらい歌入りの曲の上からかぶせて歌うこととなった。

いざ私たちの出番。親戚、来客の反応はどうか?本人たちは?一か八かのかけで、みんなはっぴを着て会場の真中に陣取り、踊り始める。歌いながら新郎新婦のほうに歩いていくと彼が、「ここまでやってくれるとは思わなかった。本当にありがとう。」と目をウルウルさせていた。言葉は悪いが”してやったり”である。その言葉を聴いたとたん緊張も不安も吹っ飛び、歌い方と声の調子が変わったのが自分でもわかった。

こうして私の近年になく緊張(不安?)した1日は終わった。


9月16日〜9月19日 沖縄(西表島)旅行

9月16日(水) 晴れ

今日がいよいよ出発だというのに、折りからの台風5号のため未明から大変な雨と風。あまりのうるささに4時前に起きてしまった。(けして遠足の前の小学生のようにワクワクして寝ていられなかったわけではない)

仕方がないので台風情報を見ていると、4時30分に御前崎に上陸。わたしの家は豊橋なので目と鼻の先なのである。

「飛行機飛ぶかなー」などと考えながら用意をし、バスに乗るため7時に家を出ると雨は止み、晴れ間すらのぞいていた。この調子なら台風の反対の南に行くんだし問題ないか、などと思いつつバスに乗り込んだ。

7時50分の待ち合わせに5分ほど遅れて豊橋駅につき、空港行きのバスに乗り換え一路空港へ。

空港では、飛行機の待ち時間に朝食として天むす茶漬けを食べ、e-mailが出せるという銀行のCDのような機械からメールを出して時間をつぶした。

11:45発ANK651便でそのまま石垣へ。スチュワーデスは3人で、そのうち2人は若かった。

石垣では空港で時間をつぶし、西表にわたるために石垣港までタクシーで。船浦行の便が欠航(しけのため)大原港行に乗る。かなり波が高く、同行していた2人は船に酔ってしまった。(わたしは普段カヌーにのっているせいか、それとの鈍感なのか、何はさて置き無事だった)

大原港から宿まではバスで約50分。やっとついたときには6時を回っていた。そこですかさず明日のシュノーケリングの予約をして一日を終えた(ただただ移動の1日だった)

9月17日(木) 晴れ(強風)

朝起きたら天気はすごく良かった。但し風が強い。不安を持ちながらテレビをつける。台風6号が発生して、方向を90°曲げ西に向かっていた。(風が強いわけだ)

不安は現実のものとなった。宿のお母さんが、「いい知らせが有ります。バラス島(シュノーケリングポイント)への船は出ません。カヌーも潮があわないためだめです。今日の計画を立直しまショ〜」といった。

仕方なくレンタカーを借り、島を観光する事にした。西表島は、島を周遊する道路がなく、両端が行き止まりになっている。「とにかく道のある限り行ってみよう」という事になり、車を走らせた。

星砂海岸→月が浜→白浜といって行き止まり。明日も船が出なかった時の事を考えてシュノーケリングが出来そうな海岸を探しながら走ったが、ここは!!というところは見つからなかった。

Uターンして大原港方面に向かう。船浦港を越えたところでピナイサーラの滝が見えた。明日も潮はそう変わるわけがないので、行けるはずもない。むなしいだけだ。西表温泉というのが目に入る。日本最南端の天然温泉だそうな。明日はここにでもこようかな。

由布島で車を降り、水牛車に乗って島に渡る。水牛は農耕用として台湾から輸入されたんだそうだ。今ではトラクターに取って代わられ、ここで観光客をお引いているんだそうだ。観光シーズンの2月から4月には、1日千人もの人が訪れ1頭の水牛が10往復もするそうだ。

その後行き止まりまで行き、宿へと帰る。明日はシュノーケリングできるかなあ。

9月18日(金) 晴れ(昨日よりは風が弱い)

やった!! バラス島に船を出してもらえる。カヌークラブ マリオの比嘉さんに感謝。

3人は、文字どうり水を得た魚のようにはしゃぎまわった。水は透明度が高く、まるでいつも遊んでいる寒狭川の上流のようだ。これで水がしょっぱいのだから不思議だ。(地元の人には当たり前なのだろうが・・・)

水は似ていてもそこの景色はまるで違う。色とりどりの珊瑚といろとりどりの魚、殺風景な川とはえらい違いだ。やっぱりここまで来て良かったと思うひとときだ。

ポイントを変えるためにまた船に乗り込む。船に5分ほど揺られ次のポイントへ、比嘉さんが安全を確かめるために先に海へ入り、しばし待たされた。この間に後の2人はまたも船酔い。3人とも波が1メートルくらい有るのではないかという海に繰り出したが、元気に楽しんだのはわたしだけだったようだ。

その後、後の2人は船に上がり、わたし一人が船の伴走の下100メートルほど泳いだ。

そして比嘉さんの家に行き、昼食を食べ、カヌーの事、自然の事、川や海の権利の事などなどいろんな話を時間を忘れてしていた。

気がつくとすでに5時半を回っていた。比嘉さんの家に来たのが確か1時半ごろ。10時に宿を出てシュノーケリングをしていたのは正味2時間。それに対して話し込んでいたのが4時間。その間に冠ワシが見れたり、果物畑(ジャングルとしか見えなかったが)を見たり、グァバを食べたり、とても充実していた。

最高の1日だった。


9月19日(土) 晴れ(風あまりなし)

今日はいよいよ最終日。朝から良い天気で風もあまりない。「船浦から船が出るかな?」と思ったが甘かった。やっぱり大原だ。

9時半に宿のお母さんに別れを告げ、大原行のバスに乗る。手を挙げて止めるのだ。(のどかだ)

大原港から船に乗り石垣へ。石垣でタクシーを借り切り、運ちゃんまかせで観光。

中でもグラスボートで見た川平湾の海底はきれいだった。

そしてANK438便、ANA308便と乗り継ぎ名古屋へ。名古屋到着は20時50分だった。

そして21時30分発の最終のバスで豊橋へ。長いようで短かった4日間が終わった。