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フェルナンド・レドンド

フェルナンド・レドンド 1969年7月6日、アルゼンチンブエノスアイレスに生まれる。

地元チームを経て、10歳の時アルヘンティノス・ジュニオールに入団。

15歳で U-16アルゼンチン代表に選ばれ、南米選手権優勝。

'90年 スペインリーグのテネリフェに移籍。 '94年、W杯 アメリカ大会に出場。

同年、名門レアル・マドリーに移籍、念願を果たした。

そのインテリジェンスあふれるプレーから想像されるとおり、学問にも大変熱心である。

186p、76s

 

『Sports Graphic Number 459 より』

 

トヨタカップにて

久しぶりに見た大柄の青年は、長かった髪を切っていただけでなくヨーロッパでナンバーワンの守備的ミッドフィルダーに成長したことを見せつけてくれた。

彼のプレーの特徴は、総合力である。

攻撃的ミッドフィルダーの勘の良さを持ち、素早く危険の芽を摘む守備、アルゼンチン人特有の小さなトライアングルの中での素早いパス回しと遠くに視線をおいて背筋を伸ばしたドリブル。

そのいずれもが高いレベルで備わっている。しかもそれだけではなく、実にうまいタイミングでファウルを使う、そのタイミングとはストッパーが体を投げ出して止めなければならないプレーをその一歩手前で彼がつぶしてしまう。彼がいればストッパーの仕事の苦労が半減するだろう。

まさに守備的ミッドフィルダーとして完成されたプレーを見せてくれる彼だがそれだけでスーパースターになれるわけではない。

スーパースターの条件

彼のスーパースターの条件とは、悲劇にある。

94年W杯アメリカ大会、彼のチームであるアルゼンチンはマラドーナの疑惑によるごたごたでW杯を去った。

98年フランス大会、このときのアルゼンチン代表監督はダニエルパサレラ。

はじめは些細な問題だった、パサレラは代表チームの若返りに着手した、このとき彼は彼のチームとって将来頭痛の種になるであろうベテラン選手を閉め出すために一つの方便を思いついた。

それは、代表チームに長髪を認めないというものだった。

レドンドをはじめとする多くの選手はサッカーと髪型は関係ないと反論。その些細な論争はエスカレートし彼は代表チームに召集されなかったのである。

その後、パサレラの代表チームは規律と若い力により優勝候補にあげられるようなチームに成長し、これもスーパースターの資格を持つ男デニス・ベルカンプにとどめを刺されるまで快進撃を続けるのである。

アルゼンチン代表といえば、タレント集団である。その中盤に一人の選手を入れるということは、一人の選手をはずすということである。しかしもしあのメンバーの中に彼が入っていたなら.................................


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