伊勢街道(そのごく一部)を歩く

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2007年2月3日。用事が午前中に終わり,せっかく三重県に来たのだからと,旧伊勢街道を少し歩いてみました。伊勢街道は基本的には国道23号とほぼ重なっていますが,少し離れた旧道を進む部分もけっこう多いようです。今回(次回もあるのか 笑)は,津市の中心より少し来たにある江戸橋をスタートして北に向かい,疲れたら終了ということにしました。
 

天気は晴。花粉症も大したことなさそうなので,準備したマスクは外す。江戸橋から国道をしばらく北上し,三重大学正門の手前から細い旧道に入る。500mほどで巡礼道との追分けに到達。常夜灯を眺める。前回来た時に,ビールを買うため夜ぶらぶらしていて,この常夜灯を見つけたのが,今回歩くそもそもの発端。この辺りは古めの(そして一部は由緒ありげな)家が多い。近くには地ビール(Ise Port Beer)の醸造元もあるらしい。前に買ってみたらわりとおいしかったので興味を引かれたが,まだ先も長いのでそのまま歩く。


追分け(左が伊勢街道)

常夜灯


しばらくして国道を渡る。一度バスを乗り過ごして,ここで降りた覚えがある。分部光嘉が戦国時代に中山城を築いた所というが,見た感じではよくわからない。その少し先にあったのが逆川神社。名前の由来とかちょっと気になるが,あんまり時間もないので眺めるだけ。前回来た時は(夜だったし)この手前まで来てコンビニに寄り,ビールを買って帰ったのだが,今回はこの先何駅ぶんか歩くことに。地図を見ながら歩いている中年〜老年の二三組とすれ違う。やはり伊勢街道を巡っている人達だろうか。彼らは伊勢神宮に向かう。こちらは遠ざかると。この辺りからだんだんと田園風景っぽくなってくる。よい感じ。暖かいのでジャケットがちょっと邪魔だなあ。薬っぽい香りのする炭酸飲料を飲みながら歩く。何となく眠い。


逆川神社


国道に戻ってしばらく行くと旧河芸町。最近津市に編入された地域らしいが,自転車があれば通える範囲か。どちらというと“のどか”といったイメージ。何度か国道と旧道を行ったり来たり。ところどころにそれなりに古そうな寺がみられる。河芸町役場跡からまた旧道に入ってすぐにあるのが光勝寺(臨済宗妙心寺派)。分部光嘉の早世した長男のために建てられた寺らしい。ちょっと立ち寄ってみる。駐車場が広い。


光勝寺

光勝寺の少し先が上野宿だったらしい。遺物はあまりなさそうなので,そのまま素通りしようとしていたら,そのまた先には小高い丘みたいなのがあり,ちょっと気になる。「上野城跡→」と書いてある小さな看板を発見。三重県で上野城といえば伊賀上野城が有名だが,こちらは伊勢上野城。織田信包が築城し,江戸時代初期には上野藩(分部氏,1619年に近江に移転のため廃藩)が置かれたらしい。戦国の城ならともかく,藩があったというのなら,江戸三百藩のマニア?としては,ぜひ見に行かないと! 登り口は細くて目立たず,気がつかずに素通りしそうな感じ。丘に気をとられなければ,見逃していただろう。しばらく山道を登り急に開けた所が上野城跡。ちょっとした公園になっていて,運動場らしき物もあり,裏から車で上がってこれるようだ。広場には立派な展望台まである ...って,下の入口から見たらこんなになっているとは思わないよな。展望台からの眺めもよし。伊勢湾がよく見える。近くには日本庭園らしきものもあった。


この先に城が?

頂上部分は公園に

展望台?

展望台から伊勢湾を眺める

探すと庭園も
 

それにしても‘城跡’であることを主張した宣伝がほとんどないのは,仕方ないのだろう。マイナーな藩の宿命みたいな。秋田書店(あの少年チャンピオンとか出している秋田書店!)から出てる『藩史事典』にも7行ほどしか記述がなかったし。地元市民の人達もそれと認識していないっぽい。

ちょっと疲れてきたので,今回の探索も終了か。ちょうど川(大倉橋)にぶつかったので,よい機会?だと進路を右に変えて,近鉄の駅を探す。しばらくウロウロあれこれとさまよって,近鉄千里駅を発見。ローカルな雰囲気の駅で20分ほど待たされてから,各停の電車で名古屋へ。けっきょく江戸橋→高田本山→白塚→豊津上野→千里と,近鉄の駅にして4駅分(8〜9kmほど)を約3時間で歩いてみたわけだけど,探索コースとしてはまずまず手頃で,なかなかの満足度。

 参考:伊勢街道ウォーキング・マップ