松代(長野市)を歩く

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 2007年8月5日。松代の街を歩きました。松代は長野市にある城下町で,江戸時代は真田氏10万石の藩がありました。昭和41年に松代町がいくつかの市町村と一緒に長野市に合併。うちの実家は同じ長野市でも旧長野市のほうなので,松代を散策するのは初めてです。天気は晴(ちょっと薄曇り)。まずお城に行く前に,長野電鉄の松代駅前を通りました。いかにもローカル私鉄らしい駅です。もう廃線になっているかと思っていましたが,まだ現役でしたか。


長野電鉄松代駅

 江戸時代好き,特に城と陣屋マニアとしては,まずは松代城(江戸時代より前は海津城)が落とせません。城主は森忠政→松平忠輝(徳川家康六男)→松平忠昌(越前松平)→酒井忠勝を経て,1622年より廃藩置県まで真田氏(初代は真田幸村の兄である信之,以下10代)。10万石とそれなりの大きさの藩の城としては,意外に規模が小さい印象をもちました。本丸内に天守閣等の建物は残存していません(天守閣はもともとなかったらしい)。門がいくつか復元された程度で少し寂しいです。まあ個人的には,実在しなかった模造天守をコンクリートで作られるよりは,まだましかとも思いますが。現在は千曲川(信濃川の上流−長野県内を千曲川と呼びます)からは少し離れた所に位置していますが,戦国時代などは城のすぐ傍を川が流れていたそうです。


外観

堀と石垣

復元された太鼓門

櫓台(天守台がわり?)

櫓台より千曲川方面を

復元された北不明門

 城の南側には藩校である文武学校や武家屋敷など,いくつかの史跡が残されていますが,時間の関係で多くは外から見るだけにしました。重臣の屋敷である白井家跡は,地元の観光ボランティアの事務所になっていて,お茶をいただいて少し世間話をしました。松代では今まで観光にさほど力を入れてこなかったのですが,最近はいろいろ頑張っているようです(ボランティアによるガイドなど)。幕末の藩主母の住居である真田邸も残念ながら工事中。


文武学校

旧白井家

武家屋敷(真田勘解由家)

 次に松代大本営跡の一つ,象山地下壕を見学することにしました。地下壕までの路はきれいに整備されており,よい雰囲気です。途中にも武家屋敷や由緒ありげな寺社などがあります。三代藩主真田幸道が開いた恵明禅寺は黄檗宗のお寺です(黄檗宗の寺って,僕は初めて見ました。同じ禅宗でも,臨済宗・曹洞宗はけっこう見ますが)。幸道の夫人である‘あんず姫’の墓があります。実家からあんずを持ってきて長野盆地一帯に広めたため,その愛称がついたとのこと。ちなみに国産のあんずの60%以上が長野で生産されており,日本一の産地です。そのわりに世間一般にはあまり知られておらず,お土産に持っていってもそれほど喜ばれません(笑)。国内生産に比べて輸入量のほうがかなり多く,実をいうと国産あんずは貴重なのですが。


山寺常山亭

恵明禅寺

 松代大本営跡は太平洋戦争の末期に,いざというときに国の機関を移転(天皇家の避難先としても)するため,松代の山中にほられた地下壕跡です。3つの地下壕の長さを合計すると10kmにも達するという,大規模なものです。象山地下壕は内部を見学できます。見学できる部分(下の案内図の赤く塗った部分)だけでも,500mあります。内部は暗いので,見学の際には懐中電灯があったほうがよいでしょう。また入り口近くは狭いため,入る際に借りたヘルメットがないと頭をぶつけて怪我をしそうでした。真夏とはいえ,中はさすがに涼しかったです。


象山地下壕

削岩機のロット跡

案内図

 地下壕を出ると,雨が振り出していました。幕末の思想家・兵学者である佐久間象山(象山は地元では“ぞうざん”と読みます)を祀ったのが象山(ぞうざん)神社です。吉田松陰や勝海舟,坂本龍馬にも師として影響を与えたとして,幕末マニアにはよく知られている人物です。雨のため参拝客も少なく,静かでよい雰囲気でした。境内には象山の住居(蟄居先?)であった高義亭が移築されています。松陰・海舟・龍馬・高杉晋作などがこの家に彼を訪ねて議論に熱中したそうです。神社の隣には象山の生誕地跡などがあります。


象山神社

高義亭

 神社とは別に,象山やその子・恪二郎の墓がある蓮乗寺にも行ってもよかったのですが,雨のため断念しました。ちなみに恪二郎を主人公にした可哀想な小説「おれは不知火」が山田風太郎にあります。奇妙な味の名品なので,ぜひ読んでみて下さい。

 ちょっと疲れてきたので,城近くの栗菓子店・竹風堂松代店で,栗あんみつを食べました。池田満寿夫美術館と接続しており,落ち着いたよいデザインの建物です。また,ここの敷地内には松代城三の堀の一部が保存されています。


三の堀跡

 松代から長野市中心部へと向かい,千曲川を渡ってすぐの所にあるのが典厩寺です。川中島合戦で戦死した武田信玄の弟・典厩信繁(僕は見てないけど,大河ドラマにも出てきてると思います。ちなみに真田幸村の本名も“信繁”ですが,あやかったんでしょうね)の墓があり,典厩および合戦の戦死者6000余名を供養しているそうです。日本一大きいエンマ様の像(高さ5m)がある閻魔堂も面白いです。近くには川中島古戦場跡もありますが,ここは小学5年の時に遠足で来たので,今回は通り過ぎました。謙信vs信玄の一騎打ちの像があるはずです。


閻魔像

典厩信繁の墓

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