下田を歩く (になる予定)

目次にもどる

 2007年8月13日。ヌマエビ採りのついでに下田市まで足を伸ばしました。幕末の史跡などが多くある街です。伊豆急下田駅にはなぜか蛙の像がありました。何でしょう? 駅に置いてあったパンフレットの地図を片手に歩いてみました。駅を出て下田公園方面に向かうと,すぐに特徴的な形の山が見えます。女性の寝姿に似ているとのことで,寝姿山と呼ばれているそうです。


伊豆急下田駅

寝姿山の頭の部分

 パンフレットの地図があいまいで分かりにくかったのですが,なまこ壁の家が残る一角があるとのことで,適当にここら辺かと思われる所に行ってみました。たまたま当日はお祭りがあったようで,その準備などで賑やかでした。それを横目にたどり着いたのが,唐人お吉が開いた小料理屋である安直楼です。唐人お吉の話は小説等で多少は読んだことがあったのですが,お吉は最後は身を持ち崩して自殺してしまったんですね。すっかり忘れていました。可哀想だけど。周囲にもいくつかなまこ壁の建物を見つけました。


安直楼

なまこ壁の建物

 下田公園に向かいました。戦国時代に北条氏家臣清水氏が築いた下田城があった所です。麓にはペリーが上陸した跡があります。近くには日本の写真術の開祖・下岡蓮杖の碑があるということだったので,ちょっと戻って探してみたのですが,なかなか見つかりませんでした。この辺りは水路を挟んで両岸に遊歩道が設置されており,雰囲気もよいものです。15分ほど行ったり来たりして,民家の間の狭い入り口を見つけました。階段をしばらく上がっていくと碑がありました。下岡蓮杖の名前はマイナーだと思いますが,僕は山田風太郎の小説(『警視庁草紙』など)で,その名を知りました。碑のある場所からは丘の斜面にあるため,下田の街を一望することができます。ペリーは日米和親条約の細則を決める下田条約を結びに来たとのこと。その条約を結んだ場所が了泉寺に次に向かいました。こぢんまりとした落ち着いたお寺でした。ここには宝物館(ペリーに関する資料の他に,秘宝館まであるらしい)もあるようです。


ペリー上陸の碑

下岡蓮杖の碑

了泉寺

 他にも由緒ありげな寺社(日露和親条約が調印された長楽寺など)がいくつもあったのですが,時間の関係で駅に戻ります。途中,外国船に航海中に欠乏した燃料などを供給した欠乏所跡(これもなまこ壁)や,吉田松陰が密航しようとして失敗し拘禁された場所にも寄ってみました。拘禁された地には昔は寺があったそうですが,今は公民館の一角になっており,碑のみが立っています。そういえば,先日松代の佐久間象山が蟄居していた家を見てきましたが,象山蟄居の理由は吉田松陰に密航を勧めたことということで,ちょっと奇遇だなあなどと思いました。


欠乏所跡

吉田松陰拘禁の跡

 駅の近くにもいくつか寺社があります。そのうちの一つに「お吉の墓」があるという宝福寺です。素通りしようか迷ったのですが,案内文だけでも読んでみようと行ってみると,幕末に下田奉行所が仮設された寺でもあるそうです。江戸幕府マニアとしては,下田奉行所にもぜひ足を運びたかったので,うれしかったですね。もっとも正式な奉行所は駅からさらに北に向かった所に置かれたとのことで,本当はそちらにも行ければよかったのですが,だいぶ疲れていたのでそのまま駅に戻りました。


宝福寺

 駅で電車を待つ間に,近海物を使ったにぎり寿司を食べ,地ビールを飲みました。駅の売店には4種類の地ビールを売っていましたが,僕が店で飲んだのはどのタイプだったのでしょう?

 下田は時間が許せば,もっとゆっくり散策してみたい街でした。今後もまた伊豆にヌマエビ採りに来ることもあるでしょうし,その時には今回見逃した所にも行ってみたいです。

目次にもどる