遺伝的浮動の説明(改訂版)

生物の進化は決定論的(deterministic)な自然淘汰だけではなく、集団(population, 生態学での個体群に相当する)の確率論的(stochastic)遺伝子頻度の変化、つまり遺伝的浮動(genetic drift)によっても起こりうる。これは分子進化の中立説の中で基本となる考えである。

いま、遺伝子Aと遺伝子aの集団中での頻度をそれぞれpqとすると

p+q=1

が成り立つ。もし他個体とランダムに交配する(自殖もおこなう)ような集団を仮定すれば、N個体が多数の配偶子を出し、そこから2N個を取り出してあらたにN個体をつくるという世代交代のモデルを考えることができる。そのとき配偶子となる細胞は減数分裂をするので、配偶子の頻度はそれぞれpとqで変わらない。例えばAaの頻度が半々の個体数2の個体群(AA,aaでもAa,Aaでもいい)では、次の二項分布

 

を用いると遺伝子構成AA,Aa,aaを持った各個体の頻度が求められる。この比は1遺伝子座のメンデル遺伝での比と同じである。まず、次世代の各個体の遺伝子型(phenotype)AAAaまたはaaとなる確立はそれぞれ0.25(展開式の第一項の係数)0.50.25と求めることができる。AAの遺伝子型となる確率は、配偶子のプールからAを選び出し、さらにAを選び出す確率、つまり0.5の二乗に相当する。したがって次世代の集団での各遺伝子型の個体数の期待値は以下のようになる。

 

(AA)0.5個体:(Aa)1個体:(aa)0.5個体

 

結論として、Aa,Aa(もしくはAA,aa)の二個体からできる次世代は、個体を作り出す行為を二回繰り返すからAA,Aaでも(もちろん他の組み合わせでも)かまわないのである。これが遺伝子浮動(genetic drift)といわれる、確率論に基づく集団の遺伝子構成の変化である。

  次に、一般的な二倍体の生物ついて考えてみる。先と同様に集団でのA遺伝子の頻度をp、a遺伝子の頻度をqとする。集団中のN個体のすべてが繁殖に参加し、そこからN個体の子ができるので、繁殖のときに全個体が持つゲノム(2N)の頻度と同じ遺伝子頻度の配偶子プールを作るとみなすことができる。配偶子はN個体に比べて無限と仮定すると、先の2個体の例でもそうであったが、配偶子プールからいくら配偶子を取ってきても対立遺伝子の頻度は変わらない。すると、2N個の配偶子を選んでN個体を作り出すときに全遺伝子2N個のうちi個がAである確率は、

のpのi次の項で与えられ、

となる。

今度は集団が小さくなったときの影響を、この遺伝的浮動を用いて考えてみよう。かりにN=100として(これでも絶滅寸前ではあるが)、最初の対立遺伝子頻度が11(p0.5q0.5)としてみる。次世代の個体で偶然によりA遺伝子だけになってしまう確率Pは、

 

である。偶然によって次世代の遺伝子がAだけになる確率はとても低いことがわかる。もし集団が20個体から構成され他の条件は同じであるなら、先の確率P

 

*

 

となる。この確率は先の200個体の場合と比べて桁違いに高い。絶対的には小さいが、集団が小さくなることによる影響はとても大きいことがわかるだろう。A遺伝子が生存によくない影響をもっていたら、種の存続に致命的になるかもしれない。

上の例は数字が小さいから大したことがないと思うかもしれない。常識的には全個体の遺伝子がいっぺんに同じになることはとても考えられないだろう。しかしそうでなくても、小さい集団のほうがホモの個体が多く生じる可能性は高い。統計の教科書で二項分布の形を見ればすぐのわかるのだが、以下でも説明しておく。

二項分布を5乗の場合まで以下のようなパスカルの三角形を書いて表してみると、

 

1 1

1 2 1

1 3 3 1

1 4 6 4 1

1 5 10 10 5 1

 

となる。この二項分布の無限乗の展開は正規分布になることを知っていれば、小さい個体群は遺伝的浮動の影響を受けやすいことは容易に想像できる。個体数が少ない(二項展開の展開次数が小さい)ときには、「集団中にn個のA遺伝子が含まれる」確率をnに対してプロットすると、裾が広がった形となる。逆に個体数が多いときにはより上に出っ張った形となる(上の三角形をさらに続けて、グラフを書いてみたらよくわかる)。つまり、小さい個体群のほうが遺伝子頻度の変動が大きいのである。

  そして、ひとたびAもしくはaのみを持つ個体から集団が形成されるようになると、突然変異などでaまたはAがその集団に持ち込まれない限り、集団の遺伝子構成は変わらない。これは固定といわれる現象で、どんな大きな集団でも新たな対立遺伝子が供給されなければ必ずいつかは固定することが示されている。実際に、絶滅寸前の種に遺伝的変異がほとんどない例が報告されている。ただし、遺伝的変異が少なくなったから絶滅寸前なのか、それともその逆なのかは議論を要する。

文 H.S

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