ニホンオオカミはなぜ滅んだのだろうか?
オオカミ勉強会第二回
この文章は11/22の自然保護研究会の例会において発表された内容をまとめたものです。
あなたはこの日本にオオカミが住んでいたことを知っていますか?そのオオカミがなぜ滅んでしまったか知っていますか?
上の写真はオランダのライデン自然史博物館に保管されているニホンオオカミ(Canis lupus hodophilax)の剥製です。それでは、ニホンオオカミと日本人の関係の変化を見てみましょう。
江戸時代中期以前、ニホンオオカミは北海道以外の日本各地に生息していました。その頃の日本人は主に農耕によって暮らしていました。そして、飼っている動物というとニワトリぐらいで、西洋のように家畜らしい動物は飼っていませんでした。そのため、西洋でのように「オオカミに家畜を襲われた!」と言ってオオカミを敵視することはありませんでした。それどころか農民達からは、田畑を荒らす草食獣(シカ、イノシシ、キツネ、ウサギ…)を退治して(食べて)くれる神獣として神社に祭られていました。そして、他の人々からは火伏せの神として信仰を集めていました。なぜオオカミが火伏せの神と言われていたかというと、オオカミは火を見つけると火が消えるまでそこにいてじっと火を見つめていたり、川で自分の体を濡らし、火にその水をかけて消すといわれているからです。
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御嶽神社の神狼の絵馬 | 山住神社の神狼土偶 |
上の写真はニホンオオカミを祭っている神社に伝えられている神狼の絵馬と土偶です。このようにオオカミは信仰の対象でした。
また、オオカミの名前の由来は大口之真神つまり、大神なのです。
しかし、江戸時代中期に外国からまず九州へ、そして日本中へ狂犬病が広がってしまいました。狂犬病にかかったイヌやオオカミは非常に凶暴になり人を襲うようになりました。しかし始めのうちは、猟師はオオカミを神の使いと思っていたので危険とはいっても銃で殺すことは出来ませんでした。でも、猟師たちはオオカミのエサであるシカなどを撃ち殺し、個体数を減らしてしまいました。また、西洋文化が入ってくると日本人は家畜を飼うようになったため、どんどん森林を切り開きました。そのため、オオカミは住処を終われ、エサを奪われ、家畜を襲う害獣として殺されたために絶滅したのです。ふと気が付くと鷲家口で取られた最後の一頭といわれる個体を最後に姿を消してしまいました。
それでは、エゾオオカミについて見てみましょう。
これは北海道大学農学部付属博物館に保管されているエゾオオカミ(Canis lupus hattai)の剥製です。エゾオオカミもニホンオオカミのように神としてアイヌの人々に畏敬されていました。アイヌの人々がエゾオオカミを神としたのは、エゾオオカミの食べ残しをもらっていました。第一回に書いたように、アイヌの人々もエゾオオカミの遠吠えが聞こえるとその方角へ食べ残しをもらいに行っていたのです。そのためエゾオオカミは日常語では「狩をする神(オンルプシ・カムイ)」「吠える神(ウオセ・カムイ)」と呼ばれていました。
アイヌの人々とエゾオオカミはうまくやっていましたが、後から入ってきた倭人や白人達とはエゾオオカミはうまくやっていけませんでした。
まず、銃を持っていた倭人たちはエゾオオカミたちのエサであるエゾシカを大量に殺しました。アイヌの人々もエゾオオカミも自分達が食べる分しか殺しませんでしたが、倭人たちは商品としての毛皮や肉を取るためにエゾシカを殺したのです。その後、開拓使達はウマの牧場を北海道に作りました。エサが無く、腹をすかせたエゾオオカミたちは、家畜(ウマ)に手を出しました。家畜を守る立場の開拓使達はオオカミの排除を決めたのです。オオカミ退治には硝酸ストリキーネが使われました。こうして、エゾオオカミは絶滅しました。
この硝酸ストリキーネはシートンも使用していたものですが、投与された動物が非常に苦しんで死ぬ様子を見て二度と使わないと決心した程の劇薬です。日本国内にあったそのような劇薬が買い占められ、エゾオオカミは殺されたのでした。
次回は“オオカミの分布”です。
文 C.K