第2話 ミリス
 岩と荒れ地ばかりが続く大地。
 オーストラリア大陸は長い戦争のツケで、今ではその全土が急激に砂漠化している。
 過去の戦いにおいて、オーストラリアは地球上の激戦地であった。連邦軍の基地が数多く存在していたからである。
 幾度となく繰り返された戦闘が、その環境をすっかりと変えてしまった。
 今では連邦軍基地の多くは破棄され、ニュージーランドやパプアニューギニア等の周辺の島に移動している。
 そのためかオーストラリア大陸において連邦軍の勢力は弱まり、反地球連邦組織の活動が活発化していた。特に大きな勢力を持っていたのがラスティアースである。
 移住計画もあって、人口が膨らみ続けていたオーストラリアだったが、今となっては人口は最大時の二十分の一以下にまで落ち込み、都市部を除いては僅かな人間達が寄り集まって街を形作っているのみである。
 もちろん、例えどんなに荒廃した土地でも、その方法さえ知っていれば人は生きてゆける。
 多分に洩れず、この大陸でも多くの人間が戦争の影に怯えながらも、必死に生きていた。そのためか経済、文化、就学率等は目に見えて低下していた。
 オーストラリア、ニューサウスウェールズの東側、山岳地の側にあるロディマーもそんな街の一つだった。
 その街から北に離れること約四十キロ。
 東部高地の麓から入る切り立った谷間に小さな広場が開けていた。断崖の高さは二十メートル近くになる。それが四方を取り囲み、広場への侵入は上空を除けば、幾つかの曲がりくねった裂け目を抜けるしかなかった。
 まだ太陽はようやく高くなろうとしていたばかりだったが、それでも朝の光は広場の奥までよく届いていた。
 広さは十五エーカーといったところだろうか。周囲が赤茶けた荒涼とした景観の中で、そこだけは一面、豊かな黄緑色に染まっていた。走り抜けてゆく風が、育ち過ぎの玉蜀黍の畑を騒めかせた。
 収穫時期を過ぎた玉蜀黍は黄色く変色しかかり、乾き欠けた葉や茎が実りの重さに何とか耐えていた。一つの茎には大粒の玉蜀黍が二、三ずつなっていた。
 畑は広場いっぱいに広がっている。その中には玉蜀黍の他に玉菜や豆類も見つけることが出来る。畑の緑とその隙間から見える大地のストライプが鮮やかに映った。
 畑の北東には、そこだけ地面をむき出しにした小道が湾曲して続いており、一方は断崖の裂け目へ、一方は畑に押し退けられたように何とか建っている廃墟に伸びていた。
 古い建物だ。すでに風化を始めている。元は数階は持っていたのだろう。今は一階を残して崩れてしまっているが、建物の周囲には、かつての形を想像できるコンクリートの固まりが、あちこちに散乱していた。
 玄関のガラスは割れてしまっていて、そこら中に細かな破片が転がっている。土塊がそこを抜けて、中にまで侵入していた。
 そして、その前には今、三人の人影があった。
 その中心にいる女性は、一歩前に歩み出ると廃墟の中を覗き込んだ。
 キニン・メスリー少尉である。灰色に近い、半袖に長ズボンの連邦軍の軍服に身を包んでいる。黒の襟元には階級章が鈍く光っていた。ごく一般的な制服である。細面の顔やスレンダーな身体からは、ややもするとひ弱な印象を受けかねないが、しなやかな手足の動きやきびきびとした動作を見たならば、よく鍛えられたそれであることが判るだろう。切れ長の目に黒い瞳、それと同色のエアリー・パーマの髪の毛が軟らかい風に揺らいだ。
 「何か見えますか」
 後ろで声がした。メスリーは首を振った。
 声の主はメスリーのすぐ右後ろに立っている青年だった。
 青年の名前はエディオン・デトー、身長はメスリーと同じくらいだが、細身の分、もっと小柄に見える。半袖の連邦軍軍服から伸びた腕は日焼けもしておらず、よけいに青年を貧弱に見せていた。エディは二十一歳になっていたが、十七、八歳でも通りそうだった。短く揃えられた前髪は汗で湿り、朝日を浴びて光っていた。青年の視線は絶えず左右に彷徨っていたが、それは警戒しているのではなく、明らかに怯えだった。
 「この畑を作っているのは誰ですかね」
 「研究者の生き残りかも知れないな」
 メスリーは振り返ってそう答える。彼女は、自分に視線が集まるのを感じた。
 「まさか、二十年以上も前のことだろ。あたしには人がいること自体が不思議だね」
 そう言ったのはエディの隣に立っているクリエ・ジュオだった。
 彼女の百七十五センチを超えるよく鍛えられた身体は、軍服のなかに少しの遊びもなく窮屈に収まっていた。特に八十八センチのDカップを納めた胸先は左右に引っ張られて、今にも裂けそうだった。任務に、サイズの合う服が間に合わなかったことを、クリエはずっとぼやいていた。
 エディとは対照的に顔も腕も健康的に日焼けして、栗色の巻き毛のボリュームのあるショートカットや、人懐っこい笑顔が好印象を与えていた。そのポジティブな考え方で、実力はもとよりムードメーカーとしても、メスリーは高い信頼をおいていた。クリエはメスリーよりも一つ年上の二十九歳だった。メスリーとはモビルスーツ部隊に配属された当初からの知り合いで親しくしている。階級が上で隊では隊長を勤めるメスリーとも、他の上官がいないときは対等に話していた。
 「ただの廃墟じゃないですか」
 確かにエディの言う通りだった。研究施設と聞かされていた割りには規模は小さなものだった。
 ただ、井戸も目に入ったし、その傍らに留めてあるジープも、黒ずみ元の姿を大きく失っているものの、走れそうに見えた。それは当然、人が住んでいるということだ。
 「隊長、あれを」
 メスリーはエディの指差すほうに顔を向けた。玉蜀黍の茎が不自然に揺れている。その隙間に人の姿を認めた。五十メートルくらい離れていたが、明らかに子供に見えた。
 その子供は色素を失いかけた薄い黄緑色の葉を揺らせながら姿を現わした。  ひと目で少女だと判った。セミロングの黒髪が汗に濡れて、頬に絡みついていた。泥と葉緑素の緑の染みがついたTシャツに半ズボン姿、大きな玉蜀黍を三つずつ両肩に担いでいる。遠目にみても随分細身に見えた。脛の半分まであるブーツは軍用のごつい感じのものだったが、細く長い足を収めるには不釣り合いだった。あまり日焼けもしていないのだろう、露出した血色のいい肌は太陽の光を反射して白く輝いている。その姿は畑の中に立つには、似つかわしくなかった。
 「すまない。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
 メスリーが声を掛けた。少女は一歩引いた。
 「大丈夫。私達は連邦軍の者よ」
 そう言いながら、メスリー達は少女に近づいていった。少女は担いでいた玉蜀黍を目の前の落とすと、メスリーを睨み付けた。逃げる気配は見せない。
 メスリーは少女から二メートル程離れたところで立ち止まった。
 少女の大きな目が更に見開かれる。締まった口元には強い警戒が見て取れる。怯えているのか、体が震えているように見えた。少女は十二、三歳くらいに見えた。
 エディは、話しかけようとして一歩前に歩み出たが、少女の姿を間近に見て慌てて顔を背けた。
 少女はシャツの下には何もつけていなかった。シャツは汗に濡れて体に張りつき、その輪郭をはっきりと現わしていた。ようやく女性を主張し出した胸の小さな膨らみが、シャツを円錐形に押し上げている。さらにその先端にある小さな突起も確認できた。シャツは泥で汚れていたが、それでも小さな乳輪が僅かに透けて見えた。
 メスリーが一度エディに視線を送る。エディは、首を傾げ、視線を下のあらぬ方向に向けていた。
 その姿を見て微笑むと、少女に向き直った。
 「連邦軍ケアンズ基地所属のキニン・メスリー少尉よ。それとクリエ・ジュオ曹長に、彼がエディオン・デトー伍長」
 メスリーが手を指して紹介する。
 クリエが笑顔のまま、片手を上げる。エディは小声で、やぁ、と言ったがちらと少女に視線を送ったあと、すぐさま目線を他に向けた。
 少女の顔は変わらなかった。僅かに片方の眉がぴくりと動いた。
 「あなた、お名前は?」
 クリエが聞いた。元々はややハスキーな声質を、ずいぶんと軟らかくしている。
 「ヤワ・ミリス」
 一瞬間を置いて、少女が答えた。その姿に似合う鈴のように響く声だった。
 「ヤ、ヤ」
 クリエはそれを繰り返そうとしたが、うまく言えなかった。
 「ミリスがファースト・ネームよ」
 少女が言った。あぁ、とクリエは大げさに頷いてみせた。
 「じゃあ、ミリス。あなたはここに住んでいるんでしょう? 他に家族の方は?」
 ミリスは首を振った。
 「ずっと一人で住んでる。親はずっと前、もう何年も前に死んだわ。その前も三人で暮らしてた」
 感傷はなく、ただ事実を述べただけのような言い方だった。メスリーは、そう、と言ったあと言葉に詰まり、質問を変えた。
 「あれはあなたの家ね」
 人指し指を建物に向ける。ミリスは頷いた。
 「ちょっと見せてほしいんだけど、いいかしら」
 ミリスは俯いて、そのまま黙り込んだ。
 「私達、色々と廻って調査をしているの。昔の資料に、ここに軍の研究所があったと載ってたから調べにきたのよ」
 ミリスは沈黙したままだったが、やがて、いいわ、と答えた。
 「滅多に降りないんだけど、地下にも行けるの」
 そういうとミリスは屈んで膝をつき、落とした玉蜀黍を拾い出した。
 メスリーはクリエとエディのほうを向いて微笑んだ。
 エディは視線をミリスに向け、あ、と驚いて、また顔を背けた。屈んだミリスの襟元が大きく垂れ、その奥の胸の白く美しい膨らみの全貌が、先端まではっきりと見えていた。
 エディの反応に半ば呆れながら、メスリーはミリスに目を向けた。ミリスは両肩に玉蜀黍を担ぎ一度踵を上げて、大きく身体を揺らした。その反動で胸が上下に小さく揺れる。
 こういうところで一人で暮らしているせいもあるだろうが、まだまだあどけない少女にメスリー何ともいえない好感を持った。
 もう少しすれば女としての自分を意識し始めるのだろう。この少女の成長した姿を想像し、自然と笑みが浮かんだ。
 「着いてきて」とミリスはぶっきらぼうに言った。

 建物は病院のような造りになっていた。
 玄関から、既に砕けてしまっている大きなガラス扉を二度潜ると、小さめのロビーに来る。廊下が奥に続き、左右に部屋が二つずつ。壁は塗装がはげ落ち、見るかげもなく傷んでひび割れていた。廊下の奥には非常口と反対側に二階と地下へ続く階段があるが、二階以上は完全に崩壊しており、下から見上げると青空が覗いた。
 非常口の外は瓦礫の山となっており発電用の大きな機械が鈍い作動音を立てていた。その横で同じように音を立てている小型の四角い鉄の箱は地下水を組み上げるポンプだった。
 ミリスは一階の一室を住居としていた。パイプのベッドや生活用機具が揃えられており、隅には缶詰が溢れるほど入った木箱やパイプを組み合わせた洋服掛けが置いてある。
 キッチンの横の奥の扉は壊れて閉まらなくなっているが、その先にはカーテンが掛かり、バスタブとシャワーが見える。
 ちぐはぐな造りから何も無い部屋を改装したものであることが伺えた。
 確かにそこは生活空間として機能していたが、以前の様子が判るものは一つもなかった。他の三つの部屋も、使われずに埃が積もっているものの、構造は似たようなものだった。
 地下へと降りたメスリーは、外観に比べて遥かに状態を保っていることに驚いた。やはり軍関係の研究施設だったのだろうか、建築の知識がほとんどないメスリーにも見て判るほどの耐震、耐ショック構造を持っていた。地下三階、四階は完全に独立した区画になっていて、NBC防護すら成されているようだった。それは、この研究所が機能していた時は、完全に隔離された極秘の区画であったに違いない。
 だが、メスリーは本格的な調査に入る前には既に失望を感じていた。確かに大層な設備だったが、肝心の機器類はすべて破壊されていた。それは明らかに人為的に行われた形跡があった。
 ぐるりと見て回った後、クリエが文句をいった。
 「こんなとこから、何を調べろっていうのさ」
 確かにコンピュータの端末は遥か以前に作動不能となっていた。モニター類はすべて叩き割られ、操作盤はボタン一つ押させないよう潰されている。多くの機器が基盤から砕かれていた。
 「念の入ったことだな」
 クリエが呟いた。確かにその状況は完璧と言えるほど破壊されていた。それ故に、ここが何か特殊な、しかも重大な研究を行っていたのではという疑問を持った。
 当時としては最新の機器と技術をもった研究者がいたのだろう。現在でも通用する医療機器や研究機器も沢山あった。それでいて、資料となりうる書類一枚、メモ一切れすら見つからなかった。
 調査は実に呆気なく終了した。実際、三人で手分けしてもそれは二時間ほどしか掛からなかった。
 そこに置いてある機器から察すると、医療関係の研究所のようであった。軍の施設かどうかは、そこからは伺えないが、メスリーにはまるで未知のものだった。自分達に直接関係があるようには思えない。となると、この研究施設の調査命令そのものが不思議に思える。これはメスリー達の任務とは別方面から発せられたのだ。一体ここからどんなことが知りたかったのだろう。
 メスリーが地下を廻っている間、そこにミリスの姿はなかった。メスリー達が戻った時には、自室で古びた本をめくっていた。そういった本は部屋の中に沢山あった。街でよく見かける週刊誌も置いてあった。表紙はボロボロで種類も日付もちぐはぐだった。
 ミリスはメスリーの姿を見つけると顔を上げ、どうだった? と聞いた。
 「特に目を引くものは無かったわ。あなたは何か知らない?」
 だが、ミリスは首を振るだけだった。
 「親が生きている時から、下に降りちゃいけないと言われてた」
 「私達の他に誰か訪ねて来るようなことはあった?」
 これにも首を振った。
 「ここに誰か来るようなことは無かった。街にもほとんど行かないし、親からは人とは親しくするなと言われていた」
 ミリスの言葉に、こんな場所で隠遁生活を送らねばならなかったミリスの両親達のことを考えた。何が彼らを追い込んだのだろう。何故彼らはそんなに敵愾心を持っていたのだろう。
 メスリーは好奇心に駆られて聞いてみた。
 「あなた学校は?」
 「いってない」
 ミリスは一蹴した。声の調子は変わらなかった。何の感想も持っていないといった感じだった。
 「読み書きは両親に教えてもらったし、本も色々と読んだ。街でもそれで充分だわ」
 ミリスは言った。
 戦争孤児なのだろうか。コロニー軍とは休戦していても、各地で反地球連邦組織との抗戦は続いている。都市部でもスラムではストリート・チルドレンが溢れ、ミリス程の少女が売春や犯罪に関わっていることも知っている。
 もっとも、そういう者達と比べるとミリスは随分違っていた。たった一人で働いてその生活を頑に守る姿に大きな意志のようなものを感じたからだ。明らかにメスリーが見聞きした子供達とは一線を画していた。
 しかし、ミリスの詳しいことについては立ち入らなかった。そんな権利はない、ということは判っていたからだ。
 メスリーは時計に目をやった。このままグラーネに帰還すれば、昼を大きく過ぎる。
 「ねぇ、食料を分けてくれない? ここで収穫できる野菜なんかを。言い値で買うから」
 「それはいいけど。それよりも街に行ったほうがいいんじゃない? ロディマーならすぐ近くだわ」
 メスリーは首を振った。
 「昨日、ここに来る前に寄ってきたわ。散々だった。判るでしょう」
 補給のため立ち寄ったものの、軍人というだけで煙たがられ、相手にもされなかった。ゴタゴタを避けたいことは判る。せめて食料でもとエディが私服で街に出たが、売っているものは缶詰やら質の悪い合成品ばかりで、結局何も買わずに帰ってしまった。
 「なるほど。でも、お札は駄目よ。まえに価値が下がって酷い目にあったわ。それより、ここまで歩いて来たってことは無いんでしょう? だったら何か、使えそうな機械とか部品は無い?」
 メスリー達は顔を見合わせた。
 街では露天が目についた。物々交換をしている姿も見たことがある。今の地方の街では紙幣よりも貨幣が、それよりも機器や部品類が確実なのだろう。特に機械類は日常品からモビルスーツのパーツまで、雑多なものが並べられてあるのを見た。
 「別にいいわよ。グラーネというモビルスーツの輸送機が待機しているの。その中から必要なものを好きに持っていってくれていいわ」
 「なら、決まり」
 ミリスは立ち上がると、三人に着いて来るよう促した。
 「曹長、これでちょっとはましな物が食べられますかね」
 「そうだな」
 エディとクリエが互いを見て笑った。メスリーは二人を見ていたが、さあ、と促してミリスの後を追った。ミリスはシャツの上にノースリーブのジャケットを羽織って、帽子を被った。どちらも古い軍用品のようだった。
 「表の車に必要なだけ詰め込んで」
 ミリスの言葉に、三人が頷いた。

 四人は置いてあったジープで崖の谷間を縫うように走っていた。
 「こんなところから抜けられるなんてね」
 クリエが感心していった。
 「いくら何でも、歩いて街までは行けないでしょう」
 ミリスが答える。そりゃそうだ、とクリエは笑った。
 ジープは二人乗りだったが、木箱六つに目一杯野菜を積んで、メスリーとエディがそれと一緒に荷台に乗った。
 運転はミリスがしていた。シートをいちばん手前までスライドさせても、運転席もハンドルもミリスには明らかにオーバースケールだった。
 だが、運転そのものに不安は無かった。余程なれているのだろう。実際、車がないとこんなところでは基本的な生活すら送れない。
 メスリーは改めてミリスのことを考えたが、あの廃墟で電気も起こしていたし、ジープも動くようメンテナンスされている。畑を耕し、生活の糧を得ることも出来る。両親から受け継いで来たのだろうが、その逞しさには感嘆する思いだった。
 ミリスのいた谷間から抜ける道は南に向かって伸びている。メスリー達が入ってきた方角からは丁度反対側だった。よくあんな裂け目を通ってきたとミリスは呆れていた。確かに落石などは無かったが、人ひとり分の道が延々と続き、本当に抜けられるかどうかも判らず、不安この上なかったことは確かだった。
 谷間から抜けると街までは広い砂漠になっている。ミリスはハンドルを切って、断崖を西側に迂回しながら北へと向かった。
 四人は言葉を交わすことなく進んだ。砂漠とはいっても平坦な場所はほとんど無く、大きな岩があちこちで進路を塞ぎ、さらに小さな岩石がジープを上下に揺すった。荷台のメスリーとエディはもとより、シートのミリスとクリエも話をするどころではなかった。
 二時間近く走らせて、ようやく遠目にかつて見た場所まで辿り着いた。大地は幾分、平らになっている。
 「あそこよ」
 メスリーが指差した。
 「あの庇になっているところにグラーネがあるの」
 そこは渓谷への北側の入り口で、崖の麓が大きくえぐられている。なるほど、そこに横付けすれば、かなり大きな輸送機も隠せそうだった。
 近づくにつれ、そこに止まっている巨大な鉄の固まりが目に入った。正確にはその装甲が何で出来ているのかは判らなかったが、明らかに巨大な装甲車であることは理解できた。
 ミリスは、赤茶けた不毛の大地にひときわ鮮やかな黄色の巨体の脇にジープを停めた。
 エディが荷台から飛び下りたが、よろめいて地面に突っ伏した。クリエも腰を抑えて、シートから這い出る形になった。メスリーはゆっくりと大地に足をつけた。
 ミリスは興味深げにグラーネを見上げた。それは巨大な亀に似ている。高さは三十メートル、全長は六十メートルはありそうだ。下部には足にあたる部分が四方に出ている。全体は六角形をしているのだろう。一辺はブリッジらしき正面と左右にガラス窓が並んだ突出部分があり、残りの五辺はおそらくモビルスーツ用だろうハッチになっていた。それはまさに移動基地というものだった。側面には大きく連邦軍のマークと部隊名、2という数字が示されていた。
 そのグラーネの側面下、人間用の扉が開いて、一人の女性が姿を現わした。腰まであるストレートの金髪が美しい、細身の体に上は黒のTシャツ、下は迷彩のズボンにブーツといったいでたちだった。連邦軍の制服とは異なっていた。見た目は十代後半といったところだろうか。彼女はメスリーに駆け寄った。
 「お疲れさまです」
 女性は幼さを感じさせる、ちょっと鼻にかかった声で言った。クリエとエディも近づいた。特にエディは急に元気になり、彼女の元に走っていった。
 「みなさん、お疲れさま。あらっ」
 彼女がミリスに気づいた。そして微笑みかける。ミリスは頭を下げた。
 「彼女はミリス・ヤワ。調査地で会ってね。食料を譲ってもらったの。荷物を引き取ったら、グラーネの中を案内してあげて」
 女性はミリスに近づくと手を差し伸べた。
 「わたしはアリア・マドセンよ。よろしくね。ミリス」
 ミリスは頷いて握手を交わした。その手はミリスとさほど変わらないほど小さく細かった。
 「じゃあ、モビルスーツ用のハッチを開くから、そこから車を入れてくれる?」
 アリアは駆け出してグラーネの中へ消えて行った。ミリスは車を降りてメスリーの横に立った。
 メスリー達は各々が腰に手を当てて伸びをしたり、腰椎あたりを叩いたりしていた。
 ガクンとグラーネの巨体が揺れ、ウインチの音を響かせながら、一番手前のハッチが開き始めた。巨大な扉は上下に分かれていた。短い上部はすぐに開いたが、スロープとなる下部は降りて来るまで随分と時間がかかっていた。
 扉が降りるにつれ、グラーネの内部が見て取れるようになった。その内部に白い人型の巨人の姿を見つけた。胸に当たる部分は紺色、横腹は深い赤で塗装されていた。
 ようやく見え始めた頭部は兜に似て、額には左右上方に伸びる尖った飾りが付いている。二つの瞳は暗闇の中でもキラリと光っているように見えた。
 メスリーはミリスの様子がおかしいことに気づいた。彼女は祈るように両手を合わせて胸の前に置いていた。こわばった表情を見せて、口元は扉と呼応するかのように開いていった。
 「ガンダム? ガンダムだわ」
 ミリスはすっかり姿を現わした白いモビルスーツに向かって叫んだ。そして、そのまま駆け出した。メスリー達はお互い顔を見合わせた。
 ミリスはスロープを駆け上がり、モビルスーツの足下まで行くと、全身をなめるように眺めた。
 メスリー達はミリスを追ってグラーネに上がった。
 「あんたさぁ、何でこいつの名前知ってるの?」
 クリエが背中越しにミリスに聞いた。ミリスは振り返って不思議そうな顔でメスリー達を見た。その姿は明らかにうろたえていた。
 「何でって、えっと、その、頭に浮かんだの」
 クリエは怪訝そうにミリスを眺めていた。
 エディも訳が判らずにいるようだった。ミリスとクリエを交互に見ている。
 メスリーは歩み寄ると聞いた。
 「確かにこれは、ガンダムと呼ばれるモビルスーツ。でも、ガンダムを知っている人間は連邦軍にも余りいないわ。何故、あなたがそれを知っているのかしら?」
 「判らないわ。モビルスーツなんてほとんど見たこともないのに、これは何故か知っているの。わたしにもそれがどうしてだか。あれ?」
 ミリスはグラーネの奥に更にガンダムの姿を見つけた。ハンガーと呼ばれる整備台に斜めに寝かされている。ガンダムの背中にある、推力を得るスラスターの基部となる、ランドセルと呼ばれる部位に接続し固定されている。
 ガンダムは全部で四機あった。ハンガーは五つあったが、その内の一つにはガンダムの姿は無かった。そのかわり床に部品が山のように積まれていた。明らかにスクラップと判る形の歪んだものも混じっていた。
 「違うわ」
 ミリスは言った。
 「ガンダムと違う? 見た目はガンダムなのに、違うの?」
 「どうしたの?」
 メスリーはミリスの肩に手を乗せた。一瞬体を硬直させ、ミリスは振り向いた。
 「あなたの言ったとおり、これはガンダムよ。何が違うの?」
 だが、それに対する答えは無かった。ミリス自身も困惑しているようだった。きっと感じたままを口に出したのだろう。それが何かはメスリーには想像も付かなかった。ミリスはハンガーに眠るガンダムを見つめていた。

 メスリーは、グラーネのブリッジとは別の、内部に設けられた小さな通信室に入った。
 閉め切られた部屋の中は、ボタンが発する僅かなライトとモニターの青白い光にだけ照らされていた。
 奥は三面鏡のように並んだモニターとそれを作動させる通信機器、ドアに近い壁には資料が詰め込まれたロッカーが低い天井まで伸びていた。モニターの前には椅子が一つ備えつけられている。人が一人はいれば、もう動けるスペースは無かった。ここはブリッジで使用する回線とは別に、極秘の通信を行うことが出来る設備を持っている。作戦の指令書や極秘の資料もあり、万が一の場合、真っ先に処分される部屋だった。現在、メスリーだけが使用できる部屋だ。
 「では、研究所には何も無かったのね」
 モニターに映っている女性は、白衣を羽織り、髪は刈り込んだ金色だ。その姿はノイズに歪んでいたが、声ははっきりと聞き取れた。  「はい。ずっと以前に人為的に破壊され、あとは荒れるに任せていたという感じです。少女以外の人間が侵入した形跡も見られませんでした」  「その少女のことなんだけど」
 女性は手元の資料をめくった。A4サイズの紙束だった。内容はともかく、その分厚さだけは確認できた。うーんと唸りながら、唇と尖らせ、人指し指を顎につける。癖なのだろう。メスリーは女性がその仕草をするのをよく見たことがあった。
 「ヤワ、ヤワねぇ」
 「本人はミリス・ヤワと名乗っています」
 女性は資料を置くと聞いた。
 「その子はひと目見てガンダムだと言ったのね?」
 メスリーは頷いた。
 「会ってみたいわね。連れてきてほしいわ。出来れば、他のことよりも優先して」
 女性はひどく興味を持ったようだ。その姿を見てメスリーはむっとした。
 「あの廃墟は何なんですか? 作戦行動を中断してまで調査の必要があったんですか? 今度はそこに住んでいる子供に会いたいだなんて。これは軍の意図とは別なところにあるのではないんですか? 博士は何を期待しているのです?」
 メスリーは一気にまくし立てた。
 モニターのノイズが激しくなってきた。輪郭の歪みは全く安定しなくなった。
 「確かに研究所の調査は個人的なお願いよ。軍には秘密だけど。ブレナン大佐に報告する?」
 ジェイムズ・ブレナン大佐はメスリーが所属する地球連邦軍のオーストラリア・ケアンズ基地の司令官で、メスリー達の直属の上司だった。連邦軍の戦力増強のためガンダムに関心を寄せているたたき上げの軍人である。ケアンズ基地は数少ない大気圏を突破出来るシャトルが存在した基地だった。イルジニフ博士をヴァルハラに向かわせたのは、ブレナン大佐の独自の判断によるものだった。
 「必要があれば報告します。基地の人間には、博士がコロニー軍側に寝返ったと噂している者もいます。この調査を承諾したのはガンダム引き渡しへの報恩と思ってです。しかし、博士が連邦軍の意志から大きく逸脱すれば、自分は必要な手段を行使しなければなりません」
 お堅いのねぇ、とイルジニフは言った。笑っているのかどうかはノイズのせいで判らなかった。
 「まだ帰還しないの?」
 「帰還命令は受けておりません。ジェニューイン追撃を続行します」
 「基地との連絡は取れないんでしょう? だいたい、襲撃されて壊滅じゃない。一度帰還するべきよ」
 壊滅、という言葉に腹が立った。自然と声は強くなった。
 「ブレナン大佐からは、ジェニューイン追撃を厳命されています」
 「基地司令のブレナン大佐じゃ、末端の状況なんて解らないでしょう? そんな状態じゃ無理よ」
 音声に不明な雑音が混ざり始めた。強い風のような音が吹き始めていた。
 「パイロットは三名います。ガンダムも四機が常に戦闘可能な状態にしてあります。命令がある以上、たとえ自分一人になっても、生身でも任務は果たします」
 強い調子でメスリーが断言する。モニターの荒れは益々酷くなり、ついにその姿も判別ができなくなった。
 「そう。でも、気をつけてね」
 とうとう音声も聞き取れなくなった。嵐のような激しい音を立て始めた。
 念のためもう一度、連邦軍基地の司令部との連絡を試みようとしたが、相変わらずモニターの表示も、スピーカーから流れる音もノイズだけだった。毎日、何度も同じことを繰り返しているが、繋がったことは無かった。
 基地が無線を封鎖しているのかとも思ったが、考えられなかった。当然、通信機の故障ではない。基地に何かあったのか? だが、命令を放棄して帰還するわけはいかない。
 メスリーは通信機のスイッチを切った。
 イルジニフ博士は何を目論んでいるのだろう。
 メスリーは椅子の背もたれに身体を預けた。明かりの全て消えた狭い通信室には、熱を持った機械の匂いと圧迫感、そして疑問に満たされていた。
 イルジニフ博士はガンダム、そしてヴァルハラの発見者であった。ヴァルハラは月とは地球をはさんで反対側のラグランジュ3・ポイントで発見された。ここはかつてスペースコロニーがあったサイドと呼ばれる宙域であったが、今では破棄されたコロニーや戦争によって破壊された宇宙船、モビルスーツの墓場となっていた。本来は全て再生されるはずであったが、あまりの量にそれが間に合わず、投棄されたままとなっているのだ。
 その破壊されたコロニーの内部にヴァルハラは隠されていた。
 ヴァルハラはモビルスーツの研究開発のための自動航行型研究施設だった。
 コロニー軍との戦いのどさくさで、行方不明となっていたものだ。
 イルジニフ博士が当時の資料をもとにその位置を特定した。外装に傷みはあるものの、機能は失っておらず、そこにあるべきもの、新型のガンダムタイプのモビルスーツも発見された。コロニー軍と休戦してから二十年が経過していた。
 地球では大気圏を突破できるシャトルやロケットはほとんどが失われていた。連邦軍の数少ないシャトルで、イルジニフ博士はヴァルハラに向いガンダムの整備を行った。メスリーはパイロット候補達とヴァルハラへと上がり、三ヶ月ほどの訓練を経て、ガンダムを受領したのである。そして使用可能な十機を揚陸輸送機グラーネ二機に積み込んで、地上へと降下させた。
 イルジニフ博士としばらく過ごした時に感じたのは、彼女が誠実な人間であるということだった。
 少なくともメスリーの感じる限り、博士が連邦軍を裏切ったり、何か裏工作を画策するような人物とは思えない。彼女が数十人の仲間を引き連れてヴァルハラに向い、ガンダム二十二機を連邦軍の戦力として確保できたことは大きいことだ。ヴァルハラに閉じこもってガンダムの研究に没頭する彼女は、いつの間にか悪い噂の対象となるようになった。だが、そんな人間に対してメスリーは嫌悪感を持っていた。
 しかし、研究者と呼ばれる多くの人間がそうであるように、イルジニフ博士もまた、軍よりも研究者としての興味を優先しかねない人間であることも承知していた。
 判らないことが多すぎる。どうしてこうも皆、自分の好き勝手をするのだろう。そのため振り回されている自分達は何なのだ。
 メスリーは自分が軍人だということは認識していたし、命令が絶対だということも知っている。理不尽な命令でも遂行する覚悟もあるし、批判めいたことを表立って口にするほど稚拙でもなかった。
 だが、それは自分が理解し、納得した上でのことだ。命令とあれば必要悪として割り切ることは出来る。だが、隠し事があれば、任務遂行に自身が持てないのは当然のことだ。
 「カーゾン少佐」
 声に出して言ってみる。その響きに胸が騒めいた。あの人は何故、連邦軍を裏切ったのだろう。どんな目的があるのだろう。今度再び相対したら、自分はどうすればいいのだろうか。そんなことを考えた時、ふと自分が弱気になっていることを発見する。メスリーは首を振った。今の自分の任務はひとつしかない。逃亡したヴィルヘルム・カーゾン少佐を逮捕し、盗まれたモビルスーツを奪還あるいは破壊することだ。連邦軍にとって実害がなければ、イルジニフ博士の小間使いもしよう。だが、あくまで自分の目的はカーゾン少佐以外にない。今度彼と出会った時、彼の真意の一端でも知る事が出来るだろうか。
 メスリーは目を閉じた。その時、ドアをノックする音が響いた。
 「メスリーさん、食事を用意しました。下へどうぞ」
 アリアの声だった。ああ、と返事をする。彼女の足音が遠ざかるのを感じた。メスリーは立ち上がった。
 命令はまだ生きている。必ずカーゾン少佐を連れ帰る。そう心の中で繰り返し、通信室を後にした。

 グラーネに戻った三人は、それぞれ自分の仕事を果たすべく別れた。クリエとエディは食料を厨房へと運んだ後、ガンダムの整備を行なっていた。アリアはミリスを連れてグラーネを色々と回ったあと、食事を作るからとミリスを一人残していった。
 ミリスは帰宅の機会を逸してしまったことを後悔していた。
 それもこれも、あのガンダムを目にしてしまったことにある。
 何故、わたしはガンダムを知っているのだろうか。ガンダムを見て込み上げるこの気持ちは何なのだろう。
 強いて言うなら、ずっと失っていたものが突然目の前に現れて、当時の記憶を呼び覚まされるようなものだろうか。
 いや、それよりもっと大きなものだ。例えば、もう当の昔に死んでしまった両親と再会すれば、こんな気持ちになるだろうか。
 だが、今のミリスにはそれに対する答えなど出せようはずもなかった。
 あれこれと考えながら、ガンダムの周囲を回ってその姿をずっと眺めていた。
 食事を一緒に、と言われたとき、ふと、もうこのまま帰ろうかと思った。だが、口を着いて出た言葉は、ええ、という肯定だった。
 軍人の側にいるとろくな事は無い、という考えはずっとあったが、逆に彼女らともう少し一緒にいたい、という想いもあった。
 悪い人間には見えないし、何より、ミリスにとっては初めて親しくした人間であるのだ。
 他人と食事を共にするというのも初めてである。
 だからこそ、帰りの足が鈍ってしまったのだ。
 しかし、食事の用意を待つ数十分の間はやはり不安が大きくなっていった。
 食事はアリアが作っていた。厨房はグラーネの二階のブリッジへと続く階段の脇にあった。階段を挟んだ正面の通路はモビルスーツ格納庫へと続く。ブリッジには登らないようにとメスリーに厳命されていたし、興味も無かったので近づかなかった。
 アリアは話し方や姿を見ている限り、軍人とは思えなかった。実際、ブリッジへの出入りはしているものの、整備に加わることもなく、ほとんどが雑用と呼べるようなことをしていた。直ぐに知ったことだが、アリアは十代後半だと思っていたが、実際には二十四歳だった。軍人じゃない、と本人は言った。どことなく、いつも怯えているような雰囲気があった。体調が悪いのか、時々、胸や腹に手を当てて顔をしかめることがあった。
 エディの態度にも気が付いた。整備が終わると直ぐにぼうっと座り込んで、時々見えるアリアの姿に視線を送っている。アリアと目が合うと時々笑ってみせたり、手を振ったりするが、直ぐに溜め息をついて俯いた。
 クリエは、
 「まぁ、一目惚れってやつさ。こればっかりは自分で何とかしなきゃね」
 と言ってウインクしてみせた。どちらかというと、クリエは二人の仲を取り持とうとしているように見えた。
 メスリーは、直ぐにグラーネの奥へと消えてしまった。一番軍人らしい軍人といえるのだろうが、今までイメージしていた規則ずくめの堅い人間というものとは随分と違う。良い人間だということもすぐに判った。でも言葉の端々に軍人特有の堅さを感じることもあった。
 厨房のすぐ奥に食堂があった。長机が三つとそれぞれに折り畳み椅子が左右に四つずつ。同時に二十人以上が食事出来ることになるが、グラーネには四人の他に人間を見かけない。
 食堂に全員が集まった。やはりグラーネにはメスリー達四人しか乗っていなかった。
 それにミリスを含めた五人は、それぞれ厨房に一番近いテーブルに着いた。食堂中に、減ったお腹を刺激する良い匂いが漂っていた。
 アリアはテーブルの隅にスープの入った大きな鍋を置くと、それぞれに料理を乗せたトレーを配った。
 それを見てミリスは驚いた。軍人の食事は栄養重視の固形食か、せいぜい缶詰や塩漬けの細切れを調理したものだろうと思っていたが、出されたトレーには見た目よく調理された数種類の料理が乗っていた。
 肉も大きな固まりのまま出された。ミリスの野菜も瑞々しい青色を浮かべていた。
 それは家で取る食事よりも、はるかに豪華だった。
 「お客さまがいるから、これでも結構腕を振るったのよ」
 アリアはそういって微笑んだ。
 食事が始まった。味は申し分無かった。最初は黙々と料理を口に運んでいたが、しばらくするとクリエが口火を切って、たわいないおしゃべりが始まった。
 内容はミリスの気を引くものでは無かった。タイミングを見計らって、ミリスは彼女らのことを訪ねた。
 「私達は」
 それに答えたのはメスリーだった。
 「連邦軍から脱走したモビルスーツを追って来たの。でも途中で襲撃されてね。もう一機のグラーネとガンダムを六機も失った。それよりも一番の損失はメカニックマンやパイロット達ね。残念だわ」
 「それでたったの四人しかいないのね」
 ミリスは納得した。
 「アリアは軍人じゃないわ。移動中に出会って同行を願ったの。雑用という言い方は失礼だと思うけど、私達はパイロットと簡単なメカニックしか出来ないのよ」
 アリアは目を伏せた。
 「住んでいた街を焼き出されたの。当てもなかったし、拾われていなければ、今頃行き倒れてたかも」
 アリアが呟くように言った。
 「戦争があったの?」
 ミリスの問いかけに首をふった。
 「軍服を着た男達がやってきて。接収だといって何もかも持って行ったわ。多くの人間が連れて行かれた。殺された人も沢山いる。気がつくとわたし一人になっていた」
 アリアは顔を背けた。声も震えていた。嫌な思い出だろうに、それを思い出させてしまってミリスは申し訳無く思った。彼女の怯えたような雰囲気も納得出来た。
 「でも、アリアさんがいてくれるお蔭で、僕らすごく助かってます。本当です」
 エディが慌ててアリアを慰める。アリアは微笑んだ。が、それはどこかもの悲しげだった。
 「きっと、ラスティアースのやつらだ。ひどいことしやがる」
エディはテーブルを叩いた。クリエが大きく頷く。
 「街では戦争になるっていってたわ。本当なの?」
 ミリスが聞いた。コロニー軍との戦争は休戦状態になってから二十年以上が経ている。ここオーストラリアは反地球連邦組織ラスティアースのゲリラ活動が活発だと聞くが、直接戦闘を見た事はなかった。
 戦争はミリスにとっても街の人間にとってもあまり実感のないことだったのである。それに、もうすぐ戦争が始まる、という話はそれこそ何年も前からずっと囁かれていることだった。
 「コロニー側のことは判りようもないけど、連邦軍が戦力増強を急いでいるのは確かね」
 メスリーが答えた。ミリスは一瞬迷ったが、質問のチャンスはこの時しかないと、思い切って訪ねた。
 「今度は誰と戦うの?」
 その質問の意味を理解してくれるか心配したが、それは杞憂だった。
 「宇宙人と戦うのか、ということね」
 クリエの言葉にミリスは頷いた。一瞬、笑いだすのではと思ったが、意外と皆渋い顔で沈黙した。
 街ではよく、宇宙人を見た、という話を聞いた。スペースコロニーで暮らす人々、つまりスペースノイドのことを宇宙人と揶揄していたことがあったが、そうではないらしい。
 実際、連邦軍に属さない飛行物体が何度も目撃されている。
 もちろん、軍の秘密兵器だという可能性もあるし、現在ではラスティアースでも独自のモビルスーツが製造されているぐらいだから、本当のところはよく判らない。
 ミリスは、軍人に直接聞けばその辺りのことが判ると思ったのだ。
 「宇宙人って、コロニーに住む人達のことでしょ。コロニーの人達との戦争が始まるって、ずっと前から言われてるよね。それよりも今はラスティアースのほうが心配じゃない?」
 アリアは全員に向かって言った。しばらく誰も答えなかったが、エディがようやく口を開いた。
 「あれは、コロニー軍のものじゃなかったよな」
 「見たことがあるの?」
 ミリスが聞いた。
 「僕らが追っているモビルスーツを迎えに来たんだ、そいつら。黒い平べったいブーメランみたいなやつでさ。空に浮かんでたんだ。あんなの見たことがない。データも無かった」
 「宇宙人か、本当にいるのかしら」
 口を尖らせて呟く。そのアリアの言葉をメスリーが制した。
 「スペースノイドの中に、コロニー軍とは別の組織があるのは間違いないみたい。それを宇宙人と呼ぶかどうかは、主観の違いでしょうね。私達はあれこれ言う立場にはないけどね」
 「月のやつらじゃないのか?」
 クリエが言ったが、それには誰も同意しなかった。
 「月は独立してからは中立を決め込んでいる。コロニー側はともかく、地球側との接触はないはずだ」
 メスリーの言葉にクリエは納得した。
 「じゃ、やっぱ、第三の、いや第四のか? 組織があるってことだな。秘密結社とか」
 「巷で言う、宇宙人ってほうがいい気がしますね」
 エディがそこまで言った時。
 突然警報が鳴り響いた。
 全員が驚いて立ち上がった。
 「宇宙人?」
 「まさか」
 アリアとエディは顔を見合わせた。
 メスリー、クリエ、アリアの三人はブリッジへと駆け上がっていった。
 ミリスの鼓動が高鳴った。どうすればいいか判らず、食堂を出て格納庫に向かった。そこに置いてあった自分のジープを見つける。シートに座るが、エンジンはかけなかった。代わりにジープに備えつけの通信機をオンにする。元は軍用のジープだ。メスリー達が使うチャンネルも聞いてある。
 エディはガンダムに乗り込んだ。格納庫にメスリーとクリエが走り込んできた。
 「ラスティアースだ。トボガン輸送機が一機とモビルスーツ・ヴェルジンが三機。既に展開している。ミノフスキー粒子を戦闘濃度まで散布。出るぞ」
 ヘルメットを被ったメスリーが、それに内蔵されたマイクに向かって叫ぶ。通信機からその声が聞こえた。
 「スカート付きか、やっかいだな」
 クリエがガンダムに乗り込む。メスリーも昇降機に登った。
 「ミリス、あなたはグラーネの中にいなさい。ここなら安全よ」
 メスリーはそう言ってガンダムに乗り込んだ。機体が唸りを上げて起動する。システムは直ぐに立ち上がった。
 ハンガーのロックが解除される。メスリーを先頭に三機のガンダムがゆっくりと歩き出した。
 「ミリス、こっちへ。ブリッジに上がりなさい」
 扉から顔を出したアリアが叫んだ。大きく手招きをする。
 ミリスはジープを降ると、アリアと二人で階段を駆け登り、ブリッジに入った。
 中は思ったよりも広い。中央にはキャプテンシートが、前方には操縦席を含めたシートが五つほど並んでいる。
 ブリッジから見える景色は、左側に岩壁が迫っているが、前方と右側はひらけている。大地は荒れたまま果てまで続いている。岩山があちこちで顔を覗かせているが、視界を遮る程ではなかった。そのずっと向こうで、砂ぼこりが見えた。
 「あれがそうなんじゃない?」
 「あなたは坐ってなさい」
 体を乗り出すミリスを制して、アリアは通信機のシートに座った。
 「はい、判ります。彼女はここに居させます」
 グラーネが揺れた。ブリッジの直ぐ脇を三機のガンダムが通過する。三機は距離を取りながら、敵に向かって走り出した。
 ミリスは空いているシートに腰掛けた。そして外を眺める。心臓が激しく鳴り始め、胸に手を当てた。
 永い沈黙が続く。通信機からは絶えずノイズが流れていた。ミノフスキー粒子の濃度が上昇している。もう通信は出来ない。
 あっとミリスが叫んだ。その脇にアリアが駆け寄った。二人の視線の先に煙が昇っていた。
 ガンダムは数百メートル先で、こちらに背中を向けていた。
 二つ、三つ。ガンダムの周囲で閃光が起こり地面が爆発する。あちこちで土煙が舞い上がった。
 ガンダムから光が伸びる。ビーム・ライフルの攻撃だ。それは地平の彼方に着弾するが、敵に被害を与えているようには見えない。
 すぐ近くで立て続けに幾つもの爆発が起こる。メスリー達は圧倒的に押されているようだ。
 アリアがレーダーの前に立つ。ミノフスキー干渉波は新たなモビルスーツの機影を捉えていた。
 「メスリーに連絡したほうがいいんじゃない?」
 「向こうも気付いているはずよ。それに」
 通信機はずっと雑音ばかり鳴らしている。ミノフスキー粒子とECMによって通信は妨害されているのだ。
 やがて、爆発がゆっくりと後退し始めた。レーダーが、敵が二機、こちらに向かっていることを告げた。
 砂ぼこりが大きくなり、その姿が見え始める。カーキ色の丸みの帯びたボディだった。腰の装甲がスカートのように広がっており、地面の数メートル上をホバー移動している。
 やっかいだといった意味が判った。ガンダムと同じくらいの高さがあり、横幅はそれよりも遥かに大きい。見た目は鈍重そうだが、移動スピードは早い。二本足で走っているわけではないからだ。
 「アリア、早く逃げないと!」
 だが、アリアは首を振った。
 「だめよ。わたしにはグラーネは動かせない」
 グラーネが大きく揺れた。その反動で危うくシートから落ちそうになる。ブリッジ全体に赤い警告灯が点灯した。警報が鳴り、被弾箇所を知らせるデータがモニターに表示される。
 爆音が響き、またグラーネが揺れた。ミリスは立ち上がると、駆け出した。
 「ミリス!」
 アリアが叫んだ。ミリスは振り返ると言った。
 「ここじゃ駄目。下に降りるわ」
 アリアが何か言おうとしたとき、また激しくグラーネが揺れた。 それによろめいたアリアは、ミリスに従って、共に下の格納庫へと向かった。
 激しい振動が何度も起こる。彼女達が格納庫に入った時、ハッチの上部が爆風と共に弾け飛んだ。そこから煙が入って来る。
 付近が続けて爆発し、扉が大きく歪んだ。
 その隙間から炎が飛び込み、床で破裂した。突風が巻き起こり、熱い風の固まりがミリスとアリアを襲った。
 アリアが悲鳴を上げ、両耳を塞いでうずくまる。周囲に煙と異臭が充満した。
 駄目だ、こんなところにいたら死んでしまう。ミリスは左右を見渡した。身を寄せられるようなところはない。グラーネそのものが危険だ。
 アリアはずっとうずくまって震えている。ミリスはアリアの身体を揺すった。
 「早くグラーネから逃げよう」
 だが、アリアはただ震えて顔を伏せているだけで、動こうとはしなかった。
 こんなところで襲われるなんて。死ぬのは嫌! どうしてわたしが戦いに巻き込まれるの? これも軍人と一緒にいたからだわ。
 その時。
 ミリスの眼にガンダムの姿が映った。ゆっくりと対流する煙の奥から、その形がはっきりと現れる。
 ミリスの心に唐突にある感覚が芽生えた。あれがあれば助かる。それは差し迫る恐怖を払いのけるほど、ミリスの心を大きく掴んだ。
 ミリスは駆け出した。そしてハンガーまで来ると昇降機に飛び乗る。適当にボタンを押すと、昇降機は大きく揺れてミリスを上に運んだ。
 その様子に気付いたアリアが、慌てて駆け寄って来る。ミリスが何をしようとしているのか、すぐに気付いた。
 「お止めなさい! あなたには無理よ!」
 「何もせずに死ぬのは嫌!」
 ミリスは叫んだ。攻撃が連続的に加えられる。それがグラーネ全体を揺るがした。
 コクピット・ハッチを開けるとその中に滑り込む。
 アストライド・シートのロックはかかっていなかった。中に両脚を入れると、それに反応して身体を下降させる。それはミリスの首元まで降りた。
 身長の設定からしなければならないの? ミリスは苛立った。が、シートは自動的に最適な位置に調整された。
 計器類を目で追う。特に問題はない。イグニッションを入れるとともに、ドーム状のモニターが周囲を映す。甲高い独特の金属音がうなり始めた。モニターの一部に機体の状況が次々と表示され始める。
 ロック解除。ハンガーの拘束が解かれる。
 スタビライズド、ゴー・アヘッド。モニターにはガンダムの状態が全て良好であることが示された。ガンダムは完全に起動した。
 ミリスはハンガーの側に吊られた武器を見つけた。
 ビーム・ライフルと縦長の六角形をした盾だ。盾はガンダムの上半身を丸々隠すほどの大きさがある。その大きさはミリスに、慣性に振り回されるのではという不安を与えた。
 いや、専用の武器なら調整はされているはずだ。
 アーム・ボックスに突っ込んだ手を動かし、武器を掴もうとする。
 その時ミリスは不思議な感覚を感じた。ガンダムが勝手に動いているのである。
 一瞬考えてから、コンソール・パネルを叩いた。何処かにシステムの初期設定があるはずだ。表示を目で追いながら、それを探す。
 足下でアリアが両手を大きく振った。周囲の音で、声は聞こえなかった。
 「これから行きます。下がってください」
 ミリスの声はマイクを通して、格納庫内に広がった。アリアは諦めて壁のほうへと走り出した。
 突然、ハッチがこじ開けられた。大きな丸い指が扉の淵を掴んで曲げる。開けた口に巨大な人型のシルエットが現れた。丸い頭部の中心に真っ赤に光る目が一つ。右肩には巨大な筒状のものを構えている。モビルスーツ用のバズーカだった。
 ミリスはライフルと盾を手に取ると、モビルスーツに向かってダッシュする。
 そして、扉ごとモビルスーツに体当たりした。
 その付け根から弾け飛んだ扉は、一度大きく地面で跳ねてから転がった。モビルスーツは一歩後退してバランスを保つ。
 これが、ヴェルジン?
 一歩踏み込んで、ライフルを持つ右手を左から右に振るった。ライフルのグリップが狙い違わずヴェルジンのこめかみを直撃する。首から上が砕けて飛んだ。
 ヴェルジンは一瞬ふらついたが、直ぐに態勢を建て直し、バズーカを構える。モビルスーツは主なカメラやセンサー類を頭部に集中させているが、胴体にも簡易なシステムを持っているのだ。頭を失ってもまだ動くことができる。
 「てぇーい!」
 気合を入れて盾を握った左拳を突き上げる。盾の先端がバズーカの左手グリップの直ぐ前当たりに命中した。バズーカが中央でへの字に曲がる。間を置いて、バズーカ後端のマガジンが爆音を轟かせた。広がった炎がヴェルジンを包み込む。
 右腕を根こそぎ失ったヴェルジンはガクガクと大きく揺れながら両膝を付く。
 ミリスは六十ミリバルカンを発した。小刻みな排莢の音を立てて側頭部から弾丸が尾を引いて飛ぶ。
 約三秒間放たれた弾丸のほとんどを身体に受けたヴェルジンは、砕かれた装甲の隙間から煙を上げて、その場に突っ伏し動かなくなった。
 もう一機近くにいるはず。ミリスが敵を探そう顔を上げた瞬間、目の前に影が射した。
 上だ! 反射的にライフルを捨てて上体をよじると、同時に腰からビーム・サーベルを引き抜き、突き上げた。
 巨体がガンダムに向けて落下する。間一髪それを避けると、ヴェルジンは姿勢を変えずに、そのまま真正面から地面に激突した。
 敵は動かなかった。背中からビーム・サーベルの刃が突き出ていた。その光の刃は直ぐに消え失せ、周囲を溶解させた穿ちの奥底に、機械のショートによるスパークが光っていた。
 「や、やった」
 肩で息をしながら、口に出してそう言った。
 ふと、胸元に目を落とし、そして周囲を見回した。
 「これを、動かしてる」
 唐突に、自分のとった行動を実感した。
 はっきりと覚えているのはガンダムを見て強い確信を持ったこと、そしてコクピット・ハッチを開いて乗り込むまでだ。
 ガンダムの起動は、それが当たり前のように無意識に行い、敵を目にした後は、操縦するというよりミリス自身が動いているような一体感を感じた。
 アストライド・シートは感覚的、能動的な操縦感覚をパイロットに与える、モビルスーツ操縦のための特殊なコクピット・システムではあったが、ミリスの感じるものは、それとは全く別のものだった。脚の動きを特別意識しなくても、歩こうと思うと一歩踏み出すように、何か行動しようとすると、それに対する操縦を的確に行なうよう体が反応した。
 「ミリス、聞こえて? ミリス!」
 通信機からアリアの声がした。ミリスはグラーネに近づき、ブリッジを仰ぎ見た。
 ブリッジは大きくひしゃげ、焼け焦げた跡を幾つも残していた。側面のガラスは、そのほとんどがひび割れ白く濁っていた。
 そこに人影が見える。いつの間にかアリアがそこにいた。
 「ミリス、大丈夫?」
 「アリア、わたし、動かしてる。敵を、た、倒した」
 声が震えた。突き上げてくる高揚感を感じた。
 「大丈夫なの?」
 アリアがもう一度聞いた。はい、と返事をする。身体的な負傷については大丈夫といえる。だが、もっと別のところで自分の体に困惑した。
 「メスリーさん達が、大変なの。その、あなた、助けられて?」
 アリアが遠慮がちに聞いた。ミリスは、判った、と答え、ライフルを拾うと、ガンダムを戦場に向けた。
 火線は左右からひっきりなしに交差し、中央で幾つもの爆煙が立ちのぼった。地響きのような音が絶え間なく続いて聞こえた。
 敵に囲まれているのだ。距離は四千メートル近く離れていた。
 よし、と脚を踏み出そうとしたとき、ミリスはあの感覚を再び感じた。ガンダムが自分の意志とずれた挙動をするのである。
 あの時、自分は何をしようとしたのだろう? 記憶を辿りながら、指はコントロール・パネルからシステムの初期設定を呼び出した。その項目の中に、モーション・セットアップという項目を発見した。
 何故か確信を持って、その機能をオフにする。一瞬、ガンダムの力が消え失せたようにふらつくが、バランスを取った瞬間、違和感が消え、完全に一体になったという感覚を持った。
 「いくわ!」
 大声で叫ぶと、身体を前傾にする。ガンダムは背部のスラスターを全開にして、跳躍した。強烈な重力加速度がミリスの体を後方へと押しやった。
 猛スピードで地面が流れ去り、戦場が近づく。視界の中心に三機のガンダムが固まっているのが見えた。四方からの攻撃に、盾を構えて耐えている。身動きが取れないようだ。
 その千数百メートル手前でガンダムを着地させると、片膝をついてビーム・ライフルを構えた。そして、火線が飛んだ瞬間、その源に向けて発射した。
 着弾は確認出来なかった。さらに二発打ち込み、一気にメスリー達に近づいた。
 三機のガンダムは、突然のガンダムの登場に戸惑っていた。
 「誰が動かしているの?」
 メスリーの声がミリスの耳に届いた。
 「大丈夫?」
 ミリスが聞いた。
 「ミリス、あなたなの?」
 「あんた、動かせるのか?」
 メスリーとクリエが同時に言った。その時、ミリスの真横の地面が爆発した。
 「えーい!」
 ミリスは叫んで、ライフルを放った。弾はヴェルジンの脇をかすめた。
 「これは、どういうこと?」
 「隊長! 先に敵だ!」
 クリエの言葉にガンダムが一斉にライフルを構える。敵は四機、周囲を高速で移動している。しかし、ミリスの登場で明らかに態勢を崩していた。
 突然、クリエのガンダムが加速し、敵の移動先に廻る。その行動に一機の動きが一瞬止まった。
 三機のガンダムが一斉にライフルを放つ。その内の二発が敵の胴体に風穴を開けた。
 「散開する!」
 メスリーの号令で、ガンダムが四方にジャンプする。各々が、一番手近な敵に向かって発砲した。
 それはどれも敵を捉えることは無かったが、敵の士気を挫くには充分だった。
 残った三機は煙幕弾を放つと、明らかにでたらめに攻撃をしながら後退していった。
 ECMから解放されたレーダーが、モビルスーツを回収した輸送機が離脱していくのを捉えた。
 四機のガンダムは間隔を開けて、その場に立ち尽くした。全員が、生き延びられたことに大きく安堵の溜め息を漏らした。
 大量の汗を全身にかいていた。呼吸が整うまで随分かかった。
 四人はグラーネに帰還した。
 破壊されたハッチから、メスリーを先頭に格納庫に入る。最後にミリスのガンダムがハッチをくぐった。
 ガンダムはそれぞれハンガーへと向かった。その前で背を向けると、傾斜していたハンガーが直立し、ランドセルをアームで固定する。そしてガンダムごと斜めに倒れた。
 ガンダムから降りたクリエは、ミリスのガンダムに走り寄り、ハンガーへと誘導する。ミリスはそれに従った。立ち上がったハンガーに背を向けたとき、足元でクリエが叫んだ。
 「位置がずれてる。もう少し右によって!」
 右? ミリスはガンダムを三分の一歩ほど横に寄せた。
 それを見てクリエが頭をかく。
 「あんた、ちゃんとオート動いてる?」
 クリエが言った。ミリスはそのままイグニッションを切ると、胸の装甲を開けてコクピットから身体を引っ張り出した。
 そして、コクピットの縁にある昇降機を作動させる。ガンダム本体に備えつけられているもので、昇降のためのフックがワイヤーの先に付いている。それをウインチで上下させるものだ。
 それを使って下まで降りたミリスにクリエが話しかけた。
 「どうしたんだい? どこか壊れた?」
 「あまり細かい動きは、まだ出来ない」
 ミリスの言葉を聞いて、クリエは顔をしかめた。
 「細かい動きって、このくらいのことは勝手にやってくれるだろ?」
 クリエが聞いた。
 「まさか、動作予約を切ってるんじゃ」
 頷いたミリスを見て、クリエは、うそだろ、と呟いた。
 ミリスは他のガンダムを見回した。メスリーもエディも下に降りていた。二人はガンダムの足元に座り込んでいた。
 ミリスとクリエは二人に歩み寄った。そこにアリアも駆け寄って来る。
 お互いが無事を確認するように顔を交互に見つめ合った。
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第3話 帰還