第3話 赤い彗星
 ブライト・ノアの率いる連邦軍が、部隊を展開させる。
 六隻ある最新式陸戦艇サブルーク級は、ホンコン近隣の諸基地から出撃してきたものだ。それぞれに一個中隊以上のモビルスーツを搭載でき、移動速度こそザンジバラルのような巡洋艦には劣るが、陸上の機動拠点として航続距離も火力も連邦軍の主力陸戦艇として問題ない。
 ネオ・ジオン軍は迎撃に出た部隊を迂回して、後方のホンコンを攻略しようとしているようだ。今さら空家の九竜基地など気にする事はないが、まるで歯牙にもかけないように迂回路を選んだ敵の司令官に、ブライトは腹立たしい気持ちを抱いた。
 ネオ・ジオン軍の司令官の顔など知る由もないが、こちらは一年戦争より戦場で名を揚げてきたブライト・ノアだ。決起前は、おそらく連邦軍の情報収集に余念がなかったであろうネオ・ジオン軍の士官が、九竜基地の司令官が自分であることを知らないはずがない。
 どこの馬の骨だか、青二才だか知らないが、ナメられたものだ。
 迂回して、こちらが追撃してきた所を叩こうなどと、素人のような作戦がこのオレに通じるとでも思っているのか?
 案の定、ブライトの読みどおりネオ・ジオン軍は矛先を翻し、こちらを迎撃する。部隊の陣形を乱さずに追撃していた連邦軍に、その対処は容易だ。
 地勢こそ敵に有利であるが、あとは物量と経験にものを言わせて敵を圧倒すればいい。
 陸戦型ジェガンを出撃させ、サブルークに随伴していた96式戦車を展開させる。艦載戦闘機を搭載する余裕のないサブルークは航空戦力こそ扱えないが、敵とてモビルスーツ戦力しか有していない。この戦闘に関しては、問題はない。
「サブルーク主砲及び96戦車隊斉射用意。目標、接近中のザク部隊! ジェガン部隊は第一斉射着弾の後前進して敵の足を止めろ。両翼は散開して敵部隊を包み込めろ」
 反転したネオ・ジオン軍も、今度は正面から攻撃を開始する。ブライトは、号令を発した。
「よーし、戦闘開始だ! 斉射!」

「……モビルスーツで戦場に駆り出されるなんて」
 イリアが呟く。はっきり言って、どういう風に操縦するのかなんて全然分からない。メカニックマンの一人が親切に教えてくれていたが、分かるわけがないのだ。とにかく、イリアは教わった通りにパネルを操作し、全天周モニターを開いた。
「二番艦は左翼に転じ、敵の退路を断て。第一中隊へ。第三中隊との挟撃で敵モビルスーツ隊を殲滅し、敵部隊を撃滅する」
 モビルスーツデッキの状況を確認すると、スピーカーにβの声が響いてくる。そして、すぐ右手にいるβの黒いギャンUは発進位置へと前進し、カタパルトを装着すると機体姿勢を低くした。
「イリア! 出るぞ。全機出撃せよ。発進直後に、敵の主砲にやられるな」
 黒騎士βのギャンUが、黒い流星となって射出された。すごい勢いだ。
「イリアさん! 発進しますよ! 機体を低くして!」
 誰か知らないオペレータの声が聞こえてきたかと思うと、イリアの乗る赤いギャンUははじき出された。
「ぐうぅぅううっ!!」
 Gに視界が狭まる。身体が大きめのシートに埋もれる。目一杯歯を食いしばり、必至に目を開く。一瞬にしてあたりは真っ青な空色に変わり、βの漆黒の機体が目の前をバーニア推力で飛行していた。
 が、それを目で追っていたイリアの機体は、分厚い空気の壁に阻まれ失速する。みるみる高度は下がり、赤茶色の痩せた地面が目の前に迫る。
「きゃあああ!」
 ドオォオンという重たい衝撃とともに、耐ショック用の透明なエアバッグが目の前に広がり、ギャンUは地面に倒れ伏した。機体の損傷は軽微。構造がザクWより強固であったためか、もしくはギャンUのコンピュータにあるセーフティープログラムが作動したのか、奇跡的にギャンUはどこも壊れていない。
「イリア。いつまでそうしている!」
 βの冷たい声が耳元に響く。顔を上げると、目の前に連邦軍のモビルスーツが迫ってくる。量産されている連邦軍の地上用主力モビルスーツ、陸戦型ジェガンだ。
「へっ! 発進もロクにできないヒヨコちゃんだぜぇ! こいつはよ!」
 そんな嘲りの言葉がまるで聞こえてきそうだ。陸戦型ジェガンは素早く射程に捉えると、間髪を置かずビームライフルを撃ち放った。
「ちょっ! なんで連邦軍がわたしを攻撃するのよっ!」
 イリアは反射的にスティックを引き起こす。ギャンUはスラスターを全開にして後退すると、余裕の間合いでビームを回避した。また全身にGがかかる。息苦しい。
「お! こいつ! オレのを避けたのか!」
 陸戦型ジェガンのパイロットは、狼狽を隠し切れないまま、突然鋭い挙動でビームを回避したイリアのギャンUを追う。乱射されるビーム。
「ぐううぅ! どこのバカよ!! なんでわたしをぉ!」
 イリアは、必死でスティックを左右に倒す。そのたびに凄まじいGが全身を襲い、苦しくなっていく。視界はだんだんと灰色がかってきて、両の肺が圧力に潰される。頭に血が通っていないのが分かる。死にそうだ!
「諦めろ、イリア! お前の乗っているモビルスーツはネオ・ジオンの機体だ」
 まるで、イリアが死に物狂いで苦しんでいるを楽しんでいるかのような口調で、βが冷たく言った。だが、イリアにはそれに応える余裕はない。敵の一挙手一投足を捉え、次の動きを予想していなければ、殺られてしまう。
「ふっ、どうした! 殺られるぞ! 私を殺したければ、殺られる前に、殺れッ!!」
 βの言葉が、イリアのなにかを切った。ペダルを踏み込む。ギャンUはスラスターを全開にして、陸戦型ジェガンに突進した。
「う! うわあぁぁぁあああッ!!」
 イリアは絶叫した。赤いギャンUが、左手のシールドの中からサーベルを抜き放つ。ビームが迸り、サーベルが形成される。振り上げたビームサーベル。真っ赤なギャンU。絶叫がそのまま力になる。イリアは、敵の動きを凝視する。
「わああっ!」
 防御のために慌ててシールドを突き出したジェガン。だが、遅い。
 振り下ろさせるギャンUのビームサーベル。その破壊力は凄まじく、陸戦型ジェガンが装備する強固なシールドを溶断すると、ジェガンの左腕が叩き斬られた。
「うわあああ!!」
 イリアの赤いギャンUが手首を返す。無防備になった陸戦型ジェガンの前面。衝撃に硬直した機体は、パイロットの意志に反して動こうとしない。
 降りぬいたビームサーベルが、陸戦型ジェガンの右脇腹から左肩へと切り裂いた。装甲が破れ、コクピットが爆発する。そして、モビルスーツの心臓である核融合炉に、炎が入る。
「イリア! そこから離れろ」
 βの鋭い声がヘルメットに響く。その声の響き方になにかの危険を察したイリアは、スティックを引いて退避する。その瞬間、核融合炉の安定を失ったジェガンは爆炎とともに四散した。
 イリアは、初めて人を殺した。が、その実感は、まだイリアには訪れなかった。

「出たな! 蒼いZ!」
 αは、真っ赤に燃えるような夕闇の中から現われた蒼の翼をみとめると、強襲型ギャンUのスラスターを全開にした。ちょうどさっき補給を済ませたばかりのギャンUは、余裕の加速で上空に舞い上がった。
「白いギャン! あいつか!」
 アランは素早く機体をモビルスーツ形態に戻すと、右手のビームライフルを連射した。だがスラスター推力で素早く左右に回避したαのギャンUには命中しない。圧倒的なその速力は凄まじく、間合いが一瞬にして詰る。
「この!」
 振り下ろされるギャンUの巨大なビームサーベル。アランは機体をよじりその軌跡をかわす。嵐のように繰り出される追撃のサーベルをシールドと抜き放ったサーベルで迎えうつが、抜群の格闘能力を誇るギャンU相手にこれ以上の接近戦は無謀に等しい。
「フハハハハハ! いつまでも調子に乗るなよ! 蒼い奴!!」
 アランはαの攻撃の隙を突いてウェブライダーに変形すると、素早く間合いを取る。だが、αのギャンUには重力下での運用も可能なファンネルが搭載されている。
「行けぇ! ファンネルッ!」
 撃ち放たれる四基のファンネル。独特の風切り音が不気味に響き、メガ粒子砲が的確にこちらを狙ってくる。だが、その四基のファンネルで蒼の翼を八裂きにしようと思った瞬間、αは背後に殺気を感じた。
「う!? 後ろに新手か!」
 αは、真後ろから迸ったビームの奔流を紙一重の差で回避する。目の前のアランと同じ機体色の、カインのZプラスF‐2である。
「ヘ! お前の敵は、アランだけじゃねえぞ!」
 戦場に追いついたナオとリーの二機も加わる。αの四方を蒼の翼隊第一小隊が囲みこむ。
「フッ! 面白い! このホワイト・アローを、貴様たちオールドタイプに止められると思うかッ!」
 αは不敵に笑みをこぼすと、そう嘯いて着地した機体をまた上昇させた。四機のZプラスを相手に互角以上の戦いを見せるαのギャンU。パイロットの能力こそ拮抗しているが、ファンネルを搭載し圧倒的な推力を誇るαのギャンUとZプラスS‐1との性能差は歴然で、蒼の翼も苦戦を強いられる。
 さらには、αの率いるザクW部隊も戦場に再出撃してくる。連邦軍側には戦闘不能に陥るモビルスーツも多い中で、ネオ・ジオン軍は僅かな損失でこの戦場を戦っている。
 補給を待つ機体と修理を待つ機体でごった返すテキサス隊を支援するためには、なんとしても蒼の翼隊がここを支えなくてはならない。
「くっ。さすがにこのままでは持たんな。……ヨハン中尉!」
 アランは、αと交戦しながら第二小隊長のヨハンに通信を開く。
「敵モビルスーツ隊は第一小隊とテキサスの部隊で抑えておく。第二小隊はこの隙に敵母艦を叩き、やつらの足を止めろ! これ以上の進攻を許すな!」
 進撃してきたザクW部隊を迎撃していたヨハンは、Zプラスをウェブライダーに変形させると上空に舞い上がった。その後ろを、小隊の三機が続く。戦場のすこし後方には、この白いギャンUとザクWの母艦ザンジバラルがある。
 Zプラスは変形という機動力を活かし、通常のモビルスーツでは不可能な位置の敵も攻撃できる。Zプラスの真価はそれだ。モビルスーツとしての性能も秀逸ではあるが、遊撃隊を編成するにはもってこいの機体といえるだろう。
「ち! こいつら、オレをザンジバラルから引き離す気だったか!」
 αは、狼狽を隠せない。αには、ミネバとの約束がある。ミネバのただ一人の友人であるヤナギを、こんな戦場で死なせるわけにはいかない。
「ヤナギ! 抜かれた! そっちにZの小隊が行ったぞ! 直援部隊を発進させて叩き落せッ!」

「あ、あ、あ」
 一人の陸戦型ジェガンのパイロットが、潜在的なものにまでなった恐怖心を沸き起こらせる。
「あ、赤い彗星だッ!!」
 その言葉が、連邦軍パイロットたちの心へと突き刺さる。
 驚愕と愕然に怯えた視線を巡らせる。今しがたの声の主は、あの爆発の中。両腕を失い、頭部を切り裂かれたその陸戦型ジェガンは、爆炎に散る。そして、その赤い炎の中に浮かび上がるは、晴天の日差しに彩られた真っ赤なギャンU。
「うわっ! うわぁあ!」
 殺戮の恐怖に駆られたイリアは、血走った目を見開きギャンUを突進させる。
 応戦しようとするジェガン。放たれる幾条ものビーム。砲火が押し寄せ、ビームサーベルが殺到する。
 無我夢中のイリア。人を殺したという恐怖と、人に殺されるという恐怖が全身を切り裂く。縦横に飛来する殺意に満ちたビームの光。恐怖に凍りついた彼らは、はっきりと彼女を敵と認識し、一切の躊躇いもなく攻撃を繰り出す。
「うわあぁあ! 来ないでぇ!!」
「あ、赤い彗星がぁア!」
 恐怖に青ざめた二人のパイロットが交錯する。燃え盛る二条のビームサーベル。受け止めた陸戦型ジェガンのサーベルは、ギャンUのサーベルの前に圧倒される。
 跳ね上げられるジェガンのビームサーベル。光の円弧を描きながらそれは中空を舞い、地面に突き立つ。だが、それを拾おうとしたジェガンの左腕は、その胴体とともに二つに切り裂かれた。

「なにぃ? 赤い色のモビルスーツが進撃してくるだと!」
 ブライト・ノアは、ブリッジに上がってくるモビルスーツ隊からの通信に、鋭い怒声を上げて応えた。
「狼狽えるな! シャア・アズナブルは死んだ! それは赤い彗星などではない。敵の偽装だ! たかだか一機のモビルスーツ相手に、これ以上戦線を後退させるな! おい! 第二波の発進準備急がせろ!」
 当然だ。シャア・アズナブルは死んだのだ。
 一年戦争の頃からの最後の戦友アムロ・レイとともに、ジオンの忘れ形見は宇宙に散ったのだ。
 地球へと降下するアクシズを止めるためにアムロ・レイは死んだ。その時、赤い彗星の乗るサザビーの脱出ポッドが、アムロの乗るνガンダムの手にあった事は確認されている。いかなシャアと言えど、たとえνガンダムであろうと、あの状況下でどちらも生き残れるとは思えない。
 なによりも、アムロが生きてさえいれば必ず自分になんらかの連絡があるはずだ。それが六年も経とうとする今日までなんの音信もないという事は、あの二人は死んだのだ。
 地球と宇宙と人類の為に戦った二人の死を、なぜ誰も彼もが無駄にする!
 ブライト・ノアは、拳を合わせる。たかだかこの程度の部隊を相手にてこずるわけにはいかない。たとえいかに敵が強大だろうと、彼らの死を無駄にしないためにもブライトは戦いつづけなくてはならないのだ。
 第二波のモビルスーツ部隊が、続々とサブルークから出撃していく。敵の戦力は、その艦の数に比べて存外少ない。温存しているのかも知れないが、そんな温存策が功を奏する前に全滅させてみせる。黒いザクどもとて、赤いギャンとて、数には勝てない。戦争の常識である。
「押しまくれ! 敵モビルスーツ隊を徹底的に叩いて、敵艦隊を撃滅せよ!」

「ザクWを発進させて! Zの小隊を艦に近づけないで!」
 ヤナギはブリッジで左右の者に叫ぶ。Zの進行速度は速い。
「対空銃座開いて。主砲は打つな。どうせ当たりはしない、エネルギーの無駄よ。直援部隊! なにをしているの。発進遅いわよ!」
 空を飛行するZを止めるモビルスーツはない。ザンジバラルと敵小隊との距離があっという間に縮まり、四機のZプラスから嵐のようにビームが飛来する。
「ち! 二番艦が!」
 モビルスーツ隊の収容の為に前方に出ていたもう一隻のザンジバラルが、ブリッジと機関をキレイに撃ち抜かれて撃沈される。二番艦の機速はみるみる落ち、搭載するミノフスキークラフトの力も虚しく、抱える百数十のクルーとともに何もない地面に墜落していく。
「対空火器! なにをしているの! こっちまでやられるわよ!」
 二番艦を撃沈させたZプラスの小隊が、ヤナギのザンジバラルの側面を抜けていく。後方に回った四機のZプラスは素早く反転し、すでに艦を射程距離に収めようとしている。
 思い出したかのように轟音を蹴立てて銃座が唸りを上げる。発進した直援のザクWが、地上から空中から支援をする。さすがの蒼いZプラスどもも、この嵐のような弾幕を抜けないと見たのか、翼端を振るうと右へと流れモビルスーツ戦の最中へと消えていく。
「いいように遊撃されて……」
 ヤナギは、心底に沸き起こる苛立ちを抑えて、唇の端を噛む。
「ザンジバラル一隻をあっさりと落とされ……。……直援部隊は、付近を警戒しつつ撃沈した二番艦の生存者を探せ。第四波モビルスーツ隊は出撃して今のZ小隊を撃破し、二番艦の仇を討て!」
 どうせ二番艦のクルーは全滅だ。あの高度から墜ちて、誰が生きているものか。
 また死んだ。
 ヤナギは、キャプテンシートに深く腰掛けると、虚ろにため息をついた。さっきの怒りも苛立ちもいつの間にやら失せ、今は虚しさと、軍人らしくない自分の気質に魔が刺したような気持ちであった。

「ハハハハハハ!!」
 高らかに笑いながら、αがギャンUを駆る。
「蒼い奴ども! 貴様らなど、オレの敵ではなぁい!!」
 リーのZプラスが、ギャンUのビームを浴びて左翼を失う。失速しかけたリーのウェブライダーは、素早くモビルスーツ形態に変形し着地する。とそこにビームサーベルを抜き放ったαのギャンUが突撃してくる。
「こいつッ!」
 振り下ろされるサーベル。リーは素早く間合いを詰め、ギャンUの攻撃を右腕ごと受け止める。ギャンUのモノアイに向けてバルカンのトリガーを引き、メインカメラをやられてはと後退した敵に、リーはライフルを乱射する。
 そこへ三機の蒼いZプラスがする。だが、三機から繰り出されるそのすべての攻撃を、αは圧倒的な機体性能で回避してしまう。
「カイン! 遅れる奴があるか!」
 アランの怒声がカインのヘルメットに響く。だが、そんな事を言っても、これが限界だ。
「フン! 何機あろうが、今さら関係ない! 貴様らのパターンは見切った!」
 自覚する通り、第一小隊のチームとしての連携が上手くいっていない。二番機のカインが、アランとナオからずれているのだ。そこを見逃すαではない。素早くアランとカインの間に生まれた隙に機体を躍らせ、二番機に急接近する。
「アラン! なんとかしろぉ!」
 カインは喚き散らしながらビームライフルを乱射する。アランとナオの位置からではカインを巻き添えにするその状況に、αはほくそ笑みながらサーベルを振りかざした。カインのビームライフルはことごとく命中せず、αの間合いにカインは収められる。
 だが、カインが咄嗟にサーベルを引き抜こうとした瞬間、αの機体に数条のビームが襲いかかった。
「うぅ! 後方に新手だと? 馬鹿な」
 αの全天周モニターに映りこむ蒼い四機の機影。敵母艦への急襲に向かっていた第二小隊が戦場に戻ってきたのだ。四機のZプラスから放たれたビームが、雨嵐のようにαに降り注ぐ。
「チィ! ファンネルッ!」
 味方のザクWは、連邦軍の陸戦型ジェガンに抑えられている。さすがに一対八では、利も極まる。必死に回避するαは、すぐそばをすり抜ける熱源の恐怖に身を竦ませながら、六基あるファンネルすべてを撃ち放った。
「もういい。一旦後退するぞ。リー。大丈夫か」
「大丈夫です。後退します」
 第二小隊が敵母艦の一隻を撃沈した事を確認したアランは、蒼の翼隊に指示を出す。すでに補給と修理を済ませ終えたテキサス隊が戦線に復帰しており、充分防備は分厚い。
 蒼の翼隊は素早く反転すると、来た時と同じように高速で戦場から離れていった。
「……敵の小隊が、戻って……。ヤナギ! 無事か?」
 αは、後退する八つの蒼い機体を眺めながら、ふと悪い予感に駆られて母艦との通信回路を開いた。すると、間も置かずにザンジバラルのブリッジにつながり、ヤナギの顔が小さくスクリーンに浮かび上がる。
「ええ。二番艦が撃沈されたけど、こっちは無事よ。それより、ミネバさまの本隊が出撃するわ。あなたは、敵陣に前進したミネバさまの部隊が敵の左翼から挟撃されないように、第四波のモビルスーツ隊を率いて援護して! いいわね」
「ああ。了解した」
 αはヤナギの指示を素直に受け、そう短く応える。だが、なんとなくヤナギの口調がいつもより歯切れなく温度の低いものに感じて、αは言葉を続けた。おそらく、二番艦を墜とされた事を気にしているのだろう。
「ヤナギ、大丈夫か。……あまり無理するな」
「……分かっているわ。ありがとう、α」

 止められない。
 目の前からがむしゃらに突っ込んでくる真っ赤なギャンUを止められない。
 あり得ない。これだけのモビルスーツ部隊を前面に置いて、たった一機のモビルスーツを止められないなど、あり得るわけがない。
 確かに、敵のギャンUの性能は陸戦型ジェガンを圧倒しているが、どう見てもあのパイロットはド素人だ。なのに、実戦経験も少なくない連邦軍のモビルスーツパイロットたちがそれを止められないとは、一体どうした事だ。
 あれが赤い彗星でない事は、明らかだ。
 シャア・アズナブルならば、いかなる機体に乗ろうとあんな無様な戦い方をする男ではない。感情をコントロールした、実にクールでクレバーな戦い方があの男の特徴なのだ。
 ならば、あの赤いギャンUに乗っているパイロットは一体何者なんだ。
 あれがニュータイプであろうというのは、ほぼ間違いない。ブライト自身の、根拠のないが外れた事もないその勘が、はっきりとそう告げている。
 ネオ・ジオン軍は、またしてもニュータイプを戦場に投入してきているのか?
「ブライト大佐! 後方に新手! 敵部隊ですッ!」
 ブライトは、オペレータの声に肝を冷やした。
 まさかのこのオレが、ネオ・ジオン如き相手にウラをかかれていたとはッ?
 計算外だった。まさか伏兵があったとは……。
 出払ったモビルスーツ隊を呼び戻せるほど、この戦場は悠長なものではない。倍はあろうかという陸戦型ジェガンの数で、どうにか対等に戦えているのだ。それを後ろの防衛のために後退させれば、敵の思惑通りに挟撃されるだろう。
「ハメられたか。仕方がない。サブルークを前進させ、敵の主力モビルスーツ隊を抑えた後、この戦場を離脱する」
 ブライトが素早く的確に命令を下す。ブリッジは慌しくなる。
「操舵手は敵艦主砲弾の回避行動に専心せよ! 対空対地銃座は敵モビルスーツを有効射程内に入れるな! モビルスーツ隊と協力して、この戦場を離れるぞ」
 しかし、侮れない。
 迂回路と伏兵の二重策か……。このオレにこんな策を打つとは、ネオ・ジオンの指揮官め。なかなかの策士だな。いい度胸をしている。
 そう言えば、もう一機ギャンUがあったな。全部真っ黒のザクWにも驚かされたが、あれが指揮官か? 赤いギャンUの前進を止められなかったのは、あいつの指揮のためか?
 大胆だが、クールな奴だ。覚えておいてやる!
 サブルークが前進を開始する。ブライトは、砲火の飛び交う戦場を見渡し、指揮を下す。敵の追撃も思うほど激しくはない。この状況下にしては、少ない損害で戦場を退避できそうだ。
 戦場を駆け抜けたサブルークは、ホンコンへは戻らずインドシナ半島へと離脱していく。

「さすがはブライト・ノア。引き際も素晴らしいな。よし、第三中隊は追撃をやめろ。少数でブライト・ノアは叩けまい」
 βは、後退していくブライト・ノアのサブルークを見ながらそう言った。敵の背後を突き、追撃に回っていた第三モビルスーツ中隊が引き上げてくる。もう充分この戦場は、こちらの勝ちだ。勢いに任せて、退却するブライト・ノアのワナにはまるわけにはいかない。
 落伍した敵のモビルスーツは投降、もしくは無謀な攻撃を試みて撃破されていく。もう砲声も地響きもまばらになった戦場はすぐに片付く。βは、上空のザンジバラルへモビルスーツ隊を帰艦させようと、全隊へ通信を開こうとした。
 だが、一機のザクWが、今まさに掃討戦が行われているだろうその小さな戦場からこちらへ急接近してくる。
「どうした?」
「は! あの例の赤い髪の……」
 ザクWのパイロットが、映像通信の向こうで息を急ききって言う。
「どうした? なにがあったのだ」
 βはギャンUのペダルを踏み込む。確かに、後退していくブライト・ノアの本隊に気を取られて、敵の残存部隊の事は疎かにしていた。特別な指揮がなくとも、ザクWならどうにでもできると分かっていたからだ。
 が、まさかな……。
「赤い髪の子が、錯乱状態でして」
 間髪置かず飛び上がった黒いギャンUの背中に向かって、ザクWのパイロットが言う。高々と飛び上がったギャンUは、それが聞こえたのか聞こえなかったのか、無言のままである。今までの、静かな無言とはとは違う無言だ。
 素晴らしい加速で飛び上がったギャンUを、明らかに今までの彼らしくない軽率な行動を、ザクWの熟練パイロットは苦笑いを浮かべて見送った。
 βの目に、赤いギャンUが入ってくる。真下では、無残に切り裂かれた陸戦型ジェガンが何機も転がっており、その破壊力の大きさからも誰が撃墜したか計り知れる。
「イリア! どうした?」
 かなりの剣幕で錯乱している。すでにイリアが敵味方を識別できてないのか、黒塗りのザクWは暴れまわるギャンUを遠巻きにしている。
「来るなぁぁあ!」
 繋いだ映像回線に、イリアの引き攣った顔が映る。切羽詰った呼吸のイリアは、喉が千切れそうな悲鳴をあげ、着地した漆黒のギャンUめがけてサーベルを振り下ろした。
「イリア。戦闘は終わった。もう終わったんだ」  落下する光の剣を難なく回避したβは、イリアに呼びかける。だが、聞こえていない。戦場の恐怖に錯乱したイリアの耳には届いていない。
「ちっ」
 振り下ろされた赤いギャンUのビームサーベルが、真横に振り回される。素人の攻撃など、βにとってそれほど恐ろしいものではないが、さすがに格闘戦に特化するギャンUのサーベルは背筋を凍りつかせる。
「イリア! 聞こえているのかッ!」
「きゃあぁあ!?」
 このままでは埒があかないと思ったβは、イリアのサーベルを回避して急接近する。手刀で赤いギャンUの手首を弾きサーベルを叩き落すと、赤いギャンUの両腕を掴み取る。ろくなモビルスーツの操作もできないイリアは、黒いギャンUの手をほどけない。ひどく怯えた声が耳元に聞こえてくる。
「イリア。もういいと言っただろう」
 βは、ギャンU胸部のコクピットハッチを開き、外から赤いギャンUのコクピットを開放する。怯えた瞳をしたイリアが、βを見ていた。
 全天周モニターのコクピットに光が差し込む。一瞬光に反射したβのヘルメットのバイザーが、静かに開いていく。
「……もう敵はいない。安心しろ」
 そのβの声を理解したのか、イリアは一つ息をつくと、視線を彷徨わせて気を失った。赤いギャンUは、静かになった。
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