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【 第1回 紂王の、にょかきゅう参拝 】

 

これは、昔々の中国での物語。そこには、『商』と呼ばれる王朝が存在した。今をさかのぼること、3000余年前の事である。

 

この時代、天子の位(王の座)には紂王が即位していた。朝廷には太師の聞仲を大黒柱とし、政治を宰相の商容が、軍部は鎮国武成王の黄飛虎がそれぞれ取り仕切り、また内廷においては、紂王の優れた妃、氏、氏、氏により規律が支えられていた。また、国周辺の部落や諸侯も朝廷に忠誠を誓っており、特に800いる諸侯は4人の大諸侯、東伯侯の姜桓楚、西伯侯の姫昌、南伯侯の鄂崇禹、北伯侯の崇候虎により束ねられていた。さらに天候までもが紂王に味方し、まさに天下泰平そのものであった。

しかし、紂王が即位してから7年目の春の二月。北海の72諸侯が謀叛を起こしたとの知らせが朝歌に届いた。しかし、この平和なご時世。誰一人としてこれを大事件として捉えることも無く、太師の聞仲も軽〜い気持ちで北征へと向かっていった。

そして、あっという間に1ヶ月が過ぎ去り、今日は三月十四日。朝の挨拶を済ませた紂王が玉座を立とうとしたその時、商容が進み出て口を開いた。
「明日は三月十五日で、にょか様の誕生日です。是非ともにょかきゅうへ参拝なさいませ。」
当然、面倒くさがりの紂王は、「にょかには一体どのような功徳があるのじゃ?」と切り返す。まさか、色々ある政治の問題を神頼みで解決したいなどとは口が裂けても言えない商容は、
にょか様は天界の天女で、生まれながらに聖徳を具えておられます。その昔、天神が頭を不周山にぶつけ、天がひび割れ西に傾き、地が東南に陥没した事がありました。そのとき、五色の石を砕いて水でねり、それで天地を補修したのが他ならぬにょか様だったのです。民百姓はその時の恩を決して忘れず、今もにょか様を祭っております。また、度重なる地震に朝歌の城が耐えることができたのもにょか様のご加護の賜物にほかなりません。にょか様こそは、国家安泰、万民福来を司る本尊でございます。」
ってな感じで言葉巧みに紂王を言いくるめた。

まあ暇つぶしくらいにはなるか、と思った紂王は翌朝早速にょかきゅうへと足を運んだ。その紂王の目に飛び込んできたのは、予想をはるかに越えるにょかきゅうの壮大さでり、また祭られていたにょかの聖像の容貌であった。気品に満ち、優美で瑞気にあふれ、絶世の美人という言葉でもまだ言い足りぬ美しさにみとれ、紂王は口をポカンとあけ、淫気にとらわれ、一瞬放心状態となった。こんな美人は今までに見たことが無い。
「なぜこの神像は生きた人間よりも艶かしいのじゃ?」 背後で祈る商容に問いかける。
「それは功徳の高い神霊が乗り移っているからです。」 商容が適当にあわせる。

紂王はしばらく考えて、「うむ。筆と墨を持て!!」と声を張りあげた。供の者が筆と墨を持ってくると、即座に詩を一首、神殿の壁に書きあげた。
でも書いた詩が、 『お前は、すんげー色っぺーよ。生きた人間だったら、一生かわいがってやるのに。』
といった内容の詩だったから、
「これはあまりにも罰当たりでは。百姓の目に入ったら陛下の聖徳に傷がつきます。早速洗い流しましょう。」
商容が慌てふためく。でも、詩を書いた張本人は、
「おいおい。大げさなことを言うな。わしはにょかの美しさをそのまま表現しただけじゃ。百姓にもその美しさを教えてやれば良いのじゃ。」
と言って全く取り合わず、そそくさと神殿を後にしてしまった。こうなると商容にはどうすることも出来ず、嫌な感じを胸に抱えながらしぶしぶ神殿を後にした。

 

あ〜ぁ。とうとうやっちゃった。知〜らない。っと。


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