欺瞞の見本 日ソ中立条約

第一条
 両締約国は両国間に平和及友好の関係を維持し且相互に他方締約国の領土の
保全及不可侵を尊重すべきことを約す

第二条
 締約国の一方が一又は二以上の第三国よりの軍事行動の対象と為る場合には
他方締約国は該紛争の全期間中中立を守るべし

第三条
 本条約は両締約国に於て其の批准を了したる日より実施せらるべく且五年の期
間効力を有すべし両締約国の何れの一方も右期間満了の一年前に本条約の廃棄
を通告せざるときは本条約は次の五年間自働的に延長せられたるものと認めらる
べし

右証拠として各全権委員は日本語及露西亜語を以てせる本条約二通に署名調印
せり

昭和十六年四月十三日即ち千九百四十一年四月十三日「モスコー」に於て之を作
成す

松岡洋右(印)
建川美次(印)

ヴエー、モーロトフ(印)


【関特演】かん‐とく‐えん・・・広辞苑第四版より
関東軍特種演習の略。一九四一年七月、日本軍が行なったソ連に対する攻撃準備
の秘匿名称。独ソ戦に乗じて、八五万の兵力動員態勢をとったが、八月中止。
日ソ中立条約の再締結は1941年4月13日であった。

 大戦末期にソ連軍が不可侵条約を破棄して、日本へ侵攻しました。
是が対ロシア不信の大きな要因でありますが、「関東軍特別演習」と云う途でも無
い計画もあった。これは日ソ不可侵条約の再締結の最中に、ソ満国境付近に関東軍
85万人を集結して、ソ連に侵攻する計画だった。

 ソ連の連合国軍參加でこの計画を取り止めた訳ですが、計画だけで未遂だったと
の、言い訳は出来ないでしょう。何と云っても友好的な条約締結作業をしながら、
一方では侵略の準備をして居た訳ですから、言い逃れは無理でしょう。何れの国に
も裏面はありますし、日本は奇麗事ばかり遣っていた訳では無い。