オーストラリア ブリスベンの日本庭園

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1988年秋から翌年にかけて、私はオーストラリアのブリズベン郊外にあるマウントクーサ植物園にて日本庭園移設のイベントに参加しました。

当時私は30歳、昭和天皇が崩御される前の年でした。

1988年、ワールドエクスポのレジャー博覧会がこのブリズベンにて開催され、日本パビリオンと併設する日本庭園は大盛況で幕を閉じました。期間中地元の人たちに愛された「ジャパニーズ・ガーデン」は万博終了後も郊外の丘の上にある美しい公園内に残されることとなったのです。

 


今思えばこの一大事業に幸運にも参加させていただいた事がその後の私の建築人生を決定づけた観があります。

真っ青な空と輝く日差しの中、草木と花がどこまでも鮮やかに映えるオーストラリアの日本庭園は地元ブリズベンっ子のみならず、観光で訪れる日本人をも魅了しました。

 小形研三先生がめずらしく、柳を池のほとりに配され、そのしなやかに枝がそよぐ風情は印象的でした。見ていると遠くへだたった場所とへだてられた時を感じずにはいられません。

 この美しい「ジャパニーズ・ガーデン」は故・小形研三氏の遺作でもあります。
                   

                                                  菊池 利明


        移設事業に参加して
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