*復元天守その2*

*復元天守の内、明治維新後程無くして破壊されたものの、古写真が残されていて、それらを元に復元された天守。

会津若松城天守は文禄元年(1592)頃築城された時に五重七階で建てられました。慶長16年(1611)の大地震で倒壊し、その倒壊材を利用して再建された天守が明治維新まで残りました。
戊辰戦争で砲撃を受け、損傷した天守の古写真が数点残っていて、被写体として魅力的だった事が想像出来ますが、明治7年(1874)に取り壊されてしまいました。
昭和40年に、古写真等を参考にして鉄筋コンクリートで外観復元されました。
会津若松城天守(福島県会津若松市)

新発田城御三階は、延宝7年(1679)に建てられ、明治6年の廃城令により破却されました。

古写真や古文書など資料を元に平成16年に木造で復元されました。

丁字型の入母屋の上に三匹の鯱が載る、とても特徴的な形状です。

なお、御三階の敷地が自衛隊の基地内のため、残念ながら内部の見学は出来ません。
新発田城御三階(新潟県新発田市)

高島城天守(長野県諏訪市)
高島城の天守は慶長3年(1598)頃に建てられました。明治8年に破却されましたが、それ以前に撮影されていた古写真を参考にして昭和45年に鉄筋コンクリートで外観(ほぼ)復元されました。
外観上の相違点は、屋根が柿葺きから銅版葺きになり、華灯窓が増やされています。
また、西側にあったという小天守は再建されていません。
天守台石垣も積みなおされたようで、特に角の部分が若干風情の無い施工になっています。

なお、板壁に見える部分も殆どコンクリート細工で出来ていて、近くから見ると結構ショボイです(自分はそういうのが好きですが)。

岡崎城天守は元和3年(1617)頃に築かれたようです。
明治7年(1874)に取り壊され、昭和34年に古写真等を参考にして鉄筋コンクリートで再建されました。
外観上の相違点としては、最上層に高欄が追加され二層の壁も下見板張りだったものが白壁になっています。
岡崎城天守(愛知県岡崎市)

 大洲城天守は慶長15年頃(1610)に築かれたようです。
 明治21年(1888)に取り壊されましたが、平成16年に木造による復元がなされました。
 なお、画面手前の台所櫓は現存建造物です。
大洲城天守(愛媛県大洲市)

熊本城天守は慶長5年(1600)頃に築かれ、明治に入っても存続する筈だったものと思われます。
しかし、西南戦争(明治10年)の際に篭城戦の直前に発生した不審火により、天守を始め多数の建物を焼失しました。
熊本城の古写真は鮮明なものが多数残されていて、天守だけでなく主要部の外観が良く伝わっています。
昭和35年に鉄筋コンクリートで外観復元されました。

余談ですが、熊本城では現在主要部全てを復元する計画が進行中で注目されています。
熊本城天守(熊本県熊本市)

−参考図書:名城の天守総覧(学研)など−


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