1998年7月10日         労働者の力               第102号
参院選 自民の大敗と橋本退陣
       新自由主義の論理と正面から対決を

                                       川端 康夫

自民党を粉砕した突風

 七月十二日の参院選挙は自民党のなだれうつ敗北に終わった。自民党は改選議席の六一議席を大きく下回る四四(自民系無所属を含め四七)議席にとどまる予想外の惨敗を喫し、事態は橋本辞任に一挙に動いた。
 投票率の高さも事前の予想をはるかに越えた。大都市部を中心に、無党派層の「突風」が吹いたのである。その突風は民主党に吹いたと言っていい。民主党は、事前予測をはるかに越える三〇議席を獲得し、比例区得票数でも自民党に迫る勢いを示した。
 倍増以上の共産党の躍進は選挙選前から予想されていたことだが、それ以上の「追い風」は民主党によって遮られた。公明は現有議席を維持し、自由党は思いのほか善戦した。
 結果は、旧連立与党三党の敗北といえる。社民党は、党を維持するにたる票は得たが、再生の道筋が見えるというところには遠かった。さきがけは、唯一景気回復論にくみせず、「環境資本主義」でのアピールを試みたが、その主張はあまりにも一夜漬けであった。社民、さきがけ両党に「風」は吹かなかったのであり、それは連立の「つけ」である。
 新社会党は議席を失った。それなりに善戦したが、投票率の高さを補うところまでは手が届かなかった。沖縄では社会大衆党の島袋候補が左派統一候補として議席を守った。
 後継総裁、首相の選出は二十一日の自民党両院議員総会以降となり、本紙が届く頃には決定していると思われるが、参院で過半数をはるかに割り込んだという現状は、新総裁・首相選出にも影を落としている。自由党との保保連合も、社民、さきがけとの連立も、ともに過半数には届かない。
 まして自民の大敗北という現実は数あわせの連立を困難にしている。社民党もさきがけも、連立復帰は選択しないであろう。保保連合もその他野党の大反発を食うことになる。新党平和・公明の勢力との緩やかな連携の自公路線が浮上してくる可能性も高いが、それでも自民党が圧倒的力をもつ連携という姿にはなりそうもないし、数的にも辛うじて過半数を越えるにすぎないから、政治的な安定もほど遠い。
 今回の参院選挙結果によって、旧連立の解消にあたって自民党が描いたであろう政界再編のシナリオはまったく崩れた。衆参両院での単独過半数獲得を狙い、民主党や自由党からの個別的引き抜きを進めようとの目論みは、もはや成立しない。だれが首相になろうとも綱渡りの国会運営を強いられる。これが少なくとも六年間は続くのである。
 また政策提携を考慮に入れれば、政策的な独断もできない。当面、景気回復、減税論を中心に事態は動くことになるが、野党サイドの相当程度の了解をとりつける必要があり、とりわけ民主党との政策調整が必要となる度合いが強まろう。しかし、民主党が自民党との全般的提携に踏み切るとも即座には考えにくい以上、不可避的に国会運営は不安定化していく。
 したがって衆院解散、総選挙は二年後といった遠い話ではないであろう。政界再編の新しい幕は否応なしに切って落とされざるをえないのである。

橋本の登場――新自由主義の本家争い

 後継総裁をめぐる自民党の人材難は、言い方をかえれば政治路線混迷の反映である。
 中曽根から小沢に続いた路線は明らかに国家主義と新自由主義(ネオリベラリズム)のミックスした路線である。中曽根は「戦後政治の総決算」を言い、小沢は「普通の国家」を主張した。この流れは同時に強権的、内務省的政治手法への親近感をも特徴とした。
 橋本はそうした流れを取り込み、それを通じて自民党政府の再確立を展望して登場した内閣である。したがって橋本政治の基軸は、対米外交の軸心の確保、新自由主義の導入による「改革路線」、労働者、弱者への負担のしわ寄せと切り捨てという大枠にあった。
 アメリカ政府との緊密な関係、新自由主義路線の展開は、小沢の新進党路線との対抗上不可欠であったが、しかし同時にそれは小沢と対抗するために結んだ三党連立路線との内的矛盾を構成することでもあった。官邸と自民党本部との「風通しの悪さ」、総体路線の見えにくさは、まさにこうした矛盾を抱えた、ある種の政策的綱渡りの度合いが時間とともに増幅してきたことを物語った。
 消費税アップ、医療費アップなどの政策は明らかに新自由主義路線に沿った財政再建路線の一環であり、また拓銀や山一の倒産も新自由主義路線による淘汰の論理に基づいていた。企業リストラの拡大をさらに煽る労働基準法の改悪もまたその一環として推進された。
 金融の日本版ビッグバンを含めた政策体系は、アメリカの要求とも合致する新自由主義路線の展開として構想され、推進されてきたのである。
 対米関係の基軸を確保することもまた橋本にとっては第一級の課題であった。前の共和党政権が小沢路線に近い関係を持っていたことからして、橋本がそうしたアメリカ政府とのパイプを直接に確保しなければならなかったし、そのためにはアメリカの冷戦後の対アジア軍事戦略への全面協力が必要とされた。
 対アジア政策、教育政策――これらもまた国家主義的色彩を取り込む必要から「改革」が提唱された。
 こうして橋本の「六つの改革」路線は、新自由主義と国家主義、対アメリカ関係の確保を重点に組み立てられ、同時に新進党と対抗するという一点で社民、さきがけの支持を受けた路線であった。
 昨年末の新進党解体は、橋本、加藤執行部の「勝利」であったともいえる。だが橋本の路線が勝利したのではなかった。新進党は小沢的な新自由主義と国家主義の枠組みに耐えられなかったのである。新進党の自壊は、小沢路線が広範な支持をえられず、したがって寄せ集めの新党が、路線的な共通性をもてなかった結果である。決して橋本の路線が小沢に勝利したのではなかった。そして新進党が解体すれば自社さの連立の必要性もなくなる――はずである。

橋本のダッチロールと失速

 小沢路線が不人気であると同じく、同じ文脈にある橋本の路線もまた不人気となるのは当然である。個人人気に支えられて出発した橋本内閣だが、昨年秋の人事改造で決定的につまずいた。中曽根に負けて佐藤孝行を起用しようとした人事は社民党の反発でとん挫したが、それは橋本の人気に大きなダメージとなり、それ以降、支持率は下がりはじめ、持ち直すことなく、じりじりと二〇%の危機ラインに向かって下がり続けた。
 財政を再建し、リストラを推し進めて経済構造を変革し、そしてロシア外交における領土返還の成果をあげ、それを通じて歴史に残る「宰相」となる――こうしたヴィジョンは、しかしながら、第一には自社さ連立のあつれき、第二には官僚機構や既得権益擁護勢力の抵抗、第三には、これが最大だが景気後退と失業増大の悪循環の始まりと衝突し始めた。そうして第四に、決定的となったのがアジア経済危機の進行であった。
 国際的投機資本の活動がアジア経済のバブル崩壊を一挙に拡大するにつれて、日本経済の一国的な事情ではすまなくなった。
 日本経済の構造転換をリストラと賃金コスト削減を通じて推し進めるという展望を維持すれば、さらなるアジア経済の後退を加速し、それは「日本発の世界恐慌」につながりかねない。ここでアメリカが出てくることになった。景気回復策への全面的転換の対日要求――経済構造改革と景気対策の同時進行の要求に対して橋本の抵抗は続いた。自民党執行部もまた山崎を先頭に、抵抗の構えを見せた。しかし国際的圧力、国内的な景気回復への要求を増幅する。橋本自民党政府の政策はこうしてダッチロール現象(8の字蛇行飛行、一種の迷走状態)に入り始めることになったのである。
 経済構造改革にしても減税論にしても、新自由主義の色彩が濃厚にまとわりついた。減税論が浮上しはじめた今春、政府税調会長の加藤寛は金持ち減税、低所得層へ課税強化も方針を打ち出した。曰く、貧乏人は消費しない、と。政府筋の減税論は金持ち優遇政策との印象がつくられた。
 その一方、山一ショックから始まる公的資金投入政策は、一貫して銀行救済へと流れることになった。拡大する貸し渋りと中小企業の資金圧迫に対しても、政府は無策のままに流れた。いかに銀行へ公的資金を流し込んでも、それは帳簿上での不良資産解消と自己資金充足にまわるだけであり、外部への資金放出にはならない。アジア、国内ともに銀行は資金引き上げに走り、それがさらに経済のデフレ感を拡大する。
 公的資金を、政府系金融機関を通じて放出するなどの策はどこからも出されてこなかった。ひたすら銀行の救済に走ることは、株価の人為的維持(PKO)に汲々することにもなった。
 こうして増大する倒産と失業、消費低迷のスパイラルをよそ目にして橋本と自民党は、銀行とゼネコンの救済にのみ目を向けているとの印象を拡大していく。
 金持ち優遇批判をおそれて大型減税にも走れず、また主要政策とした銀行救済策も内容と方向が判然としない――景気後退と業界擁護の狭間で、橋本の財政再建路線の枠組みがまったくの妨げとなるに至ったのである。
 記憶を新たにすれば、新進党時代、小沢は消費税一〇%を打ち出し、細川は七%、羽田は一五%を打ち出していた。さきがけの武村もまた負けじと一三%論を打ち上げた。
 企業減税、所得税累進制の緩和を財源的に埋めるための消費税アップ論こそが新自由主義論の核心をなすものである。財政再建の論理もまた同じ文脈にあった。大衆収奪による財政再建論は健保、年金などのあらゆる分野に浸透して、国民負担率の上昇を当然視する風潮になっていく。
 社民党も相当に深く巻き込まれていた。選挙戦最中に、土井党首は消費税の引き下げまで踏み込んだ発言を中途撤回する。財源なしの減税論は無責任という党内からの批判に屈したと、彼女は説明したのである。さきがけもまた(独自の論理からだろうが)減税論にはくみしなかった。
 だが前述したように、アジア経済危機の発生によってすでに流れは変わっていた。共産党の「現実主義政策」としての消費税三%への引き下げ論は、当のアメリカ政府の要求とも重なるものとなり、それとは別に出された(国民負担率軽減かどうかは別として)大型・恒久減税論は、野党の一致した要求のようにみられるものとなった。自由党も民主党も、以前の主張は投げ捨て、与党サイドからいわせれば「財源論なき無責任」な大型減税論に移行する。減税論はその論理の是非は別として、アンチ橋本・アンチ自民の「シンボル」となっていく。
 こうして選挙戦中盤での橋本の恒久減税をめぐる発言の揺れが最後的なとどめとなっていく道筋がつくられた。橋本内閣はダッチロールの末に失速したのである。

反自民の突風の謎

 ケインズ主義を否定して登場した新自由主義経済論は、アメリカの例で見るように、経済全体の枠的拡大が持続されれば、国内所得格差拡大をのみこんで一定程度機能する。だが経済総体が失速するなかでは、それは強権的な押さえ込みの手段を経る以外には貫徹されない。韓国経済がIMF統制下で直面しているものは、激しい階級的緊張の高まりである。
 橋本の六つの改革論も、その当初においては「国民的反発を覚悟しつつ断行する」という意識が覗かれた。新自由主義路線を「決断と実行」する政権として、橋本の決意はあった。これはまた、小沢の行き方であり、かつ九〇年代の「改革論」を支え、鼓舞したマスメディアの主流もそのようであった。
 しかし昨年四月の消費税率アップ、医療費などの引き上げという国民負担率上昇策が景気低迷のシグナルとなり、その後のデフレ化状況が拡大するにつれて、橋本支持の基礎が失われはじめる。労働界でいえば、流れの基軸が昨年夏以降に顕著になった事実がある。労基法改悪をめぐり、連合がそれに反対の方向を打ち出したのであり、これは新自由主義路線に取り込まれてきた連合にとっての大きな転換を示唆すると同時に、景気後退、失業増大が、一時の流行的現象となっていた新自由主義の改革論の実態をリアルに認識させはじめたことを意味した。
 さらにデフレに直面した政府は、銀行、ゼネコン救済のためには、直接・露骨に公的資金を投入せざるをえないはめに追い込まれていく。国民負担率上昇を進めながら、銀行とゼネコンの救済に走る――これが民衆感情を刺激しないわけはない。
 六月十六日の危機(円下落)を機に、アメリカ政府は円相場への日米共通介入を通じて、投機資金に日本買いのシグナルを出した。また選挙直後の橋本訪米日程を組み入れ、橋本支持の態度を示した。すなわち、経済失速の現状を取りあえず打開し、その上で金融市場開放の全面化を進めよという合図である。別の言い方をすれば、「財政赤字の拡大を呑む」という方向転換が担保されれば、アメリカは橋本を支えるということである。
 だが、すでに見たように橋本はその点で論理的に頑固であり、したがって政策的なダッチロールを最後まで繰り返した。アメリカ政府が打ち出した「緊急避難」の策に橋本も大蔵も乗り切れなかった。
 なぜか。ここに今回参議院選挙の謎をとく鍵が潜んでいる。
 それを要約すれば、新自由主義路線が大勢となってきた時期が続き、野党の多くも、そして労働界の主流もその論理の枠組みに引き入れられてきたこと、したがって明確な対抗論理が打ち出されず、政権批判も技術論的であり、政治の表層は自民党主導で進んできていた。補欠選挙、知事選などが自民党の連勝に結果し、新進党解体、新・民主党の実態のなさ、公明勢力の自民党へのすりより――これらが橋本、そして自民党、大蔵省の意識を底流的に規定していたであろう。「緊急避難」の必要性は内圧にはなく、外圧的にしか感じられない、というのが正直な意識であったろう。
 もちろん不安感がまったくなかったということではないだろうが、目に見える実態として「危機」は登場してはいなかったのである。
 自共対立――共産党に風が吹いている事実は、民衆意識が一方で自民党批判に動いていることを示したが、それが全体をのみこむ突風に転じるとは、ほとんど誰も認識はしなかった。ごく一部の評論家が民主党の「大化け」の可能性を指摘したが、それも「ひょっとすると」という日本新党や新進党登場時の類推以上ではなかった。むしろ反対に、民主党は選挙後に組織を維持しえるのかという観測の方が多かったはずである。
 明らかに民主党や公明の大型減税論は付け焼き刃であり、選挙目当て以上のものではなかった。だがそれが「不快指数九〇%」といった自民党主導下の日本政治状況へのNOを突きつける風穴へと転化したのである。選挙戦の中盤以降、とりわけ最終盤の数日の内に、そのせまい風穴を通ることによって突風に転じたのである。
 だが、改めて確認しておけば、昨年後半以降の労働運動における「新たな風」の徴候、約束されていた共産党躍進の風、これらは「新自由主義」路線の枠組み的なほころび、整合性喪失過程を表現し、促進してきた事象である。

ダッチロールの根は深い

 すでにマスメディアの多くは、次期後継首相や路線をとらえて、「大きな政府か小さな政府か」という使い古された論理を再度持ち出しはじめた。だが、大型の減税や大規模な公的資金投入の論理が、小さな政府論と整合しているという論証も説明もない、まったくのイメージ操作の繰り返しである。かれらにも「手品」の種が尽きつつある。
 また同時に「救国政府」も声高に騒がれている。何からの「救国」なのか、まったく不分明である。ただ言うのは「決断と実行」が必要だということである。小沢の「決断と実行」、橋本の「決断と実行」に続いて、また今回も梶山の「決断と実行」といっているにすぎない。保保路線の基軸に公明党を巻き込んだ政権をつくるというのが、小沢自由党の展望であり、「決断と実行」論はこれと重なっている。曰く、橋本は自社さ連立の軟弱政権であり、その敗北は本来の「決断と実行」の路線への復帰を必要としている、と。
 さらに、この傾向は「調整インフレ」をも力説する。物価の人為的上昇をはかることによって資産デフレを解消するという説である。
 国民負担率を上げたままでの人為的インフレ、すなわち物価上昇誘導の政策は、橋本にNOを突きつけた民衆感情とはまったく相反する路線でしかない。
 いずれにせよ、とりあえずはアメリカ政府の意向を体現した政策が採用されることになるだろう。自民惨敗によって、一時売りに走った市場もすぐに安定した。誰が首相になっても当面の政策的大枠は変わりようがない。大型・恒久減税の方向も進められるであろう。クリントン政権の「日本買い」の姿勢には変化はない。むしろアメリカ政府は橋本へのテコ入れも効を奏さなかった、日本民衆の意向を分析し見守っているという状況でもある。
 小渕が最有力とされるのは、クリントン政府のシグナルを全面的に受け、野党との協調回路をもつからであろう。だが「決断と実行」がキーワードになる可能性もないわけではない。
 こうした事実は、次期政権が相当に「緊急避難的」であることをも示す。小渕、梶山、そして小泉の争いは、だれが勝つにせよ、自民党が不断に不安定化していくことを意味している。また一定の連立的状況が不可欠となるから、この不安定さはあらたな「政界ビッグバン」につながる可能性をも内包しているのである。
 いずれにせよ、日本政治と経済が直面する諸問題は、公的資金の全面的な投入を要求するものばかりである。たとえば秋にのっぴきならずに解決しなければならない膨大な旧国鉄債務の処理がある。ブリッジバンクなどもしかりである。大型恒久減税の財源問題をどうするのか。業界擁護の今までの自民党政権のやり方では、野党からの協力に難を来たし、政権は安定はしない。護送船団方式や既得権益擁護の論理を相当に見切らなければアメリカの後押しも期待できないということになる。 政治的ダッチロールの根は深い。

資本主義批判の政治勢力を

 小沢が右派少数政党に引きこもり、民主党が対抗政党としての地歩を築いたという意味で、「小沢的改革の一時期」は最終的に終わった。同時に五五年体制型の自民党・官僚癒着政治の時代も終わりつつあることも示された。
 さらに小選挙区制度を基礎に単独巨大政党が生まれるという見方、論理的可能性は残るにしても、万全ではないことも改めて示された。鬱積した不満の抜け道がときに噴出することは最近の諸選挙にもみられた現象である。
 しかし「風」をつくり出すと言われる無党派層はおしなべて非政権党寄りであるというこの間の現象があるが、それが資本主義批判として動いているわけではないことを留意しておく必要がある。
 青島、ノックにはじまり宮城の浅野選挙、そして今回の民主党ブーム、さらに古くは細川日本新党、小沢新進党と数えあげれば階級性は希薄である。より以前の土井ブーム、そして現在の共産党に吹いている風には相対的な階級性は感得されるが、しかし資本主義批判論としての透徹した論理が働いて大衆を引きつけたという要素が主力だとはいえない。
 参院選を通じて、資本主義に対抗する政治的枠組みの必要性が改めて確認されたのではなかろうか。
 われわれを含め、この選挙戦の通じて、市民派運動や独立左派陣営は独自的イニシアティブを行使する位置にはいなかった。おおむねは、社民党から共産党の幅でそれぞれがそれぞれに判断し、支持行動や投票行為を行ったと思われる。
 前回参院選挙での「平和・市民」の敗北によって、八〇年代以降に様々な形で繰り返された市民層と独立左派の連合ブロックの国政選挙への挑戦は、最終的なとどめを刺された形である。だが踏み込んで見てみれば、八〇年代のそれらとは違い、九〇年代の「内田選挙」「平和・市民選挙」はともに社会党左派とのブロック選挙でもあった。今回も、にいがた市民新党は八〇年代型の市民派、独立左派ブロックの独自の選挙戦を志向したが、それは結局は九〇年代型との整合性をとれなかった。
 旧社会党左派ブロックの流れが社民党市民派志向勢力と新社会党に分岐し、それぞれが独自に生き残りをかけて選挙戦を闘うという構図が、九〇年代型ブロックの継続を不可能にさせた。そのうえに社民党には、市民派という相対的に開かれた要素もあるが、なによりも政権与党という負の要因があり、新社会党には「党のための闘争」という限定された枠組みがはっきりとあった。共産党に関して言えば、この党とのブロックということには、力量からも組織戦略からもなりようがなかった。この党も「党のための闘争」論の範疇にあるからだ。不破は「高知型的な無党派層との連携以外は、今は無理だ」と述べてもいる。
 市民派のうちには、政権離脱した社民党、その市民派的傾向に期待した側面もあったであろう。労基法闘争を主力的に闘った部分からも社民党支持へと流れる動きが生まれた。にいがた市民新党も最終的には社民党候補への支持という結論に至った。だが、そうした流れの多くが、それで割り切れたとも思えない。社民党の市民派的、労働運動的要素を支持するという「逃げ」がつきまとったであろう。あまりにも政権与党時代の印象は悪すぎる。テレビを通じた社民党の政見放送も多分にその弁明に終始した感が強い。社民党に風が吹かなかった理由でもある。
 新社会党は、市民派や独立左派へのウイングをのばすという点では相当に立ち遅れたといえる。部分的な動きはあっても、それが新社会党の基軸的方針であったとは思えない。この二年間を通じ、とりわけ昨年春から今年にかけて、新社会党は明らかに大衆運動や労働戦線において市民派や独立左派との共同行動を進め、そこに新たな政治勢力形成の機運を生み出そうとする努力に欠けた。それは沖縄闘争と労基法闘争の両側面でとりわけそうだった。組織方針になんらかの誤算があったのではなかろうか。
 しかしこれは、市民派、独立左派が立ち往生状況であった理由の言い訳にはなったとしても、課題を解決するものではない。八〇年代型、九〇年代型を総合した、新たな左派政治勢力の枠組みが模索されなければならない。
 その材料は少しずつは出てはきている。労基法闘争の戦線は新自由主義論理と正面から闘うという意味でまさに新しい論理を表現しつつある。これは九〇年代型を再構築する芽として重要だ。八〇年代型を支えた主軸であろう環境、反原発の流れが独自的な現代資本主義に対する変革の展望を持ちえれば、これは政治的運動、勢力としての基盤を再確立できる可能性は大いにある。
 この夏から秋にかけての臨時国会には、また前国会の「滞貨」である周辺事態法、労働基準法改悪法案、組織暴力体策法案、さらに派遣労働の全面自由化の法案などが山積する。これら一連の法案は以前で言えば対決法案である。自民党政府は後継がどうあれ、これらの法案の国会通過を求めることになるだろう。野党との協議が必要であるから何らかの修正や手直しは受け入れても、基本的にはその成立をめざしてくることは明らかだ。ここでは野党が問われることになる。
 対米関係の安定のためには、安保体制の拡大を受け入れるのか、労働運動抑圧のための組対法を容認するのか、規制緩和の機軸である「無制限の労働力の流動化」を承認するのか――これらの法案への対応が現在の野党の性格を決めていくことにもなる。
 運動主体は、自らの闘いによって今後に進むであろう政党再編に直接に介入していくことになるのである。旧・民主党の一時の失速状況が、沖縄問題での対応に起因したことはいまだ記憶に新しい。
 とりわけ労基法、派遣法問題が昨年秋以降の労働運動の三傾向を包含した共同の闘いとして発展しはじめていることを見れば、この夏から秋の闘いは、より有利な地点から組み立てられるし、廃案に追い込んでいく可能性も高まっている。
 周辺事態法、労基法を中心に、反対運動の広がりを可能な限り広げ、それを通じて、八〇年代型と九〇年代型の融合、整合性への道筋を切り開いていかなければならない。
     (七月十六日)

「若葉マークの自動車社会論B」への疑問
一読者


 六月一〇日付「労働者の力」紙に、高山徹氏の「若葉マークの自動車社会論B」が掲載されている。大雑把な趣旨は、日本は市民社会が未成熟で、「自立した個人」が育っておらず、自分勝手論が横行して、自動車社会が非人間的なものとなっている、というものである。以下、いくつかの点にわたって疑問を提示したい。

 一、日本における問題性を「市民社会の未成熟」に求めるのは、いわゆる市民派知識人と代々木系知識人を結びつける主要な環であるが(二段階革命論の理論的基礎!)、そのような認識はすでに時代遅れになっている。日本の問題性は、市民社会の未成熟にではなく(「市民社会」なるものを何か理想的なものと観念すること自体、問題含みだが)、むしろ労働社会の未成熟にある(注1)。労働社会における資本対抗性の弱さが、企業社会の肥大化を生み、それが結局のところ、市民運動の弱さにもつながっている(注2)。

 二、「自立した個人」という規範を無批判に持ち上げるのも問題である。「自立した個人」という規範は基本的に、都市の中上層階層のものであり、それは、経済的・社会的・身体的に自立できない諸個人(福祉を必要とする階層)に対して、極めて抑圧的に働く(注3)。一般民衆の自立性や自治能力は、丸山真男のような「自立した」エリート知識人の想像するのとは違って、市民社会なるものの成熟によって実現されるのではなく、それ自身として自立できない諸個人がつくりだす対抗的諸組織(労働組合や労働者政党を含む)の中で集団的に陶冶されるものである。

 三、クルマ社会の問題性があたかも、市民社会の未成熟と「自立した個人」の欠如によってもたらされているかのような叙述はもっと問題である。高山氏は、叙述の最後の部分で、「クルマを軸とする社会構造のあり方」をも問題にしているが、つけたしの感は否めない。すべての先進国においてクルマによる交通事故や排気ガスは深刻な問題であり、「市民社会の成熟していない」日本だけの問題ではない。市民社会の成熟した(とみなされている)アメリカの方がはるかに深刻なクルマ社会である。

 四、クルマ問題には社会関係に還元できない側面がある。クルマという交通手段それ自身がもつ固有の物質性(まさに高山氏の言うように極端に自由度が高いこと、および、そのような自由度の高い交通手段が一トンもの鉄の固まりであり、かつ時速一〇〇キロ以上のスピードを容易に出せること。大量の化石燃料を浪費することなしには人を運べないこと、等々)は、自立した個人がいかに成熟しようとも解決されえない(注4)。

 五、最後に、傍論だが、氏は、交通事故において当事者同士が話し合うのではなく、保険会社が介在することを問題視し、それを「市民社会の未成熟」の典型的事例として持ち出している。しかし、交通事故に限らずどんな問題であれ、当事者同士で問題解決するのではなく、専門の第三者(弁護士や税理士や裁判所、さらには組合や政党でさえ)が介在することこそ、「市民社会の成熟」を示すものではないのか。事実、このような第三者の介在が最も発達しているのは、アメリカである。問題は、専門的な第三者が介在することそのものではなく、その第三者が、クルマ中心社会の論理と私的利益第一の資本の論理に支配されていることである。せめて、被害者の側も専門的な第三者を無料で立てることができるよう国がバックアップすべきだろう。
(注1)この点に関しては、熊沢誠氏と渡辺治氏の議論を参照せよ。
(注2)この点は、後藤道夫氏の議論(「対談 多国籍企業と現代帝国主義」、『場―トポス』第七号)を参照せよ。
(注3)この点に関しても、同前参照。
(注4)この点については、杉田聡氏の議論(『人にとってクルマとな何か』、大月書店、『野蛮なクルマ社会』、北斗出版)を参照せよ。
  一九九八年六月一七日

若葉マークの自動車社会論C
高山 徹


人を孤立させる車

 私が実際に車に乗り始めてから強く実感するようになったことに、「車は人を孤立させる」という点がある。
 日本の大部分の運転者が「独立の人間」になっていない、つまり自立した個人になりえていないことは、市民社会の一員として自分以外の市民社会の構成員を「独立の人間」として認めえないことを意味する。これでは、市民社会にとって大切な市民相互の連帯感は生まれようもない。
 市民社会の未成熟さによる運転者の人間的な連帯感の喪失を増幅させている要因に、車が人を孤立させるという事情がある。もちろん車という物体がそれ自体として人を孤立させるのではない。例えば日本の住宅事情が関係していることは、多くの人が指摘している。狭い住宅に住む日本人には、車が唯一の個室となり、そこで「自分」を取り戻すというのである。車の中という狭い空間、どんなに工夫しても無機的な雰囲気を脱しきれない空間、そんなところで取り戻したと考える「自分らしさ、主体性」とは錯覚でしかない。孤立を自立と錯覚していることに他ならない。
 しかも、そうした錯覚に車との一体感が重なって運転者の孤立はさらに深まる。先にも指摘したが、現在の車は工業製品としては相当に成熟しており、人間にとって扱いやすくなっている。ここで、車という機械装置を十分に支配している、車と一体となっているという感覚が生まれる。従来(現在でもそうだが)車の宣伝では、安全性よりも加速力やレスポンスの良さなど、機械が人の支配欲求をどれほど満足させるかに重点が置かれていた。
 ことに日常の労働現場で機械を操作している場合、実は資本に支配・管理されているのだが、その機械に支配されていると感じる。そんな機械装置とは逆に、極端な言い方をすると車という機械装置を支配するなかに、日常労働における疎外からの解放を見いだす――さみしい話であるが。暴走族はこの解放感覚を極端にまで追い求めているのであろう。
 もちろん車だけが人の孤立感を深めているのではない。テレビを中心とするマスメディアや学校教育など、現代社会の様々な機構、制度が人を孤立させていく。そうした状況の中で獲得される車との一体感を通じた偽りの解放感覚が、自己責任の論理を見失わさせ、自分勝手論の横行を招いていると考えられる。

生活様式を変えた車

 ついでながら。車は以上のように個人の生活に対して相当大きな影響を与え変化をもたらしている。車社会化が進展してからかなりの時間が経過しているので、多くの人は車社会を自明のこととして受け入れている。若葉マークの私は今、その車社会の内側に入ろうとしているところで、半分くらいはまだその外側にいるのかもしれない。
 そんな私から見ると、車に乗り出してから生活の方法や考え方が大きく変化したという気がしてならない。変な例であるが、私の頭の中の日本地図は鉄道路線によって描かれていた。鉄道の時刻表に掲載されている地図がすなわち私の日本地図だったのに、最近では居住している近隣諸県の道路地図がそれに変わっている。車で行ったことがないところは空白だから、それが日本地図ということになる。
 個人の生活を車が変えるということは、人々の生活態度、一種の「文化」を変化させていることになる。人と人との関係のつくられ方が違ってきたといえる。
 一九七〇年代頃から先進資本主義諸国で労働組合の組織率が低下してきた。これには、もちろん思想の問題や左翼指導部の問題が関係しているのであろうが、最近の私は、自動車の大幅な普及に伴う自動車社会化と切り離せないのではないかと考えている。
 非常に簡単な例であるが、自動車社会化が進行する以前では労働者(労働組合員)が帰宅途中に集団で行動することは簡単だった。それが一杯飲み屋であれ雀荘であれ、あるいはその他のクラブ活動であっても、組合員相互あるいは組合員とオルグ対象者が共同の行動を展開して労組活動を深める機会が多様にあった。
 だが各個人が自家用車で通勤するようになると、そうした行動が困難となる。あるいは朝、工場門前で配布するビラも、自家用車相手では効率が上がらない。組合員相互の日常的な連帯が失われていく。労働組合組織率の低下の背景に、こうした事情が一つの要因としてあると思う。

 実際に自動車に乗り始めてから感じたこと、思いついたことをそのままにぐずらぐずらと書いてきたが、ついに私の若葉マークもとれてしまった。最初からはっきりした結論が出るとは思っていなかったが、今回で終わることにしたい。
 いずれにしても、自動車社会化に伴う変化の多くは、個人のあり方だけでなく社会の様相にも影響を与えてきた。これと同時にテレビなどのマスメディアの膨張、パソコンの普及など、これらを要因として取り入れて社会を考えていく必要性を痛感した。
アジア危機とその後の展望
              不明確な国際経済の局面
                                   マキシム・デュラン
 過去九カ月間、アジア経済は深刻な危機に見舞われ、他方、ウオールストリート(ニューヨーク証券市場)やヨーロッパ各国の証券市場は新高値を記録してきた。こうした矛盾し不確定な経済局面をいかに解釈するのか――一部のエコノミストは新たな経済拡大の波を予測しているし、他方では深刻な金融危機を予測するエコノミストも存在する。インターナショナルビューポイント誌の経済担当、マキシム・デュランは、両者の中間の立場をとっている

米経済の展望は

 アメリカ経済がハイテク部門を中心にして、新たな拡張期に入ったのかどうかをめぐって議論が別れている。現在の好況期が比較的長期間続いている事実は、新たな拡張期に入ったという主張を支持している。一九九一年のリセッション以降、成長が続き、一九九七年には三・八%という高い成長率を記録した。こうした数値は、一九九二年から一九九七年までの平均成長率が二・八%で、八二年から八九年までの平均成長率が三・九%だったのだから、これと比較して決して特別なものではないといわれる。そのうえ、アメリカの人口増大率は一%で、ヨーロッパの約三倍であるから単位資本当たりの成長率は大西洋の両側で同じだという主張がある。
 だが、アメリカはヨーロッパ以上に雇用を創出しており、失業率が両者ともに上昇する傾向にあるのでもない。アメリカの失業率は、一九九〇―九一年リセッション以前と同じ低さである。しかし新たに生み出されている雇用には、分極化傾向があり、一方では誰にでもできるサービス産業などの簡単な仕事があり、他方には質の高い雇用がある。そのどちらでもない雇用は、相対的に減少傾向にある。このため不平等、格差が拡大し、「勤労貧民」の割合が増大する傾向がある。
 この成長モデルに異議を唱えることは、これに依拠する社会の矛盾、不平等の拡大に反対することでもある。単位資本当たりの成長率は一%を超えておらず、この事実は、熟練労働でさえも賃金上昇が限られていることを意味している。力強い消費行動は、賃金収入の増大よりも労働者数の拡大に支えられている。また強力な消費の背後には家計負債の増大があり、その水準は警告すべき段階に達している。
 この数年間におけるアメリカ経済の特色の一つは、全体としての生産性上昇が弱い点にある。この事実が、非常に明確な「二重」経済構造に依拠した雇用創出力を説明する。だからこそ、欧米で成長率が同じでありながら、アメリカの方が雇用創出水準が高いのである。
 新たな成長モデルという仮説は、現在の成長回復が少なくとも製造業における生産設備の量的拡大と質的な更新に基づく生産性の上昇に依拠しているというその前提が問われることになる。確かに民間投資は、一九九三年以降拡大を続けており、現在GDP(国内総生産)の一四%を占めており、一九八〇年代の当初よりも高くなっている。
 この上昇への転換は、一九八六年から一九九三年まで続いた景気後退期からの回復とも考えられる。いずれにしても、民間投資の拡大は製造業――年三%の成長を持続している――における生産性の顕著な上昇につながっていない。現在の各種利潤指標の上昇は、この過剰蓄積傾向を明らかに過小評価している。
 アメリカ経済の成長が依拠している国際的な要因こそが、大問題である。転換点は一九八〇年代初めにあった。その時、金利が急上昇し、当初はドルへの信認が高まってドル高となり、一九八五年には八〇年のほぼ五〇%高となった。この大変動はアメリカの対外債務を増加させ、GDPの三%となった。これは外国との貿易額が相対的に小さな割合しか占めないアメリカ経済にとって、相当な規模である。
 一九八五年九月、経済五大国(G5)がプラザ合意に調印した。この合意でドルは引き下げられ、その影響が他の四カ国に「国際通貨協調」の名の下で押しつけられた。一九八五年からの三年間、円は四六%、ドイツマルクは四〇%、フランスフランは三七%、イギリスポンドは二八%高くなった。こうした条件下でアメリカの貿易赤字は一九九一年の景気後退年に一・五%減少した。
 九〇年代のアメリカ経済の新しい循環は、このドルの交換レートのおかげをこうむっている。しかし輸出の急速な増加は、この数年間、ドルが一五%も高くなってきたために、貿易赤字の拡大につながっている。アメリカは一九九七年に、六千六百億ドルを輸出したが、他方、八千六百億ドルを輸入した。サービス部門で黒字であるが、経常収支の赤字は千七百九十億ドルとなっている。
 こうした貿易赤字は、対外債務の増大が経済成長に結果するなら持続可能である。成長の結果、生産性が上昇し、いくつかの商品部門で国際競争上の優位を獲得できるからである。だが、そうした事態は生まれていない。従って最もありそうな事態は、経済循環の下降局面への転換である。最悪のニュースは、世界経済中心部の金融不安がアメリカ経済の「ソフトランディング」を不可能にすることである。

アジア危機の後は

 アジア経済の危機に関しては多くのことがすでに言われている。以下では、本質的な二、三の点にしぼりたい。
 第一は、日本が停滞的成長の現状にとどまりそうな点である。一九九六年に相当額の資金をつぎ込んだために、経済に回復傾向が見られたが、持続的な成長に十分な額ではなかった。銀行システムの一部が技術的な破たん状況にあり、また、日本からの大量輸出を吸収してきたアジア諸国が深刻な経済危機に見舞われている。日本がアジア地域や世界経済に与えてきた活力は、枯渇しつつある。
 東南アジアの「四龍」諸国、とりわけ韓国、そして経済的な打撃を受け、通貨切り下げの影響を強く受けざるをえなかったすべてのアジア諸国は、同じような状況に直面している。通貨切り下げの主要な影響は、これら諸国間の競争を強化することであり、その製品の競争力が今後弱くなるので中国の経済拡大が脅かされることである。
 もっと一般的にいえば、現在のアジア経済の危機は、ネオリベラルの開発計画全体に疑問を投げかけることになる。すべての開発モデルは、次から次へと波及する危機によって打撃を受けた。アジア諸国が自らを世界市場に開放したことは、輸入額が輸出額を上回るという相変わらずの依存性を明らかにした。
 これら諸国は、増大する赤字対策として自国通貨をドルなどのハードカレンシーと連動させることを止めた。これら諸国は自国通貨を切り下げられないので、国際収支の赤字を減少させるためには、管理されたインフレや高い金利、民営化以外に方法がない。このやり方は、ネオリベラルモデルにとっては不可欠な要素である――一九九四年にメキシコで、そして九七年にアジア諸国で生じたように、そのモデルが持続不可能になるまでは。経済破たんの影響は、荒々しい攻撃となっている。将来の問題として、ブラジル、アルゼンチン、ポーランドが控えている。
 帝国主義時代の関係に絶えず存在する特色の一つは、低賃金諸国間の競争によって原材料や電子部品といった中間工業製品の価格が基本的に低下する傾向にあることだ。こうした価格低下がことに韓国を激しく襲い、また、原油価格が一バレル当たり十八ドルから十二ドルに低下したとき、メキシコとインドネシアの経済危機をさらに加速した。
 だが最悪のメカニズムは、第三世界の経済を強力な競争力を有する多国籍企業との競合関係に巻き込むことである。これによって、農業や伝統産業部門全体が一掃される。その結果、雇用機会が減少し、それを補う雇用が創出されることもない。このメカニズムは、低賃金諸国との競争によって「北(いわゆる先進諸国)の雇用が奪われている」という広範囲に広がっているイメージとはまさに正反対である。
 世界経済は二つの重大な衝撃を経験してきた。それぞれは、IMF(国際通貨基金)が動かした融資総額に示されている。一つは、メキシコに対してであり、もう一つのアジアの危機に対する額の二倍、五百億ドルが融資された。二つの場合において、予測されていた世界経済でのドミノ効果は発生しなかった。一九九五年にラテンアメリカで生じた「テキーラ効果」は相対的に限定されていた。一九九七年初めには、世界主要証券市場で動揺がみられたが、金融危機は連鎖反応を起こさなかった。その反対に、すべての主要証券市場でこれまで記録がうち破られ、株価などは途方もない高さに達し、次の転機が訪れたときにはとてつもない下落となるだろう。
 IMFは、確かに最近の経済危機に対して難しい対応を迫られてきた。その理由の一端は、IMFが処理が公的債務以上に困難な民間債務を扱ったことにある。だが少なくとも現時点では、危機の連鎖を防ぎ、東南アジア以外に拡大するのを防止している。
 アジア経済危機を通じて多くの資金保有者は、その投資対象をアジアの証券からより安定した富裕国の国債などの公的な債券に移した。この事実が最近のドル高の理由の一部である。
 アジア経済の危機は、いくつかの面で現在の不透明さに影を落としている。第一は、多かれ少なかれ典型的な過剰生産が存在することである。そのため過剰資本の暴力的な圧縮が行われ、国内市場の拡大を阻止すべく非常に厳しい緊縮政策がとられている。IMFは、一九九八年の世界経済の成長率を四%から三%に下方修正した。
 すべての専門家は、すぐにも転換が起こり、アジア危機の影響が最小限に抑えられると発表している。しかし問題は残っている。すなわちこれからの数年間、資本主義経済にとって活力ある場所はどこなのか――という問題である。
 現在の危機が与える間接的な影響は、予測が一層困難である。例えば年金基金は、解決不可能といっていい困難に直面している。年金基金は、非常に高い収益の維持を前提にしており、収益が急速に低下すると年金の支払いが難しくなり、金融危機のみならず社会的な危機をも招きかねない。

地球規模の二極化

 現在の国際金融システムを特徴づけている不確実さは、三極構造、すなわち日本、アメリカ、西ヨーロッパ三者がそれぞれに支配経済圏を形成して力関係を均衡させる――という考え方そのものに疑問を投げかけている。
 これら三極を構成する帝国主義諸国は、世界経済における個別経済圏の再構築に関して、それぞれの役割を担っている。結局のところ、経済の国際化が進展しても、完全に統合された世界市場というものは形成されなかった。しかしながら、アジアの新興経済圏諸国からの商品の流れは、三極構造において特殊な役割を果たしている――そして、これら諸国の通貨は円ではなく、ドルに連動している。軍事的、外交的な観点からするなら、アジアで依然として支配的なのはアメリカである。
 経済の観点から結論だけをいうと、多中心あるいは三極の帝国主義構造というイメージは、その根拠を失いつつある。
 アメリカは、残余の世界に対して二つの矛盾した内容を押しつけることに成功した。その一つは、巨額の経常収支赤字を記録するアメリカからの輸出に非常に有利なドルレートである。このことは、貯蓄率が極めて低いアメリカ経済の成長は、三極構造の他の二極、ことに日本からの資本流入によって資金面が支えられなければならないことである。この不均衡はすでに八〇年代半ば以降、存在してきた。最近の円安は、日本とアメリカとの依存関係を強め、そのことがまた日本経済の成長を鈍らせている。日本に変わって西ヨーロッパがアメリカにとっての長期的な資金提供者になるとは、考えられない。
 ヨーロッパでは、ネオリベラル政策が共通に採用され、一九九〇年代前半に同様な状況が生まれた。資本蓄積率は、経済循環サイクルがアメリカとヨーロッパで逆転していることを最もはっきりと示している。アメリカのデータをみると、資本蓄積率は九〇年代初めに低下し、その後、力強く回復している。最も驚く事実は、日本と西ヨーロッパを一つのグループと考えると、このグループはアメリカとは正反対に九〇年代初めに資本蓄積率が上昇し、次いで大きく減少し、その後はわずかに回復する基調にあるということである。
 今後の展望を考えるうえで重要なのは、アメリカと日本・西ヨーロッパのサイクルが同調するか否かという点である。もし同調が実現するなら、アメリカの活発な資本蓄積が日本・西ヨーロッパに波及する可能性が高い。反対に同調しないのなら、一方のアメリカと他方の日本・西ヨーロッパとの金融・資金関係は、相互補足的なものとなっていき、アメリカのサイクル持続が西ヨーロッパサイクルの持続と両立できなくなろう。
 アメリカは、資本移動の完全な自由を他の世界に押しつけることができてきた。まずは世界貿易のやり方を決める世界貿易機構(WTO、GATTの後継組織)を通じて、そして最近ではMAI条約(外資に制限を設けることを禁止する)を利用してである。幸いなことに、MAIの主導権に反発が強まっている。
 こうした帝国主義の三極構造の内的な再編成は、古典的な帝国主義のやり方に復帰して行われている。例えばブラジルとアルゼンチンとの間でつくられようとしている自由貿易地帯に対して、商品流通を混乱させるという理由で反対することなどがある。

 世界資本主義は、新たな長期拡張期の基盤形成に成功していない。その理由は、商品需要(つまりは賃上げ)を持続的に拡大できないことと、資本主義というものが不況の経済圏を定期的に生み出すようなやり方でしか世界を組織できなからである。
 現在の経済循環は、過剰生産を基礎にもつから、新たな世界経済秩序の形成に非常な困難を与える。しかし最終的な破局が自動的に生まれるわけではない。最もありそうな展望は、一九九九年を通じて持続する資本蓄積の減少である。だが、この事実は主要経済圏の一部では、高い利益率によって表面に現れない可能性がある。このことが、ネオリベラリズムの正統性を明確な危機に陥れるだろう。