1998年10月10日        労働者の力               第104号

与野党五会派、改悪労基法国会成立を強行
参院では無修正!
                                   川端 康夫

  
 九月二十五日昼、新たな裁量労働制の導入などを盛り込んだ労働基悪法案が参議院本会議で可決成立した。
 今回の改悪は、一九四七年の同法制定以来の抜本的な見直しであり、見直しの視点は、すでに明らかなように新自由主義(ネオリベラリズム)的な資本の論理に全面的に寄り添ったものである。とりわけ、柱となる裁量労働制という概念を全面的に拡大して採用するという方法は、まさに世界的・歴史的に確立してきた労働時間概念を根本的に骨抜きにしてしまおうとするもので、労働運動が長きにわたって獲得してきた地平に対する正面からの挑戦といえる。
 衆院で一部修正されて通過した同法案に対して、参院は修正することなく、共産党を除く自民、民主、公明、社民、自由など与野党五会派が賛成(賛成二〇二、反対二六)した。共産党二十三名に加えて、福島瑞穂、島袋宗康、中村敦夫の三氏が反対票を投じた模様である。
 同法案は四月二十一日に上程されたが、前国会では与野党の協議が合意に達せず、成立が見送られていた。本紙前号既報の通り、八月末から九月はじめのほぼ一週間で衆院をスピード通過した同法案は、参院に送付された時点で、改めて是非をめぐる論議が巻き起こると想定された。運動サイド(労働基準法・労働者派遣法改悪NO!共同アピール運動)は、九月十六日から十八日までの五十五時間におよぶ参議院議員会館前座り込みハンストに突入するとともに、十六日には二千人結集の日比谷野音集会、二十二日から二十五日まで連日の議員面会所集会を展開した。
 この間、参議院社会労働政策委員会は、十七日の質疑、十八日の参考人質疑、二十二日の質疑と「粛々」と進み、二十四日の質疑と委員会採決、翌二十五日正午参院本会議採決へスムーズに到達したのである。

膨大な付帯決議

 この一週間の実質的審議は、十三項目におよぶ長大な付帯決議で不満、抵抗を封じ込めることに費やされたといえる。本則に手を触れることなく付帯決議でごまかす手法は国会ではおなじみともいえるが、今回もまた同じ手口が採用されたわけである。だが、今回の付帯決議の長大さは、本則が持っている悪質さの反映であるといえる。これだけの長大な付帯決議が必要であるということは、本則そのものに相当程度の問題があるはずであり、従って常識では本則の見直しが必要となるはずである。
 だが、連合は二十五日に発表した事務局長談話で、「連合の要請は概ね満たされたものと判断する」と評価した。衆院通過の時点で連合内では不満、反発が渦巻いた。とりわけゼンセンや金属、一般など、改悪労基法との対決姿勢を牽引してきた単産からの不満、抗議に対して、連合事務局は「政党にイニシアを委ねた結果だ」など責任転嫁で切り抜けようとした。
 しかし、ここでの連合内批判派の論拠は明瞭であった。つまり参院で自民党が単独多数でないという事実が、一方では金融関連法案などでの野党案丸飲み状況に至っているにもかかわらず、労基法改悪問題での抵抗力のなさは一体どういうことだ、と。
 連合指導部は、参院段階における再修正の姿勢を示すことで批判を回避しようとしたのだが、それは結果が示すようにポーズでしかなかった。
 修正の要望が強かった、新裁量労働制の労使委員会に付与する権限や機能について、連合指導部が参院対策の要求で掲げた「本則への挿入」など、本気で実現させる気はさらさらなかったし、本気で求めもしなかったというべきである。
 社民党も、付帯決議論に巻き込まれたのであろう。もちろん社民党が抵抗しても数からいって限界もあり、付帯決議を充実させる方がベターだという立場もありえたかもしれない。が、誰も社民党にそのような役割を期待してはいなかったのであるから、この党はやはり連合の動きに目線を合わせていたということにしかならない。
 連合指導部が参院選後、民主党の躍進を見て、民主党一本支持に最終的に動いた。だが地方組織に関しては経過もあるから、社民党との関係も場合によっては認めるという姿勢を打ち出したのであるが、そうした「おこぼれ」にすがりついて社民党の将来はありうるのかどうか、土井党首以下、この党は本気で考えた方がいい。

満足を表明した日経連

 では、その付帯決議への態度はそれぞれいかなるものか。
 連合事務局の理解は以下のようである。付帯決議では、労使委員会が運用面で問題が生じた場合、三年後の見直しの時点で「法令上の措置を講ずる」という衆院の修正を補強する文言を挿入した。また他の労働条件などの決定まで労使委員会の権限を拡張させないため、委員会の機能を「新裁量労働制に限定する」との大臣答弁を引き出したことで、設定したハードルはクリアできたとの判断に立つ。業種や対象労働者の範囲についても衆院段階で、中基審での指針審議に先立って「法案成立後直ちに専門的機関を設置する」との答弁を得ていることから、そのなかで業種拡大に歯止めをかけていく方針ということのようである。
 全労連系の労働法制中央連絡会は同日の談話で、衆院で共同修正案がまったく修正されず、「強行可決・成立させた暴挙は良識の府である参院の存在を自ら形骸化させもの」と批判。他方では、この間の取り組みを通じて連合などとナショナルセンターの違いを越えた共同行動が前進したと評価している。連合指導部の水面下での与野党調整を非難はするが、今後予定される派遣法改悪への取り組みなどで、共同行動推進勢力との協調を深めていくという態度だ。
 全労協は同日「論議を尽くさず強行採決」したことに抗議し、「五十年前に逆戻りさせるもの」と批判した。共同アピール運動事務局は、十月一日付の通信で「改悪法案は政府原案を部分修正したといえ、改悪の本質をなんら変えることなく成立した」と述べた(別紙資料1参照)。
 一方、日経連は同日「今回、労働基準法における労働契約関係ならびに労働時間の改正法案が成立したことについては、これまでの関係各位の努力に対して深謝申し上げる次第である。特に有期雇用契約の上限の延長、裁量労働制の拡大、一年変形制労働の要件緩和については、グローバル化時代の経営環境の変化、働く側のニーズの多様化に対応するために意義ある改正であり、実施が急がれるものであるが、裁量労働制の実施が一年延期されたことは残念である。しかしこれらの制度が活用され、積極的な取り組みがなされることを期待したい」という福岡専務理事の談話を発表している。満足感の表明である。

時代の流れは反対派に

 一連の労働法制改悪の流れは、レーガン、サッチャー路線の積極導入を進めてきた日経連の方向性に寄り添うものである。小沢改革論などの流れが、中曽根的な戦後政治の総決算路線の延長上にあることは明らかだ。それが一九九〇年代に入って労働運動の主流となった連合の主軸組合が、基本的に同調するものとなったことにより、一挙に具体化しはじめたのである。
 そうした経緯が、今回の衆参両院の審議と採決過程に如実に反映された。しかし時代は変わりつつある。全世界的にも政治、経済ともに新自由主義論の風潮は急激に打撃を受け始めた。ヨーロッパ世界は当然としても、イギリスばりの政策を強行してきたオーストラリアでもつい先日の総選挙では労働党が政権党に肉薄するまでに至った。
 労基法の与野党共同案を推進した勢力は、いわば明らかに時代遅れ、流れに反している存在だ。反対派は将来社会のあり方を先取りし、それを現実に近づけるために闘っているのである。
 民主党は、新自由主義的な政策体系にある自民党政府との対抗の必要上、ときにはヨーロッパ型のつまみ食いを行う。たとえば、破たん銀行の「一時国有化」はスウェーデン型の模倣である。だが「つまみ食い」では、自民党政治のどうにもならなさを部分的につくことはできても、自らが新自由主義の保守政党や連合主力との癒着である以上、反自民感情を単に利用する「めくらまし」的なものにしかならない。まして自民党と対抗しうるような政策の体系をもった対抗政党にはなりえない。
 このことを労基法改悪問題が典型的に示した。この党も一時的な泡ぶく政党でしかないことを実感させたのである。
 実際のところ、ヨーロッパ型運動がどのようなことを行っているか、日本からは遠いせいもあり実感が湧かないところもある。参考としてフランス社会党と緑の党との政策合意の一部を紹介したい(別紙資料2)。この合意に私が全面的に賛成だということではない。また第四インターナショナルフランス支部は、それなりに違った態度を持っているはずだ。だがヨーロッパ、あるいはフランスの左派運動のダイナミズムを感じ取ることはできるだろう(日本語としてこなれている訳とはいえないけれど)。
 労基法をめぐる国会状況は絶望的だった。しかし運動サイドは将来の社会のありようを問いつつ闘っていることは、はっきりと確認していい。
 派遣法改悪反対闘争が待ったなしだ。この闘いは「社会運動としての労働運動」がより明確に問われる闘いとなる。新しい政治の流れを切り開くためにも、労基法闘争の経験は「無にはならない」(共同アピール事務局通信)。
  十月十一日
【資料1】
「労働基準法・労働者派遣法改悪NO!共同アピール運動事務局通信」
九月二十五日労基法改悪法案可決成立
しかし、職場の闘いはこれからだ!
そして労働者派遣法の全面改悪を許さない闘いを

 
 九月二十五日、参議院本会議で、労基法改定法案採決が行われ、賛成二〇二、反対二六(共産党二三名に加え、福島瑞穂、島袋宗康、中村敦夫が反対された模様)で可決成立した。改悪法案は政府原案を部分修正したとはいえ、改悪の本質をなんら変えることなく成立した。サービス残業を合法化し、無定量の労働を強いる新たな裁量労働制の導入、正規労働者の代替を進め雇用を不安定化させていく労働契約期間の上限延長、女性保護規定の撤廃にともなう不十分な時間外労働規制などそのままである。
 私たちは、昨年十月、所属や立場を越えて共同で労働基準法改悪反対闘争を取り組んでいくことを呼びかける「共同アピール」を発し、昨年十一月十日の労働省前抗議行動を出発点に、連合や全労連に所属する労働組合や労働者とともに、全国各地で様々な取り組みを進めた。
 十一月二十七日の日比谷集会、今年春には、「全国キャラバン行動」を全国各地で所属を越えて実行委員会をつくり取り組んだ。四月二十二日のキャラバン行動集約集会は四千人を越える仲間が日比谷野音に集まり大きく成功させることができた。そして、その大衆運動の高まりの中で、衆議院労働委員会は労基法改定案の継続審議を決めた。
 参議院選挙後の有利な情勢にもかかわらず、衆議院では九月四日、共産党を除く与野党共同修正で可決された。参議院段階で、私たちは、改悪部分の削除を求めて、九月十六日から抗議の五十五時間ハンスト座り込み闘争を参議院議員会館前で行ない、第一日目の夜には日比谷野外音楽堂に二千名の仲間が結集し集会も取り組み、議員や政党要請も積極的に行なったが、残念ながら衆議院から送られた原案がなんら修正されることなく、九月二十五日の参議院本会議で可決成立させられた。
 改悪案は成立してしまったが、私たちがこの一年全国の仲間とともにつくってきた運動は無にはならない。闘いを通じて、全国各地の様々な立場の人たちとのネットワークができ、顔の見える関係をつくることができた。この遺産はかならず今後の闘いの役に立つだろう。
 そしてこれから、改悪労基法を職場に適用させるか否かはまさに労使の攻防である。職場から労基法違反を一掃すること、改悪労基法を導入させないこと、三六協定などを通じて時間外労働の男女共通規定を確立する職場の闘いを進めたい。困難職場への地域の支えや未組織労働者の組織化・相談も重要だ。
 勢いにのる政府・労働省は労働者派遣法の全面改悪(現在二十六の専門職種に限定されている派遣対象業務の原則自由化)を進めようとしている。十月六日に閣議決定の上、臨時国会に提出し、次期通常国会で可決成立させようとしている。派遣労働が自由化されたら、あらゆる職場に派遣労働者が拡大し、正規労働者の代替が進むだろう。経営者にとって使い勝手の良い雇用形態がどんどん増やされようとしている。絶対に許さず新たな闘いを準備しよう。
【資料2】
フランス緑の党と社会党との共同政治綱領(部分)
一九九七年一月二八日集会後の決定版
  
 緑の党と社会党は、六ヶ月にわたってそれぞれの分析と提案を政治領域全般について突き合わせてきた。両者の思いが、議論するなかで次の三点において合致した。
一、経済自由主義の論理と闘うことなしに現状をこえることはできない、と確信する。
二、社会を持続可能な発展の方向に転換させていく用意のある民衆や社会的な力が、フランスにもヨーロッパにも存在している、と確信する。
三、選挙による単なる政権交代では十分ではなく、政治的オルタナティブが必要であることは明らかである。
 こうした思いを、社会の改革と転換に関する提案を追求することを通して表現し、われわれの提案を次期選挙の際の民衆の検討にゆだねたいと思う。緑の党と社会党は、以下に述べるような方向、つまり双方が求めてやまない政治的オルタナティブの土台となるものを、フランス市民に訴える。

★〈経済・社会に関して〉☆
●労働時間、現役労働期間、および雇用契約からはみだす保証形態に関する一貫性ある法律体系によって、失業と排除を克服する。例えば、週三十五時間労働法による、給料の削減を伴わない大幅で急速かつ全般的な労働時間の短縮を直ちに実施して、何十万の雇用をつくり出す。そして、週三十二時間労働や週四日制に関する労使代表の交渉を開始し、立法化へと進めていく。
●富を再分配する。とりわけ、社会保障にお金をかけるやり方から、環境税や付加価値税、極めて累進的な個人所得税による税制に重点を移していくことで、また預貯金の税制優遇措置を廃止することで、富の再分配を図る。こうして勤労者の分担金は、低賃金の勤労者を優遇する基礎控除によって累進制を加味した一般福祉分担金に取って代わられるだろう。他方、雇用者の分担金は、もはや雇用する労働だけにではなく、生産された富の総額に基づくことになるだろう。そして収入源への課税の実施が検討されるだろう。
●社会的・エコロジー的目的をもって運営されている第三セクターを優遇するために、市場セクターや公共セクター以外の多様な自発的活動を支える。こういった第三セクターの設立を援助し、限度をもうけて補助金を出し、供給力強化政策の推進を支援し、ガラス張りの規則(会計監査/地方会計議会)を定め、ボランティアに関する地位を規定し、失業手当の節約を目指す機関との協力関係を準備する――これらのことのために基本法を作成する。また、社会的自立のための最低所得制度が近いうちに十八歳〜二十五歳の若者に拡大適用されることになりだろう。
●二年以内に七〇万の雇用を創出するために若者の雇用を促す国家計画を実施する。その資金は、現在行われている非効率的な雇用への援助を移転させ調達する。
●勤労者全国協議会を設立し、勤労者の購買力の全面的な増加を目指す望ましい変化を提起して、産業部門や企業内における賃金交渉の参照基準にする。
●学校や健康、裁判、都市のための多大な予算を動員して、公共サービスを強化する。市場とは別に混合経済の概念やEUの「公的権力」の必要性を強く主張するならば、競争のバランスがよくなって公的サービスとの競争が対等となり、基本的人権の行使と差別のない基本的サービスへのアクセスに公的サービスをつなげていくことができるだろう。

★〈環境と地域圏に関する章〉☆
●共同輸送を優先させるが、それは公共鉄道サービスの発展、他の交通手段との料金差の調整によるフランス国有鉄道財政の均衡化、鉄道による商品輸送への転換の支援、都市における路面共同輸送の発展などを通してなされる。また、高速道路の建設を一時凍結することで、高速道路計画の見直しが可能になるだろう。そして、道路インフラのための資金調達法を修正し、多様な内燃機関用燃料にはそれらの汚染度に応じてバランスよく課税し、車の馬力を制限する。
●汚染型の生産至上主義的な農業を、農民に然るべき収入を得させることができる、質の高い環境重視型の粗放的農業へと進展させる。
●環境税制を開始する。廃棄物の焼却部分を五〇%にまで制限し、その後次第に低下させていくとともに、ゴミ排出源の削減や分別回収・リサイクルを進めていくよう、廃棄物法を方向づける。築堤により川の最低水位を抑えて湿地帯を干拓することを止めるならば、浸水しやすいゾーンへの建築を禁止することにもなる。

★〈民主主義と市民権に関する章〉☆
●多数決に起因する不平等に比例的な保障をし、憲法によって代表を男女同数とすることで、民主主義に活力をあたえる。
●税制をも含めた国家の権限の分権化を、特に地方に有利になるように促進する必要がある。同様に、エネルギーの抑制や再生可能なエネルギーの発展に関する活動とか第三者の異議申し立てができる都市計画や地域圏整備計画の主導的な計画の作成は、地方の仕事になるだろう。
《集会案内》
仙台で三里塚集会を開催


 三里塚一坪共有地運動を解消しようという一部の動きに対してこの間、現地、宮城、関西、首都圏などで反対の声明が相次いで明らかにされてきました。また、すでに皆さんのもとに送付されているように、反対同盟(熱田派)は実験村委員会最終報告に際して自らの見解を明らかにしました。
 このような中で、これからの関わりや取り組みに関してもさまざまな議論が交わされてきています。今回、柳川さん、龍崎さんから仙台でお話をいただく機会を得ましたので、報告・交流の場を持ちたいと思います。
 東北各県から、一坪共有者ならびに「三里塚」への熱い想いを大切にされる皆様のご参加を呼びかけます。
仙台・一坪共有者の会
 代表 古賀信夫
地球的課題の実験村・報告交流会
〈三里塚からの報告〉
柳川秀夫さん 龍崎春雄さん
11月4日午後6時
宮城県県民会館会議室
インドネシア
        スハルト退陣とハビビ政権の本質
          新しい新秩序

                                 B・スカンタクマール

スハルト退陣

 五月二十一日にスハルト退陣が発表されるや、ジャカルタの政府中枢部を占拠していた学生たち――彼らがひどく嫌われていた独裁者に対する闘いを領導してきた――の間では、涙と笑いの双方が巻き起こった。彼らは、自分たちの人生よりも長い三十二年間も続いた時代の終わりを正しくも祝福したのであった。彼らの多くにとって、スハルトの退陣こそは、インドネシア経済の再生と複数政党制民主主義の導入とに必要な第一歩だった。
 しかし新秩序体制がスハルトを犠牲にしてでも体制自身を延命させるために、ハビビを後継者にしたことが明らかになるにつれ、首都のみならず、全国のいたるところで歓声が消え、失望が急速に広がっていった。戦闘的左翼人民民主党(PRD)は「スハルトの退陣は、人々の抵抗の成果を最小限に抑え、闘いを沈静化しようとするものだ」との見解を明らかにした。
 プラモエドヤ・アナンタ・トエル――他の著作と同様に依然として発禁処分を受けているブル・クワルテットの著者であり、十四年間も投獄されている――は、次のように述べて注意を喚起している。
 「若い人々がスハルトの退陣と政治舞台への瞬間的な登場だけに満足するなら、まったく愚かなことだ。私が望んでいる改革運動の目標は、単にスハルト新秩序体制を構成するメンバーの交代ではなく、その体制自体をなくすことだ」(ワシントンポスト、98年6月7日)
 ハビビが政権にとどまる限り彼は、自分のパトロンとスハルト一族を守り、彼らが犯した人々に対する犯罪や富の着服に関する裁判を行わないようにするだろう。こうした犯罪について、スハルトとハビビはよく知っており、同罪である。しかし彼は、国民の強烈な感情に取り巻かれているのであり、しかも最初の声明では「政権に対する国民の願望が、その清潔さや効率性、腐敗や親族重用の追放にあることを認識している」と述べた。
 ハビビ一族は実際、化学、建設、不動産、運輸、通信などの産業に権益を持っている。その膨大な資産の中心がティムスコグループで、八十以上の企業を支配するコングロマリットである。新しい大統領は、政治腐敗に対して厳しい打撃を加えることはできない。
 軍部(ABRI)やその他の政権勢力が望んでいるのは、改革を要求する大衆運動や集会が前大統領の追放を実現したことによって、持続する力を失うことである。

限定的な改革

 新政権が複数の改革措置を発表したが、それらはあまりに少なく、しかも重要なものではなかった。改革の多くは、ちょっとしたことで逆戻りするような小さな改革だった。ハビビは、独立労組SBSI(インドネシア繁栄労働組合)やインドネシア統一民主党(PUDI)などの政治犯数人を釈放した。SBSIは合法となった。おそらく、他の独立労組もそうなるだろう。国際労働機構(ILO)の結社の自由協定が批准され、国内法の整備を待つばかりとなった。協定批准が労組に関する政策に直接に影響することになった。政府に批判的な雑誌、エディターやテンポ、一九九四年に非合法となったタブロイド版のデチクが合法となり、出版・販売が自由となった。独立ジャーナリスト連盟(AJI)もまた、承認された。
 多数の新党が結成された。そのうちには、新秩序前に結成され、その後、解散させられて政府に従順な二つの野党、統一開発党(PPP)とインドネシア民主党(PDI)に合併させられた諸党が含まれている。
 スハルト政権がつくった与党ゴルカルは、同党を構成する参加団体あるいは派は自由に政党を結成できると発表した。これにそってすでに二つの政党が分裂して誕生した。
 他方、旧制度において自らの代表をもっていなかった利益集団が、政党結成の意図を明らかにしている。その中には、公平な待遇を要求し、政治的、文化的な差別の撤廃を求める中国人政党がある。中国人は、少数派のキリスト教徒が中心であり、この数カ月間の反体制運動においては人々の怒りの対象となっていた。
 SBSIのムチタール・パクパハンは、「労働者、中小企業人、知識人、進歩的なNGO」を基盤とする全国労働者政党を提唱した。彼は、PDIの指導者であるメガワティ・スカルノプトリ――独立後初代大統領スカルノの長女――をその議長に迎えた。
 政権が、東チモールの指導者、シャナナ・グスマオを釈放することはありそうもない。PRDの議長と投獄されているその同志たち、西パプア抵抗運動の指導者、ジャコブ・ルンビアク、三十二年前に投獄された七十二歳になるアブダル・ラチエフをはじめとする二百人以上のインドネシア共産党員(PKI)らも釈放されそうもない。こうした政治犯を釈放することは、国際連帯運動の中心的な課題となっている。
 新しい自由な政治活動という面でも、相当な制限がありそうだ。PKIの非合法状態が解除されないことはすでに発表されている。PRDの合法化に関しては、何の言及もない。新しく誕生する政党は、国民的合意と穏健という国家イデオロギーへの忠誠と一九四五年憲法の尊重が要求されている。
 ハビビの新内閣は、イスラム教団体ムハマディア議長アミン・ライスのような穏健野党政治家さえをも失望させるものだ。彼は軍部やその他の勢力とともに、民主化運動に向かって、政府に猶予を与え、改革を実行する機会を提供すべきだと提唱した人物である。
 スハルトの娘やその親友で億万長者であるボブ・ハサンなどの前内閣における最悪の人物を排除しつつも、前政権の芳しくない人物の何人かを留任させている。
 二つの合法政党、PPPとPDIから初めて入閣があった。イスラム知識人会議に向けたハビビの助手として、そして国家政党ゴルカルと軍部(ABRI)からの同志として。
 新内閣における鍵となる人物は、国防相でABRI司令官ウィラント将軍と、財政経済調整相のジナンジャール・カルタサスミタである。
 野党政治家に入閣の打診があったのは明らかだ。注目に値する人物は、アミン・ライスであるが、彼は、入閣すれば事実上ハビビ政権に協調し妥協することになると考え、これを断った。
 ハビビは思い通りにはできない。彼は最初、前任者の任期をまっとうすると述べた。つまり二〇〇三年までは自由な選挙が行われないということだ。そう述べた直後、強力な反ハビビの気分を感じ取り、先の発言を撤回した。現在の予定では、一九九九年半ばに国民評議会(MPR)を選出する総選挙が行われ、これが同年十一月から翌年一月までに会議を開き、新しい大統領と副大統領を選出することになっている。
 ハビビはまた、大統領の任期を五年、再選までとすると約束した。スハルトは今年の三月、七度目の大統領選出を果たした。
 多くの人々にとっては、約束された移行期間はあまりにも長期だ。ハビビとその一派が政権により長くとどまれば、それだけ彼らを退陣させるのが難しくなる。
 大統領が各種権力のうちで最強となり、しかも国民が直接選出するのではない。一九四五年憲法と大統領制度は、スカルノ大統領が自らの権力を強め、対抗する政治勢力を弱めるためにつくったものだ。そしてスハルト体制下で、この制度の独裁的な本質が鮮明になった。リベラルなブルジョア民主主義的改革とは、大統領の権力を弱め、立法府の力を強め、司法の独立を実現して三権力のバランスをとり、さらには普通選挙制による大統領の直接選出をめざす。

制度を救うために

 現政権が正統性を欠き、スハルト一派及び軍部の人質とみなされている間は、その誠実さと、独裁から民主主義への移行を実現する能力とに対する広範な疑問が存在し続ける。ハビビ政権を暫定内閣に交代させ、それが一九九九年の総選挙を管理し、それまで国の政治を行う――という議論がなされている。
 エミル・サミル――最近反スハルトに立場を変更したが、その政権の環境大臣を務めた――は、MPR(国民評議会)の臨時会議を招集し、この選挙管理内閣を構成する人物を選出するという考えを支持した。MPRは言うまでもなく、スハルトが指名したもので、スハルト体制によって大いに利益を受けた人々から構成されている。
 左翼の学者で元学生運動家であるアリエフ・ブディマンの提案は、もっと驚くものだ。それは、軍、テクノクラート、市民(この順序で)で構成する最高会議幹部会のようなものをつくるというものだ。その理由は、「軍は政治の安定を保つために必要」で、エコノミストやテクノクラートは「国際金融諸機構から尊敬される人物で、わが国財界への信頼を獲得するために必要」であり、市民とは「改革運動出身で、大衆運動を指導し、それから信頼を獲得できる人物」というのである。
 彼は、それへの参加形態や労働者階級、農民、貧しい人々への責任などには言及していない。この提案によると、選挙で選ばれたのではなく、非民主的で責任を持たず、誰を代表するのかも明らかでない機関が、「秩序が回復した時」に自由な選挙を準備することになる。そして、その時を決定するのは、最高会議幹部会の慈悲心か、あるいはその最も強力な人物ということになる。
 非合法化となっている人民民主党は、この機関のエリート集団的な性格を批判し、これに代わって「人々の希望に根ざして活動する」評議会を提起している。
 PRDは、民主主義について次のように述べてブディマンに再考を促している。
 「民主主義は制度に根ざすものであって、個人や政府を導く人物に由来するものではない。民主主義の制度は、権威主義的な人物をも民主主義的な規範に従わさせる。他方、権威主義的な体制は、民主的な指導者が、この制度を改悪し独裁者となる機会を与える」(PRDの声明98年5月27日)
 PRDは次のような機関を提唱している。それは、独立国民評議会で、地域から全国レベルまで村落、学園、労働現場で形成される国民評議会を基盤にする。こうした機関は、インドネシア社会とそのイデオロギー、人々の希望を深く代表し、提案されている他の機関よりもはるかに見事に移行期間を指導することができる。

IMFへの幻想

 民主化運動内部では、IMF(国際通貨基金)の緊急経済対策に関する評価でも意見が分かれている。IMFには新古典的、教科書的な処方箋があり、それを当該国経済の具体的な状況や世界市場の状況に関係なく適用する。そうした処方箋として、補助金や社会支出の削減をはじめとする緊縮予算、高金利、国家独占企業の民営化や分割、為替管理や物価統制の撤廃、外国資本の自由化などがある。一九九七年十月、インドネシア政府は、同国経済の救済融資に関してIMFとの協議に入った。IMFが押しつける各種条件は、スハルト一族やその親友をはじめとする人々が利益を受けていた経済体制を脅かすことになっただろう。
 スハルトとIMFとの衝突の詳細を大部分の人々は気づいていなかったが、国際金融界は、インドネシア経済とその独裁的な司令官に自らの規律を導入しようとし、スハルトはそれを免れようとしたのであった。その結果、多くのインドネシア人は、IMFがスハルトの経済政策を軽蔑しているのだから、民主化運動に敵対するスハルトに対してIMFは敵対するに違いないと考えた。「敵の敵は味方」論から、IMFが運動の側にあると考えられた。
 野党勢力の多くは、上からのスハルトによる支配、人々の厳しい見方、民主化運動の数的な弱さ、その政治的な分断などの状況にあって、IMFのような外国機関だけがスハルトを退陣させる、あるいは少なくともそのための道を整備できると考えた。
 こうした国際金融機関が、過去三十二年間、スハルトとその一族、その一派を財政面で支え、「新秩序体制による弾圧や野蛮な行為」に協力してきた事実を、ほとんどの人々が気にしていなかった。
 一部の野党人は、IMFの条件が適用されれば、スハルト一族の経済掌握力がゼロにならないまでも、著しく弱くなるだろうと主張した。テンポ誌編集長で、長きにわたって政権にとってはとげだったゲナワン・モハマドは、IMFの構造調整計画は貧困層にとって苦難であるが、「それが引き起こす困難から、人々は権力側にも同様な困難、犠牲を要求できる。IMFの行動は、それが必要悪でないなら、ただの苦痛でしかない」と主張した。
 彼は、体制側が人民にそのコストを容易に転嫁できているときにあって、犠牲を強制される、あるいはその行為を潔白なものとするよう強制される根拠を明らかにしていない。また、貧困層が、支配階級の間違いやどん欲さがもたらした経済危機を解決するための犠牲者とならなければならない、その理由をも示していない。
 スハルトが最終的に退陣した現在でも中間階層は、IMF計画の受け入れを推奨し、経済の自由化と政治の自由化とは不可分であると素朴に理論的に説明している。すなわち「自由市場」は、複数政党による競争的な選挙システムにとって最善の前提条件である、と。しかしインドネシアの重い債務を救済すると考えられているIMF計画が、実際には四百三十億ドルもその債務を拡大することなどは気にもしない。
 ラテンアメリカや最近のアジア諸国の経験が示しているように、債務やその利子負担の重みを背負うのは、決して資本家階級でなく、労働者階級や農民、貧困層なのである。IMFが緊急支援するのは、国際金融界やインドネシアの金持ち層であって、一般の人々を救済しようとは絶対にしない。

東チモール

 民主化運動内部の多くの人がハビビの即時退陣を要求しているのに、東チモール活動家の一部は、その要求に同意していない。彼らは、インドネシアの指導者が弱いほど国際的な支援を強く必要とするので、東チモールの自決権に関する住民投票問題で譲歩する可能性が強いと考えている。こうした願望はつい最近、ハビビが自分が提案する最大限のところは東チモールの「特別な地位」である、つまり慣習法の公式承認であって、本当の自律は認めないと明らかにして、展望が閉じられた。ハビビは、東チモール独立革命戦線(FRETILIN)の指導者を釈放する条件として、一九七五年に不法に占拠した東チモールに関する自国の主張を国際的に承認するよう要求した。
 FRETILINの指導者、グスマオは、自分の自由という問題はマウベレ人民の命運に比べれば二義的であると繰り返して表明している。植民地的な状態から独立に至る移行期間について交渉することはありえるが、自決権をめぐる住民投票に関しては交渉の余地はない、と抵抗運動の側は明言している。東チモールの独立闘争と、インドネシアにおける民主化と社会改革の闘いとは、不可分であり一個二重の闘いである。
 インドネシア全体における民主化運動の勝利は、必ずや東チモール人民をも鼓舞することになる。その首都ディリでは連日、抗議行動が展開され、インドネシア支配の終了や住民投票、政治犯の釈放などを要求している。そして独立要求を明記した旗が公然と掲げられ、人々の楽天的かつ高揚した気分が見られ、すぐに発砲する軍によって非武装の少年が殺害されたことに街頭で抗議するという、ほんの数週間前までには見られなかった、勇気ある行動も展開されている。
 インドネシアのほとんどの小さな町でも、連日のように抗議行動、占拠、ストライキが闘われている。そこで掲げられている要求は、腐敗し縁故主義をとる地方役人の解任や調査といった個別的なものから、食料品の値上げや失業への抗議、賃上げや労組の自由、改革のさらなる遂行まで様々である。
 同国第二の工業都市スラバヤでは、労働者と警察との衝突があり、港湾労働者は厳しいストを実行した。ジャカルタでは国営航空会社ガルーダの労働者が街頭に繰り出し、同社における腐敗の調査を要求した。

不自然な同盟

 民主化運動の内部では、旧体制グループの再編において民主化運動の優秀な人材が柱となっていることに関連して分化が生じている。新しい潮流やグループのどれ一つをとっても内部的には均質ではないが、民主化運動には大きくいって二つの傾向がある。ただし、いわゆるリベラル派は、つい最近までスハルト体制を支持していたし、新秩序体制に根をもっており、その新版に忠実であり、別である。
 「穏健」野党勢力がおり、彼らはハビビ政権への「建設的な関与」を追求し、一九八五年制定の弾圧五法の撤廃ではなく、その修正という考えを支持し、政治犯釈放要求で声を出したことがなく、ハビビがその政策を実行する機会を与えようとしている。彼らは、新秩序体制の打倒でなく、むしろその調整、再編に満足する。
 PDIの指導者で父親スカルノのポピュリスト的な資質を受け継いでいるメガワティ・スカルノプトリは、注目を集められる場所に居続けようとしている。しかし形式的には、インドネシア最大のムスリム組織との同盟関係以上のことはしていない。予想以上の大群衆が集まった最近のスハルト追悼集会で見られたように、彼女は、大衆の支持、支援を集めている。
 他方、「戦闘的」な反対勢力がある。そこには、多くの学生、NGO、SBSI、いまだに非合法なPRDなどがある。これらの潮流は、選挙の早期実施、スハルトとその一族、一派の裁判、全政治犯の釈放を要求している。彼らの目標は、PRDのスローガンとして有名になった「全面的な改革」に集約される。
 SBSIの指導者、ムチタール・パクパハンは、自由な労働組合を要求する闘いにおける自らの役割モデルをポーランド連帯の指導者、レフ・ワレサに求め、資本家、労働者、政府代表からなる三者組織を伴う西側世界の産業関係システムがインドネシアにとっても最善だと考えている。そうでありながら、彼は勇気あり名誉を重んじる人物としてパンチャシラ(国家の存立原則を示す五つの柱の意味で、一九四五年にスカルノが提案)原則と一九四五年憲法への忠誠を宣言している。
 学生がいかなる政治的な方向に向かうの、現在の段階で予測するのは難しい。しかし現時点で優勢なイデオロギー的な雰囲気や左翼政治勢力、左翼運動が存在しないという状況にあって、人々が政府に対して急進化しているものの、反資本主義意識の発展には多くの時間が必要だと考えられる。PRDのような左翼勢力を形成しようとしている勢力は、大きく上昇する闘争局面を迎える。
(インターナショナルビューポイント誌7月302号)