1998年11月10日        労働者の力               第105号 

限りなく不透明な臨時国会
馬脚を現した民主党と保守ブロックの再形成

                                       川端 康夫

 銀行救済のために六〇兆円を投入するという結論をもって、臨時国会は終了した。労基法のクーデター的な改悪案成立に始まった臨時国会は、日本長期信用銀行(長銀)の一時的国家管理に至る紆余曲折を経て、六〇兆円の国家資金投入となったのである。過半数割れの事態に直面した自民党は、政策的には野党への妥協を進めつつも、野党間の分岐や対抗意識を利用し自らの狙いを実現する形で動いた。
 他方、突然に野党第一党の位置に躍り出てしまった民主党は、新党平和・公明(十一月七日に公明党へ統合)との連携を軸とする野党共闘路線で自民党に対抗しうる「政権可能な政党」のイメージを定着させようとしたが、国会終盤以降、自自公路線が浮上してくるということに見るように成功しなかった。
 共産党は積極的な野党共闘への参加意欲を示したが、その可能性をこじ開けるにはさらに時間を要する事実を示すことになった。さきがけは最終的な解党を決め、社民党は何をやっているのかわからない政党という姿をさらけだした。
 自民党の参院過半数割れという状態で始まったこの国会は、現在の政治状況の不安定、不定型性をまざまざと示し、日本政治が歴史的過渡期にあることを明らかにした。この不安定な「過渡期」が生み出している問題点を、国政、地方政治の両面でつかみとる必要がある。
民主党、自民党に対抗できず

 臨時国会が残したものは、相も変わらぬ自民党政治的な手法の継続という大枠組みであり、そして自民党は十一月中にも臨時国会開催の構えにある。この国会で自民党は、先の国会が積み残した日本周辺事態法などの安保関係法案、労働派遣法、組対法などの諸「悪法」の通過、あるいは次期通常国会通過の足固めを狙うであろう。
 問題点をしぼって与野党関係を検討してみたい。
 第一の問題は安保体制である。クリントン、江沢民の来日、小渕のロシア訪問と外交日程が山積している時期である。が、自民党は対米関係優先の姿勢を示すために、新ガイドライン関係法案の審議促進の姿勢を見せなければならないと判断したと思われる。北部朝鮮のミサイル(人工衛星)発射問題への意図的な過剰反応で一挙に戦域防衛ミサイル開発参加や(軍事)偵察衛星打ち上げの予算化などの方針に転じた自民党は、これら一連の方針が江沢民の「感情を損なう」ことも予測はできるはずなのだ。
 日本政府のこうした軍備拡大方針は、右派の自由党は当然としても、公明党や民主党の支持も取れると踏んで推進されているのである。再建された公明党はその方針書から周辺事態法への慎重姿勢を削除した。民主党の菅は自らが、北部朝鮮に対する「危機管理」の不備を批判する立場を表明している。
 つまりは、橋本・梶山が強行した沖縄特措法と同じ構造が、先の参院選を経ても政党レベルでは変わらずに持続されている。沖縄知事選の経過が示しているように、公明党は県民共闘(社大、社民、共産)の立場から微妙にスタンスを移し(自主投票)、民主党は大田県政への対抗心を隠さずに社民党を離党(除名)した上原康助議員を即日に入党させることで立場表明を行った。沖縄の民主党が、大田サイドの近くにいるという事実があろうとも、大田県政が掲げてきた二〇一五年基地ゼロというアクションプログラムとは別の立場をとっていることには変わりはない。
 沖縄知事選の結果が予断を許されないことになった背景は、まさに先の沖縄特措法を支持した公明、民主両党の立場が存在しているのである(本紙が読者に届く時点では結果は判明しているはずだ)。
 われわれは、本紙上において繰り返し(参院選以前における)民主党の退潮の根本に、この沖縄特措法問題があると指摘してきた。しかしこの党が特措法問題を教訓化した形跡はどこにもないといわなければならない。
 第二に。臨時国会冒頭における労基法改悪案の成立は、本紙前号で詳細に報告したように実に共産党と一部議員を除く超党派での可決であった。参院選後の期間に、連合が労働省と組んで水面下の調整を進めた結果であろう。政府は一方で、史上最悪の雇用情勢とし、雇用促進の努力を重ねると繰り返し表明する。だが実際に進めている政策は、まさにリストラ首切りの推進であり、労働コストの切り下げ、長時間労働の是認である。新自由主義(ネオリベラリズム)論の枠組みにあり、かつ大資本の意向に忠実な点で、政府と大労働組合・連合のブロックが成立しているのである。
 労働者派遣法問題もまた同じ構造になる。派遣労働の全面的な拡大は正規雇用の労働者を削減し、かつ絶対的な賃金格差を構造化するという両面で、まさに企業の要求する労働コスト軽減に道を開くのである。基幹労働者を軸とする大企業の企業連型労組は、これらが全体の労働力構成に及ぼす破局的影響については無感覚というべきだ。
 雇用不安が右肩上がりの生活展望を揺るがし、相次ぐ社会保障費の値上げ、年金給付金の切り下げという政策体系が生活防衛意識を拡大する。ローン社会の展望もぐらついた結果が消費低迷という現実である。将来の生活設計に展望をもてないときに誰が一体長期かつ高負担の住宅ローンを組むだろうか。
 企業は、景気対策のために政府資金の無制限の投入を要求しつつ、同時にリストラ首切りを進めるわけであるから、デフレーションのサイクルは止まらない。
 民主党は新党平和・公明と連携して、長銀の国家管理を自民党に呑ませた。しかしここまでである。あとは政府・財界、そして労組(連合)の求める金融システム安定、公共事業への大盤振る舞いという相も変わらぬ枠組みにのみこまれていった。労働者を犠牲にしつつ大資本を救済するという政治の枠組みに対抗するのであれば、長銀を犠牲にしたうえでの金融資本の横並び救済やゼネコンを救済するだけの景気対策という手法と対決しなければならない。
 連合が公然と景気対策、金融システム安定論に肩入れしたことが、これらの過程に大きな影響を及ぼしたことは容易に推察できる。
 そして、その連合が民主党、社民党に影響力を持つのである。先の臨時国会でのクーデター劇の構造は、単なる一過性的、ハプニング的なものではなく、根本的に構造化された、まさに新自由主義イデオロギーの度し難い結果である。
 
裏切られる無党派層
 
 自民党の苦戦が当然にも予測された臨時国会であったが、参院選ショックは数カ月を経て効果を失ったようにみえる。
 確かに自民党執行部は年金や医療費などの引き上げのペースを繰り延べする方向を提示し、橋本路線が与えた影響から抜け出そうとしてはきた。また臨時国会の冒頭においては、新党平和・公明は(その本意に反して?)自民党との距離を置く姿勢を示した。参院選のショックは、自民党にすり寄る政党も同時に奈落の底に転落させてしまうような雰囲気を持たせていたからである。
 だが、参院選に寄せられた無党派層の意志表示、期待感は徐々に裏切られ、そして相も変わらぬ旧来政治の枠組みが再生し始めた。野中官房長官が公然と自民・自由の提携を提唱しえたのも、復活した公明党が暗黙にそうした枠組みに参入するという事情を前提にしたものであろうし、さらに核心的には、民主党がこうした枠組みと対決し抜くだけの意志も路線も持ち合わせていないことが明らかになってきたからであろう。
 民主党の路線的不安定さ、不透明さ、なによりも新自由主義イデオロギーへの定見のなさが、事態の推移のなかで露呈したのである。
 この党が長銀問題に見せたのは、スウェーデン型の一時国有化方式の導入だった。それは、自由党などが主張した、いわゆるアメリカ・イギリス型の論理に対して、ヨーロッパ大陸型の方式をみならうことで対抗しようとすることであったろう。そのいずれにしても資本主義の枠組み内部であることは変わらないが、しかし米英型と大陸型の差は社会システムという点で相当に違ったニュアンスで展開される。
 端的に言えば、個人の自由意志に依拠する弱肉強食の論理が前者の特徴であるとすれば、社会的な連携のシステムに重心がかかるのが大陸型の特徴ともいえる。その差は、ブルジョア政党がすべてを表現するアメリカ政治と社会民主政党を政権の座に押し上げる大陸型の違いとして現れる。もちろんイギリス労働党のブレアのような中間もあるが、これは吹き荒れたサッチャーリズムにもかかわらず、イギリス社会の伝統的構造が枠組みとして維持されていることを示すものだ。
 だが民主党は、その基本のところでつまみ食い以上には出られない、つまりは、保革ごたまぜが連合主流に支えられているという組織構造のどうにもならなさを露呈したのである。
 自民党政治の退潮感、閉塞感は、政財官の結合による政治、輸出至上主義、土建屋政治などの複合された政治構造の行き詰まりを表現している。それゆえ、なんらかの打開が求められることは自明なのだが、一九九〇年代の改革論は小沢が主導することとなったがゆえに、アメリカ型、それもレーガン型の新自由主義理論にプラスされた国家主義、国権主義というものが主導するものとなった。
 その国権主義的特質を一つだけあげておく。旧来の自民党政治が発展させてきた官僚機構の内務省型整備は、本来はアメリカ民主主義がある面では特徴とする直接民主主義的要素と真っ向から対立するものだ。小沢はそれを国家の超然化と自治体への分権化という手法でバイパスしようとしたのである。これはまさにエセ改革論にほかならない。
 情報公開や市民オンブズ・パーソンなどのシステム、あるいは住民投票などの直接民主主義的要素、正確には内務省型システムへの反発を、小沢は国家の超然化という手法を通して形だけのものにしようとした。このエセ改革論に乗った代表的人格の一人が出雲市長をした岩国である。新進党とはこのようなエセ改革論者の集合体であったといっていい。
 前回の統一地方選挙が示した青島、ノック当選という東京都と大阪府における市民派・無党派層現象の構造は、社会的、歴史的趨勢として動かしがたい。その表層を捉えて「風」を起こし、政治の時流に乗ることを画策する傾向は九〇年代の一つの特質ともいえるが、この無党派層現象はしかし日本社会の過渡期を体現しているものと見るべきなのだ。青島やノックが何をしてきたのかを見るだけで事態は明らかになる。
 参院選は、自民党的政治の行き詰まり、その利権型政治への分厚い批判の存在を見事に明らかにした。しかしまだそれは、観客民主主義要素から脱しているのではない。高知県知事の橋本大二郎や宮城県知事の浅野といった「風」を背景に地歩を固めようとする傾向は今後とも増加してくるだろう。そして民主党は参院選挙で見事なまでに「風」に吹き上げられた。細川の日本新党以上と言って言い過ぎではない。
 民主党現象は、社民党の混迷が明らかである分、一定程度持続する可能性はある。だが、それも長続きしそうもないことを臨時国会は示したのである。
 
左派・市民派の独立的地歩のために闘おう
 
 日本社会が直面している全般的な変化の必要性は、歴史的、社会的変動を通じて現実化していくものである。二〇世紀の終わりはこの意味で重大な転換期を示している。九〇年代の特質ともなった無党派現象を、観客民主主義から社会運動の主体へと転化していくための基盤は、現在の社会状況においてはさらに大きくなるであろう。
 冒頭にも述べたように、自民党は自・自・公ブロックをもって強行突破を図る方向にある。民主党はまたそうした姿勢に対抗する構えにあるとも思われない。新ガイドライン関連法案、労働法制改悪、失業のさらなる増大などをめぐる闘いを通じ、そして今秋から来春にむけての闘いを通じて、民主党現象が結局のところ到達するであろう再度の閉塞感を打破する糸口を、あらためて切り開くことが求められるのである。
 そして来春四月が統一地方選挙である。自民党(自・自・公)政治と対抗、対決し、民主党現象を突き抜けて、独立派、市民派の政治的地歩をさらに確固とするために闘い抜かなければならない。
  (十一月九日)
運輸省・空港公団が三里塚平行滑走路への予算請求
         東峰区が抗議声明
 運輸省・空港公団は八月、成田空港(新東京国際空港)の「二〇〇〇年度平行滑走路完成」に向けて百十四億円の予算請求方針を発表した。二期工事断念・事業認定取り下げにもかかわらず、政府・公団の本音はなんら変化していない。これに対して、平行滑走路予定地である成田市東峰区の住民は十月五日に記者会見を行い、地区としての抗議声明を発した。出席は、熱田派から石井恒司、小泉英政、堀越一仁、樋ケ守男の各氏、北原派から区長の萩原進、島村昭治の両氏らの八名。

【声明】  
 八月十五日、今年も東峰区では盆踊りがありました。天候が不順で秋の穫り入れに一抹の不安があったものの、踊りとなればそれはそれ、いつもながらの炭鉱節や東京音頭、大漁節、果ては町から駆けつけたミュージシャンが奏でるカチャーシーにのせられて、腰はくたびれ膝がわらいだすまで、夜が更けても踊りは続きました。「平行滑走路予定地」なる村のお祭り広場は、周囲の闇の中でそこだけほの明るく、昼をもあざむく照明の空港に比べれば闇夜に浮かぶ幻影のようでありました。空港に追われ草陰にひそむ狸や土のこたちも、この夜ばかりは人間どもが踊り跳ねる様を眠気を忘れあかず眺めていたことでしょう。
 この秋、咲きぞめのモクセイの香に包まれて、一つの野辺送りがありました。仏様はこれも「平行滑走路予定地」なる村の墓所に葬られました。高さ二丈もあろうかという密生した篠竹に囲われて、ここは村のはずれ「第二ターミナル」とかにいっとう近いはずなのに、しんと静かで、大きなぐみの木が枝を広げるその根方で先住の四体の仏様は新入りの仏様を待っておられました。篠竹の壁でまあるく縁取られた秋空はあくまで青く、そう、飛行場が落ちてくる前の東峰の空でした。
 私たちの村は入植して五〇年このかた、このように暮らして来ました。これから先もこのような村の暮しを守ってゆきたいのです。
 それにつけても最近気になることがあります。それは七月に運輸省と空港公団が二〇〇〇年度までに平行滑走路を作りたいとするいわゆる「共生大綱」を発表したこと、また、八月にはこのための予算一一四億円を請求したことなどです。村の暮しを守るという点からは東峰区としては見逃せない事柄です。また東峰の墓地には、第一期工事のため代執行にあった、小泉よねも眠っていますが、現空港がさかのぼって解決しなければならない彼女の問題も残されたままです。そこで以下私たちの見解を表明します。
 
1 東峰には開拓以来五〇年の農業の歴史があります。最近二五年は有機農業も取り組まれて来ました。私たちの農業は東峰の畑と密接不可分です。よそには移れません。
 空港の建設は自然の循環を寸断します。木を切り倒し、谷津を凝固剤で固め大地を鉄とコンクリートで覆います。こうして進められる空港建設に反対するなかで、私たちは自らの農業を深めてきました。化学肥料や農薬にたよる農法も、循環にそぐわないものと疑問を感じるようになりました。いま世間ではダイオキシンなどの環境ホルモンや、遺伝子組み替えなどの生命操作によって、生態系が乱され人類の存在すら危ういとの不安が高まっています。このような時代、私たちは自然循環を意識し、これを損なわずこれに助けられて食を産み出す農業の行き方に、自信を深めています。いまや生産や消費のあり方が、農業がもつ生命系や循環の視点から見直される時代なのです。安全な食を求めて私たちの野菜や卵を継続購入する消費者も首都圏を中心に、全国に広がっています。農業の価値は空港の公共性を越えています。
 「平行滑走路予定地」には、民家のほか有機栽培の畑があり、堆肥場があり、鶏舎があり、共同出荷場もあり、農産加工場もあります。私たちの農地を、空港にゆずる訳にはいきません。

2 新聞によると成田空港平行滑走路の二〇〇〇年度内完成を公約として掲げる運輸省と公団は、滑走路用地の完全取得のめどのないまま、建設費一一四億円の予算請求をしたとのこと、また十余三・稲荷峰地区に新たな燃料給油施設を建設するとのことです。さらに漏れ聞くところでは、工事に時間がかかる天神峰地区の谷津の埋め立てと、小見川県道の滑走路との交差部分のトンネル工事をこの秋にも始めようとしているとのこと。杞憂とは思いますが私たちは運輸省・公団がこの工事に突入する無謀を恐れます。なぜなら私たちは上に申したとおり土地を譲り渡す意志はなく、空港絶対反対を曲げるつもりもなく、したがって平行滑走路は完成せず、資金の投入は税金の無駄遣いになるからです。
 思い起こせば一九八六年秋、公団は土地買い受けのめどのないまま空港二期工事に着手しました。このとき「農家の軒先まで工事を進めて、ご理解を得る」などの発言が公団幹部からありました。工事の進展を買収に応じない農民に対する脅しに使ったのです。今回は運輸省と公団は繰り返し「地元の同意を得たうえで」「ご協力を得て工事に着手する」と言っていますので私たちはこの言葉を信じますが、あらためて、平行滑走路・同関連施設の見切り着工に反対します。
 
3 運輸省と公団は二〇〇〇年度内完成という自ら定めた期限にたいそう苦しんでいるようです。そもそもこれは成田問題シンポジウムで「コンセンサス作りをていねいにおこなうことが大変大切と痛感」(第11回シンポ航空局長)したにもかかわらず、九六年一二月に地元地権者・関係者にはかることなく一方的に期限設定したものです。このような二〇〇〇年度目標が当事者である私たちへ強いられるのははなはだ迷惑です。また二〇〇〇年度目標のために合意作りがずさんになったり、空港建設の手順がさかさまになったりでは何のためのシンポ・円卓だったのかということにもなります。
 当事者無視の二〇〇〇年度完成目標を取り消すことを求めます。
 
4 東峰共同墓地の地中深く土葬された小泉よねは、第一期工事で唯一強制的に家や田など生活のすべてを根こそぎ奪い取られました。赤土の中に眠って二五年が過ぎ去り、肉体はすでに土に還ったとしても無念の思いはきえようがあありません。
 成田市取香字馬洗にあった小泉よねの家や風呂、庭木など地上に存在する物件に対する補償は三二九一三六円と算定されました。一人の人間の生活を丸ごと破壊して、その金額でどんな生活再建の途があるのでしょう。しかもそれは仮補償で、すみやかに本補償を確定しなければならないにもかかわらず、一九七一年六月一二日以来二七年にわたって放置されたままの状態です。
 開港の見通しもなく、緊急性はなかったにもかかわらず、見せしめ的に代執行された問題、唯一代執行を免れた畑も事実をねじ曲げた証言をかさに強制的に奪い取られた問題、そしてその根底に横たわっている小泉よねに対する差別と蔑視の感情、小泉よね問題は何一つ解決していません。この問題は東峰の我々一人ひとりにつながる問題です。この解決無くして平行滑走路問題を口にすることができるでしょうか。
 
5 七月に運輸省と公団は「地域と共生する空港作り大綱」なるものを発表しました。「大綱」では県や周辺自治体、住民団体との間にはいくつかの施策を講じて空港建設の合意を作り共生をはかろうとしています。一方敷地内農家・地権者に対してはひたすら「理解・協力」(つまり土地を譲り渡すこと)を求めるのみです。まぢかの農家・地権者は共生の対象と考えていないのです。このように周辺地域に対して異なる基準を使い分けてのぞむことは、一種の差別であり受け入れられません。周囲での合意は実際上、当事者である私たちに対しては脅迫として作用するからです。これは共生の理念とは相いれないのではないでしょうか。東峰地区はこの二〇年間空港から一方的に我慢を強いられてきました。騒音、排ガス、熱風、地下水低下、検問、交通渋滞、おまけに鉄パイプと番線による村の囲い込み、やぐらからのガードマンによる監視まであります。私たちからしても空港は共生できる相手ではありません。
 運輸省・公団はここに東峰区が村として存在し、平行滑走路用地の確保が不可能である以上、その現実を受け入れ地域との共生の在り方を考え直すべきです。
 
 以上声明します。
 
  一九九八年一〇月五日
  成田市東峰区 区民・関係者一同

ロシア国家は破産したか
                        A・V・ブスガーリン、A・L・コルガーノフ


債務支払い拒否の衝撃

 ロシアは国家としての統合精神あるいは思想の面で破産していると、非難めいて度々言われている。そして現在、文字通り経済の面で破産しているように思われる。
 ロシア政府は、自らが国内及び国外の債権者に負っている債務支払いを拒否してしまった。この政府は、債務は間違いなく支払うが、それは当初予定よりもはるかに長期間にわたってであり、しかも約束した利率よりも低利にしてのことだと言っている。
 債務支払い停止という巨大な衝撃の直接の発端は、短期資金を獲得するために発行された国債である。現在、これらの短期国債はその償還期限が来ても償還されるとはみられていない。こうした国債の保有者は、償還期限が来た場合、償還でなく、再び国債を渡されることになろう。しかも、その際の条件は現在のところ明らかでない。しかし、すべての人は、新しい国債が現金に償還されるのは、今の段階では明らかにされていないタイムテーブルにそって非常に多くの時間をかけてのことであろうと考えている。
 ロシア政府は、その通貨ルーブルを切り下げることは絶対にないときっぱりと否定した後になって、切り下げを余儀なくされた。しかも、切り下げの際に設定したルーブルの下限(一ドル九・五ルーブル)さえも維持できず、ルーブルは下落し続けている。おそらく一ドル十二―十三ルーブル付近で落ち着くことになろう。しかし通貨市場にパニックが起これば、さらに一段と下落するのは間違いない。何が起こったのか。

借金の悪循環

 若くて意欲溢れるテクノクラートであるキリエンコが率いるロシア政府――西側世界からかなり大規模な融資を受けることになっていた――は極めて不健全なロシアの金融信用システムの破局を避けることを最優先に努力すべきだったのだと、考えられている。多くのアナリストは、キリエンコ政府がそうした努力をした場合、「秋に数々の困難を克服して」少なくとも年末までは危機を回避できただろうと分析している。だが、金融システムの破局は、その秋の前にやってきた。
 実際には、多くの人は一九九六年に大量に発行された国債償還ができなくなるだろうと予測していた。その年に、ボリス・エリツィンが大統領選挙資金を賄うために途方もない利率で国債を大量発行して国内で大規模に借金しまくった。だが選挙戦がなくても、国家財政の赤字を補うために国内及び国外から巨大な借金を重ねていたのであり、重い利子支払い負担を実行するためにさらに借金をしてロシア連邦財政の収入を確保していたのである。つまり通常の財政収入が落ち込み、他方で政府は絶望的にまで金を必要としていたから、さらなる借金を強制されたのであった――しかも、とてつもなく高金利で。
 問題の根元は経済全体にある。ボリス・エリツィン一派は、経済改革のほぼ八年間にわたって、国民経済の再生に失敗してきた。彼らは、経済の再生に失敗したばかりでなく、その後退もくい止められず、他方では「新しいロシア人」と呼ばれる人々のポケットを金で膨らませた。この人々は、それまでも税金を一度も払ったことはなく、現在でも支払っておらず、今後ともその巨大な所得に見合った税金を支払う予定はまったくない。こうした状況にあっては、税収基盤の一貫した減少と歳入の収縮という現実は不可避である。こうした中で社会保障を維持しようとする政府の試みは、不安定な借入金という財源に頼らざるを得ず、いずれにしても国家破産を招くことになる。この国家破産は、エリツィン政権の社会・経済政策全体の破産を形式的・最終的に確定するに過ぎない。

金融の破綻

 かかる経済情勢にあっては、金融システムは安定するはずもない。実体経済部門、つまり通貨金融システムが良好な状態を保つ唯一の信頼できる基盤の現在は、不況である。銀行は製造部門にはほとんど投資することなく、そこから確実に収入をあげることもない。産業の約半分は赤字であり、数少ない黒字企業も短期国債収入に匹敵するほどの所得を銀行にもたらすことはできない。今までに証券市場は、主として輸出に重点を置いていたエネルギー・原材料部門から株式市場に比重を移してきた。その故もあって銀行は、その資金の大部分を短期国際市場に回したのであった。
 かくして不健全な循環が形成された。国家には、銀行に国債を売って借金する以外に収入を得る道がない。そして銀行の存在それ自体も、国債の売買による収入に全面的に依存することになった。だから大量に発行された短期国債の破局は、単に国家財政の破局にとどまらず、企業、銀行の破局でもある。自由に交換できる通貨、ことにアメリカドルは、ロシア市場で信頼できる唯一の証券となった。これこそが、ドルに対する需要が絶えず、ルーブルが下落し続ける理由である。
 この危機の直接的な帰結は、すでに明白である。通商と産業とへの資金供与が大幅に減少した。各種の契約は、破棄されるか、あるいは守られなくなった。為替レートが不安定なため、貿易業者は取引をやめてしまった。
 消費者にとっては、物価が急速に上昇することになった。モスクワで九月二日までに物価がほぼ倍となった。一部の国産食料品でさえ、そんな値上げとなった。全国的にも輸入品取引が急速に縮小した。そして現在のロシアは、食料品の半分以上を輸入に依存しているといわれている。工業部門では、長期計画の多くがその実現を危ぶまれている。労働者、ことに国家財政に依存する部門の労働者と年金生活者の実質所得は、急速に低下している。
 政府は、こうした危機を克服すべく、野党勢力のスローガンを採用し始めた。銀行の国有化や物価統制に関する言葉が、応酬されている。政府高官の一部は、暗に陽に中央あるいは地方当局の命令や指示を無視する経済人に対する弾圧措置の導入をほのめかし始めている。だが、そうした言葉は声が大きくても、状況を変化させるには無力である。

問題の環は政府に

 一連の厳しい措置を採用することなしには、現在の危機を克服することはできない。問題は、現政権がそうした政策体系を考案し実行できる意思や能力をもっているかどうかにある。問題は、政府と中央銀行が紙幣の増刷に踏み切るかどうかに還元され得ない。この情勢にあって、硬軟どちらの通貨政策を採用するのか――このように問題を限定するなら、どちらを選択しても悪い結果しか生まれない。紙幣の増刷を控えるなら、しばらくするとルーブルが安定――しかし現在よりもかなり低い水準で――してくるだろう。だが、このことは、ロシア市民の生活水準を大幅に低下させ、工業の衰退速度を急加速することを意味する国内市場の大幅縮小という犠牲を支払って危機を解消することである。他方、紙幣を増刷することによって国内市場をある程度は改善できるが、長期的には悪性インフレをもたらし、同様に生産の減少と生活水準の低下を招くことになる。
 もちろん、これら以外の政策も可能ではある。問題は、いかなる政府も、その社会的な責任を遂行できないことにある。この意味で、ロシア市民の生活水準低下は避けがたい。だが、適切な課税やその他の政策手段をとれば、今日の特権的な階級の半ば不法な所得を大幅に削減することによって、多数の国民の収入を保護することは確実に実現できる。これに加えて、強い経済奨励政策をとれば資源の有効配分が可能となり、それによって現在の緊急課題(つまりは長期的にも重要な)である国内生産の近代化に資源を集中できるのである。こうした実例は、日本と韓国の戦後経済復興過程に見出される。そして産業の競争力が強化されるなら、経済の回復につながり、ひいては実質所得の増大となっていく。国家にとっては、社会支出を実現するための有効な基礎をもたらすことになる。
 こうした政策が採用されるかどうかは、まず第一にロシア国家が奉仕している階級、階層の利益に関する問題をどのように解決するのかにかかっている。現政権は、必要な措置を実行するだけの意思を有しているだろうか。単に経済破局の到来を数カ月引き延ばすだけでなく、ソビエト時代に端を発する積年の破滅的な経済傾向を真に突破する措置をとれるだろうか。
 こうした政策を実行するためには、政府がこれまで依存してきた経済人の集団と彼らに関係する官僚の利益に逆らっていかなければならない。この集団は、基本的に金融市場と原材料資源の輸出に関係している。
 経済危機は当然にも政治情勢を悪化させてきた。当局者を交代させることは、危機から抜け出す道を見出すための本質的な必要条件の一つである。だがボリス・エリツィンを権力の座にとどめることを意図して作成されたロシア憲法は、いかなる政治的な変革をも妨げている。ここに、権力の平和的な移譲が困難であり、深刻な政治的動揺が増大する背景がある。
 ロシア社会のエリート層が、その住民の大多数の利益に奉仕する気がなく、その能力もない事実は、現在までのところ大規模な市民の反乱までには至っていない。人々は、一九九一―九三年の政治的な上昇の後、いかなる政治変化も悪い方向に向かうという教訓を得て、政治にうみ疲れている。だがロシア市民の生活水準がもう一段でも下がるようなことがあれば、彼らが長きにわたって耐えてきた我慢の限界がテストされることになろう。

注 アレクサンドル・ブスガーリンは、経済博士、モスクワ州立大学教授。ペレストロイカ時代にはソ連邦共産党改革派の指導的なメンバーだった。現在は、戦闘的な左翼小グループであるロシア民主社会主義運動の指導者の一人。アンドレイ・コルガーノフは、経済博士、モスクワ州立大学上級研究員。ロシア語からの翻訳はポール&ケイティア・タン
(電子版インターナショナルビューポイント誌10月号から)

欧州の労働組合左翼
――その現状と展望

                                フランソワ・ベルカマン


社民党の変質

 一九八〇年代はじめ、西ヨーロッパの社会民主諸党は、増大しつつあったネオリベラル攻撃の中心的な要素、すなわち従来の社会改革の成果を逆転させる反社会改革、反動的な思想による住民の「洗脳」、貧しい人から金持ちへの富の再配分、慎重に遂行された労働組合の弱体化などを受け入れたのであった。
 こうした攻撃を受け入れたことは、まさに綱領次元における自律性の放棄に他ならなかった。社民潮流の歴史上、平時における最悪かつ最長期の「裏切り」であった。社民諸党は、選挙での「優位」を願って一九三〇年代以降採択してきた自らの基本方針のいくつかを放棄した。ケインズ主義経済政策、公共サービスの維持、国家による介入、政府による経済と社会の「計画」立案と実行、労働組合が提出する全般的な社会要求を一定の水準で支持すること――これらが放棄された基本方針である。
 ベルリンの壁崩壊とともに、社民諸党は、ヨーロッパ通貨同盟(EMU)計画を熱心に、喜びをもってさえ受け入れた。彼らは、自分自身とその支持者を、EMUに関するマーストリヒト条約が要求する新たな犠牲は将来の繁栄する時代として補償されるはずだと納得させたのだ。
 ヨーロッパ大陸の主要な労働組合連合組織の指導者らは、通貨統合の過程を支援するために全力を挙げた。そしてEMU統合基準が要求する限界内に労働運動の要求をとどめようとした。こうした方針の結果の一つとして、各国労働組合運動はヨーロッパ連合(EU)加盟国相互の対立に巻き込まれ、自国支持の立場をとった。そしてヨーロッパ規模の労組運動、ストライキや大衆動員が明確に消失してしまった。労組指導者らは、EUを労働側の救済者として描き出す。そして力強くかつ行動的なヨーロッパ労働組合運動が独自の政治的、社会的な政策体系をもって中心的な役割を果たすという展望の可能性を封じてしまった。
 労組指導者たちは、ヨーロッパ労働組合会議の役割を制限してしまった。それは、EMUをめぐる過程ではロビー団体あるいは圧力グループの線を決して越えることはなかった。この事態にあって、ヨーロッパ労働組合会議や労組指導者らの戦略に対して、一般組合員から大きな反対の動きは生まれなかった。それに加えて、ヨーロッパ規模の左翼が労働運動において出現しなかったという事実は、労働運動それ自体の歴史的な危機の深刻さを明確に示している。これは、客観的な「不利な力関係」ということ以上にはるかに悪い事態である。伝統的労働運動は、かつてない低調な状態に陥った。情勢は真に劇的である。
 勤労大衆は、分断化、断片化の力学に突き動かされている。こうした新たな条件下にあって、労組活動はどのような形態をとるべきなのか。従来からの政治的、制度的な権力構造は、経済の地球規模化が進展し、超国民国家としてのヨーロッパ権力センターが徐々に形成されるとともに、その力を弱めている。そして、この状況が一〇〇年にわたって展開されてきた労働組合の戦略を無力化させた。その戦略とは、最善のものとしても、勤労大衆を統一させることができる要求を提出して闘い、労組の存在とその活動を進歩的な社会立法によって基礎づけようとするものである。そして労働組合と社民政党との距離が次第に離れていく(いくつかの国では、労組官僚は従来からの政治的な参照点や圧力行動の基準点とは完全に無縁となってしまった)につれて、労組戦略の無力化過程が完成した。
 労働組合内の伝統的な左翼もまた、以上のような情勢展開につれて弱体化してしまった。いくつかの国を例外として、現実にはもはや労働組合左翼というものは、積極的、行動的かつ一貫した勢力としては存在していないのである。

新たな可能性の実現へ

 こうした状況に終止符を打ちたいのであれば、共同行動、統一的な活動を再建することに貢献できる情勢分析、総括、綱領を提起する必要がある。行動や組織活動の新しい形態を見出し、解放を求めるすべての運動が必要としている自律的な行為と内省とを再発見しなければならない。また、労働組合活動の正統性を労働現場における課題という狭い領域や労資関係という枠組みを越えて再確立しなければならない。すべての抑圧された社会階層の要求――ことにEU総体としての水準で――をまとめていかなければならない。
 この数週間の間にわれわれを勇気づける二つの出来事があった。今月(九月)、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ベルギー各国労働運動において一定の重要な位置についている指導者たちが、ヨーロッパ規模の労働組合左翼の会議を呼びかけたことである。もう一つは、イタリアのミラノで開かれた左翼労働組合活動家五〇〇人が集まった会議である。この会議には、汎ヨーロッパアピールに署名をした人の一部も含まれている。
 後者の重要な会議は、ヨーロッパ規模での左翼の再結集が各国労働運動に与えうる影響の潜在的な可能性を示した。実際、労組における左翼共同行動のこの新しい局面は、昨年に展開された反失業・周辺化・不安定雇用ヨーロッパ行進や、社会運動の再生を支援した失業労働者や労組活動家、その他の活動家を結びつけたイニシアティブなどに、すでに芽生えていたものである。
 われわれを勇気づけるこうした傾向がしっかりしたものとなり、労働運動、労働者の闘いが真にヨーロッパ化することを期待したい。政治状況は熟している。ヨーロッパの単一通貨ユーロは、一九九九年に導入される。新しいヨーロッパ単一通貨の登場は、歴史上初めて真のヨーロッパ執行権力を出現させることになる。
 こうした展望の中にあって、スペインを例外として、すべてのEU加盟国において社民党が政権を掌握することになる。そして、これまで彼らが公約していた「ヨーロッパの社会的、経済的なあり方、展望」を実行しようとしないわけにはいかない。
 圧力を強め始めるときだ。一九九九年六月五日、ドイツのケルンでEU首脳会議が開かれ、事態の展開を分析することになっている。対抗サミットと汎ヨーロッパのデモンストレーションを準備し始めるときだ。そして、われわれの声を届かせよう。
 一九九八年九月二十九日
(電子版インターナショナルビューポイント誌10月号)
インド
       反核運動に関して社会主義フェミニストに聞く

――マイトリーについて教えてください。
ソマ・マリク マイトリーは緩やかなネットワークです。これは、一九九五年に北京で開かれた世界女性会議を引き継ぐものとして組織されました。個別の国や地域に根ざした行動の基礎となるものが必要だと思ったのが、ネットワーク形成の出発点です。その結果が、一九九六年に国際婦人デーで作成された要求憲章です。
 要求憲章作成に関与した女性たちは、一定の組織的な統一の必要性を感じました。その当時、本質的に異なる諸組織が非常に狭くきついものに統一し、すぐに分裂したことがあります。
 そこで、まったく異なった諸傾向を再組織しました。そこには、社会主義フェミニストやフェミニストではない社会主義女性グループ、さらにはNGO(非政府組織)の女性グループ、ジャダブプール大学女性学学科も参加していました。そして恒常的な指導部を持たないネットワーク形成を決定したのです。それぞれの組織が交替で集会の場を提供したり、議事録を配布したりして、参加している全グループ間の結びつきを維持することにしました。

――要求憲章のどんな部分が反核運動につながったのですか。
ソマ・マリク 私は、要求憲章の内容に関係なく反核運動に参加していただろうと思っています。でも実際には、要求憲章が女性に対して多様なやり方で加えられる暴力を非難していることから、マイトリーはそれを踏まえて明確な反核の立場に立っています。
 私自身の組織、カルカッタを中心とする女性への抑圧に反対するフォーラムは、国家による暴力をはじめとして、ひっきりなしに非常に多くの暴力問題を扱っています。私たちは、戦争というものがその国民自身に対してさえも、国家の暴力性を強めるのだと考えています。多くの女性をはじめとするすべての被抑圧者が、この重荷に耐えなければならないのです。愛国主義あるいは民族主義が、搾取されている人々や抑圧されている人々の社会的な公正を要求する一切の闘いに対する攻撃の旗印として使われています。
 インドで現在起きている事態は、まさにこれなのです。郵便電話労働者のストライキに対する攻撃がそうです。九月四日に行われた全インドの大学教員ストに対しても、同様の攻撃が加えられました。
 インドのポカランとパキスタンのチャガイで核実験が行われた後、インド政府は、愛国心をかき立てて経済的、政治的な要求を抑圧しました。

――マイトリーが反核の立場をとるようになった背景には、平和主義が関係しているのですか。
ソマ・マリク いえ、関係ありません。反核に関する結論は、核実験後に初めて行われた議論の結果なのです。しかし、その議論の際にも、私たちの大部分が当初から原発と核兵器に反対する反核の立場に立っていたことは明白でした。
 このため、私たちの存在それ自体が帝国主義の鼓舞されたものだという非難が当然のごとく起こりました。マイトリーにいくつかのNGOが参加している事実が利用されて、このデマが拡大しました。マイトリーネットワークは、NGOに関しては自主資金の方針をとっています。
 私たちが原発に反対するのは、安くて安全な原子力エネルギーという話がとんでもないデマ、でたらめだからです。アメリカのワシントン州ハンフォードの核施設で液体の核廃棄物がコロンビア川に流れ込み、その除去作業に三〇〇億ドルが使われました。しかも、除去が成功したとはいえない状態です。インドのような国では、こうした資金さえありません。ところが、ポカラン核実験(一九七四年)の立案者の一人であるラジャ・ラマンナは、安全のためにあまりにも多くの資金が使われ過ぎていると述べているのです。そんなインドですから、原発が増えることは、絶え間ない事故と放射能漏れによる被害の持続を意味しているのです。

――この間の抗議行動でマイトリーは、どんな役割を果たしたのですが。
ソマ・マリク マイトリーのメンバーは、カルカッタで最初の抗議行動が行われた五月十六日以降、すべての抗議のための会議や集会に参加してきました。私たちは、反核フォーラムのような他のグループと連携する統一的な委員会の必要性を一貫して感じてきましたし、十分な統一を実現できるだろうと考えてきました。そして実際に五十一組織による反核兵器キャンペーンが結成され、九十七組織から百人以上の著名な市民が結集した八月六日の行進を実現できました。
 また八月一日にはCSIR博物館で反核の意識を高める行動を展開し、百二十五の学校から多数の児童が反核、反戦のポスターを送ってきました。私たち自身も、反核やそれに関するポスターをつくっています。
(以下略)
(電子版インターナショナルビューポイント誌11月号)