1999年1月10日         労働者の力              第107号

一九九九年年頭にあたって
左派運動の新たな結合をめざして闘い抜こう

国際主義労働者全国協議会


 戦争と革命の時代といわれた二〇世紀も、残すところ二年となりました。
 帝国主義の興隆とともに論争が開始されたマルクス主義の内的分岐が顕在化してからも約一世紀が経過しました。そしてベルリンの壁の崩壊に端を発するソ連・東欧圏の社会主義の解体が象徴する「二〇世紀社会主義」の敗北を刻印した一九九〇年代の最後の年でもあります。
 資本主義が全世界を覆い、その渦の中に世界的なバランスのゆがみ、膨大な地域が「飢餓状態」に転化することに象徴される格差の拡大、そしてさらに環境破壊が全世界規模で進んでいます。反面、欧州統合の進行と共通通貨ユーロの誕生が、アメリカ的資本主義の猛威への密かな対抗としての「期待」をにじませてもいます。ここには、アメリカ中心の世界構造の行く末に信頼をおけない多くの人々の心情が反映されているのでしょう。
 アジアと日本の経済的後退は、現行資本主義システムのどうにもならない不定形性、ぜい弱性の露呈でもあります。
 スターリニズム・社会主義の敗北に刻印された二〇世紀ではありますが、このどうにもならなくカオス的状況を形成して進む資本主義体制の矛盾は、しかしながら日々刻々と拡大していっています。
 一世紀前の修正主義論争の中から生み出されたマルクス主義左派の地平は、ロシア・マルクス主義のジレンマであった「遅れた資本主義における社会主義の可能性」への回答を、「時代の可能性」として、世界永久革命の理論と展望として提出しました。その躍動的ダイナミズムは、スターリン主義によるさん奪と革命精神・理論の圧殺にもかかわらず、今日にも引き継がれるものであります。世界の全体像をとらえ、そこに社会主義の道筋を切り開く――わたしたちは、「二十一世紀の社会主義の展望」をつかみ取ったと虚言を弄するつもりは毛頭ありませんが、しかしこれまでもそうであったように、今後もさらに努力していく決意を、ここに改めて表明したいと思います。
 一九九九年は資本主義の不安定性をさらに顕在化し、同時に労働者民衆に対する矛盾のしわ寄せがさらに過酷なものになるでしょう。失業の増大と賃金の切り下げは、戦後の日本社会では初めて直面する事態です。統一地方選挙もあります。自自連合という亡霊の復活のような得体の知れない反動的な策動も現実化するでしょう。日本自衛隊の海外派兵の道を切り開く「周辺事態」法もこの通常国会に提出されます。
 この春季の一連の闘いを通じて、社会主義の可能性に挑戦するうねりがつくり出されなければなりません。新たな左派運動の全国的登場と高揚のために、ともに闘い抜きましょう。
 一九九九年一月
中国を訪れて
   高木 圭

              中国革命連帯の視点
         「未完の革命」としての中国革命
 ブルジョア・マスメディアが、世界経済の成長センターとして「アジア」を華々しく喧伝したのはつい先頃、二―三年前のことであった。その背景には、他を圧する経済成長を実現していた巨大な中国の存在があった。
 しかしそのアジアには、当の中国を含め、ブルジョア・マスメディアが意識的に無視していた巨大な社会的な不均衡が存在していた。社会資本的基盤の圧倒的不足はもとより、人々の生活全般にわたるあまりにも大きな格差の存在等である。経済をその社会内部から自生的・持続的に成長させるうえで、これらが致命的な阻害要因となるであろうことは、虚心に物を見ようとする限り自明であった。しかも当時進行していた成長は、その不均衡に意識的に対処する方向性を持っていたわけではない。その間の成長を方向づけていた経済思想が、市場による調整を万能視する新古典派理論であったからである。現実には成長と社会的不均衡は随伴し続けた。
 ここには、「後進」的地域が世界資本主義市場に統合される際の独特のあり方、最先端と未開発のアマルガムとして、トロツキーが明瞭に性格づけ、マンデルがさらに理論的展開を追求した「複合的不均等発展の法則」が貫徹している。世界市場、世界経済は等質ではありえない。それを構成する人間類型をも含め、「一元的で等質な市場」を分析の基礎にすえる新古典派理論の虚構性は覆うべくもない。その引き金を引いたのが誰であれ、一昨年後半からのアジア経済危機は不可避であった。そして、この危機は二一世紀に向かう世界を不安定なものにしている。
 一方、「開放政策」とはいっても厳重な国家管理の下にある中国経済はその限りで、ここ一両年のアジアの混乱からかろうじて距離を置くことができた。そして例えば人民元のドルレートに世界が固唾を飲んでいるように、この中国の動向が現今のアジア危機の行く末に決定的ともいえる影響を与えることは言をまたない。中国は経済の側面においてもまさしく世界を左右する要因となった。それゆえ、またアメリカ帝国主義も幾多の障害を承知のうえで、中国指導部との「提携」に躍起とならざるをえない。社会主義をめざすわれわれにも事情は同じである。
 中国人民がその未来をどのように作りあげようとするのか、その苦闘をともにしようとする観点なしには「社会主義の未来」は豊かになりえないだろう。
 先頃中国を訪れてきた高木同志に、「中国社会主義」についての視点を語ってもらった。(一九九八年十二月二十五日収録、文責は編集部)
中国革命の現在

「開国の父」・「建国の父」

 中国の現状を、中国の人々自身がどのように考えているか。例えば毛沢東の評価として「功績七割、誤り三割」と言われている。インテリ層に限れば、その評価はもっと低い。「人民民主主義」の名前で語られた「反帝国主義、民族主義」の路線は基本的には受け入れられている。
 しかし大失敗に終わった一九五〇年代末の「大躍進運動」の総括のなかで、おそらく経済の進め方、民主主義のあり方を含めて劉少奇との間に路線的な対立が発生した。それが文化大革命の発動となっていく。
 われわれが革命中国について最初に観念を持ったのはその最中だったと思う。われわれの内部でも文革の評価については当時、相当の論争があった。かなり批判的な意見があったし、今読み返して見ると的を射ているものもある。他方、一般の全共闘世代は文革の急進主義に強い影響を受けた。私自身の中にも、まだかなりあいまいな点も残っているが、文革そのものについて誤りだったとはっきり言うべきだと現在では考えている。
 現在の中国では、文革については否定的な意見が支配的である。これは共産党指導部、知識人、一般の労農人民に基本的に共通している。そして毛沢東の誤り三割という評価は、この文革の誤りに負うところが大きい。
 毛沢東死後、■小平(とうしょうへい)路線が定着するが、これは実質的には劉少奇の復興と考えられる。現在に続くこの路線が、一般の労農人民も含め各層の人々から高く評価されている。ある都市のカラオケで「ある匿名の老人を讃える歌」という中国語の歌を聴いたが、それは■小平のことだとはっきり分かる。
 こうして現在、端的に毛沢東は「開国の父」、■小平は「建国の父」と言われている。

くすぶる民主化問題

 しかし■小平路線の下、まず天安門事件が示すように政治的に極めて大きな問題が存在し続けている。直近には「民主党弾圧事件」が報道された。民主党自体は、ブルジョア民主主義要求を共産党支配を崩さない条件で訴えたものだが、それでも弾圧された。民主党の民主化運動は、労働者、農民の声を高くあげたというよりも、民主主義と資本主義の組み合わせという性格を持つインテリの運動という印象だ。
 付言すると、中国のインテリ内部では一貫して毛沢東支持者は少数だった。例えば中国アカデミーには自然科学系の研究者しかいなかった。人文系研究者が毛沢東に疎まれる関係が事実としてあった。中国インテリの毛沢東に対する冷ややかな評価は、日本での想像以上だと言っていい。
 いずれにせよ、民族問題と合わせ民主主義の問題は巨大である。

拡大する不均衡

 一方、社会経済的側面でも様々な問題が露呈してきている。
 旧来の計画一元、官僚的な統制経済はスターリンがモデルだったわけだが、これは経済の活力をもたらさない。
 その点で「市場化」がある程度の豊かさを生み出してきたことは事実であり、それは評価されるべきだ。しかし貧富の差は歴然としていて、全体として労働市場は開拓されていない。その段階で多くの「行き過ぎ」が出ている。ある意味では、市場には中立的な面がある。資本主義が全面的に貫徹する市場もあれば、社会主義を活性化する市場ということも理論的には考え得ると思う。
 ところで、中国社会がロシアと違うところは、全世界的に大きな力を持つ華僑資本の存在である。「改革開放」の下で、この華僑資本が大規模に取り入れられた。これを優遇し、中国内での活動を奨励するとなれば、やはり資本主義的価値観、行動様式をどんどん取り入れるということにならざるをえない。そこでは労働者、農民の福利、労働条件を良くするために市場による活性化を利用するという方向性がほとんど出てこない。市場に対する資本のヘゲモニーの強さは無視できない。だから急速な経済成長が続いているといっても、その利益が海外資本のほとんどなすがままという状況になっている。
 さらに官僚独裁の下では、外資と結びついた利権を最初に手にするのは官僚となる。つまり官僚だけを太らせる市場開放ともなる。
 他方、中国は実に広大だ。先進的な都市では日本と遜色のないような所もあるかと思えば、やっと電気が通り始めたような山村もある。地方の観光地などには物売りの人たちが沢山いるが、この人たちの収入は驚くほどの低さである。
 中国を全体としてみれば、まだまだ農業社会と言っていい。
 農民を含め、これら低所得の人たちに対する利益移転というか、その人たちを吸収しうる労働市場の創出などには、現在の市場化は全然向いていない。
 そのうえに例えば社会主義にとって基本的要素であると考えられる教育や医療政策には、はっきり逆行した現象もあらわれている。端的に「金がなくて教育が受けられない」というような事例のことである。

「改革」をめぐる圧力

 二つの点を付け加えたい。
 第一には、国営企業の問題である。現在、朱首相以下、全力で取り組んでいるが、ここ、すなわち国営企業に活力がないということは認めざるをえない事実である。これはやはり「改革」せざるをえない重要課題である。私的収奪に任せない形での公的で柔軟な所有形態が必要だろう。しかし現実は、国営ではだめだということで、官僚と結びついた民間に二束三文で売却するという反人民的なことになっていっている。ただし、その財産権は七〇年という期限付きとされてはいるが、しかし建国以来まだ五〇年になっていないわけであるから、七〇年という期限も今後どうなるのかはよく分からない問題である。
 第二に、貧富の差が野放図に広がっているのだが、その反面、全体としてのコミュニティがあるという印象は強い。日本のような「新自由主義」の雰囲気――今度「健全なる競争社会」という答申が出たが――そのような社会的風潮とはまったく違う。
 反帝民族主義が国民的合意の基礎にあり、野放図な資本主義賛美とはならない。老人や労働者の生活態度には、中国革命、「社会主義」の意味がそれなりに根づいているように見える。

「改革」の苦悩と
要になる「民主化」

  
 ここまで見てきたように、■小平路線は現実に大きな問題を抱え込むに至っている。今後の方向性について中国の人々は大変に迷っている――これが私の印象である。それは二つの側面の問題によって強められている。
 一つは民主主義の欠如。もう一つは理論的伝統、理論的蓄積の問題である。
 第一の点に関して、思想の自由を取り上げれば、口頭での討論に関する限りはほとんど自由である。しかし論文に書いたり、政治的結社を作ったりすることには大きな制約がある。マスメディアも完全に共産党の統制下にある。
 しかもこれらのマスメディアに資本主義の情報が流れることはあったとしても、社会主義の理念をめぐる議論などにはタッチさせないという方針が貫徹している。これでは大衆的討論はできない。
 その意味では「社会主義建設」に関しての代行主義、共産党の一党独裁により、理論的にも貧しいものを押しつけるという体制は依然として継続している。この状況の下では、民主主義の要求がいきおい「民主党」のようにインテリを中心とするブルジョア的なものになる。

理論的な迷路

 以上は二つ目の思想的歴史の問題に重なっている。インテリの中で現在、社会主義のイメージはかなり否定的にとらえられている。
 大体、社会主義のイメージといっても、毛沢東の作ったイメージしかない。毛沢東の思想をすべてスターリニズムで括るというのは教条主義だとは思うが、その思想の半分は、農業集団化とか文化の考え方等々、スターリン主義である。一方、人民民主主義というところで一部開かれているところはあるのだが、そこが資本主義と結びついて受け取られているのである。インテリが民主主義を考えるとき、資本主義と結びついてしまう要素がここにあって、大変に不幸なところである。
 その毛沢東主義を総括的に評価するとすれば、その理論は一九三〇年代の第V期路線以降のスターリン路線を、かなり柔軟化して引き継いだものだ。その限りで、枠組みとしては中国共産党には、一九二〇年代までのロシアで真剣に討論され、実践されたプロレタリア民主主義の伝統、観念が全くない。また実際、歴史的にも毛沢東以降の中国共産党には、名目的な工人組織は別にして、都市の成熟した活力ある労働者のエネルギーを結集した組織はなかったと言っていい。その意味で中国共産党はほとんど農民の組織であった。
 上海攻略後の一九五二年、共産党が当時の上海労働運動の活動家たち、それを代表していたトロツキストたちを一網打尽に逮捕し、投獄したことは象徴的であった。
 私が天安門事件のときに真っ先に思い起こしたのは、上海の出来事である。その時投獄された鄭超麟の、国民党時代を含めた獄中生活三十四年間は、フランスのブランキ(ブランキズムの名を残している)と並ぶ世界で一、二を争う記録である。
 とにかく民主化を、プロレタリア民主主義に向かって真剣に取り組まないと現在の社会経済的諸問題や民族問題から噴出してくる現実的対立が、再び天安門事件のような悲劇に結果しかねないのである。

伏在する民族問題

 付言すれば、民族問題は潜在的に巨大である。チベット、ムスリム地域、台湾問題等が伏在している。そして中国共産党が民族問題に対して思想的、理論的に武装されているのかどうか、断言はできないがかなり怪しいところがある。チベットでは相当にひどいことをやっているし、ベトナムへのかつての対応なども重ねて考えて見た場合、大漢民族主義の傾向は色濃い。在日本の留学生に話を聞いたことがあるが、その人は「中国社会主義」が解体するとすれば民族問題だという見解であった。
 ただ私が今回見聞した限りでは、例えば内モンゴル系の人々への差別的対応などはないように思えたのだが。
 われわれもこの問題に関しては、今後注意深く研究する必要がある。
 こうした諸問題の所在を考えると、今回の民主党問題を含めて、中国共産党自身、非常に苦しんでいるのではないかと思われる。

トロツキズムの可能性
中国共産党のマルクス主義

 以上に述べた状況において私は、トロツキズムが力を持つ可能性はあると考えている。
 元来、中国共産党のマルクス主義理解にはプラグマチズムの色彩が濃い。■小平の「白猫・黒猫」という言及は有名だが、毛沢東にしても彼を理論家だと見るインテリは皆無だ。現在の共産党内討論の水準にしても、日本や欧米のソ連思想史とか経済政治史が十分にフォローされているとは言えない状況のようである。
 同様にスターリン主義も十分に総括されてはいない。さらに前述した一九五二年の上海の弾圧なども含めた歴史の見直し等、理論的に深めた考究がなされていない。
 党から独立した認識が難しい現状では、中国の人々のスターリン評価もきっちりしてはいない。ある時期までは、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東というのが「聖人の列」であった。いまでも地方の観光地に行くと、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの伝記を写真つきで売っている。ただここには、中国から技術顧問団を引き揚げたフルシチョフの政策が影を落としている。スターリン批判が中国への社会主義的援助をうち切ったというイメージがあって、むしろスターリンを美化してしまうところがある。

トロツキー研究の現状

 他方、トロツキーに関する研究は数年前に解禁されたばかりであり、一般大衆とは関係ない党の理論家レベルでなされているようである。北京や上海という拠点的都市に研究者が生まれている。
 とはいえ事実関係のフォローの仕方に問題がある。
 客観的なものとして学問的な歴史が書かれるという段階には達していない疑いがあり、共産党の方針と調和する限りでの研究という面は否定できない。
 トロツキー自身は極めて有名である。というのは、中国には古くからトロツキー派が共産主義的反対派として存在し、かつてある程度の影響力を持っていたからである。実際に中国共産党の最初の建設者である陳独秀は、トロツキー派として存在していた。彼は最後は隊列を離れたとはいえ、死ぬまで非転向の反帝社会主義者であった。その意味で彼はかなり首尾一貫している。その彼は今、権威を回復し、魯迅も尊敬していた偉人とされているのである。私が北京の本屋で見た彼の新しい伝記では、トロツキストであった経歴まで含めて、かなりしっかりと研究されている。ただ、トロツキー派であった時代についての否定的イメージは、やはり依然としてあると思われる。

プロレタリア民主主義派としてのトロツキー派

 中国トロツキー派の歴史を通して、中国の人々にトロツキー派はどのように映っているかに触れたい。
 最近『中国革命と知識人』(研文出版、斉藤哲郎著)という本が出版された。中国トロツキー派の歴史の参照として、読むに値する著述だと思う。しかしこれは、陳独秀の後継者としてペン(◆述之)を中心に見ているため、外部から見た左翼反対派のフォローとなっている難点がある。ペンにはセクト主義的傾向が強く、毛沢東を観念的に断罪するところがある。これでは毛沢東の功績を受け入れている中国民衆には受け入れ難いだろう。
 その意味では王凡西、鄭超麟は大きく違う。私は彼らの方がセクト的でなく正しいと思う。そして彼らを中心にしたトロツキー派が、国民党あるいは日本帝国主義の軍事占領下でも上海で一貫して都市労働者運動の組織化に成功した。マルクス主義の原則を首尾一貫して極めて厳しい状況下で貫いたのである。
 ところで日本の状況では、日本共産党の六全協の「右」転換後に、それに抗する形でトロツキズムの受容が本格化した。したがって日本でのトロツキズムには戦術的にも左、急進主義というイメージがついている。他方、中国では上述したような歴史から、トロツキズムに戦術急進主義のイメージはない。むしろ毛沢東が戦術急進主義をやったという関係になる。もっともそれは戦略的というよりは、国民党や日本帝国主義に追いつめられたうえでの、情勢に強制された側面が強い。
 こうした事情から、中国でのトロツキズムの受け入れられ方は、プロレタリア民主主義派ということになるのである。そしてそれが今、非常に重要な意味を持つと考える。マルクス主義のイメージによる改革の糸口になる可能性がある。
 ヨーロッパの労働運動、ラテンアメリカ労働運動、日本の労働運動で社会主義派、トロツキー派が力を持ち始めた場合、中国内部に影響を及ぼす可能性は十分に開かれている。

未完の中国革命

 その意味では、日本、香港、台湾を含む東アジア圏のトロツキズム運動が特に重要だ。昨年、香港と日本のトロツキー派活動家が台湾に招かれ、それぞれのトロツキズム運動について、ある大学で講義している。台湾でもトロツキーやマンデルが翻訳され読まれている。その中で労働者運動ではまだまだとしても、自分をトロツキー派と考える人たちが生まれている。一方、香港の同志には中国当局からビザが出る。つまり中国共産党にも一定程度の柔軟性があるということである。
 こうした事実を含め、私は、毛沢東、■小平を経ても中国革命が未完の革命であるということを強調したい。現在の中国共産党の路線では、二一世紀前半、経済建設が順調に続くとは考えられない。他方、毛沢東の権威は想像以上に失墜している。
 中国共産党自身、社会主義建設を追求する限りは、新しい要素を必要としている。この革命を引き継ぐための路線が求められているのである。
米GMストの教訓
キム・ムーディ
           甦る戦闘性、芽生える階級意識

二つのストライキ

 ゼネラルモーターズ社のミシガン州フリント工場で行われた最近の二つのストライキは、世界最大の自動車メーカーに対する一九九四年以降では一六回目と一七回目の全米自動車労組(UAW)支部組織による地域ストであった。フリントのメタルセンターでUAW六五九支部が行ったストライキは、メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)の週に、経営側がGMトラック向けフードとバンパーの金型を外注企業を使って運び去ったことから始まった。金型を撤去したことは、GMが当該労組支部組織と契約していた仕事がなくなったことを明確に示していた。
 労組役員は、撤去のことを事前に知っていたが。それを阻止あるいは金型が運び込まれて使われることになっているオハイオ州マンスフィールドGM工場のUAW労組員がその仕事を拒否するように働きかけるなどの、当然の行動は何もしなかった。
 二つ目の地域支部ストは六月十一日、同じくフリントにあるGMデルフィ部品工場で労働者(六五一支部)が退場して始まった。
 一九九〇年以降では、GMで闘われたストライキの総件数は二二である。こうしたストライキの多くは、労組の力と同時にジャストインタイムという支配的になっている自動車製造システムの弱点をも示している。そして多くの場合、ストライキの結果、GMがダウンサイジング(小型化)を計画している中で、雇用を若干であれ増加させることができた。
 今年(一九九八年)のフリント支部ストライキを含めて、いくつかのストの実例は、労組が経営側の攻勢的なリストラクチュアリング(事業再構築)計画を変更させうることを示している。例えば昨年のミシガン州GMウォーレン機関車工場や今年のフリント、メタルセンター工場のストライキは、GMが投資削減や製造設備の移動計画に関して変更を余儀なくされたことを示した。
 GMは、自らの投資計画に労組を絶対に介入させないと決めていた。だが、この点でこそ、つまりメタルセンターに一億八千万ドルを投資するという過去の約束を復活させることにGMを同意させることがフリント支部ストライキの目標だったのである。
 さらにストライキ終結の条件として、デルフィ工場をフリントとデイトンにスピンオフするというGMの計画を一時的に中止させることがあった。この一時的な中止の実現であっても、スト終結賛成率(メタルセンターで九〇%、デルフィ部品工場で七六%)を獲得した。ただし後者では、一時的中止は本質的な問題でなく、スト終結直後、GMはデルフィ工場の売却を発表した。
 労組は企業に巨大な損失を与えた。GMは、三十億ドルの利益、売上高としては百二十億ドルを四十四日の争議期間に失った。また六五九支部と六五一支部による二つのストライキの結果、GMの二十九組立工場の内、二十七工場が、そしてアメリカ、カナダ、メキシコにある百以上の部品工場のほとんどが閉鎖された。
 フリント工場のストライキによる一つの明確な教訓は、国際的な傾斜生産方式の中心における労働者の力や労組の交渉力が強化されていることである。

主要課題は未解決

 これらのストライキは確かに労働者や労組の力強さを示したが、GMストで問われた主要な課題はすべて未解決である。つまりダウンサイジング、アウトソーシング(生産の外部発注)、スピンオフ、スピードアップ、労働密度などの北米GM全体における企業戦略問題は、そのまま残っている。
 自らの競争相手に「追いつき追い越そう」というGMの計画、資本行動は、資本主義につきものである。こうした行動は一九九〇年代に始まったわけではない。だが一九九〇年代になってウォールストリートからの圧力によって加速されたのは事実である。これらの企業戦略を実行するスピードがいかなるものであっても、その攻撃目標が単に一、二の労組支部に向けられていないことも明白である。
 UAWの労働協約は、安全や衛生、生産標準(スピードアップ)、熟練労働の下請けといった支部ごとの課題に関するストライキ権を認めている。この規定は、一九四〇年代、五〇年代に設定され、今日まで更新されてきたが、一九九〇年代と二一世紀に向けても強力に持続されていく必要がある。
 支部スト権を弱い企業を狙って行使することには、何も悪いことはない。実際、トラック運転手組合のチームスターは、GMがフリントでストを闘っている最中に、オーバーナイトでストを展開した。だがチームスターには、オーバーナイトに全国マスターフライト協約を承認させるという全国目標があった。
 当該課題をめぐる労組支部のスト権を放棄すべきではない。だがスピードアップやアウトソーシング、ダウンサイジングといった課題は、全国規模の団体交渉で解決されるべきであり、これを通じて資本に大きな制限枠をかけ、支部組織における闘いがより容易となるような有利な環境を形成すべきである。
 しかしUAW役員らは、フリントなどの闘いの全国化を拒否し、一九九九年の対GM労働協約更新交渉において、これらの課題を取り上げていく全国的な闘いの方向をも示さなかった。
 ニューヨークタイムズ紙が指摘するように、労組にできる最大限のことは「さらなる対決を阻止するために」より高度な労組・経営共同委員会をつくることだった。オハイオ州デイトンの二つのブレーキ工場におけるノーストライキ合意は、一九九六年にその工場を閉鎖させることになった。
 だが、これ以外のNUMMIやサターン、オハイオ州ボーリンググリーンとウイスコンシン州ジェーンスビルの組立工場などのいくつかの工場では、ストライキの可能性がある。
 フリントでストが終結したとき、多くのスト参加者は一九九九年の対GM全国交渉における衝突を予言した。彼らの多くは、支部の闘いにおける損得にかかわらず、全GM労働者に影響を与える基本問題――スピードアップ、アウトソーシング、労働力の九五%を維持するという一九九六年協約を無視するダウンサイジング――が未解決であることを知っていたのである。

何度も何度も繰り返して

 過去四年間のGM各工場におけるストライキの動向を眺めてきた私たちは、企業全体に横たわっている基本的な問題を解決しないままに、労組がなぜ同じような闘いを何度も繰り返すのか不思議に思う。
 UAWは全工場に存在するストライキに値する課題はすべては「支部」相当のものであると一貫して主張している。確かに、協約に従うと工場ごとの課題に関する中期的なストは制限されている。しかし現在問題となっている課題は、一工場の次元にとどまるものではない。労組は法的には、これらの課題に関してストライキと交渉だけをできる。しかし、これら課題の全国的な性質に関して公開で議論する第一条修正条項の権利がある。
 チームスターが一九九七年のUPSストに対処したやり方と、UAWが今年のフリントストに対処した方法とには大きな違いがある。チームスターは、攻勢的に労働者階級という世論に訴えて、すべての勤労者の闘いとしようとしたのに対して、UAWは低姿勢を保ち、支部の課題をめぐる支部のストであると終始一貫して主張しただけだった。
 労組は、来年(一九九九年)のビッグスリー(三大自動車会社)との新労働協約をめぐる全国交渉において、これらの課題が全国交渉に値すると宣言する権利を残している。しかしUAWがこうした行動をとる気配は全くない。
 UAW内の活動家グループ、ニューディレクション運動は、全国化するためのやり方をとるよう訴えている。このグループや決意を固めた少数の支部指導者たちは、現在の状態をGMに対するより広範な運動に結集し、これらの課題を全国化し、UAWと労働運動全体内部でより大きな連帯を構築する機会だと考えている。

減少する組合員数

 全国的に見た場合、UAWは過去二十年間で、自動車産業労働者の総数に変化がないのに、組合員数を半減した。
 GMフリント工場の一時間当たり労働力は、一九七〇年代後半の七万八千から今回スト前の三万三千と急減している。五〇%がアフリカ系アメリカ人であるこの都市における黒人男性の「実効失業率」は、二七%である。フリントをダウンサイジングするGM計画が実現されると、一万千以上の職が失われることになる。フリント五九九支部のある役員は、GM計画を「産業上の人種差別主義」と呼んでいる(レイバーノーツ八月号)。
 UAWは、こうした事情の原因が主としてメキシコに生産が移されているためだと説明している。しかし組合員数が減少した理由は、他に求められるべきである。
 その理由の第一は、組立部門のスピードアップである。一九七八年には、全国で三十五万八千の労働者が約九百万台の自動車とトラックを生産した。ところが現在では二十五万八千人で千二百万台を製造している。
 組合員数低下の第二の原因は、全国で非組合員による部品工場や部品企業が増加したことである。部品部門の労働者数は、一九七八年の三十五万二千から今年の四十三万七千へと急増したが、組合員数は全体の七五%から約一〇%へと急減した。
 それでもUAW執行部は、減少している組合員が抱えている問題は支部ごとのものであるという虚構を維持し続けている。労組官僚は、過去何十年にもわたる事業としての組合という考え方と実際の行動を捨てられないのだ。
 第二世界大戦以後の二十五年間、支部のストライキはまさに支部の闘いだった。全国ストは、もちろん大きな例外はあるが、セレモニー化する傾向にあった。
 この時代には「スト破り」が普通の家庭、世の中で話題になることはなかった。同時に、一般組合員は「個人福利を追求」する仕組みによって次第に分断化されていった。その過程では、企業をベースとする利益追求システムが労組と組合員とを企業に結びつけ依存させ、企業意識を形成していった。
 UAWの受動的な対応と幻想とが、「国際競争」という名目による「企業一体化」と労資協調の十五年間に強められ、すべての段階における労組意識を弱めていった。
 問題は、一九四五年以後の労組のイデオロギーと行動とが基盤としてきたものが、かなり前に崩れてしまったことにある。実際、一九七〇年代初めにはスピードアップやその他の労働条件をめぐる支部争議が急増しており、デトロイトの各工場では抑圧に抗する山猫ストも展開された。こうした争議の大部分は、UAW官僚機構によって散らされるか壊滅させられた。
 UAWのマルチミリオンドラー労資パートナーシップという考え方は、労組を武装解除すると同時に、企業側には労組の裏をかく時間を与えた。
 UAWの別の「パートナー」であるキャタピラーの場合、協定を破る以上のことを実行した。企業は一九八〇年代後半の「労資協調」時代を利用して、全国のみならず全世界で非組合員による工場を建設したのだ。そしてスト破りを採用して本拠地の組合を破壊した。GMも同じことを実行したが、キャタピラーほどには成功を収めなかった。

パートナーそれとも見せかけ?

 UAWのマルチミリオンドラー労資パートナーシップという基本路線にもかかわらず、GMはウォールストリート街とその株主からの圧力下に労組敵対へ転換した。ダウンサイジングやアウトソーシング、その他の製造コスト削減方法の採用を決定した。
 GMはそのモデル工場であるサターン組立工場でさえ、パートナーシップの見せかけは別にしても、その実行をやめてしまった。一般組合員による多くの小反乱が、まずは組合指導部に対して、次いで「リスク報償」協約に対して発生した。最後的には一九九八年のスト権投票での圧倒的な賛成票がパートナーシップの破局を画することになった。
 トヨタとの合弁企業であるGMのNUMMIでは経営側がさらに進めて、労働協約が七月三十一日に満期になったときに労組がストを行った場合、トラックラインを彼ら自身で運転しかねないほどだった。七月末に、GM六工場におけるUAW支部は巨大企業に打撃を加えるべくストに向けて待機していた。
 GMのプロパガンダは、確かに労働者にある程度の影響を与えた。利己主義が徹底している競争全盛の今日にあって、劣悪な労働条件と確実な雇用とを比較して検討する人がいるはずもない。
 実際、人の世界観というものには、資本の考え方が相当に入り込んでいるのだ。例えば、GMの強い競争力こそが確実な雇用の基礎であると信じて、現実をねじ曲げて理解することもあろう。
 スピードアップや労働密度、アウトソーシング、雇用喪失などは、GMに固有の問題ではない。クライスラーでは昨年、山猫ストを含めて二件のストがあった。実際、水面下では、このストに示されている以上に不満が蓄積している。七月二十六日のウォールストリートジャーナル紙はフォードとクライスラーのUAW役員の声を引用して、UAW全国指導部がこれらの企業の経営に関してあまりにもソフトだと伝えている。
 GM労働者を苦しめている諸問題は、フォードやクライスラーの工場でも同様に生起している。国際的な自動車産業の現況においては、これ以外にありようがないのだ。その現況とは、各企業がシェアを拡大しようとして競争を強めて生産能力が過剰となり、傾斜生産方式が雇用削減・労働強化となり、そして最終的に競争が過剰な能力の削減を強制する、そんな状態である。

芽生える階級意識

 漠然とした社会民主主義的な考え方をもつ労組指導者たちは、社会のことや労組戦略、政治のことを一般組合員よりもはるかに深く考えていると思っている。だが実際には、ますます多くの組合員が労組役員よりも、はるかに先を考えているのだ。
 ますます多くの勤労大衆が、昨年のUPSストや今年のGMストという非常に広く知られるようになったストの原因が普遍的な性質であることを理解し始めている。
 これらのストライキに対する支持は圧倒的だった。GMのストに関する世論調査では、フリント地域で支持が六七%、ABCのインターネットを通じた全国調査で七四%の支持、ギャロップ調査の結果をNPRは「圧倒的な支持」と伝えている。
 資本自身が過去二十年間、荒々しい国際競争の中で行ってきたリストラクチュアリングや商品とサービスの生産方式の転換などによって、労働現場での問題が社会問題に転化するようになってしまった。
 ここには、有効なストライキ戦略のみならず、労働者世界を越えた組織化の可能性、とりわけ未組織労働者の組織化の可能性もが存在している。
 同時に、吸収合併や買収、スピンオフなどを通じた企業の前例がないほどの再編成によって、労働者階級にとって闘いの目標がより鮮明になっている。これに加えて、上層階級の所得が役員所得の急増や株価の急上昇などによって驚くほどの規模で拡大している事情もあって、人々の怒りが増し、階級意識が成長している。
 確かに、この新しく形成されている階級意識は、何十年も持続してきたビジネスとしての労組イデオロギーや差別主義、社会的な保守主義、いわゆる「常識」という石化した考えと闘って成長していかなければならない。
 現在の労働運動指導者たちは、矛盾したイデオロギーにとらわれている。一方では、ビジネスユニオンが敗北した過去と形骸化した「パートナーシップ」の考えを引きずっており、他方では、「労働逼迫景気回復」による一時的な息継ぎを探すポピュリズムがある。
 GMにおける闘いの力学は依然として、運動モメントの可能性と限界とを示している。ほぼ二十年間にわたって自動車産業で一般労組員による行動不能あるいは受動的な状態が続いた後、支部レベルで抵抗行動を開始している。支部レベルこそが一般組合員が現在的に行動できる唯一の場所だからである。一般組合員の甦った戦闘性は、UAW指導部をしてストライキ行動への門を開放させ、企業の生産活動に打撃を与えるような戦術の採用さえをも迫っている。
 それでも一般組合員は、指導部を次の段階、つまり普遍的な課題に対する本当に全国的な戦略の採用の段階に突き進ませるほどの力はもっていない。また労組指導部の戦略の狭さが、スト労働者支援へのより広範な労働者の動員を妨げている。
 こうした状態を突破する必要があるが、そのために要求される力はいまだに結集されていない。その力を結集するためには、一、二のストライキだけでは不十分であり、直接に労働者階級のより広範な運動を構築しようとするものでないとしても、より多くの闘いが必要である。
 一八九八年に社会労働党の指導者、ダニエル・デ・レオンは、ストを闘っているニューベッドフォード繊維労働者に対して、その闘いは、より広範な労働運動や社会主義運動の構築へ進もうとしないと、ただ単に一連の敗北した闘いの一つに終わってしまうだろうと語った。
 彼の単純な戦略、つまり社会主義政党プラス社会主義労働運動の連合体がゼネラルストライキを指導するという戦略は、現在では一つの選択方向でさえない。しかし、こうした闘いを構築して階級的な運動を形成することが、その実現は困難であり、遠大な目標であるにしても、実際の可能性として再び出現しているのだ。
 左派にとっての課題とは、一般労組員の間で力ある組織を建設し、突破を実現して、支部レベルの闘いを全国の闘いへと発展させ、労働組合次元を越えて自らを階級として自覚し始めているアメリカ労働者階級に接近することである。

注 キム・ムーディは、アメリカ労働運動ラジカルのニューズレター、ネットワークであるレイバーノーツの責任者。以上の論文は最初、アメリカの「流れに抗して」誌に「このストライキは何を意味するか?」として発表された。
(インターナショナルビューポイント誌98年10月、304号)