1999年3月10日         労働者の力              第109号

統一地方選挙で左派候補の躍進を
国家主義と対抗する民衆の民主主義を


蓄積する社会的不安感、閉塞感

 四月統一地方選挙への動きはたけなわである。街頭には予定候補者を含んだ宣伝ポスターが張りり出され、チラシ、パンフレットの配布も続いている。
 だが、もう一つ政治的緊迫感は伝わってはいない。政界総体がかもし出す不透明感が地方選挙にも影響し、政治経済全般にわたる政治的閉塞感へ切り込む統一地方選挙という位置感覚を作りだしていない。
 巨大な財政出動による銀行とゼネコンの救済、アメリカの戦争準備に日本を組み込もうとする安保ガイドラインと「周辺事態」法への動き、史上最悪の水準に達している失業者数に追い打ちをかける賃上げ抑制や切り下げ。将来における社会保障費用の引き上げは、史上最低の利子率のもとにあえぐ年金生活者に追い打ちをかけ、消費税引き上げとともにすでに予告されているも同然である。さらには環境破壊や無限的に拡大し続けるダイオキシン。
 こうした事柄が生み出す社会的不安感、閉塞感は、昨年参院選前の状況と同じく、未だ水面下に沈潜させられている。だが、それが噴き出さないということは誰にしろ言えないであろう。ただ日本政治の現状がそれを普段の緊張感として引き出し、表現できていないだけのことである。それらが昨年参院選のように、突如の「民主党ブーム」のようなものとして現れるのか、あるいはより鬱積したものとして終わるのか、予測はできない。が、何らかの動きは当然に出てくるはずだ。
 
非自民の流動と左右分岐
 
 政治的混迷の一つの大きな特徴に東京・大阪の首長選挙がある。一九九〇年代のほとんどを通じた、めまぐるしい政界再編の影響を受け、政治的流動はとりわけ大都市部での不安定、不定型な首長選挙という現象を生み出してきた。前回の青島と横山ノックの当選は、「無党派層」エネルギーの噴出であった。過去に日本新党ブーム、次いで青島とノック、そして昨年の民主党と続いてきた過程ではあるが、少しずつではあれ、日本政治における非与党、対抗政党、あるいは新たな左派的政党の基礎が醸成されていっている過程と見ることは可能である。
 東京においては、青島の退場を受けるべく、多彩な顔ぶれが名乗りをあげている。石原慎太郎という遺物も参入を試み、いわば都市「浮動層」が非・反自民でかつポピュリズム(人気取り政治)で動いているという見方を表現している。だがここには、石原の見事な錯覚が示されている。それは政治における「左」に重心をおいて左右の分岐が進行しているという要素を重視していないということである。
 もちろん都市浮動層にポピュリズムへの傾向がないわけではないが(あるいは大いにあるかもしれないし、石原がそれなりにブームを引き起こす可能性もゼロとはいえないが)、戦後社会の構造変化に関して対立する二つの傾向――一方は国家主義復活、他方は環境や民主主義への――要求との関連を「超越」した政治は成立してきていない。そして、その多くは国家主義的要素に背を向けているのである。
 もし石原なりその他の亜流(明石や舛添ら)が、都市浮遊層に右からのアプローチを試みる(当然そうなる)とすれば、そこには「超越論理」すなわちポピュリズムにプラスしたボナパルティズムやファシズム的な要素が潜入してくることになる。
 青島もノックもそれぞれに権力構造と異質の市民派層や庶民派層の感覚を引きつけたものだった。保守派の鳩山が民主党の仮面をかぶったところで鋭敏な市民派層はだまされることはないだろう。青島退陣も、その政治の本質が、個人人気に乗っただけのものであったことが見透かされた瞬間に、その浮揚力を失ってしまった結果なのである。
 
自自連立の国権主義か民衆の民主主義か
 
 ではその都市市民層はどこへ行くのか。
 日本「周辺事態」法に関連して、高知県の橋本知事と自民党の対立が顕在化し始めた。橋本知事が核搭載艦船の入港を認めず、核兵器の有無を事前に問いただすという「神戸方式」を導入するという方針を明らかにしたからである。政府は「外交は国家の専権事項」という小沢張りの論理で押さえ込みを図っているが、しかし橋本知事に圧力をかければかけるほどに自民党とそのガイドライン安保、周辺事態法のでたらめさと危うさが明らかになってくる。
 社民党は、橋本方針の支持を中央レベルで表明した。問題は少しずつ中央レベルの対立へと高まりつつある。橋本知事の県政全体がいかなる展開を示しているか、断言できるほどの資料を持っているわけではないが、少なくとも県議会において自民党(圧倒的多数である)以外の諸会派がこの方針を支持している点をみれば、橋本県政は、明らかに非自民政治への傾向を示しているのであろう。これが宮城県知事の浅野的な単なるポピュリズム的枠で終わってしまうかどうかは、その可能性が高いとしても、まだ判断はできない。
 以前の革新自治体は、飛鳥田横浜市長の「村雨橋」問題を頂点に、自民党政府との対決関係を築いた。ベトナムへ派遣されるアメリカ軍の戦車が、村雨橋の通過を必要としたのに対して、飛鳥田市長は自治体首長権限で阻止しようとした。
 日本周辺事態法は各地方自治体に対して「義務ではないが、優先協力事項」として、米軍艦船、航空兵力への協力を求める。従わない場合には、国庫補助やその他、見返りは恐ろしいぞ、というのである。「日の丸、君が代」の法制化を含めて、自自連立の政府には明瞭な国権主義が貫かれている。
 この国権主義こそが、現在の日本の民衆的、市民派的感覚と、最も鋭い対極関係を形成するものであり、ここにこそ、とりわけ地方自治体における政治的分岐の柱が潜在しているといわなければならない。
 
左派候補の勝利をめざして
 
 国の財政改革方針に投影されてきた苛政への傾斜、国家の権力行使を不可侵なものとしてしまう内務省型政治への要求と分権論、米軍事体制への組み込みを当然視する論理、これら一連の政治手法は「小沢流改革」の柱である。
 自自連立以前から、すでに橋本の時から、こうした小沢流改革への流れが自民党の一方の主軸となってきた。これらに対抗する民衆的エネルギーと視点は確実に存在しているのであり、それが地方政治においても非自民的首長誕生の基礎にとして計算できるほどに至っている。
 国家財政悪化の余波を受け、自治体財政も悪化の一途をたどっている。バブル期に踊ったのは銀行とゼネコンだけではない。自治体のリストラもまた一段と厳しくなり、自治体職員への締め付けや攻撃、さらには職員間の差別や非正規職員導入の動きも加速されてくる。地域社会と自治体の間の連携はまた、地域社会の市民や労働者と自治体労働者との協同の結びつけを築いていくことをさらに求めてくることになる。その意味でも、地域的・地方的自治のこれからのあり様は、観客民主主義のレベルを越えた自立的市民運動の役割をさらに求めていくことになる。
 政治再編における現状は、過渡的時期といわなければならなず、ポピュリズム政治家から共産党の上昇までの幅で、非自民的なものへの凝集の力学が動き出しているのである。もちろん右的動きも、さらに加速もされる。
 統一地方選の底流はこうした国権主義と民主主義との対抗関係として形作られている。
 自自連立政府と正面から対抗し、対立する左派的候補の全国的躍進と、その将来的凝集を展望した闘いが必要である。
 全国各地で闘っている数多くの革新無党派候補をはじめ、社民党、新社会党、共産党らの反自自連立候補の当選に力を尽くそう。
  
  三月十日 川端 康雄
仙台市議選泉選挙区
             山田みきお候補の勝利を
  
 【宮城支局】四月に行われる仙台市議選の泉区選挙区に、「市民の政治・仙台」の代表である山田みきお氏が立候補を表明した。
 山田みきお氏は、自然環境保護運動、福祉、教育、平和などの広範な分野で市民運動ネットワークの中心的役割を果たしてきた。とりわけ市の北側にあたる王城寺原自衛隊演習場に、沖縄米軍の実弾射撃演習が移設された問題では、浅野県政が全国に率先して承認したことに対抗し、地元の人々との連携の中心となり、沖縄と王城寺原を結ぶ反対運動の盛り上がりに尽力してきている。
 また彼は、「リサイクル共生社会」の実現をめざし、行政の監視や地域からの手作りの運動を進め、地元町内会やPTA活動に反映させ、率先して地元を流れる川の清掃運動に取り組むなど、本業の鍼灸師を通じた福祉活動をあわせた精力的な活動を行ってきている。
 泉区選挙区は仙台市の北部にあたり、旧泉市の領域を引き継いだ選挙区で、有権者数約十五万人に対して定数は十一名の大規模かつ少数激戦の選挙区である。
 旧来からの住民と膨大に流入している団地の新住民が混在し、かつ初期建設の団地群は過疎化が進み、ほとんど無計画といって過言ではないこの住宅団地社会の乱開発は様々な交通問題や環境問題などを露呈してきている。
 しかも仙台市行政の位置づけには、区の独自的、独立的行政区への展望は含まれず、区役所はあっても区長は市の任命する役人が配置される構造である。住民自治の視点は、市政や「区政」を牛耳ろうとする一部「有力者」たちの枠組みからは無視され、また団地住民のあり方も、住民自治の要求を潜在化させる要素ともなっている。
 最近、区の東側に新型清掃工場の建設計画が公表され、折から、ダイオキシン問題をめぐる論議の対象となり始めた。区は「微量のダイオキシン」しか排出しない新型の焼却炉を導入するとしているが、「微量」とはいったいどういう意味か、新型炉のもう一つの問題点である「灰」の処理の計画がない、あるいは稼働させるためにはより多くの恒常的な「ゴミ」の量が必要だといった問題が出てきている。とりわけ、この工場は区の風下側にあたる南東に立地する計画であるが、それはすなわち隣接区である宮城野区にほとんどの排ガスが流れ込むことになる。
 山田みきお氏と「市民の政治・仙台」は泉区内の活動にとどまらず、宮城野区やその他の地区での清掃工場に対するキャンペーンを進め、仙台市における地に着いた、かつ躍動的な市民運動の自立的形成のための活動を繰り広げている。
 山田みきお事務所は、区南部入り口の八乙女地区と団地群の旧中心部である将堅団地に置かれ、「市民の政治・仙台」の活動家たちに、サポーターとして宮城全労協の労働者が加わる形で選挙活動が組織されている。
 泉選挙区にも、泉区とは無関係なグループが市民運動を名乗って区外から急きょ移籍し、参入を図っているという投機分子的な動きもあり、少数激戦の中で選挙情勢は決して楽観できるものではないが、最後の勝利をめざして闘いぬいている。
 全国の皆さんの山田みきお氏への激励、支援をお願いします。
 
【やまだみきお】
山田幹夫。一九五〇年、宮城県鹿島台町生まれ。明治大学卒業後、東京都職員として児童館に勤務。後、仙台市泉区で山田鍼灸治療院を開設。
 仙台市鍼灸師按摩マッサージ指圧師会副会長。「沖縄発全国キャラバン」宮城県実行委員会代表など幅広い分野で活躍。「市民の政治・仙台」代表。
 「市民の政治・仙台」仙台市泉区七北田字杉ノ田54―98
TEL022―772―6080
FAX022―772―6081

木の根の土地を共有する皆さんに
多古町農民 加瀬 勉


抗議の意志を

 千葉県出身の林運輸政務次官を現地対策本部長として、二、〇〇〇年までに平行滑走路の完成を目指して用地買収に乗り出してきました。芝山町議会もそれにあわせて芝山鉄道建設促進のために木の根の一坪共有地を所有している皆さんに「一坪共有地解消のための要請文」を送ることに決定しました。皆さんのところにこの要請文が届きましたら受け取りを拒絶するか廃棄処分して抗議の意志を表明してくださるようお願い申しあげます。

源さんの最敬礼

 源さんが入院していた千葉市稲毛の病院にお見舞いにいったのですが、これが源さんと私の最後の別れでした。ベッドの上に起きあがっていた源さんは私の顔を見てたいそう喜んでくれて、もろ肌を脱ぎ大手術の跡を見せて「身体を輪切りしたがこの通りピンピンしている」と大層なご機嫌でした。人生という戦場を、三里塚の戦場を、闘病という戦場を駆け抜けてきた人だけが持つことができる精悍な気迫のこもった言葉でした。
 その源さんがベッドより降りて私の前に立ち両手を膝の上にピッタリとそろえて「加瀬さんには兄貴が大変お世話になりました。このご恩は生涯忘れません」と最敬礼をしたのです。突然の源さんの行為に虚をつかれた私はうろたえて、「そんなことはありません」と、しどろもどろに言葉を返しました。
 源さんは、「加瀬さんには本当に兄貴はお世話になった」と繰り返し言葉をかさねました。源さんの兄貴とは三里塚空港建設反対同盟副委員長、故小川明治さんのことです。私の体には小川明治副委員長と闘争の苦労は分かち合ってきたという実感と揺るぎない信頼感があっても「お世話をした」という実感はありません。

源さんパリで絶叫す

 フランスのラルザック軍事基地建設に反対する農民と交流し、パリの映画館で「KASHIMA PARADISE」(鹿島パラダイス)の映画を観ました。この映画は、茨城県鹿島に住友の進出が決まり工場敷地に土地を売っていく鹿島の農民と空港建設に反対して寸土を命を賭けて死守する三里塚の農民の姿を対比して描いてある映画でした。最前列の席で私の隣りにいた源さんが「兄貴だー」と画面を指差して絶叫したのです。館内は一瞬騒然としました。小川明治副委員長の葬儀の場面が大きく写し出されて柩を先導するのは弟の源さん、柩の上には源さんが「兄貴、三里塚の戦塵にまみれたヘルメットだ、もっていけ」とおいた黒色に闘魂の文字の入った小川明治副委員長愛用のヘルメットが安置されていました。主催者の好意で源さんと三里塚の人達が紹介されてしばし館内は興奮のるつぼでした。フランス・ラルザックから帰ってきた源さんの「木の根の源さんについてこい、最後まで頑張ろう」との言葉に奮い立って戦ったものです。この言葉は源さんにとっては、いまは亡き兄貴小川明治副委員長の雄叫びでもあったのです。

源さんに見送られて

 話は尽きなかったのですが、三里塚での再会を約して病室を出て三階のエレベーターの扉の前に立っていると、源さんが見送りにきたのです。私が恐縮していると付き添いの娘さんが「お父さん、もう往診の時間だから病室に帰って」と迎えにきました。私は源さんを説得してエレベーターに飛び乗りました。源さんはここでも両手を膝の上にそろえて「今日はありがとうございました」と、深々と頭を下げて見送ってくれました。
 「ああー、源さんが元気でよかった」と安堵の気持ちで見上げる千葉の空は広く蒼く澄み切っておりました。駐車場に出て車に近寄りドアを開いて源さんの病室の窓を振り仰いだその時、源さんは病院の玄関をでて私に向かって歩いてくるではありませんか。驚いて源さんに走りより「もう結構ですから帰ってください」と何度も繰り返す私の言葉を振り切り押しのけてきて、車の扉を開き乗車するように催促しました。さすがの私も乗車することはできませんでした。源さんの手をしばし握りしめて身体中の熱き思いを噛みしめていますと「加瀬さん、今日はありがとうございました。兄貴が加瀬さんに世話になったことは生涯忘れません」と、源さんは私を車の中に押し込んでドアを閉めてくれて、両手を膝の上にきちんとそろえて深々と頭を下げて見送ってくれました。これが源さんと私の最後の別れになりました。

源さんの兄貴、小川明治副委員長の病い

 実験村構想の提案者である反対同盟の柳川秀夫君の隣りにある千代の屋食堂の離れ六畳のひと問を借りて空港反対闘争を進めていたのですが、その千代の屋食堂で小川明治さんが幹事となって小学校時代の同級会が開かれました。三時頃に小川明治さんが胃が痛くなり少し休ませてくれと私の部屋を訪ねてきました。小川明治さんに部屋を提供し休んでもらったのですが小川さんは、「こんな静かな部屋で寝るのは何年ぶりのことであろうか」といって布団に横になりました。
 このころ小川明治さんの家のすぐ後ろまで昼夜を問わず轟音をあげながら空港建設の土木工事が進んでいて、小川さんの家をはじめ木の根部落の人々は、事業認定に基づく強制代執行の圧力と工事による爆音、騒音による拷問の毎日が続いておりました。空港敷地内の人びとが夜も静かに眠ることができないのに、この俺だけが寝ていていいものかと自責の念にかられました。小川さんに「医者を呼びましょうか」と何回となくいったのですが「胃の痛みもとれて楽になった。私の胃の痛みは持病で重曹を飲めば治る」ことであったので医者の手配はしませんでした。その日の夕方、小川さんは「こんな静かなところで寝たいのでもう一晩泊めて頂きたい」というものですから快く返事をして私は小川明治さんと枕をともにして小川さんを三日あまり看病することになったのです。
 四日目の五時ごろ、小川さんは自分の寝ていた布団をきちんとたたんでいて「加瀬さん大変お世話になりました。命の洗濯ができました。もう大丈夫です」といいながら私の前にピタリと正座して、首から紐でつるしてあった財布の中より二千円を取り出して「これ部屋代です。少ないけれど気持ちですからとっておいてください」とさしだした。私は驚いて金を無理矢理に小川さんの手の中に押し込んだ。小川さんは「加瀬さん、また静かなところに寝かせてください」と。私も快く小川さんの申し出を承知した。そうして小川明治さんの息子の直克、娘の恵子さんに連絡をして車で迎えにきてもらった。私は直克と恵子に「三里塚の街中を通る時に親父さんを医者に診てもらって家に帰るように」と念をおした。直克は困惑した顔で「親父は頑固で医者嫌いだから困ったものだ」といった。私の部屋から帰ってその夜、小川さんは再び胃痛を再発させて成田日赤病院に緊急入院し亡くなった。小川さんの持病は胃痛でなく狭心症であったのである。私の部屋に居る時に医者を無理にでも頼んで診断しておけばと私の心に無念さが悔悟の念となって残っている。小川源さんが「兄貴が大変お世話になった」とはこのことをいっているのではないかと思う。

「闘魂心成正剣破邪木の根居士」

 これが、三里塚芝山連合空港建設反対同盟副委員長、小川明治さんの隠号であります。この隠号は空港反対闘争の歴史のなかで生まれたのではなく、日本の農地改革の階級闘争のなかで生まれ空港反対闘争のなかで引き継がれ発展したきたものです。復員軍人として帰郷した小川明治さんは戦争罹災者とともに開拓組合を組織し、小川さんみずからが組合長に就任して、天皇陛下の財産である下総御料牧場の全面解放の戦いに立ち上がったのです。
 「闘魂を固めて闘い抜けば、御科牧場の全面解放は必ず成し遂げることができるであろう。正剣破邪、この私たちの要求は正しく、それに反対する者はかならず敗れるであろう。私はみずからが耕し拓いた木の根の土になります」。迫り来る飢えと必死になって戦いつつ、ひと抱えふた抱えもある木の根っこを鍬一丁、素手で掘り起こして畑に変えていったのです。新しく生まれた部落を「木の根」と小川明治さんは命名しました。拓かれた土地に「字 拓美」と命名して木の根の台地に夢を農民の歴史として人民の歴史として刻みつけてきたのです。
 日本の農地改革が国際、国内の階級闘争の力関係によって規定され、下総御料牧場の全面解放は実現されませんでしたが、無念の思いは小川明治さん胸の中に、私を含む日本の農民の魂の中にあると思います。あの時下総御料牧場と千葉県有林の膨大な面積が全面解放されていれば空港は作られなかったろうし、また、空港闘争の様相も大きく変わっていたと思います。命を賭け自分の生涯を賭けて拓いた村と畑が空港のコンクリートの下に抹殺されてゆくのを見て、志半ばにして倒れていった明治さんはさぞ無念であっただろうと思います。その日本の農民の無念の思いを引き継ぎ共有していくことはまた、私たち日本の農民の働く者の歴史的使命であると思います。

小川明治さんの死と財産相続

 小川明治さんが亡くなり当然のこととして家族、兄妹の財産相続問題がでてきました。土地を相続して空港公団にその土地を売却したいと要求する兄妹もありました。苦悩した小川直克君は、反対同盟に土地の全権利書を持参して行き「これで相続分として支払いをしなければならない。金を作って欲しい」と相談してきました。反対同盟幹部会はその対策をたてることができませんでした。対策に苦慮した私は反対同盟の石橋政次副委員長に個人的に打開の方法について相談に行きました。公団に、銀行に、不動産屋に一部土地を処分すればいとも簡単に解決はできる。これを避けるのにはどうしたらよいか。その時、石橋さんが、「その金は私が無利子、無担保、返済期間を付けずに都合しましょう」と決断してくれました。小川源さんと直克くんと石橋さんと私が立ち会って、現金を石橋さんから受け取り、小川明治さんの相続問題は一時それで解決したのです。

私が木の根の土地を取得した理由

 相続問題が一時的に解決し小川明治さんの息子直克くんは三里塚ワンパックの会の農業共同経営参加、活動を続けていったのですが、五年六年と長期にわたって無利子、無担保で相続分を支払った金を借用しておくわけにもゆかず、直克くんと源さんが相談の結果、「土地で借用金を支払いたい」と石橋さんに申し出てきました。すると、「私には空港反対のこととはいえ小川明治さんが残した土地を買い求めることは忍びがたい」と断りの返事がかえってきました。この私たちの動きを察知した公団、不動産屋とその手先、銀行員などが大金を用意して小川直克君の家に殺到しました。直克君と源さん、そして私は、空港反対同盟員のなかで直克君の土地を買い求めてくれるよう奔走しましたが、誰も見つけることができませんでした。これでは公団、不動産屋、銀行に売り渡すしかないという状況のなかで、苦慮した直克君と源さんが、私に土地を買い求めるようにいってきたのです。反対同盟を組織し農地、土地を死守することを誓い合って戦ってきた私が、いかなる理由があるにしろ農民に、土地を手放させて、それを私が取得することは許されないのだと苦悩しました。なお他によい解決の方法はないものかと悩みぬきました。直克君と源さんに、「無念の涙をのんで戦いの半ばで倒れていった兄貴と親父、おれたち木の根の人の戦いの意志を引き継いでくれ」と懇願されました。
 空港建設敷地は成田市、芝山町、そうして私の町の多古町にかかっているのですが、私は水田一五〇アール、畑二〇アールを経営して政府の減反政策に反対をしていましたから、良薬の飲み込むことのできないほどの苦味をかみしめて、土地を買い求めることを承知したのです。私は直克君と源さんとともに成田市農業委員会に農地法令に従って土地譲渡の申請をしたのです。その時提出した私の土地買い受けの理由は、「水田経営プラス黒牛の肥育、もしくは酪農経営そのための牧草地とする」でありました。堆肥還元型の水田経営を実践しようと決意したのです。直克君、源さんより土地を買い求めたけれど、まだ私には深いためらいが残っておりました。農民が農地を手放すことは、いかなる理由があろうとも罪を犯してしまったような後ろめたさを背負って生きなければならないからです。
 農地とは、農民が先祖代々、子々孫々尽きることなく汗水垂らして耕し続けてきたから農地になったのであって、そこには生活、生産、農民の持つ文化、精神の伝承と命が刻まれ、死んでいった祖霊もその畑を耕す人の行為の中に生きているのです。農民が土地を手放すことはその一切のものを手放すことになるのです。私の家は貧しく、家屋敷、田地田畑みな人手に渡り一家は離散、私の母は生まれ故郷で育つことができませんでした。いつかは家屋敷、田畑を買い戻して家族いっしょに住みたい、これが私たち家族の悲願でした。
 この体験と歴史を持つ私は、木の根の土地を買い求め営農計画を実行に移そうとしたのですが、なお土地を買い求めたことに私の深層内部にためらいがありました。果たして私が耕作してよいものかと。
 空港建設にともなって事業認定の許可が政府から下されると、その対象区域は強制収用ができるようになり、一切の形状変更はできなくなります。建物の新築、増築、農業施設などを建てることができなくなります。木の根で唯一、許されたのは消防施設の防火貯水槽だというのです。もちろん市道を含めた公共事業の対象からはずされ、国、県、市の農業施策、融資はうけることができなくなります。ですから土地を空港建設に提供する以外の道はすべて閉ざされることになります。
 三里塚の人達は「政府は我々を死刑台の上にたたせている」といったのです。空港建設を取り巻く北総台地の畑作地帯は、利根川から揚水されて北総東部用水という潅漑施設が完備されて、畑作の旱ばつが克服されて青々と農作物が生育するようになりました。だが空港建設に反対している地域はこの事業の対象外にされました。もちろん木の根部落も例外ではありませんでした。
 私は直克君、源さんより買い求めた土地一〇アールを反対同盟に利用していただくことを決意し提供したのです。反対同盟は木の根全域に自力で畑地潅漑用水施設を作り、農業経営、生活の維持、闘争の発展を図って全国支援を受けて実施し完成させたのです。貯水槽のための溜め池を掘り、風車で地下水を汲み揚げ、溜め池の周りに保水のための植林をし、夏はプールとして子供たちに解放し、冬は合鴨の飼育場として利用してきたのです。
 さらに反対同盟は、この溜め池になった私の土地の一部を分筆して一坪共有地運動を展開することにしました。私は、稲作経営プラス採草地、肉牛の肥育で個人的利益を上げ空港建設に反対して行くより、三里塚の農民の全体の利益、闘争の発展ために土地を利用していただくほうが人民の利益にかなうと判断したから提供したのです。
 ところが一部党派は、「一坪共有地運動は反対同盟の農地死守の方針を土地売買の運動にすりかえる不動産屋にも劣る利敵行為だ」ときめつけ、全国的に妨害とテロを繰り返しました。私も東京、大阪、京都などで妨害を受ける悲劇を体験しました。運動内部者の妨害と権力の攻撃の二重の弾圧をはね返して全国共有地運動は進められ成功していったのです。どんな小さいことでも味方に利益になり敵が困ることなら即座に断固たる態度でことを進めるのが運動の原則であり、木の根の私の土地に私一人の空港反対の意志が存在するよりも、私、反対同盟、全国の人々の反対の集団にして強固な連帯の意志が存在したほうが運動にとって利益であり政府が困ることは自明の理であります。

木の根の農家の移転

 反対同盟と政府とのシンポジウムにおいて、政府は「空港建設の過程において重大な誤りを犯し三里塚の農民に多大な迷惑をかけたことに対しておわびをする」、運輸大臣が三里塚現地を訪問して謝罪、「三里塚において強制収用は行わない」「三二〇〇メートル横風用滑走路の工事は凍結する」「二五〇〇メートル滑走路の工事は農民の合意がなければ実施しない」「飛行機の落下物、騒音対策、周辺整備事業に誠意をもって実施する」「情報の公開、反対闘争の資料の収集と整理」「第三者の監視機関共生委員会を設置する」「反対同盟がすすめようとしている実験村構想にたいして協力する」などの成果を勝ち取りました。
 またシンポジウムの成果を踏まえてこのような要求を主張しています。政府が「大型の公共事業プロジェクトを進める場合は住民参加と両者の合意を必要とする」こと。これを法律化して国家制度として運用すること。これを勝ち取ることは反対同盟の重要な目標であり課題であります。これを実現させるためにはさらなる全国的な活動と連帯が必要であります。
 三里塚シンポジウム開催以来、「三里塚の闘争は歴史的に終了した」と政府、公団と一部の識者がかってに公言していますが、今年の反対同盟の旗開きに反対同盟を代表して「空港建設反対の我々の意志は永遠であります」と柳川秀夫さんが表明しています。また東峰部落においても「空港拡張工事反対、用地買収拒否の声明」を出しています。このような三里塚の状況のなかで、私に木の根の土地を提供してくださった小川一章(反対同盟副委員長小川源さんの息子)さん、小川直克(反対同盟副委員長小川明治さんの息子)さんが移転を承諾しました。小川源さんも亡くなり息子一章君も齢を重ね更に息子さんが農業を継ぐ意志がなく会社員に。一方、小川直克君は病に倒れ息子さんが農業を継ぐ意志がこれもなく会社員に。国家権力の三十年にわたる攻撃と重圧、軒先工事で生活が破壊され一期工事が完成して開港二十年の状況のなかで移転を余儀なくされたのです。小川さん一家が、「空港はよいものでこの世の極楽で大賛成、私は補償金で金満家になった」と移転を承知したのではありません。無念の苦渋に満ちた決断でありました。
 この事態にさっそく新たな攻撃が開始されました。
 「木の根の農家が移転したのだから、木の根の土地の役割は終わった。空港建設および芝山鉄道建設の障害物たる木の根の土地は政府に売り渡すべきである」と相川勝重芝山町長が声明を発し、政府は中断していた芝山鉄道の建設を再開しました。私は「土地は売るつもりはないと」と断固たる態度で声明を出しました。
 憲法に保障された財産権に基づく土地所有がなにゆえに障害物なのでしょうか。この認識こそ三里塚の農民に悲劇をもたらし民主主義を破壊した根本の考え方です。
 三里塚に空港を建設することは国策であり、国民的要望である、これが政府の大義名分でした。芝山鉄道の実現は町民の悲願である、これは相川勝重芝山町長の大義名分です。このふたつの大義名分からみれば、そこに住む人達と田畑は障害物にしか認識できないのです。自分たちの権利を守るためにも、日本の民主主義を守るためにも、この権力志向の考え方と施策は絶対に許すことはできません。
 今年の一月四日、相川勝重芝山町長が年賀の挨拶と称して訪ねてきました。「加瀬さんには別のこと(木の根の土地のこと)でお願いに上がりますから」と頭を下げるから「二度と私のところに来る必要はない」と断りました。ようやくの思いで私を訪ねた相川は一月の芝山町議会で木の根土地買収について「加瀬さんのところに挨拶に行き、再び逢っていただくよう約束をしてまいりました」と議会報告するに違いないと判断した私は、相川君に次のような手紙を出しました。
 「親展 相川勝重様
 私は昭和三七年四月から、浦安沖、木更津沖、八街、富里、三里塚と、空港建設反対運動を続けてきましたが、一度たりとも地域の人達や農民に村して裏切り者と呼んだことはありません。残念ながら相川君を私は裏切り者と認識しています。二度と私を訪ねて来てはならぬ。これは相川君に村する私の忠告であり警告であります。
 一月四日 加瀬勉」
 これは私の「慟哭の賦」であり「惜別の賦」であり「不退転の手紙」でありました。私は反対同盟と青年行動隊を組織し、相川君は青年行動隊の幹部として活躍してきた歴戦の同志の一人でした。相川君が第一回芝山町議会議員に立候補した時には私は相川君の家に泊まり寝食を共にして戦ってきた仲であります。それが町会議員、町長になることによって態度を豹変させて空港建設推進の尖兵として国家権力の手先として反対闘争に敵対して日常的に警察に護衛されているのです。そうして芝山鉄道建設を推進するために木の根の一坪共有地所有者の切り崩しを図ってきているのです。

地球的課題の実験村構想

 政府は二五〇〇メートル平行滑走路の完成を二〇〇〇年にもくろんでおりましたがその目論見は完全に崩れ去りました。反対同盟は、空港建設工事反対と共に「水・大気・土と生命が循環する世の中へ」の地球的課題の実験村構想を提案しました。人間の生活をないがしろにした開発、経済、工業化社会にたいして、ザ・ストップの新しい価値観に基づく農村社会の実験村構想を明らかにしたのです。
 その過程で、志を同じくする人々とともに「地球的課題の実験村」準備会を発足し、国際交流を現地で実施し、この三月には東京で全国規模のシンポジウムを開くことにしました。
 三里塚の空港建設に見られるような、政治、経済、開発のシステムと方向では人類が生存して行くことは不可能なことが地球的規模ではっきりしてきたからです。農業の問題についても農業技術論、農業経済論の領域を遥かに越えて社会、文化、生活などの全人間的視点から根本的に転換がせまられているのです。
 第一に日本農業の国際的位置づけに関しては、世界一の食料輸入大国から、食料自給への転換を。地球上に住む人間の八人に一人が栄養失調、障害、年何百万もの人が飢え、飢死していっているなかで、面積にして国民一人当たり一〇アール当たりの食料を輸入している事態は許されることではありません。世界で飢え、餓死していっている人々を尻目に飽食に明け暮れている生活様式・態度を根本から転換させて農地を保全して三割となった日本の食料の自給率を高めてゆかなくてはなりません。
 第二に農業経営、農法の問題です。戦前から日本農業の経営形態を特徴づけていたものは労働集約型の複合経営でありました。機械化、化学化が急速に進みそれに平行して化学肥料、除草剤、農薬等の化学農業資材がつかわれてきた。複合経営から単一経営、単一作物に単純化され、機械化、化学化、単一経営化と、ひたすら農業の工業化の思想と施策のもとに経営の規模拡大、経営の効率化を追い求めてきました。その結果、農薬多投による農畜産物への毒物の残留、畜産等の多頭飼育による水質汚濁、悪臭の発生による環境破壊、無機質肥料の多投、推厩肥の減少による著しい地力の低下と農産物の病気の多発、限りなき機械の導入と規模拡大による過剰投資、農業の本質は人間の生命を養い育てるものであったものが、生産したものに農薬の毒性が残留し人間の生命を脅かし、経営それ自身が自然を破壊し環境を破壊し人間の生活を脅かす敵対物に転化してきてしまったのです。
 第三は食生活の構造の変化の問題です。日本人の食構造は量的にも質的にも大さな変化をとげました。食料消費の内容が澱粉質から蛋白質、脂質へと大きな変化をみせ、食生活の全国的標準化が進行し、地域別、階層別、職業別の差はほとんど解消しました。摂取カロリーは戦前二〇二〇カロリーであったものが三五〇〇カロリーと、欧米の水準を超すような状態になってまいりました。
 一国の伝統的食生活はその国の自然的、社会的風土に育まれ食文化として伝承、発展してきたものです。私たちは米を主食として魚介類を副食として、大豆、ソバを工夫して食べてきた。それが食料自給の極端な低下、生産構造の変化、輸入農産物の増大、外食産業の発展によって大きく変化して日本の食文化の実態は混とんとしている。一国の食文化、食生活のあり方は単なる経済要因のほかに、各種社会的、心理的、制度的、習慣的要因と複雑に絡み合っており、それが大きく変化し混とんとしている。しかし確かなことは、農業生産構造の変化は確実に食料消費構造のあり方にはね返ってくることである。生産者と消費者が一体となって日本の伝統的食文化の発展と健康と命を大切にする生産、消費構造を、どう創りだしてゆくか、その質と量が厳しく社会的、歴史的責任として問われているのである。
 第四に農業と地域、環境問題です。自然環境の維持保全の問題です。農業は単なる農産物の生産と補給という産業的機能のほかに、自然環境の維持、緑と水の保全と、外部経済効果以外に、人間とその生命の保全になくてはならない大きな役割をはたしています。洪水の調節、土壌の侵蝕防止、国土保全及び酸素の供給、大気の浄化機能と地球温暖化防止、自然に触れることによる余暇と人間性回復の場所として、人間と生命あるものの生存にとって計り知れない役割を持っています。
 空港建設やその他の開発行為によって農業と自然を破壊することは人類の生存に敵対する行為以外のなにものでもありません。工業化社会は過密都市と、農村には過疎地帯をつくりあげました。経済優先の管理社会、情報化社会、人間の孤立化、人間の不在と不信。私達は社会的環境の復権という視点から新しい農村共同体、生産共同体を創りあげていかなくてはなりません。空港建設によって騒音地獄と立ち退きの過疎の村をこれ以上作ることは絶対に許してはならないと思います。農業の発展と空港の共存などありようはずもないのです。

木の根の土地を共有している皆さんへ

 皆さんの共有している木の根の土地は三二〇〇メートル滑走路建設予定地と芝山鉄道がクロスするど真ん中にあり、きわめて重要な位置にあります。面積にして三六三平方メートル。土地所有者数八四六人であります。
 木の根の土地で共有地運動を展開するに当たって、新たに土地共有者になった者は最後まで空港反対の意志を貫き空港建設反対闘争に連帯をしていく。空港建設反対の意志を放棄した場合は元の地主に土地を返還する。この信義のもとに土地を所有していただいたわけであります。全国で三名、地元三里塚で数名が政府に土地を売り渡しました。この行為は反対運動を敵に売り渡す行為であり、反対同盟員、土地を提供した私に対しての著しい背信行為であると考えております。日本人民の、日本の民衆の戦いである三里塚闘争に連帯し、戦いを共有してゆくことは私たち働く者の神聖な義務であり、責任だと考えております。
 開発中心の日本の政治経済は破局し、大手銀行、証券会社、企業が破産して仕事が無く失業の苦しみを今私たちは味わっております。農業についても農地法を改正して大手企業が農地を取得することができるようになりました。農業そのものを大企業が支配する道がひらかれました。
 成田空港は軍事的に利用しない、これが政府の約束でした。軍事的ガイドラインの策定によって新たにアジア諸国に対する軍事的敵対構想が明らかになりました。それにあわせて港湾、運輸、空港等の軍事利用について国内法を整備することになりました。成田空港が軍事的に使われることがはっきりしてまいりました。かつて私たちの地域には旭陸軍飛行場、栗山陸軍飛行場、八街陸軍飛行場があって、銚子沖の米空母から発進する戦闘機の連日の空爆を受けた経験をもち、飛行場の整備、補修に連日連夜、動員されていった歴史をもっています。
 私たちはこれらの新しい状況の中で三里塚闘争の前進を図っていきたいと決意しております。木の根の土地につきましても、地球的課題の実験村構想の実践の場として新たに位置づけて利用していきたいと考えています。皆さんが土地所有の立場から色々なアイデアや提案を反対同盟に行って新たなる連帯、闘争の意志を表明していただくようお願いを申しあげます。
 一九九九年二月一日
      加瀬 勉

欧州議会選挙 LO・LCR共同選挙綱領
反失業でラジカルな措置を


 人々の間に国境というものが存在しない、統一したヨーロッパにこそ未来はある。しかし、彼ら支配者らが建設を進めていると主張する(統一)ヨーロッパは、労働者、失業者、青年の利益と共有するものは何もない。彼らのヨーロッパは、資本家や金融グループに奉仕するだけである。
 彼らのヨーロッパは、搾取するヨーロッパであり、Elfやシェル、トムソン、シーメンス、アルカテルといった多国籍資本のための要塞である。そのヨーロッパは、この地における賃金労働者と貧しい国々の人々を犠牲にして利潤を増大させることを目的としている。
 彼らのヨーロッパは民主的でない。ヨーロッパ議会は、独断的なヨーロッパ委員会の隠れ蓑にすぎず、各国政府と金持ちに従属する各種権力とのやりとりの場である。
 賃金労働者や失業者、青年が必要としているヨーロッパとは、次のようなものである。
◆民主的な諸権利が実現されているヨーロッパであって、各種の決定を行う過程を人々が管理する。
◆ここで生活し働き学ぶすべての人への投票権をはじめとする平等な権利を実現するヨーロッパ。一切の差別的な法律の撤廃。すべての違法な移住者に合法の地位を与える。
◆真の平等の実現、女性と男性との間での社会的、文化的な平等。
◆中絶が自由で、どこでも無料で行うことができるヨーロッパ。
◆環境を保護するヨーロッパ。環境を汚染する産業を統制し、原子力発電を段階的に廃止する。人間を犠牲にしているのと同じく自然を犠牲にしている、最大限の利潤を追求する資本主義の論理を統制する。
◆第三世界諸国が抱える債務――実際には元本の何倍もの金額がすでに返済されている――を帳消しにするヨーロッパ。
◆第三世界諸国のすべての人の必需品を賄うことができるようにする開発計画を共同で作成するヨーロッパ。
 現在、建設が進められているヨーロッパは、二千万人の失業者、六千万人の貧困者がおり、失業や不平等、貧困、人種差別といった病に冒されている。われわれを失業という病から救うのは、国境線ではない。各国政府は、緊縮政策(予算支出の削減)を統一通貨ユーロやヨーロッパ条約の実現を待たずに遂行している。
 ヨーロッパ統一通貨導入に続く政策、ヨーロッパ中央銀行、EUに関するマーストリヒト条約とアムステルダム条約などは、社会保障支出の削減をヨーロッパ規模で共通化させてしまった。彼らは、統一通貨に関して合意に達し、そして裕福者からではなく、労働者階級から、つまり雇用と賃金の損失のうえで、統一通貨採用のコストを支払うことにしたのであり、公共サービスを民営化し解体し、農村住民や全世界の飢えた人々には関心を示さない農業政策を採用することによっても、統一通貨採用のコストを支払おうとしているのである。
 右翼は、彼らが拡大ヨーロッパに賛成か反対かと関係なく、搾取され抑圧される人々に打撃を与えるという共通した親資本家方針をとっている。ルペンは、われわれすべてにとって最悪の敵であり、外国人をはじめとして労働者にもっと強力な攻撃を加えて、親資本家方針をさらに悪いものにしようとしている。
 ジョスパン政府は、その前任者と同じく、大企業の莫大な利益には手をつけようとしない――これこそが、失業や臨時あるいは不安的な職という傾向を克服するにたる十分な数の新たな雇用を創出する財源であるのに。ジョスパン政府は、大企業には次から次へと贈り物をし、反対に、労働者を次々に首切り、不安定な一時的雇用やパートタイム労働を拡大し続けている。
 青年と女性が最初の犠牲者になっている。年金生活者の税負担はますます増大し、社会保障のための負担金支払いも増加し続けているのに、富裕税はテレビライセンス料よりも上がり方が少ない。公約は実行されていない。政府はジュペ計画の実行を急ぎ、エールフランスやフランステレコムを民営化したが、最低賃金や給付金率の引き上げは拒否している。ヨーロッパ経済「安定協定」に従うジュペ計画は、終わることのない支出削減である。この計画は、共産党が選挙の時だけは戦闘的な調子でしゃべるが、政府の政策に実際には反対しないのと同様に、この政府の方針を支持し、「ヨーロッパの新しい道を探る」ふりさえしない。
 一九九五年冬の大ストライキや失業者の運動、彼らを中心とした反失業ヨーロッパ行進は、資本主義の論理を拒絶する意思を表現し、ヨーロッパ中から共感を呼び起こした。これは、賃金労働者と失業者との国境を越えた集団的な闘いであり、住民の圧倒的多数の利益を守ろうとする共通の基盤の上で闘われたのであった。
 このフランスで五百万人以上が完全失業あるいは部分的な失業状態にあるという、個人や集団にとっての悲劇に終止符を打つためには、資本家や金融家が経済を牛耳っているという、その管理を除かなければならない。大企業が蓄積した利潤は、失業をなくすために使われるべきであって、経済に大破局をもたらしかねないやり方である、金融投機資金への組み込みをしてはならない。
 国家から大企業に対するすべての施し、すなわち補助金や税制上の優遇措置、社会保障に対する資本家負担額の減少などをやめて、それによって生じたお金を病院や公共輸送、教育などで新たな雇用を創出するために使い、公共サービスをよくすることの優先度を高め、公共サービスの民営化をやめて、水道や医薬品産業などの住民の必需品から民間企業が利益をあげている部門を公共部門に移し、集団的な大量解雇を禁止すべきである。
 何十億フランもの利益をあげながら依然として労働者を解雇し続ける企業を、資本家に任せることはできない。そうした企業は没収すべきである。ヨーロッパ全体で週労働時間を大幅に短縮(まずは三十五時間、次には三十時間へ)し、その場合、賃金の削減があってはならないし、資本家が自由に労働スケジュールを変更できるような裁量制を伴ってはならない。また労資間の団体協約は、労働者がかちとった最善のものに引き上げるべきである。
 ヨーロッパ単一の最低賃金制度を確立し、労働者相互の競争を維持する役割を果たしている現在の賃金格差をなくし、最高の水準に引き上げるべきである。高額所得や投機的な所得に対する課税は、引き上げるべきである。銀行制度全体とヨーロッパ中央銀行を管理下に置くべきである。そして、こうした措置を死文化させないために、大企業の真実の帳簿とその大株主の銀行口座を公開すべきである。そうすることによって賃金労働者や消費者、住民全体が、大企業や銀行が密かに行っていることを本当にチェックできることになる。これはまた同時に、政財界癒着のスキャンダルに終止符を打つ道でもある。
 LO―LCR共同候補に投票することは、次のような意味をもつ。
◆ラジカルな措置を実現する方針を支持し、現在の危機のコストを、人民にではなく、それに責任があり、かつ、それから利益を得ている連中に支払わさせることである。
◆失業と貧困がないヨーロッパを実現するためには、資本家から彼らが有する経済に対する管理を奪う必要があると宣言することである。
◆可能な限り左翼に投票し、ラジカルな方法で右翼への反対を表明し、極右に対するカウンターバランスを形成することである。
◆政府が遂行する政策に断固たる反対を表明し、民族主義者の排外主義に鮮明に反対することである。
 万国の労働者は同じ利害を有しており、そして唯一存在する国境線とは、搾取者と勤労者とを分かつもの、それだけである。アルルト・ラギールとアラン・クリビーヌを筆頭とする候補者名簿に投票することで、労働者の利益を守り、自らの公約に忠実であり、皆さんの側にあって明日の集団的な闘いを準備しようとする男女を、ヨーロッパ議会に送ることができる。
(電子版インターナショナルビューポイント誌1月、307号)