1999年4月10日         労働者の力                第110号

NATOのユーゴ空爆と日本周辺事態法案に共通するもの
新ガイドライン関連法案の廃案を!

                                    川端 康夫 


NATO軍のユーゴ空爆

 NATO軍による空爆はユーゴ全域に拡大し、アメリカ政府はユーゴの「全面屈服」まで攻撃を続けると言明している。これに対してユーゴ政府は、コソボ地域からアルバニア系住民の全面的な強制退去の実力行使に踏み切るとともに、和平へのポーズをも示している。
 コソボ旧自治州の紛争がユーゴ(セルビア共和国)のミロシェビッチの登場とともに始まったことは間違いない。住民自治権を保証していた旧ユーゴスラビアのチトー体制が崩壊した後に台頭したミロシェビッチはコソボの自治州としての地位を一方的に剥奪したのである。
 アルバニア系住民が多数であるコソボを自治州としての位置を保証してきたのは、多民族国家であるユーゴスラビアを多民族共和の国として建設しようとしたチトー政権のすぐれた方策であった。スターリンと決別したチトー体制は同時に民族政策においてもスターリンの大ロシア主義とは異なる道を選んできた。
 しかしユーゴの解体は、とりわけ当時の西ドイツ・ゲンシャー外交の全面介入による諸民族の国家的独立への動きとそれに触発された民族間抗争の激烈化を招いた。ユーゴスラビアの中心民族であるセルビア人とそのセルビア共和国は、大セルビア主義勢力の台頭によって席巻され「民族浄化」政策に傾斜し、モンテネグロ、マケドニアを加えた新ユーゴ連邦を大セルビア主義で再構築しようとしている。コソボ自治州の自治権剥奪もその一連の政策のなかにある。
 こうしたセルビア側の動きは、当然にも長年チトー体制の下で一応は安定してきた諸民族の関係を根底から揺るがすことになる。だが今やアメリカが乗り出したNATOは、ユーゴの視点から見れば、明らかにセルビア民族の弱体化と抑え込みを通じた地域全域の再編成を展望していると見える。事実、マケドニア共和国には国連予防展開部隊(UNPREDEF)が駐留し、コソボにもNATO軍の展開を要求しているのである。
 以上の事情を見れば、NATOにもミロシェビッチのユーゴにも与することはできない。ミロシェビッチはコソボの自治州としての位置を回復し、保証すべきであるし、NATOや西側は旧ユーゴの強引な解体・再編の政策を即座に停止すべきなのである。そうでなければ、悲劇はさらに継続・拡大していくだけである。

「国内紛争」への多国籍軍の介入

 コソボ問題は、法律的には新ユーゴとセルビア共和国の「内政問題」である。ここにさらに問題を複雑化させる要因がある。NATO、ユーロ側にとっては二つの側面の対応が絡み合って生起してきていた。すなわち当初は、内政問題であり、強硬な独立闘争に踏み切ったコソボのアルバニア系住民の過激派(コソボ解放軍)をテロ集団として認定し、穏健派を支援しつつ、自治州回復の道を探るというところにあった。もう一つがコソボ解放軍(KLA)を認知し、それを支援しつつユーゴに屈服を図るという今回の戦術である。
 ここに、今回のNATOの空爆が、ロシア、中国の強硬な反対姿勢を招いた原因がある。国連安保理は一致しなかったのであり、そこでNATO軍の単独行動が導かれた。
 ここをもう少し見てみよう。ロシア、とりわけ中国の対応は、アメリカ主導政治の「性格」の危険性を直視したことによるだろう。
 例えば、仮にアメリカCIAがある国の反対派を扇動し、密かに援助を行い、ここに国内紛争が武力的にも拡大していくとする。その紛争は一般市民を当然巻き込むのであるから、人道上国連あるいは国際社会は、紛争沈静化のために尽力するという論法が出てくる。そこに諸「外国」が公然と武力介入する状況が生み出されるのである。
 アメリカが歴史的に無実であるということを信じるものはいまい。キューバ介入は歴史的に周知のことだが、同じカリブ海の南端のグレナダ共和国には、社会主義政権打倒の米軍の侵攻があった。これはグレナダ住民の援助要請に応えたという理屈である。
 CIAが暗躍しているか否かは別にしても、近年の「紛争」は常に「国際社会」の介入を前提にした「戦術的組立て」が特徴である。国連、あるいは多国籍による介入が、当事者のいずれかによって軍事的にも「期待」される形である。そしてその際の「国際社会」とは主要にアメリカであり、そのアメリカは方針の選択をいかにもし意的に行っている。
 現に世界的に見た場合、コソボ紛争をはるかにこえる抗争が展開されている。中部アフリカの惨劇は今はザイールでの戦闘へと波及し、スリランカの民族抗争ははるかに大規模、長期にわたっている。クルド民族の独立闘争は、トルコ政府との正面からの衝突として展開されている。しかしクルド民族の解放闘争は「国際社会」から無視される。スリランカは放置である。つまりアメリカや旧西側の利害が政策決定の場合のキー概念となっている。クルド民族の闘いはNATOの一翼であるトルコ政府との闘いであるから、NATOが手を出すはずはない。
 しかしながら、こうした国際的介入の方式が国際的な「基準」となっていくとすれば、ソ連邦解体後も依然として多民族国家であるロシア、あるいはラマ教に結びつくチベット、イスラムと結びつく諸民族、そして何よりも直接に台湾海峡と台湾をかかえる中国が警戒するのは当然である。
 (ここで、チェチェン共和国へのロシア軍の攻撃、チベットやタリム盆地での中国政府の行動について容認しているのではない)

日本周辺における「多国籍軍」と周辺事態法案

 ユーゴ空爆はアメリカ政府部内、とりわけ軍部からの抵抗にあったと報じられている。空爆で事が解決するとは専門家筋は見ていなかったわけであり、クリントン政権は国内世論を操作しつつ、より直接の介入、地上軍派遣のシナリオを書かざるをえないことになるだろう。コソボの自治権回復支援が、ユーゴ軍との全面戦争へとエスカレートするのである。
 パックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)は、こうして国連をバイパスする多国籍軍方式(今回はNATOだが)を通じての実現という形をとっていく。
 今、日本「周辺事態」法案が国会審議中である。「折良くも」日本海における「不審船」の自衛隊護衛艦による追撃という事態が起こり、自自連合の政府は、自衛隊と「北朝鮮」との軍事衝突という概念をも、もてあそび始めた。小渕内閣は、不審船追撃のタイミングを計っていたというべきである。
 その日本周辺事態に対応する条件として、自由党は多国籍軍への共同という概念を持ちだし、修正案として自民党の合意を取り付けている。
 ここに、日米安保の新ガイドラインとその関連法案の眼目がある。つまり、日本保守層は、アメリカ軍を主体にする多国籍軍が、早晩この東アジア、極東において行動することになるという予測の下に動いているのである。その対象は、今は明らかに「北部朝鮮」であるが、しかし地域的概念としては限定されていないのであり、アメリカによる平和、つまりアメリカによる秩序維持の一翼を軍事的に担う決定にほかならない。その突破口として、この新ガイドライン関連法案が提出されているのである。
 前の朝鮮戦争の際は、いろいろあれども一応は国連軍であり、日本政府は国連中心主義と矛盾することなく「協力」できたのである。われわれはこれを是認するものではないが、しかし、今回の日本周辺事態法案はそれすらを越えている。当初から多国籍軍を前提にしている。これはいかに堕落しようとも、民主党も公明党も到底認めるわけにはいかない一線を越えた代物のはずである。
 しかし両党の対応は、明らかに修正論議にのめり込んでいる。「国会の事後承認」という手続き論で政府案を修正させるという実効のない修正案が浮上している。まさに選挙民、支持者への手前、修正させたというポーズだけが欲しいという姿勢は明らかだ。
 新ガイドライン関連法案、日本周辺事態法の廃案だけが、アメリカの秩序の軍事的強要への加担から抜け出る唯一の道である。
 統一地方選挙直後から、法案修正、国会可決への動きが露わなものとなろう。法案の廃案にむけて闘おう。
  (四月九日)

中国トロツキスト―鄭超麟の最後の闘い
追悼 鄭超麟

 昨年八月一日上海にて、中国トロツキストの鄭超麟が亡くなった。九八歳であった。
 『トロツキー研究』第二八号に小特集として「追悼――鄭超麟」が組まれており、長堀祐造氏が資料翻訳と解説を執筆している。編集部の好意により本紙にその一部を転載し、紹介する。詳細に興味ある方は、同誌を購読・参照されたい。
 最近の中国事情については、先に高木圭同志の訪中記を掲載(『労働者の力』一〇七号)したが、そこでもふれられている現在の中国における「トロツキズム」の「解禁」状況――党の理論レベルでの研究ではあるが――は確実な広がりを示している。

 「鄭超麟先生は、若くしてフランスに赴いて中国共産党に参加した。中国最初期の共産主義者であった。一九二四年帰国し、その後長らく中共中央宣伝部秘書をつとめ、中央機関紙『嚮導』や『ボルシェヴィキ』編集の責を負い、有名な八七会議にも参加した。一九二九年、陳独秀らとともにトロツキズムに転じ、「中国共産党左翼反対派」(一九三一年五月)、「国際主義労働者党」(一九四九年四月)の中央委員、宣伝部長を歴任した。氏は生涯共産主義に対する確信を持ち続け、マルクス主義著作の翻訳紹介に尽力し、中国におけるその応用を模索しつづけた。」
 (以上は長堀氏の訳出した、中国の代表的文学研究誌『新文学史料』に掲載された訃告の要旨抜粋である)

 鄭超麟は生涯の最後の時期を、全面的、全党的再評価のために力を尽くした。以下はその努力の一部である。翻訳はすべて長堀祐造氏。(編集部)
 
 私は、一九五二年一二月二二日の「トロツキー派粛正事件」の誤りを宣し、併せて名誉回復を行うことを、謹んで大会に要求します。
 この事件は、当時逮捕された者および連座した者数百人にのぼり、うち、五ないし六名は未決のまま、またその他の者は無期懲役あるいは有期懲役の判決を受けました。一部の者は「管理教育」によって「罪を認め」、釈放されました。捕らわれた者の多くが獄中で病死し、未決囚と無期懲役囚は一九七九年、すなわち二七年におよぶ投獄の後やっと自由を回復したのです。
 私自身がとりもなおさずこの事件の主犯で、二七年間投獄されましたが、ついには未決のままでした。
 私たちのこの事件の犯人はいったいいかなる罪を犯したのでしょうか。
 私は数人の懲役囚の判決文を読みましたが、そこでは本人が中国トロツキー派組織に参加し、何らかの職務を担い、工作にあたったことが判明しさえすれば罪を犯したとされたのでした。職務の高低、工作の大小が刑の軽重の根拠となりました。組織に参加しても職務につかず、工作にも従事しなかった者も刑を宣告されました。つまるところ、トロツキー派組織に参加したことがとりもなおさず犯罪となったのです。
 私は留置所や監獄の政治委員や指導委員にこう尋ねたことがありました。トロツキー派組織は一体いかなる犯罪を犯したのか、と。彼らは驚き怪訝そうにこう答えました。聞くまでもなかろう、お前らトロツキー派は「漢奸」だ、陳独秀は組織を代表して、日本の特務機関から三〇〇元の手当をもらって売国活動をしてたんだ。康生の文章がはっきり説明している。お前らの親玉のトロツキーはヒトラーのスパイでドイツのソ連侵略を助けていたんだ。三次にわたるモスクワ公開裁判がそれを証明している、と。『毛沢東選集』の注が引用しているスターリンの言葉にこういうのがあります。
 「現在のトロツキズムはけっして労働者階級のなかの政治的一派ではなく、無原則で無思想の暗殺者であり、破壊者であり、スパイであり、殺人の下手人であり、外国のスパイ機関にやとわれて活動する労働者階級の不倶戴天の敵である」(注1)と。
 私はことあるごとにそうした判決の証拠を否定しましたがむだで、彼らはこれら誣告の「証拠」にもとづいて、中国トロツキー派組織は犯罪的だと断じ、私たちがいくら否定してもむだだったのです。
 しかし今では私たちが否定するまでもなく、別の人たちが現れて反駁してくれたため、こうしたいわゆる「証拠」は完全に成り立たなくなりました。
 一九八八年二月五日、ソ連最高法院はこう宣告しました。一九三八年のいわゆる「反ソ右翼トロツキスト集団」事件は冤罪であり、すべての被告(ヤーゴダを除く)に無罪を宣告する、と。一九八八年八月四日、タス通信は、ソ連最高法院が「トロツキー・ジノビエフ反ソ連合センター事件」と「トロツキスト反ソ平行センター」事件の原判決を取り消し、事件関係者全員の名誉回復を行ない、その他の非公開で判決が言い渡された事件についても再審無罪を決定したと報じました。
 このように私たちのいわゆる「親玉」トロツキーがソ連を売る売国奴、殺人犯、暗殺者だなどという告発はもはや根拠のないものになったのです。
 中国トロツキー派は漢奸だという罪名はでは一体どうなるのでしょうか。一九九一年、中国共産党建党七〇周年を記念して出版された『毛沢東選集』第二版は、「持久戦論」の中で「漢奸トロツキー派」という語句に新注を加え、こう書いております。
 「抗日戦争時期、トロツキー派は宣伝では抗日を主張したが、中国共産党の抗日民族統一戦線政策を攻撃した。トロツキー派を漢奸と並べて論ずるのは、当時コミンテルン内で流布していた、中国トロツキー派は日本帝国主義のスパイ組織と関係があるという誤った論断にもとづいてなされたものである(注2)」。
 こういうことだったのです! もともと、中国トロツキー派は漢奸だとする中傷はソ連のトロツキー派はドイツのスパイだという中傷と同じく、スターリンの陰謀に発するものであり、康生の文章は事実を捏造してスターリンの陰謀に証拠を提供したものに過ぎないのであります。
 一九八〇年、中国の歴史家の中には文章を書いて、陳独秀がトロツキー派組織を代表して日本のスパイ機関から手当を受け取っていたというのは事実ではないと証明してくれる人が現れました(注3)。
 それではこれら二つの罪(中国トロツキー派は漢奸であり、トロツキーはドイツのスパイだという)に基づいて、中国トロツキー派は「反革命組織」だという決めつけは成り立つものでしょうか。
 私たち、つまり私とその他の中国トロツキー派は無実の罪で二七年間投獄された後、釈放され、市民権を回復したとはいえ、一九五二年一二月二二日の事件は今なお「反革命事件」として認定されております。「誤りがあれば必ず糺し」「事実にもとづいて真実を求める」ことを一貫して強調してきた中国共産党が、この冤罪事件をこのままにしておくことができるものでしょうか。そこで私は、中国共産党第一五回全国代表大会にとくに書信を送り、今日の中国の政権党が私たちの事件に冤罪を宣し、あわせて名誉回復を要求するものです。

敬具
一九九七年四月二五日

 参考として以下の二点を同封します。
「『毛沢東選集』第二版とトロツキー派」、一九九一年八月二日
「トロツキーは『名誉回復』されたか」、一九九四年一二月二〇日 
 

(1)『毛沢東選集』第一版所収「日本帝国主義に反対する戦術について」の注30。ここでは外文書店版の同選集同版の日本語版より引用。
(2)『毛沢東選集』第二巻五一六頁の注9
(3)唐宝林著「新案旧考――関于王明、康生誣陥陳独秀為「漢奸」的問題」(党史研究資料一九八〇年第一六期原載、後『陳独秀評論選編』上下、河南人民出版社一九八二年刊所収)などを指す。
 
 以上二編は、香港『十月評論』一九九八年第四期、同年九月三〇日付(第一九二号原載)。
 
 なお、『トロツキー研究』は「トロツキー研究所」発行
 東京都福生市熊川510ヴィラ4 105号 TEL・FAX042―553―8114
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 ホームページ  http://www2u.biglobe.ne.jp/~Trotsky/
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フィリピン
         社会主義労働者党を結成
                                  レイハナ・モヒディーン

 二つの小さな社会主義組織、社会主義同盟(LS)と革命的プロレタリア党(RPP)とが一九九八年十一月三十日に合同した。その結果生まれた新党、社会主義労働者党は、一九九九年五月に創立大会を行う予定である。革命的労働者党と同様に、社会主義同盟(LS)は、親毛派のフィリピン共産党(CPP)の一部であった。
 一九九八年はじめまでLSは、マニラ・リザル革命的委員会(KRMR)に属していた。LSは、党指導部が大会開催を拒否したために分裂をした。また組織の政治傾向が右翼的だともLSは考えたし、指導者ポピー・ラグマンの徒党を組むような組織運営に反対でもあった。ソニー・メレンシオを指導者とするLSは、社会主義青年同盟(LSK)を通じて学生運動に基盤を持っている。またマニラの北部と南部の二つの都市貧困コミュニティーから指導者群を補充しており、これらの地域で基盤を急速に構築しつつある。
 一方の革命的プロレタリア党(RPP)は、一九三〇年に結成されたモスクワ派共産党(PKP)出身である。PKPは、マルコス独裁政権時代に投獄されていた指導者たちの釈放と引き替えに武器を置いて武装闘争をやめ、体制との「政治的な解決」に同意して、自らへの圧倒的な不信を招いた。PKPは、その後の反独裁党争に参加はしたが、不信を完全に除去することはできなかった。一九七〇年代と八〇年代に急進化した青年たちは、六〇年代後半にPKPから分裂した毛派共産党(CPP)に参加していった。RPPは一九九三年にPKPから分裂した。その分裂を指導したのは若いロドルフ・ジャベラナで、その理由は、党内民主主義の不在、PKPの階級協調方針、組織のセクト主義にあった。RPPは、PKPの農村労働者大衆組織を奪い取った。その組織、農業労働者連合は、フィリピンで最も古い貧農組織であり、一万人を組織していると主張している。
 両方の組織は「マルクス・レーニン主義、民主集中制、開かれた革命的社会主義党建設の必要性、民族民主革命から社会主義への不断革命の原則とその過程における労働者階級の指導的な役割……その最初の段階として労働者が同盟者とともに革命的な国家を構築する必要など」を確認した。またキューバとベトナムのような、社会主義を推進しており、帝国主義諸国から一貫して制裁や抑圧を受けている国や政府を守ることを自らの課題として確認した。
(電子版インターナショナルビューポイント誌99年3月号 出典 グリーン・レフト・ウイークリー344、98年10月号)

ヨーロッパ社民党政府
敵と仲良しだが……

                                フランソワ・ベルカマン


 社会民主党は、スペインとアイルランドを除くヨーロッパ連合のすべての政府を握っている。いくつかの国では、緑の党や共産党あるいは元共産党の支持に依存している。それ以外のところでもラジカルな左翼が前進している。

前進するラジカル左翼

 この数年間に生起していたイデオロギー的、社会的な抵抗の増大という現象の最初の政治的な表現が存在している。ネオリベラリズムは、人々の社会的な必要を満たすことができず、封じられ、不信を買った。ブルジョアジーは、この事態を認識し、次の戦略を検討している。フランスのレオニル・ジョスパンやドイツのオスカー・ラフォンテーヌのような何人かの社民党指導者は、その(比較上の)大胆さ故に「新しい労働党」勢力の中でも突出している。
 もっと重要な点は、このような雰囲気が、政治における新しい真実のオルタナティブを上昇させていることである。左翼の思考が再び可能となっている。
 最近開催されたイギリス労働党大会で党首であり首相のトニー・ブレアは、投票によって四人の著名な左派党員が全国執行機関に選出されるという事態を阻止できなかった。
 スコットランドでは、新しく創出される議会への選挙準備が行われており、政治運動と労働運動のいくつかの潮流が集まってスコットランド社会党を結成している。この複数主義的な新勢力は、すでに一定の社会的な比重を占めており、選挙でも大きな可能性を有している。その中心的な勢力は、前ミリタント派のスコットランド組織であり、それが「脱セクト主義化」したものである。
 イタリアではトロツキストが注目を集めている。バンディエラ・ロサグループが、共産党再建派代議員団が中道左翼政府による社会保障支出削減に賛成したのに反対して、党委員長ファウスト・ベルティノッチを防衛している。
 フランスでは、LOと革命的共産主義者同盟(LCR)が近く行われるヨーロッパ議会選挙に共同候補者名簿を提出することになっている。

右翼の敗北

 社会民主党勢力が政権に復帰したのは、とりわけ右翼勢力の危機と敗北に負うところが大きい。有権者は、十年間も権力を握っていたヘルムート・コールとマーガレット・サッチャーを最終的に拒否した。
 コールとサッチャー両人の反社会的な政策は、ヨーロッパ統合過程に多大な影響を与えてきた。そして二人は、依然として続いている資本家階級による大攻撃を政治的に支援した。
 現在、状況は変化しつつある。イギリス、フランス、イタリアでは、保守党が戦後のいかなる時期よりも深刻な危機に陥っている。ドイツのキリスト教民主同盟(CDU)とキリスト教社会同盟(CSU)とは、不安定さを増す一方である。
 換言すれば、社民党(とその政府)というものは、同じネオリベラリズムが姿を変えただけの単なるラベルの張り替え以上のものを体現しているのである。時は移ったのであり、これらの新しい社民党政府は、その前の保守党政府とは明らかに異なった関係を社会との間で切り結んでいる。
 そうだとしても、社民党の黄金時代はすでに終わっている。彼らはもはや社会運動を統制できないし、労働者階級と青年たちからの信頼も失っている。彼らは、野党の時代に人気を獲得し、権力の座につくとスウェーデンやギリシャのように、有権者は彼らをすぐに罰するのである。

不安定な諸関係

 力関係は、ヨーロッパ労働者階級にとって極度に好ましくない。中道左翼が政権に復帰したことは、力関係の改善ではあるが、非常につつましやかなものであり、しかも限定つきである。
 しかし、この事実は、社会民主党が次々に政権に復帰していくときに、人々の圧倒的な、時には巨大ともいえる支持や熱狂ぶりのほとばしりを妨げることはなかった。この熱狂ぶりは、社民新政権に期待できる政策上の変化に比較すると、とてつもなく並外れている。選挙結果が判明する夜、街頭で社民党新政権の誕生を熱烈に祝福し喜ぶ人々は、彼らが労働者や女性あるいは青年としての社会活動が非常に制限されていたことの反動として、新政権への「自発的な」幻想を表現したのであろう。
 フランスは例外である。つまり一九九五年の公務員労働者のストライキ以降、階級闘争が上昇に転じた結果、最近の高校生や教育労働者のストライキに示されたように、労働者階級側の自信と戦闘性の回復という以上の状況が生まれている。
 しかし同時に、社会の少数ではあるが非常に重要な部分が、社民新政権への幻想をまったくもたないか、あるいはほんの少ししかもたないという事態がある。つまり社会的な動員が再び活発化する徴候が広範囲に存在し、多数の国で社会民主党の左に位置する諸政党への選挙上の支持が拡大しているのである。勤労大衆の間で基本的な政治意識が明らかに増大している。
 社会民主党と「左翼の左翼」にとって情勢は、依然として流動的である。社会運動の活動家たちは、これら新政権が社会からの圧力に保守や右翼の政権よりも応えるだろうと期待して、事態の前進を願って行動している。他方、政権を担うようになった新しい支配者たちは、労働組合官僚とその機構をより組織された階級協調体制に再統合することを通じて、自らの立場を安定させようとしている。

限界

 だが「下からの」政治行動は、孤立することを恐れてか、あるいは勝利の可能性を悲観するために弱められている。しかし、こうした事情は、フランスやベルギー、イタリア、フィンランド、スイスなどで、いくらかでも前進する可能性がある課題に関して大衆的なデモが展開されるのを妨げてはいない。それでも大部分の大衆動員は、一回限りのものだったり、あるいは展望を欠いており、社会運動の組織面に関しては、ほとんど影響していないか、あるいは蓄積的な影響を与えていない。
 大衆と少数の戦闘的な人々は、中道左翼は「二つの悪のうちでより悪くない方」という主張にいまだ飲み込まれている。その結果、ラジカルな新しい左翼勢力は、ごくゆっくりにしか登場できないでいる。
 大量失業や全般化している不安定さや心もとなさのためだけに勇気や戦意をくじかれているのではない。多くの国では、右翼が新たな、より危険な姿で権力に復帰する可能性があり、そのことも人々の戦意に影響している。
 イタリアには、メディアを牛耳るベルルスコーニ率いる半議会外右翼の「ボナパルティスト」や分離主義者のボッシ、前ファシストのフィーニなどがいる。ベルギーとドイツでは、ファシストによる暴力事件が増加しており、極右グループも成長している。
 フランスには、ボナパルティストとファシストの二つの危険が存在している。極右の国民戦線を含めた右翼連合が、選挙で勝利するという脅威が存在している。

社民の弁解

 右翼からのこうした脅威のおかげで社民党政権は、社会運動を自分の側にとどめておくことができる。それのみならず、右翼からの脅威は、警察や移民といった問題で社民自身がより右翼的な政策を採用する際の好都合な口実ともなっている。
 個々の国の状況がどうであれ、ヨーロッパ連合は現在、確実に社会民主勢力のものとなっている。もっとも重要な三カ国、フランス、ドイツ、イギリスはすべて、中道左翼政権である。フランスとドイツの政府には、緑の党の大臣がおり、フランス政府には共産党党員さえもいる。これら三カ国でブルジョア諸党は、いずれも野党であり、危機を深めている。
 社民や労働党が現在、閣僚理事会からヨーロッパ委員会や中央銀行に至るEU各執行機関のすべてを支配している。だから、彼らがいつも主張し公約している「社会的ヨーロッパ」政策を実行しないですます弁解の余地はない。新共通通貨のためにこれまで犠牲を払ってきたが、大量失業を終わらせる政策はあるのだろうか。どこにでも社民党政権が存在するという状況は、均質で攻勢的な失業克服政策の同時的な展開を可能としている。
 可能ではあるが、起こりそうにない。
 EU貿易のわずか一〇%だけが、EU以外とのものである。独自の通貨をもつ、この自立した豊かで強力な連合体は、自立した政策としての「社会政策モデル」を展開できるし、また社会の「アメリカ化」に抵抗する政策展開も可能である。EU加盟国はもはや、投資を誘致するための各種税金の廃止競争を行う必要はない。資本の流れ、フローを管理する落ちついた慎重な政策や調和のとれた課税、証券市場での投機を規制する政策などを展開できるはずである。
 可能ではあるが、起こりそうにない。
 これは、政治的、制度的に例外的な状況である。社会運動は、モメントをつかみとり、より広範な連合体を構築すべきである。つまりわれわれのようにEUに反対する勢力や、EUには賛成であるが、現在のやり方による破滅的な影響には反対だという人々を一つに結集すべきである。

克服すべき困難さ

 EUが現在の政策を変更せずに継続できないことは明らかである。一九九八年、ほとんどの国は、経済情勢のおかげもあってマーストリヒト条約の厳しい条件をどうにかくぐり抜けた。一九九九年、経済の見通しははっきりせず、多くの国にとって財政赤字を一%以下――一九九八年一月一日にユーロ通貨圏に加入した結果課せられた条件――にすることは困難である。
 問題は、社会民主党の指導者たちがこの数年間遂行されてきたマネタリスト政策(ネオリベラリスム)を持続するだろうか、あるいはネオリベラリズム政策を放棄する勇気があるだろうか、という点にある。あるいはヨーロッパ中央銀行の諸規則をあえて逸脱するだろうか、それとも安定性の維持とユーロ防衛の名目で規則を守るだろうか。改革を求めて「制度的な危機」という危険を冒すだろうか。
 社会民主党指導者たちは、不人気な政策に固執し右翼にとって代わられる危険を冒すだろうか。極右への支持を促進するような政策を追求するだろうか。ヨーロッパの失業者が二千万から二千五百万人に増えたら、あるいは三千万人に増えたら、彼らはどうするのだろうか。
 これらは社民党政府だけの問題ではない。ヨーロッパ労働組合会議(ETUC)もまた、ユーロの安定こそ何よりも重要と主張してヨーロッパ委員会の方針を支持したのであった。労働運動内の左翼はすでに、反失業ヨーロッパ行進のような共同のイニシアティブを形成している。それでも、労働組合左派をはじめとする、より広範囲な勢力を含むもっと緊密で一貫した共同が必要である。
 それぞれの国で、そして汎ヨーロッパレベルで、われわれが望む改革を社会民主勢力に実行を強制する運動を準備すべき時である。

ヨーロッパ化

 ヨーロッパ規模を意識した積極的な社会運動を構築する必要がある。この課題は、政治再編を考えているすべての左翼にとって最も重大なものである。結局のところ、ヨーロッパにおける政治生命というものは、EUを統治している超国民国家的な組織の活動によってますます規定されるようになっている。歴史上はじめて、EUというものが、抽象的な思考ではなく、日々の活動の一部になろうとしている。
 ラジカルな左翼は、一連の社会運動によって励まされてきた。反失業ヨーロッパ行進を実行した組織のようなイニシアティブは、共同行動の恒常的な場を提供している。EUあるいはG7のサミットに対抗する「人々のサミット」も定期的に組織されている。
 非常に小さな規模であるが、NGO(非政府組織)や社会運動、あらゆる種類の調整機関などとして、すでに「ヨーロッパ市民社会」が存在している。ヨーロッパ議会の進歩的な議員は、肯定的な後援の役割を果たしている。
 西ヨーロッパの共産党(前共産党を含めて)はよく組織されており、六月にベルリンで、九月にローマで会議を開いた。その他の活動でも同じだが、今年のヨーロッパ議会選挙に向けて共同計画に基づいて活動をしている。それでも、共同のテキスト作成には至っていないが……。
 ヨーロッパのどの共産党も、イタリア共産党再建派を分裂させた論争を無視できない。その論争とは、共産党再建派が中道左翼政権を「批判的に支持」することを決めたが、この決定は、例えそれが議会で政府を少数派にすることになっても、社会支出の削減には反対票を投じることを意味していた。この党決定に反対した少数派の大部分は、いや気がさして党を去り、そのほとんどが社民党に入党した。この論争と分裂の過程において党の指導者、ファウスト・ベルティノッチはバンディエラ・ロサ派トロツキストとのより緊密な連携を構築した。
 ベルティノッチは次のように述べている。
 「スウェーデンからドイツ、フランス、スペイン、ポルトガルに至るヨーロッパを貫いて、新しい共産主義勢力、戦闘的左翼(共産党再建派が自らを改良主義左翼と区別するときに使う言葉)が存在している。現在政権の座についている社会民主党は、この左翼に注意を払わなければならない」
 実際、社民は、自分の左に位置する諸政党と選挙協力について考慮する。ネオリベラリズム勢力は彼らが政権を掌握していた時に多大な不信感を招き、社民と中道右翼との旧式な「大連合」は想像するのさえ難しい状況である。
 社民の左に位置する左翼にとって、これは、新しい領域に属する問題であり、大きな議論を呼び起こし、時には分裂さえもたらす。イタリア共産党再建派は創立以降二度(もう一つの分裂は一九九一年)分裂をし、フランス共産党は内部対立を深め、指導部はもがいている。
 スウェーデンでは(前共産党の)左翼党が、最近の選挙で成果をあげた直後に左右に分極化している。同国の社民党政府は、ネオリベラル路線を維持しており、欧州通貨同盟加盟を促進している。
 ドイツ社会民主党(SPD)指導部は、選挙が終わるのさえ待ちきれなかった。党首は選挙戦の最中に、「綱領的な適応」を発表した。すべての人は、この発表を東ドイツの前の支配政党(すでに政権参加を表明)を「上流社会に仲間入り」させるものと理解した。ドイツの緑の党はすでに、相当に仲間入りをしている。

非難する前に考える

 革命的左翼は、この戦術問題に準備がない。もちろん、すべての革命的左翼は、「中道左翼」政権が資本主義と決裂するはずもなく、ネオリベラル政策に関しても、これを若干手直しするにすぎないことを十分に承知している。
 だが、右翼諸政党が政権に復帰することが労働者階級や社会運動を担っている人々にとって破局的に思われることも、われわれは知っている。われわれは、冷静な分析、長期的な展望をもった知的な戦術、「現実主義的」であると同時にラジカルな要求を必要としている。そして、われわれの主張は、人々の感性、感覚にそったものでなくてはならない。反資本主義左翼が議論の中心にいたいと思うなら、政治教育に重大な関心を払わなければならない。
 これは複雑な課題である。幅広い左翼政権をつくることは、よいことのように響く。だが、その構成はどうなのか。いくつかの国で、新しく生まれた政権を議会が信任投票する場合、それは同時に予算案を承認することでもある。これはさらに複雑な課題である。左翼パートナー政党はいかなる要求を提出すべきなのか。政権の初期公約を修正すべきなのか。それとも、違った点での妥協で満足すべきか。閣外協力のような、直接には支持しない政府の行動を許容することは、どの範囲まで許されるのか。
 政府の評判が傷つき、その政府に投票した勤労者や青年の信頼を失った場合、われわれはどうするのか。左翼政権の崩壊が「二つの悪のうちでましな方」と有権者に思われるようになった場合はどうするのか。左翼政権への支持をやめると決める場合、その条件はいかなるものか。そしてイタリア共産党再建派のような場合、社民勢力との共存期間中に力をつけた保守的な部分をどのようにして敗退させるのか。議員グループにグッドバイを言った場合、党の物的資産やマスメディアへのアクセスに関してはどんな態度をとるのか。

反資本主義的な再編成

 この問題を無視することはできないし、あるいは「事態はちょっとした政治ゲームのようなものだ」と言ってすませられるものでない。賃金生活者や青年、女性の直接的な要求がかかっている。社会運動内部で政治的に意識的な人々は、すでにこの問題を議論しはじめている。
 これは、単に議会政治だけの問題ではない。これは、革命的左翼と(前)共産党や緑の党、社会民主党などの内部や周辺にいる革命的左翼以外のラジカルな左翼との間に、われわれがいかなる結合をつくり出そうとするのかという問題である。その新しい結合はまた、社会民主党内のあらゆるタイプの政治再編を促進する。そして、これが社会運動内部における多数の社会民主党系活動家に影響を与える。
 大部分のアナクロ・サンジカリスト潮流は、問題全体を無視しがちである。いくつかのトロツキスト潮流も同じである。そうした彼らは間違っている。この問題は革命家にとって鍵となる。歴史を見れば明らかなように、社会運動が大きく前進したときは必ず、その運動は政治―制度的な表現――議会内部やあるいは政府にさえ――を探し求める。大衆的な労働組合は、ある種の政治的な結合なしにはやっていけない。いくつかの労働組合は、イギリスの労働党やブラジルの労働者党(PT)のような政党を形成さえした。
 これが、反資本主義的な政治再編全体の基本様相である。革命的左翼は、それが選挙に参加して意味ある得票を経験し議員をもつという「洗礼」を通過するまでは、単なる「行動グループ」にとどまる。その行動グループは、一般的には政治的だが、社会運動内部においてだけ「有用」な存在なのである。
 真の成功というものは、一連の政治選択の賜物であり、このことは「現実政治」への関与を意味している。
 われわれの目的は「左翼内部の左翼」の再編成である。新しい広範な多元的な政治勢力、反資本主義でありフェミニストであり国際主義の、しかも大衆的なインパクトをもった党――こうした政治勢力、党を建設するという課題の成功は、次の二つの点で測定される。一つは、社会運動と社民政権との間の衝突から登場してくる戦闘的潮流と結合する能力、もう一つは、政治―制度的な参照点となることできる能力である。
(インターナショナルビューポイント誌98年11月、305号)