1999年5月10日         労働者の力              第112号
99統一地方選挙
      自自公の登場と無党派層の増大
    問われる市民派の今後

                                      川端 康夫
 昨年秋以降の自民党と自由党の連立体制は、実質的に公明党を加えた三党連立へと動いてきた。昨年の参議院選挙が自民党に衝撃的な結果をもたらし、橋本退陣が確定した瞬間から、永田町には自自公体制がささやかれてきた。そして秋には自自公への流れが動き出した。中央政治が実質的な自自公連立へと移行するにつれて、再び政治の閉塞感が浮上することになる。その大きな要因は、参院選における突風の吹き抜け口となった民主党がその後は低迷を続けたことにあるだろうし、また支持を拡大している共産党の地方選挙方針が党勢拡大の基調にあり続けたことにもよるのである。いわゆる無党派層は、投票行為において全体の結果に影響するようなダイナミズムの対象を持ちきれないままに地方選挙を迎えた。共産党は「着実な」増大を示したが、民主党はほぼ横這い、社民党は大きく減らした。公明党が組織選挙で議席を維持し、自由党が目立たず、自民党も特別に言及するほどの変化を示さなかったのであるから、社民党を食いちぎった民主党の低迷は全国的な今の状況の一つの特徴を示したといえる。

市民派選挙の新しい波

 いわゆる市民派の無党派候補も、全国的なレベルでは今ひとつ勢いに欠けた。県議、政令都市市議レベルでは、東京・杉並区都議補選の新人、福士敬子さんの圧勝が特筆され、香川県議現職の渡辺さと子さんが上位で当選したことを別にすれば、新潟や静岡で議席を失うなど、健闘はしたものの結果は残念なこととなった。
 市町村議員レベルでは、やはり新人候補は苦闘を避けられなかったと言わざるをえないが、にもかかわらず各所で特色ある勢いも生み出された。
 特に言及されるべきは、にいがた市民新党や静岡の駿河湾ネットワーク、愛知県における各種選挙への多様な挑戦など、全国各地で運動を蓄積してきた影響でもあるが、地域的にネットワークを組んで無党派の選挙戦を闘うという傾向が目立ち始めてきたことである。いわば地域的な市民運動的蓄積の延長で議会選挙を闘うというよりは、むしろ最初から市民派の政治主張を打ち出して支持を求める、それを複数のネットワークとして打ち出すという積極的な政治参加の傾向が生まれてきたのである。
 五〇〇人リスト運動の影響も幾分かはあるであろうが、より本質的には、大阪府や福島県での動き、とりわけ福島の試みは成功したと評価できるように、一九九〇年代における東京地方区での内田選挙以降の多様な試み、平和市民選挙、市民の政治全国ネット、そして新潟から何度も発せられた全国提携の呼びかけなどを通じて、いわば新潟型運動の感覚が全国的な広がりを示しつつあるとみることができる。
 市民派が示すこうした議会対応の変化は、多分に旧社会党構造の衰退と解体の進行に影響されたものであることは確実だ。社会党という全国存在が退場していく後に、市民派は、そこにおける政治的空白を自ら地域的(そして全国的)な政治存在へと高めていくことで埋めるという必要性に直面するのである。
 市民派にとって、社民党組織をさん奪した民主党は基本的に連携の対象とは言い難い。雑多な保革連合政党としての民主党は、決定的局面では常に保守政治にのみ込まれる「ぬえ」的な政党にほかならない。

市民派が直面するもの

 市民派の地域的な政治的登場は、まさににいがた市民新党が口火を切ったものであるが、ようやくにして全国的な波及の段階に到達しはじめたのである。これが、99統一地方選挙での市民派選挙の新しい特質である。この傾向は今後さらに勢いを増すだろう。地方議会から中央政治へと展望を立てた新潟型の広がりは、市民派政治をさらに政治の前面へと押し上げていくことになる。
 言いかえれば、シングルイシュー的、個別オプション型の「市民運動」の延長としてではない、トータル性をもった「市民型政治」の発生、登場が始まった。このことは同時に、ヨーロッパの緑の党が歴史的に多くの変遷をし、今またユーゴ空爆をめぐって抜き差しならぬ内部的対立を示しているような過程に一挙に入ってしまうことをも意味する。遅れた登場は、最先端の諸問題に直面しないでいいということにはならない。歴史はまさに不均等に発展するわけであるから、今ここに登場の機運を示した市民型政治運動は同時に「トータル性」とその政治性格に最初から突き当たっていくことになるのである。
 もちろん以上のことが今まで意識されてこなかったというわけではない。にいがた市民新党はその環境派的市民の政治理論の掘り下げを積み重ねてきているし、またその延長で昨年秋にはフランス緑のリピエッツの招請と全国三カ所での講演集会を開催した。また静岡を主たる呼びかけ主体とするローパス(地方議員政策研究会)は市民型の政策の検討深化を積み重ね、それが今回の選挙での虹と緑の五〇〇人リスト運動に至り、選挙後は地方議員の結集する政策センターを発足させる予定にある。東京二三区でも市民派議員による集団的な政策検討が続けられてきている。
 しかし、にいがた市民新党を別にすれば、多くは議会の現場における必要性に迫られた要素が強い。つまりは議員活動としての政策検討というものである。新潟の場合は、政党としての議会への進出運動の提唱である。その運動が、大衆運動とどのような関連をもつのか、論議は棚上げ的でもあるが、しかし政党運動の提唱であることには変わりはない。
 議員活動を主軸にした政策提起型のローパス型と、全国にローカルパーティーを生み出し、緑型あるいは市民型の政党をめざす新潟型とは、ニュアンスは相当に異なるようにもみえる。これらは改めての討議を必要としているだろう。
 さて、私たちの立場はどのようになるだろうか。ヨーロッパ、とりわけフランスにおける緑とトロツキスト運動の関係はそう単純ではない。
 第一に、フランストロツキストは、フランス緑の理論家リピエッツが依拠する社会理論であるレギュラシオン理論(調整理論)に批判的である。階級関係の矛盾は「調整される」ことを通じて変容するというのがレギュラシオンのエッセンスであるが、社会主義的解決との関係は明確ではない。あるいは否定的ともいえる。
 第二に、第四インターナショナル・フランス支部は、社会党との連立に加わったフランス緑の環境政策の不徹底性を批判する。
 第三に、フランストロツキストは、膨大な失業と直面する労働者運動、青年運動、そしてフェミニズム運動などの諸運動を結合した社会運動を実現しようとする。
 要約的に言えばこうしたことであるが、運動的には多くの地域で共同行動も組織されてはいる。
 私たちは昨年、高木圭による「環境社会主義」論を本紙上で提唱した。それは私たちの今後に向けた理論的課題の整理、深化への出発を紹介したものである。私たちは、新たな「市民型政治」とその共同の政党運動の必要性を認め、また今回の地方選を通じてそのための機運と基盤とが見え始めたと理解する。そうした流れに、私たちは環境社会主義のアプローチで加わっていく。

東京の無党派層

 今回、無党派の存在を背景にして圧勝したのは東京都知事選の石原慎太郎であるが、抜群の知名度を別にすれば、特異な右翼的政治姿勢が支持を集めた最大要因だとはいえない。だが中央政治との対抗や横田基地返還あるいは民間型都政運営など、石原的ポピュリズム政策を打ち上げたことに選挙戦術上の効果があったことは事実であり、それが非自民的意識をくすぐった。
 これは明石との大きな違いである。それなりに健闘した舛添も一種のタレント候補であるが、部分的には相対左派をも含む自民党への批判層を引きつけ、柿沢には自民党中央からの圧力に対する同情票と下町代表という要素が寄与したであろう。東京の自民党票は完全に分解した。これらの三人は、明らかに新自由主義をベースにする政治姿勢というにとどまらない、(右的ではあれ)非自民のムードが付加されていた。それが彼らの得票にそれなりに表現されたのである。
 明石は、自公連携という中央政治の利害を体現したが、それはそっぽを向かれた。自自公の政治取引による連携という中央政治と民衆感覚との差は、まさしくここに表現されたのである。
 参議院選挙で予想外の勝利に酔った民主党からは、相当の自信をもって鳩山弟が名乗り出た。しかしその知名度にもかかわらず苦戦に終わった、共産党公認の三上も同じ結果である。浮動票の「取り込み」に失敗した。
 これらの結果から、無党派層は今回、石原と舛添、柿沢に流れた部分を除けば、基本的には沈黙を守った。前回の青島票は、総体的には左的な無党派層が主力であったろう。それは基本的には動かなかった。
 鳩山弟は、現住所が民主党であろうが、その保守的体質、元首相である祖父譲りの「自主憲法」論者という体質が色濃くある。これは昨年参院選で民主党を押し上げた無党派層の感覚とはマッチしない。終盤に青島が支持を打ち出したが、すでに青島人気は地に落ちており無意味であった。
 もちろん民主党が党内の雑多な保革連合体という性格を反映して、政治的に特色を出しえていないという点も付け加わるが、鳩山邦夫は個人的なブームを引き起こす要素を欠いていた。鳩山邦夫の本来の支持層となるべき層は、石原と舛添に流れたのだ。
 三上はどうか。共産党は今回、総体として「無党派層との連携」路線にはいなかった。党勢拡大が主軸である。東京・国立市の上原市長の誕生を唯一の例外とし、文京区区長選をはじめとして共産党はまさに党勢固めの選挙を貫いた。全国的にも、この党は「無党派層との連携」とは果たしていかなる状態を意味するのか、より明確な態度を実践として打ち出さなければ、より以上のインパクトを持つのはむずかしいことになるのではないか。果たして、そのうたい文句が単なるリップサービス、戦術的取り込みの方策にすぎないのかどうか、厳しく見つめられていることを意識しなければならないであろう。
 同時に、この党は、国会内における野党共闘路線を追求する姿勢にある。民主党や公明党、あるいは自由党とも反自民の連合を組むというアドバルーンを上げたこともある。だがそうした院内取引と、民衆レベルにおける連携は違ったレベルであり、院内取引を、それだけで打ち上げても、民衆レベルには単なる政治取引にしか映らないのである。

政治的鍵としての市民派

 自自公の連携という枠組みとは別に、膨大な無党派層という姿で、いまだ明確には姿を示してはいないが、自民党政治への鬱ぼつたる反発と不満が浮遊している。これが一歩誤ればポピュリズムからボナパルティズムへの流れに転化しないという保障はない、ということは前回指摘した。
 相対左派的な無党派層、市民層の分散、沈黙が今回地方選挙での一つの特徴とすれば、時代はそうした状況を直視すべきことを私たちに告げているということに他ならない。国会レベルにおける自自公の成立、他方におけるウルトラ右派・石原的な非中央政治的装いをもっての無党派層の取り込み――左派が直面する課題は大きい。
 東京においての国立市長選で、女性候補の上原氏が社・共・ネット(生活者ネットワーク、生活クラブ生協関連団体)・市民派の共闘を背景に画期的な勝利を収めた事実が注目されるべきである。この共闘が勝利した最大要因は、なによりも市民派の運動的蓄積と広がりが、政党利害を越えて作用したことに尽きる。共産党はここでも当初は「党勢固め」選挙の構えで統一候補に難色を示していたのではあるが、最終的に市民派が押し切った。統一候補の擁立によってムードを高めた国立市の有権者は、市議選においても一位が市民派、二位が社民党、そして三位に二七歳の市民派の大学院生が食い込むという反応で応えたのである。
 日本新党や新進党、さらには青島・ノック現象、そして昨年の民主党と「風」は相当に気ままに吹いてきた。風の向きを測るに長け、それに乗ることを特技とするのが人気取り政治家、ポピュリストのあり方に対して、しかし民衆的エネルギーを掘り起こし、風を起こしていくあり方もはっきりと基盤を持っているのである。
 登場しはじめた「市民型政治」がさらに力を持つほどに、国立市で実現した構図も各所に拡大していくことになろう。
    (五月十四日)

付記 宮城支局より以下の文書が寄せられました。
 本紙紙上でも報じた仙台市泉区で市議会選挙に立候補した山田みきお候補は、次点落選の結果となりました。次点とはいえ、最下位当選者とはかなりの票差があり、政令都市型市会選挙の壁の厚さを痛感しております。捲土重来を期すにしても、何らかの方針的な組立直しに迫られることにはなります。読者の皆さんからの支援に感謝して報告に代えます。

鉄産労、高裁で画期的逆転勝利
不当労働行為の認定をかちとる(JR仙台駅不当配転)


【宮城支局】鉄産労(鉄道産業労働組合、本部・仙台市若林区)は四月二十七日、九年間にわたる裁判闘争を経てJR東日本の不当労働行為を認めさせる判決をかちとった。
 一審の仙台地裁では、JRの主張を全面的に認める反動的判決が下されていた。仙台高裁はこれをくつがえし、鉄産労所属の動力車乗務員(運転士)を仙台駅売店等に配転し、長期にわたって運転士に復帰させずにいたことは不当労働行為であると認め、JRに差額賃金の損害賠償を命じた。
 この判決は国鉄闘争にとって画期的な逆転勝訴である。鉄産労は判決後ただちに勝利集会を開催し、地域の労働者とともに逆転勝利判決を祝い、今後の闘いに向けて抱負を語り合った。分割・民営化に反対し国家的不当労働行為を許さない国鉄労働者の継続的な闘いを推進するとともに、リストラ合理化のもとで苦悶、苦闘する労働者との連帯の戦線を大きく作り出していこう。
 一方、JR東日本は「主張が認められなかったのは遺憾であり、承服できない」とコメントした。
 なお、不当配転された組合員は裁判闘争中の九六年から九七年にかけて多くが運転職場に復帰した(一部に配転前と別の職場である組合員もいる)が、三名の組合員は未だ強制配転のままに置かれている。鉄産労はJR東日本に対して高裁判決に従い、不当労働行為を謝罪し、三名の組合員を直ちに元の職場に戻し、差額賃金を支払うよう要求している。
 高裁判決は、「人事配置上の合理的な理由」を見いだすことはできず、「違法性を帯びるに至っている」として、この配転が鉄産労への差別的人事であったことを明らかにしている。判決文は、配転の個別的な事情やその背景について具体的に検証するうえで、組合側証言の多くを採用し、JRの違法性を結論づけている。
 高裁判決は組合主張を全面的に認めているわけではない。この配転が「配転命令権の濫用」であり「組合に対する支配介入」であるという主張は慎重に退けられている。また、分割・民営化問題について、地裁と別個の独自の判断を下しているわけではない。しかし裁判官は、判決の内容説明において、八名に対する配転の経緯を不当労働行為であると認定したと明言し、高裁判決が組合側の事実上の逆転勝訴であることを強く印象づけたのであった。
 二年前の仙台地裁判決は、明らかにJR側の立場に無条件に立つものだった。配転の正当性は、個々の事情からではなく、JRが正しいという「結論」から導きだされた。検証の細部に矛盾をきたせば、分割・民営化がすなわち国策であるという図式が無前提的に持ち出された。そういう枠組みのなかでは、国策に従わないものには不利益は当然という態度であった。一方的な決め付けや詭弁が乱発された「粗暴」な判決文であったし、少数派組合に対する差別的な敵意が露骨に前面に出ていたといっていい。
 今回の高裁判決は明らかにトーンが違っている。表現は慎重であるが、地裁判決の態度をたしなめるような記述すらなされている。鉄産労と原告団の主張を「色眼鏡」なしに検証すれば、JR側の差別性は明白であるということであろう。大失業攻撃のなかで労働者の反撃を作り出すためにも、JR的な白を黒と言いくめる手法を認めない社会的裾野をもった運動をめざすことが問われているといえよう。
資料(高裁判決文の中心的な部分)

『以上の各事情〈〈注@〉を総合すると、被控訴人において、動力車乗務員の処遇に関し、東労組組合員に対して優遇的な取扱いをし、その反面として、控訴人組合ら被控訴人に協力的でない組合所属の組合員については、少なくともその一部の者を東労組組合員より不利益に取り扱うことになっても構わないという差別的な意思を有していたことがかなり強く疑われるといわざるを得ない(この場合、控訴人組合所属の動力車乗務員全員を不利益に取り扱わなかったからといって、右のような差別意思がなかったことにはならない。)』
 〈注@〉「各事情」として、東労組所属の動力車乗務員は原則として職を確保されていることなど、組合によっての差別的な状態が示されている。その一つとして、以下が明記されている。『必ずしも被控訴人に協力的でない控訴人組合及び国労、全動労の組合員で、動力車乗務員から他の業務に配置換えされた者(旧国鉄時代の配置換えを含む)は、一様に、長期間にわたり、動力車乗務員への復帰ができないままに経過した(控訴人らのうちで、最も早く動力車乗務員に復帰した者でも、減俸期間は六年余りに及んだ。)』

『以上の各事情〈注A〉からすると、控訴人らを長く営業係等に配置してきたことは、前示のとおり、それ自体が著しく不合理であるとまではいえないものの、積極的に高度の必要性を伴うものともいい難く、被控訴人の控訴人らに対する不当労働行為意思の存在を相当程度強くうかがわせる前記の各事情が存することとの対比において、かかる強い疑念を打ち消すほどの人事配置上の合理的な理由は見いだすことができないというべきである。結局、被控訴人の控訴人らに対する人事権行使は、本件兼務解職発令を行い、そのまま平成四年ころ(東労組組合員の動力車乗務員への復帰が特別の事情のある者を除き完了した時期)まで営業係等にとどめていた範囲では、なお、東労組所属の動力車乗務員との間で、違法な差別的取扱いがあったとまで断ずることはできないものの、その後も、長期にわたり動力車乗務員への復帰をさせずに営業係等の配置を続けた点において、違法性を帯びるに至ったというべきである。』
 〈注A〉関連事業への配置換えの合理性について個々の検討が加えられている。
 
■付記一/以下は配転と裁判の簡単な経緯。

 原告の八人は国鉄当時、仙台機関区と原町電車区に運転士として勤務していた。国鉄は、分割・民営化の直前(一九八七年三月一〇日)、動力車乗務員と仙台駅営業係の「兼務」を発令し、仙台駅の直営販売店や飲食店などに配転させた。三月三一日に国鉄は解体され、四月一日に八名はJR東日本に兼務状態で雇用された。翌年四月、JRは動力車乗務員との兼務を解いて営業係の各職務を発令(兼務解職発令)、さらに二年後、JRの賃金規定に基づいて基本給の二〜三号俸減額を発令した。
 八名は九〇年、「少数組合員に対する、会社側の配転命令権の乱用であり、不利益扱いである」として仙台地裁に提訴した。鉄産労と原告団は、この強制配転が人活センターをはじめとする一連の組合差別・解体攻撃の延長上でなされたものであると主張し、分割・民営化の是非を問うものとしてJRと全面的に争ってきた。
 仙台地裁は九七年一月、「配転命令権の濫用」と「不当労働行為」を否定する判決を下した。事実認定の各部においてコジツケやスリカエが目立つ判決文で、結局、分割・民営化は国策でありそれに従うのは当然という論理で原告側の主張を退けるというものであった。
 原告八名と鉄産労は仙台高裁に控訴、@基本給の減額を伴う配転命令、兼務解職発令は違法である、A減給は就業規則の不利益変更であり、労働者がこれに同意しない限り拘束されない、B控訴人ら全員を九年間以上もの長期間にわたり動力車乗務員に復帰させなかったことは明らかな不当労働行為であると主張して、JRとの裁判闘争を継続してきた。

■付記二/なお、中央大学の近藤昭雄教授は、仙台地裁判決について「配転理論と賃金減額」の問題に踏み込んで言及している。

 『本判決は、その特異性〈注=国鉄、JR問題〉を別とすれば、従来の配転理論(判例においては、包括的合意説)をその予定された射程を超えて適用したことに最大の問題点があるものであった。……最高裁は、日産自動車村山工場事件において、「職種を特定する合意」が存しない限り包括的合意であるとして、従来の議論を一歩進め、労働契約論の「変質」ともいうべき結果を生みだした。本判決は、安易に右最高裁の論理に依拠することによって、さらにそれを超えて、「職種や勤務場所」にとどまらず、配転に名を借りた「賃金減額」をも包括的合意説に基づき容認するという、二重の「変質」をもたらしたものである。本判決を強く批判する所以は、まさに右の点にある。』
〈労働判例一九九七・十一・一号/判例解説/賃金減額を伴う配転命令の効力/JR東日本(仙台鉄道管理局)事件より引用〉
フィリピン
            新しい労働者党を結成
             毛派共産党の分解と再編
 フィリピン革命的労働者党(RWP)の結成は、一九九二―三年に起きたフィリピン共産党分裂以降で最大の左翼再編の動きである。過去五年間、この再編に結集した各グループは、それぞれの毛沢東―スターリニスト起源と決定的に決別し、フィリピンではまったく存在したことがなかったダイナミックで複数主義的な革命的マルクス主義の要素を発展させている。
 新党は、一九九八年に開いた創立大会でトロツキスト運動に起源をもつ第四インターナショナルにおいて恒常的オブザーバーの地位獲得を追求することを決定した。今後数カ月間にわたって私たちインターナショナルビューポイント誌は、この新党とその考え方、すなわち情勢分析やミンダナオの民族問題、フィリピン版解放の神学についての見解などを紹介していく。その第一回目として本号では、本紙の執筆者ジャン・デュポンがRWPの三人に対して行ったインタビューを掲載する。その三人は、全国指導部の一員であるハリー、全国書記のリカルド、首都マニラの地域指導者であるジョナである。なお、以下のインタビューは要約版である。

革命戦略の基本は

――あなたたちの革命戦略は、従来の毛沢東主義の戦略とはどのように違っているのですか。
ジョナ 以前の考え方では、すべてを決するのは武装闘争でした。私たちは、毛沢東が中国革命の過程で展開した考え方、革命の軍事的な段階に関する考え方をそっくりそのまま信奉していました。政治的な展開をも、守勢、膠着、攻勢、そして革命という図式に押し込めようとしました。現在は、はるかに柔軟な戦略上の枠組みになっています。情勢や闘いの発展を先の軍事的な図式に押し込めることは、もうありません。

ハリー 軍事的な力を蓄積していけば、その力が革命力の成長へと転化していくと考えていました。しかし今では、その逆が正しいのだと理解しています。革命の発展は、武装力に依存しているのではありません。革命意識や動員の成長や後退には、多数の要因が影響を及ぼしています。大衆運動や選挙活動、議会活動の重要さを現在では十分に理解しています。こうした要素の重要さは、時や場所によって異なってきます。抑圧された人々の政治・統治の機関を建設、確立することもまた、重要な要素です。例えば、私たちがゲリラ活動を展開しているミンダナオ島先住民の地域自治機関などの建設がそうです。

――これは、武装組織には非常に大きな変化を意味していると思いますが。
ハリー 私たちの軍事力(革命的プロレタリア軍、RPA)は現在、防衛的な役割を担っています。政治工作を行っており、私たちが相対的に力が強い地域で獲得した成果の防衛にあたっています。以前は、軍事目的に政治的な利益を従属させていました。従来は、主として武器を獲得するために攻撃をし、それが地域の人々にどんな影響を与えるかを考慮したことはありませんでした。現在では攻撃目標をより注意深く選んでおり、軍の指揮者あるいはとりわけ反動的な地主にしぼられています。
ジョナ 私たちの部隊は、懸命に新しい役割に適応しようとしています。従来は、政府と人々との内戦という印象をもたらし得るならどんなことでもやりました。当時、軍隊は大衆運動の産物だと言っていましたが、実態は違っていました。部隊、メンバー補充の中心は、政権のファシスト的性格に対する人々の反応でした。現在は違っていますが。

リカルド 武装勢力を再教育、再組織しています。大衆運動に奉仕するような軍の確立を考えています。

ハリー 被抑圧少数民族の自治組織を確立していくにつれて、武装部門に参加したいと望む人の数が急速に増えています。自衛行動とその組織は、新しい政治権力機関を建設していくための不可分の一環を構成しています。土地問題が、先住民や貧農の中心的な関心事となっています。そして地主や地域権力者は私兵組織をもっています。またフィリピン国軍も、それに対して金を払う用意のある地域資本家には、その私兵として役立ちます。私たちは現在、軍、党組織、大衆組織の関係を転換しようとしています。人々の権力機関を形成していくにつれて、統治のためのあらゆる要素をつくり出していけるよう人々を支援しています。
 軍事組織はもはや党の一部でなく、自治機関への応答となっています。自治機関、統治機関が兵士の補充を行い、そして兵士の家族の世話をします。これによって、党にとっての巨大な組織的な重荷がなくなりました。党は今や、ゲリラ兵士のイデオロギー的な教育、闘いの基本方針作成の支援や政治指導などに集中しています。

具体的な実践は

――大衆活動はどうですか。
ハリー 革命とは、ただ単に反動的な国家を粉砕することだけではなく、人民権力機関のような、反動的国家に代わる新しいものの建設を開始することでもあります。革命をするということには、前進するにつれて種をまいていくことです。私たちもそうですが、マルクス主義者は、NGO(非政府組織)や大衆組織、教会などによる活動と私たちの活動とを結合していく必要があります。
 私たちは、選挙や議会の活動を開始しました。私たちは非合法の党ですから、候補者は他の組織の名前で、より広範な候補者名簿で立候補します。また、私たち以外のより進歩的な候補者に対しても支援をしています。ミンダナオではモロ解放戦線と共同候補者名簿を作成しました。
 先の選挙以降、私たちは、その住民組織が強力な地域に対して開発援助を行えるようになりました――その自治体が時には革命的であってさえ。議会活動と議会外活動とのこうした結合は、人々の生活を持続的に改善していく積極的な要素になっています。
リカルド 新しい開発戦略は、私たちの過渡的綱領――具体的な改革要求を人民運動を大きく前進させる諸要求の闘いと結合させる私たちの党の戦略――の中核となるものです。
 政府は公式の開発計画「フィリピン二〇〇〇」をもっています。これを単にネオリベラリズムと非難するだけで終わることはできません。人々の現実的な要求に対応した、利用可能な資源に見合った政府のものに代わる新しい開発計画を提出する必要があります。私たちの革命活動の一切は、この過渡的綱領から首尾一貫して組み立てられなければなりません。
 土地改革は、合理的な農業システム確立のための提唱の中心となっています。これらの提案は、特に人民権力機関あるいはバナナや砂糖プランテーション労働者のような農村の貧困層に向けられています。私たちの力が強い地域では、これらの提案を実行しようとしています。私たちは現在、近く行われる政治制度上の改革や選挙において優先させるべき諸課題について大衆運動と協議をしています。この分野における私たちの全活動の指針となるような法律的、制度的な計画を作成したいと思っています。単なる宣伝のための計画ではないのです。すでに実行されているもので何であれ、私たちの力が十分に強い場所で実行するための計画です。

結党への経過

――最近での大きな成功は何ですか。
ハリー この五年間、これまでの誤りを分析し、毛沢東―スターリン的な毒素を徹底的に除去しようとしてきました。共産党の大分裂は、長くかつ苦痛に満ちた「再考と再編」過程の始まりでした。党の各グループは、それぞれ独自に活動を続けてきましたが、結党準備段階に入り、ついに新党を結成したとき、みんなが同じ過程を歩んでいたことを理解しました。
 毛沢東―スターリン的な党は依然として強力です。私たちは、ミンダナオでは彼らが支配する地域に囲まれています。彼らは私たちに強く敵対しています。だから、私たちが存在していること自体が、非常に大きな成果だと言えます。実際、再建した労働者党のために、新しいイデオロギー的基盤を構築し、これが内的な力の源泉となっています。一九九二―三年の「ビッグバーン」は非常に高くつきましたが、その結果として毛沢東―スターリン路線に反対する潮流の拡張に成功しました。
 何年間も視野が狭く教条的で反民主的な政治環境にあったのですが、結局、開かれた力強い動きがある環境の中で、私たち独自の政治目標を定義することができました。私たちにすばらしく活力を与えてくれるものです。

リカルド 現在は考えているとおりの党があります。新党結成に参加したそれぞれのグループは、私たちの全活動を扱う基本的な諸文書で合意に達し、また私たちの歴史における強さと弱さに関する総括でも一致しました。そして三つの島嶼、つまりルソン、ビサヤ、ミンダナオに強固な基盤を有する全国党を結成したのです。フィリピン共産党から分裂した私たち以外のグループの多くは、党を準備する段階にあるか、あるいは特定の地域に限定された存在にとどまっています。

――弱点は何ですか。
リカルド 私たちは、これまで話してきたような全国組織の確立や新しい政治理論と路線の形成を継続し、さらに深めていく段階にあります。そのために、幹部や中堅幹部の政治理解を「引き上げ」、大衆レベルでも新しい考え方を広めていく必要があります。三〇年間も「人民戦争」戦略で理論武装してきた毛沢東主義の党を変革することは、用意ならざる闘いです。

ジョナ これまで私たちは、自らを一枚岩の均質な党であると考え、左翼運動全体の指針であるように行動してきました。しかし現在では、フィリピン共産主義運動におけるまったく新しい段階に直面しています。戦闘的で革命的な組織が多数あります。そのいくつかは毛沢東主義であったり、あるいは私たちの考えに近いグループもあります。これらのグループとどうすれば一緒に活動できるか考えている段階です。毛派の党が、分裂を続けていますが、依然として最大です。毛派路線に反対しているグループは、分断状況から再結集の段階へと移行しつつあります。

ハリー 党を組織的、政治的に確立していく過程は、本当に不均等です。党の構造を確立して現在では、活動のそれぞれの領域を見守り、異なった地域間のネットワークをつくり出し、全国方針をより具体化し、最善の実践と新しい考えとを普及させていく必要があります。いくつかの地域では、私たちの労働組合活動は非常にうまくいっていますが、その他の、例えばビサヤではうまくいっていないのです。新党の弱点というものは、様々な地域や活動領域に踏み込んでいくにつれて、はっきりしてくると思われます。
 ジョナが先に述べたように、複数主義というものは、フィリピン共産党運動における新しい現象です。新党の内外両面で複数主義を実行することは、私たちにとってはまったく新しい挑戦なのです。
 毛派時代では、党のそれぞれの組織は伝動ベルトにすぎず、上から与えられた単一の方針を実行するだけです。しかし現在では、例えば党の青年組織は三つの主要な島嶼グループごとに三つあります。これらを統一すべきでしょうか。統一して単一の組織にするのか、それともゆるやかな連合体とするのか――新しく、かつ重要な問題です。

組織内の状況は

――新党には、いわゆる世代格差はあるのですか。
ジョナ ないと思っています。革命運動には、持続的なモメントが作用してきました。マルコス独裁体制の打倒は、国家のファシスト的な要素が幾分か薄らいだことを意味していました。しかし、それ以降の新しい政権がマルコス独裁体制と根本的に異なっていたわけではありません。例えば教育制度には、大きな変化はありません。確かに従来よりも民主的な空間は広がりましたが、人々が直面している基本的な課題は同じです。だから種々の共産主義グループに対して人々を結集させる要因は、様々な変化にもかかわらず持続しているのです。

ハリー ある種の世代格差があるとは思います。マルコス体制崩壊後、多くの同志が合法活動の領域に喜んで復帰していきました。そうした同志の一部は、制度化された思考に慣れていきました。非政府系組織における活動は、そうした同志自身の経歴に関係するようになり、彼らが提供するサービスが次第に官僚的なものになっていきました。そうした同志の一部は中産階級となりました。その他の同志も、党が彼らに期待する活動を嫌うようになりました。その一部の同志は、反党分子となりました。
 共産党内部で民主主義をめぐる大々的な論議が起きたとき、これらの人々は、実践主義を離脱するよい機会としました。毛―スターリン理論やその路線に反対し、しかし、それにとどまらず、私たちのような潮流が推進しているような旧来の理論に代わる新しい一切のものにも反対しました。
 この五年間に、冷笑的な人や幻滅した人の大部分は左翼を離れました。新党が、NGOや各種の制度に対してより真剣かつ協調的に介入できることを願っています。が、そのために必要な同志を、この間に失ったことも事実です。

他の左翼との関係は

――左翼が広範な共同活動をする展望はありますか。
ハリー 党の内的な発展が本質的な問題です。つまり私たちの組織をどれほど外部に対して開くことができるのか、他の勢力と一緒に活動する気がどのくらい私たちにあるのか――これが本質的な問題なのです。結局のところ、私たちは、自分たちが最高であり、自分たちだけが正しい方針をもっているのだと考え続け、そのように教育されてきたのです。こうした考え方を棄てる必要がありますが、それは非常に苦痛に満ちた過程です。
 一連の外部的な要素が、すべての左翼グループに対して、より緊密な共同行動を考慮するように迫っています。私たちを含めて左翼のどのグループも、一九九九年の制憲議会に向けて介入するには単独では力不足です。アメリカが再びフィリピンを巨大な軍事基地として利用し、アジア全体に干渉できるようにする新しい協定を政府が締結するのを本当に阻止したいと考えるなら、共同行動をとらなければなりません。ミンダナオの私たちの武装組織は、モロ解放戦線と良好な関係にあります。多くの分野での活動に関して統一しています。また軍事行動に伴う大衆活動の必要性を彼らが理解していくにつれて、その面で彼らを支援しています。また選挙でも、共同行動をとっています。
 他の国と同様に、より幅広い左翼と共同するほうが、CPPという共通の過去をもつ革命的なグループと共同行動をとるよりもはるかに簡単な場合が多いのです。反毛派潮流は依然として非常に流動的なのですが、緊密な共同行動をとるには多くの障害や不安定要素があります。それでも私たちの四月会議直前までに、いくつかのグループを統合することができました。その結果として私たち新党が存在しているのです。これに結集しなかった他の「結党準備段階」にあるグループは、それぞれに立場を決定する必要があります。

――第四インターナショナルの何にひかれるのですか。
ハリー 毛派路線を放棄したとき、革命の闘いは決して一国には限定されないのだということを深く理解しました。進歩的、革命的なグループと世界的に接触したいと思いました。第四インターナショナル以外に、インターナショナルの次元で私たちが必要としている役割を果たしているグループはありません。

リカルド 第四インターナショナルは、各国の、そしてそれぞれの時代の経験という富を蓄積しています。インターナショナルの議論やその教育・訓練活動に参加することで、短期間に多くのものを学ぶことができます。インターナショナルの複数主義的な伝統は、私たちを豊かにしてくれ、そしてCPPを支配していた「唯一正しい道」という考え方への解毒剤となるでしょう。

――第四インターナショナルに参加して、それを変えてください。
ハリー 第四インターナショナルと私たちとの関係が象徴的です。両者ともお互いに貢献しあっており、その過程で両者とも変化しています。私たちは、インターナショナルが世界大会を開く前に第二回の大会を開催する予定です。それで、二つのレベルから議論が巻き起こることになるでしょう。
 具体的なレベルとして、インターナショナルの力を強めます。私たちは、長い歴史をもつ大きなグループであり、この国に確固とした基盤をもっています。アジアでは第四インターナショナルは勢力が弱く、私たちは、革命的、戦闘的なグループのネットワーク形成に貢献できます。
(電子版インターナショナルビューポイント誌4月、310号)
コソボ危機
         左翼がノーと言う理由
                           タリク・アリ(一九九九年四月一日)

 西側世界の首脳がワシントンに集合して、NATO(北大西洋条約機構)結成五〇周年を祝福するとき、彼らは今日のバルカンにおける戦闘をどのように評価するのだろうか。首脳会談(NATOサミット)の目的は、NATOの新しい使命を宣言し、これを防衛の同盟から、世界のいかなる国でも目標と設定した場合に攻撃できる機関に転換し、もちろん「人権」や「自由市場」と称されるアメリカの利益を守ることができるようにすることである。
 イギリス労働党の首相トニー・ブレアは、当然のようにNATOの転換に関与している。トニー・ブレアの新労働党は、アメリカ軍事戦略に従順に奉仕している。ドイツ、イタリア、フランスは懐疑的である。オスカー・ラフォンテーヌが内閣を去った理由の中心は、コソボ問題にある。彼は、アメリカの方針に従うことは無鉄砲だと主張した。イタリア、ギリシャ、ポルトガル各国の政府内部には、対立が存在している。
 それだから、セルビア上空で起きている事態は、コソボをめぐる方針上の対立で誰が勝利するのかを決めるという決定的な重要性をもっている。これ故に私は、この戦争に対するアメリカの中心的な関心は、コソボのアルバニア系住民の苦痛にあるとは考えない。アメリカの動機ははるかに下劣だと思う。
 セルビア爆撃の目的はコソボを救うことにあると各所で熱心に主張する最も奴隷根性に満ちたNATO弁護者でさえ、この空爆がもたらしている破滅的な人的被害の規模を知ることができるに違いない。この爆撃は、どの面から見ても絶望的な失敗である。この戦争を支持する評論の大部分は、右翼解説者によるものである。伝統的なリベラルや社会民主主義の反戦左翼は、どちらかといえば親NATOである。
 爆撃が失敗したが、リベラルな戦争挑発者たちは、今日の時代にあっては国家主権を侵害する行為(ガルチェリはそのために粉砕され、サダム・フセインは罰せられ続けている)は地上軍の介入を招くとは考えない。地上軍による介入という選択は、きっぱりと排除されている。NATOの兵士は、例外は一つあるが死ぬことよりも殺すことを選ぶ。その指導者が兵士が死亡して死体運搬用の袋で輸送されることを気にしない唯一の国家はトルコである。ある交換条件が提案されるかもしれない。それは、セルビアがNATOに加盟し、セルビアの軍隊がクルドを解放し、トルコ軍がアルバニア系コソボ住民を救済するというものである。
 NATOの空爆は、難民の流出を止めることにあるとされている。あるいは、そう信じこむようにされている。だが難民は一〇〇倍にも増加している。空爆前、ミロセビッチは自分の国が爆撃された方がすぐに降伏できるし強硬民族主義派を孤立させることができると考えている、とほのめかされていた。これがまったくの空想であることがはっきりとした。難民流出防止以外の空爆理由は、セルビア内部でのミロセビッチに対する政治的な支持を弱めることだとされていた。だが空爆は、彼の立場を強化しただけだった。爆撃が第三段階に突入し、民間の施設や経済施設が空爆目標とされると、戦争が他の地域に拡大していくことになる。地上軍が派遣されると、その結果、戦争が長期化し激しい衝突になっていく。
 この地域にとって真剣な検討に値する方策は二つしかない。一つは戦争と血にまみれた戦闘行為によってNATOによる保護地域とすることであり、その結果、ヨーロッパの再度の軍事化が進行し、ロシアとの新しい冷戦が発生するか、あるいは新しい地域的枠組みをつくろうと試みられることになる。もう一つの方策は、敵対行為をただちに停止し、コソボ監視軍が復帰し、国連中心の平和維持軍が駐留することである。その平和維持軍から、戦争を行ったNATO諸国と、住民にテロを働き追放したセルビアの双方を排除することになる。
 この地域の将来展望は、国連安保理のもとで事務総長を議長とする新ベルリン会議によって決定されるべきである。これは、もし欧州連合とアメリカにその意思があれば、この地域の安定した基礎を確立することになる。そのためには、包括的な和平協定に署名する――新しい枠組みにおいてその独立が承認されなければならないアルバニア系コソボ住民を含む――すべての当事者を対象とする地域再建計画が作成される。西側が戦費として使った数十億ドルの半分でさえが、ユーゴスラビア解体後に経済援助として使われるなら、この十年間の精神的外傷をどうにかしのぐことができるだろう。
(電子版インターナショナルビューポイント誌5月、311号)