1999年6月10日         労働者の力                第112号

自自公連立の暴走
国旗・国歌法制化、有事立法の動きと対決を

                                   川端 康夫

 地方選挙を終えて、一挙に自自公の暴走が始まった。どさくさにまぎれた奇襲攻撃である。民衆的にも政党レベル的にもこうした不意打ちへの認識や対応は明らかに立ち後れている。小渕首相の支持率が上昇しているという調査は、その小渕のどこを評価するのかについては「特になし」が最大であるという結果を出している。自自公の成立とその暴走は政治の新たな段階の始まりを確実に意味している。国会で進められている自自公の暴走に関して世論の反応は当初は鈍いとしても、気づくにつれて自自公に対する抵抗は強まっていく。そして大衆運動の活性化とともに野党陣営の再編の動きも強まることになる。有事法制を当面の目的とする自自公路線との対決を進めよう。
 
自自公、相次ぐ悪法の強行
 
 自自公の醜悪な連立によって、今国会では周辺事態法、組織犯罪対策法(盗聴法)が成立したのに続き、国民総背番号制度に連なる住民台帳基本法案を委員会で可決した。
 さらに政府は会期延長を含んで、国旗・国歌法制化法案を提出した。民主党あるいは公明党は慎重審議を求めているが、公明党の内部からは採決となれば反対は難しいという声がすでに出ていると報じられ、民主党の右派もそうした方向に傾いているという。
 地方議会レベルでは自公体制が利権狙いの枠組みとして成立して久しいが、それが中央政治レベルでも公然化したのである。マスコミを通じては、公明党内部や創価学会との関係でのきしみが相次いで流されてくるが、当の公明党は、政策実現政党なる看板を掲げて自党の存在価値を印象づけるべく、自民党からわずかのおこぼれを頂戴するために、あらゆる重大法案の成立に手を貸している。
 周辺事態法も組対法もまさに係争、問題法案であり、提出以来二年間も店ざらしになっていた問題法案である。それが公明党の転身によってあっさりと通過する事態になった。国歌・国旗の法制化は広島県教育界の校長自殺事件を好機に野中官房長官が飛びついたものである。
 そもそも昨年秋以降、特に憲法改正を射程に入れた自自の右派議員による画策が目立ち始めた。民主党一部右派をも含めた憲法改悪から国旗・国歌制定までの動きは、いまや公明党の参画をもって幅広い流れとして登場し始めているように見える。小沢新党運動に端を発する一九九〇年代の政界再編劇の核心が実は「普通の国家」論への布石であったことは、今改めて明白になりつつある。民主党の若手議員のうちにも憲法改正論者が台頭してきているように、小沢的思考は、再編劇の中で知ってか知らずしてか、武装解除されてきた野党陣営の無防備さを貫いて拡大してきたといわなければならない。
 政界再編は、選挙制度改悪に影響、振り回され、一種の選挙互助会的な離合集散を繰り返してきたが、それらを通じて貫いてきたのは、政治的には国家主義、経済的には新自由主義、そして実生活に関しては大衆収奪の性格である。
 橋本前内閣はそれを体現しようとし、反発を受けて退陣した。その一年後に小渕政権は自自公の枠組みで態勢を立て直しただけでなく、どさくさにまぎれてその完遂をめざして暴走を始めた。その最大の功労者はもちろん公明党である。
 
基盤は員数あわせだけ
 
 自自公の暴走はしかし世論のテストを受けた確信的なものでないことも明らかである。どさくさのうちにやってしまえ、というスタイルも透けて見える。
 反面、なぜか理由は誰にもわからないようであるが、小渕の支持率が上昇してきているのも強攻策の背景にはあるであろう。小渕が自信を強め、自自公連立が支持されたのだという、おそらくは錯覚が判断の基礎にあるのかもしれない。
 だが、そうした判断が甘いものであることも政治の常識である。一年前の橋本の悪夢を忘れるにはまだ早すぎる。
 自自公の暴走が政界再編劇の新しい局面へ移行する合図となりつつある様相はすでに生まれている。
 自民党は総裁選挙をめぐって揺れを見せている。橋本とともに退陣を余儀なくされたYKKの加藤と山崎は、自自連合に乗り頭越しをねらう亀井らの動きを押さえ込むためにも総裁選への立候補を回避するわけにはいかない。彼らは橋本退陣という悪夢の当事者であり、その痛手を知っている。小渕への対抗は、したがって自自公の枠組みの基軸ともなりつつある小沢的方向性への対抗路線の色彩を密かに帯びることになる。本人からは出てはこないものだが、菅が早速に誘い水を流したように、自自公に対抗する新たなアメリカ型民主党の可能性を描き出す人々も当然出てくるのである。その場合は自自公は共和党型と意識されるのであろう。
 これらは早すぎる夢想のようなものだが、自自公体制が増大している無党派層を獲得していない以上は、逆転劇の可能性はある。
 自自公成立によって揺さぶられた最大の勢力は、旧社民党の系列であった。民主党内部で菅、鳩山、羽田らの後塵を拝していた旧社民党グループが横路を中心に派閥化に踏みきり、主導権争いに名乗り出ようとし、その名目を民主党内部の右派や菅の自民党政治への妥協・同調に求めようとし始めた。
 周辺事態法の衆院採決の土壇場で横路グループは、彼らの意向が満たされない場合には退場を辞さないという構えで菅、羽田、鳩山らとの違いを明らかにしようともした。組対法採決での民主党の欠席戦術もこの動きの延長上に見られる。そして旧民社党グループはこの動きに対抗し、即座に民社協会の存続を決定した。
 自自公の成立が民主党に与えた影響は、菅が新たな野党連合の企てをもって社民党に接近しようとしたことにも現れた。民主党は、最大野党といっても、政治的にも議会内取引でも、自自公の陰に隠れ存在感をもちえないという焦りが菅の動きに出たのである。この動きは連合の反発で一応とん挫したが、では連合はどのような展望を民主党に与えられるのか、という問題として跳ね返ることになる。
 連合は財界と組んで政府の雇用対策に対するロビー活動を繰り返している。もちろん財界は、銀行の次は産業資本だ、という公的資金獲得に乗り出しているのであるが、そのおすそ分けを連合にも少しは分けようというのである。
 旧社民グループと民主グループの動きは連合主流にとっては頭の痛いところである。両グループを統合し、連合の主導を決定づけようとしている彼らにすれば、まさに逆流であろう。だが連合がいかほどの組織力と金力を持っていようとも、彼らの政治路線(あるとすれば)が無党派層を含んだ有権者をひきつけられるものとは誰も思わない。連合ができるとすれば、それは旧全電通が旧社会党内部で行使したような、選別と路線的限界づけ程度のものであるだろう。
 今般、札幌市長選挙に無所属で立候補した中尾前参議院議員は、連合の横やりで前回参議院選の比例名簿における当選不可能順位に置かれた。中尾前議員は当時は現職(旧社民党・護憲共同)にあり、現職優先と選挙区から比例区にまわった事情を考慮すれば上位に置かれてしかるべきものであった。だが中尾の非連合色をきらった連合は彼の排斥を強要し、菅は独断で受け入れた。
 そうした経過は民主党北海道連を困惑させ、中尾の身元引受人である鳩山由起夫(兄)を激怒させた。その恨みが今回の民主党公認候補と対抗する札幌市長選挙への立候補と、由起夫の公然たる応援の活動となった。菅らの執行部が由起夫を処分できないのには当然すぎる理由がある。
 鳩山由起夫はさらに民主党の菅依存からの脱却をアピールし始めた。自自公成立による民主党埋没への苛立ちは、こうして旧社民党グループに始まり、菅そして鳩山由起夫へ、全党的動きとなってきたのである。民主党の求心力には明らかなかげりが拡大しつつある。
 自自公の影響はさらに国会終盤の局面での、院外での久々の社共共闘集会を生み出した。社民党土井執行部は、ようやく遅ればせながら周辺事態法反対の運動に踏み切った。本当の国会終盤ということであり、いわばアリバイ的なものであったとしても、社共の共闘は九〇年代には絶えて久しいものであったから、自自公の成立とその暴走の影響の大きさがここにも見える。
 
不可避的な政治変動と再編へ
 
 以上は、今はさざ波だが、視点を変えてみれば、民主党左右の同床異夢がいつまでも続くわけはないし、社民党の左にも右にも決定的には進めない行き詰まりも続けることはできない。民主党は党の分解が、社民党は党の存続がかかってきている。
 政権党たる自民党内部のきしみも、当然小沢路線をめぐるあつれきとなって不断に現れてくることになる。昨年暮れに自自連立が成立したとき、現職大蔵大臣の宮沢は、派閥を加藤に譲るという口実で辞職を公言した。明らかに宮沢は小沢の過去の仕打ちとやりかたへの不快感を抱いている。
 共産党は不破の主導のもとに、「将来の政権参加」を展望した路線転換を密かに進めている。党の正式の機関決定、つまり党大会の決議という手順を踏まずに進められているブルジョア政権参加への軟着陸を可能にするための路線転換ということなのだ。ここではNATO体制に組み込まれているフランス社会党ジョスパン政権に共産党が入閣するという参加のレベル、あり方を想定しているように見て誤りはなかろう。
 官房長官野中がほめあげた国旗・国歌法制化の国会議論受け入れの態度、自衛権を「そもそも認めている」という態度などの一連は、マスコミ報道によれば、社民党村山政権の轍を踏まないための準備だということである。つまり、村山連立政権の誕生に際しての一八〇度の政策転換が支持者の不興をかい、急激な支持率低下を導いたと分析し、党内外を政策転換に慣れさせるようにしているのだといわれる。ありそうなことである。
 しかし前号でも部分的に指摘しておいたように、共産党の柔軟路線はその核心の組織戦術にはほとんど影響を及ぼしていない。この現象が、単に組織体質の転換には時間が必要だということなのか、それとも他の要因、例えば「唯一前衛党論」の基軸にはなんらの手も加える必要はないということなのか、判断すべき材料は今はない。
 だが不破はマスコミインタビューで民主集中性は不変だと語っているところから考えれば、そのあたりにはまだ、そして当分は手を着けないことだけは確かなようだ。とすれば、大衆運動の党派利用主義という傾向が根強く残り続けることは避けられない。
 そして同時に一方(議会)における政策転換の進行、他方における(周辺事態法をめぐる大衆動員への傾斜)運動的積極性の兆しが、整合的に進行することも保障されない。不破はこのほど、「政権参加した暁には、その政権は周辺事態法を現実の政策にはしない」という立場を党組織に向けて明らかにした。大衆運動的圧力と議会内的マヌーバーの綱渡りは、今後さらに強まらざるをえないであろう。
 自自公連立は、すでに有事法制化へと動き出している。周辺事態法に際して浮上した社共共闘をふくむ大衆運動の登場は不可避である。もちろん不破のいうところの政権参加あるいは共産党が参加する政権とは今のところは絵に書いた餅にすぎず、すぐさま現実的な矛盾として現れることはありえない。しかしその上でも、不破の共産党が、いかなる性質の共産党の参加する政権を想定するのかは、日々規定を問われていくことになる。
 仮に反自民という一点での大連合政権を意味するとすれば、つまり現在の民主党を対象とした連合政権という範囲を考えているとすれば、先に引用したような周辺事態法の発動はしないなどの限定は口先だけのものにすぎないこととなる。民主党総体が周辺事態法や有事法制などと対決するというふうにはならない。数年前の第三次琉球処分たる(沖縄)軍用地強制使用をめぐる民主党の立場を想起すればいい。
 
自自公と対決し新しい政治の創出へ
 
 日本政治の基軸は、それを主体的という観点からとらえれば、漂流しているといってもいい。国際政治においては朝鮮半島をめぐる事態に対して、なんらの積極方針をもちあわせず、たんなる危機あじり的対応に終始し、アメリカ軍事戦略の片棒をひたすら担ぐことが政権維持の基盤であるとしか考えていない。金大中政権の「太陽外交」というそれなりに骨の座った政策に比べれば、その落差は巨大である。国内的にも、国家主義と新自由主義の流れに乗るだけであり、その実態は失業を増大させ、可処分所得を減少させる以上のものではなく、小渕政権(宮沢)のとった方法は、ひたすら金融資本とゼネコンの救済を進めただけである。
 他方、最悪の数字を記録している失業率、それをさらに推進する諸労働法制の改悪は、連合の暗黙の支持の上に進行している。
 民主党の屋台骨が再度ぐらつきはじめ、社民党が党再生の展望をみいだせず、共産党がその「大胆な政権参加路線」が生み出す矛盾に直面していくであろうという情勢は、二一世紀への移行が同時に新しい左派性、政治的基軸を求めることを意味する。自自公という醜悪な利権主義にとりつかれた連立が成立したという事態こそ、左派政治の再編にむけて大胆に取り組むべき時である。
     (六月十一日)
 

三里塚の暫定滑走路計画を糾弾する

 
 政府・運輸省と空港公団は、二〇〇〇年度成田空港平行滑走路完成という目標の断念を表明しつつ、代案として二二〇〇メートルの暫定滑走路を現在予定地の北側に九〇〇メートル移して建設する方針を明らかにした。彼らは二〇〇二年サッカーワールドカップに間に合わせるという名分を無理やりつくり、二〇〇二年六月完成を目指すとしている。これは、明らかに用地内にある反対派の住民を騒音直下に置き、それを使って追い出し、平行滑走路を完成させようという露骨な狙いによるものだ。反対同盟は五月九日、石井武、柳川秀夫両世話人が記者会見を行い、@暫定滑走路案は騒音直下に置かれるであろう住民を追い出し平行滑走路をつくろうとするもので絶対に認められない、A運輸省の一方的工事強行は空港問題の話し合い解決の努力を無にするものであり、反対同盟は重大な決意をせざるを得ない。
 五月十七日、反対同盟は公開質問状を作成し、成田シンポ、円卓会議関係者に送付した。工事は年内にも着工されるおそれがある。東峰用地内二戸の頭上わずか数十メートルを轟音まき散らしながら飛行するという暫定空港計画こそ、三〇余年前の三里塚空港決定のやり方と何ら変わらない暴挙である。暫定滑走路計画の中止を要求する。

【資料】運輸省・空港公団への公開質問状(抜粋)
三里塚・芝山連合空港反対同盟(熱田派)

 
 拝啓
 ……
1、北側ずらし案は滑走路用地を話し合いではなく力で確保しようとするものであり、隅谷調査団所見の「なお、平行滑走路のための用地の取得のためには、あらゆる意味で強制的手段が用いられてはならず、あくまでも話し合いにより解決されなければならない。(中略)今後は、新しく設けられる共生懇の公正な光のもとに、計画予定地および騒音下住民との合意を形成しながらすすめることが肝要である」という円卓会議合意の核心部分をふみにじるものではないでしょうか。
 この変更計画どおり平行滑走路が建設されますと、現在までに空港公団が用地確保できなかった東峰・天神峰地区は滑走路南端に隣接し、南側発着の航空機の騒音・排煙・廃油・落下物の被害をもろに受けることになります。また滑走路までの誘導路も当然この両地区を縦断することになるでしょう。
 となれば、住民にとってジェット機が鼻先を往復し、かつ頭上数十メートルを飛ぶことになります。また、すでに飛行開始以前に誘導路建設のための軒先工事や県道の付け替えなどによる多大の生活上の被害・不便が生じることは明らかです。このように騒音や軒先工事などで当該の地権者、関係者たちに生活被害を与えてこれを追い出し用地取得をはかるというやりかたは、まさに力の行使、強制的手段の一つではないでしょうか。
2、二一八〇メートル滑走路は「暫定」ではなく半永久的なものとなると予想されるが、はたしてそれが地域と共生することをめざした空港の姿なのでしょうか。
 かりに変更計画に従って短縮滑走路ができたとしても成田空港離発着航空機のおよそ八〇%を占めるジャンボ機には対応できず、使い勝手の悪い中途半端な飛行場になるとの指摘もあります。先に述べたように住民や関係者にとっては北側ずらし案は力の行使による用地確保をはかるものと受け止められるのは当然ことです。それは必ず、平行滑走路関係地だけでも数百人におよぶ全国の一坪共有者を含めた地権者たちの反発を産み、政府・空港公団がすすめようとする用地確保をより困難にすることでしょう。
 政府、空港公団は以降も話し合いで南半分の用地確保をはかると言っていますが、それは話し合いではなく相手の頭をひっぱたきながら口では仲良くしようと言っているのと同じことなのです。どんなに建設側に立った予想をしても虫食い状態の「拡張予定地」が少なくとも今後数十年は続くことになるでしょう。とすれば、二一八〇メートル滑走路は「暫定」ではなく半永久的なものとなります。また力の行使は必ずもう一方の力を呼び起こし、対立構造が再燃し、機動隊の二重三重のフェンスに囲まれた軍事基地のような空港と検問だらけの周辺地域がまだ数十年も続くことが予想されます。はたしてそれが地域との共生を目指す空港としてのあるべき姿なのでしょうか。
3、こんな計画変更がまかり通るとすれば、円卓会議での議論は何だったのでしょうか。
 シンポジウムの結論として白紙化したB・C滑走路増設計画と寸分たがわぬものを国側は新たな考え方に基づくものとして第八回円卓会議に提出し第九回会議でそれについての議論がたたかわされました。その時土坂航空局長は「二五〇〇メートルが必要にして最小限であり、滑走路の角度を変えたり、位置をずらしてみる、あるいは交差の角度を考えてみるなどいろいろしたがこれ以外にはできなかった」と発言しています。
 他の平行滑走路案はないということで、そのことを動かしがたいたたき台としてその後の議論がなされたのでした。そして増設計画の是非についてはそれぞれの立場は違いましたが、あくまでも話し合いで用地を確保し合意をはかって建設を進めるという円卓会議の結論を共にしたのでした。
 ……
 シンポジウム・円卓会議に私たちが参加したのは対立の続行による地域の荒廃は地域に生きる民として耐え難かったからであり、何としても空港問題の平和的解決を求めたがゆえでした。子々孫々に及ぶ騒音地獄や廃熱・排ガスなど様々な空港の廃物による住環境・農業環境への被害が容易に予想されながらも、円卓会議で「断念の思想による共生」を訴え、あえて空港との共生の道を選んだのも成田空港問題の平和的解決への道が最優先されるべきとの思いからでした。そのことは今もまったく変わってはいません。時間はかかりきわめて厳しい道ではあっても、地域と空港の共生という観点からの解決への模索を私たちは今も続けています。
 ……
 シンポジウム・円卓会議を主宰された諸先生、およびともに参加された皆様、また円卓会議の精華として生まれた地域共生委員会におかれては、このような事態をどのように理解され対処すべきと考えておられるでしょうか、お考えをうかがえれば幸いに存じます。
 また同時に、当の運輸省・空港公団には報道されているような計画変更が事実としてあるのかどうか、あるとすれば、上記三点を如何に考えてそのような案を画策されているのかを問いたいと思います。
       敬具
 一九九九年五月一七日

イタリア
共産党再建派大会報告
                                 リビオ・マイタン


大会の目的は

 リビオ・マイタンは、最近開かれた共産党再建派の党大会に関して複雑な感情を禁じ得なかった。
 イタリア共産党再建派(PRC)は一九九一年の結成以降、騒然とした歴史をたどってきた。当初七人いた指導部の内、現在も残っているのはわずか二人だけであり、しかもその二人は中心的な指導者ではない。前委員長や前第一書記、二人の指導者は、いずれも分裂して脱党した。残る七人目の指導者は死亡した。
 一九九九年の党大会が招集された目的は、議会多数派から脱退すると決定(これにとどまることを厄災とみなした)したアルマンド・コスッタの率いる少数派に再考の機会を与えるためであった。ところがコスッタが昨年十月に党から分裂してしまったため、党大会招集の目的がはっきりしなくなった。すでに組織の外に出てしまった反対派との裂け目を繕うためか。
 戦略的なテーマを明確にし、党の概念やその機能について論議する必要があった。しかしながら、二カ月間という短い大会前議論期間において、戦略的なテーマや党の概念、機能について党としての統一した結論をもつことが不可能なことも明白だった。
 党の多数派は、現局面における党の政策、方針をより鮮明に確定することこそが党大会開催の目的だと強調した。左翼野党としての基本方針を明らかにしていく作業は、今年の大会以降、次の大会までの間に行うというのが多数派の見解である。
 こうした状況にあって今回の大会は、これまでの二回の大会――選挙直前に政治同盟の問題を扱った一九九四年の大会と、議会多数派連合への参加問題を処理した一九九六年の大会――よりも、軽いものだった。
 大会の結果は容易に予測できた――大会代議員の極めて分散的な対応と実質的な政策議論の不在である。そして、お決まりの多数派内部における指導機関の構成、つまり指導部人事をめぐるどうしようもない闘いである。
 ファウスト・ベルティノッチ委員長による基調報告は、現実に進行しているPRCの戦闘化、中道左翼政府に反対の立場、中心的な連立党である左翼民主党(前の社会主義左翼民主党)への批判、反帝国主義の立場を明確にした。彼は最初に、チェ・ゲバラの言葉――ほかの人間に対して、あるいは世界のいかなる場所であろうとも、行われている不正を深く感じ取ること、これこそが革命家としての最良の資質である――を引用し、クルド語に翻訳して報告を開始した。
 こうした国際主義の基調は、百人以上の外国人招待客の存在によっても強調された。そこには、ヨーロッパ各国の共産党やキューバ、朝鮮民主主義人民共和国、ラテンアメリカ、南アフリカからの共産党、多数の発展途上国からの反帝国主義組織、環境グループやフランスLCR(革命的共産主義者同盟)のような戦闘的組織を含めて多様な組織が参加していた。第四インターナショナルを代表してフランソワ・ベルカマンが出席した。
 ベルティノッチは、党が直面している戦略的な問題のすべてに答えようとはしなかった。彼は、基本的な政治方針と、中道左翼政府に反対するPRC戦略とに集中した。現在の国内的、国際的な力関係の中で、PRCが直面している課題は、資本主義を越えるわけではないが、ネオリベラリズムの経済的、精神的な側面と果敢に決別できる新しい社会プロジェクトをより具体的に提出していくことにある、と彼は主張した。
 彼はまた、新ケインズ主義の経済戦略について語り、より権威主義的なブルジョア民主主義の導入に反対する必要性を明らかにした。私や他の人も、ベルティノッチの定式化それ自体には賛成しないが、しかし、彼が提起している問題が集中して解決していかなければならない問題であることにはすべての人が確実に同意している。
 党が重要な課題と考えているのは、比例制の選挙制度を変えるために政府が行おうとしている国民投票における反対票を組織することである。政府が考えている選挙制度では、PRCが例えば一〇から一二%の得票率を達成しても議席を獲得できないというような代物である。
 ベルティノッチは、地方自治体選挙と六月に行われるヨーロッパ議会選挙に関して、中道あるいは中道右翼政党を排除した中道―左翼と協定を結ぶことを提案した。選挙綱領上の一致は可能であると、彼は主張した。
 党内左翼潮流の一部は、PRCが中道左翼政権と決裂したのだから地方選挙での連合を追求すべきでないと主張した。私はそこまでは考えない。実際に考慮すべき問題は、多くの地域で紙の上での綱領上の一致が存在しているものの、中道左翼諸政党がそれを実践の上では守ろうとしていないことにある。ローマの市長は一連の市営企業を民営化しようとしているが、これはPRCとの地域協定に明白に違反している。
 ベルティノッチはまた、新大統領選出に関して中道左翼勢力と合意に達する可能性を示唆した。これはよい考えのように思われる。というのは、右翼が提案する大統領候補はイタリア憲法を大統領制の政治制度、権威主義的な方向に改定しようと考えているからだ。しかし、ベルティノッチは、前首相で現中道左翼政府の経済大臣を候補とする考えに熱意を示しているが、私たちはこれに同意しない。
 私(リビオ・マイタン)とフランコ・ツリリアットが率いる全国指導部内の左翼反対派の半分は、政権多数派からPRCを撤退させるというベルティノッチの動議を支持した。残りの半分は、PRCの撤退という考えを支持したが、独自の動議を提出した。
(電子版インターナショナルビューポイント誌6月、312号、原稿は途中のここで終わっている。機会があれば続きを掲載したい)

ロシア
共産主義青年同盟
全国大会を開催

レンフリー・クラーク(グリーンレフト・ウイークリーのモスクワ通信員)


 ロシア共産主義青年同盟(RKSM)が四月に第四回全国大会を開催し、ロシアの戦闘的左翼において最大かつ最もよく組織された勢力として登場した。
 コムソモールとしてよく知られているRKSMにとっては、その勢力を基本的に維持したまま大会を開催すること自体が、注目に値する成果であった。というのは、これまでの数年間にわたってロシア連邦共産党(KPRF)が乗っ取りを図ってきたのに対して、その自立を維持するために闘ってきたからである。
 コムソモールの政治的な立場と組織戦術は、KPRFのそれに比べてより戦闘的であり、かつ民主的である。共産党は、青年たちを自らの立場――ロシア左翼に関する厳密に選挙主義的かつ官僚的な考え方――に従属させようとしてきた。
 RKSMの大会は、自らの傷ついた部分を切り離し、損失を勘定することにもなった。最終的なコストとしては、メンバーの最大限四分の一の離脱と、六〇におよぶ地域組織の一割が弱体化し再建されなければならないこと、いくつかの場合にはゼロからの再建ということになる。
 コムソモール書記長は、選挙が近づいており、KPRFにとっては青年の重要性がさらに強まっていると代議員に語った。青年がリーフレットを配布し、戸別訪問のベルを鳴らす。共産党にとって最大の支持基盤である年金生活者が中心の集会に青年が加わることによって、KPRFにいささかなりとも若さと活力を感じさせることになる。そのためにこそ共産党は、選挙が行われる年にはことさらに青年を動員し、組織し、とりわけコントロールしたがるのである。
 これからの二年間にロシア議会の下院選挙と大統領選挙が行われることになる。
 コムソモールは多くの地域で、青年組織や運動の指導者をKPRFメンバーに限定しようとしてきた共産党と闘ってきた。とりわけ中央ロシアの「赤い地帯」と呼ばれる地域では、地方自治体政府内部でKPRFが巨大な影響力を行使している。そして多くの場合、KPRFが便宜を受ける、賞をもらう、職員に採用されるなどの人選に決定力をもっている。青年にとって仕事が非常に少ない地域では、選挙運動員といった一時的な職でも、多くの青年が熱心に応募することになる。
 遅くとも一九九六年まではKPRFとコムソモールとの関係は調和がとれ良好であり、青年組織の指導者の一人ダルーヤ・ミチーナがKPRFの候補者名簿に記載されてロシア議会に議席を獲得することになった。しかし両組織間の不一致が確実に先鋭化していった。コムソモールメンバーを政治的に獲得できなかったためKPRFは、その本当の力の源泉、つまり組織的なマヌーバーと汚いトリックとに次第に訴えるようになっていった。
 KPRFは二月に開いた大会で、その若い党員を集めて並行組織である「ロシア共産主義青年同盟」を結成した。ミチーナによると、KPRFの地域指導者たちはそれぞれの地域コムソモール指導者たちに、KPRFの組織展望、計画を実行しようとしないときは、自らの諸設備の喪失や追い立てに遭うのだと語ったそうである。KPRF関連の職に就いているコムソモール員は、解雇の脅しに直面しているともいわれている。
 親共産党系の新聞などは、コムソモール内部の腐敗という噂を広めはじめている。コムソモール内部では、指導部に敵対する部分が分派的なマヌーバーを開始している。
 こうした圧力を受けてRKSM指導者たちの神経が切れたようである。大会前日に執行委員会の会議が開かれ、六〇地域組織の内六つの組織解散を決定した。それらの地方組織はKPRFの路線を強く支持していた。そして、これらの地域から選出された大会代議員は、その資格をはく奪され、RKSM指導部を支持する代議員が大会で多数を占めることが保証された。
 大会当日、解散させられた地方組織の代表が入場を許され、自分たちの見解を述べた。議論の大半は、現在のRKSM規約によって執行部が行ったような組織解散処分が可能かどうかをめぐるものだった。また組織相互の民主主義的な関係に対する攻撃への怒りが表明された。結局、執行部の措置を支持する決定が、圧倒的多数ではなかったものの、安定的な多数で採択された。その時、少なくとも四地域二〇人以上の代議員が立ち上がり退場した。
 RKSMは現在、買収されないし脅迫にも屈しないという評判を得ている。しかし、この勝利のために払ったコストは非常に高価である。例えば、党員でもある青年組織のメンバー、ひどく分派的なメンバーは、指導部の勝手な行動に対する抗議者として存在することができる。また、今後も予測される内部闘争のために、組織の戦略的な課題に関する討論に関心がほとんど行かないことも十分にありうる。
 今回は、一九九六年以来はじめてのコムソモール大会だった。コムソモールが何をすべきなのか、どのような形で行動を展開すべきなのか――こうした議論が緊要となっている。だが、そうした議論が起こったとしても、その議論には必ずしも計画的な基礎はないし、参加する一般メンバーも相当に限られるだろう。このこと自体は、KPRFとコムソモールに敵対するすべての勢力にとっての勝利である。
(電子版インターナショナルビューポイント誌5月、311号)
フィリピン
         公正な商業を追求
        農民運動の新しい方向

                                    マーク・ジョンソン

PFTACの成果

 ビサヤ地方の新しい(従来の商業とは違う)商業ネットワークは、農民組織と戦闘的な左翼との力を強めた。
 フィリピンの新しい商業ネットワークは、一九八三年に砂糖価格が暴落した後につくられた。その多くが共産党と結びついていた農民の組織者たちは、新商業ネットワークを部分的な解決ではあるが、農村の貧民を進歩的な方向に組織していくうえで有効な手段だと考えた。
 日本の援助組織は「援助ではなく商業(取引)を」をスローガンにして、自立・自給自足計画の一環として新商業ネットワークの開発を支援した。
 人民公正取引支援センター(PFTAC)のおかげでボホール島の農民は、主としてオランダを販売市場とする有機栽培植物、赤米など生産品目を多様化することができた。また、この農民たちは、フィリピンで普通に消費されているのとは違ったバナナの栽培を拡大した。これは日本で人気を博している。
 ボホール島の貧しい農民は、商業的なバナナ栽培にはほとんど関心を示していない。というのは、そのバナナの市場が存在していないからだ。だがPFTACのおかげで、自分たちの耕作地を米とバナナとに分離・分割できた。それによって、国際市場での価格乱高下や、あるいは干ばつや病気による不作に強くなった。

新しい開発

 PFTACのようなグループは、農民を説得して協同経営を進めようとしている。だが同時に彼らは、農村の貧しい人々が土地の家族所有による自営農業を夢見ていることをも認識している。PFTAC指導者の一人は、「これまでに設立してきた共同農場の多くが、経営上の誤りのために破産、失敗したことを認識しなければならない」と語っている。
 進歩的な開発に携わる人々は現在、農民への支援としては農耕道具や機械のプール、協同した栽培管理、技術開発、市場開発と戦略的な栽培計画立案などに力を注いでいる。「私たちは、協同農業が好ましいと考えているが、農民がそれを望まない場合は、前記のような点で集団的な作業、営農を彼らが進めるよう努力している」と述べている。
 農民にとって適正価格こそが、公正な商業システムの鍵となる。前述の指導者によると、「国民経済の中の資本主義経済部門では、価格は通常中間業者によって決められるし、彼らが儲けの大部分を手にする。先のバナナ収穫時では、中間業者がバナナ一単位につき一〇―一五センタボー(貨幣単位)を支払い、これを五〇―五五センタボーで販売する。
 PFTACは二五センタボーで農民から購入し、市場価格で販売する。PFTACのコストとして二〇センタボーをとるが、これで五センタボーの利益が出る。市場価格がこれより高い場合は、第一生産者の農民にその分だけよけいに支払うことになる」
 PFTACの利益は大衆運動に再投資される。PFTACは、貧しい農民たちのグループが連合し、人民の組織や労働者のグループと連携するよう支援している。PFTACはまた、農民たちが新しい商業システムのおかげで得た通常よりも多い現金の使い方などをも教育している。
 こうした事情からますます多くの農民がPFTACシステムに参加する方法を聞いてくるのは、驚くにあたらない。この一五年間で、このシステムに参加する農民家族は三〇〇から一万に増大した。

国家の抑圧

 新しい商業ネットワークの拡大に対して、フィリピン政権とプランテーション所有者とは攻撃を加えている。農民たちは組織されていくにつれて、自らの市民権や人権、土地改革の実現を要求していく。
 地主は殺し屋を送って、農民や農村組織者を脅迫する。だが国家が、次第にこうした弾圧の役割を地主に取って代わって実行するようになった。そして、これに際して国家は、PFTACやこれに類似したグループに「共産主義者」という烙印を押している。多くの地域では、プランテーション所有者が警察の責任者となっており、貧しい農民を抑圧して自分の利益を獲得するという構造になっている。
 PFTACは、公正取引農産物の地域販売市場開発に大きな成果をあげた。多くの消費者協同組合や教員の組織などが、PFTACの黄色いバナナや米、手芸品などに通常価格よりも少し余分に喜んで支払っている。農産物の一部はオープンマーケットでも販売されている。
 都市貧民(不法居住者)の大衆組織からもPFTAC商品の売り手が補充されている。また商品の袋詰めや輸送作業も、連合している大衆組織に委ねられている。そして、この大衆組織の人々は、時にはPFTACのバナナや米を購入している。都市貧民グループや彼らのオルグなどが、PFTACの指導機関に参加して共同で計画を立てている。
 しかし大部分のフィリピン人は、貧しすぎて新しい商業運動を商品購入という形では支援できない。地方のバナナ市場には、デルモンテのミンダナオプランテーションの商品が溢れている。これには各種化学薬品がある可能性は強いが、しかし価格は安い。そして、ほかの多くの国と同様にフィリピン人も、標準化された汚れのない見た目にいいプランテーション農産物を好む傾向がある。
 日本の消費者協同組合の巨大なネットワークが「公正商業者」にとって最大の市場となっている。これらの協同組合は、有機農産物の利点や生産者と消費者が直結した関係の大切さなどを消費者に啓蒙している。これによって、市場価格よりも少し高い販売価格が実現されている。PFTACの販売物はISO(国際標準化機構)による品質証明を獲得していないから、ボホール島の小農民は、どんな場合でも自分の農産物を国際市場で販売できない。

グローバリゼーションをめざして

 ニカラグアとエルサルバドルの革命の結果、デルモンテなどの多国籍バナナ生産者は、中南米に代わる新しいバナナ供給基地としてフィリピンに注目し、巨大なプランテーションを開発してきた。日本に来るバナナの七〇%以上は現在、ミンダナオ島南部で生産されている。
 グローバリゼーションとは、新しい商業ネットワーク同士のそれをも含めた、国際的な価格と品質上の競争強化を意味している。タイの農民組織は、価格、品質両面でフィリピンの競争者に追いついた。
 多くの多国籍バナナ生産者は化学薬品(肥料や農薬など)に依存しているが、それでも「有機」品の開発に努めている。彼らには、土地や技術、資本、それに大規模経済という利点がある。先のPFTAC指導者は、「有機バナナや米はもはやわれわれだけのニッチ(隙間製品)ではない。多国籍企業はすでによりやすい生産コストを実現している」と述べている。
 彼によると、だからこそ、一九八〇年代に成長した新しい商業ネットワークの背後にあった中心的な考え方を多様化して実現していくことが大切になっている、という。
 「グローバリゼーションを各国間の連帯を強化していく機会と考えることが必要だ。結局、世界資本主義によって私たちがお互いに傷つきやすくなっていることの自覚が拡大している。かつては「帝国主義」や「国際的な搾取」といった言葉で事態を説明していたが、非常に抽象的な印象を与えていた。だが現在では、グローバリゼーションとは本質的に、勤労大衆を犠牲にして国際的な大資本が合併などを進めていく過程であることが容易に認識される。帝国主義は以前は軍事的な手段を用いて「第三世界」を支配していた。彼らは今日では、世界貿易機関(WTO)や多国間投資協定(MAI)のような経済機関を利用して支配している」とも、彼は語っている。
 さらに次のように述べている。
 「だからこそ、小農民相互の協同を拡大・改善し、生産者と消費者との結合を強める必要がある。新しい商業システムは、南の生産者大衆組織、北の消費者組織の意識変化を促そうとする。私たちは、資本主義とその担い手を直接にコントロールすることはできないが、強力な大衆運動は意義深い生産者と消費者との結合を形成し、事態を少なからず改革できる」
 課題は、市場競争が強まる中で現在の輸出水準を維持することと、生産農民に対してもっと時間がかかる作業ではあるが、品質向上の実現を説得することにある。前述の指導者はこれに関連して「私たちにできることには限りがある。私たちは事態を促進できるだけ、グローバリゼーションに関して何をなすべきかを実際に決定するのは農民である。私たちは、世界を対象にした大きな構想と地域の状況との関係を自分たち

の問題として農民が認識できるように援助する」と語った。
 PFTACの教育・訓練事業には、戦略的な生産計画立案があり、農民の組織はこれによって、新しい事業計画を自分たちで作成できるようになる。これは、技術・営農顧問が作成した計画を受動的に受け入れるよりもはるかに積極的な結果を生み出す。

腐敗と協同

 PFTACはまた、非良心的なNGO(非政府系組織)や慈善団体が貧困や大衆運動を利用する危険性についても農村貧民を教育している。これらの組織は、それ自身の官僚的な利害関係を有しているし、あるいは外国からの資金援助がなくなると、その基金に関連する具体的なプロジェクトをすぐに放棄するからである。「農村貧民に同情する振りをする「開発」グループは絶えず交替している。彼らの活動の主たる動機は、その宗教や政治的あるいは経済的な関心にある。だが私たちのようなグループは、長期間、活動を持続している。もっとも私たちは、農民に対して私たちの援助が必要ないと思われる時が来たら、私たちはその時、立ち去ると語っている」と、彼は述べた。
(電子版インターナショナルビューポイント誌6月、312号)