1999年7月10日         労働者の力               第113号

労働運動の直面する課題
政府・資本の「三つの過剰」論との対決を

                                         坂本 次郎


三つの過剰論と日本型雇用対策?

 労基法改悪を突破口にして派遣法などの労働法制改悪の動きが激しく進んできた。同時に、倒産法の改悪をはじめとする企業関係法制の大規模な改変が進められてきている。その仕上げの一つが、今国会の大幅延長のもとで進められている産業競争力回復のための法案である。
 銀行とゼネコンへの大規模な公的資金投入に続いて、今度は「産業界」の出番というわけだ。そして、それだけではあまりにもかたよることが明らかなために、雇用対策・創出の方策も提出されている。
 産業界は何をどのように考えてきているのか。経済同友会と経団連とが言い出したのだが、彼らは三つの過剰を指摘し、その解消を通産省を抱き込んで進めようというものだ。三つの過剰とは、債務の過剰、設備の過剰、そして労働力の過剰である。この三つの過剰のために、日本企業は全世界規模の産業再編における立ち遅れを余儀なくされているという。経済企画庁が十六日に発表した経済白書にもそのことが中心的に述べられている。
 確かに金融、自動車、電気、情報産業と、いわゆるグローバルスタンダードの嵐が吹き荒れている。アメリカ主導の企業間自由競争の全面化はアメリカの一人勝ちの様相を示しているが、その流れが加速し、今やそのアメリカ資本に対抗するユーロと日本を巻き込んだ世界的な再編が進み、その結果として、三つか四つかの超大多国籍企業がそれぞれの産業を支配していくという形になりつつある。
 これらは単に巨大資本相互の争いということにとどまらず、それぞれの国家を戦略レベルで巻き込む国際競争の様相を呈している。とりわけ情報通信産業での再編にその典型が現れている。
 産業界の狙いは、明治以来の商法規定や戦後の財閥解体時に導入されたニューディーラーの見解による独占禁止法などの「制約」を取り払い、雇用調整など労働力需給への企業対応を切り捨ててしまうということに要約される。
 第一の債務過剰について、つづめて言えば土地利用の自由化にある。
 鉄鋼などのいわゆる重厚長大産業の多くは、明治政府による官業のただ同然の払い下げを出発点にしているが、その官業は一等地に立地した。その払い下げに際しては、勝手に土地を切り売りしたりしてはならないなどの「イチジクの葉」が付加されていた。それらを取り払い、企業が自由に処分できるようにするというものである。企業が一等地にあるその土地を住宅団地にして切り売りしたり、それができないときは住宅供給公社に売り払うという方策が盛り込まれている。
 第二の設備過剰については、特に独占禁止法関連の骨抜きである。
 持株会社の解禁に続き、一方での分社化、他方での敵対的企業買収の公認など、いわば歴史的には反トラスト法の流れをくむ企業規制の撤廃である。反トラスト法そのものは前世紀末から今世紀初頭にかけてアメリカ資本主義の露骨な行動に歯止めをかける社会的運動から生まれた。それは一九三〇年代のニューディールのなかで本格的に整備され、それが財閥解体の際に導入されたものだ。アメリカの巨大資本を背景とする共和党の陣営は、こうしたニューディールとその実行者であるニューディーラーを「共産主義者」と同一視し、戦後のマッカーシー旋風(アカ狩り)を突破口に押さえ込んでいく。今やニューディールを継承するはずの民主党クリントンの政策にはその面影もない。
 そして労働力需給への企業の対応責務をも一挙に廃止してしまうというものが、第三の労働力過剰対策である。
 雇用調整基金などの行政指導的ありかたを通じて、企業は景気変動による労働力のインバランス(不均衡)の調整をある程度は果たしていた。いわゆる企業内失業、労働力の企業内滞留などといわれる方策を捨て、企業外に不安定労働力を放出するというのがこの間の労働法制総体の結論である。
 今国会において、小渕は次のように答弁している。「レイオフなどの手段で対応するアメリカ型、失業給付などの手厚い社会政策で対応するヨーロッパ型に対して、その二つの方式を組み合わせた日本型を目指す」と。それが六千億円規模というまことにささやかな雇用対策の基礎となる考え方というのだ。

加速される失業と大衆収奪の構造

 金融対策に六〇兆円という桁外れの公的資金を投入し、その銀行はゼネコンの巨大債権を即座に放棄した。青木や藤田など青息吐息だったゼネコンの株価は一挙に上昇に転じた。長銀や日債銀などが取りざたされるが、金融への資金投入はまさにゼネコン救済に他ならない。
 つい先日発表されたマネーサプライの数字は、実質ゼロ金利時代にもかかわらず、銀行貸し出しが依然縮小していることを明らかにした。いわゆる貸し渋りに変化はない。公的資金はどこに行っているのか、もちろんゼネコンの負債帳消しに流れているのである。
 その巨大な資金はもちろん赤字国債をさらに増大させている。一年前、橋本が遂行した財政改革の正反対が小渕の政策である。歳入の数倍に及ぶ赤字国債が乱発されているのだが、同時にそのつけは地方自治体財政の悪化に及ぶ。景気対策のための公共事業は地方自治体の参画を求めるものが多い。地方自治体自身が、その財政法による制約も手伝いバブルに踊った点があるのは明らかだが、そのうえに政府施策が自治体を道連れにしての財政出動となっている。この自治体の起債(地方債)は赤字国債に上積みされ、総体、つまり国と地方自治体の借入金は六百兆円とも試算される巨大な額に至っている。
 東京や大阪、あるいは神奈川などの自治体が相次いで財政赤字に転落し、賃金凍結が実施された。春闘が名目だけになり、中小企業の倒産が相次ぎ、こうして可処分所得の全般的な縮小が続く。失業率はあいかわらず史上最高の水準を持続し、とりわけ世帯主の失業増加があると政府統計すら危機感を表明している。
 東京株式市場に外国資金が入り株式相場は久々に一万八千円台を回復し、経済企画庁は「景気の底打ち」を流してはいるが、明らかに財政出動による景気下支えの結果でしかない。しかも先のケルンサミットは日本政府の財政支出の全面的継続を注文し、財政出動はほとんど無制限の感を呈している。
 小渕は橋本の轍を踏まぬ決意のもとに、あらゆる要求をのんで政策展開を行っている。何かしらの政策体系があるとは思えぬこの小渕流はまったくのアメリカ追随政治に他ならない。自由党と公明党の双方の政策実現を進め、ついには有事法制の必要に言及するに至った小渕政権は、現在の巨大な財政赤字を将来的にどうするのかという展望は一切明らかにしない。このつけはいずれ将来における巨額の大衆収奪によって埋められることになる。消費税が一〇%をこえる必要性のキャンペーンが早晩始まるのは必然であろう。

資本間競争論理への抵抗力を

 企業規制を撤廃し、失業をさらに拡大し、賃金を切り下げるという一連の政策の流れこそは、新自由主義の政策体系そのものである。労働時間の柔軟化、派遣労働の全面化を含む労働政策にプラスする労働力を企業外に放出する政策は、低廉で恒常的な外部労働市場、すなわち慢性的な失業構造を社会的に形成することにほかならない。
 完全雇用を旨としたケインズ主義の修正資本主義に代わる新自由主義の経済を導入し、おまけとしていくぶんかの雇用対策を行う、これが小渕の「日本型」の意味である。事実は限りないアメリカ型への接近に他ならない。
 政府が雇用対策として出してきているのは、二年間を越えぬという限度での補助作業要員の増加(自治体を当然動員するものだ)や労働力転換のための職業訓練の規模拡大(民間の専門学校も対象とする)などへの政府資金支出である。
 二年間というのは、戦後の失業対策事業が長期にわたったことの反省というのである。作業内容もまったくの補助労働であり、それは当然にも低賃金雇用である。二年後にどうなるのか、職業訓練の後はどうなるのか、それらには注意深く言及しない。時間稼ぎの一過性対症療法にすぎないし、その効用のほども連合が指摘するように、さほどのものとは思えない。
 ここに現在直面している問題が出てくる。それは、国会も労働界も政党も今の産業競争力論の大枠を直視する視点をもっていないという点である。景気回復はいいことだ、競争力の強化はいいことだ、というレベルを越えた視点をもった論理がどこからも出されていないといっていい。これはつづめれば労働者の犠牲は仕方がない、という論理に帰着してしまう。
 もちろんガイドライン関連法案や盗聴法、日の丸・君が代法制化などが自自公によって一挙に強行され、それへの対応に追われているということはあるが、資本による不況脱却、競争力回復のイデオロギーに対応できていないという性格が根本にある。
 つまり一九九〇年代の資本のイデオロギーは先述した新自由主義である。
 サッチャー、レーガンという英米両資本主義の代弁者たちの行った「最大の功績」は労働者階級に対する荒療治を貫徹しようとした点である。サッチャリズムは旧英連邦のオーストラリア、ニュージーランドにすぐさま波及し、この両国の労使関係と社会構造を荒っぽいものにしてしまった。レーガンの労働政策は航空管制官の全面的な職場からの追放という荒技にはじまった。この効用に着目した全世界の資本は、日本では中曽根による国鉄解体や公的部門の民営化を実現させ、欧州各国の上部構造も新自由主義へと引き込んだ。
 そうしてサミットやOECD(経済開発協力機構)、そしてIMF(国際通貨基金)などを通じて国際的規範の体をなして、アメリカンスタンダードがすなわちグローバルスタンダードとなる(アメリカ化)という今日に至ったのである。言ってみれば、強権によって労働者階級を押さえ込み、賃金切り下げを全社会構造的に実現することを通じた、資本収益、利潤率の上昇をはかるというものである。そこに生じた超過利潤を駆使したアメリカ資本の攻勢が一方では世界的な金融ゲームとなり、他方での多国籍企業間の再編成として現れている。
 こうした状況に共通するものは、各国における社会的格差の増大、低所得層の増大、そして失業率上昇という趨勢である。失業に関しては例外的にアメリカが上げられる。が、それは第三次産業の拡張という現在的条件が低収入への全般的移行という現象を伴って進んでいるというだけにすぎない。反面、アメリカ社会における収入格差の増大は天文学的ですらある。
 アメリカ社会の格差拡大は、すでに労働組合運動の新たな息吹や労働者政党への志向として現れているが、ヨーロッパにおいては労働運動の活性化、社会民主主義の政治イニシアティブの回復として現れることとなった。
 ヨーロッパ諸国においては、社会民主主義政権が今は圧倒的多数である。もちろんこの社会民主主義は多くは新自由主義イデオロギーを公然と(ブレア)、あるいは密かに(ジョスパン)受け入れてはいるのだが、にもかかわらず労働者階級は新自由主義イデオロギーに対しての抵抗力を存分に示したのである。

理論的地平の飛躍を

 日本における歴史推移は、総評解体後の連合の基軸が新自由主義イデオロギーとその本質においては変わらないという事実を示してきた。また同時に、総評イデオロギー(一九六〇年代以降にもまだそのようなものがあったとすればだが)が資本主義の変容に対応しえないものとなってしまっていたことも明らかにした。
 総評についていえば、一九七〇年代前期に爆発したオイルショックに対して弱者救済、国民春闘が提起されたが、その内容は物価上昇に対応する大幅賃上げのの実現と公労協のスト権奪還ストに収れんされ、スローガン倒れに終わったと、現時点では総括される。労働時間や労働者間の賃金構造の格差、あるいは最低賃金法、男女雇用均等などの今日につながる諸課題に踏み込む社会的な弱者救済、国民春闘にまでは踏み込むことはできなかったのである。あるいはそもそも弱者救済などの用語で問題を設定するということに弱点があったのであろう。
 総評を解体して発足した連合は、今さら言うまでもなく企業連組合の連合であるからして大資本との運命共同体の性格が色濃い。
 全労協・全労連にしても旧総評からの脱皮は容易ではなく、その運動的的枠組みを引きずってきた。その変化の兆候は、この間の労基法改悪反対闘争にはじまる一連の闘争に見えはじめてはきた。
 労基法闘争を押し上げたのは、労組構造のお仕着せではない、一連の課題と取り組む運動団体の登場と横断的な連携である。それは労組の旧来構造のはざまともなったパート労働や派遣労働、あるいは男女雇用差別と闘う運動体のエネルギーが労組の従来構造を押し上げ、そのルートを駆使して全国運動に転化していこうとする流れとなった。
 連合内部にも、旧総同盟の職種別・産業別組織の系譜を引くぜんせん同盟や全国金属系列などの労組が労基法改悪に危機意識を示した。この労基法改悪は何よりも労働運動の命、要ともいうべき労働時間概念を骨抜きにしてしまうものであったが故に、何らかの形であれ企業から独立するという指向性を持つ組合には、受け入れられない性質のものであるからである。
 だが連合の主流である企業連型組合は企業論理に迎合した。連合方針はこの影響のもとに流れた。また直接には労基法には関係がない公労法や地公法のもとにある官公労系列の反応も鈍く、全労協も総合力としては建前倒れに終わったといわざるをえなかった。
 運動は広がってきているが、しかし労基法に続く派遣法闘争もこうした総体的な弱さを突破はできなかった。そして今、三つの過剰の場面に直面させられることになっているのである。
 この三つの過剰論の登場は、新自由主義のもとにおける国際的資本競争の論理にいかに労働者階級が抵抗力をもてるのかという課題を提出している。この間の闘いの弱点を越えなければ容易には対抗できない問題であるといわなければならない。現実の要求は闘う側の理論的地平の飛躍を求めている。

労働運動の社会的展開のために

 今から六〇年以上も前になる一九三〇年代、ヨーロッパ労働運動には週三十五時間制のスローガンが掲げられた。そして現在そのヨーロッパ労働運動は週三十五時間制の全社会化の達成、あるいは週三十二時間労働制の実現という領域に入りつつある。その基本的理由づけは、失業に対抗するワークシェアリング(労働の分かち合い)というところにある。
 日本においても労働生産性本部の調査があるが、そこではサービス残業などを解消すれば百万人規模の新規雇用が必要となるとされている。つまり労働力の過剰は、無償労働の強要によって発生しているということが、当の資本家サイドの調査機関によって示されている。
 その日本では労働時間概念が突破された(裁量労働制、見なし労働、変形労働時間制などによって)が、ヨーロッパの厳しい労働時間規制がワークシェアリングを極めて確固なものとして提起させる基盤となっている。
 こうしたヨーロッパ型の提起は同時に極めて社会的な要求である。個別労働者の利害が絡むことはもちろんだが、同時に企業を越えた社会要求としての、つまり労働者相互の連帯としての要求であり、かつそれは政府と資本に向けた要求である。
 労働運動の社会的性格が政治的要求と運動として表現されてくるし、社会的要求に応える(あるいは応えることを期待される)政府の実現が労働者運動の一つの集約点として登場してくる。このような社会運動の意識の普遍性がヨーロッパにおける社会民主主義政権を支えているのは明らかである。
 もちろんその社会民主主義政権の内実はどうなのか、そうした要求を実現しうるような性格のものかは別の問題であり、ここでは踏み込まない。社会民主主義政権の限界は歴史的にすでに明らかであり、すでに第四インターナショナルは一九三〇年代において過渡的綱領としてこれらの要求を位置づけたことを述べておけばいいだろう。
 労基法改悪によって労働時間概念の基礎は突破されはしたが、しかしワークシェアリングにこめられた基本視点は、労働運動の社会的展開の根拠をあらためて明らかにしていくものととらえ返すことができる。
 言い換えれば、ここまできた資本の攻勢は労働者側に運動の社会化、すなわち政治化を求めるのである。新たに求められている政治化が現在確実に拡大している横断的な運動をさらに広範にし、かつ集中性を掘り下げる鍵であろう。
 現在進行しつつある国家・自治体の財政危機や三つの過剰論理は、更に全般的な労働者の犠牲を要求することになるのは明らかだ。そこに必然的に登場してくる新しい労働者の社会的要求が、新しい労働者の政治運動に結びついていくことになるのである。
 (七月一六日の談話を整理したものです。文責は編集部)

フランス
アラン・クリビーヌ欧州議会へ
LO・LCR五%、五議席を獲得 

 
 フランスの労働者の闘争(LO、リュット・ウーブリエ)と革命的共産主義者同盟(JCR、第四インターナショナルフランス支部)の合同ブロックは、欧州議会フランス選挙区で五・二%、五議席を獲得した。五%を突破し五議席を獲得したのはまさに画期的である。LO三議席、JCR二議席の内訳で、フランス支部からは候補者名簿一位登録のアラン・クリビーヌともう一人が議席を占めることになる。
 LO(労働者の闘争)は、フランスのトロツキストグループの一つであり、戦前期の第四インターナショナルの創立には加わらなかったが、一貫して友好的関係を維持してきている。労働組合運動に基盤を持つ。
 このブロックはNATOによるバルカンへの干渉に唯一反対した勢力である。この勝利は五万人を越える労働者が全ヨーロッパから集まったケルン(ドイツ)の欧州サミットへの抗議行動に示される労働運動の高揚にさらなる拍車をかけることになろう。 
ブラジルPT特集
        人権を守るポルトアレグレ市
                                    マーク・ジョンソン

 ポルトアレグレ市の戦闘的な左翼による自治体政府は、人権に関する諸問題を直接民主主義という彼らが先頭に立って推進している制度の方向で解決しようとしている。
 ポルトアレグレでは過去十年間、市民参加による予算案づくりを行ってきており、この過程で市民はそれぞれの地域における公開の会合で自治体の方針を討議しコントロールする。しかし人権に関する諸問題は、労働党(PT)による自治体政府が縁辺化された人々のグループや市民参加による予算討議過程に関与できない諸組織からの要求を承認するまでは、地域の公開会議で取り上げられることはなかった。
 同市参事のエレナ・ボニューマは次のように説明する。
 「もちろん市民参加の討議対象を道路や学校などの問題だけに限ろうと考えたことは一度もありません。私たちがここで行っているすべてが、前例のない革新的な事柄です。だから人権のような問題をどのように扱ったらよいのか分かりませんでした。それでも、自分たちがやってきたことに自信を深めるにつれて、市民参加のやり方を拡大しようとしてきました。つまり道路や学校という予算と直結する問題以外をも扱おうとしました。具体的には、人々の政治的な言説や自治体政府の行動において人権に関係する領域を拡大してきました」
 PTは、まず人権委員会を創設した。これは、女性や黒人、老人、ホモセクシュアルなど差別されている社会集団間の一種の連合組織である。この委員会が、それぞれの社会集団の要求を取りあげ、その解決に関係する行政の部署を紹介するセンターの役割を果たした。だが実際には集団的な活動は極めて限られていたし、委員会が取りあげた問題が全体の闘いに関連されていくこともなかった。
 それでも委員会は、人権に関する市規模の会議に向かう出発点となった。
 「参加者にとっても、党にとっても非常に実り多く貴重な経験となりました」とボニューマは述べる。人権会議では、全体会議のほかに各社会グループごとの分科会も開かれた。そして参加者は、各グループの中心的な要求を、さらには自治体の活動で優先されるべき事柄を確認していった。ボニューマは続けて語る。
 「参加者たちは、行政と党側の私たちに対して、最も広い意味で人権に影響を与えるような行政の各部署をコントロールする権限をもった機関に人権委員会を転換する必要を印象づけました。市の委員会は、人権と市民権との擁護に行政上の責任を有する州と連邦のそれぞれの関係当局を批判せざるを得ません。すべてのレベルにおける政府は、人権擁護の義務があるのです」
 人権委員会は、市の予算について市民が討議をする各区域を代表するように、地域性を考慮して再組織された。
 「これは、各地域における人権問題ごとの作業を参加型予算作成過程に結合しようとする考えから生まれたものです。私たちは、参加型予算作成システムの考え方を人権問題にも導入しようとしたのです」。
 「直接民主主義を深化させていくというのは、信じられないほどに内容豊かな過程です。自治体政府とPTは、住民の様々な部分の間の仲介役という役割を果たし、住民全体を巻き込んで解決策を見出していくことになっていきます」
 「ストリートチルドレン(宿なし子)の問題を例にしましょう。彼らは、紛れもなくブラジルのすさまじい貧困や社会的不平等の犠牲者です。しかし彼らの一部は犯罪を行います。他方、参加型予算作成の討議に参加する住民もまた、町のより貧しい人々で、この人々も暴力の主な犠牲者なのです。警察による暴力だけでなく、犯罪が多発しがちな貧困地域内部の暴力の犠牲者でもあるのです」
 「PTとして、そして自治体政府としての私たちの役割は、住民相互間の結びつきを形成することです。これは、短期ではうまくいかない長期の努力を必要とする作業です。思い出すのですが、ある予算討議の集会で「赤線」地域の住民が売春に伴う騒音や交通渋滞に抗議をしました。売春婦たちは生き延びるためにやっていることだと主張しました。私たちは、売春を禁止することなく、地域住民内部の対立を減らす方向で合意形成を実現しました」
 地方議会の右翼政党は、人権を利用してPTへの強力な支持を分断させようとした。ある保守系議員は最近、ストリートチルドレン救済計画資金を障害者支援資金に変更することを提案した。ボニューマはこれを怒って次のように語った。
 「この保守系議員の主張は、「資格ある」貧しい人と「資格のない」貧しい人とを間違ったやり方で区別するものです」
 右翼諸政党は、予算を修正する市当局の権限を再確立しようとして、参加型予算作成システム自体を攻撃する。ボニューマが説明しているように「この市は、参加型予算作成制度の決定をただ実行するだけなのです。自治体政府が関与する二つの領域の相対的な重要度を決定するのは、住民なのです」。
 「資金や労力などの資源をめぐってどうしても生じがちな予算作成上の対立は、対話を通じて解決されるべきであって、「分割して支配する」やり方で解決されてはなりません。私たちの予算作成の本質は、住民のそれぞれが自分たちの要求と必要を明確に表現し、他の住民グループの要求や必要を理解し、それらの過程を経て住民の連帯や社会的な公正さを増加させる予算配分を決定することにあります」
 「住民を全面的に信頼する私たちのやり方の正しさが証明されているので、とてもうれしいです。私たちが情報を完全に開示し、そして住民が市とその政府を完全にコントロールできていると感じて理解しているとき、市民は連帯と寛容の側に立つのです」

(注)エレナ・ボニューマは、一九九四年以降、市の人権活動に関係してきた。彼女はまた、PTの女性問題担当のコーディネーターでもある。
(電子版インターナショナルビューポイント誌6月号)

PT内部の全国潮流


 社会主義民主主義(PT内部の潮流名、ラテンアメリカ最大の第四インターナショナルと結びつくグループ)は、リオグランデドスル州だけに限定された存在ではない。マーク・ジョンソンが、この潮流の指導者で、PT全国書記局の一員でもあるジョアキム・ソリアーノに聞いた。

 「確かに私たちは、穏健なPT指導部に不満があります。しかし、いくつかのウルトララジカルな批判を理由に離党することは、まったく無責任な間違いです。大衆運動と労働組合運動の前衛は、依然として明確にPTにあり、その左翼は強力です」と、ソリアーノは言う。
 この潮流は、全国性を強化しようとしており、その機関紙エムテンポを定期化し、教育・訓練活動を強めている。ソリアーノは言う。「もっと全国的に知られたいと思っています。しかし潮流の勢力やその活動の規模については、否定しようもありません」。リオグランデドスル州では、この潮流は党員の二五%を占めている。リオデジャネイロ州では、中道左翼に支配されている党内でのかなり小さな左翼潮流の一つにすぎない。それでも社会主義民主主義潮流は、州の労働組合運動では重要な役割を果たしている。「私たちが行うすべての活動に「社会主義民主主義」という大きなステッカーを貼ることで、この問題が解決されるとは考えられません」と、ソリアーノは言う。
 彼によると、外国人はPT内部の潮流について間違った解釈をしがちだ。
 「党のアイデンティティは非常に強力です。その理由は、党の指導部が党内諸潮流からの挑戦を排除しているためでなく、党の基盤が統一と団結を要求しているからです。だから私たちトロツキスト起源の潮流は、党内で党建設を行おうとする「加入戦術」潮流ではないのです。トロツキーやレーニンから有効だと考えるものを採り入れています。だからといって、自己完結的な革命グループと共通する考えは多くはありません。ブラジルに存在する自己完結的な革命グループは、彼らの「標準」的な考え方から、私たちのPT加入を批判し、リオグランデドスルに関しては自治体政府における私たちの役割について非難しています」
(電子版インターナショナルビューポイント誌6月号)

リオグランデドスルにおけるPTの構成
                     マーク・ジョンソン

 マーク・ジョンソンがリオグランデドスル州の戦闘的な左翼政府の中心に位置する党について観察した。

 労働者党(PT)は、リオグランデドスル州において三つの大きな市長をはじめ四八人の首長を実現しており、三五〇以上の自治体カウンセラーを有している。一九九八年十一月現在で、PTはリオグランデドスル州四二七自治体の中で三二〇から四〇〇までに、組織としての存在を拡大した。
 そしてPTは、左翼民族主義のPDT、社会党、ブラジル共産党(PCdB、前身は親アルバニア共産党)による人民戦線においても指導的な勢力となっている。州議会五五議席の内、人民戦線が二〇議席を占めているが、その一二議席はPTとなっている。
 党員の大部分は、労働者階級と農村の貧しい人々である。また、教育労働者、公務員、自由業の人々、ネオリベラル政権の時代に貧しくなっていった低・中階層の人々からも支持されている。
 女性が党員の半数を占めているが、この割合は党の組織構造にはまだ反映されていない。
 党の中堅以上の幹部は、三五歳以上世代であり、彼らは、独裁政権時代に一〇歳代後半にあり、その当時に学生運動や労働運動を通じて政治活動に参加していった。PT党員ならびに指導部メンバーの平均年齢は、一九九〇年代を通じて急速に上昇していった。その理由の一端は、学生運動が後退し、七〇年代や八〇年代のような前衛的な役割をもはや果たせなくなってしまったことにある。
 青年たちは、リオグランデのこれまでのネオリベラル的な自治体政府のもとでは将来展望を描けないでいたのだが、PTがネオリベラルに取って代わる新しい路線を提出していると考える青年は多くはなかった。こうした状況は一九九八年の選挙運動において変化した。この中でPTは、より明確に青年層に訴えていったのである。
 党全体としては、青年党員に関する数字はない。しかし党内の戦闘的な左翼潮流である社会主義民主主義は、一九九八年十一月の選挙運動とそれ以後に一五〇人の若いメンバーを獲得した。この事実は、青年の間でPTの魅力が増大していることだけでなく、青年が党の左翼に接近していることをも表している。
 急速な成長のために、党には大きな課題が降りかかっている。党の組織担当書記局員によると、「急速な成長が一〇年間続いた現在、党の創設世代とは経験をまったく共有しない新しい党員が増大しており、彼らをどのように一体化していくのかが問われている。しかし私たちの課題は、単に新しい党員を一体化させ党を確立していくだけでなく、党をさらに有機的にし統合を深めていくということもある。すべての党員は自分が本当に参加できるフォーラムをもたなければならない。党内で特定の役割をもたない党員は、会議と選挙運動だけに参加できることになっている。もっともブラジルでは、二年に一回、大きな選挙があるが。だから社会的な抵抗運動に有機的な表現を与えるという大きくかつ新しい課題に直面しており、これには各党員が積極的に関与していかなければならない」
 リオグランデPTの指導権は、全国的には少数派である左派が一貫して掌握してきた。この戦闘的である、左派であるという伝統が、リオグランデでPTが成功してきた大きな理由の一つである。この州でPTは最初に、党機関の役員選出で潮流の勢力に比例させる方式を採用した。全国PTは、中道―左翼と中道―右翼ブルジョア諸政党との連立を形成しようとしたが、リオグランデPTは反ブルジョア政党だけと連立を組もうとしてきた。
 リオグランデドスルPTのルシーオ・コスタ書記によると、リオグランデPTの力と自信の故に、PT全国指導部は、当地指導部の意に反する介入ができない。中道穏健な全国PT指導部を支持するリオグランデの党員は、この地で展開される党の運動に参加しないために不信を買っている。
 リオグランデドスル州でPTの基盤が急速に確立された事実は、地方党が全国党で次第に大きな役割を果たせるようになるということだ。この影響は、現在行われている中央政府の経済政策に抗議する運動にすでに現れており、十一月に行われる予定のPT全国党大会までに影響力が拡大していくものと思われている。
 リオグランデドスルPTの成功は、その指導部が穏健な方針を提出したために党の基盤や社会運動を動員できず、その結果、党勢が衰えていった各州PTとは鮮明な対照となっている。
(電子版インターナショナルビューポイント誌6月号)

ポルトアレグレ市の女性問題
ボニューマにインタビュー

                              マーク・ジョンソン


 ポルトアレグレ市参事のエレナ・ボニューマが、マーク・ジョンソンのインタビューに答えて同市運営におけるフェミニスト思想の影響について、その概要を説明した。
 一九九三年にPTが二度目の市の運営を始めるにあたって、PTは、市規模の憲章制定会議を開き、住民参加による市の運営における優先度を決定しようとした。
 この会議の目的の一つは、「ポルトアレグレ市女性計画」を打ち出すことにあって。この計画は、労働や保育所、女性への暴力、教育など女性の関心がある一六の分野を含んでいる。これには、様々な住民組織の代表と専門家が参加したので、問題の診断モデルを開発することができた。全体会議の他に小グループに分かれた研究会も開かれ、ここで生の情報を評価し、中心となる要求や方針を明確にしていった。
 これらの要求と方針が全体会議に提出された。私たちは、女性差別や女性の従属が都市化や公共生活への参加をはじめとして生活のあらゆる分野で再生産されていると説明した。市側は、都市空間に存在するすべての社会関係を説明した。例えば、市の男性の一三%が失業しているが、女性の失業率は一八%であるとか、女性の二八%が世帯主であるとか……。
 私たちが、差別をなくすための徹底的な方策を採らない限り、差別が再生産されていく。私たちは、こうした悪循環を断ち切り、新しい生活慣習や空間を形成していく必要がある。
 従って、私たちの活動のあらゆる分野において、補償措置を導入する必要がある。女性の協同組織には特別の役割が与えられており、クリーニングやその他自治体関係のサービス労働分野で優先的に契約が結ばれている。また私たちは、女性のために衣服工場やパン工場、その他の雇用創出、あるいは職業訓練計画を作成し実行している。またコンピュータ学習や農業といった、これまで職業上の資格や経歴とされてこなかった分野でも、女性の資格や経歴を認めようとしている。
 女性の収入を増加させるプロジェクトを実行したいと思っている。しかし、これは論議を呼ぶ問題だ。参加型予算作成の会合は、こうしたプロジェクトのための予算をリストの低い位置に置きがちで、そのための実際の資金が相当に制約されることになる。また女性のための補償的なプロジェクトを実行する法的な枠組みも欠落している。
 私たちは、前進するにつれて、こうした弱点を確認し、これを克服するための市としての政令を制定しようとしている。奇妙なことだが、ポルトアレグレにはフェミニスト系NGO(非政府系組織)がない。PTの活動に対抗するのは、いくつかの非常に保守的な教会グループだけだ。
(電子版インターナショナルビューポイント誌6月号)

労働者党(PT)と警察
                          マーク・ジョンソン


 PTは、リオグランデドスル州で権力を掌握したため州の機関である準軍事組織的な警察の運営に責任を負うことになった。
 PTは、これまで一貫して警察と緊張した関係にあった。党の指導者たちは、リオグランデブリガーダ・ミリタールのような州警察力を確立した独裁政権と闘い続けてきた。
 副知事室のルイス・フェリペ・ネルシスは次のように語っている。
 「以前は軍事国家だったのであり、その当時の警察の役割といえば明白で、人民を弾圧することだった。ブリガーダ・ミリタールは弾圧機関だった。彼らは、金持ちが多い地域に数多く配属され、その資産を守り、他方、貧乏人の地域にはほとんどおらず、そこでは犯罪が罰せられることなく行われた」
 「しかし社会が少しずつ改革され、法治と憲法による人権擁護の方向に進み、その過程で警察は非常に矛盾した状況に置かれることになった。もちろん警察が憲法を順守したわけでなく、警察による暴力も高い水準にあった。そんな状況の中で、自らの役割に関心を持つようになった警察官が出てきた」
 「多くの上級警察官の思考に変化が生じた。自らの役割に対する批判的な分析・判断も出始めた。何人かの上級警察官は、国を守るという憲法上規定されている警察の役割が市民の安全を本当に保障することを難しくしている、と考えはじめている」
 一九九七年、ブラジル全土で警察官が賃金未払いに抗議をしてデモを行った。カルドーソ大統領は、広範囲な改革を約束した。だけども今から考えると、大統領が本当に望んでいたのは、その当時の警察機関から力を奪い、その軍事活動の脅威を弱めることだった。そして、当時の警察の力が新しい警察機関に移されることになる。しかし市民の安全を守るという仕事の大部分は民営化されることになろう。警察は国を守ることに任務を集中し、他方、民間の警備保障会社が金持ち居住区や大商店街を警備することになる。
 ネルシスは、PTのとった方策を次のように説明している。リオグランデドスル州のPT政府は、準軍事組織ブリガーダ・ミリタールの改革を決意し、警察に関することがらを参加型予算作成システムの枠内で解決を図ろうとした。
 「私たちは、警察全体を維持したいと考えています。そして州内に均等に配備して、すべての地域が警察活動の恩恵を同じ水準で受けられるようにしたいのです。また警察の暴力と腐敗を根絶し、もしそうした事態が起きた場合は厳しく罰する方針です」
 「これまでの州政府は、警察力を使ってためらうことなくストライキやデモを弾圧してきました。そうした弾圧を二度と行わないようにします。州民や公務員労働者の一部が私たちの州政府と対立した場合でも、そうする決意です」
 ネルシスは、ブリガーダ・ミリタールがPT州政府を機能不全や不安的な状態に陥れようとすることを心配していない。「警察の基盤はPT支持者です。彼らに対して上級警察官は影響力を持っていません。警察は政治活動はできません。だが、警察官の配偶者たちやマスクで顔を隠した警察官などのデモが何度も行われており、労働条件の改善や賃上げ、労働組合結成の権利などを要求しています。これらに関して、PTや全国労組連合のCUTと討論が行われています」
 「多くの警察官は労働者を弾圧しなければならなかった理由を理解していません。私たちは、警察に民主的権利を導入し、警察の社会的な役割に関する彼らの意識向上に努めるつもりです」
 「ブリガーダ・ミリタール内部での意見対立の存在から、私たちは、警察の全面的な改革が実行可能であると確信しています。そして上級警察官が私たちの警察改革を妨害したり無視することもできないと確信しています。ただし、こうした方針がブラジルのほかの州――例えPTが強力であっても――可能だとは思いません」
(電子版インターナショナルビューポイント誌6月号)